はてなキーワード: トップクラスとは
https://syukatsu-kaigi.jp/companies/33797/post_items/2/word_mouths
入社以降、夏季・冬季にはそれぞれ必ず賞与をもらえている。額は評価によって変わるが、それなりの額をもらえていたため、年収として考えればそれほど不満はない。
固定だし、業界内ではかなり恵まれていると思います。業界トップクラスの評判を得ている会社だけはありますが、それでも世間一般から見ればかなり低いと思います。
「確定化」だと思う
そこそこ人によるだろうけど
子供の頃、若い頃、まだやってない時点では、色んな可能性に満ちている
でも実際にやっていくと、徐々に「どうやらトップクラスにはなれない」という事が見えてくる
何をやっても出来が悪い人は、たぶん予想もさほど高くないから大丈夫かもしれない
でも平均的な人や、周りよりちょっとできる人は、うっかり「ひょっとして自分には可能性があるのかも」と思ってしまう
でもやっていくと徐々に「平均的」とか「平均以下」とか「トップクラスではない」が分かってくる
それがたとえばくじ引きみたいに一瞬で出れば良いんだけど
数ヶ月〜数年かけてじっくり出るから「焦り」として表出する
でもその焦りはぶっちゃけどうにもできないし、実は悪いものでもない
自分が100人中50番目程度の実力、とわかってからも努力はできるし、むしろそこからが普通はスタートラインだ
もちろん一旦絶望はするんだろうけど
「一回結果見えて焦ったり絶望する」っていうのは、トップクラスになるための必要工程の一つだ
そこで止まったらもったいない
むしろ焦っているくらいでいい
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54234
興味深い記事
以下抜粋
どんなものでも「日本化」したあとは、器が小さくなり「井のなかの蛙」的な雰囲気をまとう。
「井のなかの蛙」になるとは、自分たちが永遠に他よりも優れていると陶酔的に思い込むことだ。日本は本当の改革をやりたがらないのに、世界が自分たちから遠ざかっていることを受け入れられない。中国が刻一刻と進歩を模索しているのとは大違いだ。
中国人のなかには、中国がまだまだ非常に遅れているのに対して、日本は各方面で世界のトップクラスの水準にあって国民は幸福に暮らしているのだから、日本人が「井のなかの蛙」になるのも当然だろうと考える向きもある。ただ、私はすべてがあながちそうとは言えないと思う。
日本人が「井のなかの蛙」に甘んじる理由は、安逸に流れている以上に深刻な怯懦があるゆえだ。中国人は通常、「井戸の外」の景色を見ることを好み、外に出ていこうと考えて、世界に対して純粋な好奇心を持っているのだが、日本人はこうした純粋さや勇敢さや「ものごとをもっと知りたい」という冒険心をまったく失っていて、自分たちの世界の狭さを感じるときがあっても「まあ仕方ないや」と自分を慰めるだけで終わる。
この意見、実のところ日本人の日本観中国観とも大差ないのではないか?
もちろん日本には謙虚、伝統尊重、節度、温厚、成熟といった正のワードを、中国には傲慢、伝統軽視、貪欲、攻撃的、未熟といった負のワードをつけた上で語られるだろうけど
なにが言いたいかというと日本人はずいぶん前から好奇心、向上心を失ってしまった
あるいは事実はどうあれ好奇心を失ったと日本人自身が思い込んでいる
司馬遼太郎はたしか項羽と劉邦の中で「ある時期から中国人は好奇心を失ってしまった」と評したが20~30年程のうちにそれが逆転してしまった
近所のかっぱ寿司が閉店する。
理由は定かではないが、おそらく売上が減ったのだろう。
ここ数年、街にはスシローや魚米が進出してきた。どちらも何度か足を運んだが、いつでも客でごった返している状態で、対してかっぱ寿司は連休中を除けば閑散としていることが少なくなかった。
俺は数年前までかっぱ寿司が大嫌いだった。詐欺同然の代替魚ばかりで、しかも鮮度も悪い。サイドメニューの品揃えやボリューム感もお粗末。
低所得者層に漬け込んで、安かろう不味かろうの寿司もどきを食わせるこの企業を最低だとも思っていた。
それを変えたのは、たった一尾の赤えびだ。
数年前、先輩に「かっぱ寿司に行こう」と誘われて、内心ものすごく嫌だったが、仕方無しについていった。
そこで先輩が何度も赤えびを注文するので、俺は「そんなに美味いんですか?」と聞いたら、先輩はこう言った。
「最近のかっぱ寿司は変わったんだよ。昔のイメージを払拭しようと頑張ってるんじゃないかな。まあ一つ食べてみろよ」
俺はかっぱ寿司の企業努力よりも先輩の味覚を少し疑ったが、言われた通り赤えびを食べて、驚いた。
美味かったのである。
言うまでもなく冷凍ものの海老を解凍して提供していることは分かるが、大振りかつ肉厚で、歯ごたえもよく、臭みもない。俺の歯と舌の上でコリコリッと身が弾け、ほのかな甲殻類の甘みが広がった。
俺は本当に驚いた。
それからしばらくして実家に帰った時、家族にその感動やかっぱ寿司の企業努力を熱く語ったが、家族は眉唾と言わんばかりに、まるで取り合ってくれなかった。
「それこそうちの近所のかっぱ寿司、あそこは初めて食べに行った時は本当にひどかった。もう二度と行きたくない」と両親は苦々しく話した。
俺と同様、やはり家族もまた以前のかっぱ寿司の劣悪なイメージが頭から離れないようだった。
そんな家族も、その後『ガイアの夜明け』のかっぱ寿司特集をテレビで見た途端、汚名をそそごうと悪戦苦闘するかっぱ寿司社員の姿を目の当たりにしたおかげか、手のひらを返すように行こうと言い出し、ついに一家そろってあの近所のかっぱ寿司に入店する日を迎えた。
家族が口々に笑顔で「かっぱ寿司、変わったね」と言うのを見て、俺はなぜか少しだけ誇らしい気持ちになったくらいだ。
家族は全員寿司が大好きで、昔から様々な寿司を食べている。今や全国に名を轟かせた有名店にも昔から通っていたし、築地や都会の回らない高級寿司屋にも何度も行っている。寿司に関しては一家言持っているその家族が、かっぱ寿司を褒めた。
そうして俺たちは一月に一回はかっぱ寿司に通うようになり、毎回様々な品を食べる内に、かっぱ寿司のいいところにいくつも気付いていった。それはたとえば、
これは今でも驚く。しっかりとダシが香る甘味の効いた茶碗蒸しは他の回転寿司屋とは比べ物にならない。地元の割烹でさえこのレベルの味を食べさせてくれるところはまずない。ただ、何故か期間限定のものより通常の茶碗蒸しに限っての話だ。
揚げ物はいつもからりと揚がり、香ばしい。トランス脂肪酸の嫌な苦味もまったくない。フライヤーのマニュアル整備や油の交換頻度に起因しているのだろう。断トツの美味さを誇った上穴子天ぷら寿司やインパクト勝負の大海老フライ握りがメニューから消えたのは本当に悔やまれる。
すべての回転寿司屋において、かっぱ寿司の麺類に勝てる店はない。俺はあまり麺類は食べなかったが、家族は貝の塩白湯ラーメンを毎回頼み、そのたび褒めていた。時々ぼんやりした味付けの混ぜそばで迷走したりもしたが、基本的には満足のいくような作りになっていた。何より時流に乗って何度も様々なコラボをして、気軽に有名店の味を楽しめるようにしたことは賞賛に値する。かっぱ寿司全体では一幻のえびラーメンが一番人気だったらしいが、俺はにぼしラーメンこそ最も美味かったと思う。
ツナを原料とした面白い風味が癖になるツナゲット、肉厚で濃厚なハンバーグ、最近だとハワイアンキャンペーンでガーリックシュリンプなど、商品開発部門の遊び心とこだわりが感じられる。唐揚げやフライドポテトなどの定番も、万人受けするように余計な個性を出さない控えめさがあって好感が持てる。ただたこ焼きは誰も食べなくていい。
はじめこそド定番のケーキやなんちゃってパフェぐらいしかラインナップは無かったものの、ある時を境にスウィーツが急速に良くなった。中でも販売終了した杏仁豆腐、フロマージュは特に忘れがたい。かっぱ寿司は大体素晴らしい商品が消えてゆく。なおプリンに関してだけは、近所の店舗がだめなのか、そういうコンセプトなのかは知らないが、まったく固まらずどろどろと液状化しているのが今でも許せない。
といったようなことだ。寿司ネタに関してはあえて自分の舌で確かめてくれと言うしかない。
ただ、世間がそんなかっぱ寿司よりもスシローや魚米やくら寿司に流れていくことは仕方ないだろうという諦めもある。何故かと言えば、かっぱ寿司は今までのイメージの悪さだけではなく、純粋にやり方がとにかく下手くそなのである。
まずは店作り。かっぱ改革が始まってからできた店はともかく、既存の店舗は妙に清潔感に欠ける。これはおそらく蛍光灯やインテリアの配色がそうさせているんだろう。
店内BGMもそうだ。お得さを無意識に感じさせる心理効果を狙ってなのか、スーパーで流れるようなJ-POPのクソクソフュージョンアレンジが常に流れていたりするところは正直毎回疲れる。
CMもひどい。「かっぱが変わる」みたいな内容の頃のCMはまだよかったが、最近は聞いているだけでイライラする歌付きの脳みそ空っぽなCMに変わって呆れた。
接客は口調だけ丁寧な典型的な感じで特に不満は無いが、もう少しホールの人たちの労働意欲が増すような環境とか制服を作った方がいい。
後は注文端末。液晶パネルが高い位置に固定されているため、注文していると異常なほど腕や肩が痛くなるのは致命的。これは親や年寄り世代には辛いだろう。
低所得者層、学生、家族層をターゲットにしているのだとしても、せっかく採算度外視で質の高いネタを提供する方向に舵を切ったのならば、もっと落ち着いた居心地のいい店舗作りをすべきだったのではないか。
しかしそれでも、週末は必ず激混みする地元のスシローや魚米に比べれば、かっぱ寿司の満足度は群を抜いている。
スシローは注文品も一緒に回ってくるシステムのせいで他のアホ客の勘違いで取られたりするし、赤えびも茶碗蒸しも、かっぱ寿司ほどの感動はない。
魚米は麺類の不味さが全企業トップクラスだ。パスタや明太釜玉うどんはもはや悪夢。えんがわが食べたくて仕方ない時にえんがわ軍艦を食べに行くお店だと思ってる。
それでも実家の近所のかっぱ寿司は閉店する。他のかっぱ寿司は車で20分近くはかかるので、家族がかっぱ寿司に通う頻度は激減するだろう。
昔はあんなに毛嫌いしていたが、生まれ変わろうと努力し始めたかっぱ寿司にすっかり惚れ込み、応援したい気持ちもあって、何度も通った。
今後はあの赤えびや茶碗蒸しがなかなか食べられないのかと思うと切ない。
過去に問題があった人間や企業に対してどこまでも冷たくなる気持ちは分からないでもない。だが、過ちを反省し、顧客の満足のために試行錯誤し奮闘努力している人間たちが確かに存在している訳だ。
内定が決まった。
私は理系の院生だ。それもそこそこ名が通っている大学のだ。しかしながら風変わりな基礎研究のラボだったとこも関係してか、なかなか研究職にはありつけなかった。医薬品の研究はやはり狭き門だと思い知らされた。
正直めちゃくちゃ凹んだ。私は死ぬほど研究して努力してきたからね。
それでも、同期や先輩は「お前は営業向きだろうに」と何度も言っていたので、不本意ながらも営業職を受けることにした。
医薬品原料も取り扱ってこそいるような、専門商社の総合職を受けてみた。対策は一通りしてみたが、やはりどこか気が抜けた内容を話したような気がする。
この会社は確実にその業界ではトップクラスに類する企業だ。給与もサラリーマンとしてはバカみたいな額がもらえる。
悪くない、決して悪い選択肢ではない。
そこまではわかっている。
いいのかな、ほんとうに?
夢だった医薬品の私語とをほっぽりだして。
今内定している企業には小振りとはいえ、医薬品関連の会社も含まれている。
給与やステータスなんかを気にして、商社マンになるのは間違いなのだろうか。
どちらが向いているのだろう。
それに貢献するしごとならなんでもいい。
医薬品に拘っていたのは健康というテーマに貢献する事が間違いなく幸福の実現に寄与するとはっきり自覚できるからだった。
商社は仕事が大きい。基礎的な品を扱うが、それでも最終的なインパクトがデカいのだ。それなら人びとの幸福にも大きな貢献ができるんじゃないのか。私がとるべき神託は、昔から夢だった医薬品の企業にすがりついて、安月給に嘆く事よりも、もともとの計画とは違っても私を認めてくれた大手にいくべきなんじゃあないのか?
マジレスすると、「現代用語の基礎知識」だとか「イミダス」だとかの、そこそこ時事ネタなども含んだ辞典が売られていたから、そういうので調べてたかな。
あと、時事ネタじゃない分野なら、20巻とかで一揃いの大百科事典みたいなのが、比較的裕福な家とか子供の教育に熱心な家とかにはあって、今のWikipediaにある項目の半分程度?だったら調べられたんじゃないかなー。
ちなみに、オレはそういう「比較的裕福な家」の子どもだったので、小中学校の時分はヒマさえあったら大百科事典を端からず〜っと読んでたりして、学校の授業でやる内容とかだいたいすでに読んでたことだったりするので、試験勉強とかほぼ無しでおおかた学年トップクラスの成績(ただし音楽と体育除く)でした、サーセンw
令和元年6月19日
財政制度等審議会
更にはその成果は使った「量」に見合うものであったのかといった議論に焦点があてられることはほとんどなかった。
しかしながら、本来、「量」は教育政策や科学技術政策の目的を達成するための手段であることから、これでは本質的な議論とはならない。
政策に生かされなかったが正しい文面じゃね?
政策の目的を達成するための手段であることから、これでは本質的な議論とはならない。
とか言うべきだよね。増税する前に。
教育は一人ひとりに対するものであるという観点から、在学者一人当たりで見れば、OECD 諸国と比べて、教育支出は高い水準にあり、公財政支出に限っても遜色ない水準にある。
「教育は一人ひとりに対するものであるという観点」がズレている気がする。
よくわからないけど、塾とかの費用は含んでいるのか?正しいのか?
教職員数については、少子化の進展に伴う自然減や平成 29 年度の法改
正に基づく基礎定数化を勘案した見通しによれば、定数改善を行わなく
とも、児童生徒当たりでは増加することとなる。また、主要先進国と比
べても教員一人当たりの児童生徒数は遜色がない。〔資料Ⅱ-3-4参
照〕
「主要先進国と比べても」あるけど仕事の内容が同一じゃないから比較するのは明らかにおかしい。
あいまいに書くことでなんか言いたいような文章だけど。具体的なデメリットの内容がわからない。よくわからないけど金銭的なデメリットというだけじゃないの。
近所にあるとか。そのようなメリットを無視した文章だと思った。
まず、国立大学への公的支出の総額については、このうち国立大学運
営費交付金だけを取り出して、平成 16 年度の国立大学法人化以降、約
1,400 億円減少したとする指摘がある。しかしながら、この指摘は、教職
員の退職に応じてその都度別枠で補助してきた退職金相当額が退職者の
減により減少したことなど教育研究に直接影響しない減少を含んでしま
っている一方で、教育研究向けの補助金の増額を含んでいない表面的・
これらを勘案した実質的な教育研究向けの公的支出の総額を見れば、
法人化以降、約 600 億円増加している。
競争的資金の割合が増えたせいで安定した運営となる基盤の財源の割合が少なくなっていることとか書かれていない気がした。
昨秋の建議において、こうした現状を温存することなく、社会のニーズに応じた教育水準やグローバルレベルで通用する研究水準を確保するための全学的なマネジメントが行われるよう、
・ 教育・研究にかかる共通・定量的な成果指標による相対評価50に基づく配分を徹底し、
1つ目はいいと思うけど。大学の場合、小中高の共通ないようによるテストはないので手法として難しい気がする。またこの評価実行の金銭、時間コストは政策側が負担すべきものだろう。
2つ目は危ういと思う。新分野の教育について最初の評価は低くなりがちで革新を抑えるため、さらに教育が硬直する危険性がある。
一人ひとりの学生や研究者でみれば教育や研究の成果が現れるには一定の時間がかかるという主張もあるが、全学としてみれば、教育をした卒業生を毎年度送り出し、また、日々グローバルにしのぎを削っている多くの研究者を抱えている。
こうした過去からの努力の積み重ねとして毎年度現れてくる成果を適時適切に評価することなくして、評価やそれに基づく配分といった既得権を長期間固定してしまえば、新陳代謝や切磋琢磨を阻害し、ひいては国際競争の後れにもつながりかねない。
悪意を持って研究の評価と教育の評価と混在させた議論をしているように感じた。
時間スケールの異なることを議論して都合のよい部分だけをつまみ上げた文章である。
日本が主要先進国並みの研究開発の生産性を確保できれば、日本のトップ 10%論文数のシェアは主要先進国を上回ることができる。科学技術関係予算
の「伸び」が課題とされることが多いが、こうしたことを考えると、真の課題は研究開発の「生産性の低さ」であると言える。〔資料Ⅱ-3-31~34 参照〕
大学における研究環境の硬直性・閉鎖性が研究開発の生産性が低い要因であるということは、大学内外から指摘され続けてきた。実際、
・ 分野ごとの論文数のシェアや学部・学科の定員のシェアが長期にわたり硬直的であることや、
・ 日本の研究人材の国際流動性や国際共著論文数が主要先進国の中で劣っていること、
は明らかである。
雑務が多いと言われているので「勤務時間」を分母とした場合では生産性は明らかに低いことは同意する。
「研究にかける時間に対しての評価」に対しての生産性の議論をせず、単に研究の生産性(研究者が悪いと決めつけた議論)へすり替わっているのが気になった。
このため、まず、科学技術分野における戦略やプロジェクトを設定・
実施する際に、
・ 研究予算の多寡などの研究に使う「量」(インプット)を目標とするのではなく、これにより得るべき研究成果を相対的・定量的に評価可能な指標として目標化するとともに、
・ そのうえで、重点化する分野、いわゆる「ハリ」の分野のみを提示するのではなく、過去に総合科学技術会議が科学技術予算についてSABC の4段階評価55を行っていたように、温存しない分野、いわゆる「メリ」の分野も提示し、厳しい優先順位付けを明確にするべきである。
2つ目は悪名高い「選択と集中」。しかも、ここで評価をしたからといって全体の予算が増えるかどうかとの関係性は述べられていない。
全体の予算が増えない状況でこのようなこと時間をかけて行うモチベーションが湧くのか?非現実的な方法と思った。
加えて、官民の適切な役割分担・連携も重要である。日本の企業部門の研究開発投資は主要先進国の中でトップクラスの水準にあり、また企業部門の流動資産も過去最高水準にある。
[要出典]
以下のお手紙を書きました。
もし同じような思いの方がいましたらコピペして使って頂いても結構です。
PTA活動は任意活動なのでどんなに理不尽な活動が行われていようと「自由参加だから」で片付けられてしまいます。
でも実質的には環境や立場、空気を利用した「半強制的な加入」が行われているのが事実です。
【以下、本文です】
いつもありがとうございます。
昨今のPTA活動は、入学式後にいきなり役員が新入生の保護者を取り囲み、PTAの良さを力説の上、希望用紙を配布します。
その中には「加入する・しない・参加できない」といった選択は用意されていません。
これは立場や環境を利用した【実質的な強制加入】ではありませんでしょうか。
また、希望用紙を在校生の保護者にも毎年配布したり、会費納入袋を職員や保護者に加入意思の確認もなく当然のように配布している状況は、
「ブラック企業やブラック校則、長時間労働をなくし、一人一人の選択を尊重しよう」という世の中の流れと逆行するものになっていませんでしょうか。
PTA活動による明るい側面も感じますが、中には賛同し難い活動も存在します。
ぜひ 【一人一人の意思】 がより反映された組織運営にして頂きたく、以下の点の検討をお願い致します。
③収支明細表の全世帯への配布(総会に参加した人のみへの配布は不公平・不透明ではないでしょうか)
④収支明細表の一層の透明化(学級費は一品一品公開されているのに対し、あまりにも不透明ではないでしょうか)
⑤子供との直接的な関わりの少ない職種、待遇が正規職員と大きくかけ離れている職種、収入が少ない世帯等への半強制的な加入や会費納入袋の配布はあまりにも理不尽・横暴ではないでしょうか。
⑥昨今は【公立校の職員の半数が週60時間以上の勤務で過労死ライン】などといった調査結果がたびたび上がるにも関わらず、代休もない職員が休日や勤務時間外に話し合いやイベントに参加することについて。
⑦本来学校や市による公費、または業者などが責任をもって行うべき内容でないかの再検討
⑧多くの職員や保護者が必要性を感じていない活動(部門)になってしまっていないかのアンケート調査
⑨PTA事務の方への時間外手当、休日出勤手当、交通費、各種手当の支給
【追記】
このような違法とも取れる活動を行う組織の学校への立ち入り・活動を認めたり支援している学校長や教育委員会にも責任はあります。
学校長の許可なく学校内への業者や組織の出入りや活動はできません。
先日E3でフロムソフトウヮの新作「エルデンリング」の発表があった。
ここ最近のフロムソフトウェアはSEKIROというゲームもなかなか好評で、まさにノリノリという感じ。
エルデンリングはこれまでの作品の中でもトップクラスのボリュームになりそう、RPG要素が強い、炎と氷の歌(ゲームオブスローンズの原作)の原作者であるジョージ・R・R・マーティンが参加と、
これはもう間違いなくダークファンタジー物であり、ダークソウルの直接的な遺伝子を持つタイトルになるのではという期待が高まっている。
それに合わせたという訳でもないけどたまたまエルデンリング発表のタイミングでダークソウル3を終えた。
ダークソウル2(SCHOLAR OF THE FIRST SIN)
ダークソウル3(THE FIRE FADES EDITION)
の三作品だ。
ちなみにすべてPS4でプレイしており、初代ダークソウルは次世代機向けにリマスターされたもの、2と3はそれぞれ本編+全てのDLCが含まれた全部入り版だ
で合計約370時間、かなりの時間を費やしてしまった。なお途中で難しすぎて絶望して間が空いてしまったことも数知れず
ダークソウル2が一番長いのだけど、これは単純にボリュームがとんでもないからだ。DLC含めるととにかく長い。しかもむずい。
では順番に感想を書いていく
【初代ダークソウル】
全体的に難易度バランスにむらがあるように感じた。そこも洋ゲーぽくて好きだけど。
初代ということもあり不親切な部分も多い。UI面でも不便さに感じるところは多くなる。
戦闘についても実は割と雑にこなすことができて逆に言うとある程度の思い切りの良さが必要になってくる。
シリーズ通して登場するNPCなどが初めて出てくるタイトルでもあり、クセの強さはあるものの、やはりこれを最初にやるのがベストだと思う。
【ダークソウル2】
シリーズの中でも問題作を挙げるとしたら間違いなくこれ。世間的にもダークソウル2の評価は賛否分かれることが多いみたいだ。
マップ構造から敵の配置からとにかく全ての面で意地が悪くプレイヤーを殺しにかかってくる。
あまりにキツイので戦闘もちょっと進んでは敵を確認、後ろにもいないか確認、弓で1体ずつおびき出してなんとか処理、
こんな感じでひたすら神経をすり減らすことになる。一度覚えてしまえばだいぶ余裕が生まれるのだけど、所見殺しにも程があるという感じ。
しかし、それだけのキツい思いをさせられたせいなのか、個人的になぜか3作品の中で最も思い入れのある作品になった。
ちなみに自分は拠点となるマデューラという場所で呪術の試し打ちをしたら物をたくさん売ってくれる婆さんを間違って殺してしまい、
以後その婆さんから買い物するために毎回高い金を払わされるはめになった。
また特徴として敵が枯れるという点がある。何回か倒すと敵が出てこなくなるのだ。なのでじっくり時間をかけて敵を枯らしていけば安全に進めることも可能。
これにも賛否はあると思うけど、2に限ってだけ言えば自分はこのシステムは好きだった。
屈指のマゾさはあるものの、ほんとに多様なマップやDLCの出来の良さ、本編も細かいアップデートを重ねたせいか巷の噂よりは全然遊びやすかった。
【ダークソウル3】
まずグラフィックがめっちゃきれい。そしてUIやシステム面でもこれが完成形と言っていいだろうこなれ具合。
初めてダークソウルシリーズをはじめる時に最初にやるといいと言う人もいる。
ただし個人的にはやはり1から順番にやるのが一番だと思ってる。だってどれもそれぞれ面白いし…
3についてはアクション面がかなり強まっている。2なんかは特に動き全般もっさり感があったのだけど、3では驚くほどはやく動く。
敵もはやいのでそれなりにプレイヤースキルも求められることになる。
ただ個人的には、この早い動きでなんとかする感じがちょっと苦手だった。
特にボス戦などで速い動きに対応しおうとすると、あっという間に前後不覚になりやすくとにかくタイミングよく転がって避けるとか、とても忙しくなりやすかった。
うまく避けて倒せたときはとても嬉しいのだけど、正直なんかわからんけどなんとか倒せた、みたいな時も多かった。
これはグラフィックが良くなったせいもあると思う。ダークソウル3ではボス敵などのグラフィックもとてもリッチな表現になっていて、なにかわからないもじゃもじゃした毛のようなのがついてたり、ひらひらしたものがたくさんついてたりする。このせいでリーチがよくわからなくなったり動きが見づらくなる。
マップの雰囲気や数々の強敵、無駄なものは潔く省いていったシステムなど、遊びやすさつぃては抜群なのだけど、個人的な感想としてはこれは過渡期にある作品なのではないかと感じた。ダークソウルとしては総まとめなんだけど、なにかやり切れてないという印象もあったのだ。
1位:ダークソウル2
2位:ダークソウル
3位:ダークソウル3
というまさかの2が一位になってしまった。正直これは不本意でもある。3が間違いなく一番面白いはずなのだと自分でも思う。
でも心が何故か2を推してしまう。そして何故か3が最下位になってしまった。
こんなはずではないのだけど、あえて順位をつけるとこうなった。
人に勧めるとしたら逆の順番になりそうだ。2は少なくとも絶対最初に始めるやつではないと思う。そんなことしたらダークソウルのイメージがとても悪くなりそうな気がする。
中心である原作ファンを最も大事にするべきであることは当然のことながら
そのジャンルを求めている新規の獲得がファン増加につながる大きな部分のはずだった
Vtuberアニメとして話題になった(実際はバラエティだったが)
バーチャルさんはみている や
四月一日さん家の
はVtuberであることでVtuberファンが主な視聴者となる最も普遍的なパターンだったが
求めるもの・ファン層があっているので、これに文句を言う人は少ない
見たくないなら見なければいいよね で済むからだ
しかし賢者の孫の場合、賢者の孫というもともとのファン層がいる作品に加え
サラリーマン御用達のなろう系 しかもその中ではかなり話題性のある作品ということで
そもそもはVtuberと何ら関係のない部分で人気を得ている作品である
バーチャル流行以前から配信プラットフォームとして人気を得ていた
より人気(課金)を得た者を起用する いわばオーディション企画からだ
とはいえああいうのは媚びたもん勝ち より金を落としてもらわなきゃ勝てないのだから
演技力とか声の良さなんて二の次で、お金を落とした相手によく思われる演技だけを極めたような連中が
今回は更に地獄で、その片方(謎のダンスEDのほう)は課金上位者でもない
企業のゴリ押しで、オーディションの上位圏外からなぜか最終審査に選ばれ
審査内容不明の中優勝に選ばれた そもそもほぼVtuberとして活動していない
今回の企画、出演したVtuber二人が炎上して終わるだけならまだいいかもしれないが
Vtuberとして活動している中にはプロ声優を目指す過程の活動として行っている者もいる
そういう人はネット声優であって 大成を目指しているかはわからないが
このパターンが結構多く、Vtuberとして大成したことを売りに
https://www.videor.co.jp/tvrating/past_tvrating/boxing/01/index.html
具志堅と辰吉と亀田の人気があっただけでもともとこんなもんやろ。
それでもボクシングは定期的にゴールデンタイムに放送されとるし、PRIDE・K-1の没落やプロレスの低迷に比べたらぜんぜんマシやで。
パッキャオの6階級制覇がもう10年前、ドネアの5階級制覇でさえ5年前と考えると
むしろ最近やとクロフォードやウシクの主要四団体統一のほうが注目されとるで。
そのWBSSバンタム級で井上尚弥は圧倒的な強さをこの二試合で見せつけたというのに、日本ではそんなに騒がれている様子がない、という寂しさ・・・
というかボクシングの弱点はそこやで。
これで勝てば有名になれる権威のある試合、っていうのがないんや。
日本歴代最強、現役世界最強との評判もある井上尚弥がつい最近イギリスで、バンタム級では事実上の世界最強決定戦だと言われていた、IBF世界チャンピオンのエマヌエル・ロドリゲスをなんと2Rノックアウト。
あまりマニアではないものの、ボクシング好きな俺はその衝撃に興奮したわけだが、その日、その試合の話を会社でしたら誰も井上尚弥を知らなかった。
そのうちの一人に「マジで知らないの?」って聞いたらほんとに知らないって。
じゃぁ誰なら知ってる? ってそいつに聞いたら「亀田興毅」。とっくに引退したってばさ。
プロデビュー以来、18戦全勝・16KO勝ち・三階級世界制覇・2団体統一王者で、世界チャンピオンや元世界チャンピオンを何度も1〜2RKO、「井上は井上自身以外誰も勝てない」と言われるほどなのに、知らない???
大した実力もなかった口だけ達者なお騒がせ亀田にあんなに熱狂してたのに、亀田なんかよりはるかに真っ当で段違いに強い井上尚弥を知らないなんて、意味不明。
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トラバやブコメ読んでると、実感通り最近はボクシング人気はあまりないようだ。
日本は意外かもしれないが、世界全体で見るとボクシング大国だそうだ。
世界的なボクシング記録サイト「ボックスレク」によると、2017年4月20日時点で、アクティブに活動しているプロボクサーの数は世界で2万3460人。ボクシング大国のメキシコが3343人、マーケットの一番大きいアメリカが3266人、いま最もボクシング景気がいいと言われるイギリスが1000人で、日本は1436人となっている。同サイトによれば、ほかに1000人を超える国はアルゼンチンだけだ。
https://number.bunshun.jp/articles/-/827916
ところが同記事によれば、日本のボクシング人口は減少の一途だという。
記事では少子化などを原因に挙げているが、K-1のように格闘技ジャンルが増えたことも一因かもしれない。一時期確かにK-1はテレビの放映時間帯を奪っていたし。
友人と話していたら、その昔は具志堅や辰吉など、昭和から平成中期ぐらいまではボクシング人気は確かに続いていた、と。
悪漢亀田の影響もあるかも知れぬ、と、あれで白けてしまい多くの世間的人気を失った面もあるのでは、という話もあった。
ところで一個だけブコメに返事。
3階級制覇とか2団体統一とか、とにかく王座の扱いが軽すぎて誰がどう強いのか端から見ていてさっぱり分からない。なんで統一王者や防衛戦を目指さずに階級を変えるのかが分からない。
最近の傾向としては連続防衛記録よりも複数階級制覇を目指す傾向が強いですね。同一階級だと強い相手が限られていることや、複数階級だとサクッと階級上げてマッチメイクしやすいこと、上位階級の強い相手を倒せば同一階級でやるより強いイメージを与える事ができるなど、色々理由があるそうです。
そうしないと、ただでさえ現在では同一階級に、正規王座、スーパー王座、暫定王座など複数の王座規定があったり、或いは主要4団体に渡って何人もチャンピオンがいて「ほんとに強いかどうかわかりにくい」状態なので、同団体同一階級に拘ってても面白みにかけるわけです。
ただ、複数階級制覇も体重コントロールが難しいなど、出来る人は限られているので(パッキャオみたいな六階級制覇は異常)、じゃぁ同一階級で世界一決めようじゃないかという意図で始まったのが、井上尚弥が今やってるWBSS(World Boxing Super Series)なんですよね。
そのWBSSバンタム級で井上尚弥は圧倒的な強さをこの二試合で見せつけたというのに、日本ではそんなに騒がれている様子がない、という寂しさ・・・
みたいな話になっているが、他の俳優推しでも不快に思ったので、何にこんなにキレられてるのか、というようなことを、少なくとも自分が思ったことを書いておきたいと思います。
ちなみに川栄は結構好きでした。この前のドラマすごい良かったから。
出会ってすぐの女(共演はたったの半年前)に中田氏するような時点でだいぶ幻滅してます。
チェキ会2万は高い。
超分かる。高いよ。
写真集を買った冊数によって得られる特典が違くて、写真集5冊=2万買うとツーショチェキが撮れます、というものではある。だからなんだという感じだが。
でも、2万は安い金額ではないけれど、それだけの金を出しても撮りたかったわけだよねファンは。
チェキ1つに2万も出すようなオタクは舞台現場だって通っている。
廣瀬智紀が出ていた舞台、通称「ホストちゃん」はグッズやらを買ったらついてくるポイントを一番貢がれた奴がその日の主役になれるというリアルなホストとほぼ同じ仕組みで、平気で何百万という金額が使われるが、その中でも彼はトップクラスに人気だった。
そういう金をつぎ込むファンがついていた。
彼女たちだってお金を稼ぐのが大変なのは一緒だ。2万円は誰にとっても2万円。
でも、それを使っても惜しくないと思っているから出している。
他の人からしたらゴミに見える瓶の蓋に何万もかけるひとがいるように、会えもしない二次元の女の子と結婚するひとがいるように、チェキを撮るために写真集を買ったそのひとにとっては2万の価値がある。
このチェキの価値は川栄が決めることではないし、よく知らない奴が口出すことでもない。
どんなジャンルであれオタクならだれでも理解できることだと思う。
あの近辺の握手会商法なんて誰でも知っている。何位まで行ったのかは知らないけど、彼女たちがこうしたチェキを撮るために金を出すファンを馬鹿にできるだろうか?
たった一瞬の握手のためにCDを買うオタクがいたわけでしょう。それを少しでも増やしたくて何枚も積むファンがいる。そういうひとたちに買い支えられてここまで成り上がってきたんでしょうが。
ただの握手のために何万も出してきたオタクを踏みつけて今あの立場にいる。
間接的に自分を支えてきてくれたファンもバカにしているようなものじゃないの?
「こんなことのために〇円出すとか馬鹿じゃんw」って言われているようにしか私は思えなかったし、そうなればほぼ似た構図の握手会とCDについても似たように思ってたんだろうな、と考えるのは自然だと思う。
「二股かけるような男に2万なんて高すぎ」という意味でしょ、と言う人もいるけど、少なくともそう思わない人間も多くいる。私みたいな。ていうかだから炎上してるんだわ。
明言を避けようとしたせいで私みたいに感じた人間もいるのかもしれないけど、やはり直接的に言えないからこそ言葉は選んで誤解のないように書くべきだった。
あと、別に二股かけてようが何してようが金出すときは出すんだよファンなんて。「中絶費用折半しよ」とか言ってるLINEが晒されたけどまだ俳優やってるクズとかいるぞ。
二股疑惑が出ていることとか、避妊もできない男であることはクズだと思うけど(避妊に関しては川栄も責任の一端があると思うが)、なんでそれまで追いかけてきたファンまで足蹴にする必要があったのか?
めちゃくちゃ悪意的に書くと「私は中田氏セックスしてるのにお前らは2万出してようやく営業ツーショとかみじめwww」くらいの煽りにすら思える。
あと大物俳優かよ!って言うけど、大物俳優じゃないから高い金貢ぐ奴がいないとやってけないんだと思うよ。
ていうかいつも思うけどどうして異性の芸能人につくファンって「好き」をアピールすると恋愛感情持ってたと思われるんだろう?世の中恋愛脳多いなと思うわ。
なんかグダグダ書いてたけど要するにショック受けてるファンに追い打ちかけるような真似してやるなよ。ファンに罪はないだろう。