はてなキーワード: 校正とは
アイドルグループ「BiSH」所属のモモコグミカンパニー著の『目を合わせるということ』を読了した。以下簡潔に感想を。
文章レベルは「素人にしてはよく書けている」程度。だからこそ逆に驚いた。この文章はゴーストライターの手によるものじゃない。文章の特徴を箇条書きにしてみると、以下のようになる。
・時折入るら抜き言葉
・文末の表現が全体的にこなれていない(「ことだ」の繰り返しは避けたほうがいい)
著者は読書家を自称しているらしいが、そうとは思えない。しかし、編集と校正の手が入ってるとはいえ、読んでいて詰まる部分はない。読み進める内に文体がこなれていくのは流石だ。作者の知性の高さを感じさせる。この本は著者がアイドルデビューしてからの3年間を綴ったエッセイだが、本人の性格が文章内に如実に現れていて、とても面白く読めた。
自分が恵まれた環境で育ったことに自覚がない。同じような境遇に育った人間の間では自己をごまかしながら生きていくことができるが、近くにいればいるほど嫌われるタイプ。特に卑しい身分に生まれ育った人には蛇蝎のごとく嫌われる。著者に対して「お前のことは嫌いだった」とハッキリ言うメンバー氏は凄い。
本人にも自分の性格の欠点について自覚がある。人を遠ざけたり、自己嫌悪に陥ったりする。著者の母君も著者の将来に危惧を持つ。このタイプは嫌われる人には徹底的に嫌われるので、本人の高い能力は社会で(特に会社員として)活かすことはできないだろう。
だからこそオーディションで見出された。メンバー唯一のずぶの素人としてひな壇に立つことができた。
著者のパーソナリティは「アイドルらしさ」とはかけ離れている。著者の存在はBiSHというグループに刺激を与え続けている。本人に自覚はないかもしれないが、BiSHの飛躍の一因は著者にあるのは間違いないだろう。
pixivなんかにたまに投稿したりイベントに出たり、小説書くのが趣味。
同じジャンルばかり投稿したり本出してると、twitterなんかでも同じジャンルの人からフォローされたりする。
最初の、文庫本一ページぐらいは読むけど、そこまで読んで気に入らなかったら頭が読むのを拒否してしまう。
誤変換が多かったり作文の基本がなってなかったり、内容に引き込まれなかったり、とにかく読んでいてつまらないと、もう読む気が失せる。
字書き同士だとどうしても、相手から影響受けやすい。文体が移ったりしそう。
そういうのもある。
増田やTwitterで文体が乱れてるのはいいのに、小説だけ異様にこだわりがでる。
全員に対して読めないってわけでもない。
読める作品もある。
文がだめでも内容に引き込まれるとか、内容があれでも文がきれいとか、何かあるととりつかれたように読む。
漫画だとあまり文体に影響受けないからか、抵抗感が薄いせいか、なまじ畑違いで絵のデッサン狂いなど分からないからか。
ピンと来なかったら、どれだけバズってても読まない。
同じジャンルだったりすると、余計このアレルギーのような反応がでて、ますますえり好みが厳しくなる。
なまじ、相手のあらが分かるだけに。
絵描きの人も、こういうのってあるのかな。
自分は全然、他人にいちゃもんつけられる実力があるわけでもないし、偉そうに言える立場でもないのに。
もちろん、直接いったりなんてしない。全部自分の頭の中だけの話。
サイト運営してたので、タグ打ちからhtml-css-JavaScriptなら勉強して、自力でやったことあります。
>下手な文章は読めない
見るのに時間かかるの、文章はどうしても仕方ない部分はありますね。絵との一番の違いは、ぱっと見は分かりにくいところです。
>同人とは関係ないんだけど プロでも文章下手っていうのがある
趣味の範囲で収まるときはいいですが、本屋の書籍でこれに当たったら、目がうつろになります。
>文章が下手って、例えばどんな
他の人のトラバでついてたように、二次創作ならpixivとか、一次創作なら小説家になろうとかカクヨムとか掘ると……
顔文字入ってるとか、改行が異様に多いとか、一般書籍ではまず見ない同人特有の癖のある言い回しなどなど。
頭にスッと入ってきにくい文章なんかもそうです。
彼は理不尽な目に遭っていた。それは彼にとって毎日ある、当たり前の物事のようで。
とか
彼女の表情は明るく、瞳ははっきりしていたものの、体は震えているようで。
だ。とか である。とか らしい。とか、言い切りの形じゃない。
本来なら「物書き」と名乗りたいところを、アマチュアなので字書きとか文章書きとか、一歩下がるつもりで言ってます。
見慣れない人も多いようなので、誤解を避けるなら「物書き」で統一した方がいいかもしれないな。
などと少し思いました。
ネットやテレビや映画の字幕なんかで「集った」と書かれているのを見るたび、うにょーんとした気持ちになる。
「集」の訓読みは「集まる(あつまる)」「集う(つどう)」「集る(たかる)」の3つ。だから「集った」とあれば、「つどった」「たかった」のどちらかになる、そう考えるのがふつうだろう。校正の入る小説なら間違いなくそうなる。
けれども映像の世界はどうやら字数をできるだけ少なくしたいようなのだ。だから「あつまった」と言いたいとき「集った」なんて表してしまう。そして「集った」とある場合、たいていは「あつまった」と読ませたいようなのだ。
これは、困る。次のような文だとどうなるか。
パーティーに集った人たち
「つどった」でも「たかった」でも通じる。それは前後の文脈ややりとりを見てどちらかであるか判断するほかない。しかし「あつまった」と読ませたい可能性が高い……。何と読めば良いのか考えている間に字幕はもう次の会話に移っている。正解はついにわからない。
続き。
ほどなくして同僚は会社を辞めていった。
私は残った。
アホなのだが、残った。
書くからには「私はこういうことをしでかしたので反省します」と明記したはずなのだが。
きっかけになったのは、社長にその時進行していた仕事を見てもらっていた時だったと思う。
社長が「ここを直せ」と言ったことに、私が何か口答えをしたのだ。
だが、そう言ったとき、私は資料を社長の目の前にすぐに出せなかったのだ。
基本的にデータ保存ができない環境で、机の回りは紙で溢れていたから。
社長は烈火のごとく怒った。イエスマンが好きで口答えをするやつなんて大嫌いなのだ。
が、それ以来、私はすっかり「賢こぶって素直ではない」人間として扱われるようになった。
「この見開きをフックにして、」と口にしたとたん、「フックってなんだ、気取って片仮名を使うな!」と怒鳴られた。
社長になにかを説明しようと、手で机の上の資料を指したら手を叩かれて机から弾きおとされた。
その頃はもう何がなんだかわからなくて、気がつくと涙がぼたぼた出るようになっていた。
次期社長はそんな私をみて、
「最近よくめそめそしてるな。けどお前はそのくらいがいいんじゃないか」
と言っていた。
そんなことの繰り返しの末、なんでだったか忘れたが、謝罪文を提出することになったのだった。
謝罪文を提出する期日と時刻は決められていた。
私は期日までに謝罪文を用意した。
私は困惑して、次期社長にどうしたらいいんでしょう、と聞いた。
他の書類ならともかく、謝罪文を机の上にひょいと放置していいものかどうかわからなかったのだ。
私は迷った末、すぐに提出できるよう手元において仕事をしていた。
約束の時間を何時間か過ぎた頃、次期社長に電話がかかってきた。
次期社長は、はい。はい。見てみます。と言いながら社長の机に向かった。
そして、私の方をちらりと見て、「ないです。」と答えた。
机の上に、謝罪文は、提出されてないです。
それで終わりだった。
私は、時間までに謝罪文を提出しなかったので、会社を辞めさせられた。
ほんとにアホなのだが、それでも食い下がったのだ。
けれど、今やめないなら懲戒解雇にすると言われた。
今思えば、そんなに簡単に懲戒解雇になどできるわけがないのだが。
そのようにして、私はその会社をやめた。
本を何冊か作ったことがあるというのは、それだけで飯を食える程度には重宝された。
それなりの規模がある会社で人事監査もあるので、社内で理不尽なことがあったら第三者に相談して介入してもらうこともできる 。
まったくなんの不満もないといえば嘘になるが、
理不尽に対してどう対抗したらいいのか、
私はまだその知性が足りていない。
きっかけは今日仕事中に聞いていたFMラジオで、「こんな理由で謝罪文書きました」という体験談を募集していたことだ。
っていうかその謝罪文書いたあげくでその会社やめたな…とふと過った。
一体なんでそんなことになったんだっけ。
思い出せないのだ。
これが。
謝罪文書くなんてそうそうないことなのに、しかもそのせいで仕事をやめまでしているのに、何を謝らなければいけなかったか思い出せない。
これから書くのは、大体10年くらい前に働いていた零細企業に対する恨み言だ。
これを世に放つことに何らの建設的な意義はない。
ただ、社会人をはじめて十年を数えて思うんだが、
理不尽にたいして「理不尽だ」と考え、適切に怒ることには、知性と経験値が必要なのだと思う。
どちらも足りていない私は、こうして何年かあとにじんわりと怒ることしかできない。
それでも、次に待ち受ける理不尽に対抗するために、私は私の怒りを書きとめ理解しておこうと思う。
目次としては
会社のこと
である。
思い付いた順にむかついたことを書くのでものすごく長くなると思う。
ほとんどが零細で人が足りなくて激務で、即戦力以外を雇う余裕はない。
だから、未経験者を雇ってくれる会社なんて貴重だった。私は飛び付いた。編集の仕事がしたかったのだ。
よそで編集を学んできたやつは素直じゃないから、未経験の若いやつを育てるのだ、という話だった。
社長がPCを使えないので、社員がPCで仕事をすることはあまり好まれなかった。
それらはなるべく避けるべき手段とされ、
(余談だが、そこをやめてスキャナつき複合機に触れたとき、便利すぎて涙が出た)
机の回りにはいつも紙が溢れ、複数の案件を進行しているとすぐになにがなんだかわからなくなった。
でも社員は全員その環境で仕事をしていたので、これは私が能力が足りなかっただけかもしれない。
確かどっかの転職サイトを通じて応募したんだが、
エントリーシートに大学の在籍ゼミのテーマ、という欄があった。
私は素直に書いた。社会学部の出身で構造主義を中心に学ぶゼミで、卒論のテーマはこれこれでした。
そしたら面接の場で、構造主義とはなにか説明しろ、と言われた。
私は一瞬言葉につまった。
どこからどう説明したらいいんだろう?構造主義のあらましを知りたいんだろうか、考え方を知りたいんだろうか?
そんなことを探り探り喋ったので要領を得ない話し方になった。
ただ、そしたらそこからブチキレられた。
雑居ビルのワンフロアで、仕切りもなにもない打ち合わせスペースみたいなところで、
社員みんなが聞き耳をたてているなかで怒鳴り散らされた。
バカの癖にいきがるんじゃない、その利口ぶった精神が気にくわない。
そのくらいのこと俺はわかる、教えてやろう構造主義というのは~~で○○で××だ!
みたいなことだった。
ちなみに~~で○○で××の部分は、あとでわかったがウィキペディア丸写しだった。
今ならわかるんだが、要するにエントリーシートに偉そうに小難しいこと(?)を書いたのが気にくわず
私の鼻っ柱を折りたくて、わざと答えにくい質問をし、わざと怒鳴り、
事前に用意しておいた丸暗記の知識を捲し立てたのだと思う。
ともかく社員が自分の知らないことを知っている、のが許せない人だった。
ただ、その時はわからなかった。
バカだったし、まだ就職氷河期の残り香が漂っている頃だったし、編集者になりたかった。
すらすらと説明できなかった私が悪いし、中途半端にしか理解していないのに偉そうにエントリーシートに書いた私が悪い。
そう思ってしまった。
もちろん裁量労働制()だったから残業代という概念はなかった。
○○~、ちょっとこ~い、といって。
呼び出されていくと、近くの店でおしることかハンバーグとかを奢られた。
ありがたいようだがそれで一、二時間はゆうにつぶれたし、そのぶんの時間は深夜まで働いて埋めるしかなかった。
聞かされる話は益体もないものだった。
キャバクラのおねえちゃんは学費を稼ぎながら大学にも通っていて偉いんだ、俺がバッグを買ってあげたら喜んでいた。
スナックのママに褒められた。俺はどうもそこら辺のおっさんとは違うようだ。
俺は百人切りを目指しているんだ、あと何人だ。
ほんとにこんな話ばっかりだった。
勤めて一年かなにかのとき、お祝いだと言ってつれていかれた焼肉屋で、
あと高校の同級生に半陰陽の人がいて、性器を見せてもらった話とかもしてた。
ここまで書いてふと注釈の必要に気づいたが、エロ本の会社ではない。
当時まだ30半ばだったが社長になれと言われて会社の株を買わされていた。
見た目は好青年風であり人当たりが柔らかかった。
だが、その実態は、上には媚びへつらい下には無理をさせる、社長のイエスマンだった。
少し話が遠回りをするが、私には同期入社の同僚がいた。
なんだか惚れっぽい女の子で、入社一ヶ月後には次期社長に心酔していた。
はじめから無理とわかっているスケジュールの仕事を、次期社長はなんの調整もせず経験一年にも満たない彼女に投げた。
悪いことに彼女は実家住まいで、片道二時間弱くらいかけて通っていたため終電が早かった。ますます彼女の仕事は進まない。
私は気の毒に思い、帰れない日はうちに泊めてあげていた。
もちろん仕事を手伝わされた。
その子は次期社長に心酔していたぶん、采配が甘く助けてもくれないことがわかると怒りもひとしおで、ずーっとうちで次期社長の悪口をいっていた。
彼女が辛い立場なのはわかっていた。でも私は一人で眠りたかった。
ある日、「悪いがどうしても無理だ、なんとか今週末は一人にしてくれ、家に帰ってくれ」と彼女に頼んだ。
本当に限界だった。
しかし彼女は彼女で、それは困るなんとか手伝ってくれと食い下がった。
「私の家に泊まれる前提で」「休みの日は私が手伝う前提で」仕事のスケジュールを組み立てていた。
待てと思った。
百万歩譲って同僚の彼女は仕方がない。
彼女の立場では、次期社長にそういわれてはそのスケジュールに間に合わせるしかない。
だが、次期社長は。
その対策を講じるどころかそれを利用して、
しかも次期社長自ら言うのでなく同僚の彼女にその交渉を任せて、
それで社長には「仕事は進んでますよ、でも彼女も新人ですから」なんて言っていたのだ。
そうして社長にはいい顔をし続け、部下への嫌な交渉は部下にやらせていたのだ。
私はこの人が大嫌いだった。社長も大概くそだが社長より嫌いだった。
長くなったので続く。
とある業界の仕事が好きで長年続けていたのだけど、最近になって会社を辞めた。
理由は職場環境にある。どんなに自分が誇れる仕事でも大好きだと思ってやってる仕事でも、環境が地獄だと心が死んで好きなものが嫌いになってしまうことを実感した。
文章下手かもしれないけどとにかく言いたいのは、職場の環境に悩んで死にそうになってる人はガンガン転職していいってこと。特に人間関係は経験上一度もうダメだこの会社と思ったらどんなにそこで頑張っても自分がしんどくなるだけ。社内に味方がいないというのはとてもつらい。
どうやって心を殺されていったか、手順はこうだ。
まず所属していたチームのヒエラルキーが問答無用で最下位。そのチームというだけで雑な扱いをされるもんなんだけどまずその風潮がおかしいってことにどうして誰も気づかない。自分の挨拶は無視されるのに先輩の挨拶は通る。社内での露骨な差別。
「お前が死んでも代わりはいるもの」とばかりにオフィス内全体が雑。自尊心がなくなる。
あれ?みんなにこのチーム丸ごと見えてない?あれ?みたいなことはもちろん日常茶飯事。集合写真でも当然のようにはぶられる。自尊心がなくなる。
わからないことは上司や先輩誰に聞いても知るかよと言われるので頼りにせず全て自力で解決。むしろ人に頼ってはいけない、自分は人に頼るダメなやつと思い始める。自尊心がなくなる。
タイムカードなにそれ?シフト制だけど希望休なんてものはないし有給なにそれ?朝は誰より早く出社して全員が就業時間ぴったりに仕事を始められる準備をするのが当然になってくる。し、誰にもそれを止められない。タイムカードはデジタルだから改ざん可能だやったね!
さっきも言ったけどシフト制だから突然休むとチームの仕事が回らない。張ってでも行く。
祖父が亡くなった朝、その日はチームの仲間が全員休みで自分がいないと仕事が回らないからと出社した。判断力が狂ってる。
結局早退して次の日会社に行くと、お悔やみどころか昨日お前が帰った後大変だったと先輩上司からのバッシング。みんなじーちゃん大事にしような!
そうしている間に上司は有給使って海外旅行とか行ってたなぁ……お土産みんなには配ってたなぁ……
エクセルで写真編集しろ?ポスター校正?それは専門の業者に発注したほうがいいっすよ先輩!!!やりまぁす!
上司のミスなのにしこたま怒鳴られていやあなたのミスですよって指摘しようものなら無言の圧力!いや今自分のミスって気付いたやんけ謝罪なしかい!!もういいよ甘んじて受けますよその説教。自信なくすし自尊心もなくなる。
評価などされない。体調不良なら冷えピタしてレッドブルかっこみながら仕事するのが当然、心配はされない。クレームの電話と小一時間戦い受話器を置いた後でも周りは我関せずと静まり返る。お疲れ、の一言があれば救われただろうに。
他にも都合のいい時だけ都合のいいように使われる奴隷のような扱いを受けてきてあーそうか透明人間だからみんなには見えてないんだーとか聴力を一切シャットアウトしてパソコンに没頭したりと無心じゃなきゃやってられないぜって感じだったわけで、そうなってくると自然と自尊心がなくなる。
自尊心がなくなる。
唯一お互いに仲間であるはずのチーム内でも亀裂というかなんというか生まれてくるわけだ。みんなも奴隷のように働いているから自分の保身で精一杯で人を思いやる心を忘れてしまう。
半年で4人の奴隷が辞めていった。4人で回すチームなのにね。確かに誰かが死んでも代わりはいたけど短い人3ヶ月持たなかったね。みんな毎日泣いてた。
こうして味方がいなくなり、自分自身にも自信がなくなり、そんな状況で働いてもうまく行くわけもなく社内で一番何もできないダメ人間と自分で自分の評価を落としてしまう。自尊心が消えた。
ただ仕事は好きだった。濁しまくっているからこの感動をうまく文章で伝えられないのが悔しいけど社内で評価されなくても自分の仕事は別のところで活きてると知っていたし、どんなに自尊心をなくしてもこの仕事が好きだということだけがモチベーションだった。
でも心を殺された先駆者が口を揃えて言うように、心が削れて死んでいくと、好きだったものが好きじゃなくなってしまう。
嫌いになると言うより興味をなくす。貴重な休日に外出する気力もなく布団に引きこもるし新しい情報を収集する気が起きない。自分で自分がおかしくなってることに気付いているのにどうしたらいいかがわからない。原因は明白、だけど仕事をしなくちゃならない。仕事をしなくちゃ。会社に行かなくちゃ。
そうだ、考えることをやめよう。
ただただ朝起きて会社に行って仕事をして帰宅するそれだけに全生命パワーを注がないと人としての形を保っていられない感じになってくる。友達からのLINEとか返せるわけがない。Twitterも見ない。
毎朝の通勤で泣きながら歩き、帰りも泣きながら歩く。普通じゃない。けどこの時はもう自分が悪いからこうなってるんだと思ってる。頑張るしかないと思ってる。
頑張ってもどうにもならないこともある。
この仕事を嫌いになる前にもう辞めようと決心して上司にどれだけつらいか、この環境がどんなにおかしいか、自分以外のチームの全員が精神的に参っている、訴えたけどうわべだけの「そうなるまで気づかなくてごめんね」をもらった。そう言われるのは知ってたよ先に辞めていった綾波達もそう言われてたからね。マニュアルかよ。この人たちには血が通ってないんだ。
もっとつらい環境で仕事してる人もいるとか、その程度で泣き言かよとか、そうじゃなくて自分が今しんどくて死にかけてるんだったらそんなところ居る必要ない。
仕事辞めて転職して、めちゃくちゃ心が回復したし好きなものを好きだと思える毎日は楽しい。新作映画のチェックをする余裕もあるし休日無駄に美術館とか行っちゃう。楽しい。
毎日地獄のように過ごしてて正直ずっと仕事辞めたい辞めたい辞めたいってなってる人はある程度自分の人生に無責任になって一旦放り投げるのもアリだと思う。死にながら毎日を消費するよりずっとマシ。
少なくとも仕事辞めて転職して生き返った人間がここにいる。職種も違うけどこれはこれで楽しいから逆に視野広がったしキャリアアップである。仕事辞めてもなんとかなるよ。
あと社内に味方がいなくても誰かしら味方はいることを忘れちゃいけない。それが家族なのか友達なのか知らんが頼れる人には甘えていい。
どうでも良いけどなんのための社内義務ストレス値チェック診断なのか。あれかなり数値オーバーしててお前の精神状態ヤバいぞってメールバンバン来てたけど医者にかかろうとすると内容を会社側に開示するシステム、プライバシー皆無すぎて自己申告できるわけねぇーーー
仕事は大事だけど自分の心身よりも大事な仕事はないと思った。以上。
長いのに読んでくれてありがとう。
今更そこを気にする?パロディの元ネタになってるゲームや漫画だって、30代40代のオタクでないと分からないラインナップのオンパレードでは?そのくらいの年齢でもオタク活動を続けている作者だからこそ原作には最近のネタも混ざっているけども、作品観のベースは一昔前のネット住人的なノリであることを考えると、特に気にするようなシーンではないと思うのだが。むしろ、若い子の多くはネタの大半が分からくともフィーリングで楽しんでいるようだし、そのくらいの受容性を見習った方がいいのでは?
増田のように、作品中に2ちゃん風やニコ動風の描写が出てくると、決まって「冷めるわー」的な反応をする人が大量にネットに湧くことを我々はもう何度となく見てきた。人はちょっと聞きかじった事があるくらいのネタなら素直に害意なく、なんなら知っている気分にすらなって楽しむことができるのに、「俺はこれをよく知っている」みたいなものに対しては、へんな自意識が働いて、「あーハイハイ、陳腐なこった」みたいな思考に陥ってしまう。これははっきり言って下品だし幼稚な思考だが、みんながやっているようにみえるのでなかなか思考を改めようと思う人は少ないようだ。けれど、その「みんな」というのはほとんどが生意気盛りの子どもたちの発言の集合である率が高い、ということを考慮せねばならない。ネットの向こうの顔の見えない人間が、どれだけリアルに幼く、育ちの悪い人なのか、ということに想像力を常に働かせていないと、自分自身が精神的に幼くなり、育ちの悪い人間と同様の思考回路が脳に焼き付き、人格的に落ちぶれてしまう。それくらいにネガティブな感性の伝染力は強い。そのことに無自覚で無邪気すぎるネットユーザーがあまりにも多いと私は思う。
また、アニメオタクに多いのだが、勝手に高すぎる期待をして、それとは違う表現を制作側がすると、クソだクソだと貶す人がネットでは目立つ。もともと他人に対して多くを求めすぎるというのは日本人の悪習だと思っているが、この現象に関しては、「自分の思った通りに作ってくれないと嫌だ嫌だ」と駄々をこねる子どもとなにも変わらない。そこにクリエイティブに対するリスペクトは何もなく、自分の作品でもないのに、他人がその人の価値観の表現の一端として作っている作品に、自分の価値観でもって勝手に校正を入れようとする感性は、ただただ醜悪だ。「鑑賞」という行為に対する基本的なリテラシーが欠如しているばかりでなく、人間としてあまりにも盲目で、多様な価値観を受け入れられる器を造成するだけの視野や想像力が未熟であることを感じさせる。そういう人が客層として少なからず存在するアニメ漫画業界において、ポプテピピックが自ら「クソ」を自称していることの意味を、よく考えるべきだと思う。
卒業論文を提出したら「これでは単位を認められない」と指導教官(教授)に言われた。
わたしは哲学を専攻していたが、学ぶうちに「おもしろいけど意味あるんかなー」みたいな疑問が湧いてきた。
そのうち2年になり3年からのゼミと研究テーマも決める必要がでてきた。
わたしは少し考えて一番世の中に役立っていないと思われる研究をしている先生を指導教官に選んだ。
特定されそうだが、その先生は中世イタリアオペラの美学みたいな、
「それ日本人が研究する必要ある?」みたいな誰もが疑問に思うテーマを研究していた。
4年生になり、自分の卒論テーマを「日本にやってきたオペラと大衆芸能との関連性」とし、
あとは推敲、校正して出すだけでよい段になり、ふとこんな無意味なことをやってていいのかな
という当初の疑問をもっていたことを思い出した。
年末年始の間に、「いかに日本人がイタリア文化を研究することに無駄が多いか」
そこで1行目にもどることになる。
話し合っても、認めない教授には、
「ここでわたしの卒論を認めないと、2年間のあなたの指導が役に立たなかった証明になりますよ」
と言ってやった。無言だった。
某xivで検索しても0件(2017年11月28日現在)だったCPの同人誌を、冬コミで出した。(2018年1月17日現在は私の新刊サンプルがあるので1件だ)
小説本で、R18。表紙も下手ながら自分で描いて、全部自分で書いて校正してヒイヒイ言いながら10パー割り増しまでして、同人誌を出した。
理由は簡単で、そのCPの話が読みたくて仕方がなかったのに、ツイッターも、個人サイトまで掘り返して探したのに見つからなかったから、もう自分が書くしかないと思ったからだ。
刷ったのは50部。これは使った印刷所の最小ロットが50で、もう予算的にそこしか使えないという理由なので、これほとんど残るだろうなとは思って刷った。
スペースは、そのジャンルの端っこで、片方はオールキャラ、もう片方は男女カプのスペース。ざっとカタログを見たら、なんとCPどころか受けにしているキャラ自体の取り扱いがなかった。
冬コミ当日はそのジャンルが好きな後輩と、コミケの際は毎回買い物を手伝ってくれる会社の同期が売り子で来てくれた。ありがたい話だ。
さて、結果的に言うと、本は18部売れた。
うち、ツイッターのフォロワーさんが挨拶してくれた時に買ってくれたのが14冊なので、残り4冊は、おめでたい解釈をするなら、CPの同志なのではないかということになる。
支部で検索して0件と表示が出るたびに、自分は世界で一人なんじゃないかという気持ちになり、鬱になり、眠れなくなって睡眠薬を飲んだりした過去が、本当に報われるような気持ちだった。
もちろん買ってくれたフォロワーさんもありがたいと思っているんだけど、私なら身内が出した本なら多少知らないジャンルでも応援で買ってしまうし、やっぱりそういった関係のない人から買ってもらうのは別の感覚があった。
4人の方のリアクションも気持ち悪いくらいに事細かに覚えている。
通り過ぎようとして、一回流し見をした後に立ち止まり、またスペース前に来て、本の説明を読んで、そっと財布を取り出して買ってくれた方。
ゆっくりスペース前まで歩いて来てくれて、地図とスペースを見比べながら頷いて、一冊くださいと言ってくれた方。
一直線にスペースまで来て、新刊一冊、と言ってくれた方。
スペース前に足を止め、軽く試し読みをしてから、一冊いいですかと言ってくれた方。
あなた方のおかげで私は幸せな気持ちで年を越すことができたし、今もその瞬間のことを思い出すだけで幸せだ。
本当に嬉しかった。これからも、このジャンルに限らず、自分の好きなものを作っていっていいんだと思えた。
本は多分何年かこのまま売れないだろうけど、今回感じた喜びは忘れたくないし、この体験を原点にして色々やれたらいいなあと思った。
これを書こうと思ったのは、ブースという通販サイトに登録しておいた私の本が一冊売れたからだ。こうやって見ていてくれる人や見つけてくれる人がいる。これも1つのコミュニケーションだし、これからも生きていきたいなと思わせてくれる。そんな気持ちを書き留めておきたくて、ここに投稿させてもらった。
https://anond.hatelabo.jp/20180112100435
これだけ見るとすごく暗いしコントラストが小さいよね。
ただ、暗い部屋での人の目の順応性のことを思うと、わりとホワイトバランスをうまく調整してくれてそれなりに見えるんじゃないかとも思う。
ところが元の増田も、また、その増田のブコメでいくつか言及されていた色覚異常者が色彩に出会って感動する動画も、それらのリアクションは全て未知の色彩と出会う驚きによって演出されています。
これは同感。そこまで未知の色彩があるわけない。それもたかがフィルター通しただけで。
ただ、自然界がすべての光の波長のパターンを網羅しているわけでもないと思うので、より色鮮やかに見えるパターンというのはあり得るかもしれないと思う。
実際自分の場合、紅葉や赤いバラは肉眼で見ても暗い赤にしか見えないが写真やテレビで見るとものすごく鮮やかな赤に見える。
これらを組み合わせて、この製品が嘘だという最大の根拠を一つ示します。
特定の色の彩度を下げることで鮮やかな世界を作れるとするのであれば、どうして症例にあわせた作例が一つもないのでしょうか。
レタッチソフトを使えばRGBのバランスを変えることは造作も無いことです。
この辺は微妙。
そもそもこの世に存在するRGBやらCMYKというのは色覚正常者にとって最適化されたものなので、色覚異常者にとってはそもそもがずれたものだ。
光というのは本来様々な波長を含むもので、全く同じ色に見えるものでも物質が違えば違う波長の光を含んでいる。
そういう性質を利用して色覚正常者だけが、自然光と同じに見えるようなRGBの三色光とCMYKのインクを選んでいるにすぎない。
とても繊細な調整が必要で、モニターによって色は変わるし、インクのロットが違えば色も微妙に変わる。再現度を高めるために色校正が必要とされる理由である。
モニターや印刷物は1つ1つで発色の加減が微妙に違うのに、色覚正常者はだいたい同じように見えるように調整している。
言い方を変えると、本当は違う色(光)が出てるのに色覚正常者はその違いを認識できない。
これはあくまで色覚正常者向けの調整なので、極端に言うと色覚異常者にはどれも違うように見えてしまう。
だから、作例がないというのは仕方のない話で、やろうと思っても画像ファイルだけを用意すればいいというものではないのだ。
専用のモニターを用意してそのモニターだけで見るようにすればできるかもしれない。
印刷物の場合、指定のインクを使ってきっちり色校正するようにすればできるかもしれない。
(これを実際にやっているのが色覚検査表。あれって自分で買うとものすごく高いのだけどそれだけ手間はかかってる。
http://www.neo-dalton.com/side/check/が簡易的と言っているのもそのため。これは専用のモニターを使ってるはず。)
これまでの自分の実感だと赤緑色弱は本当に個人によって見え方が全然違う。
この増田自身は赤緑色盲(2色型色覚)なのではないかと思うが、赤緑色盲向けの作例であれば可能ではないかと思う。
ただそれをやるのは結構お金がかかると思うよ。レタッチで済むというものではないだろうから。
分かる。
でも彼らには見えてないものが僕らには見えているはずでそっちを楽しんで生きていきたい。
この文章はiPod Touch(6th gen)で書き、ノートPCで調整をしてから投稿している。
2年ほど前にテキスト入力専用機としてiPad mini + Magic Keyboardをお勧めする理由 という文章を書いたが、最近は文章の草稿作成の大半をiPod Touchでこなすようになっている。
現状、外付けキーボードは使わず、フリック入力のみで書いている。
iPad mini 4とMagic Keyboard という組み合わせはとにかく軽快で、とても気に入っていた。
だが結局、草稿執筆の1/3くらいを進めた時点で、Windows 10のノートPCとMi Pad 2 Windows版という組み合わせに切り替えて、300頁強の書籍1冊分の原稿を仕上げた。
iOSでテキスト入力をするさいの最大の問題は、デフォルトで全角スペースが打てないことだった。
草稿を仕上げる段階で、word等の置換機能を使って全角スペースにすればよかったのかもしれないが、置換漏れ等が発生して校正時に余計な手間がかかるのが心配で、windows に切り替えてしまった。
現在はiPod TouchにiA Writerというテキストエディタの組み合わせで、大半の文章を書いている。
iA Writerなら、とくに追加設定も必要なく全角スペースが打てるようになっているからだ。
また、フリック入力で手間取ることの多い「」や()といった記号の入力が、キーボードのカスタマイズにより2タップでできるようになっている(前のバージョンだと1タップでできたので、最近のバージョンアップによるUI改変は改悪だと思っている)。
この組み合わせにたどり着くにあたり、One NoteやEver Noteといったノートアプリも試したが、動作が重く、テキストデータの事後的な加工と流用にどうしても一手間いるのが面倒で、結局、なんの変哲もないテキストファイルをiA writerからiCloud driveにひたすら保存するという方式に落ち着いている。
MacでもWindowsでも、PC上でiCloud driveが動くようになっていれば、保存してあるテキストファイルをただ開くだけで編集ができるので、楽だ。
iA Writerで書き終わった文章をそのままMailアプリにエクスポートして、自分のアドレス宛に送って使うこともある。
iPod Touchはなにかと制約の多いデバイスだと思う。
同じiOSデバイスでも、最近のiPhoneやiPadに比べると、できないことが多い。
だが、どこでも、立ったままでも、布団に寝転がったままでも文章を書き続けることのできる圧倒的な自由さが好きだ。
スマートフォンでも、もちろん同じことができるが、自分はやらない。
書いている間に、メールやLINEの受信通知が頻繁に入りすぎて、気が散るからだ。
iPod Touchは自分にとっての読み書き専用の環境になるよう調整してある。デフォルトのMailアプリにはテキストデータ送信専用のアカウントだけを登録し、メッセンジャー関連のアプリでも連絡が入らないようになっている。
iPod Touchはバッテリーの容量が小さいので、3-4時間文章を書き続けると、容量が20%以下になる。
だが、小さいモバイルバッテリーをバックパックに放り込んでおけば、外出先でも繰り返し100%充電にできるので、バッテリーの容量で困ったことは一度もない。
じつに、消費電力が少ないことは正義だと思う。
自分はガラケーのボタンをカチカチやってメールを打っていた世代の人間なのだけど、フリック入力だけで長い文章が書けるように練習した。
本を書いている時に気づいたのだが、考えながら文章を書く場合、物理キーボードを使って書く場合の一日あたりの執筆文字数と、windowsタブレットのソフトウェアキーボードで書いた場合の文字数は、ほとんど変わらない。これは繰り返し確認した。
いまはiOSのフリック入力と予測変換を使って書いており、windowsタブレットのquertyソフトウェアキーボードで書くよりも速く書けるようになっている。
ただ、本を見ながら文章を書き写す作業をする場合は、物理キーボードを使った方が圧倒的に速い。
ポメラも使っていたが、自分の場合、静かで、小さく、軽く、美しく、持続的で、書いたテキストの流用が簡単な環境を探したら、現状、iPod Touchに落ち着いた感じだ。
また別の環境を見つけて移ることもあるかもしれないし、近い将来iPod Touchが製品ラインとして廃止になってしまったら、文章執筆専用のiPhone環境を作るかもしれない。
ごく少数の人にしかこういう執筆環境は意味をなさないかもしれないが、iPod Touchで書き続けることの楽しさみたいなものを書き残しておこうと思って、誰に向けてかもはっきりせずに、こういうものを書いた。
曰く、雑用するから、飲み食い代をを出すから、編集者は必要だという。
https://togetter.com/li/1178410
企画を立てる最初の一歩を除けば、企画書作るのも、各所に電話するのも、
メールや手紙書くのも、資料集めるのも、会議や打合せするのも、
みんなのスケジュール調整するのも、取材に立ち会うのも、ラフ切るのも、
原稿整理するのも、校正のやりとりするのも、印刷所と交渉するのも、
支払いのエクセルまとめるのも、飲みに行くのも、ひたすら雑用&雑用。
駆け出しだろうが多少偉くなろうが、編集仕事は雑用全般承り業といって間違ってないと思う。
本が出たら出たで誤植に怯え、販促イベントに右往左往し、初動の売上げに凹み、
アマゾンのレビューが付かないことにうろたえる日々だ。
そんなめんどくさい雑用仕事をだな、めんどくせーとか言いながらわりと
うれしそうにやってんだからおめでてーな。