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はてなキーワード: 動詞とは

2015-09-17

パラレル上司

バレてもいいや的に。

上司へ、

作業Aと、作業Bが同時に平行して実行可能かどうかをパラレる/パラレないとかいう謎動詞を使って表現しないで下さい。

表現として面白みがあることは認めますが、

職務上のコミュニケーションにおいては、面白みよりも、相互齟齬無く迅速に理解可能であることを優先して下さい。

2015-09-12

冠詞theに関する回答翻訳

注1 your other two sentences = the other two sentences である

注2 主語 the reasons it wouldn't

   動詞 might just create

   目的語 more confusion

注3 この一文の正しい解釈が今の自分にはわからない。   

   ただ、to indicate~は、the meaningを修飾するものじゃなくて、change the meaningした「結果」を示す不定詞だと思う。

   the meaningは、「"all over." 」を受けているはず。

質問ページへのリンク

https://answers.yahoo.com/question/index?qid=20150904151357AAZyRwY

Best Answer: Short answer: you don't need it because you have the word "all."

簡単な答え:既に「all」という単語付属しているので、定冠詞theは必要ない。

All of these sentences are correct as they are written without the addition of the definite article.

冠詞が追加されない限り、これら全ての文章は正しい。

Adding "the" wouldn't be incorrect, but it is unnecessary and sounds a very awkward.

theを付けることが間違いとは言えない。けれど、不必要な上にとても奇妙だ。

The purpose of the definite article is to identify a specific example of whatever you're talking about.

冠詞役割は、あらゆる話題に上った事柄のうち、特定のものを指し示すことである

In all of your examples, there is no specific example being pointed to, because you're talking about all of them.

全ての例文で、特定のものが指し示されていない。なぜなら、特定のものではなく、「全て」に言及しているからだ。

"The" could replace "all" in some cases.

「the」は、「all」に入れ替えられる場合もある。

"The 26 people on board the plane were killed," is correct and means the same thing as "all 26 people."

「The 26 people」は正しく、"all 26 people." と同じ意味になる。

It wouldn't work that way with your other two sentences 注1

同じ理屈は、他の2つの例文には当てはまらない。

, and the reasons it wouldn't might just create more confusion. 注2

当てはまらない理由は、更なる混乱を招くだけかもしれない。

For #3, you could write "all of the chapters." In #1, "all of the" would make it sound like there may have been more than 26 people.

③では、"all of the chapters."と述べてもよい。①の"all of the"は、その26人以外にも人がいたかのように聞こえる。

It doesn't work in #2 because "all corners" is sort of a figure of speech that just means "all over."

②ではそういう風には解釈されない。"all corners"は、"all over." (そこいら中, いたるところ.)の意味を持っているからだ。

To say "all of the corners" changes the meaning to indicate that you're specifically talking about the corners,

and only the corners, which Africa doesn't literally have. 注3

In #1, If you were talking about specific ones out of the entire group, you would need to use "the."

①では、全体の中から特定人達言及するなら、theを使う必要がある。

For example, if only some of the people were killed on the plane and some were not,

船上のある人達が死亡し、またある人達は生き残ったとすると、

you could use "the" to talk about the ones who were killed.

死亡した人達に、「the」を用いることができる。

"The 26 people who were killed on the plane were all sitting on the left side.

左側に座っていた(その特定の)26人は死亡した。

Everyone seated on the right side survived."

右側に座っていた人達全員は助かった。

In #2, If you were talking about specific corners, you could say,

②では、特定地方言及しているなら、こう言える。

"the death trail touched the northern corners of Africa."

死の影が、アフリカ北部を覆った。

#3) "There are summaries at the beginning of the first three chapters"

最初の3チャプターには、要約がついている。

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

http://anond.hatelabo.jp/20150910215231

からの続き

自分の本当の想いに気づいたなら、あとは現実的な算段をつけていくだけだ。

僕が主に学びたいのは経済学である。だから経済学部のある大学を目指す。それは確定として、どの大学を目指すべきだろうか。みんなどうやって志望大学を決めてるんだろう。調べても情報が多すぎて混乱してくる。旧帝とかMARCHとかってなんぞ。ゼミとか研究室とか修士とか博士とかもよくわからない。そもそも大学の仕組みがよくわからない。最初のうちは学ぶ側で、そのうち教える側だったり、最先端研究をする側にまわる、というのはなんとなく知ってる。以前は「4年勉強して卒業」としか思ってなかったので、これでも大学に対する理解はだいぶ進んだほうだけど、やっぱり前提知識がいろいろ足りてない気がする。

いや待て、そういった知識的な問題よりも何よりも、その前にまず僕には大学受験資格がない。僕は中卒なのである。正確には高校中退だけど、数ヶ月しか通っていないので取得した単位なんてないも同然だ。どこを志望するとか、大学に通う資金はどうするとか、それ以前の問題だ。受験資格を手に入れなければ、スタートラインに立つことさえできない。まずはその問題から片づけよう。あとのことはあとで考えよう。

そういうわけで大検について調べてみる。どうもいまは名前が変わっているようで、高等学校卒業程度認定試験、略して高認という名称になっているらしい。試験は年2回、8月と11月に行われる。科目は、国語英語世界史A/B、日本史A/B 、地理A/B 、現代社会政治・経済倫理、科学と人間生活化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎、数学I。これらの中から8〜10科目を受ける。合格ラインは40点前後らしい。半分正解できればいいのだ。しか高校で習う教科ってこんなに多いのか。けっこう大変そうだ。文科省サイト過去問が公開されているようなのでひとつずつ見ていく。

まずは国語。大問が4つで、現代文が2問、古文漢文が1問ずつ。現代文のほうは普段から本を読む習慣のある人なら普通に解けそうな感じだ。僕もいちおうコンスタントに本は読んでいるし、現代文に関しては問題なさそうだった。古文漢文に関しても文章の意味は7割以上わかるし、試しに問題を解いてみたら全問正解だった。あれ? 古文漢文って中学でやるんだっけ? 独学でやった覚えはないから中学でやったんだと思うけど、20年たっても意外と覚えてるものだと思った。文法とかはさっぱりわからんけど。

英語に関しても問題なさそうだった。英語は二十代のころに必死こいて勉強した時期がある。1回だけ受けたTOEICは680点だった。そのあと半年海外放浪して日常会話くらいなら問題なく喋れるようになったし、これで合格点を取れないってことはまずあるまい。

次は世界史。これに関しても最近やったばかりだし問題なさそうだった。AとかBとかどう違うんだろ、と思ったけど、Bのほうが範囲が広く、より深い内容になっているらしい。高認の試験ではかぶっている問題が多いし、そんなに違いは感じなかったけど。ちなみにA/Bどちらを受けるかは当日に試験問題を見てから決めていいらしい。

日本史、もしくは地理。これは願書提出時に事前選択するようだ。日本史はかなり難しい。半分正解できるか、ちょっとあやしい地理のほうが点数を取れそうだったので、こちらを選択することにした。半分は正解できそうだけど、これに関してはちょっと勉強しておいたほうがいいか。

公民は、現代社会、もしくは政治・経済倫理から選択する。科目数は少ないほうがいいので、現社でいくことにした。毎日ちゃんとニュースを見ている社会人なら誰でも普通に合格できそうな内容だ。これは勉強する必要はないかな。

理科系科目は、化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎のうちから3科目を選択するか、もしくは科学と人間生活+どれか1科目。これも科目数が少ない後者でいこう。

科学と人間生活って聞き慣れない教科名だと思ったけど、理科総合のことのようだ。学習指導要領改定されて、つい最近こうなったらしい。試験は基礎4科目からそれぞれ易しめの問題が出される感じ。でも半分いけるかちょっと微妙ラインだ。これは勉強必須だなあ。

あとの1科目は地学基礎にした。これも以前は地学Iとかだっけ。地学I→地学基礎、地学II→地学、みたいな感じで変わってるようだ。これも半分いけるか微妙。勉強必須

まあでも理科系科目がちょっと不安なくらいで、全体的にはけっこう余裕かな。なあんだ、身構えて損したよ。ハハ。ああ、そういや最後に数学が残ってたっけ。まあこれも余裕かな。ハハハ。じゃあちょっと過去問を見てみようかな。

え? これあれでしょ? 東大入試問題でしょ? ちょっと文科省さんしっかりしてくださいよアップするファイル間違えてますよやだなあもホントかんべんしてくださいよマジでマジで……。なんぞこれ……。1ミリわからん……。死にたい……。

マジやばい。本当に本気で1問もわからない。最初のほうのサービス問題っぽいのすらわからない。解き方がわからないとかじゃなくて問題文の意味すらわからない。なにこれマジやばい。というかいまさらだけど自分は文系だったのだとこのとき初めて気づいた。プログラミングで飯を食ってたりするんだからてっきり自分理系なのだとばかり……。マジかよ……。

嘆いていてもしかたない。これをどうにかしないことには大学には行けないのだ。ならどうにかするしかない。

まずは本屋で数Iの参考書立ち読みしてみる。なるほど、わからん。よし、次だ。中学数学参考書。なるほど、わからん。よし、次だ。算数の本。なるほど、わかります。でも、最大公約数とか最小公倍数とか通分とか約分とか、けっこう難しい。小学生ってこんなのやってるのか。すげえな。

参考書ドリルを何冊か買って帰り、勉強を始めた。地獄のような日々の始まりだった。

算数ドリルをやってみると、四則演算はさすがにできるけど、九九がところどころ記憶から抜け落ちてることに気づいた。やばい。そして分数の計算がまったくできない。分数の割り算ってなんだよ。割り算で割るってどういうことよ。意味わからん。と思いつつも、算数についてはなんとかなった。問題は中学数学からである

算数から数学になると急激に難易度が上がる。なんでマイナスマイナス掛けたらプラスになるの。分数の割り算が今度は逆数の掛け算になるとかどういうことよ。ちょっともう本当に意味がわからない。そうしているうちに1週間、2週間が過ぎる。やばい。それでもぜんぜんわからない。中学数学最初の段階でこれだけ時間かかってたら数Iを終えるまでに何年かかるんだ。本当にこんなので大学へ行けるのか。さすがに焦りが出てくる。心が折れそうになる。何より、やっていてまったくおもしろくない。つまらない。こんなの社会に出てから何の役に立つんだ。これを必修にするとか文科省陰謀だろ。あ、人が陰謀論に走るのは精神的にまいってるときなのか。ひとつ勉強になった。

そんな感じでウンウン唸りながらも参考書を読み進めていると、「-xは係数に1が隠れている」という一文が目に止まった。あ、そうか、-xは、-1x、-1掛けるxってことか。なるほど。でもこれって、マイナスだけじゃなくてプラスでも同じじゃないか? つまり、xは、1掛けるxなのだ。あ、これって文字じゃなくても同じか。つまり、5は、1掛ける5だ。あれ? もしかして、どんな数にも、係数として1が掛かっている……? ああなんだか考えすぎて頭がパンクしそうだ。脳みそギシギシと軋む音が聞こえる。でももうちょっと考えてみよう。

つまり、つまり分数も同じなのだ。1/2は、1掛ける1/2だ。算数的にいえば、ケーキ1個を半分にしたものがケーキ1/2個だ。うん、それでいい。でもよく考えたら、ケーキを半分にしたあとで他の誰かがやってきたら、その人は最初の大きさを知らないのだから、半分のサイズケーキを1個とカウントするはずである。1/2個とカウントするには、「半分にした」という事実認識必要なのだ。いや待て、そもそも、1/2という数字それ自体が「半分にする」という意味なのだ。これは、「半分」という名詞ではなく、「半分にする」という動詞なのだ。1/2というのは何か実体のあるものではなく、「いまからお前を半分にしてやる」という意思、考え方、概念なのだ

そのときバタン!」と音を立てて扉が開いた。それは数学の扉だった。

そうだ、数(すう)とは概念なのだ。いち、にぃ、さん、とものをかぞえるときに使う数(かず)とは違うのだ。そして前者を扱うのが数学であり、後者を扱うのが算数なのだ。僕はいままで数学をやっているようで、その実、算数をやっていたのだ。ぜんぜん違う教科をやっていたのだから、わからなくてあたりまえ、つまらなくてあたりまえだった。

数とは概念である。その前提を踏まえてみると、これまでとはまったく違う世界が見えてきた。数を感覚的に扱えるようになってきた。数式の手ざわりがわかるようになってきた。なにこれやばい。超おもしろい。いままで「数学おもしろい」っていう人のことがまったく理解できなかったけど、そうか、こういうことか。数の正体を知っている人と知らない人では、同じ数式を見ても、まったく違うものを見ているのだ。

それからはこれまでの苦悩が嘘のようにサクサクと勉強が進んだ。中学数学も予想より早く終わった。よし、ここからが本番だ。と気合いを入れて数Iに突入したけど、参考書パラパラとめくってすぐに拍子抜けした。なにこれ中学数学ちょっと発展させただけじゃん……。気合い入れて損した……。

よし、最大の懸念だった数学はなんとかなりそうだ。次は理科系科目にいってみよう。

まずはまた本屋参考書を何冊か購入し、読んでみる。数学ときほどまったくわからないということはないけど、なんだかいまいち頭に入ってこない。原子がどうの、位置エネルギーがどうのといわれても、なんだかいまいち実感がわかない。これはまた数学ときと同じく、勉強の仕方を間違えているのではないかと思った。こういうのを学校で習うときは、実験を行いながら、実感をともなって理解していくもののように思う。本を読むだけではその実感は得られないのは当然だ。でも個人で実験器具を揃えるなんて現実的じゃないし、わざわざこのためだけに予備校に行くのも大げさだ。そうだ、どこかの動画サイト実験映像がアップされてるんじゃないだろうか。それを見れば多少は実感もわくだろう。

いろいろとネット上を探していると、NHKの高校講座を発見した。どうやらNHKでは放送済みの高校講座をすべてネット配信しているようだ。理系科目はもちろん、文系科目もある。こんなんあったのか。もっと早く教えてくれよ。とかぼやきつつ、さっそく科学と人間生活の講座を見てみたら、バラエティ番組っぽい雰囲気ちょっと面食らった。NHKの高校講座ってこんなんだっけ。講師が延々と解説してるだけの、いかにも教育番組って感じの、おかたい雰囲気じゃなかったっけ。いまはタレントがメインで出ていて、講師あくまで補佐的な役割のようだ。そのぶん雰囲気はゆるくなっているけど、見ていて飽きない作りになっている。化学物理実験映像で見られるのもそうだけど、習った内容が社会の中で実際にどう活かされているのか、町工場や、最先端研究現場リポートもあったりして、興味をかきたてられる内容になっている。これを無料配信するとか、NHKすげえな。しかしやはりこういう講義形式はわかりやすい。本で独学だと、自分の理解が合ってるのかどうか、不安になることが多々あるし。

よし、どんどんいこう。化学基礎。いまはpHを「ペーハー」じゃなくて「ピーエイチ」って読むらしい。マジか。物理基礎。ダムの水が持つ位置エネルギーは何から与えられたエネルギーか。え、わからん。正解は太陽エネルギー。マジか。太陽パネェな。生物基礎。呼吸と燃焼の反応式は同じ。温度と反応速度が違うだけ。え? マジで? 生まれときから呼吸してるのに知らんかった……。ショック……。地学基礎。グリーンランド沖で沈み込んだ海水は、太平洋の表層に達するまでの5万kmを、1000年とか2000年とかかけて流れる。壮大すぎだろ。地球パネェな。地理。お、このケッペンの気候区分ってのは世界一周アプリに使えそうだ。GIS(地理情報システム)を本気で開発するなら、地理に関してはもっと突っ込んだところまで勉強しないといけないかもしれないな。

さら日本史世界史数学I……NHK高校講座おもしろすぎわろた、とかやってるうちに、試験本番の日がやってきた。


試験会場に集まっていたのは、ほとんどが二十歳前後若者だった。控え室には、参考書と格闘している人もいれば、友人同士で最終的な確認をしあう人たちもいる。そういえばこの人たちはベルリンの壁崩壊後に生まれてるんだよな。それはもはや教科書で習う「歴史なのだ。そして逆に、僕より上の世代にとっての東西冷戦は、自分たちが生きた時代のものだ。「あのままずっと世界は真っ二つに分かれたままだと思ってた」というような話はよく聞く。いまとなってはわからない感覚だけど、当時は誰もがそう思っていたようだ。僕はそのどちらでもない。十分に咀嚼された「歴史」でもなく、自分が生きた時代でもない。だからそれについて、誰よりも知らない。しかしだからこそ、誰よりも知りたくなったのかもしれない。そしてそのために、僕はいま、ここにいる。

高認の試験は2日間に分けて行われる。初日の1科目目は現代社会だった。まったく対策らしい対策をしなかったから、ここで初めて気づいたけど、グラフの読み取り問題がやたらと多い。間違い探しのように精査しなければならず、1問にかかる時間が長い。問題よりも時間配分の仕方がわからない。時間が足りない。もっとちゃんと過去問で練習しとくんだった……。

次は国語。問題文にちょっとおもしろい箇所があって、静まり返った試験会場で「デュフフwww」とかキモい笑いを漏らしてしまった。死にたいしかしおかげで緊張はほぐれた。

英語TOEICに比べたら楽勝だった。9割はいけたんじゃないだろうか。

そして数学。これがいちばん不安だったけど、落ち着いてやれば余裕だった。これも9割いけたんじゃないだろうか。あらためて問題を見てみると、捻った問題というか応用問題すらないので、基本的なことがわかっていれば確実に解けるようになっている。東大入試問題とかいってたやつ誰よ。

科学と人間生活。範囲が広いのであまり詳しく勉強してない箇所の問題もあったけど、半分はいけたはず。

1日目、無事終了。

2日目。地理海外放浪ときにまわった国の問題が多く出ていて、なんだか常識問題のようだった。ちょっとチートっぽいけど、こうやって実地で得た知識もれっきとした学力だ。うん。

世界史。これも範囲は広いけど、さほど突っ込んだ問題はない。9割いけたはず。

地学基礎。フズリナと同時期に繁栄した生物は、1.トリゴニア、2.カヘイ石(ヌンムリテス)、3.ロボク、4.デスモスチルス、そこまで詳しくしらんがな。クイズか。そんな感じの問題もあったけど、なんとか半分はクリアできた。

2日目も無事終了。

試験が終わると一気に力が抜けて、何もやる気が起こらなかった。しばらくは勉強もせずダラダラと過ごした。

1ヶ月後、試験結果が届いた。

全科目合格だった。

それが先週の話。

そしていま、こうして増田に投稿する文章を書いている。

からこのお話はここで終わりだ。正確にいうなら、ここから先の展開はまだわからない。


あらためて思う。世界は巨大で、そして複雑だ。

数学の扉を開いたとき、数式が以前とはまったく違って見えたように、新しい視座を得れば、世界がまったく別物に見えてくる。世界が変わる。そしてまた、以前は気づかなかった、新しい視座の存在に気づく。

あとどれくらい、そんなことを繰り返せばいいんだろうか。

方程式定理法則電気磁気エネルギー素粒子、宇宙、銀河太陽地球生命遺伝子、進化、化石燃料、製錬、農耕、富、労働、権力支配、隷従、社会自由イデオロギー宗教民族言語貨幣、法、国家議会政党福祉、教育、研究、産業、組合、企業、グローバリゼーション条約為替貿易経済

時間軸と空間軸を埋め尽くす、無数の点と線。それらが織りなすのは、世界という長大な書物。

そのことを考えると、なぜか胸が苦しくなってくる。無性に泣きたくなってくる。

人生のすべてを費やしても、その書物を読み解くことは決してできないと、どうしようもないほどに思い知らされるからかもしれない。

だけど、それでも僕は、次のページをめくらずにはいられない。

それはきっと、生まれながらに組み込まれた、僕の中の最もプリミティブなプログラム

未知の領域へ。さらその先へ

どんな権限をもってしても、そのプロセスを殺すことはできない。

から僕は、今日も本のページをめくり、旅をする。

たとえそれが、世界いちばん遠回りな世界一周の旅だとしても。

2015-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20150902160433

いまはちゃんと中二ってジャンルでかっこつけるセリフを言うってスタンスもあるから

これから先の世代は四文字漢字動詞接続してた恥ずかしい過去を思い出すのかもしれないな

ボカロとかみてると恥ずかしがらずに一生を終えそうなやつもいるのでそういう一生もありかもな

2015-09-05

[] グシャラメ

動詞 感冒等で鼻炎を起こし、鼻がグズグズする

弘前大学医学部医療津軽のことば」より

2015-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20150824183433

動詞化したならエターナルるの略ってことですね。モテるは何の略語なんだろう?もてはやされる?

http://anond.hatelabo.jp/20150824183208

そりゃ動詞化したからだろ。

でも「モテル男はコレでキメル!」の'80年代だったらエタルだったかもな

2015-08-20

[]動詞

アナるって書いたら動詞っぽくないですか。

ググるみたいな感じで。

アナルアナれ!穴穴穴ω」


アナル増田

2015-08-09

増田するって英語でなんていうの

何してるの?

って聞かれた時に、

増田してる。

いうのがダサくて恥ずかしい。

ツイートする」みたいなかっこいい動詞ないんかね。

向井理増田する時、

「今増田してる。」

なんて言わないはず。

あ、「ツイートする」っていうくらいだからツイートっていうのは名詞なのか。

今まで動詞だとおもってたよ。

2015-07-28

bid farewell

同僚(東南アジア人で英語母語ではない)から退職メールをもらったのだが、bid farewellというフレーズがあり、へえと思った。

別れがfarewellというのはまあ知っているが、それと結びつく動詞がbidというのはなかなか出てこない(辞書ウェブでも引きにくい)。こういう多少固い表現は、いろいろ読んで身につけていくしかないよな。

2015-07-19

自然日本語文を書くには

英文の私訳をちょこちょこすることがあって、違和感もたれないようにするにはどうすればよいかググって理解した内容を自分メモとしてまとめてみる。

次の例文を参考にする。不謹慎なのはご容赦いただきたい。

例文
英文
The heat killed many people.
和文
暑さで人がたくさん亡くなった。
スル言語とナル言語
英語

英語は力がどう動いたかに着目する。てこの原理のように、

The heat力点
killed支点
many people作用点

と考えると分かりやすい。

まり、「kill」という動作が「The heatから発せられて「many people」が受け取ったということになる。

日本語

日本語が状態の変化にのみ着目する。この場合

前は生きている状態
今は死んでいる状態

と変わったので、その状態変化を意味する「亡くなる」を遣う。

この後は

  • 誰が? → たくさんの人が
  • なんで? → 暑さで

という形で文に足していけばよい。

数量詞遊離

次の例文に違和感を持たれるだろうか。私は覚える。

―――郵便局の窓口にて
局員:いらっしゃいませ
 客:すみません、5枚の桜のマーク切手を下さい

客はどう言えばよかった

数量詞の遊離とはふつう動詞を修飾するべき数量詞が別のところを修飾してしま現象だ。上の例文だと「桜のマーク切手を5枚下さい」となるのが自然で、その場合は「下さい」を修飾することになる。

すみません、5枚、桜のマーク切手を下さい」と言うこともできるが、これも同じく「下さい」を修飾している。遊離先の場所が変わっただけだ。

many people

冒頭の例文も郵便局の例文と同じように考えることができる。「たくさんの人が亡くなった」と表現することもできるが、上記の遊離がされていないからことな翻訳調になってしまう。「亡くなった」を修飾するようにして、「人がたくさん亡くなった」とすれば自然文章が出来上がる。

まとめ

数量詞遊離はロジック面で不自然な文から自然な文に変える働きがある。

それ以上に重要なのがスルに着目するのかナルに着目するのかという考え方の違いだ。無生物主語の文に違和感を強烈に覚えるのもこうした考え方の違いなんだろう。この違いを覚えていると、英語の読み書きが楽になるんじゃないかと思う。

2015-07-11

http://anond.hatelabo.jp/20150711163338

日本人だと、ていおはがむちゃくちゃ = その他教育も大体おろそか = 論理構造なっていない人が

多いということに繋がりやすいと思うが、論理構造を説明する上で、てにおはは手段しかない。

動詞形容詞名詞、あとは文章メッセージがしっかりしていたらそれをくっつける複雑な

接着剤。こんなものは、おまけ。

いやいや。てにをは論理構造の基礎も基礎、初期のスコア10くらいの位置でしょう?

増田100万円与える」と「増田100万円与える」の意味が同じなわけはない。それをおまけだ接着剤だとはとても言えないよ。

「(言語の利用は)論理構造を説明する手段しかない」っていうの考えは、人間脳内に、言語を超越した「論理的思考」が存在していて、それを言語他者に伝達しているはずだという思想があるわけなのだけど(だからこそ母国語外国語を並列に並べて、どっちでもいいじゃん、並行で学べばいいじゃんというわけだけど)、そうではなく、人間論理的思考というのは何に由来して何に育まれているのか? という話をしているんだよ。

結論から言うと論理的思考というのは言語によってなされている。脳内自己対話思考検証にすら言語がつかわれているんだよ。直感や閃き、感情などは言語に先立つけれど、仮説や推理検証、そして論理や伝達などは言語化における教育で内在する。だから母国語をきちんと使いこなすことは重要だし、人文教育はまさにこの「思考できる人間を育てる」ことに価値存在する。

もちろんそういった論理的な会話や文章っていうのは日常生活では必須じゃないよ。「だるい」「電車むかつくわ」「わかりました」「できた」「計算ミスったわ」「先言っとけよ」「腹減った」「眠い」「昼ラーメンミスったわ」「二倍だって課金しなきゃバカ」「大盛りくおう」「トイレ紙ねえし」「買ってこないとねえし」「だるいわ」「もう寝よ」くらいで生きていけるし、問題特に起きない。そしてそういう思考や言動をしているときてにをはも、主語述語も、論理構造も気にしないでいいし、事実そこまで厳密な運用を求められない。

でもそういう内面場合英語を学ぶ意味なんて余計にないってのもあるよね? って話。

http://anond.hatelabo.jp/20150711160301

なるほど。考えさせられる意見でした。

ちょっと考えてみたけど、てにおは は個人的には、日本語を100マスターする

上での残り30だと思っている。

いわゆる 日本語でおk? とか 日本語で説明する = てにおは をマスターするである

すると、それが限界効用的にコストフルだと思う。

てにおはむちゃくちゃでも伝わるものは伝わる。


日本人だと、ていおはがむちゃくちゃ = その他教育も大体おろそか = 論理構造なっていない人が

多いということに繋がりやすいと思うが、論理構造を説明する上で、てにおはは手段しかない。

動詞形容詞名詞、あとは文章メッセージがしっかりしていたらそれをくっつける複雑な

接着剤。こんなものは、おまけ。

個人的には、英語をこれだけ長いこと教育している国で英語サバイバル言語として

教えられない、あるいは、仮説思考的にどんどんjump in していくのが大切ってことを教えれないのは

このへんの完璧主義

(いいほうに完ぺきだったらいいけど、実は別にゴールに向かう上での完璧さではない

 ところでの枝葉末節と幹を切り離せて考えられない、ただの過剰主義と一緒なのでは?)

2015-06-24

pixiv投稿できない理由

一応漫画家をやっていて、オリジナル漫画を連載している。

アニメゲームが好きなので、好きなキャラの絵を描くこともある。

でもpixivには投稿しない。

なぜなら「好きな作品名キャラタグ検索をすると自分の絵が出てくる」から

愛にあふれたいろんな二次創作絵を見るのは楽しい。でもそこに自分の絵があって欲しくない。

寝る前にスマホpixivを見て、幸せな気分になりながら寝たいのだ。

そこに自分の絵があるのが本当に嫌だ。

ノイズしかならない気がする。

こんな人、他にいませんか。

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追記(6.25 2:18)

書き忘れていましたが、

商業連載をしているので、自分作品にはちゃんとタグを付けて宣伝はしていますし、

自分作品二次創作絵は楽しく見れてます

でも人の作品二次創作絵の中に自分の絵があるのが嫌なんです。

感覚的にはブコメにあるような「ツイッターまとめに自分ツイートがあると恥ずかしくなる」というものに近いかもしれません。

サムネイル一覧に自分の絵があると、一気に冷めてしまうような感覚があります

もちろん二次創作絵にコメントを貰うのはうれしくて、同じ作品好きな人動詞萌えを共有(?)出来ている気がして楽しいです。

この気持ちをまた味わいたくて、何度も投稿を試みるのですが、タグ検索をして自分の絵が出てきてしまうので直ぐに削除してしまます

このもやもやの原因がわかれば、また楽しくなれるのかもしれません。

2015-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20150604084011

なんか、こう頭のレベルが違うと、

論点がズレて、変な決めつけで、違うんですが、

と言い返せば、あんたここそういうところじゃないよ?とか、

わけわからんことを言われる。

”頭のレベルが違って論点がずれている人”の発言は、どこからどこまで?

しかし、リアル社会でもあるよな、これ。

高学歴足切りある会社いった方がまだ理性的

人がいてやりやすいと思うよ。

馬鹿に媚び売らなきゃ、馬鹿がお前は社会的に認められない!

とか、いうてきますよ。

足切りある会社」とは?誰でも入社できる会社なんぞ、存在するのか?

高学歴足切りある会社いった方がまだ理性的な人がいてやりやすいと思うよ。」理性的論点うんぬんと前もって言っていたのだから、こういう文章には論理的という単語を使う方が意味が通じる。

馬鹿に媚び売らなきゃ、馬鹿がお前は社会的に認められない!」主語馬鹿?お前?

「いうてきますよ」とは、方言

なんで馬鹿程、理性もないのに自分が一番正しいとか

やれるのかなぁ?

自分が一番正しいとかやれる」

文章的には、やはり変。読み返しても気付かないのは、まともな日本語教育を受けていない人間外国語圏内の人間ならば、しょうがない。

そんなの自分のも含めて思想なんかいくらでもあるから

色んな現象対処できるのに。

思想」に対して「対処」という動詞は、通常ならば使わない。

以下は、もう面倒くさいから一言で。自嘲?

一番ワロタのは、

お前の身近ことだけで世界知った気になんな

→幅広いケースに実際に出会い、且つ研究もしてます

→何本読んで知った気になってんの?

そして、こちらの高学歴カードには、東大がいる増田で自慢すんな恥ずかしい

と、返され、しかし見ていた東大卒がいや、それすごいんだけど、

と、お前買いかぶり過ぎとフォローしてくれた。

高学歴とは、偏差値ないやつほど買いかぶりをし、

高いやつほど大したことない、そいつ次第という。

なんなんだろうな。本質を見抜くのはこちらのが高いけど、

こんな自称普通に常識的に生きてるDQNよりマシな人間とか、

宣言して、自分範囲外のことを全て品なく否定する奴って、

本当に普通人間なのか?

なんかクリーチャーというか、そんな奴が普通社会なんか

こちらから願い下げだし頭おかしいと思う。

まだ、はい論破ー、とかい高校生なら、

倒せば負けを認めるが、

変に社会のずるさとか覚えた大人だと、

浅い考えで、思考も深くする訓練もしてないのに、

社会全体を知った気でいて、本当話す価値がない。

けど、ムカつくので君が泣くまで殴るのをやめないに

なってしまうのである

どうも、自分の事を頭が良いと思って書いている文章のように読み取れたのだが、

たとえネット文章であっても、利口な人間が書くならば、ここまで文章が崩れて読み難い文章になることはない。これはどういう思想体系の人間においても、共通して言えること。

よって、控えめに”日本語が苦手だからと、外国人翻訳ソフトを使って作り出した日本語文章ならばしょうがない”としてレスを付けた。自分の興味は自然言語処理だったので、単純にその点を確認たかった。且つ、多少「本当に自分が頭良い人間と思っているの?だとしたら凄い度胸だ」と多少の揶揄を込めて書いたトラバだ。

以上、これでお気に召しただろうか?

2015-06-03

カタカナ語は、他人事感を演出するのに必要

日本語動詞形容詞をそのまま使うには、あまりにも生々しいときカタカナ語はとても役に立つ。

一番有名なのはリストラ」だわな。

舶来の言葉であるリストラ」は、解雇他人事のように感じさせることに役立ち、非常に重宝された。

リスペクト」なんかも同じ。

尊敬と言うにはすこし気恥ずかしさを「リスペクト」という言葉で誤魔化しているだけ。

外国人が「日本語に戻した方がいい!」と思うカタカナ語トップ10-Suzie(スージー)

2015-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20150403111326

御者→読み方[ごしゃ]

SNSなどでシェアを行い、シェアさせてくださいとおよそ不要コメントを残す者。

またはその者に対しての侮蔑

語源として、シェアさせてさせてくださいから転じ、ごシェア、ごしゃ、御者となったとされる。

動詞形→御者る

2015-03-31

愛なんてうんこのようなもの

JPOPなんかを聴いてると「愛してる」なんて言葉が出てくる一方で「愛はここにある」なんていわれてたりする。

俺は愛がわからなくなってしまった。

だって愛がするものなら動詞なわけでここにあっちゃ困るだろう。例えば「走っている」と言っても「走がある」なんて絶対に言わない。

でもそのとき俺は気づいたんだ。

うんこだ。これはうんこと同じなのだうんこはするし、確かにここにある。

まり愛はうんこうんこを投げるゴリラはさしずめ愛の伝道師といったところか

2015-02-17

副業としてウェブショップ経営して1年

職場が多彩なアイデア創出のためと起業を推奨してくれるため、ウェブショップを立ち上げて実際に経営してみた。

ただ、職場からの援助は法人としての取引を含めて一切なく、全て自己資金による。

たった1年で何が分かるんだと言われるかもしれないが、学んだことや何だかんだ考えたことが多くあるので少し書きなぐっておきたい

ウェブショップを畳むときがきたら、自分の詰めの甘さを読み返してみたい。



カラーミーで十分すぎた。

カラーミーは砂漠の中にポツンと出店するようなもので、楽天などのオンラインモールはそれだけで集客力がある、と言われる。

しかし、現実ショッピングモールでも利用されない見向きもしないショップはあり、角の方にあるショップモールに支払う家賃で潰れるショップが多い。

オンライン現実世界で起きていることとは合致しない、ということはないと思われる。

ショッピングモールへ買い物へ行って一番目立つのは、当然のことながら立地の良いショップである

これを楽天などで商品検索した場合、あるいは楽天ネットサーフィン()したと考えてみる。

キーワードでひっかかるように「わけのわからない関連性のないショップ」がトップに来る場合がある。

そして残念なことに目立つ位置を占めている。しかもそれが5ページも続いたら見る気がなくなる。

そんなショップ跋扈するオンラインモールに出店しても、家賃(月額利用料)で潰れるだけだ。

真っ向から勝負を挑んだって、既に出来上がっているシステムを変えることは難しい。

から、そういうシステムを避けた場所で新たにシステムを構築するか、あるいは、そういうシステムの構築の薄い場所を狙うほうが楽だと思った。

ということで後者を選択して、月額使用料の代わりに広告費にお金をかけた。

ただイプシロン、あんたの手数料は高すぎる。

ウェブ上の卸販売は役に立たないし、流行ものや被服は扱わなくて良かった

オンラインで卸販売をしているお店よりAmazonの方が安いwww

流行個性を求める力であると同時に、制服のような均一性をもたらす。

均一性が全体に行き届きはじめる頃には、流行は新たな個性を志向する。

まるで諸行無常激流のようなものなので、在庫を抱えた場合は資金の回転が悪くなり倒産の要因となる。

ということで、消費雑貨を中心に扱うことにした。

最悪、在庫を抱えても自分が顧客になれば良い。これはあまり歓迎されない考え方かもしれないけど。

から、正直に自分が欲しいと思ったものしか仕入れない。

流行ではなくそれなりに顧客があるというのは、流れは緩いが需要は必ず発生するので長期戦に挑むことができる。

服でウェブショップだけど始めることだけは本当にお勧めしない。

廃れて変色したような服の在庫を抱えた時にマジでどうにもならん。

普段はLサイズの服を着ているのに、在庫のSサイズの服を着てわがままボディをアピールしたいなら別だけど。

輸入品を扱うなら通関だけはしっかりやれ、わりとマジで

すごく誤解をしている人が多い世界で、個人で販売する場合には関税を払わなくていいだとか、それ真っ黒ですから

ほとんどの個人が郵便にて輸入すると思うけど、販売目的の場合は個人であろうがなかろうが通関しなければならない。

輸入品によって関税が無税のものもあるけど、それでも消費税を支払う必要はある。

消費税関税の税率も、個人使用と販売用とでは計算の方法も異なる(商品代だけで計算するのか、あるいはCIF価格計算するのかが異なる)。

稀に「流れ郵便物」として関税がかからないことがあるけど、それが販売用であるのならば郵便局に届け出て修正してもらって納税しなければならない。

ちなみに、通関料(荷物1つに付き100円)は郵便局手数料であって税金ではない。

オークションでは随分とと個人輸入品を安く売ってらっしゃる方が多いけど、正直輸入品をあんな値段で仕入れられるわけがない。

オークションの利用料と関税率消費税等を逆算したら、原価をいくらで仕入れてるんだ!って驚く値段になる。

利益度外視した慈善奉仕なら別だけど、個人がそんな値段で仕入れられない(40ftのFCLで単一品を輸入して、それを自分で通関して自分でコンテナをドレージしてデバンするなら可能かもしれない)。

まり、ほとんどのオークションの安い個人輸入販売者脱税している可能性があり、その蓋然性は極めて高い。

ある日、税関職員がインターフォンを鳴らしてチェックに訪れます。もちろん税務署にも調査されます

だって、偽りの輸入申告で脱税しているわけですから

大丈夫だと思っているのはあなただけで、日本の物流のシステムを舐めてはならない。

何をどの時期に輸入しているか郵便局税関接続されたNACCSに全てデータとして残り、税関はいつでもそれをチェックできる。

ちなみに、税関発給コードやNACCSコードを取得していなくても瞬時に輸入実績は調べられます

それが販売用として、あるいは個人使用として輸入されたものであるかも全てね。

個人使用として輸入していたものを販売した場合、ある程度の滞納額が貯まったら税関職員がご満悦の笑顔をしてご自宅へやってきます

日本人の誠実さ()キャンセル言い訳について

会社を休むにしても、誘いを断るにしても「入院」や「親族が死んだ」だとかそういう理由を言ったことがある人は多いはず。

キャンセル理由第一位は「入院病気」、第二位は「転居」、第三位「誰かの死亡」である

多くの注文を受け、その中に数件キャンセルが入る。そのキャンセル理由を読んで「あぁ、またか」と思う。

きっと、このような理由休日申請を受けた会社も同じことを思っていると思う。

それくらい、使い古されてカビ臭いいいわけなのである

本当かもしれないが、嘘の可能性は否定しきれないし、そもそも病気になったかキャンセルという理由根拠が分からない。

転居だって、欲しいものであれば転居先に住所変更すればいい。

要らなくなった、心変わりをしたと正直に言ってきた人はいない。

これを本音と建前という日本人文化だというような、個人的にはそんな風に美化したくはない。

「いらなくなりました」と言えない社会制度に問題があるのかもしれない。

いずれにしても、この「心変わり」によってカート落ちが少ないのが実店舗の強みで、ウェブショップの弱みである

そんでもって、これは余談だけど「誠実で真面目な日本人」のような言葉を耳にすることはあるけど、そんな日本人は存在しない。

それは我々の想像の中に生きる日本人で、現実から目をそむけたい、ある種の憧れを抱いた言説なのかもしれない。

あと、お客様神様だけど貧乏神もいる。

追記(2015.02.17)

1年後の自分が読み返して「こいつ臭っさいなーwww」と笑い飛ばせるように書いたつもりですが、帰宅してたくさんブクマがついてて焦りました。

学術的に書くべきか、それとも一般論的な文章で書くべきか、あるいは口語体で書けばいいのかシドロモドロしながら考えて書きなぐったため、文章統一が取れていませんね。

自分で読み返しても、言葉足らずな表現に誠に稚拙な文章で張り倒したくなります

貴重なお時間を頂戴して読んでいただいた皆様のお目汚しして申し訳ない。

さて、ブクマを読んで一応ちょろっと数千文字程度で返信しようかと思ったので追記させていただきます

追記部分に関しても、1年後の自分が読んで、その時の自分がどのように考え、自分がどのように反応したのかという内省材料になればいいかな、と思っています

副業を始めるにあたり、タイ語を学び、次にラオ語習得して、クメール語も覚えました。

これらは似た言語なので1つを学べば他を習得するのはそんなに難しくはありません。

それと、相手の国の文化を学ぶためにサンスクリットの読み書き、それに伴うパーリ語勉強しました。

というのも、やはり仏教国、あるいは仏教の影響が強いため、それらから借用語が多い言葉です。

ただ、正直にサンスクリットなんて習得することをお勧めしませんし、サンスクリットでの会話なんてのは相当訓練を積んだ人でなければ精神に異常をきたすレベルです。

名詞変化も変態級で、動詞が十類まであって、それぞれの時制変化だとか内連声だとか…(>'A`)>ウワァァ!!

…相手の文化を学ぶには、やはりその言葉ルーツというか、そういうのも知っておくと会話に幅をもたせることができて有利…なような気がしています

率直に言えば、ピジンでも通じるかもしれませんが、やはり頭ではなく心で理解して欲しいため現地語を習得しました。

実に恵まれていると思っています副業禁止がある会社では不可能な経験をさせていただいています

というのも、副業が禁止されていないばかりではなく、副業のために休日をもらうことができます。ただし、その為には証拠だけは求められます

「到着したコンテナの通関を自分で行いたいため」という理由休日がもらえます。その証拠として通関書類を見せることが求められます

しかし、その経験が職場於いて新たな事業へのきっかけを切り開く端緒となり、ある商品の輸入事業が始まり、そこそこの売り上げ貢献になっています

通関業者税関にて通関手数料が決められているため、その手数料で儲けることはできません。

ですが、通関業者収益を上げなければならないので、どこかで収益を図らなくてはなりません。

それがドレージ費であったり、税関検査費であったりまます

(税関検査費だなんていやらしい名前ですが、税関が行う検査なので「税関」は費用を請求しません。というかできません。これは通関業者費用で、検査場までのドレージや検査のためのデバン作業などの費用のこと)

相見積もりを取れば費用についてはある程度の予算が立てられますが、上述の「税関検査費」は検査の有無で実費となります

そこを通関業者がふっかけてくる場合があるので、一度通関を自分で行っておけば、それが妥当費用か否かが判断の一助となります

というような経験が、社にとってもメリットになる(?)ので、なんでもいいから起業して経験しろ上司から言われます。(もちろん任意)


  • 自分の方法が全てではない

というのも、紛いなりにも世間様の目に晒される可能性はあるわけなので(実際ブクマがたくさん付いてびっくりしてます)、自分の方法が全てとは考えていません。

ですので、さまざまな観点からその時の最良と思われる方法を選択します。

ところで、現代は誰もが認めるであろう情報化社会なので優良(?)な情報は共有した方がもっと良い社会になるかもしれないと思っています

ということで少しネタばらしをしてしまえば、古物商於いては1万円以下の買取には記帳義務が不要というところに着目しています

現在ある意味である部門の輸入商品は飽和状態にありますが、市場には一定数の需要があります

しかし、その商品を輸入しても、輸入にかかる送料などを計算した場合、利益が十分にあがる値段で売れる蓋然性は極めて低い状態です。

続きを読みたい方は「わっふる、わっふる」と書き込んでください。(正直、書くの疲れましたw)

それと誤解を少しでも解消できればと思いますが、「それ以外は脱税して儲けているはず」ではなく「ほとんどの(中略)その可能性があり、蓋然性が高い」という書き方に着目してください。

「それ以外」は「私以外」と読み替えられると思いますが、私以外が脱税して儲けているはずだ!などと言っているのではなく、オークションで見るのは、そんなような気がするし、結構当たっちゃってるかもねという感覚です。

これは私の言葉不足が否めませんでしたが、誤解を解消できればと思い弁明させていただきました。


これはお客様の方から述べられる理由であって、こちらからその理由を尋ねているわけではありません。

しかし、これは議論を呼ぶかもしれませんが、キャンセルするには理由が必要なのは当然のように思います

密林売買でも、キャンセルや返品をするには理由を求められていたような気がします(後ほど見てみます)。

オンラインと雖も、実際にカートに入れ、そして購入ボタンを押した時点で購入する意思表示であって、売買契約が成立しています

実際にコンビニエンスストアのレジで会計が済んだあとに「やっぱいらね」ってのは、少し失礼な気がします。

もちろん、オンラインはそういう面倒向かうやりとりのない気軽さがあるかもしれません。

しかし、購入者一方的な都合で売買契約を破棄できるのは、些か法治国家というか、そういうものを有耶無耶にしてしまう感があって、個人的な感情ですが解せません。

例えば、オンラインショップだと「売切れ」の表示の間は、購入されるかもしれないという機会損失を被っているわけですから

ただ、むしろ、こういう民法的なものがあるからこそ、「本音と建前」みたいな文化形成されるのかもしれませんね。

本当はいらなくなっただけだけど、それだと購入者自分勝手な都合みたいな解釈をされそうだから入院しちゃえ的な、そんな何かかもしれません。

いや、これでも美化しすぎで、もっと人間のドロドロとした「潔白でありたい自分」という理想の維持のため、または自分の持っている倫理観を説得させるための自分に対する言い訳なのかもしれません。

これは例外なく私にもあてはまり私自身も「誠実で真面目な日本人」ではありません。

深夜のノリで購入したものを、翌日になって「いやいらんだろ」と賢者モード的な状況に陥ることが稀にあります

そしてお恥ずかしいことに、そのことで尊い友人を「一旦」墓地に入れてしまったことがあります

その時のショップの対応は素晴らしかったですね。

そして、自分がその立場になってみて「はいはいたか」と思いながら、受注キャンセルボタンポチりしているわけです。

相手の心身を心配する文面を書きながら、単調に感情もなく、ポチりと。

この自分の感情と文面に対して、ふと自分を振り返ったとき、そこには何か儀式めいたものを感じます

舞台の演者になったというか、そういうように振舞うことで、その舞台を上手く終焉に持っていくような、そんな不思議感覚です。

忘れて欲しくないのは、代引きの受け取り拒否キャンセル!!!

いらなくなったから、受け取り拒否ってどうなの?

あれだけは本当にやっちゃならん。

マジでこちらは一方的に損失しかでない。


  • 「誠実で真面目な日本人」について

なんだか後半に至るにつれて、酔っ払いのくだ巻きになって申し訳ないですね、もう少々お付き合いください(ブコメフラグ回収)。

これは自分のフィールドというか、文化人類学に毒されているというか、言葉遊びにも似た点なので納得されない考えかもしれません。

これはそもそもですが、理解を求めるよりも共感を求めるべき問題かもしれません。

また、言葉足らずな部分が多くあり「一般的に」という言葉を伏すべきでした。

しかし、きっとどのような人であっても「誠実で真面目な日本人」に遭遇したことがあるはずはない、とは思います

というのも、この言葉が引っかかる人は、そういう日本人に対する評価が下された世界観を自分の中に持っているかであると思うのです。

私は私自身、どこからこの「日本人は誠実で真面目だ」という世界観が自分の中に形成されたのか分かりません。

そして、その世界観でもって副業をやってみると、悉く打ちのめされます

反論として提出されるであろう統計的データを取ってデータに語らせる、という統計学的なやり方は抽象性が高くて個人的には好みではありません。

私は個人として個人と接しているのであって、7割くらい真面目な日本人というようなデータコミュニケーションをしていないのです。

そして、副業を続けることで「誠実で真面目な日本人」は消え失せ、評価から自由な「人間だもの」的なスタンスに立つようになりました。

なので、それを端的に「誠実で真面目な日本人は存在しない」的な書き方にしてしまいました。

自分の脳内補正をかけて書いた典型的な悪い文章でした。

しかし、言葉足らずな一文に対する解釈がそれぞれなんだなーと改めて、興味深い経験をさせてもらいました。

Twitterとか少ない文字で表現することが流行っていますが、そこから誤解されない文章を書くって相当な表現能力が必要ですよね。

私にはそれが足りないため、宴会場にいるやさぐれた酒飲みの説教みたいなものとなってしまいました(ブコメ回収2つめ)。

ということで、仕事から帰って、今日の分の出荷も記帳も終わったので長々と追記を書いてみました。

2015-02-13

断言を避ける時の英語常套句

ストレートに言うのがいいとはいっても、留保をつけるべきところで言い切ってしまうと、

「こいつほんとに分かってるのか?」「え?そんな簡単に言っちゃっていいんだったけ?」と信用を失ってしまうことがある。

どれくらい自信があるのかを示したかったり、相手に言質を与えたくなかったり、

論争になりかけているのをやわらげたかったり、あるいは慎重にものごとを進めたかったり。

そういうときネイティブとかネイティブじゃない人とかのメールを観察していて、表現集が少したまったので公開します。

※なお面倒な場合は多分 maybe と I think だけ使っておけばいいと思います

Personally speaking, ...

個人的には」「私としては」

例:Personally speaking, I don't trust Nikkei's reporting. (個人的には、日経報道は信用していない)

IMO (in my opinion), IMHO (in my humble opinion) も類句だが、主語との対応に注意。

Personally ... の場合は後続文中のどこかに「I」が入り、後続文だけでも「私」の意見だと分かることが多い(例 Personally, I don't like that.)。

一方「*I don't like that, IMO」のように IMO と I を併用するとぎこちない。

言い方を控え目にする以外にも、(会社役職としてではなく)個人の意見です、と明記して言う場合もある。

日本語の「個人的には」と同様、連発するとややウザがられる。

I'm sure ...

「……のはずですよ」「きっと……ですよ」

例: I'm sure he will get it back to you soon. (彼はすぐに返事してくれると思いますよ)

maybe のように優柔不断な印象を与えずに言質も与えないことができる便利フレーズ

I believe ... も類句。

If I'm not mistaken, ...

「私の思い違いでなければ、……」

例: If I'm not mistaken, he is the person responsible for this. (思い違いでなければ、彼がこれの責任者だったかと)

字面上は自信がないということだが、常套句すぎてそこまで強く思ってなくても使われる。

別に勘違いだとは思っていなくて、単にやわらげるためにだけ言っているケースがある)。

If I recall correctly, ...

「思いだせる範囲で言うと、……」

例: If I recall correctly, that was back in 2010. (たしか2010年だったと思います

資料を見ずに記憶を頼りに話しているので、間違ってるかもしれませんよ、ということ。

IIRC と略して使うくらい頻出なので、これも意味字面より幾分か軽くなっていると思う。

recall が remember になることもある。

As far as I knowAs far as I understand も概ね同じ(動詞意味微妙に違うが)。

I wouldn't be surprised if ...

「……だったとしても不思議ではないと思う」「……ということも充分ありうると思う」

例:I wouldn't be surprised if it were a fake. (偽物だということも充分ありうると思う)

可能性に言及するときのやや持ってまわった言い方。

みんな見過ごしてるかもしれませんが、こういうのも私の想定の範囲にありますよ、という風に何となく賢そうな感じになる。

I wonder if ...

「……かもなと思います」「……ということはないでしょうか」

ややきつめの提案や質問を書く前の枕として、衝撃をやわらげる一言としての使い方がおすすめ

例:I wonder if we can lower the budget a little more. For example, some teams might be overstaffed.(予算をもう少し下げられないですかね。たとえば、人員過剰なチームがあるかもしれないですし)

一般に提案にも疑問にも使えるが、何にでも使うと控えめすぎるかも。

It sounds like ...

「……ということですよね」「……というように聞こえますが」

例:It sounds like we should get started as soon as possible. (できるだけ早くとりかからないといけないみたいですね)

相手や第三者発言を受けて、「今のって、こういうことですよね」と自分理解をのべる。

その理解の上で、自分はこう提案します、というのをさらに続けることが多い。

まずは私はこう理解しています言語化することは、書き言葉コミュニケーションしかない場合重要

特に(お互いが)英語母語話者でない場合、行き違いは思いのほか発生しやすい。

it seems (like|as if|as though) も類句でより広い範囲に使える。

it sounds like は言葉に反応して言うことが多い。

相手に直接言う You sounded like ... などもあるが、人を主語にしない方がソフトな感じ。

2015-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20150205171045

人はどうやって言葉を話すのか。

赤ちゃんを育ててみれば分かると思う。

最初自分が思ったことをまったく話せない。

そのうち、うんちとおっぱいとねんねが理解できるようになり、

少しずつ単語を覚えられるようになる。

自分の気持ちを相手にどのように伝えるかなんて、親兄弟が話していることをそのままコピーすることからはじめる。

英語を覚えるのだって同じだろって思う。

ハイマイクハイルーシーじゃねっつーの、アイプレイテニスじゃねっつーのって思う。

まずはうんちとおっぱいとねんねだろと。

たとえば英語でおいしいは「ヤミー」だけど、これがおいしいって意味だって知ったのは社会人になってからだ。

外人と話すことが前提だったらまずbe動詞がどうのこうのより先にこの単語教えろやって思った。

2015-01-16

メールで使える英語のつなぎの言葉

何年か英語メール複数とやりとりしあう場にいた結果、

つなぎの言葉がけっこう重要だなあと思うようになった。

英語でもやっぱり、自分の言いたいことをいきなり主張するだけではぶっきらぼうすぎる。

メールだけ(ネットだけ)でしかやりとりできない相手がいる場合特に要注意。

さすがに同僚なら口論にまではならないが、相手が妙に防御的になり、議論が進まなくなったり、余計な手数が増えたりする恐れはある。

そういうことで、以下、便利だなあと思ってる表現

You might want to ...

「……するのはどうでしょう

「……する気があれば、やってみるのもいいんじゃないでしょうか」というように、

相手に判断をゆだねている点が尊重する態度として受けとられるらしい(例 You might want to read this. これを読んでみるのはどうでしょう。)。

Would you like to ...? も似た部類に入る。

Can you ...? Could you ...? で代替できることもあるけど、これらはどちらかというと頼みごととして受けとられる。

字面上は「あなたは……したいと思うかもしれません」とやたら曖昧で何が言いたいか分からなく聞こえるが、控えめな提案熟語としてまるごと覚えるのがいいと思う。

If I may (suggest), ...

ちょっと提案させてもらえるなら」「老婆心ながら……」のような用法が多いように思う

例:If I may suggest, it's better to use foobar for this. ひとつ提案させてもらえるなら、ここは foobar がいいかと

意地悪い人は、あまりにも明らかなことについて「おいおい、こんなのは基本中の基本だろ……」を喉元まで出しながらこれを言うこともある。イギリス人特有皮肉偏見)。

単に if I may と suggest 抜きの例もよくあって、動詞がないので初見ではパースしにくかった。

Should [it/you/...] ...

「もし……でしたら」

例:Should you have any questions, please do not hesitate to ask. もし質問がおありでしたら遠慮なくお訊きください。

人間の会話・論文みたいなものではあまり使わないが、ややオフィシャルメール比較的よく見る。意味の上では "If ..." とそれほど違いはないんじゃないかと思う。

上述の You might want や would like と同様、丁寧に語りかける表現という位置付け(だから多分、ステートメントばしっと書く公式文書などでは普通使わない)。

ただ、慣れるまでは構文がぴんとこない。初見では、なんとなく疑問文に見えるからまぎらわしかった。

I am afraid

申し訳ありませんが」

受験英語でもよく見るが、実際にも使う。

類句の we regret と比べて、軽めの話題や、多少決定的でないことに対しても使う(例 I'm afraid you got it wrong. すみませんが、あなた勘違いじゃないでしょうか)。

I'm sorry (but) もあるけど、I'm afraid のほうがなんか大人語っぽい。

よく日本語の「すみません」の感覚で I'm sorry を使うと「悪いとも思ってないのに何で謝るんだ」という話になったりするけれども、

I'm afraid は謝罪意味はないのでその辺は気兼ねなく使える。

内輪の場合、 ..., I'm afraid. と最後につけるややくだけた構文もある。

..., though.

「ただ、……ですけど」

例: I'm all for that. It might be expensive, though. 大賛成です。ただ、高いかもしれないですけど。

however, ... でも悪くないが、 ..., though のほうが「おまけ」的雰囲気がある(逆に言えば、however はそれ以下がメインだと受けとられる恐れがある)。

文末に置くのはやや口語的らしいのでその点は注意。

heads up

インフォーマルに「お知らせしておきます」的な名詞(例 This is just a heads up. ちょっとお知らせしておきます)。

類句に FYI (for your information) があるが、 heads up のほうが積極的

相手が一人でも heads と常に複数形なのに注意(a に惑わされない)。

With that (being) said, ....

「その上で、……」

例:With that said, there are a few rules you need to remember. その上で、覚えておくべきルールもいくつかあります

ちょっと違う視点で見てみると」「一方では」的なニュアンス

それまでの話とは別の立場にもここからちょっと言及しますよという印。

ややこしい話をバランスよくまとめたいときに頻出。

Having that said, [I/we] ...も類句。

(追記:エアリプしておきますと、丁寧さのレベルを使い分けるのが重要というのはその通りで、各自他の人の使い方を観察しましょう。1フレーズだけ大人語になってて他が中学生なのは非常にかっこ悪い。ただ使えなくても、表現を覚えておいて他の人が使った時にすぐ理解できるのは便利です。)

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