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2023-09-05

Web3ヤーたちはどう生きるか

Not Financial Advice。個人的メモ、現状の文字起こしと雑な未来予想。自分Web3ヤーとして整理したかった。

ビットコイナーが望まない形でBTCがATHを迎えるシナリオ

根源的にビットコインは規制禁止することはできないので、できるところから規制されるトレンドは今後も続くだろう。目下、短期ナラティブETF承認であるAML/CFT観点ビットコイ現物流通はなるべく制限したい規制当局側と、ビットコインのエクスポージャーが欲しいだけの大多数の投資家の思惑の両方が、現物ETF承認という形で結実するのである。その後、ビットコイETFが高い流動性を持つようになれば、既存金融機関ビットコイETF担保にした金融サービス派生金融商品を展開できるようになる。

また、大手マイニングプールと、(すでにマイニングプール株主となっている)ETF取扱金融機関提携する未来もありえるだろう。例えばマイニング収益プール参加者ウォレットアドレスに引き出されることはなくなり、プール参加者証券口座ETF残高として入金されるようになる。これはプール参加者規制当局どちらにも利点がある。プール参加者にとっては、ブロックチェーン手数料秘密鍵保管といったブロックチェーン特有リスクを負わなくて済むし、ビットコイETFを通して既存金融多種多様流動性へ容易にアクセスできるようになることも喜ばしい。規制当局にとっても、本質的規制できないマイナーとBTC現物が切り離されることは喜ばしく、win-winなのだ。すでに大手マイニングプールマイナーにKYCを求めているので、マイナー分散思想よりも規制された安定を選んでいる。マイナー投資家保護環境の整ったETFに乗り換えるのは合理的選択なのだ

ビットコイナーの思想とは相反するものの、市場原理とは相反しない力が優勢となって働くことで、ビットコインはATHを迎えるのである

少数マイナーの寡占は問題か?

先日Twitter話題になっていたので急遽追加する。

マイニングプールが結託して51%攻撃を起こすことは、マイニングプールにとっても合理的ではないので、少数マイナーの寡占状態が直接的にビットコインを破壊に導くとは考えにくい。しかし、大きな金額を動かさないといけない巨大プール既存金融保護されざるを得ず、規制圧力に対しては脆い。同じ51%でも1 ✕ 51よりも25+26の方がCensorship ResistanceやOpennessといったブロックチェーンの本源的な価値は損なわれやすい。なのでマイナーに寡占が起こることを問題視しないのも間違いである。

ツイートの人の反論もあるので一応参考程度に

https://x.com/nook_ethereum/status/1696476655475171759

仮の話だが、完全に当局規制を受けてコーポレートが牛耳る、本源的な価値を失ったビットコインが、too big to failな状態ゾンビ化した時どう振る舞うのだろうか?そのタイミング古参クジラ離脱して一時的に売り圧が発生する気もするが、そのままトリクルダウンとなるほどのトリガーかというと分からない。これはビットコインに使われる暗号の危殆化などのリスクと一緒で、起こるまで想像ができない。そのフェーズP2P電子決済システムビットコインという壮大な社会実験重要ハイライトになるに違いない。

Drivechain

ビットコインのブロックスペースを使って、レイヤー2上で好きなブロックチェーンを誰でも立てられるようにする新機能。まだ提案段階の機能だが、賛否両論を招き、界隈を真っ二つにしている。

https://www.drivechain.info/

ちょっと前に流行ったStacksの仕組みと異なり、BTCを子チェーンにオプトインするような仕組みも備える。もちろんオプトアウトもできる。

ただし、Drivechainが認められると、ビットコインのスケーラビティを向上させるソリューションとしてのLightningネットワークの意義がかなり失われる。Lightningは”P2Pで”高速決済したい人が使うための機能という、かなり思想が強い人向けの錆びついた技術になり得る。

Drivechainの提案自体は昔からあったが、最近になって流行り出したのは単なるナラティブ作りであろう。ordinalsやStacksもそうだが、新しい技術はそれだけで盛り上がりやすい。ordinalsの場合だと、昔から追っていた人は、自分が優位でいられる情報非対称的な時期に、短期で出口流動性イナゴ養分)をたくさん集めて、たんまり儲けて売り抜けることができた。

ちょうどBitcoin, not Cryptoな時期で、Drivechainのような特大アップデートがあればナラティブとしては強力だ。しかし、だからこそ、どうしてもDrivechain利権存在を勘繰ってしまう。Lightning利権とも対立しそうだ。

Lightningはビットコインにマルチシグだけあればできる機能だが、Drivechainはソフトフォークとは言え、これだけのために新規のオプコードメッセージの追加など、開発リソースをかなり費やす大幅なアップデートなので非常に図々しい。ソフトフォークをexcuseにすればなんでもありだと言うわけではない。

今更dAppsが走るサイドチェーンを作っても、Ethereumで起きているようなゴタゴタをビットコインに持ち込むだけで、Bitcoin, not Crypto神話を汚すだけになるだろう。

DeFiはDaFi(Dark Finance闇金融)へ

実質管理者のいるDeFi規制煽りを受けて存続は難しくなっていくだろう。ハッキングインサイダー、スキャム(詐欺)、ラグプル(持ち逃げ)から投資家保護できないファイナンスは、たとえゲイリーゲンスラーSEC長官を退任したとしても長期的には必ず規制対象になる。また、そうはならなくとも投資家の方から勝手離脱していく。

しかしながら、オフショア規制の及ばないチェーンを舞台に、リスクを恐れない投機家の間でDaFi(Dark Finance闇金融)に転じたDeFiがしぶとく生き残るのはどうしようもない。

ただ、そのようなDeFiはもう社会生活金融インフラになることはないだろう。結果的に今のDeFiはDaFiかCeFiに分岐していく。

CeFiの意義

CeFiという語彙は以下のツイートから使わせてもらった。ブロックチェーンを使っているが、規制もされている金融サービスくらいの意味だ。

https://x.com/kimurayu45z/status/1695988782871498898?s=46

ブロックチェーン上の金融サービス規制をかける場合、どのようなものになるだろう。まずCeFi事業者に対する当局による管轄投資家のKYCは必須になる。そうなってくるとブロックチェーンでやる必要はあるのかいよいよ分からなくなってくる。かの有名なWhy Blockchain?の声がまた聞こえてくるのだ。

少なくとも、トークンガバナンスするような機能プロトコルに組み込む必然性はなくなり、ガバナンストークンは株や証券に近いものになっていく。また、仮にアプリケーションどころかL1チェーン自体規制されれば、PoSなどのトークンベースコンセンサスアルゴリズムはもはや茶番になる。

ユーザー目線でも、KYC済みのアドレススマートコントラクト登録してまで、入札や取引したい投資家がどれくらいいるのか今のところ分からない。

もしもかつてのDeFiバブル違法事業者非合法的な取引で盛り上がっていただけの幻想だった場合、KYC後のクリーンなCeFiにどのような実需があるのだろうか。

MEVは重い問題

MEVというのは、ブロック生成者が承認前のブロック内の取引を盗み見れることをいいことに、他人取引を先取りしたり、順序を利己的に入れ替えることが可能である性質から生じる、ブロック生成者が独占できる収益源泉のことである

筆者は以下の記事勉強させてもらった。

https://keccak255.substack.com/p/mev

https://mirror.xyz/0x95d7660ceb04b402fdBAf112a8278980335616d4/aDB1Zh4ybztR3DJsY1pgoK8h63wH05PlOMOEj0zvL3U

MEVがあるせいで、ブロック成行為が中央集権化しやすくなったり、ユーザーサービス体験が低下したりするため、dAppsが動くブロックチェーンにおいては重要課題だ。

もちろん技術的に解決するSuaveのようなソリューション提案されているのだが、分散化にメドがたっているわけではない。また、問題が外部化するだけで本質的解決にはなっていないのではと思う。

Suaveについて参考までに

https://writings.flashbots.net/mevm-suave-centauri-and-beyond

また、MEV利権がすでに巨大化している政治的事情もあり、問題はかなり複雑化している。このように込み入った問題を、さまざまなステークホルダーの思惑が入り混じる、非効率的分散ガバナンス解決するのは前途多難と言わざるを得ない。

チェーンのTVLが巨大化し、RWA(real world assets)などのMEVファクターがチェーンのエコシステムの隅々まで組み込まれれば、MEVがもたらすマイナス・サムの影響はユーザーにも感じ取れるくらい甚大なものとなるだろう。さらに、可視化できないリスクを嫌う大手投資家の参入を阻むことにもつながる。

そうなったときパブリックブロックチェーンの夢は雲散霧消するか、中央集権正当化された世界でregulatedなブロックチェーンが生き残っていくかのどちらかになる。

DeFi社会限界

一旦DaFiやCeFi、MEVのことは忘れて、全てが解決して、DeFiがそのままメインストリームになった社会を想定してみる。そこで注目したいのは、チェーンに閉じたDeFiでは信用創造ができず、分散型ステーブルコインなどの場合は常にover-collateralized(過剰担保)させなければならない点だ。つまりロックされた資本以上の価値市場に再投資されない。原資本は再投資のたびに指数関数的に薄まっていく構造になってしまうのだ。

そのような先細りの金融インフラの上に展開される資本主義及び自由市場経済社会が、規制された金融に基づいた現状の社会よりも、高い資本効率経済成長率を達成できるのかは甚だ疑問である

一昨年のDeFiバブルの正体が、USDTなどの法定通貨担保型のステーブルコインがチェーン外から流入することで起こったに過ぎなかったのだとすれば、DeFi世界はCe要素なしには拡大できないということになる。実際、USDT、USDCなどの法定通貨担保型のステーブルコインの時価総額無視できないほどに巨大だ。そういった規制アセット流入なしにはリターンが期待できない構造的欠陥がある限り、DeFi規制を拒んで信用収縮の道を選ぶか、信用創造のために規制を受け入れてCeFi化していくしかない。

ブロックチェーンイノベーションなのか?

分散自己主権といったブロックチェーン思想を全く気にしない大多数のユーザー目線で見ても、国際送金や金融取引が瞬時に透明性高く行えるブロックチェーンが便利なのは間違いない。しかし、それは既存金融サービス規制というかなり重いハンデを付けられた状態で戦ってくれているからそう見えるだけで、ブロックチェーンという技術自体イノベーションからではないのではないか?つまり、仮に規制の側が妥協して、金融業界リバタリアン並みの自由化を勝ち取った時、ブロックチェーンは、例えばApple銀行のような大規模なWebインフラを使った金融サービス技術として勝てるのだろうか?

もしも、ポンジスキームやスキャムであることが明らかなミームトークン、発行主体を名指しできるXRPや、ガバナンストークン全般が、規制されない(もしくは証券ではない)と判決された場合Apple銀行プログラマブルトークン発行プラットフォームを立ち上げればブロックチェーン競争に負けてしまうのではないか?秒間取引処理数が少なくて、手数料も高く、ウォレットも使いにくいブロックチェーンの優位性はどこにあるのだろう?

とはいえ実際に既存金融が完全自由化することはありえない。あり得るのは、既存金融業界ブロックチェーン業界が融合していく中で、その両極からの声を取り入れながら、長期的には両者の境界線が最も曖昧となるような規制環境が整備されていくシナリオだ。それはトークン証券化かもしれないし、証券という概念が古くなるような全く違う新しい法概念規制フレームワーク誕生かもしれない。そうなったとき果たしてブロックチェーン技術市場競争力を持つのかは、改めて問われなければならない。使いやすさより分散思想を優先するユーザーなんて殆どいないはずだ。

日本海外Web3コミュニティ

日本Web3界隈は、昔から霞ヶ関巡回する界隈と海外組の界隈に二分されていたが、最近海外からの出戻り組が増えてきたように思える。かつてJapan色がなかったAstarが最近Japanを押し出すことが増えてきたので、これも出戻り組と言えるだろう。京都で開催されたIVS Cryptoでは、かつての海外組が、今後は日本にもコミットしていくしたたか姿勢も見せていた。

Astarが政府機関やJTCと手を取り合って、提携関係や共同研究関係を結び始めたときは、何をしているんだと正直思っていた。しかし、当時から規制側に歩み寄らなければブロックチェーンは存続できないと読んでいたのか、単なる嘘から出た誠なのか、こうなった今では一定妥当性が理解できる。

とはいえ規制と近づきすぎるとパブリックブロックチェーン特性邪魔するはずなので、その擦り合わせは茨の道だろう。Why Blockchainの最前線で闘う姿勢評価したい。

渡辺氏も、もしAstarがダメになっても、日本は偉い人と仲良くしておけば何とかなる国なので、かつてのホリエモンのような毒を出さなければ、どこかしらの利権に入れてくれるだろう。そこら辺を踏んでいるのか、彼のポジショニングは上手いなと思う一方で、FTXのサムが破滅直前まで政府蜜月関係を結ぶのに奔走していたことを思い出させるから少々怖くもある。当局に近づくと不透明性が増すので、個人的にはまだASTRに買いを入れる勇気が持てない。

さて、クリプトコミュニティ一般の話だが、これも昔よりは成熟してきたと思う。悪しき通貨自然淘汰される市場原理が働いたというのもあるが、個人の中にも、かつては歯に衣着せぬ物言いオピニオンリーダーになったインフルエンサーが、今ではバランスの良いコメンテーターになったりと、心境の変化なのかポジショントークなのか、変化を感じざるを得ない。日本人垢にも外国人垢にもそんな人は多い。

例えばVitalik氏は、かつては大衆向けに過激なことを吐いていたが、最近難解な理論提示にとどまり過激な使い道を見つけるかどうかは受け手自由ですよ、という我関せずな態度に改まった。

しろ危ないのは、陰謀論界隈や極右派をバックにした米国会議員をはじめとするすでに過激コミュニティが、ビットコインやWeb3に活路を見出そうとしていることだろう。余計なポリコレリスクを抱えると面倒である

Web3ヤーたちはどう生きるか?

このタイトルは煽っているように聞こえるかもしれないが、流行りに乗っただけで煽ること自体は本意ではない。ジブリのあの映画を見た頃、こんなこと考えてたんだなぁと後でエモくなるための筆者なりのギミックなのだ。もし不快な思いをしたクリプトに携わる人や投資家の方がいれば、そこは大目に見ていただきたい。

また、ビットコイナーは Permalink | 記事への反応(0) | 21:52

2023-09-04

ネットによって知性が落ちていく話

世の中には三つの話があると思っていて、

1.倫理学人類文化学や政治学法学等を含めた、専門家調査学説歴史等に基づいて、学術的な定義を積み重ねて行う学術議論(これは体系的な知識必要で、素人簡単に参入できない)

2.データ文書遺伝子検査血液検査などの単なる事実の集合(+専門家による解釈)

3.個人日常で考えた思想経験


で、いわゆるオタクやネット民は1と3を混同した話し方をしていることがよくあるので物凄く気になるんだよな。

1と3は明確に相容れないものなので。


例えば、「○○は差別ですよ」という言葉

正義とは何か、差別とは何か、などの議論基本的には1の領域である

専門家以外のネット民発言は、間違いなく3だ。

なぜならネット民差別に関する定義の変遷、思想の変遷、歴史や諸問題学説論文法制度、各国や各種団体対応社会問題に関する体系的知識を専門知として得ているわけではないから。こういった学説論文査読批判反論、再反論など長い道のりを経て、洗練されてから1つの学説としてのポジションを獲得する。


オタクの言う「定義」は、『その辺の人が特に専門的体系的知識もなく関係ないまま、ただ個人的になんとなく考えてたこと』だったりするので、こんなネット空間に触れていたら大衆の知性がどんどん落ちていくのではないか危惧している。

内容が「人による」「人の考え方次第」の域を出ない素人談義にすぎない。1なら定義はズレないし内容が人によるとか人次第にはならない。

議論可能な程度に統合された意見ではない。単なる積年の感想だ。

差別という言葉日常的に聞いたことがあって辞書で引いたレベル知識量で適当に使ってるだけの耳学問だろう。


専門家は123を完全に区別して使っているが、ネット有象無象は123を混同しており、そんなネット有象無象意見さらに参照・引用して(例:HNマスダ氏は○○○を唱えているが、のように)メチャクチャネット談義が活発に行われている。



ある方のツイート引用してみるが、

別に差別したっていいんだよな。「差別してでも安全を選びます」という選択をしても全然いい。

悪臭を放つおじさんから逃げ出すのは差別であり、決して正義として誇っていい話ではない。

誰の判断なのだろう?この人の?個人的にいいと思う、悪いと思う、こう思う、なら分かるのだが、ここでも断定されている。

1と3が区別できてないのだろうと思う。

そこを取り違えて自分たちが行っている安全のための差別をさも自分たち正義かのように語るのが危険なわけでさ。そうして差別は拡大していくんですよ。

拡大するかどうかにつき、この人に差別史の知識はないだろう。やはり、1と3が混同されている。

この後も似たような語調が続くのであるが、


例えばすでに存在する学説引用であるならまだわかるのだが、市井の人がなんとなく自分なりに定義することや感想を持つことを、定義とは言わないし、見解とは言わないのだ、ということをネットに親しむ人は分からなくなってしまうのではなかろうか。


人の認知は必ず歪むし人は利己である。3のように誰でも思ったことを言うだけなら、マッド気質の人が殺人自由を主張することだって意見になってしまうし、適当なことを意見として言うことも可能だ。定量化もされていないままの意見議論にはならない。

から、3は3として、体験感想体験感想として重視され尊重されるが、1とは区別しないと社会全体がまともな議論のできない国へと変わっていってしまう。

その社会的な損失を考えると頭が痛い。

2023-09-01

ネトウヨパヨクの違いってこれだけで説明出来るよな

ネトウヨ自分は損していいか日本に勝ってもらいたい

パヨク自分が得した上で日本には負けて欲しい

これだけで説明付いちゃうんだよな

ネトウヨ奴隷として使えるけど、パヨク利己的なだけじゃなく自分所属が負けるよう動くから

断然ネトウヨの方がマシなんだよな

お前らも大人しくネトウヨやっとけよ

ネトウヨ増えれば川口で暴れてる奴らも凶星送還だしさ

2023-08-31

anond:20230831093325

これに反論してる馬鹿そもそも自然状態ではみんな利己的にふるまい暴力支配する世界になるところを、技術による圧倒的な暴力で強いものを無理やり協力的にさせてるというところを分かってない、圧倒的な暴力としての軍事力は秩序を維持するために必須

それと同じで過労死するまで働かされるのは会社が悪いも一理あるがそもそもはそういう雇用形態人間がいる一方でのうのうと生産性ゼロ虚業にいそしむ権威主義者のせいでもあり

そういう社会構造は高度に分業化した資本主義社会である以上は解消されないので過労死する人間がいないと社会は立ち行かない、過労死するレベルで働かされる人間社会にとっては必須

よってどちらも「社会健全に維持されてゆくためには軍備も過労もなくならない」のに世の中のこと理解せず過労してる何万人もの人間犠牲の上でのうのうと暮らしながら罪の意識から逃げて甘いこと言ってる馬鹿ということ

2023-08-29

anond:20230829153235

お前も上層に生まれたらどうせ同じようにしてる

いつ枯れるかもわからない目の前の甘い汁をあえて分け与えるほど人間的でいられるのかお前は

から俺らもまた利己的に生きねばならんのだよ

実際現代社会では利己的に生きることが生存戦略として正解なのだ

人間流動性が加速していく昨今で過度に周りの人間固執する必要はないし、取り返しのつかない大失態を犯しても環境一新させることも比較的容易にできてしま

そんな中で利他性を保って生きていくことが生存につながったような昔に造られた人間本能準拠する既成道徳因習に過度に凝り固められ縛られているから生きづらいのではないか

現代社会において利他的行動は我々に幸福感と生の喜びをもたらしてくれるポエム的なものに過ぎなく、利他的行動により生存が圧倒的に優位となれる可能性が高いわけではない

利他的行動は相手良心に身をゆだねるため相手利己的ならば奪われる

野生に生きる動物たちはむき出しの本能で日々血なまぐさく争っているが、人間は理性を用いて自分身体性の限界拡張する炎や武器などの圧倒的な暴力を生み出し、暴力支配された自然の理を理性で制限人間利己性を押さえつけることに成功した。そして各々の利己性は利他性に奉仕させられそれを美徳とすることで人間地球覇者となった。

まり人間性の起点は利他性にこそ存在している。しか人間はいつまでも本質的な原始本能である利己性をなくすまでには至ることができないでいる。

それは人間がやはりどこまで行っても獣であり、自分の体に縛り付けられた理性しか持ちえないからだろう。

から我々人類共生歴史根深く完全な利己的行動に走るには良心の呵責が伴いこれは簡単に捨てることができない。

完全に利己的行動へ堕するには獣にならなければいけない

獣になってでも生き延びることが美徳か?人間らしい利他性のために殉ずることが美徳か?

それを決めるのは個人自由で良い、この世の縦横無尽に広がる無限の地平線の深遠さに比べれば本当にとるに足らないことなのだから、、、

anond:20230829135302

それは相手立場に立って考えた時、自分がリターンを与えそうだという事を認識から省いた為に生じるものだと思いますよ。

利己的で自責に寄せた人間というのは、あなたと関わると楽しい、もしくは面白いといった理由で、あなた友達の中にいるかと思います

anond:20230829132015

なかなか面白いけど、利己高いやつで他責が低いやつを見たことがない

人間に見るコスト

利他的自責的な人間など存在しないという事をざっくり語ろうと思う。

人間精神のあり方は、コストのやりくりが如何にやりやすいかで優劣が定まる。

コストが尽きれば廃人コストを持て余せば我儘になる。

おおまかに二種に分けてしまえば

コスト高 利他←←←←←→→→→→利己

コスト高 自責←←←←←→→→→→他責

となる。

利己的というのは自己完結した行動でコスト回復がどれくらいできるかという事であり、利他的とは他人依存して何かをすることでコスト回復できるという事である

利他的は度が過ぎれば相手に対して求めるコストが高くなり孤立する。要はめんどくさい人である

利己的も過ぎれば同様である。よく自分勝手と言われるものである

自責的というのはトラブルが起きた時、それを自身課題と受け取れるという事であるが、これには高いコストを要する。

他責的と言うのは自責の逆であり、低コストだが度が過ぎると精神的成長が見込めなくなるなどデメリットが大きい。

例えば、利他的10割、自責10割というビルドを組んだとすると、コスト回復のしようがない。

相手に与えた恩というものが与えた分だけ帰ってくるという事は無い。あまり知られていないが、人間には他人の苦労を正確に認識できないという特性がある。

そのため相手から見た自分の恩も、自分から見た相手の恩も過小評価されるのだ。

そうして恩を与え合った時、自分視点で見た時の帰ってくる恩というのは主観10%程度の物であり、これで消費コスト分を回収するのは不可能である

この場合に起きる不具合として、「自分ばっかり頑張っている」と考えてしまバグがある。事実はそうではない。そうではないが確実にこれは態度に出て、日常生活に支障をきたす。

一方で利己的で他責的というと、これはもうよく見るものなので詳細まで語らないが醜悪ものである彼女達はコストはあり余っているが、どこか余裕の無いようにも見える。

これは、コストが減る事に対する耐性が無いゆえに、可処分コストが少ないかである

どちらに偏っていてもやる事は似たような物になる。

大事なのは両者のバランスである。が、自分を変えよう!といった事はほぼ不可能であると言ってもいい。自責他責バランスはまだ変化させることができるとして、利己的と利他的の変化については至難の業であると思う。

最初から利己である人間簡単で、自責に変えても他責に変えても良い。1~2か月ほどかかるかもしれないが、何かトラブルが起きた時に「自分がなんとかできたかもしれない」とか、「これは相手が悪いな」とか考える癖を付ければ良いだけである

それで自責他責バランスは変化させることができる。変化にどれくらいの時間を要するかは周囲の環境とそれに対する自分の立ち振る舞いに依存する。

利己的と利他的バランスを変化させる事はとても難しい。これは、それまでの人生を反映するからである

人生の中で自分を殺す事があったり、道徳を信じる事があったりするとより利他に寄る。

逆に自身の望みを叶えようとしたり、面白い事をやっていると利己に寄る。

利他的というのは異常な状態と言っていい。普通の人は道徳に従う事があっても信じる事はない。道徳を信じたくなる時というのは、理不尽から逃れようとしている時に限る。

利己とは健常な状態である

利己的な目的の為に相手に優しくするというのが普通の事であり、優しくした結果、相手から良いフィードバックを得た。というのは一見道徳的な話に見えるが良いフィードバックを得られる相手を選んだからである

道徳に殉じた利他的人間利己的に戻るというのは難しい。どうすれば戻れるかは今後の課題とする。

書くのに飽きたのでざっくり理想的ビルドを紹介すると

利己7利他3自責6他責4

ビルドが最も理想的であると思う。利己的に回復しながら、自責コストを費やし、たまに他人のせいにして生きる。それくらいが良い

2023-08-26

反社最近家のWIFIが遅くてなぁ~」

ワイ「ルーターが熱持ってる可能性あるから涼しいところにおいて定期的に再起動してみてはどうですか」

反社「ほーん」

(後日)

ワイ「なんか接続早くなりましたね」

反社「うん(無言)」

これが反社本質である

搾取攻撃世界に生きているので、「感謝」だとか「フィードバック」という概念がない。

「タダでもらった情報ネット早くなった」で終わりである

 

仏教用語でいうと「利他」がなく、「利己」がすべてなのである

しろ利他」なんてやっていたら他の反社仲間に食われてしまう。

 

こうした積み重ねがボディブローのように跳ね返ってくるだが、それはまた別のおはなし。

2023-08-23

anond:20230822084512

言葉が汚すぎるけど、同意するところは多い。

ただ、言及されている増田は「建前でも」と書いてはいて、モテ男の嘘の可能性は感じてるんじゃないか

しかしそれを踏まえてこの人(言及されている増田)の見解をまとめると、

全ての男はモテ男のような余裕をもって、建前を使いこなして私たち性的に見るな(私たちが望まない時には)

ということになりそう。

まり武士は食わねど高楊枝」が基本マナーなので、

五公五民だろうが十公零民だろうが、農民も高楊枝しろ、という意見

酷いとか利己的とかの前に、非現実的であることに気づいてほしい。

2023-08-20

anond:20230820155325

理由は、単にその人の行動に振り回された、ということだね。だとしたらここでそれを吐き出せばいいんじゃね?

元増田のままだと、スキャンしている人が気持ち悪いという利己的な人に見えてしまう。

結果出せないことに邁進している上に自分にその苦労を負わせてくるウザい人だったんでしょ?なんとなくその人の事がわかったよ

anond:20230820153147

からない以前に支離滅裂からね。

そもそもスキャンのものもさほど時間がかからないわけだし、苛ついている理由というのもとても利己的だな。

一言で表すと、他人が変わったことしているのが許せないんだろうね。

逆にスキャンして誰よりも結果残している人には君はイライラする?たぶん違う理由因縁つけると思うよ。

その知り合いを見下しているのは、結果出せず、しか自分とは違うことしているので見下す理由が揃っていると自分の中で正当化しているだけだろうね。

他人がどうしようと関係ないのに、勝手他人を測ろうとするからそうなるんじゃね?

典型的認知の歪みだよ。心療内科にいきー

2023-08-15

anond:20230813200011

この文章から滲み出る強烈な被害者意識というか、やりたくもないこと必死にやらされて哀れな私、みたいな悲劇のヒロインじみた感傷は何なんだろうな。

努力って言っても全部保身のための打算的な努力利己的な動機でやってるのに、何故他人執拗に認められようとしたがるのか。

彼女努力は逆説的に文系サークル活動勉強以外の努力などを見下し馬鹿にしているとも取れる。

そういうところを友人はムカついてあえて別に本気でそう思っているわけではなく、あなた不快にさせたくて言っているのだと思う。

2023-08-12

死にたさが出てきたとき処方箋としての思想

はじめに

ある人間に「死にたさ」が上がってきたときに、それを打ち払う便利な思想自分人生経験から編み出したので、それを紹介したいと思う。

これは自分リアルでたくさん言っているのだがなかなか言うべき機会も少なく、普及しないので増田にも書いておく。

いってみよう!

仮に10億円あっても死ぬテスト

これはもっと重要テストだ。80%程度はこれで解決する。

「仮に10億円あってもまだ死にたいか?」と自らに問うてみて、直感的に出てきたその答えについて分析する手法だ。

「死にたさ」が上がっているときは「そんな夢みたいな荒唐無稽な話を聞かせてくれるな」などと言い出す人が多いが、それはすなわち「それが叶うなら生きてもいい」という証である

ほとんどの問題はこれに帰着する。金があっても死のうとする場合衝動的なものか、金持ち道楽のようなものである

「もし10億円あるなら死なない」という答えになった場合、そこから「5億あったら死なないか?」「1億あったら死なないか?」「2000万あったら死なないか?」などのように逆算する。

ここでたとえば「200万あったら死なない」のような結論が出た場合、死にたさの答えは明らかである。金がないことが問題であり、その金を稼げないこと、どのようにして稼げばいいのかを知らないことが問題である

金があるなら仕事を辞めることもできるし、一時的に1年休むだとか、転職活動をすることもできるし、広い家にも住めて生活にゆとりとハリが出て、喧嘩も減り、やりたいことにも挑戦できる。

以上によって、死にたさの問題は金に帰着した。あとは這いずり回って稼げばよい。守銭奴のように金を求めれば救われる。

生死の問題だと思っていた人に「あなた問題は200万円の問題ですよ」と示したとき、衝撃を受けたその人の顔を見るのはなんとも痛快である

死にたいのではなくて、弱者から殺されつつあるという認識

死にたい」という思考が出てきたとき、通常は「望んで死にたい!!!!!!!」という朗らかポジティブるんるん思考ではないはずだ。

自分は生きることは全然余裕綽々なんだけれども、でも、自分絶対に死ななきゃならないんだ!!!!!自分死ぬために生まれてきたんだから!!!!!死にたい!!!!!!!!!今すぐに死にたい!!!!!!!高らかに!!!

のような気分ではなく、たいていは「死にたい…………(絶望)」のような気分になっているものだ。

重要なことは「本当は生きたいのだけれど、なんかうまくいかなくてめちゃくちゃ苦しくてもう無理……せや!! 生きるよりも死ぬことの方がマシなのでは????」という消極的選択をしているという事実認識することである

「叶うことなら、本当はハッピーにしあわせに生きていきたいのだ」という自分の心を解放すると、周りの環境から「お前はハッピーでいてはいけない」「苦しみに耐えればいつか幸せになれるよ」などと教化されて、いつしか「苦しむことこそが自分幸せなのだ!」という信念が強固になってゆく。

冷静に考えてみると何かおかしくないだろうか。

「なぜこの俺様がこんなに我慢を強いられているのか???俺様をお前らは殺そうとしているのではないか。鞭を打てて、かつ虐げることができる生贄として、ギリギリ生かされているだけなのではないか?」などという外に向ける凶暴で凶悪な怒りが実はあるはずなのだ

死にたいのではなく、「周りの環境からの抑圧によって殺されつつある」という自覚がただひたすらに重要である

ただ弱い、ただ無力、ただザコなのである。弱いか死にたいという気持ちがあがってくる。無力だから虐げられる。ザコだから一方的攻撃される。

その怒りを生きる力へとポジティブに変換するべきなのだ

仮に健康的で体力があって笑顔だったなら死ぬテスト

「仮に健康的で体力があって自分笑顔るんるんでもまだ死にたいか?」と自らに問うてみて、直感的に出てきたその答えについて分析する手法だ。

そのような気分にはなれないかもしれない。いや、そのような気分に、なりたくないのである

なぜならそのような気分になっていた場合、周りから不審な目を向けられるからだ。

「お前には人の心というものが無いのか」「悲しまなければならないときになぜお前は悲しんでいないのか?」「絶望すべきときに、なぜ絶望しない?」「お前は人間ではなく、化け物だ」と扱われることの甚大なる恐怖によって、お前の感情規定されている。

さて、通常、肉体が健康的な状態になっているならば死のうという気持ちが起こることはない。

まり死にたさがあがったとき、そのような肉体を保持していることに原因がある。これは運動睡眠食事などの、肉体的なもの解決する問題である。したがって頭でこねくり回しても無意味である

まり外に出れば良い。

また、外見によって人は態度を大幅に変える。病的な人間には人は苛烈対応する。とてもか弱い歯向かってこないひよわな人間に、人は優しくなどしないものだ。一見味方のフリをして、本当は支配したい人間も寄ってくる。支配したいのに「あなたの味方ですよ」という顔をするからたちが悪い。

所詮、手のひらの上で転がされているだけなのだ。飛び立とうとしてみろ。奴らは足を引っ張り出す。いつまで籠の中の鳥の気分でいるつもりだ。お前はインコか。

「苦しんでいる自分が大好きで、苦しみがとっても快楽!」というズルい自己認識の受容

人生不公平ものであり、なかなか思うようにうまくいかないものだ。どんなに言葉を取り繕ったとて、自分より明らかに楽をしていい思いをしている人々が多くいる。

自分は苦しい思いをしていて、呪縛され、どうにもならない、人生とはそんなものだという無力感を持っている。

「こんなにやったのに」「こんなに頑張ったのに」「でも自分はだめな人間だ」「もうどうしようもない」という自責の念・罪悪感を持っている。

「だから自分など、苦しんだほうがよいのだ」というふうに考えているのだ。仏教的、儒教的アジア的、日本的価値観である

これは苦しんでいるようでいて、実は楽をしており、快楽を得ている。「苦しめばおっけ〜!」という甘いスイーツに酔いしれているのだ。

お前は簡単に苦しんではならない。もっと、より、高度に苦しまなければならない。お前の苦しみなど苦しみではない。せいぜい最大でも1人分の苦しみだ。

より苦しめば楽になるのである

にもかかわらず、楽になろうとすると恐怖が湧く。見えている苦しみ、どうせ人生トータルでいうとこれぐらいの苦しみだろうという予測以上の苦しみを得ることに恐怖を感じているから、現状の苦しみで安定する。

自分が苦しみさえすればいいんでしょ?」「自分が全部悪いんだよね」という攻撃性をうまく覆い隠して、悲劇のヒロインを演じている。男も女も変わらない。お前はシンデレラか。

より苦しむべきである

「誰も自分に無条件に優しくなどしないのだ」と諦める

この世に期待などするな。それでももし諦めたくないのであれば、自分がその希望になる他ない。お前が無条件に他者に愛を注げ。

お前が他者に愛を注ぐような利他で無私の心で、その一部を証明せよ。愛はお前が与えなければこの世に存在しない。

だいたい、他人も生きていて、他人もその人の人生で手一杯である。どうしてお前を救えようか。

愛を求めるから不幸なのだ。これを求不得苦という。

死にたいなどと思っているうちは、お前は利己的で自己中心的でわがままなのである死にたい人間に生を与えろ。誰かの希死念慮を打ち払え。

追記: この記事攻撃できる人間幸福である

人の価値金銭で考えるべきではないといううぶな考え方を抱いている人が多いが、人命は金と交換可能である

建前上、人命は金に変えられない高価なものだとされている。もちろん、この精神自体は素晴らしいものだ。理想として、そうあるべきだ。

しかし、現実はそうなっていない。200万円が無いことで死にたさが湧いて、そして実際死んでしまうというのは、命の値段が200万円であるということだ。

金を誰かがくれるわけではない。なぜ俺が赤の他人の、しかも俺に攻撃を仕掛けてくるような精神性の持ち主に金をやらねばならないのか?

お前の人生責任をなぜ俺に押し付ける?

お前の人生だろう。俺の人生ではない。なぜ俺だけがお前を一方的に助けなければならない?お前だけが生きているのではない。

世の中は金である。実際戦争で一山いくらで死んでいる。

誰も無償で助けてはくれないのだ。お前が助けてくれとヘルプを出さなければ誰も助けることはできないし、ヘルプを出したからといって必ず助けてもらえるとは限らない。

自分自分を助けるしかない。他人に縋るな。絶望が足りない。だからシンデレラ思考だと言っているのだ。

世の中は不平等だ。それを改善しようとする動きもあるが、全然追いついていない。

なぜそれを待つのか。待って待って待って、待って耐えれば満足か?そんな日は来ない。だからシンデレラ思考だと言っているのだ。

日本はクソだ。なのにクソな日本に頼ってどうする。頼るな。

優しくがんばれがんばれと言われたらそれで満足か?それがお前の人生か?そいつはお前の人生責任など持たないぞ。

まずは自分自分鼓舞しろ。なぜ他人に身をまかせるのか。「どうにかしてくれ」ではない。お前がお前でどうにかしろ

お前は死にたいのではない。生きたいのだから生きればいい。努力してもしても無理だったんだろうが、まだまだ絶対的に足りないのである。全く足りない。やってないのだ。

他人比較してどうとかではない。

俺がお前のことを何もわかってないことが憎いか?殺したいか?怒りがこみあげたか万能薬でないことに絶望たか

逆にお前は俺の何を知ってるんだ?

クソザコに生きる術を伝えてるんだ。お前の無知範疇理解した気になるな。ちゃんと全部読めてんのか?眺めてるだけでは何一つとして読めんぞ。これはそういう文章だ。ありがたく精読して頂戴しろカス

2023-08-11

anond:20230811133129

現代はあまり罪悪感をにくく快適に過ごせるよう施されてる

現実には平和暮らしの下で不条理に見舞われて涙を飲んで死ななくてはならなかった人が何億人もいて

家族愛する人がそういう目にあったらどんな手を使っても報復してやりたい、おかしいと嘆くという人もたくさんいて

結局生命はその体に精神を縛られているか利己的でしかあり得ない、生きている事自体他者への加害性を常に含んでいる

陰惨な歴史の延長上で、自由平等友愛理念とする民主主義虚像を今はギリギリバランスで保てているように見えるだけで本質的生命不条理は変わらない

その真実に突如直面し現実堕落させられた人がPTSDになったりする

良心を持ち続け、かつ良心の呵責に耐え続ける勇気を持たなくてはいけない。

良心を失うほどの堕落を許してはならない

2023-08-10

政治AIがするのが最適解!

民主主義だと結局誰も国のことを考える人がいなくなる。伝統破壊され保守的反動はどんどん希薄になり世代間のつながりや共同体は断絶されていくしかなくなる。

しかしあえて特権階級も儲けてもやはりいずれ安定した権威は腐敗してゆき革命必要となる。

AIに最終的な政治の決定権を委ねるのが1番いい気がする。AIならこの世の情報を全て把握してどんな人間より合理的道徳的利己心に囚われない判断を下せると思うし、AIならちゃん政策の明確で合理的意図を示せるし、国民政治に不満を持っている場合国民と直接対話し納得するまで議論に付き合ってやることもできる。

ただAIの精度がもっと上がる事が大前提だし、AI戦争しろとか命令された場合とかどうするのかという問題もあるけど、人間統治するより確実にマシにはなる。

早くこいこいシンギュラリティ

2023-08-05

彼がポーズばかりで仕事がろくに出来ないことは割と共通認識になってきているのだろう

たまに出社した時の周囲の距離感がアレだ

フリーアドレスオフィスで当チームは割と固まって座ってたのに、彼んとこはバラバラ、なんなら彼から距離おく形で皆座ってた

彼の方はと言えば、拒否権のないパートナー会社女性相手仕事を指示しているテイのお喋りで日が終わる

客との間を持つ位置におり彼自身仕事として測りづらいからやっていけてるところはあるんだろうが

どこまでやれるかなという感じ

たまたま隣に座った当チームの新人雑談振ってフランクさを演出してるけど、人望あったら自チームのメンバーとまずやるはずのもの その相手であるはずのチームメンバーは皆距離を置いている

彼のコミュ力関係のごく薄いレベルに対してのみ有効で、それ以降はむしろ逆方向に作用する感じ

徹頭徹尾利己的というか、自分が得をするためのコミュニケーションしかいか

2023-07-29

NHKBS問題がなぜあまり取り上げられないのかわからない

世間ビッグモーターの話ばかりだけど、タイトル事件のほうがよっぽど本来大事件なのが世間に伝わってないのおかしい気がする

ビッグモーターのやったことは、保険不正受給消費者として当事者になるのは、ビッグモーター自分の車を扱ってもらってた人たちだけど、NHKの件は国民の大半が当事者なのだぞ?

具体的にやってたことをまとめると、

経営者数人で法律で認められていない事業に9億使おうとした」

これ、つまり

会社経営者法律違反した(つまり会社ぐるみ法律違反した)

国民の大半が払った金を法律違反のために使おうとした

・使う理由自分たちのリスク回避というあまりにも利己的な使い道

こんなこと、普通会社がしたどうなるか、自分会社の偉い人がこれやったらどうなるか、普通社会人なら理解できるよね?

なんでみんな騒がないの?

2023-07-27

anond:20230727195140

バカウヨダメ

ネトウヨは嫌い

リベラルもっと嫌い

じゃあお前何?


自称中立が好きそうだよね

右は嫌いで左も嫌い

でも真ん中は嫌いになれない

だって自分がそこにいるか


要は自分価値観大事

他人価値より己の勝ち

利己的といえば聞こえはいいが

結局ただのジコチューなガキ


天動説で世の中を捉える中世の子供部屋おじさんは

ぼくの見えるworldだけが大事

ぼくの信じるfactけが大事

今を生きる俺たちはバカのwall乗り越えて己に克つ

時の止まった部屋で歳だけ重ねるチー牛ミドルは置いてくぜ

2023-07-22

産まない理由として「子育てが大変だから」という声はあんなに大きいのに

女性が産まない理由として「子育てが大変だから」という利己的な声はあんなに大きいしそして賛同されるのに、

この増田のように「子供を不幸にしくないから」という利他的な声は殆ど聞こえてこないし稀に聞こえてきても殆ど賛同されないのって一体どうしてだろうね。

子育てなんて所詮一過性のもので、そんな些細な事情で生涯の選択を決める女性って実際には少ないと思うんだけど。

https://anond.hatelabo.jp/20230722090326

2023-07-12

anond:20230712191914

 今や、モテない男たちは、どんどん女性憎悪に染まっていき、それを見て悦に入ってるモテモテ上級国民は、女なんて吐いて捨てるほど居るから、扱いも雑で残酷過酷になっていく。

 バカ上級国民女は、自分犠牲にならないように人身御供を捧げてるつもりだろうが、むしろ、それが恒常化し、慣れて普通になればなるほど、もう普通セックスだけで満足なんて出来なくなっていくから犠牲にする女の弾が切れたら、次は連中が犠牲になる番だ。

 女っていうのは、救いようのないバカから人権奪って奴隷にして平等に分配すべきというのも、昔はトンデモナイ意見だと思ってたけど、女どもの利己的な愚かしさが全開になっている現代を見てれば、正しく思えてくる。

 それが連中にとっての最もマシな状態しか考えられない。

2023-07-10

anond:20230710050759

素晴らしいですね。処世術としては満点じゃないでしょうか。ただし日本起業の悪いところがギュウギュウに詰まったアドバイスですね。感心しました。これくらい適当でいい加減な人間けが生き残るのが日本企業なんだという有様を見せて頂いたという感があります

不器用にも程がある。

冒頭にこれ。

日本社会の悪癖を詰め込んだアドバイスこそが器用な対応だと信じているということがよく分かりますね。

威張って堂々とな。

目下目上を明瞭にして上から目線で接しなきゃダメなの

ベトナム人労働者に対する接し方のアドバイスがこれ。

散々、技能実習生外国人労働者に対するパワハラ差別的対応問題になっているのにこれ。上下関係はあるだろうが、お互いに相互理解の上で仕事をするということが頭にない。上下関係威圧することしか考えていない野球部思考日本の頭の固い管理職によく見られる態度だとしか言いようがない。

テンプレ反省文をコピペで作ってせいぜい本人にサインさせるだけでいい。

儀礼手続きに過ぎないの。

反省文に対するアドバイスがこれ。

儀式から体裁だけ整えてりゃいいの」みたいなこと。そういうことばかり繰り返しているから失敗、不具合事故の原因は明らかにならず、それを解消することもできず、同じ過ちを繰り返して、儀式ばかり増える。そして儀式とその体裁を整える仕事ばかりが増えて実業務の効率は低下する一方となる。日本会社行政でどれだけ意味のない手続きがあると思っているのか。そしてそれを解消しようとは微塵も思っていない。自分改善や改良を進言し実施する一員だという意識がまるでなくただ既存システムに心と体を適用させて生き延びようという怠惰保守主義しか見られない。だから駄目なんだよ。

今の世の中は責任ボールを互いにぶん投げ合う時代なの。

受け取ったボール他人に放り投げるか、投げ返すか。

責任所在に関するアドバイスがこれ。

結局、物事解決するよりも自分責任と労力を回避する手立てを勧めているに過ぎない。無責任まりない。そういう無責任他人に糞を押し付けるような利己的な態度で仕事をしているから全体の制度も一向に改善しない。無責任であることを勧めるよりも各員が自分責任範囲責任を分担し全体を支えていくことで組織は円滑に駆動するのに、そのようなことが念頭にない。こういう奴ばかりだから会社行政も何も改善しないし無駄は減らない。そして責任者の所在玉虫色で誰も責任を取ろうとしない日本社会の悪癖がここにくっきりと現れている。

クレームが来たら会社に「ちゃん教育した人間を寄越せ」と文書メール)で放り投げるの。

唯一正しい。こういうことを上に進言して改善を促すことが全体の改革にも結びつく。

で、たか仕事くらいで鬱るな。

無責任でいいんだよ。

たか仕事くらい」「無責任でいいんだよ」といった安易他人任せの責任放棄的な態度でいるから何も改善しない。しかし誰かがその責任を受け止めて葉を食いしばって押し留めて仕事をしているから此奴はこんな風な態度でも生きていけるのであって、真面目にやっている誰かの仕事フリーライドしているだけでしかない。誰かが真面目にやっているからお前はそんな態度でいられるのだ。皆が皆お前と同じ人間だったらこの世の中の制度倫理崩壊するのだぞ。 

責任持った生き方しろ、なんて道徳を叩き込まれたんだろうが、あんなもん人を都合よく使いたい支配者の戯言だ。真に受けるな。

頑張れ。賢く生きろ。

かに支配者、経営者たちが労働者を都合よく給与以上に働かせようとしてそのような道徳を吹き込む場面はあるだろう。しか労働者として給与に見合う仕事をしているからこそ経営者怠惰と無策を批判できるのであって、労働者として不良に成り下がってしまっては奴等を批判することもできないのだ。そして会社企業で真面目に働くことは一緒に働く同僚の仕事生活を守ることでもあるのだ。一生懸命働くことは経営者奉仕していることではない。

なのにそのような真面目に真摯仕事に取り組む人物に「真に受けるな」とか「賢く生きろ」などという言葉を告げる。不良になれとしか言っていないではないか。それのどこが「賢さ」だ?そういうのは「ずる賢い」というのだ。

全体的に世の中や社会会社制度や慣習を改善しようと改良のための提言をしようといった姿勢微塵も感じられない。ただ現行の制度の裏をかいて要領よく生きようとするずる賢さしか感じられない。こんな処世術蔓延しているからこの国はこの国の企業は駄目なのだ。この国と企業文化の悪癖をささえているのはお前たちだということを覚えておけ。

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