はてなキーワード: 学問とは
フェミというのは学問にも満たないイデオロギーにすがるしかないようなロークラスの女性のための一種の娯楽で、この現象はやみそうにもない
この点、オタクもロークラスの男性のための娯楽という点では一緒なのだろうけど彼らには少なくとも購買力があるので、企業、組織等々はどちらの声を聴くべきかよく考えたほうがいいと思う
寛容
思いやり
少なくとも先の3つは人に求めるものではなく、自らが気をつけないといけないから。
臨機応変は、関係者の利害が一致してうまく動けばこれほど楽な言葉はないけど、一度うまくいかなかったり、利害が一致しなくなった途端に牙をむくと言う意味でとても危険。
また、経験上自他問わず、発言者本人の無計画を棚に上げるための言葉として使われることが多いため。
常識は今まで生きてきた上の
「こうしとけば揉めることはないor自分が責任を被らなくて済む」
の経験値でしかなく、生まれ育った文化、学問的バックボーン、経験した職種で全く違うらしいので臨機応変以上に危険を孕む言葉だから。
特に外国人相手にこれで臨むと大変痛い目を見る。たまに日本人同士でも同様。
分野ごとに違うことを全て常識と言う言葉から切り離したら、どれくらいの量の知識が人類共通の常識になるのか?
って疑問がたまに頭をよぎる。
会社での昇進とか、そういうところでの女性と男性の待遇差とか、
そういうところちゃうの?女性差別問題で議論しないといけない課題って…。
「ラブライブ」の女の子のスカートにシワが寄ってることと、企業での性別による待遇差に因果関係ってないでしょ。
そもそも、そういう古い慣習が残ってる大企業で、社員の処遇を決めてるヤツって大体、40代とか50代以上のおっさんじゃないの?
そんなヤツが「ラブライブ」にハマってるとはどうしても思えん…。むしろ、オタク嫌悪勢じゃねぇーのか。。
まぁ、「私が言いたいのはそうじゃない!」「企業の待遇格差と因果関係があるなんて一言も言うとらんわ!いちゃもんつけるな!」ってフェミから言われそうやけど、
それやったら、具体的に、「ラブライブ」の女の子のスカートと、男女差別の問題の、「何と」因果関係があるのよ。
「フェミニスト」には、「社会学者」とかいう肩書きがついてる人がいるのに、
いくらガバガバな文系、特に社会学とはいえ、あんなに破綻したお気持ちだけで学問名乗れるのフェミニズムくらいだし、
さらには「フェミニズム」が『学問』であるという体裁でカネを引き出してるわけで
「ミカンはお母さんが買うもの」フェミニスト学者牟田和恵氏の女性蔑視のステレオタイプ発言
https://togetter.com/li/1469374
恐ろしい事に一般人ならまだしもコレ有識者とされている奴の発言なんだぜ?
以下に社会学やジェンダーと言った代物の学問としての質が低く、フェミニズム自体、単に身勝手な思想でしかなかったと言う事が良く判るだろう。
フェミニストなんて所詮子供の権利や女性の権利と言う反論しにくい権利を悪用し、男女平等や児童ポルノまたは子供の悪影響やら等を言い訳に詭弁や綺麗事を弄していた連中なのだから、そりゃ傲慢に何でもかんでも自身のお気持ちの押し付けばかりしていたら、ボロも出るし、メッキも剥がれるのも当然だよね。
今まで世間に対して好き放題してきた分、それこそ日本に限らず本気でヘイトは溜まっているから、今後風当たりがきつくなるのは必然と考えた方が良いよ。
大真面目に恨み買っているし、本当の意味で弊害や実害を被った人も多いからね。
それこそ日本に限らずね。
ここ最近、フェミがどうでもいい萌えキャラコラボにことごとく因縁をつけてギャーギャー騒いで顰蹙を買ってる。
在特会と同じく、反日でも何でもない表現に「反日だー反日だー」と叫んで騒いでるのと同じ。
あれ、実は理由があるんです。
あれは「常に何かを攻撃していないと運動そのものが保てない段階まで追い詰められてるときに取る行動」です。
フェミニズム自体が、もうすでにならず者のネトウヨと認知されて来てる。
キズナアイに炎上を仕掛けて逆に火だるまになった辺りから、完全に、フェミニズムと社会学とか、左翼勢力のその辺が、学問としての権威も地に落ちてしまった。
学問の顔をしてるが、実際は何の裏付けもないただのヒステリーだとバレてしまったんですよね。
あれが大失態で、そのあと何を言っても「キモオタに、ぷ」と笑われる事態になってしまったんです。
他にも、身内のレイプをかばったり、いろいろありましたが、まあそれはおいておいて。
そのあと数多くの巻き返しを図りましたが、ついには「ひろゆきにまでdisられる」ようになりました。
つまり「フェミはネットの中でフリーハンドでぶっ叩かれる迷惑集団だ」と認知されなければ、ああいう所業はなかなかできません。
ネットの世論の傾向を読むのが上手い奴が、フェミ叩き側に回ったというのは、かなり象徴的です。
この空気感。10年前からネット右翼を見続けてきた人間なら覚えがあると思います。ネトウヨ酷使の在日バッシングブームが去り、ただの迷惑な奴らじゃんという共通認識ができてきたころ。
つまり、在特会が「ただの馬鹿芸人扱いされ始めて笑いものになってきた」ころ。まともな層が「ネトウヨにはまともな奴はいねえ」と見切りをつけたころ。
あの段階になると「あらゆるものを反日だ。在日だ」と連呼して暴れまわってたでしょ。
あれと同じ状況。「常に何か敵を見つけて構成員に襲い掛からせる餌を与え続けてないと、もう運動が保てないレベルまでボロボロになってる」ってことです。
だから、「運動を継続させるためには、とりあえず理論はどうでもいい。喧嘩を売ってから考えろ」という運動の自転車操業の段階に入ったということです。
始まりはキズナアイでした。あまりにも雑にキズナアイを攻撃したせいで、フェミの最大の看板であった「学問」という権威が「社会学(笑)」と言われるレベルまで落ちたことが問題でした。信頼回復に努め、きちんと学問としての正統性を回復するのを怠った結果、ただひたすら喧嘩を続け因縁をつけ続けるヤクザ化の道を選んだわけです。
だから、これから先も、とりあえず目についたものには因縁をつけ続けると思うよ。
そうしないとフェミはもう持たない。その結果余計に嫌われて先鋭化することを、おそらく上の人間は薄々わかってると思う。でもやめたらそこで終わり。だからやめられない。
仲間を増やすとかそういう段階ではなく、ただ「政治運動を続けて暴れるためにやってる」ということです。
かつては社会的不平等に立ち向かうフェミニズムも、ただ萌えキャラに襲い掛かるだけになってしまいました。
あれだ。がんばれ。
環境は必要条件でしょ。もちろん増田のように例外はあるかもしれんが、増田の例は標準偏差2レベルの例外だと思うよ。
それに、そういう環境で育って東大に行けたのであれば、逆に、周りを見渡して恵まれたものの多さに気づくはず。
増田はフラットに回りを観察することもできないのか。学問の世界は、知的に誠実にならなければならない。
私は最近内定をもらって心がほっこりしている一介の某国立女子大大学院生です。初めは博士に行くつもりでしたが研究の世界が思っていたのと違ったのでやめました。
就活中に思ったことを書きます。結論から言うともっと大学で社会常識的な話を教えてほしかったなという話です。特に博士を志望している人たちに対してそういうことを教えてほしかったなという話です。
今の日本だと小中高では要領の良いひとが評価されます。すなわち定められたカリキュラムの内容を効率よく身に着けた人ほど試験でいい点が取れ、評価されます。
そして大学に入ったとたんに学問への興味という崇高なものを持っているかどうかで評価されやすくなります。成績がギリギリでも卒業すれば良いので、学びの要領の良さはそれほど重要ではありません。私の周りだけかもしれませんが「純粋な学問」への信仰がもたらす価値観が学生全体にうっすら根付いている気がします。「なんでその勉強してるの?」に対して「〇〇に役立つからさ」ではなく「楽しいからだよ」のほうがカッコいいのです。オタクが評価される時代が来るのです。ありがとう!おめでとう!
そして大学院に入ったとたんに要領の良い人が評価されるように変わります。大学院は大学の延長戦ではなくアカデミアという社会のスタートです。アカデミアではコンスタントに研究成果を出し続けることが大事になります。研究成果がデカいこととコンスタントに出すことだと後者が大事です。研究成果を出す営みの大半は研究ではなくサーベイと執筆です。好きなことに没頭したりこだわりを持ったりするオタキズムは、要領が良くなるように制御できたら便利ですが、そうでない場合邪魔です。オタクでもオタクじゃなくても生きていけますが要領が悪いと死にます。
ということで大学学部の居心地の良さが、要領が悪いオタクには優しくない構造になっています。要領をよくする圧力を学部時代にかけてほしかったのですが、残念ながらかけられませんでした。就活中のインターンで、働くコツとしての本音と建前、みたいなものを教えられて、アーもうちょっと早く教えてほしかったなと思いました。
大学は学問をする場所なので、要領の良さのような職業研修をするのはふさわしくないと思っていましたが、少なくともアカデミアも社会なのだということは教えてほしかったです。
↓
だから、外部に良く知られているバブルソートですらN=1,Bigっていう特殊解(一般的ではないが現場では良く使う)がある。
選択用の項目が16個あるだけで6万通りの組み合わせがある。
部品ひとつでそんな感じなものを、1つ1つ大学で教えてもらうような理論を初歩として多数組み合わせて選んで
比較的楽な、オープンソースですら内部をけっこう読み込んでいって合わせこむか、こまないかで
他の職業だってそうだけど、ITは大学で学問があるくらい大変なコース。
みんなと、お話し合いができる簡単なバブルソートでこのざま。もうちょっといくと『木の均衡』とかがでてくるけどこの辺になってくると
アルゴリズムの中でも簡単で有名なソートのなかでも、さらに簡単なバブルソートを見ても
N=1,N=Big Dataのときはそれまでならっていたアルゴリズムどおりの評価式ではなく特殊解になる
ということを学んだ。この辺は だいたい子の量でもしっかり学ぶと大学で1単位か2単位
バブルソートだけ見ても、特殊解はこのN=1,Bigという1組だけではなく、たくさんの特殊な事例があるだろう(構成による)
選択と言うのは2択であったとしても16個懸念要素があったら6万通りぐらい
32個合ったら40億通りぐらいの組み合わせがあるので
とてもじゃないが、総当りでは一般的には終わらない(当然この理屈にも特殊解はアル)
IT分野は、ようするにこういう沢山の基礎知識にもとづいた特殊解の理解が必要になるので
基礎的なkとだけでも、学問として教えると大学4-6年となるし
さて、これでようやく、ITの勉強に入る前に、基礎的なことを教え終わったんだけど
ITの何を教えればいい?
なんでこんなことをいうかというと2週間で作ったものは
自分たちでも3-4週間もあればできるだろうという人が
こういう話をしないといけなくなる業界なので注意
ちょっと前にアメリカでの用例見て思ったのは金にならない学問がリベラルアーツとくくられてるんじゃないかなということ。
今どきは金の臭いがプンプンする統計学はもちろん、数学全般入れてもらえ無さそうだし、物理も除外される。語学も入らない。
リベラルアーツに入れてもらえてるのは文学などの芸術、宗教学やソーシャルサイエンス全般あたりみたい。
Wikipediaで答え合わせしたらまた別の分別がされていて、人により、場合により境界はブレてるのかなと思った。
https://en.wikipedia.org/wiki/Liberal_arts_education#Modern_usage
総論としては間違っていないのだが、絵を総論で考えることが間違っている。
研究・論文などは大学以降ですることであり、当然その前提として小中高という基礎があるはずが、絵については誰もそこまでの学習をしていないのだ。
本来は「小学校の授業」レベルで考えるところから始めなければいけない。
これは馬鹿にしているのではなく、数学をやりたいならまずは算数が必要なのと同じで、至極まじめな話である。
抽象思考が得意な人もいれば、感覚で捉えるのが得意な人もいる。
絵も同じだ。
イメージ力のあるなしからしてれっきとした個人差があり、一概に方法論など語れないのだ。
この増田もデッサンなどという言葉に振り回されているのが悲しい。
美術でいうデッサンと、いわゆる漫画アニメ界でのデッサンという言葉は意味が違うのだが、そのことは知っていただろうか?
巷にあふれるド素人の戯言に騙される被害者がこれ以上増えないことを祈るばかりである。
絵を学びたいなら有能な先生を見つけよう。
学問の世界ではネット情報を教科書に勉強する人などいないはずだ。
それなら何もしない方がマシである。
現代社会はいらないと言っているのに、今の東京は使おうとしている時点で詰んでいる件
しかし平成には多くの若者が自然参加した素晴らしい「新鮮な日本」は使おうとしない
平成10年から東京を中心に灘、開成、江戸川取手、女子御三家などの有名私立高校の(自慢を兼ねた)全国的高校偏差値差別ブームの到来
Z会などが用意した新しい教材が全国的に読まれ、添削指導にも花が咲いた
その後も、福岡や大阪、東京で、ネットカフェ、吉野家、マクドナルドなどの初オープンという、それまでになかった鮮やかな新型文化のパレードがあった
そして河合、駿台、代ゼミなどの予備校で花開いた爆笑講義や、東大京大早慶などの冠模試、
これらを使い倒して現在の東京都心部の文化を形成した、3、40代の真夏のような旋風があった
その渦中にいた者たちは「醜悪な国家を排斥し、自分たちが新しい時代を作る」と、肩で風を切ってこの島を席巻した
多くの頭脳派が夜も寝ずに使える教材は使い倒し、やりがいをもって生きて生きて生きまくった、真夏のような時代だった
その過程で、全国の学問、大学は切り捨てられ、大学は東大京大早慶だけが残された
そんな「新鮮な日本」があったのが平成、今後もそんな様にできないならお先真っ暗だ