はてなキーワード: 動詞とは
原稿の段階においてはこれまでより表面的な文章それ自体に関する事柄が重要となる。冲方はこの段階を「肉書き」「皮書き」の2段階に分けるが、原稿の執筆と推敲をそれぞれ意味しているに過ぎない。本稿では表現上の混乱を招くだけであるため、特に冲方の分類には従わない。
さて、西谷のように本一冊を使ってこれを解説したているものも存在するが、その内容は全て基礎的な日本語文法の復習であり、独自の知見は少なく、例えばうなぎ文などを交えた日本語文法それ自体に関する細やかな議論があるわけではなく、また修辞技法に関する詳細な分類と効果について言及しているわけでもない。会話文の閉じカッコの前に句点は付けない、中黒ではなく三点リーダを偶数個使う、といった些末な作法をめぐるこれらの内容について本稿では特に言及しない。
文法、作法上の間違いではないが避けた方が好ましい表現についても、断片的ながらそれぞれの作家ごとに主張されている。例えば水島の「同じ語尾を連続して使わない」「台詞以外で「である」「なのだ」という語尾を使わない」「三点リーダと感嘆符の多用を避ける」、榎本の「三行以上にわたる一文は避ける」「会話の順番を固定し、誰がしゃべっているのかフォローの文なしでも理解できる方が良い」、西谷の「物事が起こった順番に書く」などである。
とはいえこれらは絶対に避けねばならないものではない。例えば同じ語尾を重ねることは畳語法として効果的に機能しうる一つの技術である。会話の順番を固定する、というのも、例えば5人の登場人物の会話順が完全に固定されて順に発言しているような状態が自然な会話文として望ましいとは思えない。それぞれ場合によって使い分けられるべきであろう。
よって本項では各作家によって提案されたいくつかの修辞技法についてを断片的ながら俯瞰するにとどめる。
水島は「明るい文」「ラノベ文体」として、「難しい表現を使わず、何が起こったのか一目でわかる」こと、「読者がハイスピードかつリズミカルに読める」ことが望ましいとする。
具体例として次の例を挙げている。
「すごい美少女だ!」
俺は驚き、つい声を上げた。と、同時に……、
――ドカーン
背後で、謎の爆発が!
なぜ難しい表現を避けるのかといえば、「読者は気合いを入れて読んではくれない」「メインターゲットとなる読者である中高生は学校の登下校、勉強の合間などに読むので、集中して読んでくれない」からだとする。「ラノベは読み飛ばされるのが宿命」だと水島は言う。これに近しい意図を持つ指摘としては、榎本による「ガイド」の提案がある。ガイドとは榎本独特の表現であるが、「シーン冒頭に「これがどういうシーンなのか」がわかる描写を書き込む」もので、つまりそのあとの文を読み飛ばされても何が起きたのかざっくりとは理解してもらえる、という効果が期待されているものである。
何が起こったのかわからないような文章を避けるべきなのは当然だろうし、テンポ悪くだらだらと薀蓄を書き連ねたようなものは(それをウリにしている作家もいることは事実だが)大体の場合避けるべき、というのはさほど違和感のない話である。
とはいえ学校の登下校、勉強の合間などに遊ぶテレビゲームや携帯ゲームは集中されないのか、といえばそうではないだろう。読者が集中してくれないのではなく、読者の集中を誘うだけの内容が無いからではないのか。
読者はバカだからバカでもわかるように書きましょう、というのは、逆に言えば中身の無さ、文才の無さを読者に責任転嫁しているに過ぎないとも考えられる。筒井は様々な実験的小説を書いてきたが、それは「読者の理解力に対する理解があってこそであった」と自分の読者ならわかってくれるという確固たる自負が見て取れる。もちろんそれは既に作家としての名声を確立した後だからこそ、という面は否定できないが、作家から読者をバカにしていく、という水島の姿勢はいささか理解に苦しむところである。
クーンツは作家に与えられたチャンスは最初の3ページだという。第一文から始まる3ページで面白いと思わなければ読者はそこで読むのをやめる。そして読者を3ページで魅了するための技術として、過激なアクションに始まること、ユーモアを含ませ、一度冷静に状況説明をしてから再度緊迫した場面展開に話を戻す、という手順を紹介している。
一方で西谷は望ましい書き出しについて、いくつかのラノベの冒頭を並べてその傾向を述べており、主人公の描写、自己紹介、考え方から始まるタイプと、主人公の目に映るものを描写する書き出すタイプの2通りのいずれかが望ましいとしている。
また忌避すべき典型例として「壮大な書き出し」を挙げている。例えば人類の9割が滅んだ世界であることを厳かに説明するような文章は避けるべきと言い、それくらいなら他愛もない会話からはじめ、その途中で人類の9割が滅んだことを明かす方が望ましいとしている。
人類の9割が滅んだ、とは物語背景となる情報であり、重大だが具体的な動作を連想させる情報ではない。それに比べると会話文は動作とひもづくものであり、その意味ではクーンツの「アクションに始まる」という内容と大きく矛盾するものではない。
しかしながら、これも絶対的に忌避されるべきかといえば難しい。
例えば名作と名高い「猫の地球儀」は
と、まさしく壮大な書き出しで始まる。「同じ語尾を連続して使わない」に余裕で違反する3連続の接続助詞「で」に加え、何の説明もなく独自の専門用語を第二文目で出すなど言語道断である。
しかし筆者は、上述の水島のドカーンをはるかに凌駕する圧倒的な魅力をこの書き出しに感じる(もちろんそうは思わない人もいるだろうし、それを否定する意図はない)。
作家に与えられたチャンスは最初の3ページだ、というクーンツの主張には、一読者としての経験則的に筆者も同意できるところではある。しかしではどういった書き出しが望ましいのか、といえば一概にこうでなければダメだ、というのは難しいように思われ、筒井による「いい書き出しかどうかは結局のところ作品全体の出来に左右される」という指摘がもっとも妥当であるように思われる。
従って、アクションから入ろうが主人公の身の回りから入ろうが壮大な書き出しで始まろうが、3ページで読者を作品世界に没頭させる内容が実現できればそれで問題は無いと言えるだろう。
頭に浮かんだ順に適当に書いていくと散漫な記述になりがちであるとして、西谷は「自分が描こうとする場面を実際に図に書いて、どういう順番で描写するかを決める」のが効果的だとする。この主張はその場に存在する様々なものを具体的に詳細に想定しているかどうかの事前確認という意味合いが強い。
また、「目に見えるものだけを書いていると、リアリティーのない文章になってしまう」として五感への意識を促す。嗅覚については言及されることが少ないが、特に音については場所、方向、登場人物の存在を示す役割を果たす効果的なものだとする。また西谷独特の主張として、足下の変化は触覚という点で効果的であると主張する。
こうした西谷の指摘に加えて榎本による「静止したものだけでなく動作する物を混ぜる」という指摘を考慮すると、情景描写の臨場感とはその情景における時間経過ではないか、と筆者は考えている。
止まった絵ではなく、音や匂いを含めた一定の時間の流れを含めた「図」が望ましいという意味では、作家は西谷の言うような「図」ではなく「絵コンテ」を書くべきだと言ってもいいだろう。
仮に作家が自分の想像を完全に文章化でき、そこから読者が作家の想像通りに完全に場面を想像できるとした場合、静止画が再生されるよりも動画が再生された方が臨場感が高いのは言うまでもないし、そこにに音や匂いも付与されているのであれば、臨場感はさらに高くなるだろう。
絵コンテという考え方はまたカメラワークへも影響すると考えられるが、映像作品におけるカメラワークのセオリーとこうした娯楽小説における情景描写の順序や方法の類似点、相違点については十分な調査と検討が必要と思われ、本項では今後の検討課題として割愛したい。
より良い場面の切り替えについて、クーンツによる指摘に触れておきたい。クーンツは「ひとつの場面が終わったら、すぐさま読者を次の場面へ案内しなければならない」こと、そして簡潔さを重視する。例えば主人公は一人自室でテスト勉強をしている場面Aと、学校でテストを受けている場面Bを連結させるとする。この間にはもちろんさまざまな出来事、例えば寝て起きて朝ごはんを食べて家を出て電車に乗って学校に到着する、といった過程があるはずだが、それらをだらだら書くべきではなく、場面Aが終わった次の文ではテスト中の主人公を描くべき、という。
これは場面の切り替えにやっつけ仕事めいた過程を描く必要は無い、という単純な指摘に留まらず、各場面はプロット上必要不可欠な要素であるべきで、必要のない場面を含めるべきではない、とも理解できる。例えば場面Aのあと電車でヒロインと遭遇させる必要があるのであればそれを場面Cとして独立させ、プロット上場面AとBの間に配置すべきである。
クーンツは会話は全体の20~30パーセントは必要だとする。一方で30ページ以上続く会話文も問題であるとしており、当然であるがバランスが必要である。
その場に登場人物が2人しかいないときに、いちいちどちらの発言か説明しないと読者が理解できないようならその会話が悪い、という指摘や、「「言った」という動詞が連発しないよう、表現を工夫する、などというのは過ちである」というのはなかなか面白い指摘と言えるだろう。クーンツは発言内容が重要なのであれば、それ以外の「言った」という表現を「尋ねた」「口を開いた」「聞いた」など必死に工夫する価値はないとする。一方でアクションシーンでは動詞の選択は重要だとしており、その場で強調すべき要素とそうでない要素を区別することを要求している。英語と日本語の違いはあれど、これは文章のメリハリを付ける上では面白い指摘と言いうるだろう。
ヒックスは会話の機能として、「ストーリーを前進させること」と「登場人物を明らかにすること」を挙げるが、特に後者については人物の性格を読者に理解させる重要な要素だ、と換言できるだろう。
このようにクーンツ、ヒックスはともに会話文を重要な位置づけにあるとみなすが、一方でラノベ作家陣からの指摘として、榎本は「キャラクターの会話ばかりで「そのシーンはどういう状況なのか」「今どうなっているのか」が全く書かれていない作品」を批判する。
この点については筒井が「描写や展開が面倒なのですべて会話で片付けようとする」ことを批判しており、何のために会話文を書いているのか、という目的意識に違いがあるように考えられる。すなわち情景描写が苦手だから、間が持たないから、といった問題を正面から解決するのではなく、会話文で埋めることでごまかすようなことが榎本や筒井の批判するところと言いうるだろう。
説明するまでもないが、小説では一人称体、もしくは三人称体が多く用いられる。この人称に関しては、どの創作技術本でもありがちなミスとして、一人称体にも関わらず語り手の知り得ない情報を記述してしまう、という点がよく指摘されるところである。
一方で三人称体は登場人物の知りえない情報を記述することができるという利点があるが、一人称体がその語り手が同化する先の人物への感情移入を惹起しやすいのに対し、三人称体はその点で劣ると言えるだろう。
このことから水島は、「楽しさ重視のコメディは一人称」が望ましく、「複雑なストーリーは三人称が向いている」としている。では一人称体と三人称体を組み合わせて書けばいいのではないか、という意見については、それは読者の理解の混乱を招く手法として否定し、また三人称体においても実質的には「主人公が今どうなっているか」を中心に描くことが望ましいとしている。
一方で飯田は三人称体をとるメリットは「キャラクターそれぞれの内面が描ける」点にあるとしている。実際「インフィニット・ストラトス」を例に、飯田は一人称体と三人称体の混濁を否定せず、それどころか「主人公の一人称視点と、ヒロイン寄りの三人称視点を使い分けて全ヒロインからの愛され感をもたらしている」と高く評価している。
とはいえ三人称体として振る舞いつつ登場人物それぞれの視点に入ったり、といった視点を「神の視点」と表現し、これは避けるべきものだとする論調は少なくない。
一切言及されていないが、現実には三人称体に一人称表現が入り込む技法は自由間接話法と呼ばれて存在し、主人公の知る由もない情報を描けるという三人称のメリットと、感情移入を容易にする一人称のメリットを同時に享受できる極めて強力な技法である。
なぜ言及がないのかといえば、これを多用する作家はさほど多くなく、むしろ全く使わない作家の方が多いことから、おそらくはプロの作家自身、これを人に説明できるほどうまく扱える自信が無い、ということが原因ではないかと思われる。
他方、これと似て非なる技法に「神の視点」があり、これについて触れたものとして、クーンツは「ストーリーの途中で作家が登場人物を批評したり意見を述べるのは19世紀の時代遅れな手法」としており、もはや使うべきではない技法だとしている。
端的に言えば「あぁ、神よこの男を憐れみたまえ」といった大仰なそれに対する指摘であるが、例えばH.P.ラヴクラフトなどは意図的かつ効果的にこの神の視点を用いていたように筆者は考えているし、町田康の有名な「あかんではないか」などは見事にこれを活用した好例と言いうるだろう。
筒井はこれを「劇化された語り手」であるとしているが、これについてはまた詳細かつ精密な議論が必要であることから本稿では割愛する。
水島は夢や過去の回想について、これらは今誰が何をしているのかがわかりにくくなる、述べており、またこの点についてはヒックスも同様の指摘をしている。「バック・ストーリーの情報を提示するのに最も効率が悪く気の効かない方法が、フラッシュバックである」と、フラッシュバックはドラマの勢いを失わせるものだと注意を促している。
一方で、筒井による「遅延・妨害」に関する記述はある意味でこのフラッシュバックの効果を逆用したものとも言いうるだろう。具体的内容としては、「読者の疑問を宙づりにしたまま進行させる」ものである。特にクライマックスの直前など、いよいよ事態が緊迫し抜き差しならない状況であることを描いたところで、突如穏やかな場面に切り替えて「あれはどうなっているんだ」と読者の不満をあえて買い、じらした上で緊迫した事態の展開に再度移る、ということでより大きな満足感を読者に与える効果があるとする。
クーンツもその冒頭において、過激なアクションの次に一度冷静な場面を挟み、再度戻る、という手法を提案しているが、効果としては似たようなものだろう。
推敲の重要性を否定するものは一つとしてない。しかしどう推敲するか、という点について具体的に述べているものはそれほど多くは無い。例えばキングによる6週間空け、そして1割削減する。ワナビにとっては6週間も余裕がないことの方が多いだろうが、一定の時間を空けて自分自身で読み直すことの効果は少なくないだろう。
冲方は推敲の要点として、「冒頭とラストにインパクトと引きを作る」「事件とはあまり関係のない人間の登場を減らす」「専門用語は前半は少なく、後半は多くする」という推敲の指針を挙げる。最初の2点はプロットレベルでの書き直しが要求される内容でもあるだろうし、そもそも事件(物語)に関係ない人物を登場させる意味はなにか、という疑問もあるが、専門用語の配分などは参考になるだろう。
最後に、推敲は一度で終わるものではない。アイディア、プロット、原稿まで順に進めるとこれまで述べてきたが、推敲によって再度プロットへ、またはアイディアまで戻ることはいずれの説においても当然のこととして主張される。
http://anond.hatelabo.jp/20141219210418#tb
知ってる研究の世界では、上から引き継いだお題をそのままコピペし動詞を受動態とか助動詞変えたりとか加工する人多い。
それに、コピったりパクったりって、医学系の研究者は医師免許持ってない生物系研究者おw低レベルって馬鹿にする。
そして馬鹿にする割には化学・物理・情報系の研究者を遠巻きに見て批判するだけ。
でもあいつらは医師免許ないんだって馬鹿にしながら、理工学系の築き上げたツールを我が物顔のように使いまくる。
なんか、既得権益っていう謎の優越感があるんだよね。医師免許持ってる研究者って。
生物系出身の小保方さんが医学部出身の研究者の中でやっていけるとは、2月の時、最初は目を疑っていた。
だって、医師免許持ってる方から見たら結局は、医学のことわからないしかも私立出のただの生物系の人ってだけ。
生物の人は数理プログラミングにもたけていないし、エントロピーすらわかんねえだろwwwとか馬鹿にした態度で批判されやすいピペット奴隷。
そんなのが医師免許持ってるエリートのとこで論文発表したらドッコイドッコイの下世話な周りが叩いて当たり前なわけ。
それに、理工系の博士課程崩れとか人間関係やピペット奴隷になって、精神病んだたくさんの博士号持ちの人たちは彼女のできすぎたストーリーにもやもやするわけよ。
笹井先生がなくなったとき、うちの研究室ではニヤニヤしてる若手助教授とか面白がってどうなんのかネットにくぎづけだった院生ばかりが団欒していた。
自分はその時、研究でも、研究室内のいじめと人間関係でもうまくいってなくて困っていた時だったので、
彼が亡くなった時・・・いいなあ・・・重荷が取れてって感じたよ。
(笹井先生の抱えてる業績の重さに比べて、俺の重荷なんかksみたいな程度なんだけどね)
結局は、足の引っ張り合いなんだよね。
独自の没頭できる分野で、制限なく集中でき、かつ、自分にとって生きがいと生きていく糧をもてるフィールドがこの日本には本当に少なくてつらい。
つい先日亡くなったクロード・レヴィ=ストロースの「野生の思考」をたまたま読み途中なので書いておく。
以下引用「・・・性交と食行為の間に世界各地の人間が考えている非常に深い類縁関係の具体例にすぎない。この類推は強くて、その二つの行為を同じ単語で表す言語は非常に多い。ヨルバ語においては「食べる」と「めとる」はどちらも「わがものにする」という広い意味を持つ一つの動詞で表現される。フランス語でも同種の用法があり、consommerという動詞は結婚<床入する>と食事<飲食する>の両方に使われる。ヨーク岬半島のココ・ヤオ族の言語ではクタクタという単語が近親相姦と食人の二重の意味を持っている。・・・」
これを読んだ時、俗語での「女を喰う」が、「女を犯す」同義であることから、日本語でも成り立つことに軽い興奮を覚えた。人類みな兄弟。構造主義バンザイ。
10年が経った。新卒当時、出したエントリーシートは50社以上、
企業は1社もなかった。
でも、あの時、死ななくてよかった。
そして、就職活動で失敗して良かった。
言っても過言ではない。参考になるかは解らないが、
書いてみたいと思う。
■とにかく手に職をつけるという意識ができた。
落ち続けた俺は、とにかく手に職を持たないと、
どこも採用してくれないと考えるようになった。
そしてこの時、気付けたことは非常に正しかった。
「自分の技術」と「仕事の結果」だけが、仕事を持ってきてくれる。
という意識が刷り込まれた。俺は、就職活動を失敗したおかげで、
置いてもらえないか相談をした。
なるとのことで、アルバイト780円みたいな金額で
置いてもらった)
今でもこの時の考え方は凄く役立っていて、
0円でするというのが、非常に有効だと気付いた。
みんな「タダ」であれば、技能的に欠けていても、
お願いしたくなると解った。
実績を作ってしまえば、あとはその結果に見合った
応募していたが、それは間違いだと気付けた。
効率的に作業をこなす人であった。
全く向いてないと気付けたことは大きい収穫だった。
という作業は自分にとって
就職活動に失敗したおかげで、
自分が一生続けたいと思えることを見つけることができた。
就き続けれる限り、俺はハッピーだと気付けた。
■安定とは幻想だと知ることができた。
やりたくもない仕事に何年も就くことになるかもしれない。
その会社の企業人としては最適化されるが、他で通用するかは解らない。
自分の置かれている状況が悪くなっても、
自分のスキルを客観視できないので、転職するのが怖くなってしまう。
皮肉なことに安定を望んだ選択を続ける結果、
不安定要素が膨らんでいくことになる。
振り回され、仕事を辛そうにしているのを見ると、
なったことは、すごく良かったと実感している。
続けてくれた両親と、「お金は渡せないけど、ご飯2人分は
作ってあげる」と言ってくれた彼女には一生頭が上がらないと思う。
就職活動を失敗したおかげで、
自分にとって本当に大切な人に気付けた。
最優先で助けたいと思えるようになった。
―――――――――
あの時、本当に死にたかった。でも死ななくてよかった。
この言葉が届いて前を向いてくれたらうれしいです。
【追記】
思った以上にコメントをいろいろいただいたので、
道が切り開けることたくさんあります。
素敵な人生は転がってると思うので。
>大企業のこと、お前何もしらないだろ?
半年くらい前に辞めましたが、
ここ3年くらい働いていた会社は、
(中途採用で入れてもらいました)
一生、好きなことをして食っていくための力は、
>運が良かっただけだろ?
たぶん、その通りです。運が良かっただけです。
でも、無事故ではないです。書きませんでしたが、
彼女に振られてどん底まで落ち込んだり(半年後に寄りは戻せたけど)、
仕事の話いただいたりと、紆余曲折は今でもしょっちゅうしてます。
なんというか、就活失敗したおかげで、
転び方が上手になったと思うんですよね。
>俺も彼女ほしい
Qiitaに書こうかと思ったけど、言いたいことも言えない、こんな世の中じゃ。
モバイルファースト、APIファーストな文脈でハイブリッドWebをやってきた目からすると、サーバーサイドでHTMLを生成してページ遷移させるなどという90年代調のクラシカルな発想を基本に据えるフレームワークはとても斬新に思えました。HTMLをゴリゴリ生成するなんてよほど特殊な最適化をしようとするのでなければそもそも発想として出てこないです。それでいてDSLやメタプログラミング等のテクニカルな技法が宝石のように鏤められている様はまるでエジプト時代の骨董品を見るかのような趣がありました。turbolinkなどは、かつて表計算ソフトに出しゃばっていたイルカを思い起こさせる味があります。かつて慣れ親しんできたSPAが星のように遠い存在になりました。
Web界隈の人々がモデルだとかアクティブレコードだとか"MVC"だとかを非常に具象的に話す様を見るにつけ、お前らどんだけPofEAA読み込んでるんだよと畏怖していた時期が僕にもありましたが、どうやら彼等はRailsのクラスやディレクトリという特定の実装について話していただけだったようです。Modelという概念もこれだけ肥大化してしまったら、オリジナルな概念で彼等と会話するのは諦めるべきかなと思いましたし、Railsの"MVC"をアンクォートして語るのはもはや害悪であるとすら感じました。
Rails界隈の人がよく「Railsの流儀」や「正しい"MVC"」というのを口角泡を飛ばして議論しているのを目にするのですが、おそらく外に広がる不条理で火傷を負って快適なRailsの世界に引き篭もった結果としての一種のストックホルム症候群なのだなと思いました。いまやAjaxとかWebsocketとかWebRTCとかを組み込もうとする至極真っ当な方法論がとてつもない高難度に見えてきます。設定よりも規約、というのも一つの方向性だと思いますが、ドメインやサービスレイヤの名前空間を構築しようとしたりコードジェネレーションしようとしたりしただけで地獄のようなCircular Dependency罰を受けてしまったので、自分がとても間違った事をしているような気がしてしまいました。とはいえConcernsに特別な名前や役割を与えられても正直しんどいので、皆が皆libにゴミを放り込んでいく様子にも納得がいきました。
RailsをAPIサーバーとして使おうとするとまずビューが無くなってMとCだけになりますが、いわゆる"MVC"の文脈で育ったエンジニアがなぜ息を吸うようにFat ControllerやFat Modelを作ってしまうのかという事が良く分かりました。多くのRailsのリファクタ手法と称されているものはクラスを書くファイルを分割する事以上のものでは無いように思えたので、Rails使いを大きめなAPIサーバー案件に回すときはセットポジションでDDDの青本を投げつける必要が有るなと思いました。
ビューとコントローラを結合させた場合、結合テストはCapybaraとかのBDDでマークアップサイドとの干渉を恐れながら強い気持ちでメンテしていくしか無いのかなと思いました。おそらく脳に電極を埋め込んでいるか、緑色のランプを見るだけでハイになれる特殊な人にしか生き抜けない闇が垣間見えました。コントローラを薄くしてサービスレイヤを挟めばその辺りもうまくいけそうな気がしましたが、ビューからヘルパーやモデルがいくらでも透けて見えてしまうという状況では裏側の完全性に自信を持つ事は難しそうでした。
ビューがRubyを叩いて永続化レイヤと直接コミュニケーション出来るというのはとても生産性が高いのだろうとは思いましたが、こうして出来たパーシャルやら何やらをデザイナーとどうやって共有するかを考えると頭痛が痛くなりました。おそらく適当に切り出して綺麗な空間をassets以下に構築した上でpublicにRPCのような窓口を備えたゴミを量産していくのかなと思いましたが、もっと綺麗な方法はあるのかもしれません。でもきっとRails案件に関われるデザイナーはRubyもバリバリ書けるに違いないはずなので、ここが問題になる事は無いのだろうなと思いました。
RESTはとても美しいパラダイムではありますが、そもそもHTTPがさほど美しくないので歪んだ空間には目を背けるか勝手解釈を与える事で人は初めてRESTfulを名乗る事が出来るのだと思います。GETがbodyを(公式には)持たないという事について美しい説明を与える事は出来ないでしょう。サーチAPIはどうしますか。ステータスコード足りなくないですか。401エラーはどうしますか。そしてRESTはあくまでリソースを抽象化する美しい概念なので、アクションや副作用については貧弱です。動詞が足りないですし、一般動詞に狭義の意味を与えてドキュメントするのは二度手間にしか見えません。PUTには冪等性があるべきみたいなこだわりは家の猫にでも説教してればいいと思います。というわけで、REST的な設計を拝借することはよしとしても、「○○はRESTでは無い故云々~」みたいな注文はやめて頂きたいものです。
とか言わないで欲しいです。こういう時にセットでPHPをディスって悦に浸るのは知る限りRubiestとPythonistaと中学生だけです。それにこれはあくまでサーバーサイド初心者の感想なので、想像するにこれ系のFWは多かれ少なかれ似たような不満を抱えるものなのかなと思います。というわけで、おそらくこれから選択肢がある限りはRailsを使い続けると思います。
http://anond.hatelabo.jp/20140831021405
元増田です。analについて補足。色々ぐぐって調べてみました。英語の苦手な人は一緒に勉強しましょう。
まず形容詞には、
1.性状形容詞 beautiful, Japanese, goodなど
2.数量形容詞 numberless, muchなど
があります。
Analは性状形容詞です。性状形容詞について見てみましょう。
性状形容詞 : 事物の性質、状態、種類などを示すもの。形容詞の中で最も頻繁に用いられる。
物質形容詞 : 物質から作られた形容詞。 woolen socks
固有形容詞 : 固有名詞から作られた形容詞。 the Japanese language
分詞形容詞 : 動詞の現在分詞、過去分詞が形容詞になったもの。 running water
(引用 ttp://english-runner.com/top%E3%81%B8/%E8%8B%B1%E6%96%87%E6%B3%95/2-5%E3%80%80%E5%BD%A2%E5%AE%B9%E8%A9%9E/)
1、限定用法:名詞と直接結びついて、それを修飾する使い方。形容詞は修飾語である。
2、叙述用法:形容詞自らが「文の要素」となる使い方。この形容詞は修飾語ではない。
(引用 ttp://roundsquaretriangle.web.fc2.com/text/005_05.html)
Analのような物質形容詞は叙述用法(補語をとるやつ)には使えないと思います。別の意味があれば可。
ちなみにanalには「どうでもいいことに執着する」という別の意味もあるので、それなら叙述用法にも使えます。
He is anal. (彼はどうでもいいことに執着する)となります。
つまり肛門のという意味でのamalは名詞だけを修飾する形容詞。
Anal fuck, anal sexは正しいが、He is anal.だと別の意味になります。
Analがかわいい、analを舐めたい、analが臭い、は全て間違った用法です。
The anal wrinkles are so cute. (そのアナルのシワがとてもかわいい)
I want to pass my tongue over the anal surface . (そのアナルの表面を舐めたい)
The anal's smell is stinky. (そのアナルの匂いが臭い)(この場合、stinkyでなくgood, great, excellent, amazingでもよいかもしれません。)
とすべきでしょう。
但し、analが名詞として世間一般に浸透していることを考えると、アナルはいわゆる和製英語と言えるかもしれません。
その場合、アナルは日本語の名詞として認めてもいいかもしれません。
あと余談ですが、analはアナルと発音しません。カタカナにするとエィノに近い発音です。ルの音はほとんど消えるようです。
有名なOxford Dictionariesです↓。発音記号横のスピーカーみたいなのをクリックすると正確な発音を聞くことができます。
ttp://www.oxforddictionaries.com/definition/english/anal
http://d.hatena.ne.jp/tvhumazu/20140420/p1
自発的表現
五段活用動詞の「未然形+さる」、上一段・下一段活用動詞の「語幹+らさる」 共通語には存在しない自発的表現となる。一部の特定の動詞で用いられることが多く、「進んでそうしようと思っているわけではないが、状況が自動的にそうしてしまう」という心情を表せる。
●この本面白くて、どんどん読まさる。 - この本が面白いので、どんどん読んで(読めて)しまう。
●この塩辛旨くて、ご飯たくさん食べらさる。 - この塩辛が旨いので、ついご飯をたくさん食べてしまう。
ふむふむ。
このチンポ気持よくて、腰動かさる。 このチンポが気持ちいいので、腰が動いてしまう。
主語と動詞と目的語がねじれています。不必要な修飾の重なりにより文意が通りづらくなっています。
もうちょっと日本語ガンバレ。一貫性というならば「性的同意年齢」でぐぐればいいじゃん。
だ、か、ら、言ってるじゃん、「児童の成長には“平均”がある」って。
“平均”のない知的障害者の恋愛に関する問題は比較にならないよ、って。読めよ。頼むから。
で、だ。性的同意年齢を13歳であるとするのは確かに“恣意的”だろうね、
医学・発達心理学双方から導き出した“平均”を適用する行為だ。
じゃあ君はどうしたいの?
「主体的」かどうか、どう判断する気なの?
子供にとって、小児性愛者が植え付けた自分に都合のいいだけの性愛観とどのように区別できるの?
個別ケースだって言ってんじゃねえか聞け。お前のIQが心配だよ。
そして性的欲求、精神発達、機能発達、感情発達、それらはIQで表現されない。
IQだけ見てOKだと思うのは愚かな知能指数一元主義だよ。90年代くらいにはいたけどまだいたんだね。
あと、なんでトラバしないの?
公立の中学→私立高校→私立大学→今の職場 と進んできた自分。
ふてくされておおっぴらに言えないような不良生活をした。
とうとう退学処分の一歩手前まで行ったが、先生のお情けで許して貰えた。
少しだけ特技のあった自分は、地元の私立高校に推薦で入学した。
無勉で受かったといっていい。そして、大学も同じように推薦で入学。
知識ははっきりいって中学生以下のレベルだ。一般動詞とbe動詞すら危うい。
「こんな成績見たことないよwww」と教授にネタにされて恥ずかしかったのを覚えている。
親に無理を言って東京の私大に入れてもらった事もあり、就活については一生懸命やった。
一応名前の知れている大学に入ることができたため、書類選考ではまず落とされない。
「一般常識」については、こんなバカでも問題集を一冊やるだけでスイスイ通った。
集団面接やグループディスカッションも難なく通過することができた。
遊んでいた時代に身につけた、盛り上げ方やハッタリの利かせ方が効いた。
真面目君やいい子ちゃんが多すぎるのだ。
コツさえ掴めば内定は有り余るほど手に入れることができた。
「ああ、真面目にやらずとも、一流の会社に入ることはできるのだな」
と世の中の不条理さに複雑な気持ちになった。
しかし。会社で働いて三年が経とうとしている今、息が詰まるような感覚に襲われている。
優秀な奴らが周りに多すぎるのだ。休みの日や帰宅後の時間をスキルアップに費やしてます、なんて奴ばかり。
飲みに行くと、平気でビジネス書の受け売りのような内容のことを喋る同僚。会社から独立したいとかなんとか言っている。
お前ら何のために金を稼いでんだよ。遊びたくはないのか。叫びだしたくなる。
あいつらは俺の遊んでいる話を聞くと(うわっ、)というような目で見てくる。
一方で地元の友人達は中卒にして働き始め、まだ30歳にもなっていないのに二児の子持ちなどザラにいる。
昔は遊んでいたものの、落ち着いて丸くなったような雰囲気の家庭を見ると羨ましくて死にそうになる。
就職してから知り合う人々は、計算高そうな雰囲気を持つ奴らばかりだ。
おそらく自分自身、そういう雰囲気を醸し出しているのだろう。似た物同士がくっつき合う。運命だ。
ご意見くださって、ありがとうございます。
例にあげたRPGのモデル設計はhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1178047006を参考にしました。
ですが自分で書くとしても、十中八九そのような設計にするでしょう。
モンスター.attack(勇者.attackPower)
勇者.attack(モンスター)
主語.動詞(目的語)
モデルに対する命令は、ふつう入力Controllerのイベントハンドラに書かれる。attackに関する命令はどちらの設計をとったとしても"攻撃が選択された"イベントハンドラに書かれるだろう。
モンスター.attack(勇者.attackPower)
だと、たとえばモンスターにダメージを与える要素として、他に「すばやさ」などを加えようとしたら、モンスターのattackメソッドを変更する必要が生じる。
また、FF5には"竜騎士のジャンプ"という攻撃方法があった。ジャンプを選択すると、竜騎士は空高く飛び、一定時間が経ったのちに落ちてきて、空中からモンスターを攻撃する、というもの。これを実装しようとすると、入力Controllerのイベントハンドラの直前の部分で別スレッドに投げるなり、タイマーを起こすなりして処理したくなる。
味方同士の”連携攻撃”を実装しようとするとやはり、入力Controllerのイベントハンドラを修正したくなるだろう。
つまり、悪い方の設計ではModel「勇者」への設計変更の都合で、Model「モンスター」や入力Controllerを修正する必要が出てきてしまう。
勇者.attack(モンスター)
では、どの設計変更の例でも、勇者側を変更するだけで良い。この設計には、クラス間の責任の分担がはっきりするという利点がある。
list.append(elem)でしょ。
リストは実質的にはオブジェクトというより、ただのデータ構造。
リストやディクショナリ(連想配列)は便利な道具だが、これを前面に押し出した設計は複雑さを招く場合がある。
たとえば、"複数のモンスターの集まり"や"ソートされたリスト"を、リストを継承して実装しようとすると、とたんにドツボにハマる。
Onスライムが仲間を呼んだ(){ スライムの集まり.append(スライム) スライムの個数ラベル.更新(スライムの集まり.length) if(スライムの集まり.length == 1 and スライムの集まり.get(0).name == "キングスライム"){ スライムの名前ラベル.更新("キングスライム") } }
スライムは8匹集まるとキングスライムになるので、最初の一行でスライムの集まりを変更して以降、スライムの個数を気にする必要があることに注意して欲しい。
上記のコードを洗練させるために、Model「スライムの集まり」で個数が変わった時にイベント"OnLengthChange"を発行するようにしても良いが、そのようにすると、lengthメソッドを安全に呼べるのはそのイベントハンドラのみ、ということになる。プログラマに注意を促すために、lengthメソッドのコメントにその旨を注意書きしておく必要がある。
"スライムの集まり"リストクラスは、プログラマが期待するだろうリストクラスの振る舞い《append後の個数はappend前+1》を破壊している。
"ソートされたリスト"は、appendメソッドをオーバーライドして、追加時に勝手に順番を並び替えてくれるようなものだが、これも《リストに要素を追加した時には、その要素は末尾に置かれる》というリストクラスの振る舞いを破壊する。スライムの例と同じように、イベントの発行とメソッドの注意書きが必要になる。プログラマはそれらのクラスを使うときに、より注意深くならなくてはいけない。
このように、クラスの振る舞いを壊してしまうようなクラス設計は、プログラマを地雷原におくりこむことになる。
とはいえ、リストのようなデータ構造を便利に使えるシーンもある。
はじめからおわりまで100行程度のスクリプトで、とくにイベントドリブンにするほどの複雑さがない場合。順序を追って読めるので、時間的な流れがわかりやすい。
一方、RPGの例で示したような設計は、オブジェクト指向をフルに使って、コードを責任に応じて役割分担しやすくなる利点がある。
前者は"トランザクションスクリプト"的設計と呼ばれ、後者は"ドメインモデル"設計と呼ばれる。
それが誤用だとする根拠は?辞書的な意味では教授は 教えるという意味の動詞の方が先に載ってたんだが
どういう根拠で誤用だとしたの?
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/56368/m0u/%E6%95%99%E6%8E%88/
4時(スウェーデンなう)なので寝ようと思って目をつぶったけど以下のことで頭がいっぱいになって寝れなくなってしまったので、記念に書いておく。
1.小学校
・英語の歌とかゲーム楽しいじゃんと思えればステップアップする可能性有
2.中学校
・英語の可能性を見出してるとか、高校入試で必要とか、とにかく前向きな人はステップアップ
3.高校
・高校のレベルで激しく異なるけどとりあえず進級・大学入試のために外せないので勉強
・外国語の学習が楽しいと思える人は大学で英語科やその他外国語を専攻する可能性大
4.大学
・先生によっては講義をとってもなにも習得できないまま終わる(例:私のフランス語とドイツ語)→両方のクラスで、主語や人称代名詞・動詞の変化をひたすら暗記…でも覚えてないし文章作れないし今となっては無駄。
・留学は手っ取り早い手段(例:私の英語とスウェーデン語)→1ヵ月しか文法の勉強してないけどある程度ならスウェーデン語で文章作れる・読めるのは多分、覚えることとか気にせずハイスピードで学習する中で自然と慣れていった。特に主語とか動詞の暗記活動はしてない。
・お高くつくけど、とりあえず喋る機会と目的意識の高い学習者がいるのでモチベーション高まる
7.サークル
・安い参加費、モチベーション高い仲間とコスパはいいけどあまり見かけない。カフェで集まるやつとかもっと色んな言語で増えたらいいのに。
・フィリピン系は安いが訛りがあると聞く。でも世界で話す英語のほとんどは訛りだらけなので別にいいんじゃね?英語話すのマジで無理アタシ初心者って人におすすめだと思う。
・ランゲージエクスチェンジなどの交流系。メールもスカイプもある世の中ですから…ある程度英語できる人ならこれもいい。私は続いたためしがないけど。
・海外からのナンパ野郎が集まる。まともな外国人と出会ったためしがない。男の人はウマが合うとすごい仲良くやってるように見えるけど、女の人はナンパ目的でこられるから、友達になりにくいイメージ。
10.ナンパ
・六本木や秋葉原にいる人に声をかけるとか。やったことないけどやってみたいとは思ってるけどできてないチキン。英語が最低限できれば、他の言語も広がる予感。
政治上その他の主義主張に基づき、
又は
目的で
人を殺傷し、
又は
ための活動をいう。
つまり
という要件を以て定めており,
まずは条文。
【特定秘密保護法4党修正案の全文:朝日新聞デジタル(強調引用者)】
第五章 適性評価
第十二条
1項 略
2項 適性評価は、適性評価の対象となる者(以下「評価対象者」という。)について、次に掲げる事項についての調査を行い、その結果に基づき実施するものとする。
一 特定有害活動(公になっていない情報のうちその漏えいが我が国の安全保障に支障を与えるおそれがあるものを取得するための活動、核兵器、軍用の化学製剤若しくは細菌製剤若しくはこれらの散布のための装置若しくはこれらを運搬することができるロケット若しくは無人航空機又はこれらの開発、製造、使用若しくは貯蔵のために用いられるおそれが特に大きいと認められる物を輸出し、又は輸入するための活動その他の活動であって、外国の利益を図る目的で行われ、かつ、我が国及び国民の安全を著しく害し、又は害するおそれのあるものをいう。別表第三号において同じ。)及びテロリズム(政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。同表第四号において同じ。)との関係に関する事項(評価対象者の家族(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。以下この号において同じ。)、父母、子及び兄弟姉妹並びにこれらの者以外の配偶者の父母及び子をいう。以下この号において同じ。)及び同居人(家族を除く。)の氏名、生年月日、国籍(過去に有していた国籍を含む。)及び住所を含む。)
二〜七号 略
3,4項 略
問題となる部分は以下(強調引用者)。
政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。
条文の書き方として,同じレイヤーには「又は」は複数置かれません。「A or B or C」は「A,B,又はC」と書きます。したがって,少なくとも「強要」「殺傷」「破壊」が同列ではないことは文言上明らかです。
ただ,それを踏まえても,上記の「テロリズム」の定義は,「基づき」や「目的で」の範囲がぱっと見分かりにくいために複数の読み方があるようにも見えます。
しかしながら,丁寧に読めば条文上に冒頭の構造が現れています。
すなわち,ブロックが最も明確な社会に不安若しくは恐怖を与える目的で
という部分は「○○に○○する目的」という書きぶりになっていて,これは直前の国家若しくは他人にこれを強要し
と同じ形式になっているから,両者の間(=最初)の「又は」は「強要し,又は与える目的で」と読める。
同様に「○○を○○する」でまとめると人を殺傷し
と重要な施設その他の物を破壊する
が並置されていることが分かります。
【第185回国会 国家安全保障に関する特別委員会 第14号(平成25年11月15日(金曜日))】
○近藤(昭)委員
(前略)さて、懸念があることがありますので、一つお聞きをしたいと思います。これは法案に関連することであります。
法案の第十二条の二項一号にありますテロリズムの定義についてというところなんですが、法案では、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。同表第四号において同じ。」とあるわけであります。
この文章どおりに解釈をすれば、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は」となっており、「又は」で接続をされていて、かつではないわけでありますね。そうすると、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要」する行為がテロリズムということに読めてしまうわけでありますが、その解釈はいかがでありましょうか。
○森国務大臣
全く同じ質問をこの委員会でも以前受けまして、御答弁申し上げましたけれども、この条文の「目的で」というところの前と後が、かつでつながっております。
つまり、条文の書き方でいうと、まず、目的がこういうものである、目的が二つ挙げてありまして、それが「又は」でつながっております。そのような目的を持った上で、今度、行為態様として、人を殺傷するか、または破壊活動というふうになっておりますので、目的が該当しただけでこの条文の構成要件を全て満たすわけではございませんで、このような目的を持ち、また、ここに書いてあるような行為態様、殺傷、または重要な施設その他のものを破壊する行為をした場合が該当するということになります。
○近藤(昭)委員
ただ、それならばなぜ、わかりやすいといいましょうか、今まさしく、そして殺傷したという、かつという言葉を使わないのかということを思うわけであります。いかがでありましょうか。
○森国務大臣
これは刑法法規の定め方でございますが、まず目的が書いてあって、その後に行為態様が書いてございますので、例えばそれぞれの行為態様がかつで結ばれている場合には、かつと書くこともありますでしょうけれども、目的と行為でございますので、これは別々の構成要件ということで、「目的で人を殺傷し、」といったときに、目的でまたは人を殺傷しとは読みませんので、ここはあえて、かつを入れないということでございます。
○近藤(昭)委員
大臣がそのようにおっしゃって、それがこうした法律の書き方だと。しかし、随分とこれは法曹界の方からも懸念が出ているということであります。律の書き方だと。しかし、随分とこれは法曹界の方からも懸念が出ているということであります。
森担当相は国会答弁でこの条文の解釈について、最初の「又は」は「かつ」という意味であり、「政治上」から「殺傷し」までを一つ続きで読むという珍妙な答弁を行った。
しかし、この条文の日本語は、誰が読んでも、「強要」と「殺傷」と「破壊」という三つの行為が「テロリズム」に認定されているという以外に解釈のしようがない。
内田氏の言説は,森大臣の答弁内容について誤解し,かつ,条文解釈を誤ったものです。
まず,森大臣は最初の「又は」は「かつ」という意味
などとは言っていません。おそらくは森大臣のこの条文の「目的で」というところの前と後が、かつでつながっております
という答弁を捉えたものだろうと思いますが,これは「又は」について説明したものではありません。
冒頭の結論を前提とすれば,12条2項1号は
という3要件から成り立っており,目的や行為のみでは「テロリズム」には該当しない。従って,「目的」を有し,かつ,「行為」を行った場合でなければ「テロリズムには該当しない。
あとは条文上の書き方の問題で,目的要件と行為要件の間には「かつ」を入れないのが通例です。(というか,別種の要件であればいちいち「かつ」は入れない。)
次に,三つの行為が「テロリズム」に認定されているという以外に解釈のしようがない
とする部分ですが,既に述べたように,行為類型は「人の殺傷」と「物の破壊」の2つです。
ちなみに,条文から動詞を抜き出すと,「強要し」と「殺傷し」と「破壊する」の他に「与える」という行為(by内田氏)
が存在します。この「与える」は「与える目的で」と書いてあり一見明白に目的規定なので,読み飛ばしちゃったのだろうと思います(私も最初は内田氏と同様の誤読をしたし)。
実際のところ,条文構造上最も大きい区切りである「目的」と「行為」の間に読点(「、」)が無いのは,現在の立法慣習上は不思議ではないのですが,とても分かりにくい慣習だと思います。
一昔前の法律には条文のタイトルも無かったように,立法技術も月進年歩の発展を見せているところですので,こういった「要件単位での区切りの明確化」を発展させて欲しいところです。