https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54234
興味深い記事
以下抜粋
どんなものでも「日本化」したあとは、器が小さくなり「井のなかの蛙」的な雰囲気をまとう。
「井のなかの蛙」になるとは、自分たちが永遠に他よりも優れていると陶酔的に思い込むことだ。日本は本当の改革をやりたがらないのに、世界が自分たちから遠ざかっていることを受け入れられない。中国が刻一刻と進歩を模索しているのとは大違いだ。
中国人のなかには、中国がまだまだ非常に遅れているのに対して、日本は各方面で世界のトップクラスの水準にあって国民は幸福に暮らしているのだから、日本人が「井のなかの蛙」になるのも当然だろうと考える向きもある。ただ、私はすべてがあながちそうとは言えないと思う。
日本人が「井のなかの蛙」に甘んじる理由は、安逸に流れている以上に深刻な怯懦があるゆえだ。中国人は通常、「井戸の外」の景色を見ることを好み、外に出ていこうと考えて、世界に対して純粋な好奇心を持っているのだが、日本人はこうした純粋さや勇敢さや「ものごとをもっと知りたい」という冒険心をまったく失っていて、自分たちの世界の狭さを感じるときがあっても「まあ仕方ないや」と自分を慰めるだけで終わる。
この意見、実のところ日本人の日本観中国観とも大差ないのではないか?
もちろん日本には謙虚、伝統尊重、節度、温厚、成熟といった正のワードを、中国には傲慢、伝統軽視、貪欲、攻撃的、未熟といった負のワードをつけた上で語られるだろうけど
なにが言いたいかというと日本人はずいぶん前から好奇心、向上心を失ってしまった
あるいは事実はどうあれ好奇心を失ったと日本人自身が思い込んでいる
司馬遼太郎はたしか項羽と劉邦の中で「ある時期から中国人は好奇心を失ってしまった」と評したが20~30年程のうちにそれが逆転してしまった
日本人は趣味に関しては冒険的だぞ。上昇志向がないだけだろ。
日本は過去の文化の改ざんや記録の破棄が盛んだからね 何も引き継がない 連続性を重んじない国が日本