今更そこを気にする?パロディの元ネタになってるゲームや漫画だって、30代40代のオタクでないと分からないラインナップのオンパレードでは?そのくらいの年齢でもオタク活動を続けている作者だからこそ原作には最近のネタも混ざっているけども、作品観のベースは一昔前のネット住人的なノリであることを考えると、特に気にするようなシーンではないと思うのだが。むしろ、若い子の多くはネタの大半が分からくともフィーリングで楽しんでいるようだし、そのくらいの受容性を見習った方がいいのでは?
増田のように、作品中に2ちゃん風やニコ動風の描写が出てくると、決まって「冷めるわー」的な反応をする人が大量にネットに湧くことを我々はもう何度となく見てきた。人はちょっと聞きかじった事があるくらいのネタなら素直に害意なく、なんなら知っている気分にすらなって楽しむことができるのに、「俺はこれをよく知っている」みたいなものに対しては、へんな自意識が働いて、「あーハイハイ、陳腐なこった」みたいな思考に陥ってしまう。これははっきり言って下品だし幼稚な思考だが、みんながやっているようにみえるのでなかなか思考を改めようと思う人は少ないようだ。けれど、その「みんな」というのはほとんどが生意気盛りの子どもたちの発言の集合である率が高い、ということを考慮せねばならない。ネットの向こうの顔の見えない人間が、どれだけリアルに幼く、育ちの悪い人なのか、ということに想像力を常に働かせていないと、自分自身が精神的に幼くなり、育ちの悪い人間と同様の思考回路が脳に焼き付き、人格的に落ちぶれてしまう。それくらいにネガティブな感性の伝染力は強い。そのことに無自覚で無邪気すぎるネットユーザーがあまりにも多いと私は思う。
また、アニメオタクに多いのだが、勝手に高すぎる期待をして、それとは違う表現を制作側がすると、クソだクソだと貶す人がネットでは目立つ。もともと他人に対して多くを求めすぎるというのは日本人の悪習だと思っているが、この現象に関しては、「自分の思った通りに作ってくれないと嫌だ嫌だ」と駄々をこねる子どもとなにも変わらない。そこにクリエイティブに対するリスペクトは何もなく、自分の作品でもないのに、他人がその人の価値観の表現の一端として作っている作品に、自分の価値観でもって勝手に校正を入れようとする感性は、ただただ醜悪だ。「鑑賞」という行為に対する基本的なリテラシーが欠如しているばかりでなく、人間としてあまりにも盲目で、多様な価値観を受け入れられる器を造成するだけの視野や想像力が未熟であることを感じさせる。そういう人が客層として少なからず存在するアニメ漫画業界において、ポプテピピックが自ら「クソ」を自称していることの意味を、よく考えるべきだと思う。
ポプテピピックさんには一歩上を行くメタを期待していただけに ニコニコ動画のコメント・5ちゃんねるのレスの再現シーンで用いられていた語彙が10年前で停滞してたのは非常に残念な...
今更そこを気にする?パロディの元ネタになってるゲームや漫画だって、30代40代のオタクでないと分からないラインナップのオンパレードでは?そのくらいの年齢でもオタク活動を続け...
増田だって10年前の遺物だろ いつまでいるんだよ