男性の場合、それを性欲による倒錯だと言う人もいるけれど、そういう一面はあるのかもしれないがそれだけじゃないはずだ。
二人は精神の深い結び付きを求めて結婚という形をとったはずなのだ。
やがて夫婦には子供が生まれ共通の守るべき存在が二人の間に入ってくる。
それからは二人の精神の結びつきは子を介して行われるようになる、子を介することで二人の間にかつてあった二人だけの結びつきを深めたいという思いは薄れてゆく。
子はやがて親のもとを離れてゆく、そのとき夫婦の間に残るものは何なのだろう?
かつて愛し慈しむことを誓った二人に愛はあるのだろうか?今も慈しむことを誓えるのであろうか?
盆に実家に戻り親・兄弟(夫婦)の近況を聞きつつ我々家族はたしかにそこにいるがそれらを繋いでいるものは何なのだろうか?というのをずっと考えていた。
少なくともそれの1つは結婚であろうが、そこに愛があるようには感じない。
社会的に集団を形成することは生存に有利であるというが、人と人が集団を維持することは単純に生存のためだけではないはずだ、我々には魂があり精神が備わっており単純に損得で行動することは出来ない。
遺伝子は利己的
結婚は金融商品
では、何故人は結婚するのだろう?もう少し生きてみないと分からないのかもしれない。 理屈とか知らねーけどなんとなく結婚して子供を産むというタイプの遺伝子が残っているだけ...
結婚は薄い売春です
これは童貞か女
人類の半分超えてて草
(夫婦に限らず)人間関係や生活環境を新しく構築するのってだいぶエネルギーを使うことだから、子どもが独り立ちしたあとの夫婦も特段不満がなければそのまま何じゃないかなと思う ...