はてなキーワード: 純愛とは
昨今、どうにもフェミニストとやらが「女性の性的搾取ガー!」とか「クソオス死すべし慈悲はない」とか騒いでおられるが、
ふと疑問に思ったのだ。本当に女性だけが「被害」にあっていたのか?
例えば、献血ルームとコラボした「宇崎ちゃん」その巨乳っぷりが「奇形」「奇乳」だとして糾弾されていたが、では男性は?
女性に乳房あれば、男性に陰茎あり。陰茎を題材にした漫画がこれまで全く無かった訳ではないだろう。
それに我々は「宇崎ちゃん」よりもずっと前から、男性の象徴たる「もっこり」をギャグ(もっと言えば、"お決まりの流れ"の起点)として見ているはずだ。
そう、つい昨年に新作映画が公開された「シティーハンター」の主人公、冴羽獠だ。
黙っていればクールな裏世界No.1の"掃除屋"にして、比類なきスケベ男。依頼人の女性に手を出そうとしては相棒の槇村香に天誅を食らっている……
その"天誅"の起点にあるのは、彼の人間離れした性欲から来る「もっこり」であったはずだ。
また、インターネット上では「ガチムチパンツレスリング」や「やらないか」「真夏の夜の淫夢」といった、
(雑に言ってしまえば)男性の性欲がネタとして笑いのタネとなっていたはずだ。それも、誰からも糾弾されることなく。
かたやオッパイ。かたやチンポ。揉んだり揉まれたり、時には盛り上がったり潰れたりと、性の対象をギャグ化しているのは、30年も前から変わらないのではないか?
(なお、「宇崎ちゃん」自体は彼女の胸をギャグ扱いした漫画ではなく、主人公と宇崎の日常がメインとなっている漫画であるということを、念のため追記しておく。)
例えばグラビアやレースクイーン、成人向け雑誌といった具合に、自らの肢体を見せつける仕事。
グラビアについては撮影対象が男性でも女性向け雑誌においては女性を撮影したそれと変わらない(むしろ、もう少し生々しく過激なのでは?と感じさせるような)ものが掲載され、
しかもそれらは、なにもコンビニの限られた狭いスペースなんかではなく、むしろもっと堂々と棚に(文字通り)陳列されているではないか。
レースクイーンのような、男性の肉体を使った仕事は、探せばそれこそ男性風俗店やゴーゴーボーイといったものもあるが、
我々はレース会場でもナイトクラブでもない、むしろもっと公共の電波で男性の肉体を見て、それも笑っていたはずだ。
小島よしお、とにかく明るい安村、アキラ100%。いわゆる「裸芸人」だ。お笑いにおいてこれほど「裸」が笑われるのも男性くらいなものだろう。
もちろん彼らはその芸を仕事にすることを選んでいるし、我々もその芸を見て笑っているのは、「それ」が彼らの仕事であると理解しているからだろうが、
これがもし「男性にしかできない仕事」としてピックアップされたらどうなるだろうか。
かたや華やかな衣装を着て商品のPRやイベントの応援役。かたや己が身(と競パン)ひとつで笑いを取る者。その役割は、果たして替えが効く(効いた)のだろうか?
成人向け雑誌の件については先の男性グラビアと似た話になるし、最初の漫画の話とも被る話になるが……
昨今世間を賑わせている、男たちが激しく乱れ、愛し愛される漫画……いわゆる、ボーイズラブ漫画についてだが相当するだろうか。
まずタイトルだ。そもそもでタイトルの時点で「セックス」という単語が伏字無しで堂々と並ぶのはこのジャンルくらいだろう。もしこれが女性を主人公にした漫画であれば間違いなくカーテンの向こう側においてあるに違いない。
しかしこのジャンルの漫画は、カーテンの向こうには置かれていない。少女漫画などが並ぶ棚の近くのワンスペース、ならまだしも、書架をまるまる1連以上を占拠している店舗もある。
もちろん購入の際に年齢確認なども要らない。バレなければ小学生でも買えると言ってもいい。
そして肝心の中身だが、これまた過激な濡れ場が登場する。表紙と数枚の目次、扉をめくったらすぐに濡れ場を見た、という読者もいるかもしれない。
構図などで上手く隠されているとは言え、ヤっていることは紛れもない性行為である。それはカーテンの向こうの本と変わらないはずだ。
たま~~~~~~に見る反論に「ボーイズラブ漫画には愛がある!ただのエロ漫画には無い!」というものがあるが、
それならば愛もへったくれも無い時期、漫画にすれば第1話の時点で主人公がレイプされる部類のボーイズラブ漫画はどうするのだろうか。
ひとくちにボーイズラブ漫画と言っても、濡れ場の無い、いわゆる純愛を描いた作品が多いのも事実ではあるが、
そうした作品の横にはカーテンの向こう側と大差無いような過激な作品も存在しているのも事実だ。
これが男性を「性的に搾取」していないとするならば何なのか、誰か教えてはくれないか?
それが必要不可欠な表現だとして擁護されるのであれば、カーテンの向こう側の漫画だって必要不可欠な表現で描かれたものでは無いのか?
よくフェミニストの言う「性的搾取」の論の中で聞こえてくるのが、「露出の多い服を着ていると男性に性的な目線で見られる」とあるが、
では男性が露出の多い服(おおかた、タンクトップにハーフパンツ、スニーカーかサンダルといったところだろうか?)を着て歩いていたらどうだろうか。
そしてその袖から、筋骨隆々の肢体が惜しげもなく陽に当たっていて、少し日に焼けて汗ばんだ肌がまるでキラキラと輝いて見え―――
といった具合の光景がもし広がっていたとして、果たして世の女性はその男性に「性的魅力」を全く、それはもう全く、全くもって魅力の無い存在だと切って捨てることが出来るのか?
あるいは電車の中、それも日光の届かない地下鉄の車内で、シンプルな半袖ジャケットとケミカルウォッシュのジーンズにクラッチバッグ、少し高価そうなネックレスを身に着けている笑顔と白い歯の眩しい青年を見て、
少しも、ほんの僅かにも、目もくれず歯牙にもかけずスマホに夢中になってしまうのか?俺だったらスマホ見ながらどっちもガン見するけど
だが、もしも、もしも、だ。彼女たちが「着ている服のせいで」性的な視線を浴びるのであれば。
「何を着ていても」性的な視線を「女性だから」という理由で浴びせられるのであれば、
もっと言えば、「性的な視線」を「女性だから」という理由だけで「耐えられないほど」「浴び続けている」と彼女たちが主張するならば、
それはもう家から外に出て社会生活などしている場合では無いのでは?
というよりも、そもそも「着たい服を着たい!」と言っておきながら露出の多い服を着て「見るな!」というのはあまりにも矛盾しているし、
そもそもで見られていることに勘づいている時点で相当な自意識過剰では?
と、一介の男は思うのだ。
残念なことに、俺は男だ。クソオスだ。
だが、俺は俺のことを性的に見ている男がいることを知っているし、
俺が変なフェチを拗らせただけなんだけど。
とまあそんなわけで(どんなわけだよ)、性的な目線で見られること自体については、一般的な男性よりは理解があると自負はしている。
もっとも、日常的に性的な視線を浴びているわけでは無いから、自分が理解しているのは彼女たちの苦痛のうち、ほんの氷山の一角なのだろうけど。
だんだん纏まらなくなってきたな。はやく筆を折って神棚に置きたい気持ちでいっぱいなので〆に入る。
要は、女性だけが性的な風体の中生きているわけでは無いだろう?ということだ。
女性だって、男性を性的に見ることがあるはずだし、あなたの母親だってあなたの父親に性的魅力を感じたからセックスをしたんだろう。
そのあたりの家庭事情は分かりませんけど。
片一方だけをあげつらい、自分たちが正義であるとセッ、錯覚している様子は、
傍から見ていると隣国が繰り返す軍事行為のようで、それは幼稚園児どうしの喧嘩と何ら変わらないように思えるのだ。
「あの子が先にぶったから!」「違うもんこの子が私のこといじめたもん!」
そんな喧嘩を三十路もとっくに過ぎたミソジニー拗らせた大人がしているって、恥ずかしくないんだろうか。
クソオスの俺には何一つ分からないのだ。
だって俺は性的な目で見られたって別に構わないし、性的なコンテンツだってちゃんと弁えたうえで付き合ってるし。
だからフェミニストという名の幼稚園児たちよ、一体何が気に入らないのか、もう少し落ち着いて話してくれないか。
頼むよ。なあ。
割と好き放題、頭に浮かんだことを☆PON☆っと出しただけの増田なので、
うーーーーん…
ヒナ姉が目を覚ました時はうるっと
それ関係者みんな読むわけでしょ。
娘ちゃん、グレない?
一途で純な愛情が勝つ、ってこと?
主人公!
どんなに深く愛しても叶わないことも多い。
逆に重いていわれたり、こじらせて
ストーカーになったり。
子育てもして、人としてすごく成長した。
中盤からの男運のなさは同情しきり
だけど、ラストそれでいいの?
事故ったのは気の毒だけど、その原因は
身からでたサビを回収しただけだし。
それが愛っつわれてもな…
んじゃない?
初めっから。
そこ抑えられないの?
まあ、妹ちゃんみたいな強い子には
同じ道を歩む料理長があうよ、きっと。
感じに別な愛も見た。
(まだ未練あったの…?逆に怖い部分もあるが)
どう思うか…
パパ不潔言われても仕方ないかもね。
結婚式の感動もなくなったわ。
前回で最終話でよかったんじゃない?
かな~
女読者にゃ白けるだけだわ
エス書店さんって成人向けの同人作家さんのシャニマス本のあとがきでAV業界実体験ですー二年ぐらいいたよーって書いてあってふぁ??と思って安部菜々さんの同人誌引っ張って来た。
エス書店さんの華々しい業界の裏側の屈折した背景を並べる感じの、どんなに可愛い娘でもウンコはするだろみたいな影の書き分けが好きなんだけど、
その中でも、ひよこさんが三十路に差し掛かって業界堕ちする本と並んで、一二を争う感じに好きな話。
古いアパートゆえの部屋の軒にあたるところに直接ハンガーをかけるぼろっちさとか
キカタンって紳士諸君なら知ってる人は知ってる単語だけど、処女作で微妙だからこそ"あたり"って喜んでるプロダクションの中の人の心情とか
周りのリアルさが彼女の実在に花を添えて、選択肢に悲痛さを感じさせる。そういう暗い笑いは、純愛よりよほど美味しいです。はい。
ついでに補足しておくと、筆者は所謂『百合』ジャンルに詳しいわけでもないし、それらの問題提起により度々巻き起こる騒動の渦中にいたわけでもない。ある意味、この文には公平性が担保されている……と好意的に捉えることもできようが、本質的にはただの部外者の一人の発言であることは忘れないで頂きたい。
さて、ここからタイトル通り『百合』ジャンルと俗に『百合に男を挟む』と呼ばれているジャンルの軋轢について考える。
まさか「その軋轢とはなんぞや」と言うようなピュアな人物がこの乱文に辿り着いているとは思えないため、それらの騒動についての説明は省いて話を進めていく。
騒動を踏まえて解決策を得るため「何を解決するか」、今回の件に合わせて換言すれば「『百合に男を挟む』ジャンルに『百合』のタグをつけることの何がいけないか」を掲示する。それらを大別すると、
この二つが挙げられる。
前者の問題については言うまでもない。そもそも『百合』に該当しないのだからそのタグは適切ではない、という論調だ。インターネットで『百合』の定義について調べると「女性の間になんらかの関係性があり、それらについて描写した作品やジャンル」と分かる。(出典をインターネットに求めるのは些か情けないことであるが、そもそも扱っている事柄がインターネットの周囲に存在するため勘弁して欲しい)
サブカルチャーに慣れていない方がいれば「男がいようがいまいが女性同士になんらかの関係性とやらがあるのならそれは広義の『百合』ジャンルに含まれるのではないか」という意見を持つ方ももしかしたらいるかもしれないが、それは違う。
なにが違うかと言えば、それこそ大多数の意識が違う。例としてイラスト等投稿サービスのpixivを挙げる。
pixivに投稿された直近100件の『百合』タグがついたイラストの中で、所謂「百合に男を挟む」イラストは0件であった。先の複数の問題提起により、「『百合に男を挟む』作品は『百合』ジャンルに適切ではない」と既に共通認識が形作られているのだ。
そも、この文自体「百合に男を挟むな」騒動を受けて執筆されている。「『百合』に男を挟む」ジャンルは百合には該当しない、というのが大多数の意見であり、また妥当な落とし所である。
そして、二つ目の「『百合』ジャンルを探す際の検索妨害になる」についてだが……こちらに関して言えば正直私が口に出すことではないかもしれない。というのも、先程pixivにて直近100件の作品をチェックしたと述べたが、ここで指す「『百合』タグがついている『百合に男を挟む』作品」が、その100件の中には存在しなかったわけだ。勿論探せば見つかる程度には存在するはずだが、特筆して目立つわけでもない。恐らく『百合』ジャンルを好むユーザーの複数回に渡る問題提起の成果であろう。
ともあれ、『百合』ジャンルにおける検索性は、ある程度の健全化が成されていることは確かだ。この二つ目の問題というのは実のところ、「『百合』に男を挟む」ジャンルの検索性を上げる目的で掲示した。ここからは「『百合』に男を挟む」ジャンルの『検索性の改善』と、そのための『タグ』を考える。
その前に、ここまで散々「『百合』に男を挟む」ジャンルは百合ではないと言ったのだから、根本的に「『百合』に男を挟む」ジャンルという呼称が正しくないだろう。ここからは「複数の女性になんらかの関係性がある上で男性がいる」ジャンルと呼ぶ。
より『百合』ジャンルの検索性を改善するためにも、また『複数の女性の間になんらかの関係性がある上で男性がいる』ジャンルの独立性を確保するためにも、『複数の女性の間にになんらかの関係性がある上で男性がいる』ジャンルのタグを確立しそれを喧伝することは必要不可欠だ。あといちいち長いジャンル名を打ち込むのも疲れてきた。
で、そのタグとは、ジャンル名とは何が適切だろうか。『百合』に類する言葉を入れてしまったら再び『百合』ジャンルの検索性の低下に繋がるため、それらの使用は不可。
そして理想を言うのなら、既存の言葉に合致しないものが望ましい。「百合の花のイラストを探したいなあ」と考えイラスト投稿サイトを検索したら、何故か複数の女性が描かれたイラストが画面いっぱいに表示された……というような事例も、ないとはいえない。極論ではあるが、できるだけ新しいタグが既存の言葉と競合しない方がよいことは確かだ。
そう考えると、タグの命名の候補はかなり絞られてしまう。なぜこんな所で躓いてしまうのか。いや、この段階で先に進まなかったから現在まで『百合』ジャンルと『複数の女性の間になんらかの関係性がある上で男性がいる』ジャンルの問題が解決しなかったのか。
というか誰か既にタグを考えているのではないか。そう考えれば話は早い。
ある。普通にある。『ffm_threesome』と言うらしい。
female-female-maleで女女男、threesomeで三人組……とのこと。
pixivで『FFM』と略称で調べると、意外にも複数のイラストがヒットした。既に一部のユーザーには広まっているようだ。
しかし、現在そのタグの使用が広まっていないのは、それだけの理由があるはずだ。ピクシブ百科事典の記事も作成されていない。これも大別して二つ考察できることがある。
この二点だ。
前者についてはタグ部分一致の検索設定の場合におこる。普段なにかしらのイラストを部分一致で調べることの多い筆者にとっても手痛いところだ。『FFM』を名前に含むキャラクターもヒットするため、検索性については幾ばくか劣る。
さらに問題を複雑化しているのが後者。前者の問題を解決しようと『ffm_threesome』のタグを使用すると、かなりタグが長くなり、日本人にとってはかなり億劫だ。そもそも現時点で既に『ffm_threesome』のタグは『FFM』よりさらにマイナーである。取っ付き難いにくいというのはタグを喧伝する上で非常に重いデメリットである。
ここはやはり新しいタグを考案して拡めるしかないだろう。そうだ、female-female-maleを日本人お得意の略称で『ふぃふぃめ』とでも呼ぼうか。いいんじゃないか『ふぃふぃめ』。英語よりとっつきやすいし、短い。何より今pixivで検索しても該当作品はなく、競合する言葉もない。まさにベストな選択肢だ。
勿論冗談だ。語呂が悪すぎる。
私の力不足により、全てを解決するタグを生み出すことは叶わなかった。
一度タグが広まれば、きっと棲み分けが実現し、検索性も広がり、それらのジャンルもより発展していくはずだ。
『複数の女性の間になんらかの関係性がある上でそこに男がいる』ジャンルにも、勿論種類わけが必要だが、それだって『FFM』に相当するタグが広まれば、他のタグの併用によって棲み分けができるだろう。
例えば単純に「女性二人と男性一人の純粋な恋仲」を表現したい際にも、『FFM』に相当するタグと『純愛』タグを併用することで達成できる。(注意、筆者が知らないだけで純愛タグに一対一の恋愛でなければならない共通認識があるのならこの用法は間違い)
しかし、そもそもいい案が思いついても、それを定着させるには年単位の草の根活動が必須であるため、今すぐどうこうできるわけでもない。
結局、私がこの文で主張できるのは、初めに書いた通り「『百合』ジャンルと、『複数の女性の間になんらかの関係性がある上でそこに男がいる』ジャンルを区別しよう」のみである。ここまで長ったらしく書き連ねておいて、結論は1ツイートで終わることだ。多分140文字で説明もできてしまう。
私がこの問題を前に筆を取った理由は、偏に私もオタクだからだ。正直『百合』ジャンルにも『複数の女性の間になんらかの関係性がある上でそこに男がいる』ジャンルにもそこまで関心はない。
ただ、傍から見ていても、この問題について何も考えないでいるという事はできなかった。
NLだろうがBLだろうがGLだろうが、ハーレムだろうが逆ハーレムだろうが、獣だろうが人外だろうが、夢だろうがオリ主だろうが、観葉植物や空気になりたい欲求だろうが。
それらは全て、文字に起こせば「他人の色恋を覗き込んで、或いは他人との色恋を想像して愉しむ」という至って不健全な趣味に思える。
しかし、こと創作という行為において、何かしら制限されることはない。(人目に公開する際の制限は存在するが)
だから、一部自分の目に入る「○○というジャンルはおかしい」という意見に耐えられず、今回の文章を書くに当たった。
これからも一創作者として、より快適に趣味を楽しめるよう願っている。
『FFM』について調べている際、ピクシブ百科事典にて目に留まった記事があった。
その名も『とせがら』。曰く「男性から女性に性転換したキャラクター(TSっ娘)」と「女性のキャラクター」のカップリングのこと……らしい。「trans sexual girls love」、俗に言う『TS百合』ジャンルを指すようだ。
これは推測だが、おそらく『百合』ジャンルの検索結果に『TS百合』が引っかかってしまうため、差別化の一手として『とせがら』タグを用いているのだろう。『複数の女性の間になんらかの関係性がある上でそこに男性がいる』ジャンルほど目立ってはいないが、『TS百合』ジャンルに対しても苦言があったのかもしれない。いい活動だと思う。何がいいって語呂がいい。少なくとも『ふぃふぃめ』よりは。しかし、実際にpixivにイラスト検索をかけるとヒットするイラストはなんと一件。『FFM』と違いピクシブ百科事典に記事が存在すると言っても、未だ草の根活動の最中なのだと思う。是非普及して欲しい。
この場合Bがそれなら正規価格で買って赤字にすればいいとなるが、
そもそも赤字での入札はできない場合があるから入札した金額が不正となってしまう。
そうすると、見積もり根拠が不正となり、入札取り消しになる可能性がある。
これが着工後にわかったばあい、どのようにお金で片をつけるか?
かりに、Aにお金を渡した場合、こんどは不当な入金となり、AB以外のライバル企業に対して
不当に有利になってしまう。業界全体を巻き込むトラブルとなる。
このときに、関連している企業が、そのほかの業態の入札に応札していた場合。
利益率や経費の問題があるから日本を巻き込んでの清算が必要になる。
そのさい、生産企業が1社でも海外の入札をしていた場合、そこの経費不正がもちあがる。
ではここで、一人の女性に求婚していた二人の男性が、この事故に巻き込まれ
など、世界を巻き込んで清算の場合、これらの事故が大小 かなりの数おきるとおもう
1件1件はお金で片がつくと思うが、どうやってお金で片をつけるか?お金で片をつけられる問題なので
どうやってお金で片をつけるか?
・少年漫画における性描写・性表現については、大きく4種類に分類できると思う。
・「その方が売れるから」「その方が人気が出るから」という割と身もふたもない理由によって行われる性描写・性表現。名物編集者・マシリトこと鳥嶋和彦氏が担当した鳥山明や桂正和作品に見られるものが特に有名。現在では、いわゆる「ラブコメ枠(ToLOVEる枠)」作品に数多く見られる。正直に告白すると、当時の少年読者としては大変ありがたかったという実感がある。「女性のモノ化」として批判されがちなのはたぶんコレ。
・少年漫画の枠内で、成熟した大人向け要素を表すための性描写・性表現。源流はおそらくニューシネマ、ロマンポルノ。漫画作品においては、特にルパン三世の影響が大きいと思われる。しばしば暴力表現を伴うことがあるため、レーティングの観点で批判されがち(少年漫画ではないが、エヴァにおける加持さんのアレなど)。表現の自由として強く擁護されているのはたぶんコレ。
アナーキーさ、漫画表現の自由さの象徴としての性描写・性表現。しばしばモザイクをどこまで薄くできるか?」的なチキンレースの様相を呈する。(乳頭をタピオカで表現する」「開いた瞳孔を女性器にみたてる」)現代の狂歌。②と同じくレーティングの観点で批判され、表現の自由の観点で擁護される。
・未成熟な少年を表すキャラクター類型としての性描写・性表現。「ダイの大冒険」におけるポップに代表される未成熟であるがゆえに、長期連載に置いて爆発的に成長するキャラクターに与えられる記号としての性描写・性表現。精神的・肉体的に未成熟しばしば覗きなどの犯罪行為を行うため、現代において成立させるのがきわめて難しく、強い批判を受けている。しかしそのキャラクターとしてな爆発的成長はビルドゥングスロマンとしての少年漫画との相性が極めて良いため、しばしば作品内に採用され、また読者からも擁護される。
・④ポップ的性描写・性表現は、現代において時代おくれになっており、仮に成立させようとしても針の穴を通すような作業になる。「未成熟なキャラクターを表す記号としては避けたほうが無難だ」と言わざるを得ない状況になっている。これは「不倫」というテーマが、(親同士・イエ同士が決めた結婚が多くみられた頃は)「自由意志」「純愛」の象徴として成立していたが、現代において『「不倫」は単なる「不義」である』という見方が主流となってきたことで、時代おくれになったことと似ている。(もちろん、これは「不倫をテーマもして採用すべきではない」ということではない。現代においても意欲なある製作者によって「昼顔」のような成功例が作られている)
・①〜③については「少年漫画におけるレーティング」が特に問題となる。しかし、漫画というメディアの特性上、映画のレーティングのように細かな規制をし辛いため、どうしても批判側は「製作者側の自主規制」を求めがち。今後、電子書籍が主流となれば流れは変わるのかもしれない。というか、ジャンプ+アプリなどの動きを見る限り、出版社側はすでにそれ(レーティング)を見据えて行動しているように思われる。
・現在、少年ジャンプに連載中の漫画に上記の類型を当てはめてみる。「僕のヒーローアカデミア」における峰田、「鬼滅の刃」における善逸は、典型的な④ポップ的性描写・性表現。ゆらぎ荘は基本的には①マシリト的性描写・性表現で、たまに③永井豪的性描写・性表現。おれは①については別になくなっても困らない(大人なので)が、③については「ガンガンやってほしい」と思っています(永井豪・筒井康隆ファン)
・ワンピースにおける性表現は、かなり複雑。表面的には少年漫画的サービスとしての①マシリト的性描写・性表現。だがワンピースという漫画はニューシネマに強く影響を受けており②モンキーパンチ的性描写・性表現の要素も強く見られる。それ故、覗き行為を行うのはウソップではなうサンジであり、チャイルディッシュなキャラクターとしての記号は「ロボットや昆虫に対する好奇心」という形で描かれる。また、ワンピースの複雑さは「尾田栄一郎は徳弘正也の弟子」であることにも由来する。徳弘正也は鬼子であり、稀有なエロスとタナトスの作家である。尾田栄一郎はその弟子であり強く影響を受けているが、作品内ではエロスとタナトスを抑制しているため、非常に奇妙な形で表出している。
・PCに意識的な作家の作品は、作品の寿命を延ばす。時代性を感じさせる記述を極限まで廃した星新一の作品は100年先でも読まれるだけの強度を持つが、筒井康隆の作品のいくつかは鋭い批評性を帯びるが故に陳腐化する。PCを意識していない作品の寿命は短くなる。現在、少年漫画作品の寿命・リーチできる距離は飛躍的に伸びている。PCを意識しないことで作品の寿命が短くなるのは単純に「もったいない」。ノウハウを蓄積して対応すべき。そしてそれは(それこそが)しばしば挑戦的な表現になり得る。
周りには隠してませんが積極的には言いません。
他の趣味と同じように共有できそうな人には言う。
というか同じ趣味の人だけで集まって楽しんでたんで差別の声も届きません。
困ってないし弱者だとも思わない。
そしてそれ以外の場所で自分のLGBTキャラを人に押し付けたりしなかった。
LGBTの中にはノーマルの人相手に自分の性癖を共有したい人もいるけれども、
俺の周りにはそういう人はいなかった。
ちなみに俺はノーマルの人に理解を求めるのが図々しいとすら思ってる。
どっちもいるけど両者は理解しあえないと思ってる。
だけどそれは悲しむことではないと思う。
お互い差があるまま尊重しあえれば、それでいい。
それよりも俺がストレスを感じるのは、
当事者でもなんでもない人が首を突っ込んでくること。
せっかく築いたノーマルな人とのちょうどいい距離感を一気に縮めようとしてくる。
「みなさん!世の中にはこんな趣味もあるんです!理解するべきです!」
昔、ゲイイベントで男の子連れて歩いてたらそういう活動してる女性が近づいてきて、
「私たちマイノリティの方たちの支援をしているんですが取材させてもらえませんか?」
まずなんで俺ら支援必要やねんと思い断りましたが取材を受けた友達の記事を読んだら、
「LGBTは弱者」「純愛を貫くゲイカップル」という決め込みで記事が作られてました。
俺なんて普通に彼氏いるのに他の男と浮気するようなクズでしたが。
「こんな逆風の世の中でも頑張ってるLGBTの人がいる!みんなで社会を変えましょう!」
という記事をどうしても作りたかったみたいでそこに当てはめられてました。
この「LGBT=弱者」って決め込みも相当差別的だと思いますが、
なんでこういうことしてくる人がいるのかというと、
IKKOさんみたいにオープンなLGBTは公式で笑い飛ばしていい人、という扱い。
飲み屋で酔っ払ってバイだと言ったらゲテモノ扱いされて笑われたこともあります。
俺は弱者扱いされるよりかは笑い飛ばされてるほうがずっと心地いい。
俺もホモネタで笑うし。
LGBTの方が絶対的にマイノリティなんだから物珍しさから生まれる笑いがあって当然だし、
むしろLGBTを盾にしてそういう笑いを根絶させようとするノーマル活動家に反発を覚える。
性癖とか趣味嗜好とか、LGBTの中でだってひとりひとり違うんだから、
違いは違いのままその差を受け入れていくほうが絶対に楽しく生きられると思う。
その中にはノーマル活動家の人が期待するように他文化との融合を求めている人もいれば、
俺みたいに線引きして心地よい関係を築いていく人もいる。
どうか「私たちは理解者です」みたいな顔でLGBT擁護とかするんだったら、
https://anond.hatelabo.jp/20191126010427
昨日上げられたこの記事を読んで、感じたことは、おっさんずラブは本当に地獄コンテンツになったなということ。
ただ、こんな地獄(S1信者とS2信者が泥を投げ合って、ライトなドラマをライトに楽しめない)の状況にしているのはただただおっさんずラブ公式の不誠実に起因してると思う。
・結婚して永遠を誓った相手がいる世界(映画)と並行して、パラレルワールドと謳いながら同じ名前で別の人物との新しい愛を描くという設定。
・同じ名前、同じキャラクター(ポンコツでお人好し)、S1(33歳)からS2(35歳)年齢を重ねたような地続き設定、唐揚げが好き、高校はバスケ部等
・全く違う世界と言いつつ、似たようなセリフを出す、同じ小道具を使う
もちろん、ほとんどのライト層には上に書いたことはたいしたことではなく、受け入れられて別物として楽しんでいるのが大半だと知っている。
けれど、受け入れられなくてそんな自分の心の狭さに罪悪感を感じている層もいる。
わたしが見える世界のS1ファンでS2を受け入れられてないほとんどの層は、受け入れられない、応援できない自分自身に罪悪感を感じているし、出演俳優のことを悪くいう人もほとんどいない。
ただただ、S2を批判することなく、耐えて時間が過ぎ去るのを待っている。
素晴らしいと思った人も多くいるでしょう。
わたしも途中までそういう世界の見方があるんだな、この人がS2で面白いと思えてよかったな、と、思ったと同時に、最後まで読んでいって怒りに震えた。
同性愛者に苦しんでほしいなんて思ってない。
そう望んで見る視聴者なんていない。
今回は葛藤があんまなくてつまんないね、と、書いている人は確かにいたし見かけたが、同性愛者に苦しんでほしいと書いている人は見たことがない。
なぜそれを同性愛者に苦しんでほしい、と曲解し、かつタイトルにもしたのか。
ドラマには“葛藤”や"欲求”があり、それを叶えるために乗り越えるべき“障壁”があって、はじめて面白さを感じる。
だから葛藤がなくてつまらない(感情移入できる人がいない)というコメントを書いている人がいるんじゃないか。
だけど葛藤がないからつまらないという感想を曲解して"同性愛者に苦しんでほしい"というのはあまりにも乱暴だと思った。
そうやってこのブログの筆者は、
忌み嫌う相手と同じ手法(同性愛差別という正義を片手に)で、自分の好きなものに対する批判を否定しているのかなと思ったらものすごい地獄みを感じた。
あえて相手を傷つけないと気が済まないのか。
そして、そのほかのS2擁護者は、このブログを錦の御旗にして、
この素晴らしい世界観が理解できないS1ファンは可哀想、と上から目線で示唆すらしている。
考えるだけで地獄。
実際、S1信者にちょっと目も当てられない行動する人がいるのはたしかだけど、S2信者にも同じようにびっくりするようなのいます。
S1サゲはもちろん、
怒りを向ける先がここしかなかったのか、
探せばいろいろ出てきます。
低いのはお互い様だよ。どっちもどっちのレベルのくその投げつけあいしてて本当に地獄。
こっちも勝手に悲しんでるし、なんなら同じように放っておいてほしいわ。
公式の悪手は他にもある。
抽選期間も発表前。
抽選申し込み時(9/22)〜in the sky発表前にクレジットカード決済を選択した人は、抽選結果発表と同時に購入で返金できず。
また、S1とS2の曲を両方やるのかという問い合わせにも現時点で答えてない。
ただし、オケコングッズを発表しており、その中にS2のキャラのものが含まれるため、S2もやるのだろうとファンは予想している。
映像と音で振り返る、と、書かれているからドラマの映像も流れるんでしょうけど、正直9/22の時点で抽選に申し込んだ人はまさか自分が知ってるドラマ以外のものが流れると予想するだろうか。
しないと思う。
そして、S1は春田と牧の物語ではなく、春田と武蔵が主軸のラブコメだったとS2のために主張しながら、
劇場版DVD発売時には春田と牧のウエディングギフトをイメージして作ったボックス仕様だと言う。
おっさんずラブは春田と武蔵が主軸、と言いながら販促の時は春田と牧の純愛を強調するの?
あくまでもわたし個人はそのやり方にとんでもない不誠実とダブルスタンダードを感じる。
とくにアウティングなんてどっちもしてる。
ブログ書いた人は、差別のない世界ではアウティングにならない、とか書いてたけどそれこそダブルスタンダードに感じる。
隠したいことを他人が言うのはハラスメントだから差別が存在しようがしなかろうがS1のアウティングをアウトと言うならS2もアウトでしょう。
好きなものにはどこまでも盲目になるのはもう、お互い様としか言いようがない。
そんな優しい世界だと言うなら、ルッキズムやエイジズムもない優しい世界を描いてよ。
(極論だと分かっているしこれは皮肉です。差別を盾に粗を探せば、言えること根源的な差別はもっとたくさんある。)
千葉雄大と田中圭が結ばれるのはビジュアルが良いもの同士だから?
つーか、
わたしは、男女のドラマの続編では絶対に有り得ない、無意識に透けて見える、男と男のドラマなら相手役を変えていいという姿勢に、ものすごく不誠実を感じます。
(のだめが受けたから、のだめだけ残して千秋様を変えたり、タッチの達也だけ残して、みなみちゃんを変えたり、花男の道明寺だけ残したりするか?しないよな?)
春田と武蔵が主軸だというなら、ドラマも映画もその2人を主軸に販促してくれよ。
Twitterで検索すると出てくる、おっさんずラブ、地獄というのは本当に合ってると思う。
ここは地獄です。
君に出会わなければよかったし、
君を好きにならなければよかった。
おっさんずラブは元々2016年末に放送された単発ドラマが元になっていて、その当時は「ついに民放ドラマで同性愛をメインテーマに扱えるようになったか!」と感動しました。それからの2年で世間のLGBTへの認識が大きく変わったのはおそらくご存知のとおり。ただ無印版は2016年版のリメイクでもあったので、当時の同性愛表現から大きく離れることはありませんでした。セクハラまがいの表現を含んでいたのも、2016年版の延長線上だと思われます。
そして春田と牧の純愛が大ブレイクし映画化、そして別世界のin the skyが始まります。
他の方が書かれてるので公式炎上の詳細は割愛します。ただほんの一部のファンが「春田と牧」見たさに暴走してるのは事実です。そういったツイートが増田の目に止まったのでしょう。おそらくitsを受け入れられないがゆえの難癖です。
多くの良識ある無印ファンは、複雑な心境ながらもTwitterに鍵をかけたり、itsから距離を置いたりして、前作含めたおっさんずラブのシリーズ名を汚すことのないよう努めています。そこだけはどうしてもわかって欲しかった。ただただ春田と牧の幸せを望んでいただけなのに、それを公式に裏切られて、その上「同性愛者が苦しむことを望んでる」と誤解されるのはさすがに不憫だ。
今後作られる続編がどんなに内容的に素晴らしく、LGBTへの理解が進んだ良作になったとしても、田中圭演じる春田が牧以外の男と結ばれる限り、応援できない無印ファンは多いでしょう。そこは責めないで欲しい。アンチにならないために新シリーズから距離を置くのはまっとうな判断だと思います。
無印ファンの多くは「春田と牧が(←ここが一番重要)、何の差別もない世界で幸せに生活する姿」を望み、夢想しています。その光景は、増田が理想とする世界とそんなに遠くないはずなんだよ。
私はゲイだ。
自覚したのは中学生の頃だ。友人を好きだったが、誰にも言えなかった。
親にはまだ話していない。妹が子供を生んだので、このまま親の前では異性にモテない独身男性として生きていったらいいかと思っている。
学生時代は所属していた団体でカミングアウトしていた。変な人間が集まるので有名な大学で、ただのゲイだった私は平凡な存在だった。彼氏(現在は友人)もできて楽しかった思い出がたくさんある。
世の中変わってきている、もうゲイを隠す必要なんてない。そう思っていたが、就職してすぐ職場で「お前カマっぽいよな」と笑われたときは、やっぱり目の前が真っ暗になった。
職場では今後カミングアウトする予定はない。親にも言う気はない。
そんな私がいま注目しているのが現在4話まで放送されている「おっさんずラブ in the sky」である。
「おっさんずラブ」と言えば、田中圭演じる春田が、職場のゲイたちにキスされ交際を迫られ気持ち悪がるも、そこから「性別の壁」を乗り越えて純愛に発展する話、という認識の方が多いと思う。
正直に言って、私はこの作品が好きではない。
「弟の夫」「きのう何食べた?」「となりの家族は青く見える」は好きだった。「おっさんずラブ」はそれらに比べて、あまりに私が傷付く表現ばかりあるドラマだった。
友人に勧められて数話までは見ていたが、ドラマの内容と、それにはしゃぐファンを見ては毎週どんよりとした気持ちになり、視聴を止めた。
「逃げるは恥だが役に立つ」で、主人公が「ゲイはイケメンを襲う人種だ」と思い込んでいた自分を恥じるシーンがあった。
やっぱり世の中は「ゲイは嫌がるノンケを襲うもの」と思っていて、それを笑っているのか、と思うと落ち込んだ。
だから、おっさんずラブの続編が放送されると聞いたときは心底やめてくれと思った。
だが、2話が終わったあと、友人から連絡が来た。私がおっさんずラブをよく思っていないことを知っている友人だ。
今回のは見られると思うし、見てほしい、という知らせだった。
同性愛を扱うドラマは好きな方なので、友人を信じて2話から視聴した。
3話では切なさを感じ、4話は笑って泣いた。
パイロットである上司の黒澤は、職場の新人である春田にだんだんと惹かれ、恋を自覚する。告白をするも断られ、同じく春田を好きな娘・緋夏を応援することに決める。
整備士の四宮は、春田に恋心を抱いているがそれを隠し、仲の良い緋夏の恋愛相談に乗り、二人が付き合うように仕向ける。
二人とも緋夏と春田が付き合うようにと動くが、それは「自分が男だから」ではない。
黒澤は「かわいい娘の幸せのため」妻を亡くした黒澤にとって緋夏は大事な一人娘である。
四宮は「自分には幸せになる資格がないから」と発言している(これは5話で詳しく明かされる様子)。
「男の俺なんかより緋夏ちゃんの方が」などという台詞は出てこない。これは意図的だと思う。この世界では同性愛は問題にならないのだ。黒澤や四宮がもし女性であっても、二人とも緋夏を応援していたはずだ。
また、緋夏は四宮が春田を好きだということを知り動揺するが、こちらも「四宮が男だから」ではない。いままで恋愛相談に乗ってくれていた相手が同じ人を好きだったことに対しての衝撃だ。そして彼女は四宮によきライバルになろうと握手を求める。
パイロットの成瀬は春田のことを好きではないが、遊びで寝た男が職場まで押し掛けてきたとき、新しい恋人ができたと嘘をつくために春田とキスをする。
春田は成瀬が男と寝たことに対して特に反応しない。突然のキスについても「好きでもない相手にキスするなんて信じられない」とこぼしている。男相手に、という言葉は出てこない。
4話では四宮の気持ちが春田にバレるが、春田が四宮を気持ち悪がる様子も一切ない。「俺なんかのどこがいいの?」と聞いたり、自分の好きはライク、好きになるってなんですか、と同僚に相談している。気持ちに応えられないことへの申し訳なさはあるが、そこに「男だから無理」という感情はない。それどころか、5話の予告で春田が成瀬に無理やりキスをするシーンがある。
春田は2話終わりで緋夏にもキスをしかけており、ノンケだと見られていた。
その春田も、男同士であることには疑問を抱かず、成瀬に惹かれていっている。
キャストもスタッフも言及していないようだが、ドラマが終わったらその辺について語ってくれるのかもしれない。
(ちなみに四宮の気持ちを成瀬が伝えてしまうところをアウティングだと批判する声があるようだが、同性愛差別のない世界においてのアウティングとは一体?)
(それを言ったら前作の春田の牧に対するアウティングは許されるのか?私なら死ぬ)
私は4話でこの世界観に気付いて、泣いてしまった。緋夏が四宮に「はるちゃんが好きなんですね、私もです。私たち、ライバルですね」と握手を求めたシーン。胸が熱くなった。こんな世界があるといいと思った。男が男を好きであることを認めてもらえる世界だ。
同性を好きになっても、悩まなくていい、苦しまなくていい。引け目を感じなくてい。誰かに否定されなくていい。
この感動を噛み締めたくて、ツイッターで同じようなことを感じた人を探そうとサーチした。
そこで出てきたのが冒頭のツイートだ。
「同性愛をこんなにすんなり受け入れるなんてリアリティがない」
打ちのめされた。
ファンタジーとはなんだ。
つまらないとはなんだ。
現実世界でゲイが差別され苦しむのがそんなに面白いのかこの人たちは。
こういったツイートをする人のホームに行くと、全員が「おっさんずラブ(無印)」のファンだった。
曰く前のドラマでは「恋愛をするのに性別なんて関係ないと思えた」らしい。
ならば、性別なんて関係なく恋愛できるin the skyの世界をなぜ応援できないのだろうか。
私が個人的に傷付いただけで、あれを好きなゲイもたくさんいる。
あのドラマで、同性愛は気持ち悪いものじゃないと思ってくれた人が大勢いるのも理解している。
同性愛の苦悩を描いたドラマが放送されるのはとてもいいことだと思う。
やめてほしいのは、「同性愛を扱うなら葛藤や苦悩を必ず描かなきゃいけない」という考えを押し付けることだ。
前作ファンの人、「おっさんずラブ in the sky」のことは放っておいてくれないか。
自分に合わなかった、自分は腹が立った。それはわかる。私も前作でそう思った。
だけど、あなたが嫌な思いをしたこのドラマに、心が救済された私みたいな者もいる。
私は、こんな世界になりますようにと願う。このドラマを作ってくれて感謝している。
気に入らないからって、「番組の打ちきりを求む署名運動」とかやめてくれないか。目を疑った。嫌いなものは排除しないと気がすまないのか。
署名が集まっても打ちきりにはならないと思うけど、ドラマを楽しんでいる人間にとって、この仕打ちはあまりにむごい。
もし、in the skyのような世界が待っているなら、私は親に自分のことを話したいと思う。そして、パートナーを家族に紹介して、誰にも隠れることなく一緒に暮らすのだ。
ドラマは残り4話。どのような結末になるのか、楽しみにしている。
-------------------
気付いたらコメントが増えていて驚きました。
気になるコメントについて追記しておきます。(11/28 18:20)
私は「無印ファンはin the skyの批判をしないでください」と言っているのではありません。批判はいいと思います。私も無印の批判をしてますし。
やめてほしいなと思うのは、差別を描けと強制すること、放送中止を求める署名などでドラマを妨害する動きをすること、この二つです。
求めてません。逆です。私は「リアルから先に進んだin the skyは夢のある世界だ」と思って喜んでいます。
リアルさを求めるな、は、ぜひ無印ファンに言ってあげてください。
『アクション映画を見ろ』
「差別を扱うな」とは私は書いていません。個人的に無印は苦手でしたが、自分で見ない選択肢を取りました。
「差別を扱う作品が放送されるのはいいこと、だけど全部の作品に差別表現を入れることを強制するなよ」これだけです。
主要人物全員片思いですから、恋愛に関する葛藤は毎週描かれています。特にふられてからの黒澤は恋心と大事な娘の間で揺れてますね。面白いですよ。
『in the sky見てなかった、見ればよかった』
この作品が不発で終わったら「この路線は失敗だった」と思われそうで悲しいです。
話の流れはここで書いた通りです。5話からでも面白いと思うのでぜひ見てください!
現在「全員一方通行の片思い」となかなか類を見ない展開になっています。
公式サイト https://www.tv-asahi.co.jp/ossanslove-inthesky/
予告ツイート https://twitter.com/ossans_love/status/1198255673030692864?s=19
予告動画ロング(放送後消えます) https://youtu.be/mZXMufvCLyM