はてなキーワード: 学問とは
学校を卒業したから給料が高くて終身雇用で年齢と合わせて給料もアップして退職金は3000万円くらい貰えて定年退職したら受け皿会社があってそこでも70万円くらいの給料と300万円のボーナスをもらえて子供と孫に親しまれながら老後を過ごし何の痛みも苦しみもなく125歳を全うできる。
って思っているならやめたほうがいい。
学校は学問を学ぶことであり、それは自身で進捗管理しながら自学習する場を得ただけ。誰も教えてくれないし誰も注意をしてくれない。
卒業すればブラック企業が大口を開けて待っていて残業代のない月間200時間超、残業だけで100時間超の酷労の世界。
パンデミックかどうかは個人の判断に任されtwitterさえできない人はマスクやトイレットペーパー、生理用品にいたるまで日用品の確保に困り果てる結果になる。
自分を守れるのは自分しかおらず、そのすべての管理は自分自身で行うほかない。それを1日でも1秒でも早く気づいて危機感をもって即座に行動できる人のみが生き残れる。
これは勉強になる箇条書き。ただ、国家権力を縛るのは行政法や憲法だけじゃない。民法や刑法や会社法も、内容は一般人や法人を対象にしたものだろうけど、同時に国家が勝手なことを言い出さないように国家を縛るためにもある。だから憲法以外の法律の制改定にも目を光らせるべき。
でもこの国は法治国家じゃないよね。実質的には、行政の施行令、施行規則、通達というものの管理下にある。条文が包括的に書かれていることによって国家に裁量が与えられている。パブリックコメントを提出してもそれが受け入れられるかはお上次第。法律ってのは何のためにあるのか、ただの権威付けのための空理空論でしかないのではないか。
だから法律なんて学ばなくてもいいよ。整合を求めると破綻する。単にハックすることだけを考えればいい。学ぶとしても学問的な態度は捨てて臨むべき。
金持ちかどうかはともかく、学問はそれ自体が権力であり、学者はそれ自体が特権階級だと自覚すべきだとは思うな。
高慢な学者は理系文系問わずいるのだろうけど、社会学者の場合はその高慢さが社会に向けられるから反感を買いやすいのでは?(新説)
大学って受験勉強の適性がある人が他者より良い生活を送るための就職予備校or医者とかが国試受けるために入るもの
親が「お前がやってる研究は結局農家が儲かるだけ、それに比べて俺のやってることは人々を助け…」
みたいなことを言ってるのを聞いて、
そこそこいい大学行ったけど、そこで学問に優劣なんてないとしみじみ感じさせられた
キラキラした眼の新入生たちは、私と違って学問に対する信念を持ってた
工学部だろうと理学部数学科だろうと、法学部だろうと文学部哲学科だろうと、
そこに優劣はなく、いわゆる「ツブシ」がどうこうはどうでも良いことで、
自然科学・人文科学の観察や探究に勤しむことは、そういう恵まれた環境を与えられた知的生命体の活動としてはめちゃくちゃ真っ当なことだと思った
時代感的にも、詰め込み教育のかわりに人それぞれの幸せ・価値観・自由みたいなものを教わってきたから
なおさら金持ちが正義とか、名誉が全てとか、人助けが正しいとか、そういう価値観は前時代的に思えてくる
そこそこ親の期待に応えようとして受験勉強頑張ったけど、残念ながら私と親とでは学問に対する捉え方が全然違っていて、
私は色々しんどくなってしまった
これもアカンやつなんかな。たとえば日本人の働き方を研究してる人が、平均労働時間と、鬱とか自殺を厚労省のデータとかでなんやかんやから解析してなんやかんやするのは一応学問じゃない?
なんか社会学がネットでたたかれてる理由がよくわかってない人がいるみたいだけど別に難しい話じゃない。
なぜ叩かれるかって社会学がある特定集団の社会構造や成り立ちを研究したりするからだ。
これってつまり「あの人たちは〇〇」ってレッテル貼る行為だろ。
社会学の研究手法や目的がそもそもかなり危険と隣接してる学問だってこと。
こんな"あの集団はこういう人たち"なんて語るのは居酒屋で愚痴るレベルのもんで、テレビとかメディアでほんとは正々堂々と喋るような事柄じゃないわけよ。
最初期の社会学ってのは人間社会全体の社会構造とか成り立ちを議論してたわけ。
でも時代が下るにつれてその対象がどんどん狭まってきて現代社会学はかなり小さな集団まで研究対象になってきた。
もうここまでくるとそりゃ戦争よ。
こんなもん嫌われない方が無理だろ。
統計データはない、分析してない、誰にもチェックしてもらってない、主観でだらだら喋り捲る、テレビとかネットメディアで影響考えずのべつまくなしべらべら喋る。
誰が好きになるんだよ。
を考えている。工学部の無能な理系女です。これから生産性0の愚痴を吐きます。
卒論発表が終わりました。
散々な発表でした。
結果は出てないし、結論はあやふやだし、発表はトチるし、質疑応答は何度も聞き返すし、これでもきっと卒業させてくれる日本の大学制度に感謝するしかない。
ところで今回発表する50人ほどのうち、女は1人だけなんですけど、聴衆のうち1人でも「だから女はだめだ」って思った人はいないのかな。そこまで行かずとも「リケジョ(笑)育成云々で向いてない人間を呼び込むからこうなるんだよ」とか。
……世の女性の社会進出云々で活動されてる皆様ごめんなさい。研究なんか向いてない無能な私がちょっと物理が好きで座学はそこそこ得意だったのでなんとなく就職に有利そうな工学部に進学したばっかりに、女はできない、の印象を植え付けてしまった人がいるかもしれない。ごめんなさい……。
これが1/25のただの無能な学生ってだけなら、少なくとも「女が学問できるところを見せなきゃ!」みたいな思考が生まれることはなさそうでいいなあと思ってしまうし、そう思う自分がクズだなーと思う。己が女であることに責任を転嫁するのマジで馬鹿だなー。きっと教授も同期もそんなこと考えてなくて、ただあいつは真面目だけど無能だなくらいしか思ってないと信じてるけどね。女の教授(死ぬほど頭が良くてメモすら手に持たず爆速で授業をする。学生は置いていかれる。あと卒論発表でほとんど全員に対して容赦ないうえに本質的な質問をする)だっているわけだし。研究科に1人だけど。
そんなこと考えてる暇があるなら研究を進めろ! おっしゃる通り。
最近、本当に自分が自分の実力でこの大学に受かったのかすら不安になってきた。受験生の頃は「◯◯工業大学とかは特に女学生欲しがってるそうだから、きっと有利だよ!」とか言われたけど、いやそんなわけあるか点数取りゃ受かるんだよとか思ってた。いやまあ点数開示したら平均ちょい上だったしそんなので受かったと本気で信じてるわけじゃないけど……。
某医学部で男子加点があったやつもさ、あれ合格した男子学生だって被害者だなーと勝手に共感したりする。マジで普通に点数良くて受かってる人だって外部から見たら「下駄はかされて受かった可能性のあるやつ」なんでしょ? つら!
そういえばこのあいだ某大学が教員の男女比が目標を下回った部局の予算を減らすとかでTLに馬鹿にされてたりもしたな。なんとかアクションってやつ? ああいうの明言された上で雇用されたくないよなー。単純に能力が高くてポストに向いてる人を雇用します! って言い続けりゃよくない? で今は昔よりはまだ工学部の男女比マシになってきてるんだから、そのうち上のポストの男女比もマシになってくでしょ。過渡期はしんどそうなのはわかるけど。
まあ私には大学の教員とか関係ないけどね。院進はするけど修士終わってからも研究続けるつもりないし、どうせドクターとか受かんないし。
あーあ、叶うならもっと男女比がましになった世界線で工学部に進学したかったなあ。そしたらただの無能な学生になれたのになあ。
あと研究室の夏合宿で突然生理が始まって誰も頼れないので(まあこれは私がコミュ障なのと計画性がない馬鹿であることが原因の大半を占めるけれども)夜中にこっそり片道徒歩30分のコンビニまでナプキンを買いに行くことも、温泉旅行に行く話をする同期を「楽しそう! いいねーいってらー」と初めから自分を数に入れないよう立ち回るのも無いんだろうなー。
まあそうなったらなったで別の苦労が出てくるんだろうなとも思ってはいるんですけど、現状に辛いことがあるのは事実なので。現実逃避? その通りです。
名も知らぬ増田たちが予想以上に冷静で(すまぬ)なんか救われたので追記。
ありがとうございます。修士ではできる学生を目指して励みます。学会発表とかできるくらいになれたらいいなあ。研究、向いてないのは重々承知だけど嫌いではないんだよなあ……。
これが実は1番救われた。ドーモ、ただのありふれた学生です。
金網の話ちょっと状況が想像できなくてビビったんだけどマジでそんな感じだったんですか? 弊学、少なくとも現在はむしろ使用する人が少ない割に男子トイレと同じくらいの頻度で掃除されてるのでむしろ研究棟のトイレ自体は快適ですよー。数はちょっと少ないけどね。女の学生増えてほしいと切実に思ってるのでそこに関してはご安心頂きたい。
(ようするに、アニメゲームマンガを見ながら政治運動に傾倒して、アニメゲームマンガを政治でぶっ叩くよりも、「ガチャを回すぞ、かわいい女の子を描くぞ、コスプレしたぞ」のほうがよっぽどオタクとしてきちんとした姿だってことに、最近まで気づかなかったって話です。)
背景は、同人作家。で、左派系思想にバックボーンを持ちいわゆるネットの論客とかもやってた。
いま、もう、俺たちの時代に通用したオタクしぐさはただの迷惑行為なのだということを感じる。
昔は、バンダナにジーンズをつけたオタクがいた。あれは当時の最新のファッションを後追いしたものだった。しかし、今見るとダサいしキモいし、痛々しい。
俺たちはネットで、「バンダナにジーンズをつけたオタク」をやっているのだということを自覚した。
ラブライブのスカートの線は現実女性に悪影響を与えるから許されない、という例の話は、はっきり言えば老害オタクしぐさなのだ。
もうすこし順を追って話そう。
俺たち30代40代オタクは、好む好まざるにかかわらず、政治にかかわることを必要とされた。(後から追記:考えてみればかかわる必要などなかったし、そう思うこと自体が、おかしいといわれればまさにそのとおりなのだが、なぜかそもそもかかわるものだと信じていた)
オタクというだけで、差別され、いじめられた時代を経験し、保守(左派系ラディフェミ政治家も含む)政治家がオタク文化を焼き払おうとした時代だ。
だから、オタクは政治にかかわって自分を守ることが要求された。
それゆえに俺たちのイケてるオタクしぐさ、というのは政治にかかわっていろいろ発信することだった。(後から追記:考えてみればなぜそう思ったのか心底わからない。オタクとして萌え萌え言っておけばよかったと心底思う)
サブカルとしての政治運動にかかわってるというだけで、一目置かれたし、あらゆるアニメを政治に結び付けて批評したりすることが最先端のオタクしぐさだった。
とりわけ人文科学、もっと言うなら大学で覚えたばかりの社会学や歴史学や心理学を利用してオタク文化を批評したり政治に牽強付会してサークルで議論したりネットに発表したりすることが最先端のしぐさだった。(後から追記:当時からすでにめちゃウザかったっぞというブコメもついている。すでにダサかったことに、その当時は全くおもわなかった。しかし実際はダサダサだったのかもしれない)
セーラームーンとフェミニズムのかかわり、エヴァンゲリオンの登場人物の心理解析、シスプリの大ヒット、涼宮ハルヒが社会に与えた変化と現象、発売されたばかりのアダルトゲームと国防体制とか、そんな愚にもつかない論考を出せば、転載サイトが記事を拡散し、バンバンブクマが付いて、はてなやFC2のブログが大いににぎわった時代を体験したのだ。
しかしその時代は、終わりを告げる。個人SNSの情報速度の加速に、この手の論考はついていけなくなった。より刹那的に、よりリアルタイムでの反応が求められた。
また、オタクの政治的立ち位置とかかわりも一気に変わった。まさか、よもや、自民党から表現規制反対の議員が出て、アニメゲームマンガを守る一本槍で戦い、全国比例で53万票も獲得するとは夢にも思わなかった。同時に、左派系議員にも表現規制賛成を叫び、多くのかつてのアニメゲームマンガ規制反対政党からも、アニメゲームマンガバッシングが飛び出すようになった。
こんな時代になってくると、もう、人文科学や政治にオタク趣味を絡めて、左派的価値観で作品を論評したり、オタクにかかわることが何の意義があるのか? ということになる。「この作品はリベラルなのかどうなのか」とか、「この絵はフェミニズムから考えると女性の抑圧ではないか」とか論評すること自体、もう「バンダナにジーンズのオタクがダサいのに自分はイケてると勘違いしている」ということになる。
いまどき、「艦これやアズールレーン趣味をやりながら正しい歴史認識を叫ぶ」というのも痛々しい。
そんな奴よりも、「ただネットに同人誌の一コマを乗せたほうがよっぽどRTといいねが来る」し「youtubeでレイヤーがSEKIROをプレイしてたほうが尊敬を集めるし面白い」って時代になった。
いちいち海外の友人と友達だなんてマウンティングをとる必要もなく、同人作家は海外絵師やファンと、レイヤーは海外レイヤーと相互フォローになってる。自分たちが海外に友人がいるんだぞとマウンティングの経費を大量に払ったのと比較にはならず、ナチュラルに異文化交流してやがる。
そんな老害になった俺たち世代がせめてもの抵抗として、注目を集める方法が、炎上とオタク文化批判だったことは悲劇である。要するに、「今のオタク表現は差別だ。許されない。俺が真の表現規制反対派として、表現を規制してやることがお前たちのためになるんだ」と言い出すことだ。
老害化を直視できないが、注目を集めて最先端に残るためには、世界を破壊しようとするしかないのだ。
でも全員がそんなことできるわけじゃない。
昔の時代を忘れられずに、しかし、今の時代に適応できない人間はかなりの数いる。
文化の中心にいない人間が、ついに最先端の若者たちを攻撃する時代になった。もう完全にやってることが石原慎太郎である。
事実、かつては左派系表現規制反対派の論客たちが、次々と規制派へと転向しフェミニズム系規制論を唱えるようになったのは偶然じゃない。
いま現在、左派系価値観で、オタク趣味を語ることの価値は暴落し、何の意義もない。唯一かろうじてオタク文化の真ん中に居座るには、規制派としての椅子しか残されていなかった。
さんざん世話になった左派思想である。どんなにくだらない、萌えオタ表現たたきであったとしてもこの際仕方がないという面は理解できる。
自分が老害化していることを認めず、「今のオタク文化を矯正してやるんだ」と息巻いては見たものの、周囲の人間からは「迷惑でうるさい老害が来てるよ、お前は石原慎太郎と同類だよ、劣化したな」と軽蔑のまなざしを向けられる政治語りオタクを何度も見てきた。
いま、政治とオタク文化を結びつけるには「差別」という強いカードを切って、「お前らは差別しているんだ。いや差別じゃない」とこじつけるしかない。
だがそれを繰り返せば繰り返すほど、余計にダサい老害になるというのに。
昔は20本以上見ていたのに。
ソシャゲの周回もおっくうだ。
そのくせ、ひどく怒りっぽくなってアニメとか新作を見るとくだらないと思える。
もう認めよう。
俺たちは石原慎太郎と同じ道を歩んでいる。
追記1 ブコメに「もう虐げられてるサブカルじゃなくて、超どメジャーカルチャーなんだよ。」ってまさにそれなんだよね。マイナーなサブカルロックバンドが好きだったのに、メジャーになったとたんに「堕落した。メジャーに媚びた」って、昔のファンがアンチになるでしょ。あの状態。今更、メジャーなサブカルとしての生き方をどうやってやったらいいのかわからないのだ。だけども、この流れは今更もう止められないだろうということも理解してる。
追記2 自分は30代だが、この世代がどうとかいうのはたしかに間違いだった。もっと上の世代にもそういう人が多いというのは理解してる。世代というよりは、政治にかかわってオタクを語ろうとするクラスタの話なのかもしれない。
追記3 その老害ムーブを、まずやめろというのは正しいし、自分はそうならないようにしているがそれでも、政治語りがダサいということを受け入れるのは難しい。
追記4 いろいろ反応を見て気づいた。なぜ政治オタク語りなんてやってたのか。全然わからないし必然性もなかった。本当になんでやってたんだろう。
追記5 「オタクじゃない、政治サブカルだ」というのは本当にそうだと思う。サブカルがオタクに文化的な敗北したから、サブカルから一段下にオタクを見下しつつかかわってた人たちの軸がすっ飛んだんだと思う。政治サブカルが破綻して、オタクだけが残ったんだと思う。
追記6 なぜ害だと気づけたかというと、政治サブカル系のアカウントが次々おかしくなっていったから。かつてはまともだったはずなのに、今はもう何なのかわからない人たちがたくさん生まれ始めた。それを何だろうと考えた結果。
追記7 KEYについては正直よくわからない。やってないから。ただ友人は、CLANNADをガンガン推してきたが、ぶっちゃけ観てない。絵柄がちょっと合わなかった。
追記8 「アニメから思想が消えた」とか、無理やり政治問題や世相を切る道具として使って政治敵を攻撃したり政党批判に持っていくのが、ダサい時代になったということだと思考。
追記9 30代は若い若い、と言われてる。確かにもっと年齢層が高い印象。しかし、この手の老害化は30代でもかなり目撃してる。
追記10 お前39だろ、39だろ、っていうやつら。39歳だってまだ30代の仲間だろ! いじめよくない! どうしてそう、必死に30代にしがみつかせてくれないんだ。
追記11 これを規制派とか反規制派とかいうくくりで読むこともできるんだろうけれど、害だなあと思うようになったのは、「本気でオタク表現に対してマジギレ」したり、「本気でオタクはネトウヨだが俺たちは違うんだ」と立ち振る舞う人が、オタク系政治に浸透してきて「本気かよ」とドン引きしたのが最近の率直な印象。「オタクは腐敗してる」とかいっても、どうせごっこ遊びだろ? いつもの極論ワロスw って受け止めてたが、ここ最近、本気で怒って、本気でつぶそうとしてる人が自分の周囲でもマジに出てきた。昔は評論遊びをしてる部分はあったと思ったけれど、実際には他者に多大な迷惑をかけまくってたんじゃないかと考えるようになった次第。
追記12 ラブライブのスカートの線で、マンガ家が「そんなの大した問題じゃないだろ。俺の健全な絵でも見ろよ」とオタクを軽く挑発するオタク老害しぐさをやって「本気の攻撃をされたと認識したオタクがフルボッコにした」ことがあるけれど、あれを見るに、もう今と昔ではオタクの自意識も作法も違うと思う。昔から嫌がっていた人が可視化されただけかもしれないが。
なんかまたキズナアイバッシングで名を馳せた先生が燃えてますね.
千田有紀「「女」の境界線を引きなおす:「ターフ」をめぐる対立を超えて」(『現代思想3月臨時増刊号 総特集フェミニズムの現在』)を読んで - ゆなの視点
社会学者の千田有紀氏のトランスジェンダーに関する論文に批判が集まる - Togetter
私はこの先生の論文を読んでない(それどころか一瞥してすらいない)ので,どちらの主張が正しいのか判断することができない.だからこの先生の論文の「内容」には言及しない.だけど「形式」については言いたいことがある.
(査読のない商業誌である『現代思想』に掲載されるのは「論文」ではなく「論考」だろうというご意見をいただきました。こういう文章をどう呼ぶべきかわからず「論文」と書いてしまいましたが、そのために誤った印象を与えてしまったかもしれません。申し訳ありません。)
この部分が人文系研究者のワイからすると明らかに変なことを書いているので,ここで指摘しておく.これはブログ主さんというよりも,ブログ主さんにようわからん指摘をして混乱させてる人たちに向けた文章です.
あのね,査読なし商業誌にオリジナリティがある論文を載せる分野ってのも世の中にはあるんですよ……
キズナアイバッシングのときに私色々書いたけど(anond:20181009213503; anond:20181011090428),査読はたしかに重要であり,日本の文系でも査読つきの論文が増えてきている(というか分野によっては査読つきの方が多い)わけだけれど,すべての学術論文に査読がつくとは限らず,また商業出版のルートに学術的な本や論文が載ることもまだまだ多いわけですよ(というか,普通に考えてElsevierとかも商業出版だよな.商業出版ではない学術雑誌っていうのは大学紀要とか学会誌とかのことであって).
なので,査読なし商業出版であることを理由に学術論文であることを否定されると非常に困ります.その基準だと「学術論文」ではなくなってしまうが,しかし学術的に重要である,という論文はいくつもあるわけで.
これが『世界』やら『正論』とかならともかく,さすがに『現代思想』に研究者が注とか文献目録とかつけて書いた学術的な文章は学術論文でいいでしょ.
『現代思想』や『ユリイカ』や『思想』やそのへんの雑誌は人文系研究者にとっては学術論文を掲載し得る場所です(それらの雑誌に載ってるものがすべて学術論文だとは言ってない,念のため.VTuberについての論文とVTuberのエッセイが同居してたりするので……).別分野の基準を持ち込んでそれらの媒体に掲載された論文を学術論文ではないかのように扱うのはやめるべき.
(ところで,一部の雑誌では査読論文と査読なし論文を混ぜて掲載してることもあるから,そういう媒体では究極的には著者か編集者に聞いてみないと査読の有無はわからんぞ.researchmapだと査読の有無をチェックする欄があるからresearchmapに登録してる研究者ならそっちを見れば査読の有無はわかるのかな.でも読むときには査読の有無とか特に気にしてないよね.面白い論文なら「これめっちゃ参考になる!」って言って引用すればいいしくだらない論文なら「一応目は通したけどあんまり参考にならなかった」と言って引用すればいい.めちゃくちゃ面白い論文が査読なし媒体に載ることもあれば「え? ふーん,これ査読通ってるんだ.それはそれは……」みたいな論文もあるので……)
何が悲しくて私がキズナアイバッシングに火をつけた人の弁護をしなきゃならないんだ.ほんといい加減にしてくれ.別の増田(anond:20191103222919)でも書いたけど,むやみに戦線を拡大して敵を増やすのは本当にやめてくれ.それはこれまでの献血コラボの実績を何も知らずに「そもそも宇崎ちゃんは献血と何も関係ないじゃないか」と噛み付いたクソどもと何が違うんだ?
これは「論文」ではないので「論考」と呼びます,というのも意味がわからなくて,だってその2つの言葉ってだいたい同じ意味じゃん……?
個人的な感覚だけど,学術論文を指して「論文」と呼ぼうが「論考」と呼ぼうが単に修辞以上の意味はないよね.先行研究の整理とかで「○○氏は「××」という論考において△△と主張している」って書いてあったら,それは○○さんが書いた「××」という学術論文には△△と書いてある,って意味でしょ.
投稿規定とかでは「論文」と書かれることが圧倒的に多いし,私も基本的に「論文」と呼ぶことが多いけど,学術的な新規性のある文章を指して「論考」と呼ぶことは別に間違っちゃいない(これ,人文系の研究者だったら同意してくれるんじゃないかしら).だから「これは論文じゃないので論考と呼びます」って言われても正直「???」なんだよな……
「これは『頒布』であって『販売』じゃありません!」みたいな内輪の謎ルールになってない? 大丈夫? おっぱい揉む?
で,そもそも論として,仮に学術的な形式に則っていない文章でも「論文」と呼べるよね.これは文系がどうとか理系がどうとかそういう話じゃなくて,世間一般における言語感覚の問題.
大真面目に何かを論じる文章や考察する文章はすべて論文と呼びうる.その中で一定の形式的・内容的基準を備えたものを「学術論文」として区別しているだけ.
要するに,「学術論文はすべて論文である」は成り立つけど,「論文はすべて学術論文である」は成り立たない.
たとえば,公務員試験を受けると「課題論文」というのを課されることがあるのだが,これは別にその試験のためだけにデータを集めて新規性のある学術論文を書けという意味ではなく,与えられたテーマについて紙に数枚くらい自分の意見を書きなさい,という意味.
もうちょいみんなが経験してそうな例で言うと,大学受験の「小論文」なんかもそうでしょ.
一般社会において「論文」ってその程度のものなんですわ.私らはアカデミアに染まりきってるからついつい忘れそうになるけど,真面目になにかのテーマについて論じた文章なら「論文」と呼ぶ,という言語感覚の人は一般社会にそれなりに存在しており,そういった一般社会的用法も別に間違いではないんですよ.
なので「これは『学術論文』ではないから『論文』と呼ぶべきではない」という主張は,そもそも一般論として間違いです.
アカデミアにおいて何の限定もつけずに「論文」といえば学術論文のことだけど,それは文脈が限定されていて短縮された言葉でも意味が通じるからです.コミックマーケット会場で「東」といったら太陽が昇ってくる方角ではなくオリンピックとかいう害悪イベントのせいで使えなくなっている東京ビッグサイトの東展示棟を指すのと同じこと.
コミケ会場付近をうろうろしている一般人が太陽の昇る方角を指差して「東」といったときに「お前が指しているのは東展示棟ではないのだから『東』という言葉を使うのはおかしい」と言ったら変な人だよね.それと同じように,アカデミアの外にいる人(この場合は例の先生ではなく例の先生が書いた文章についてブログを書いた人)が「論文」という言葉を使ったときに,「お前が言及しているのは学術論文ではないのだから『論文』という言葉を使うのはおかしい」と主張するのはハッキリ言ってかなり変な人だよ.
英語でいうarticleとかpaperもそうでしょ.新聞記事も学術論文もどっちもarticle.学術誌で何の限定もなくarticleといえば「論文」という意味になるけど,それは文脈が限定されているからで,一般人が新聞記事を指してarticleと言うのを咎めたらおかしいよね.
よって,例の先生が書いたものが仮に学術論文ではないとしても(これはもちろん仮定法ですからね),一般人がそれを指して「論文」と呼ぶことを咎めるのは間違っています.
これは,文系とか理系とか新規性とか査読とか業績評価とかそういう話ではなくて,一般社会において言葉がどのように流通しているか,世間の人びとはどんな言語感覚を持っているか,という話ね.ほんと,我々の考える「学術論文」以外のものが「論文」と呼ばれる局面って,大学を離れると以外とあるんですよ……
千田有紀氏のTERFに関する論文は学術論文です.また,仮に学術論文ではなかったとしても,それを「論文」と呼ぶ人を批判するのはおかしいです.
学術論文だから学問的に妥当だとか政治的に正しいとかは言ってませんので,彼女の主張が間違ってるとか差別的だと思うなら存分に批判すればよいのですが,外形的な基準から学術論文であることを否定しようとすると人文系研究者全般に流れ弾が飛ぶのでやめてください.
人文系オタクとしては,ただでさえ一部の同僚から趣味を殴られて不愉快な思いをしているのに,一部の趣味仲間から仕事を殴られるのは勘弁してくれとしか言えません.表現規制派フェミニストを殴るなら表現規制派フェミニストをピンポイントで殴ってください.私たちを巻き込まないで.頼むから.
劇場版はいふりのココちゃんのキャラソンむっちゃかわいくね? ココちゃんのキャラソンとして百点満点って感じだった.特典のイラスト色紙,ミケシロが2枚出たけど砲術三人娘のは引けなかったので誰か譲ってクレメンス……
あとgdgdな雑論文をまあどうせ載らないだろうけどって適当に投稿したら掲載決定して割と自分ではよく書けたつもりの論文をこれは載るやろって自信満々に投稿したらリジェクトされたんだけど何が通って何が落ちるかマジでわからなくなってきたでござる.山辺あゆみちゃん……私を導いてくれ……ママァ……
社会学者の千田有紀氏のトランスジェンダーに関する論文に批判が集まる
https://togetter.com/li/1471101
関連:「ミカンはお母さんが買うもの」フェミニスト学者牟田和恵氏の女性蔑視のステレオタイプ発言
https://togetter.com/li/1469374
いつものあの人。
紹介されているブログを少し見たけど、根拠がないのはいつもの事だけど、いつも通り論文と言うかただのポエムとかお気持ちとかそう言う類のものと言う印象しかない。
流石にこれを論文扱いするのは全ての学問における論文に対して失礼だと思う(苦笑)
しかし女性からも批判意見が出るとかフェミニズムってどこに向かっているのだろうね?
社会学やらジェンダーやらはもう世の中の為にも廃止した方が良いよねって気分にさせられるのが本当に凄い。
もはやこの人達自身が逆に社会に対して迷惑ばかりかける害悪でしかない。
20年10月 菅首相、日本学術会議が推薦する6名の学者を任命せず。政府に批判的な過去の発言などが原因と言われるが政府は理由を説明せず。学問への政治介入。
あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由」展→抗議で中止(のちに再開)、文化庁は補助金交付撤回(106の企画のうちたった一つの企画展を理由に全額を不交付)
ダイヤモンド・プリンセス号感染拡大→船内での隔離措置について専門家から指摘がある中、乗客を下船させはじめる。
政権寄りの検事長を脱法的に定年延長→人事院が答弁修正、森法相解釈の変更は、口頭で決裁した。
IR汚職→国会議員一人だけ逮捕(自民・維新の衆院議員五人に現金を渡したという証言があるのに)
日産ゴーン問題→検察、保釈中のゴーンにレバノンへ逃亡される。
・前夜祭 政治資金収支報告書不記載(収支がゼロだから記載不要、参加者800人がホテルと個別に契約などと答弁)
・内閣府 招待者名簿を共産党による資料請求当日にシュレッダーで破棄、データも削除 ログは開示しない
・首相と官邸記者クラブ各社キャップが懇親会(毎日のみ出席せず)
・首相がホテルの回答について虚偽答弁→翌日ホテル側が自民党に謝罪か
かんぽ問題
・郵便局が高齢者等に二重徴収、無保険など18万件の不適切契約(詐欺まがいの手口)
・NHK「クローズアップ現代」の報道に対し日本郵政が圧力→NHK謝罪。番組放送中止。
・現総務次官が、日本郵政副社長(元次官)に処分案を漏洩し、更迭。
自民党議員公職選挙法違反問題で2大臣辞任→河井法相と妻・案里議員、菅原経産相 雲隠れ
北海道警 参院選首相演説中に「増税反対」と野次った女性を警察官数名が強制排除(法的根拠不明)
北海道大学にいたころ、同級生や院生、博士研究員の女性は学問分野に差こそあれ女性学やジェンダー論に敏感で図書館で論文複写したり書籍借りたりして、何を読んだか研究室でちょっと話題にしてたりしていた。
教員の具体的な挙措や発話のどこが問題か話題になることもあった。もちろん、特定の学生の「至らない」振る舞いを問題視して、陰に陽に指導したり仲間内で話し合ったりってのもあった。学部生で何も知らない私も色々指摘されて勉強するようになった。ちゃんとできてるかはわからないけど、彼女たちのおかげで勉強する機会が得られた。
今twitterみると、この大学でのやり取りはなんだったのかと思うほど女性論の格調は低い。
ある絵がダメだという根拠や条件などを提示できない。「お気持ち」との批判を乗り越えられない。
それどころか、例えば「お気持ち」って言葉は嫌いです! みたいな本旨とはかけ離れた話を持ち出してきたりする。
それは別にしっかり語ってもいい。だが今そのことは話をしていない。そのことがtwitterという仕組みではわからない。
2週間くらい使ったら、現実世界での実践をしていた方が内外に絶対に特になると気づきそうなものだが、それがわからないのだ。
なぜだろうか。