はてなキーワード: 中学生とは
私が中学生の時、放映されていたアニメエヴァンゲリオンでは、ヒロインの一人アスカが男の子に「アンタ馬鹿?」って言い放っていたし、同じクラスの女子は援助交際をしていた。
高校に入るとギリギリルーズソックスが残っていたし(地方だった)その頃の女子高生は最強世代だった。
だけど女子高生の制服を着ている時代が人生で一番痴漢被害が多かった。
世の中のコンテンツはだめな大人の姿であふれていたし、事実援助交際をしていた女子高生にとって大人の男は金づるだっただろう。
20歳を超えた頃には、強い女たちがセックスについて明け透けに語るコンテンツが多かった。
やがて肉食男子草食男子なんて言葉が出てきて、最近の男は情けないなんて言ってる人もいただろう。
でも一方で女性向けファッション誌ではモテスタイルだの愛され女子だの。一生女の子宣言、女子飲み、女子会。
結婚できる女と結婚できない女の違いとはとか、婚活レポ漫画が流行ったり。
30歳になる前にはなんとなく結婚できるような気がしていたのに、そうはならないと気が付いた女性たちが、30までには結婚したい!となっていく。
同性代の「良物件」たちは自分たちより若い女の子や、負け組勝ち組の価値観の中で必死に成果を出した女性とすでに家庭を築いている。
そりゃそうだ。ミレニアル世代の女性は同年代の男の子を平気で傷つけるような言葉を投げたり、売春をしていたり、
女は強くあるべきをこじらせて、競争心をさらけ出して負け組勝ち組言い出す。
それがその世代のすべての女性の姿ではないけど、男性が恋愛に消極的になったり付き合いが結婚に発展しなかったりする理由としては十分じゃないだろうか。
同世代の男性はそういう女性像もインストールしているのだから。
だけど大概の既婚女性は、結婚は大人として身を固めることで、子供を産んで母親になることこそが女の幸せ、ということを悪気なく(時に悪意もありで)押し付けてくる。
私は結婚を考えていた恋人の男性と、30歳で死別した。長い時間をかけてそこから立ち直ってきた。
死別する前に私は職場が原因でうつになっていたので、それが悪化したから本当に長い時間がかかった。
外に出て人と会うこともできるようになって、何人かとデートもしてみたが、私に新しい恋愛はいらない、が出た答えだった。
この事情を、おいそれと人に話す訳にはいかない。内容が重たすぎる上に、この歳で結婚していない、恋人もいないとなると、かわいそうに思われてしまう。
確かに悲しくてつらい経験をしたけれど、今の私は幸せに暮らしている、ということがなかなかわかってもらえない。
今の私は、子供の頃憧れた仕事をこの歳になってやることができている。
環境は大きく変わったけれど、私の価値観はあまり変わっていない。
いつでも手元にあるものを大事にして、幸せを大事に噛みしめること。
できるだけ人を傷つけたり心配させたり悲しませたりしないこと。
私にこの価値観をインストールしてくれたのは、星の王子さまと宮沢賢治。
メインストリームを追えない、同世代のみんなと好みがどこかずれている、人が普通にできていることが自分にはなかなかできない、そんな今までだったけれど、
おかげで人は人、自分は自分という価値観がOSにしっかりインストールできたことは、随分と自分を生きやすくしてくれているのかもしれない。
自分の人生では結婚と子育ては必須だと子供のときから考えていて
自分の子供はかわいいし、子育てをしているから得られる幸せもあったけど、「子育て」あんまり好きじゃないなぁ
子育て好きな人って保育士になったり、教師になったりするような人だと思う
子供に対しては、今は小さいから親のことめっちゃ愛してくれてるけど、成長したら友達や恋人やテレビに出てくるアイドルに夢中になり、親は空気みたいになるのかなあと思ってる
自分自身がそれほど自分の両親を好きじゃないため、子供が成長して自分でものを考えるようになったとき、私と子供が仲良しじゃなくてもそれはそれでしょうがないよな。人間だから相性あるもんなって考えてる
たまたま、あの両親のあいだに生まれたから私はあの人たちの子供になったけど、私はあの人たちをニンゲンとして好きじゃないんだよね。赤の他人だったらあの人たちとお付き合いしたくないわ。でも、世の中にはもっともっとひどい毒親がいるから、あの人たちはまだましな方の親だなって考えてる
だから、私の腹からでてきたからといって、子供に好かれなくてもしょうがないよな。親子といえど他人だしって考え方
自分の子供が不幸にならないように全力でサポートするけども、子供の人生は子供のものだから好きに生きてほしい。ずっと元気で幸せでいてほしい
子育ては面倒だしダルいけど、自分の人生になくてはならないもので、そして二人目の子供がほしい(双子だったらどうしよう。キャパオーバーだぞ。でも、双子を授かる可能性なんか低いんだから大丈夫大丈夫と言い聞かせてる)
四人家族が理想なんだよね。子供が成人したら家から出ていって小梨夫婦(二人暮らし)に戻るのが理想
子供あり夫婦って小梨夫婦の状態が味わえるのかなと思うと贅沢な気が
子育てってなんだろう。幼児期と小学生、中学生、高校生の子育てじゃ全然違うだろうし
今はまだ小さいから衣食住だけサポートして、倫理観はあんまり教えてないからある意味らく。人間に倫理や道徳を教えるのって難しいし、面倒だし
そういう人が中学生の頃俺よりテスト低かったやつら含めて大勢いるってことだからなあ。「馬鹿」が相対的に人より劣ってることを示す言葉ならば、これが今の世の中のレベルなんだから俺は馬鹿じゃない。
全部俺の印象論だよ。
そのあたりは個人の好みもあるだろうよ
いろんなバランスじゃない?
若さと、セックスのための身体の成長を重視するなら、高校生が一番なのではないだろうか
https://news.careerconnection.jp/news/126157/
こういうことを書くと周りから怒られるんだろうけど、「独身っていいなぁ」って心から思う。好きなことに時間を避けて、仕事が終われば基本自由で、自分が行きたいときに飲みに出掛けることもできる。
むしろ年々、結婚願望自体がどんどんすり減っている。理由は簡単で、僕は現在37歳。周りも結婚をした友人ばっかりになってきたが、やっぱりどこか大変そうに見えるのだ。
奥さんが文句を言うからリモートでもなかなか一緒にゲームできないだとか。奥さんが文句を言うから洗い物をしないとならないとか。奥さんが文句を言うから子供の面倒をしっかり見ないとならないとか。
なまじ、小学生の頃からの付き合いの連中がそういうことを言っているのを見るたびに「うへえ、じゃあ結婚しなくていいよ俺は」となってしまう。また、結婚をした女性の知人友人なんかを見ていても、隙あらば旦那の文句だったり、不満だったりを吐露しがち。男女ともに、結婚という契約のせいで日々不愉快な思いをしているケースばかりが目についてしまうのだ。
「毎日お父さんが疲れて帰ってくるの見てるから、将来ボク仕事なんてやらない!」って言ってる幼稚園児並みの思考。
筆者が専門的な調査などの客観的な数値・指標を一切用いずに周囲の半径数mの人間観察のみで記事を一つ仕上げてるから、
俺も周囲の半径数mの人間観察のみで話をさせていただくけれど、皆40超えると自分自身を欺けなくなってきてるよ。
「趣味があるから平気w」とか宣ってた連中は、押し並べてその趣味に向き合う体力や感性が衰えてくる。
同世代の連中は子育て優先で相手してくれないし、基本的におっさんという生き物が嫌いな若者からは露骨に避けられる。
かといって自分達より年上の中高年(バブル世代・新人類・団塊)とは価値観が違いすぎるし、内心老害と見下してるので当然話が合わない。
その結果、孤独感を紛らわすために自分自身興味も失せてたいして面白いと思ってもいないような、一人で完結できる趣味に金と時間を無為に費やす。
緩やかなセルフネグレクトで生活そのものが疎かになっていき、頭が禿げて腹の出た、ものの見事にキモいおっさんに成り果てる。
気まずさから親兄弟や親類とは疎遠になるし、高齢独身は存在自体が不審者扱いなので新しいコミュニティや地域社会に溶け込むのもまず無理。
慈悲の心を持って、不幸極まりない高齢独身者達と酒を酌み交わしてやると半泣きで「結婚すればよかった」「家族が欲しかった」とこぼすよ。
酒飲んだ帰りに塾帰りの中学生とすれ違って「俺にもあれくらいの子が居てもおかしく無いんだよな・・・」とか泣き言を言われた時には
明るくて賑やかでよく笑う子だった。通夜で見た棺の中で、大好きだったサッカーのユニフォームを着せられて笑っていた。用事があって行けなかった葬式には500人を超える参列者が来ていたらしい。人望も厚い子だった。
彼と私は小中の9年間、一緒に過ごした。片田舎の小さな学校だったので、定期的にクラスも一緒になった。が、特に大した思い出もないまま卒業して、別々の高校大学に進んだ。成人式ですれ違うことも特に無く、会えなかったことを残念がるほど深い仲でもなかった。というか、成人式の私は彼の存在すら忘れ去っていた節まである。それくらい、私の中の彼の存在はとても薄かったのだ。
大学3年のインターンシップで、本当に偶然彼と再会した。「えっ久しぶり〜」「久しぶり〜、マジで卒業以来じゃね?」みたいな会話を交わした覚えがある。インターンメンバーは6人いたが、その中で顔見知りだった私たちは特別喋るようになった。彼は特に変わっていなかった。変わっていたのは彼の体だけだった。
この頃既に病魔に侵されていた彼は、度々通院のためにインターンを休んでいた。ガンであることは全員最初に聞いていたが、あまりにも元気そうで「ズル休みのレベルじゃん」なんて笑われていたが。病気してる人でイメージしやすい「常に顔色が悪い」「途中でぶっ倒れる」といったことも一切ないまま、インターン期間を終えた。その期間で交換したインスタのストーリーには、いつも筋トレかサッカーの写真を載せていた。
そこから末永い友情を築いたとか色恋に発展したとか、漫画ならありがちな展開になることも特になかった。お互いにインスタのストーリーでなんとなくの近況を知る。彼はちょくちょく手術や入院をしていた。医療に関してさっぱり学のない私は、その点滴が何を意味しているのか全くわからなかったが、ただ確かに彼の病気が進行していることをほんのり感じていた。
インターンから半年経った頃、彼が亡くなった。中学の同級生のインスタで知った。せめて通夜くらい、と思って、卒業以来縁を切っていた地元の人間に10年振りくらいに連絡を取り、参列した。
会場の中には、彼の小中高大までの思い出の写真と一緒に、インターンで6人で撮った写真が並べられていた。それを見てワッと泣いた。インターンの楽しかった記憶が鮮明に思い出された。彼のお母様に、彼がインターンを頑張っていたこと、すごく頼りにしていたことを話した。お母様は泣きながら「あなたも頑張ってね」と肩を叩いてくださった。彼の友達も親族も恩師らしき方々もみんな泣いていた。通夜に善し悪しがある訳では無いが、すごく良い式だったと思う。
さて、ここまでならまあ、割と無い話ではないのだろう。問題は通夜の最後だった。
「目を閉じると、故人様との楽しかった思い出が甦るようではないでしょうか」
司会の人の優しい声に促されるように、泣き腫らした目を閉じて、彼との楽しかったことを思い出す。インターンは勿論、せっかくだから小中まで遡って思い出してみるか。小中も何か…何か、こう、運動会とか文化祭とか、彼との思い出で楽しかったこと…
あれ、そういえば私、あいつに殴られてたな?
何故忘れていたのかわからない。多分記憶から抹消していた。私は確かに中1の1学期、彼に毎日のように頭を殴られていた時期があった。
その当時味方になって守ってくれる友人もいたし、先生もよく怒ってくれていたので、いじめというにはちょっと足りない気もするが。1学期の間で何故か完全に終わったし。そこからわざわざ関わろうとしなかったし。それでも確かに、中学生男子のフルスイングを女子の頭で受け止めていた時期が、あったのだ。
次に目を開けた時、号泣する周囲とは裏腹に、既に瞳はカラッカラに乾いていた。インターンにいた優しい彼も嘘ではないが、それ以前にやられていたことが、21の大人になった私から見てもまあ酷くて、とても泣ける気にはなれなかった。
前にそれほど関わりのなかった祖父が亡くなった時でさえ、亡くなってからしばらくは「あの年は運動会来てくれて嬉しかったなあ」「テストの点褒めてくれたな」なんて楽しかった思い出を思い出して偲んでいた。それが、ガッツリ9年間関わった彼の思い出は一切鮮やかなものではなくて、途端に故人との記憶として思い出すにはしのびなくなった。
1つ思い出すと、まあ芋づる式に出てくる出てくる。特別酷かったのが中1というだけで、基本いじめっ子だった彼はいじめられっ子気質のあった私に嫌なタイプのちょっかいをかけて遊んでいた。靴に虫を入れられたり、帰り道小石を投げられたり。本当に、なんで忘れてたんだろうね。
彼が死んだ後、彼を思い出してもインターンの優しい彼ではなく、中1の時に真顔で私をぶん殴る彼の顔しか出てこない。彼は変わっていないと思っていたが、そんなことはない。記憶である程度美化された彼の姿と、大人になった彼の姿がたまたま一致しただけで、彼はものすごく変わったのだ。そのきっかけが病気なのかはさておき。
ここまで読んでくれた人で、人をいじめたことがある人。過去は、消えない。何をしても。
きっと10年近く前の話だから、中1にやられていた事もある程度私の中で脚色されているとは思う。それでも、いじめを受けていたという事実は変わらない。その内容がどうであれ、過去の傷は見えないようにしているだけで消えない。
あなたが死んだ時、一瞬でも「まあでも死んでいいタイプの人間だったんじゃない」と思われることを覚悟して欲しい。どれだけ今のあなたが善く生きていても、過去に深く傷つけた人はあなたの悪事を忘れない。
まあ、故人に対してこんなことを思う私も、大概ひん曲がっているとは思うけどね。
そこで優しく色々話してくれる、大学生の男の人がいた。
大学生の男の人はすごくその界隈で人気があって、いっぱい女の子からリプが来ていた
当時発売開始された、彼が好きな清涼飲料を飲んではTwitterに報告して、リプ待ちをしていた。
いつしか好きが高まりすぎて、DMで告白した。彼女にしてくれることになった。
ただその人は関西に住んでいて、中学生の私にはとても会いに行ける距離ではなく
会いたい会いたいと繰り返すものの、会いに来てくれるわけでもなく
しかも顔も知らないままだった
彼は相変わらず界隈の女の子に人気があったので、それに私は嫉妬しまくって駄々をこねたが
めんどくさがられて、しんどくなった。
そんな時に、別の2つ上の男の子が優しくしてくれたので、そっちを好きになっていった。
・お母さんのぐうたら主婦ぶり
・お母さんのおばさんパーマ
・いがぐり頭の横暴な野球部の先輩
以上の設定は、30年前はまだ「あるあるネタ」だったと思うが、最近はさすがにちょっと厳しい。ど田舎だったらかろうじて残っているのかどうか、という感じ。
時代劇化はサザエさんもそうじゃないか、と言われるかもしれないけど、政治と社会に毒づく元々のいしいひさいちの作風を考えると、現実の社会とずれまくった漫画を描き続けていることは、ちょっと残念な展開。
地域ガチャNで動物園みたいな中学だからクラスの半数が偏差値40のヤンキーだらけなのよ
俺はクラスでトップ争いするくらい賢かったがオタクノリみたいなのがキツイのでそっちとは関わらなかった
でも頭の悪い連中とつるむと学力は落ちる
私立だったら両立出来ただろうに
俺は伊沢拓司が嫌いだ
俺が中学生の時に名門校の情報を得られるのが高校生クイズだけだった 今ならBSテレ東で麿がMCやってる番組でも得られる
伊沢は当時太っていた。そいつ含め名門校のクイズ研究部はチー牛ばかりなので当時クイズが好きだった俺も名門校に憧れることはなかった
自分のまぶたが一重で、世の中には自分とは違う二重まぶたを持っている人間がいる、と気づいたのはいつだっただろうか。
クラスで可愛くてモテていた女の子は大体二重まぶただと気づいたのは、それと同時に一重まぶたの自分をコンプレックスに思うようになったのはいつだっただろうか。
父親はぱっちりした二重まぶた、母親は奥二重。そんな2人から生まれたわたしは、これでもかというくらい脂肪がのっかった完全なる一重まぶたである。
小学校中学年にもなると、自分も周りも、人の「顔」がものさしで比べられるということが少しずつわかるようになってくる。
この頃、わたしは自分の顔が他人と比べて劣っていることに薄々気づいてきた。
じゃあなんで?わたしの顔は可愛くないんだろう??
そう考え、クラスの集合写真や、可愛い友人と撮った写真を改めて見た時に思うのだ。
「わたしの目、なんか重いし、細い……」
自分のまぶたには一重、そして可愛いあの子のまぶたには二重という名前がついていることをいつ知ったのかは覚えていない。
中学校になると、好きな男の子もできて、自分の見た目がすごく気になりだした。
家のルールで1日1時間だけ使っていいと親に言われていたインターネット。
「二重 方法」「二重 なりたい」「二重 マッサージ」毎日毎日飽きずに1時間丸々使って検索し続けた。
ヤ○ー知恵袋の二重に関する質問は全て読み尽くしたのではないかと思うくらい読んだ。
一重まぶたでもお金をかけずにマッサージで二重になることができる、ということを知ったわたしは、毎日死にものぐるいでまぶたをマッサージした。オ○ナインが脂肪燃焼に効くと見ると、それから毎日オ○ナインをまぶたに塗った。輪ゴムを結びつけ合わせて大きな輪っかにして、それを頭から被ってまぶたに食い込ませて癖をつけながらお風呂に入ったこともあった。インターネットで自力で二重になるためのマニュアルが売られていたので、お年玉で買いたい、と母親に訴えると、「馬鹿じゃないの、あんたはそのままで可愛いのよ」とあっさり切り捨てられた。
中学2年生のとき、クラスに同じく一重まぶたに悩んでいるAちゃんという子がいた。
ひょんなことからお互い一重へのコンプレックスを持っているということがわかり、一気に仲良くなった。
とても悲しい物語だったのだが、見終わったあと、わたしとAちゃんが1番に口にした感想は、
「映画に出てた女優さん、全員二重だったよね!」というものであった。
そんなに悩むくらいならアイプチやアイテープをすればよいのでは、と今の自分なら思うのだが、当時のわたしはアイプチは中学生が買ってはいけないもののような気がしており、購入には至らなかったのだ。
当時よく読んでいたセ○ンティーンには、よく某高級アイプチの広告が載っており、実際に二重になったという人の口コミがいくつも載っており喉から手が出るほど欲しかった。(これに関しては中学生の小遣いにしては高かったので諦めていたが……)
そんな中、ある日の休み時間に突然Aちゃんが「ソッ○タッチ(靴下が下がってこないように止めるアレ)で二重にできる!」と言い出した。
めちゃくちゃまぶたに白いノリのカス?がついてはいたものの、なんとなく二重にはなった。
しかし、違和感がすごく、こんな顔で先生の授業を受けられないと冷静に思い、休み時間の間に即顔を洗ってノリを落とした。
なんで生まれ持った二重の友達は何の苦労もせずに、わたしがこんなにも憧れている二重を手に入れているのだろう……こんなに頑張ってるのになんでわたしのまぶたは激重一重のままなのだろう…………悩めば悩むほどわたしは自分の顔をコンプレックスに感じるようになっていった。
「なんで二重に産んでくれなかったの?!お母さんは二重だからわたしの気持ちなんてわからないよ!!」
そう言って母に八つ当たりする日もあった。
「○○ってアイプチとかしないのー?したら絶対可愛くなると思うよ!わたしも一重で悩んでるから毎日アイプチしてるんだ!試しにわたしの使ってみない?」と声をかけられた。
慣れた手つきでBちゃんがわたしのまぶたにアイプチを塗り、プッシャーでわたしのまぶたを折り込んでくれた。
「できたよ!自分で顔見てみなよ!」と言われ、鏡を見た。
そこには、中学生の頃使ったソッ○タッチとは比べ物にならないくらい自然な仕上がりで、ハッキリと二重の線がついているわたしがいた。
Bちゃん愛用のアイプチを教えてもらい、帰りにドラッグストアに買いに行った。
家で何度も何度も練習し、自分の中で比較的自然に二重にできるようになったと感じてからは、高校にもアイプチをして行くようになった。
今思うときっとバレバレの二重だっただろうし、突然激重一重だったわたしが二重(変わらず激重ではあった)になったのは違和感満載だっただろうが、やはり触れにくかったのだろうか、周りからはあまり触れられなかった。
コソコソ噂をされるのも恥ずかしかったので、仲良しの友人たちには「アイプチデビューしたんだ!!」と明るく伝えていた。
友人たちは「可愛くなったじゃん!」と褒めてくれた。
毎朝、今までよりも30分早く起きて二重を作った。
寝坊しても遅刻しそうな時も、遅刻をしてでも二重を作って学校に行った。
授業中、寝たら半目になることが分かっていたので、死にものぐるいで寝ないように耐えた。
夏の体育のプールは1番の悩みだった。最初から最後までゴーグルで目を全力でカバー。授業が終わると1番に着替えて鏡とポーチを持って女子トイレに直行。個室で二重を整えた。
いかに自然で綺麗な二重を作るか、日々研究を重ねながら技術を上達させ、わたしは大学に入学した。この頃には百均のアイテープ+アイプチという自分の中での最強の組み合わせを確立させていた。
大学の同じ学部には元々の知り合いはおらず、一重のわたしを知っている人は一人もいなかった。
「わたしは二重」そうみんなに思われていたくて、友人や彼氏の前でも絶対に一重の姿は見せないようにした。
お泊まりのときは、寝る直前までアイテープを取らず、電気を消してからそっとテープを取っていたし、朝はアラームをかけて誰よりも早く起きてトイレでこっそり二重を作って布団に戻って二度寝していた。
わたしは医療系の学部に通っていたため、病院での実習があった。そこで入院患者さんを見た時に、ふと、「わたしがもし入院することになったら、わたしは病室でも毎日看護師さんたちが来る前に二重を作るのだろうか……」と考えた。
ニュースで避難所の様子が映っていた時に、「突然地震が来て、避難所にアイテープを持っていけなかったらどうしよう……一重のわたしなんて絶対に誰にも見られたくない」と漠然と不安になった。
大学4年の頃、久しぶりに中学時代一緒に一重のことで悩んだAちゃんに会った。
Aちゃんは自ら、「あの時散々悩んでたけど、結局埋没で二重にしちゃったー!すごく楽になったからやってよかったと思う」と笑顔で話してくれた。
まだ想像はつかないけれど、社会人になったらきっと忙しくなるだろうし、整形するなら今なのかな……。
わたしはその後、すぐに某美容整形外科でカウンセリングを予約し、そのままの勢いで埋没術を受けた。必死にアルバイトをして稼いだお金と引き換えに、10年近くコンプレックスを抱いていた一重まぶたとおさらばし、憧れの二重まぶたを手に入れた。
埋没をしてから数年たったが、わたしの激重まぶたは案外きちんともってくれており、今もわたしは二重である。寝坊しても、二重をつくらずにそのまま家を出れる。お泊まりをしても、人より早く起きて二重を作らなくてもいい。
こんな長文を書くくらい悩まされていたので、本当に本当に施術を受けてよかったと心から思っている。
人生で1番してよかった買い物だと自信を持って言える。
二重になったわけだが、他のパーツが人より優れているわけではないので、残念ながらわたしの顔は決して可愛くはないと思う。しかし、二重を手に入れたことで、日々の楽さ、そしてコンプレックスだった目への自信が少しついて、以前よりは自分の顔をマシかな、と思えるようになった。
世の中、美人!可愛い!とされる人は大抵二重だ。モデルや俳優さんも多くは二重まぶただ。
もちろん一重でとても素敵な人もいる。
しかし、なんというか、二重が正義というか、二重の方がやはり良しとされている雰囲気、一般論?はあるように思う。
わたしにもし一重の子どもが産まれても、別に整形を勧めるつもりはないし、整形したいと言うのであれば、自分の稼いだお金で勝手にやればいいと伝えるだろう。
「ありのままのあなたが素敵」なんてよく言われているかもしれないが、わたしはありのままの自分が大嫌いだったし、別にありのままでいる必要はないと思う。ありのままの自分が好きな人はありのままでいればいい。どちらも間違ってないと思う。
このブログは別に一重を否定する訳でもないし、二重にすることを助長する訳でもない。
ただ、一重だったわたしがずっとコンプレックスを抱えていて自分の顔が好きになれなかったことを思い出して、ふと書いてみたくなっただけの散文である。
一重の人も、二重の人も、自分がなりたい自分でいられたらいいと思う。
特にまとまりはないが、書くこともなくなったので終わろうと思う。
文中に書いた二重になる方法は、無知なわたしがやっていただけであり、皮膚のことを考えるとマネしてほしくないものもあるので、ご注意を。
ここまで読んでくださった方がいらっしゃれば、ありがとうございました。
個別指導塾で4年ほど働いている。
自分の働く教室ではカモ、いやもはや詐欺といってもおかしくないレベルの指導のゴリ押しが横行しており、やるせなくなってきたので一部を書く。
まず初めに言っておきたいことは、個別指導塾に来る親子には総じてバカが多いということである。
そして親の方は受験の知識もノウハウも何も持ち合わせないまま、とにかくプロに金さえ出せば合格に導いてくれると思っているバカ親だ。
こういう親は集団指導塾に行っても子にどの授業を受けさせればいいかわからないので、全部”おまかせ”でやってくれるオールラウンダー、1対1で見るからに高級感のある個別教師を信じてやってくるわけだ。
相手が受験の知識を一切持ち合わせていないと知るや、無知に付け込んで甘言を流し込み、本来なら手の届かないような難関校にも合格できるかも、と思わせる。
どうです、今ここで1年頑張ればその後の人生が大きく開けてきます。僕たちと一緒に頑張ってみませんか。
そして「難関校に合格するための」大量の授業を素早くセッティングしてしまうのである。
というのも、模試を受けると生徒の悲惨な学力が明らかになってしまい、親子が夢から覚めて正気に戻ってしまうからである。
なので、実力がつくまでは逆に負担になるとか、模試は直前期だけでいいとか適当を言って外界と接触させないようにする。
過去問も解かせない。
外界と接触させないというのは問題もそうで、大学受験レベルになると流石に青チャートとかの一般書を使うんだけど、小学~中学くらいなら塾が用意したお手製のプリントとかを使う。
客観的に判断して内容は間違ったこと言ってないし、まぁよくできてるプリント。
だけど全てが塾の中で完結していくので依存度が高まるという点で注意。
ここが一番の詐欺ポイントで、受験に関係ない科目を授業の山の中に紛れ込ませてしまうのである。
例えば本来は「数学Ⅲ」が必要な生徒なのに、まずは基本を固めましょう!と「数学1A」を延々とやらせてしまうとか。
もしくは9割が文法問題を占める英語の試験なのに、長文読解の対策授業を受けさせるとか。
親子はハイハイと言われるまま授業を受けているので気づかないの。
信じられないと思うだろうが、サロン的な個別指導塾に来る親子は本当にこのような、自分の頭で考えない人が非常に多いのである。
個別指導に来る子の成績不振の原因というのは、大体が「復習が自分でできない」ことに収束する。
集団指導塾に通う生徒や塾を必要としない生徒は、受けた講義の復習を自宅でして...という良サイクルができるのだが、個別指導の子は復習ができない。
だから自分1人で勉強してもちっともわからないけど、先生に質問しながらやるとできるぞ!ということで講師に依存していく。
本当は少しずつ講師を脱却して自習サイクルを身に付けないと受験では戦えないのだが、そんなことを言っていては個別指導塾も商売にならないので、より講師に依存させていくのである。
親子が成績が伸びない...と不安を吐露しはじめたらチャンスで、じゃあもうちょっと頑張りましょうか!と更に授業を増やしてお金を取る。
本来生徒に足りないのは家での反復復習なので、教室での新たな知識の詰め込みを増やすのは悪手。
やっぱり成績が伸びない...→じゃあもうちょっと頑張ろう!の無限ループでどんどんと授業が増え、親の財布も子の体力も擦り減っていく悪循環。
終いには反復復習も塾内でやるようになっていって、1つ専用の自習室があって、そこに缶詰で勉強する。
部屋には常に1人講師がいて質問に答えたり雑談したりして生徒と仲良くなっていく。
仲良くなるだけなら全然いいんだけど、塾やめたいけどあの先生がいるし辞めると気まずいし...とか言い出したらヤバいから早く辞めた方がいい。
いいように振り回された子どもには、基礎的な力は全くついていない。
無理な範囲の勉強と日々の授業ラッシュをこなしボロボロになっているので、言わずもがな学力は悲惨なものだ。
そろそろマズいな、と思ったところで漸く模試を受けさせる。
そして模試の結果にショックを受ける親子に、ここまで頑張ってきましたが残念...しかしまだ希望はあります!今からこの大学に向けて必死に勉強しましょう!!とかなりランクの落ちた大学を勧め、適当に勉強させる。
大学のランクをかなり落とすので、あれだけ高いお金を払って勉強した数Ⅲも難しい長文も出ない。
最初から身の丈に合った大学を目指して勉強していればあんな高額で無茶スケジュールの授業なんて受けなくてもよかったのに。
一部の個別指導塾ではこのような詐欺レベルの商売が平然と横行している。
自分の頭でちゃんと考えられる親子にとっては、個別指導は適切なサポーターとなりうる。
バカなので自分たちがカモられていることに最後まで気づけない。
もっと酷いと、受験ストレスで疲弊した親子が家庭内で衝突したりして子の成長に悪影響を及ぼす(実際そういう生徒も見てきた)。
自分もカモられていることに気づいたときは生徒にそれとなくプランの見直しを勧めたりしているが、自分1人の手ではどうにもならないのが現状である。あ~あ!
バカは搾取されるだけなんだ...バカを治すために入塾する塾でもこの有様。
どうしたらいいんだろうね?
【追記】
思ったよりたくさんの方に見てもらえているようだ。ありがとうございます。
当たりです。
ポスターになるような輝かしい実績を持つ生徒っていうのは、ぶっちゃけ最初から頭が良い生徒。
個別指導の塾っていうのは集団指導に比べるとちょっと特殊で、最初は落ちこぼれだったけど頑張って成績上位に!みたいな子は実はかなり少ない。
最初から成績上位の子が入ってきて、それが更に伸びて輝かしい合格を掴む、っていうケースが大半。
つまり、できる子は自分の苦手なところもよく理解しているので、その苦手部分だけ効率よく週1回の授業を取って、あとはこっちが何も言わずとも勝手に勉強してくれるのである。
この点集団指導だとどうしても大多数に合わせたカリキュラムになっちゃうから、賢い子ほどオーダーメイドの個別指導を上手く使っているという感じ。
塾があれこれ言わなくても自分で模試受けて次はここの授業をお願いします!って頼んでくるし、それで合格実績にカウントできちゃうんだから気楽なものである。
纏めると、成績上位の子ほど少ない授業料で最大効果を出すので、その分の金はカモの子から引っ張っているのだ。
集団指導の塾では成績上位の子には奨学金が出たりするみたいだけど、落ちこぼれほど負債を背負い込む構図はどこでも一緒なんじゃないかな。
おっしゃる通り。
勿論最初から模試をちゃんと分析して、面談できちんと質問してくる親もたくさんいる。ただ、そうでない親も、結構いる...。
あと、確かに自分の教室はかなり悪質なものだと思うが、仮に悪意がなかったとしても結果的にこのようなケースに陥ってしまっている親子は多い。
塾側が誠実にしっかりスケジュールを組んだとしても、子の学力が予想を下回っておりスケジュールについていけなくなるパターン。
親子塾ともにやる気はあるのでなんとかしようと更に授業を詰めるけど、効率が落ちる悪循環。
全員が焦ってしまい、直前講習や補習に金を注ぎこむも結局は不合格、というように。
良くも悪くも塾と親子の距離が非常に近いので変な連帯感というか、駄目な時の文化祭前夜みたいになってしまっているのをたまに見かける。
時には退くことも大事だし、厳しい言い方になるが、そのお金を本当に今この子に注ぎ込んで後悔しないかじっくり考えた方が良い。
一理ある。一理あるが、それでもあえてバカと呼ばせてもらう。
いいか、世の中にはほんっとにどうしようもならないバカだっているんだ。
自分だって悪人じゃないからカモられてる親子を見つけたらこっそり生徒に話を聞くし、後述するお楽しみ会の時とかにそれとなく話を聞くよ。
でも駄目なんだよ。駄目なんだ。終いには心配するこっちが「人の指導に口を出す迷惑な講師」ってことになっちゃう。
子どもも子どもで金持ちのボンボンなんだか知らないがそもそも人の話を最初から聞かないやつも多い。
一応言っておくけど障害とかストレスとかじゃなく、ほんとにただこっちを舐め切っているやつとか。
答えのプリントを写してやってはいけないことを懇切丁寧に説明して、じゃあ問題解いてと言ったら目の前でまた答えをガン見し始めた時は度肝を抜かれたね。塾に来ないでくれ。
そんな中でも本当の被害者、つまりバカ親の下で振り回されるよわい子どもみたいなのは一定数いて、そういう子を見ていると本当に辛くなる。
子どもは親を選べないし、塾も選べないもんな。親は金だけは持ってるからな...。
これ!これはかなり気をつけてほしいところなので書いておく。
1人捕まえたらねずみ算式に人を呼ぶために、今度は捕まえた子を勧誘者側に取り込んでしまうんだ。
教室にはすごろくのポスターが貼ってあって、1人勧誘して教室に連れてきたらすごろくのマスが1進む。
一定のマスまで進むと「ガチャ」が引けて、ガチャポンマシーンを回して図書券だの消しゴムだのを当てる。
生徒も結構ガチャ中毒というか、フォートナイトのスキンの話ばっかりしてる子とかもいるのでやった~!となってしまうんだよね。
あとは教室内で定期的に「お楽しみ会」を開く(この時期ならハロウィン会とか)。
お菓子をいっぱい用意して、塾生じゃない友達も誘ってあげてね、って生徒を学校に送り出し、勧誘させる。
お楽しみ会には親も参加できるので、友達の輪、ママ友の輪から更に入塾者が増え...みたいな。
こういう塾ってもう内装とか人の話し方がかなりオンラインサロンっぽくて、あっヤバいな、と一瞬でわかる雰囲気があるのだけど、サロン文化に嵌った親には寧ろ意識の高い良塾として映ってしまうらしい。
本当にそうです。
全員が善意でも結果としてこのようになっているケースもある。
大手でも全然あります。大手でも教室ごとに個性がかなり出るし、上記のような手で業績を出してる教室も確実にあるだろう。
外から見れば綺麗でも、中に入ると全然違って、何かがおかしいのに指導されている子ども本人は気づけなくて、親も駄目で、全てが狂っていく家族は世の中にいっぱいある。
塾は行かせれば成績が上がる魔法のアイテムじゃなくて、メリットデメリット併せ持つもの。
体力も減るし、ストレスもかかる。お金も減る。時間も減る。夜寝る時間が遅くなる。
今、子に与えるこの授業が家族にとって苦い良薬になるか、毒になるかを親がしっかりと判断してほしいと思っている。
そもそも注射嫌いでインフルエンザの予防接種とかも前の職場で打たないと出勤停止にするやでって言われたから仕方なく打ってたレベル
(辞めてからは打ってないし入社する前も中学生くらいまでしか打ってなかった)
今の職場、ひとがいなさ過ぎて自分が抜けたら仕事回るかわからんって言うのもあるんだけど
周りがみんな副反応?で3日~1週間くらい調子崩してるの見てるから余計にこわい
あとファイザーはファイザー製の別の薬でアレルギー持ってるからこわい
痛いのも嫌だし現場仕事だから副反応?で体調ボロボロの中で屋上とか地下ピットの点検とかしたくないし
うっかり手滑らせて落ちましたとか洒落にならんじゃん
でもなんかコンサートとかもワクチン接種してる人に限りますみたいなことになりそうというか
どっかの自治体そんな声明出してたよなあって思うと打たなきゃなあとも思う
身内はみんな打ってて自分だけ打ってない
いつ行くの?とか予約なしでも行けるらしいよ、とか親切心で教えてくれるけど
こわいんだよなあ……
中学生の時に精神を病んで、もう死のうとおもってたけどなんか怖くて死ぬことができなくてずるずる生きてる。
精神疾患は今も治ってない。病院に通院して先生と話して薬もらってなんとか生きてる。働いてないから自分の収入はなく親にお小遣いをもらっている。
そんな自分の現状が後ろめたく、生きている価値なんてないと思っている。中学生の時に思い切って死んでおけばこんな苦労はしなかったのか?と考えてさらに苦しくなる。
高校時代に後輩が自殺して、自分自身も精神の状態をさらに悪化させた。それから、自分のことを傷つけたりするのも、周りに迷惑をかけるような気がしてやめた。自傷行為は不適切な行動ではあるのだが、しんどい気持ちのはけ口がなくなった。
自分の病気はあまりメジャーなものでなく、説明しても分かってくれることはほとんどなくてそれも悩みの種だ。学生時代は長らく不登校だったこともあり勉強もついていけなかったし、体調が悪化して大学にも行けなかった。よくよく考えればやりたいこともなかった。同じ世代の「うまく行っている人たち」は就職して仕事に慣れて、日々の生活や恋愛などを楽しんでいるのかなぁ…と思うと私の人生ってなんだろうなと思う。なにも楽しくない。いつも戸惑うことばかり。
女装してタイトなミニスカートを穿いて電車に座り、向かいに座った男性の反応を楽しむという行為だ。
スカートと脚の隙間、いわゆるデルタゾーンからこっちのパンツを見ようとしている男性の姿を楽しんで性的に興奮している。
寝てるフリをして薄目で見る人もいるし、チラチラとこちらを見たあとに車内の様子を見て「オレは気にしていないぜアピール」のようなことをして誤魔化そうとする人もいる。
スマホを見るフリをしてこちらを見ている人もよくいる。もうこちら側から見ればだいたいわかる。興奮する。
あと「そのスマホの構え方と視線、おまえ明らかに盗撮してるだろ」みたいな人もときどきいる。こういうのマジで興奮する。あとで見返してシコるのか?好きなだけシコってほしい。想像するとまた興奮する。
こないだは向かいに座った男子中学生3人組のうち一人がこっちを見てモジモジしていたので「カッワイイ~」って思っていたところ、そのモジモジしていた彼が自分のスマホを2人に回覧させたんだ。
そうしたらモジモジ君のスマホを見た2人が急にこちらを見てニヤニヤしだした。おそらくモジモジ君のスマホには「あの女、パンツ見えてる」みたいなことが書いてあったんだろうな。あまりにもかわいすぎてメチャメチャに興奮した。
「自分の事を可愛いと思って生きてきたブス」の話をさせてくれ、私のことなんだが
私は自分の見た目に1ミリも興味がなかったし他人という人間にも興味がなかった。
服は親がこだわって買ってくれてたのでちゃんとしてたけど、全く興味がなかったし周りの子達の女子らしい会話にも興味がなかったので友達はいなかった。
ところが当時、学年で上位3本に入るくらい可愛い子(仮にmちゃんとする)が、何故か私の事をめちゃ好きだった。
その子は天然でおっとりしてたのだが、多分私の暗さを「大人しい」と解釈して、仲間意識のもと近寄ってきたんだと思う。
私は他人のこと気にしない人間だったのでクラブ活動もオタクしか集わないお絵描きクラブに入った。mちゃんも絶対興味無いのに、私と仲良くなりたいが為に同じクラブに入ってくれたりしてた。
しかし当時の私は「なんでコイツいつも横におるねん鬱陶しい」とか思ってた。マジで最低である
ところで私には超絶可愛くて陽キャな姉がいる。
そこで初めて私は「あいつって可愛いのか」と認識したのである。
私には当時から「可愛い女は可愛い女とつるみたいんやろ」という偏った概念があったので、そこから「可愛い女に好かれるってことは私も可愛いってこと!?」という思考が生まれてしまった。
しかし超絶プリティー陽キャな姉が「そこは変な人が多いからやめておけ」と言うのでとりあえずテニス部に入る。
今思えば当時の中学生はオタクに厳しかったので、あのまま美術部に入ってたら学校生活死んでたと思う。
そして奇しくも私は、テニス部に揃っていた"学年で可愛いとされる三人衆"と連むようになった。家が近く、たまたま登下校を一緒にした為だ。
3人はまじで可愛かったので、そんなのと一緒にいる私も可愛い!と本気で信じてた。
3人は週替わりに告白されるくらい人気だったのに対し、私は1度もそんな告白されたことない。でも自分を可愛いと思ってた。
その子たちが陽キャだったので、学校の有志発表で一緒にダンスを踊るなど身分不相応なこともした。
その時のビデオに、1人だけ明らかにバケモンみたいにデブでブスのやつがいて「誰だ?コイツは?」と思ったりもしてたけどそれでも自分の美貌を信じてた。
そして高校。
入学当初、「〇組の(私の名前)ちゃんって子が可愛い!」と一部で軽く噂になり「え〜そんなの噂だよ〜」と謙遜していたが、この頃にはもう自分の美貌は揺るがないものだと確信していた。
あとから知ったことだが実は、同じクラスに私と同じ名前の子がいて、おそらく噂になってたのはその子だったらしい。
どういう事なのかと言うと、実はゲロマブクソかわギャルの実姉がこのモデルの親友の地位を勝ち取っており、幸いにも姉妹仲が良好だった為わたしも仲良くしてもらってたのだ。
そんな実姉の存在を知らないクラスメイト達から「なんであの人と仲良いの!?」などと詰められてドヤ顔していたが、今思えば「なんでモデルとクソブスなお前が交流あるの!?」ということだ。最もな疑問だった。
ここで異変に気付くことになる。
今まではオタク一筋に生きていた為、異性に興味のキョの字もなかったが、とうとうここで「そろそろ彼氏作ってやってもいいかな」などと思い至ったのだ。
かなり上から目線だが、私の彼氏になりたい人はごまんと居ると思っていたので仕方ない。
ついに行動を起こす。合コンに赴き、街コンに赴き、飲みサーに顔を出し……。
ここで違和感を覚える。
一緒に参加していた友達は、当たり前のように連絡先を聞かれている。なのに私にはまるで一声もかからないのだ。
いや、1人にだけ聞かれたことがある。
上から目線の思考はどこへやら、もはや嬉々としてLINEを教えた。しかし帰宅後彼から送られてきたメッセージは、ただのサークルの勧誘だった。
どういうことだ?
周りに話を聞いてみると皆、ご飯行きましょうやらいつ空いてますかやら聞かれているらしい。
おや?これはもしかして、私はモテないんじゃないか?と、20年以上生きてきてようやく気づく。
ふと、小中高のアルバムを見てみる。
そこには眉毛は薄く目はチベットスナギツネのように細く、全体がもう、なんだ、大根みたいなやつが映っていた。
1度冷静になってみて、はじめてわかった。
私ってブスだったんだ。
本当はひとつひとつに丁寧にコメを返したいのですが、はてな初心者ゆえ「返信とはどうやるんだ?」と詰みましたので追記にて失礼します。
こちらは不意にこれまでの人生を振り返り、ついでに記事にしたろ!ついでにみんなにも楽しんでもらお!と思い、某つぶやきツールのフレンド達に読んでもらうことを前提に綴ったものになります。より多くの人に楽しんでもらえたらラッキーだなくらいの気持ちでここに綴らせて頂いた次第です。
ネットリテラシーガバ女なので、フレンド達は私の顔を承知した上で読むという算段でした。
つまり、こんなに閲覧していただけると思わなかったという事です!本当にありがとうございます!
あまり後から足すのは良くないのかな?と思いつつ、確かに色々想像できない書き方だったな…と感じたので、簡単に家族スペックだけまとめますね。
父
・童顔
・耳がでかい
母
・若い頃はつり目、一重、鼻がでかい(今は二重、歳のせいかタレ目気味になっている)
姉
・昔からファッションや見た目に自我があった。母が買ってきた服を嫌がって着なかったり、可愛い友達の真似したりしてた
・顔が父に激似(父は全くイケメンではないけど女の子にするとこんな可愛いんだな、といつも思う)
・「ギャルなのに頭が良い」に憧れて見た目に死ぬほど気を使ってた
私
・若いころの母似
・服や化粧に興味がなかった
・性格は父似
周りの友達の影響ももちろんあるけど、この母と姉に囲まれてたから謎に自分もそちら側だと思ってたのかもしれない……という自己分析。
ただ、だからといって自分のことを嫌いになるとか、卑屈になるとか、そういうことは一切なかったです。
むしろ人生を思い返した時一番最初に思ったのは、「これ絶対ウケるやつじゃん」でした。
なので、ウケてくださったなら幸いです。
長々とすみませんでした!
楽しんで読んでもらえたなら嬉しいです!
整形まではしてないけど、路線変えたときの手のひら返しすごかったなー。
常にショートカットの前歯出てる系一重ブス、自意識こじらせすぎて可愛い服装とかで男に媚びてる女カッコ悪いしパンツ見えたら嫌だから普段はズボン1択みたいな生き方してた。
中学生になって制服でスカート必須になったけど、心からブスのまま過ごしてて。
ルーズソックスと短いスカートに手を出した。(ルーズソックスの時代のBBAだよ!)
化粧したわけでもないのに、ルーズソックス履いた日に、コンビニでお兄さんに声かけられたりして、ああ世の中はルーズソックス1本で私を見る目が変わるんだなって思ったのを強く覚えてる。
ちょれぇなって。
ブスでもヤレそうなブスの線を狙ったらヤリたい男たちは釣れた。
でもまあブスだし2番でも仕方ないよなーとか思ってたわ。
女はやれそうな心の広いブス(2番手でも文句言わない系)のライン、男はヤンキーかいつでも話聞いてくれるレス早い系男子か、おしゃんな美味しいご飯連れてってくれる系男子の線を狙えば、とりあえずの愛にありつける気がする。
よく使う駅のすぐ前にまぁまぁ評判の良さそうな精神科があるので行ってみたいんだけど、母にそう言ったら泣かれた。
「自己否定しないで」とか「性格の問題じゃない」とか言われるけど、自分で自分のことが好きになれないのはしかたなくない?しいたけ嫌いな人にしいたけ好きになれとか言っても無茶でしょ。
中学生くらいの時から、急に暗い気持ちになったり急に全部どうでもよくなったりすることがある。
なんかふと思い立って、カッターで体を切ったらどれくらい痛いのか?と試したことがある。その時はあんまり痛みを感じなかった。
普通の黄色いカッターナイフ、スクリーントーン用のデザインナイフ、学校の画材セットのちゃっちいカッターナイフ、いろんなので試した。
手首にやったらバレて母に泣かれたので二の腕にした。それもバレたので太ももにした。
今は自傷はしないけど、代わりに画用紙をめちゃくちゃに切り裂いている。
飯食ってクソして寝ることの繰り返しの、どこが面白いのかわからない。
もちろん趣味や楽しみなこともあるけど、それ以上にめんどくさいことや嫌なことが多すぎて、それだけで「人生楽しい」とは言えない。
アニメの本編はクソつまらないけどスピンオフや箸休め回は面白いみたいな。
高校のときは人間関係で色々拗れてめんどくさいことになってて、4階の教室から飛び降りてやろうと本気で思っていた。
でもこういったことを母に話したことはない。私のことを気にかけてくれて心配してくれる、いい母ではあるのだが、すぐ泣いて感情的になり、家族愛とか絆とかそういう話をするので嫌だ。
愛とか恋とか絆とか、そう言ったフワフワしたものの話じゃなくて、明確な解決法を提示してほしい。
専門家に話を聞いてほしい、そして何となくめんどくさいとか嫌だなと感じてることを解決したいだけなんだけど、母に通じるだろうか。