はてなキーワード: 自発的とは
って言えたら良かったんだけど。
少し角が立つかと思ったのでもう少しやんわりした言い方をしました。
自分の体調、メンタルを管理できていない現状を懇切丁寧に説明しました。
最近の退職エントリみたいな、かっこいい理由があるわけではなくて、ただただ働くのが疲れたというそれだけでした。
一時間粘ってやっと辞めれる方向に話がまとまったかと思ったら、次の新入社員が来るまで待てと。
腐っても資格職で、入ってくるかも分からない新入社員が入社して、
確かに、迷惑のかからないタイミングでとは言いましたけれども!
流石にちょっと長すぎなのでは?
狭い業界だからできるだけ後腐れなく辞めたいとは思っていたんだけど、
入社してから今までずっとど田舎で働いてきたのになぁと気分がいつまで経っても拭えないですね。
まあでも、別段仕事が出来た訳でもなく、資格を持ってるから雇ってもらえていただけだと考えると、
そこまでおかしな話ではないのかもしれません。
これは余談だけど、長い間文章を読んだり書いたりするのがすごく辛かったんですが、
自分は増田とは違って田舎で育って、大学進学で上京→就職したクチだから経歴は違うけど、似たような断絶を感じたことがある
結論から言うと、増田の価値観/感覚は「同じ空間で、同じ目的で動いている人はファミリー」って田舎のヤンキー層と同じなんだよね
増田の価値観だと会社のファミリーは秘密を共有すべきだし、みんなで行動すべきだし、お互いの悪いところはずけずけと言いあうほうがいいと思うかもしれないけど
都会的な価値観だと、個人の秘密・考え方を非難するのはよくないし、個人の時間は個人のものって考え方なのよ
みんなで行動するとかもないし、何かしたいときは自分で声をかけてやってるわけ。飲み会とかもそう。
だから、誰が付き合ってるとか、そういう話は本人がしない限り極力触れないし、個人の悪口も当然言わない
もちろん、仲の良い同期で飲み会だったら、きっとそういう話はしてるし、なんだったら誰が一番抜けるかとか、ゲスな話もしてるかもしれない
だけど、少なくとも会社のような公の場では、そういう話をしないのが当たり前のマナーなわけ
男は暴力的な力強さがあるとモテて、女は容姿が良ければモテる、すごく単純なもの
けど、文化的に洗練されるとそういうわけじゃないんだよね
増田は正社員は見た目は地味で容姿は大したことないのにモテてるのが悔しいみたいだけど
上流層は見た目だけを見てるわけじゃないんだよね。見た目はある程度あればよくて、派手に美人じゃなくても、よく見たら可愛いなあくらいで十分。
それ以上に、価値観(勉強的な頭の良さ・知識の量・マナー・話し方・考え方とか)が合うかどうかを見てるわけ
増田がモテないのは正社員が派遣に手を出すのがかっこ悪いとかそういう理由じゃなくて
端的に言えば「底が浅い」のが見透かされてるんじゃない?
あとは上流層は会社は会社で仕事のためであって、そこで仲良くなれば交際に発展することもあるけど
変えられるけど変えようと自発的にしなければそのままだろ
入管への通路に難民解放を求める落書きがあった件。炎上したね。
今度は、自称ジャーナリストがコラムを書いたせいでまた注目されてるけど日本の難民申請者数が非常に伸びてる。
法務省によれば
平成29年に我が国において難民認定申請を行った外国人(以下「申請者」という。)は19,628人であり,前年に比べ8,727人(約80%)増加しました (別表(1)参照)。
申請者の国籍は,82か国にわたり,主な国籍はフィリピン4,895人,ベトナム3,116人,スリランカ2,226人,インドネシア2,038人,ネパール1,450人,トルコ1,195人,ミャンマー962人,カンボジア772人,インド601人,パキスタン469人となっています。
http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri03_00700.html
平成20年あたりでは1500人くらいだったのが、25年に3000人に増え今に至る。そりゃ処理に時間もかかるわけだよなと思う。
法務省のサイトを見ると、難民申請処理が適切に行われたかについて外部専門家に調査してもらっている資料もあれば、どのような人が難民認定されなかったのかについてうかがい知ることができる資料も出ている。(外部専門家にはみんな大好きなUNHCRも含まれてたよ。)
例えばどんな人が難民申請してるかっていうと、実習生制度で日本に来て職場から逃げ出して難民申請とか故郷に借金があるから難民申請とか。結局は難民じゃなくてこっち来てお金稼ぐのが目的の人が多いね。それなら就労ビザでくるとかすればいいんだが、難民申請すると「外務省保護費」として医療無償、生活費、住居費などがもらえるので難民申請してる人もいるんじゃない?何度も何度も難民申請を繰り返す人は申請するたびに理由が変わってたりして、不正が疑われることが多いみたい。
難民を解放しろと騒ぐ前に、収容されている人が自発的に出国を選べばいいんだよ。そうすれば出してくれるシステムだよ。何が何でも難民として認めろというから出れないだけで。
M1の夏にインターンに参加しましたが、結局、外資系企業に 非研究職であるソフトウェアエンジニア(SWE)として就職しました。
ちなみにGoogleではないです。
インターンに行っただけなので具体的な給料はわかりませんが、確実に今の会社のほうが給料は良いです。人によりますが、初年度で約800万からスタートします。自分は870万からで、2年目に1000万を超えました。
もちろん海外やベンチャーでは初年度から1000万以上普通に出すそうですが、日本を離れたくはないことや、後述する項目なども総合的に考慮すると、この金額で今のところは満足しています。
SWEとして就職したため、研究活動からは離れる覚悟をしていましたが、実際には「課題を解決するためのソリューションを考えて自発的に行動する」ことが強く推奨されている今の業務は、わりと研究に近い姿勢が求められていると感じます。事実、自分の研究分野の知識を活かせる案件を担当したことがありますが、その時は毎日論文とにらめっこしてましたし、プロジェクトの成果が形になった後は論文を書かないかと上司にも薦められました。
「自立してプロジェクトのイニシアチブを取る」という行為を修士・博士の学生は研究で散々練習しているはずなので、すごくフィットすると思います。
技術の道に生きる人間としては、やはり自分の技術・知識をずっと磨いていきたいという気持ちがあり、そのためにもレベルの高い技術者と働きたいという思いが強くあります。
今の会社は幸いそのような人達に囲まれ、日々学ぶことがあるので非常に満足感があります。
反対意見をぶつけ合っても喧嘩にはならず、より良い結論を探していこうという生産的な態度の議論ができる人ってすごく貴重だなと思います。
研究室の頃の学生同士のディスカッションのようなそんな議論を、いまでも当たり前のようにできる職場の環境は素晴らしいなと思います。
エンジニアだけでなく、マネージャーも技術者の意見を尊重してくれる環境があります。
ですが別にこれは特別なことではなく、要は「最大効率を生むための働き方」を考えた結果こうなっているのだと思います。
当たり前ですが技術者はプロダクトマネージャーよりは技術に詳しいですから、技術的なトピックに関しては技術者の意見を尊重したほうが正しい結論が得られやすいです。
もちろん、これは逆もまた然りで、プロダクトの進むべき方向性やユーザーからの声などは、PMのほうが圧倒的に詳しく知っており、エンジニアは完全にPMからのフィードバックに頼り切っています。
お互いに、強みを活かし合うことで生産効率を高めようとしている感じです。
ここでいう社内システムは、Googleの社内のインフラ、みたいな「社内で使われていたものが表に出てきた」ものではなく、例えば「経費精算」とか、「会議室予約」とかそういうやつです。
必要がなければ誰もメンテナンスしないので必然的にこういったものはふつーの野暮ったいものです。
「外資系はやっぱそういうところも洗練されているんだろうな」と若干幻想をいだいていました。
一方で、社員に与えられている裁量が比較的大きく、社内システムを使うことが殆どないため、結果的に社内システムにストレスを感じることが少なくなっている気はします。
英語話せる人がたくさんいるし、来るかもとは思ってたんですがね。
机の広さは大学の研究室とほとんど変わりません。PCは2TBのHDDと64GBのメモリを積んだUbuntuデスクトップです。
基本的なセットアップは完了した状態で入社時に渡されました。使いたいツールは自分で足してくれ、との方式です。
椅子は普通のオフィスチェアです。高いものらしいですがあまりわかりません。
美味しい昼食が毎日無料で食べられます。インターンのときは日給がほとんど食事代で消えていたので、これは大きな違いでした。
当たり前ですが、高い生産性を求められます。窓際族は存在しません(別に今どき他の会社でも存在しないと思いますが。)
研究っぽいことができる、と書きましたが、流石にそれだけに1Qまるまる費やすことは厳しいです。
誤解されがちなのは、生産性の低い人はすぐにクビになるというわけではないということです。
実際には、会社も技術者へ投資しただけ回収するために全力でフォローをしてくれます。
フォローの責任はマネージャーにあるので、フォローが足りない場合はそれはマネージャーの責任になります。
その代り、マネージャーは採用に関われるので、ある程度技術レベルが高くフォローが可能な技術者しか採用しません。
「高い給料の分即戦力が求められている」というイメージが有りましたが、実際には入社後数ヶ月、しっかりと研修がありました。
他の会社を知らないのでなんとも言えませんが、普通にためになる内容でした。プログラミングに詳しくなりました。
残業はないです。好きな時間に来て好きな時間に帰れます。もちろん成果は求められます。
あと、アメリカ人は日本人よりよほど勤勉。朝はめちゃくちゃ早く来て夜も8時とかまでずっといる。「日本は祝日が多すぎるよ!」ってキレられました。休んでください。
親からは常々「そんなうまい話は無い。若いうちは給料なんて安くていいから、もっと安定した大企業に行きなさい。」と言われてきました。
が、このご時世、「安定した大企業」というものがどこにあるのか私にはわからない。公務員だろうか?自分が定年退職するまで国家が破綻しない保障すらない。
今の会社よりも更によい場所があればそのときはまたどこか転職しようというくらいの気持ちでいます。
技術者たるもの、会社に所属するのではなく技術に所属し、就職は会社へ技術力を提供する契約関係ぐらいに思っています。終身雇用前提の就職はありえないと考えています。
多分コレはみんなそうで、「愛社精神」というものはないです。会社のミッションにはほとんどの人が共感しており、ミッションの実現のために会社へ技術力を提供している、という意識の人が多いと思います。
ポイントカード使えないって書いてあるのに出してくる奴
店員がいるからって明らかにレジの装置がないサービスカウンターに商品置く奴
私は気が短いのでこういう奴らでさえイライラしてくる
ポイントカード出してきた奴には書いてあるのを指差しながら使えないんですぅ〜って言ってる 読めないのか??というニュアンスを込めて
クレカ無言で出す奴はこちらも無言で一括選択 一括でお願いしますくらい自発的に言え!!!!!!!!いやこれさ 一括でいいですか?って一回質問すればいいだけなんだけどマジでこのたった1つが本当に手間で無駄なんだよ 混んでるときとかもいちいち聞かなきゃいけないし だってこの質問の返答は9.999999999割イエスなんだよ??????!!!!こんな無駄な 不要な意味のない質問ないでしょ
キャッシュトレイに置かない奴にはトレイ持ってトントンってやってこっちにお願いしますぅ〜って言ってる もちろん客に金を移動させてる
駐車券の奴は駐車券に書いてあるから読めって言ってる いやほんと書いてあるだろなんでこっちに聞くんだよ本当に勘弁してほしい
すみませんとか申し訳ありませんとか言ってない だってこっちは何も悪いことしてない
明らかにクレーマーとか頭おかしい客ならもう割り切ってクソクソ〜と呪いながら対応できるけど
こういう客はイかれた客より量が多いからイライラが積み重なるんだよな
あ!!!!あとレシートいらないですって言う客には目の前で大きな音が出るように破いて捨ててる
すぐ使いもしない洋服のタグ切れって言う奴もいるな お前は家にはさみがないのか
店長の前でも包み隠さずこの態度だわ クレーム来たらすいません店長
6割くらいは私の性格の悪さが起因だと思うが、残りの4割は客のクソ具合で成立してると信じている
成人して1年が経った。段々と自分や他人のことを客観的に見れるようになり、自分はこういう人間であるということを言葉で表すことができたとき、大人になったんだなぁと感じる。
それから、最近はインターネット上の発言を見て、「ガキだな」と感じるようになってきた。実際そう感じた投稿の投稿者のプロフィールを見に行くと高校生だったりして、直感は正しいようだ。私も中学生のときにはもう一丁前にインターネットで発言する側に回っていたが、そんな私を見て、ガキだなと思いながらも対応してくれた方々が、今は非常にありがたく感じられる。
で、最初の話に戻って、自分がどういう人間かというと、驚くほど他人に興味がない人間だということに気づいた。このことに気づくまでは、自分のことをそこそこ心優しい人間だと思っていた。けれども、自分の行動を振り返ってみると、自発的に誰かの困りごとを探すことをせず、頼まれて初めて動く、つまり承認されることが保証されて、初めて他人のために行動ができる人間なんだと気づいた。
他人に同情することもできない。できることは自分のフィールドに連れ込んで笑い話にするだけ。相手はこんなにも自分の話を聞いてくれるのに、逆はどうだ?他人のことは文字通り他人事としか受け止められない。
そんな私でも、周りにはそれなりに信頼されているように思う。それは、なんだかんだ他人に興味があるような演技がうまかったのだろう。
ルールを守らずオーバーステイして捕まって国外退去されるのを回避するため「難民です!」とか言い出せば移民OKの国ってあるの?
http://usfl.com/2016/03/american_lifehack/sittoku/96418
オーバーステイしている本人が出頭せず何らかの理由で退去強制手続を拒否して騒いでいるんじゃないの?
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http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyukan_nyukan87.html
法務省入国管理局では,出国命令制度の広報活動や「在留特別許可に係るガイドライン」の改訂等を通じ,不法滞在で悩んでいる外国人の方が地方入国管理官署に出頭しやすい環境を整備し,自発的な出頭を促すことを目指しています。
○ 在留期間を経過したまま日本で生活している外国人で帰国を希望している方は,収容されることなく,簡易な方法で手続ができる「出国命令制度」を利用して帰国することができます。
・ 退去強制手続により帰国した場合,最低5年間は日本に入国することはできませんが,「出国命令制度」で帰国した場合,その期間は1年間となります。
・ 「出国命令制度」を利用できるのは,次のいずれにも該当する方です。
ア 速やかに日本から出国する意思を持って自ら入国管理官署に出頭したこと
イ 在留期間を経過したこと以外の退去強制事由に該当しないこと
ウ 入国後に窃盗等の所定の罪により懲役又は禁固に処せられていないこと
エ 過去に退去強制されたこと又は出国命令を受けて出国したことがないこと
○ 帰国を希望している外国人の方で,「出国命令制度」の対象に当たらないものの,自ら入国管理官署に出頭した方については,仮放免の許可により,収容することなく手続を進めることが可能です。
○ 引続き日本国内での生活を希望される方は,まずは入国管理官署に出頭して,日本で生活したい理由等を申し述べてください。
・ 先般改訂した「在留特別許可に係るガイドライン」には,在留特別許可の許否判断を行うに当たっての積極要素として,日本人と婚姻が成立している場合などのほか,(1)自ら入国管理官署に出頭申告したこと,(2)日本の初等・中等教育機関に在学し相当期間日本で生活している実子を監護及び養育していること,(3)日本での滞在期間が長期に及び定着性が認められること等を挙げていますので,このガイドラインをよくお読みください。
例えば,(3)に該当し,かつ,他の法令違反等がない方が,出頭申告した場合には,在留特別許可方向で検討されやすくなることをガイドラインで紹介しています。
・ また,摘発等により違反が発覚した場合は,原則,収容されることとなりますが,出頭申告した場合には,仮放免の許可により,収容することなく手続を進めることが可能です。
・ 別紙[PDF]のとおりの退去強制手続の中で,申出の内容を審査した結果,法務大臣から特別に日本での在留を認められた場合には,不法滞在の状態が解消され,正規在留者として引続き日本で生活することができます。
・ なお,在留特別許可は,積極要素と消極要素を総合的に考慮して許否を決定しますので,結果として許可されない場合には,退去強制令書が発付されることにご留意ください。
国民が自発的に対処すればどんな政権だろうと手を出される心配はなくなるんだよね。
政府はニュースにしてやって一応国民が自力で何とかするかと様子をみたけど
でも何もしなかったから仕方なく手を出してくるんだ。
この記事の「異性」と「同性」をひっくり返すと自分になることに気がついて、ああ自分は「ヘテロフォビア」なんだ、と思った。
異性と付き合った時、セックスがどうしてもできなかった。そういう雰囲気が避けられなくなったら別れる、その繰り返しで何年もやってきた。何度失敗しても諦められなかったのは、異性と付き合うのが正しいって思ってるから。
でも同性とだったらワンナイトでもできてしまった。あんなに気持ち悪いと思ってたことが全然、簡単にできてしまった。ワンナイトしたのは単純に性欲が爆発してたから。
自分が同性愛者だと胸を張って言えるわけでもない。自分は男も女も好きになったことがないからだ。
そもそも上の記事にたどり着いたのも、人を好きになるってどんな感じなんだろうなって知りたくてネサフしてたらたまたま見かけただけだった。
何も問題は解決してないけど、ずっと悩んでた抽象的な問題に名前がついてほっとしている。
自分は異性愛が苦手。セックスするなら同性。最大の問題は自発的に他人を好きになれなかったこと。その障害がセックスだったこと。
やっと誰かを好きになれるスタート地点に立てた気がする。人を好きになりたい。
学生時代は本当に体育が苦手で苦手で。
小5くらいから、運動した後は必ず頭が痛くなって、体育の後は毎回保健室。
辛うじて筆記や提出物で、1を取ることはは免れつつ、2とか3とかばっか。
走ればビリ、球技やればボールが回ってこない、二人組は作れない、逆立ちはできない。
典型的な「体育なんてイラネ」側の人間として大学まで過ごして、体育なんてイラネのまま社会に出た。
そんで、社会に出て10年ばかりしたところ、つまり三十路を越えたあたりで、段々身体にガタが出てきた。
運動の習慣がないから当然体力も筋力も無い。肉付きが良くなってきた。体重が増えて関節が痛い。あかん。やばい。
この年になって初めて自発的に「身体を動かさなくては!!!!」と強く思った。
自分が「身体を動かしたい!!」と思う日が来るなんて、学生時代は全く予想していなかった。
「運動なんてかったるい」のまま年を取るんだと思ってた。
でも違ったんだよ!身体を・・・動かさなくては・・・!!と思う日は来るんだよ・・・!
お金に余裕があるならジムでも行こうかって思うんだろうけど、所詮キモくて金のないオタクなので、続くかも分からん運動にそんな金は掛けたくない。
筋トレもなんか、変なやり方するとダメとか聞くしよく分からん。
持ってる中で一番動きやすい服を引っ張り出してきて、後はスニーカーさえあればすぐ出来る。ヨッシャ走ろう。
いきなり調子に乗って長距離走ると心が挫けると聞いたので、初日の目標は5分。目標は挫けないこと。
で、走り出そうと外に出て、ここで気付く訳ですよ、「おっとまずは準備運動」と。
屈伸して伸脚して、アキレス腱のひとつも伸ばして、軽くジャンプして・・・って、これ学校で習った事じゃねえか!!と。
そしてのたのたと走ること4分、当然既にヘロヘロになっている訳だけど、そこで鮮やかに蘇る学生時代の持久走大会の記憶。
「あと少しのところで休んで歩いてしまうと、走り出す時にもっとしんどい」
「ペースを落としてもいいから、とにかく走り続けた方がしんどくない」
中学時代の自分が教えてくれる。諦めなければゴールにたどり着けるのだと・・・!
そして苦しい息の下やっとたどり着いたゴール!
たった5分のランニングで既にへとへとになっている訳だが、ここで立ち止まってはいけない・・・!って先生が言っていた・・・!
息が整うまで歩き、その後整理体操をしてメニュー終了・・・ってやっぱりこれ全部学校で習った事じゃねーか!!!
そうか・・・あの辛く苦しいばかりだった体育の授業、身体が若々しかった当時は無意味に思えた準備体操に整理体操、企画者を散々恨んだ持久走大会・・・それらは全て、大人になってから突然、運動しなければ!という気持ちに目覚めた瞬間に、身体を痛めずに適切な運動ができるよう、運動のお作法を身体に叩き込む為に存在していたんだ・・・とその時気付き、生まれて初めて体育の授業の存在に感謝し、どいつもこいつも腹立つ奴ばっかりだった体育教師にも少しだけ感謝した。
だから、「今」役に立たないことでも、十年後、二十年後、三十年後にふっと役に立つ瞬間がくるかもしれない。どんなことであれ、学んでおくと言うことは良いことである。
ちなみに、ランニングの習慣はなんと三日も続いた。
この点は、全くそのとおりだと思う。
もし、管理売春の業者に対する公権力側の監督責任という面が【現代的な意味での奴隷】として定義されて、責任を問われるのであれば、
売春防止法以降の、事実上の管理売春の容認から斡旋業者の放置、それらも論理的には同罪ということにならなければおかしい。
戦時の慰安婦だけの問題ではない。では、なぜ売春全般の話にならないのか。
売春防止法の制定の背景として、管理売春そのものが国際社会から悪とみなされていたがゆえに、
国際社会への早期の復帰を目指していた日本は、GHQから公娼制(管理売春)が廃止されて以降、法の制定を急ぐ必要があった。
しかし、売春そのものに対する罪悪感は日本人には微塵もなかった。むしろ吉原など貴重な観光資源だと行政も認識していた。
売春防止法施行直前の55年、新聞社が開催した「吉原を語る座談会」において、地元と議会議員らが次のようにアドバイスしている記録がある(婦人新風1955年4月号)。
みつ豆でも気軽に食べにゆける吉原でなければならないのじゃないか・・・気軽に遊びにいって、そして飲んだり食べたりしているうちに最後にお互い同志気があったときに目的を達するというふうにすればよい。
当時は、東京都も警視庁も、吉原を観光資源として積極的に活用していこうという感覚だった。
こうした過程を経て制定された同法は、風営法とセットで完全なザル法。今に至るまで。
赤線がトルコ風呂と名を変え、トルコ風呂がそーブランドへ名を変え、名前は変わっても実態は管理売春の黙認だ。
現在でも、サービス提供する施設に寝泊まりさせられているなど、一昔前だとジャパユキさんと呼ばれ、
いわば監禁同然の扱いで働いている出稼ぎ外国人女性が存在する。それは興行ビザで来日しているフィリピン人であったり、韓国であったり、中国であったりする。
個人的には、アダルトビデオについての人権問題も含めて、日本の風俗産業のあり方を行政として放置していることのほうが、我々世代の責任問題だし、よっぽど気になる問題。戦時世代の悪のついての責任よりも、だ。
ところが、同じ論理だからといって、現在の日本の管理売春の黙認を、現代の奴隷制だとして、非難されているかというと、、
実は、アメリカの国務省の人身売買報告では、かなり以前から非難されている。
技能実習生とセットでね(余談だが、技能実習生についても、結局、問題の根っこは同じで、戦時の徴用問題とパラレルだ。)
そして第一次安倍政権のとき(05年頃)にも日本政府としての対応が迫られていた。外圧に近い形で法整備が求められた。
日本政府は、国際組織犯罪防止条約の「人身取引議定書」と「密入国議定書」の批准を受けて、刑法を改正し、2005年、人身売買罪を創設した。
この制定過程において、05年6月8日の国会の法務委員会で次のような答弁がある。
○江田委員 ・・・人を支配する行為全般について、この人身取引に対して実効性のあるものに今回の法改正はなっているということでございます。
次の質問をさせていただきますけれども、この人身取引議定書の要請を満たすため、これにつきましては単に形式的に文言を対照するだけでは私は足りないと思いますが、人身取引議定書の理念を十分に取り込んだ法律やその運用になっていなければならないと考えております。
・・ 売春をさせている者が、この外国人女性は売春することに承知しているんだ、同意しているんだから人身取引とは言えないだろうというふうに開き直るケースが多いと聞いております。成人の女性が家族を貧困から救うために、親からの働きかけなしに自発的にみずから売春を希望して売られたような場合など、人身売買について被害者の同意がある場合のようにも見えます。
しかし、・・人身取引議定書が、「女性及び児童に特別の考慮を払いつつ、」と規定していることからしても、女性や児童の特性を考えて、売春をすることについて承知しているとの事情、これを過大視するというのはいかがなものかと・・、今回の法律案につきましても、売春をすることについて同意をしている場合であっても人身売買罪が成立するのかどうか、そこを法務当局にお伺いいたします。
○大林政府参考人 御指摘のような事例におきまして、表面上被害者がみずから売春をして金銭を稼ぐことに同意していたといたしましても、本来は、不特定多数の相手方と性交等を行うことなどを希望しているものではなく、家族を貧困から救うため金銭を稼ぐには売春によるほかはないと考えてやむなく売春に及ぶに至ったと見る事案がほとんどであろうというふうに思われます。このような場合には、被害者の同意は自由かつ真摯な意思に基づくものとは認めがたく、当然に犯罪の成立が否定されるものではない、このように考えております。
○江田委員 ・・今、法務省の方からは、その事情を考慮して、勘案して、売春をすることに同意している、そういうふうに見かけられる場合であっても人身売買罪は成立、適用されるということでございますので、私どもの申し入れの内容にも沿った法律案の改正になっているかと思います。実効性が上がることを期待しております。
売春行為が好きでそうした職業につくことなど、そんなに多くは考えられないだろうから、貧しい国からの移民のケースでは、多くの場合に適用がありそうだということになる。
人身売買罪の創設は、対外的なアピールとしては政府として大きな動きだったとは思う。
しかし、アピールとしはそうかもしれないが、風俗に関するさまざまなザル法は放置され続けている。
出稼ぎ外国人の母国はどう対応しているか、というのも気になるだろう。
同法の制定過程において、出稼ぎ労働者の有力な送り出し国のひとつ、フィリピン政府は、当初「就労機会を奪うな」などとごねていて、実態把握の動きが遅かったという報道はみたことがある。なるほど、そういう背景は重要だなと思う。
慰安婦問題に戻ると、私は、いつになったら、慰安婦問題が現在進行形の風俗問題に飛び火するんだろうという視点で十数年前から関心をよせていた。
しかし、そういう気配は微塵もないなかで、慰安婦というフレーミングだけがヒートアップしていったように思う。
慰安婦の問題に封じ込めたいというメカニズムがどこかに働いているんだろうとは思う。
それは社会的にも経済的にも、そして文化的にもいろいろあるんだろう。
我々の心理かもしれないし、自国もしくは相手国の政治経済的な背景かもしれない。
教えるまでなにもしない、というのは一理あるかもしれない。義務教育と受験を受けた人、特に塾や予備校に通わせられた人は教えられることを待つ傾向が強い。最近だと自発的な教育という方針が議論されているが、大前提としての社会的義務がある以上、つまり義務による強制と自発的な学習とが矛盾している以上、そして自発的な学習が自己矛盾してる以上、本質的に変わるとは思えない。まあこれからいつもどおりに凄い子が現れたら教育革新のお陰だという人も現れるだろうが、そもそも大切なのは「自発的な学習」ではない。
仕事をする人たちから見たら、教えられるまで何もしない、と思うかもしれないが、ではなぜ教えてあげないのか。課題を与えたらやるのだから、とことん与えれてやればいい。時間をかけさせるほどの量を与えたらいい。でも、大人はそうしない。学生がいなくなるから、嫌がるから、らしいが、今ですら大学に学生はいない。なぜならアルバイトしたり遊べるから。そして、量を与えれば自然と質に変わることがある。質に変わらないならば、おかしいと人は思う。だから工夫する。
仕事をする人たち、大人が見る学生観は結局、義務教育者となんら変わらないところがある。それは自分たちの立場だけしか考えないで、若い人間の萌芽を枯らしてしまうことだ。
今日はちょっと個人的なことを書こうと思う。まぁいつも個人的なことだけど。
目的は書き出すことでの整理。それに付随して派生するかもしれないけれど、今は控えておく。
付き合っていた彼氏(まぁ今も続いているのだが)がいたが、大学が私立だったので親孝行のためと、やっぱり地元が住みやすくて好きだったので、めでたく遠距離恋愛となった。
この彼(けいし君といいます)は、同い年で同じ学年だったのだが、1年休学留学をしていたので、卒業は1年遅れ。まだ学生。
まぁそんな感じで地元の企業で営業として働いていたのだが、半年で辞めた。
辞めた理由はいろいろあるような気がするし、全部書くと長くなるのでやめておくが、一番大きな原因は
「生きることが面倒になったから」。
大学3年くらいからこんなことを考えるようになっていって、ついにそれが爆発した感じ。
この時私は本当に死のうと思っていた。
鬱だったのかと言われればそんな感じといえばわかりやすいかもしれないが、精神科の先生には鬱なんて診断もらわなかった。
(時期はずれているが二人の先生に診てもらった。一人目は「また死にたくなったら来てください」と言われた。二人目の先生には安定剤と睡眠導入剤を処方してもらった。)
やりたいこともわからないし、何を指針に、何に向かって生きていけばよいのかわからないし、生きる意味なんてわからないし、生きるのってとても煩わしくて面倒だな、と思った。
けいしには話をしていた。彼はもちろん私を助けようとアドバイスをくれたが、当時の私には何の救いにもならなかった。今になってみれば、彼のアドバイスが間違っていなかったことはわかるのだが、生きることに面倒になってしまった私は、自分の現状から抜け出す意味も、そんな気力さえもなかった。
多分、彼はそこをわかってくれていなかったのかもしれない。聞いてないからわからないけれど。
そんな感じだったのだが、まぁいろいろあってまだ生きている。残念ながら自殺未遂もしていない。
単に逃げたかっただけなのかもしれない。
親とか、兄弟とか、彼とか、友達とか、会社とか、そういった社会のつながりから。
こうしてまたそういうつながりに戻ってきているのだが、時々逃げ出したくなる。
とりあえず話を先に進めよう。
そして職を失った(自発的に辞めたんだから、失った、てのは変な感じもするが)私は、少しだけニートになった。
お金はないけど時間はある中で、自分と向き合って、何に興味を持って生きていけるのかを探る期間にしようと思った。
私には、趣味らしい趣味も、好きなこともなかった。得意なこともないし、自分には何の価値もないと思っていた。あ、これは今も変わらないか。
何もない自分が、どうやって価値を生み出してお金を得て生きていけばいいのかわからない。
世の中の人間なんて、自分に価値がないなんて思っている人はたくさんいるはずなのに(だから「あなたには価値がある」って声高に叫んでいる人が人気を集める)、みんな何がしかお金を得る手段を持って生きていけてる。そうなるにはどうしたらいいのか、どうして誰も教えてくれなかったんだ。
そんな中で、私の中で価値があって、人生の指針になってくれる人が一人だけいた。彼だった。
アルバイトを始め、ニートからフリーターとなった私は、もうひとつジュニアスイミングスクールのコーチとしても働き始めた。こちらもアルバイト。泳ぐことは昔から好きだった。子供はそんなに好きじゃなかったけど、かわいかった。1年ほど勤め、やっと慣れてきて、もっと勉強せにゃあ、と思っていた時だった。
もともと2人で、結婚の前に同棲したいよねという話はしていた。
でも、時期が悪かった。話を持ちかけられたのは夏だった。せめて年度末までスイミングスクールのコーチとして働きたかった。
そしたら彼が言った。
「今すぐ来てくれなければ、別れる」
普通に考えたらありえない。これがもし私の友達の話だったら、私は間違いなくそんな彼氏殴ったれ、と言うだろう。
しかも彼はまだ大学生だったのだ。卒論を期限内に書き上げられず、ゼミの出席日数が足りず、卒業できずにいた。休学しながら自分でバイトをして学費を貯めて大学に通っていた。
そんな生活を続けていくうちに、大学を卒業する意味がわからなくなってきたと言っていた。
彼のことが好きなのか問われると、正直今はよくわからない。
私は好きじゃない人ともセックスはできる。生理的に受け付けない人とか除いたら、そりゃずっと一緒にいたら愛とか情とか湧くんじゃないの?
今の彼が例外かと言われたらよくわかんなくなってきた。
そんな奴だったが、私の人生においては一番大切にしてきた人だった。私の羅針盤だった。彼がもし死んでしまったら、私も間違いなく後を追って死んだだろう。
…私は彼に流されすぎなのだ。仕方がないことではあるけれど。
私は彼を完璧な人間だと思っていた。(あほちゃうか、と思うだろう。私もそう思う)
彼の考えを聞くと、一見理論立っているように見えるのですぐに納得してしまう。私の悪いところだ。
お互いの両親に挨拶をした。彼の両親は自己責任でどうぞ、と言ってくれた。私の両親(特に父親)には反対された。でもその反対を押し切って、同棲を始めた。
アルバイトは両方辞めた。
私が前職の営業を辞めてすぐ就職しなかったのは、前述した通りやりたいことを探したいから、ということと、もうひとつ理由があった。
自信がなかった。
正社員という立場で、アルバイトより責任ある立場で、仕事を続けていく自信がなかった。壁にぶちあたったら、また「死にたい」と逃げるのではないかと思った。逃げない自信がなかった。
でも、状況は変わった。これからは家賃も食費も水道代も電気代も全部払っていかなくてはならない。
人は働かないと生きていけない。自給自足も不可能ではないが、現在のシステムは自分ができることでお金を稼いで、そのお金で誰かが代わりに作ってくれた野菜を買うというものになっている。賢い生き方だと思う。でも、その働くというハードルは、おそろしく高い。
いや、私が高くしているというものもちろんある。バイトでもお金は稼げるし、私がしたくないと切り捨てている仕事もたくさんある。
だけども、やっぱり高い。
転職では即戦力が求められ、半年の営業経験と責任感がなくて楽だと思いながらやってきたアルバイト経験だけでは、何が即戦力になるというのだ?
まだ、見いだせていない。
やりたいこと?3年近く探してもまだ見つからないんですが。
本気で探してないだけかもしれない。でも本気で探す理由がわからない。
死亡動機なら答えられるのに。
けいしに流されて生きてきた人生だな、と振り返って思う。
流されてきた、というか、私の判断材料に常にいるな、こいつ、と。
そう思ったので聞いてみたのだ、彼に。
そしたら、いない、って返ってきた。
そういう考えをしていた時期もあったけれど、そうすると、ちゃんとした仕事に就いて、養っていけるという状況を作らないといけない。それじゃダメだと。丸くなってると。
前に二人で言ったよね、お互い自立して、それぞれが見てきた世界を共有しあえたらいいよね、って。
お互いなにがしかの武器を持てたら、二人で協力した時、お互いの欠点をカバーしあえて最強だよね、って。
そう、言われた。
正直、私はショックだった。
私はけいしがちゃんと大学を卒業してちゃんと就職して、私を養えなくてもちゃんと収入を得て、そして結婚して、子供ができてお金が必要になってもちゃんと暮らしていける。そんな未来を思い描いていた。
だってもう25だ。そろそろ子供産んでおきたいのが正直なところだ。まだ全然子供を育てられるような人間じゃない。そんな人間できていない。育児ストレスで自分の子供に暴力振るう自信だってある。(そんな自信はいらない)
だけど、そろそろ、そういう時期だって思ってた。
同棲始めたし、同棲を長期間するつもりもないし、いずれ近々籍も入れるだろう、と。二人で同じ未来を思い描いて、お互いがお互いの人生に責任を持ち合いながら生きていくのだろう、と。
そろそろ、ちゃんとしてくれるのだろう、と。
その反面、けいしの言うこともすごくよくわかるのだ。
お互い自立して、自分の人生の責任は自分で持つ。だけれども、パートナーとして、一緒にいる。助け合う。お互いの見てきた世界を共有しあう。人生2倍。
なんてキラキラしていて、楽しそうなの、と。
どちらを選ぶかは、私たち二人次第だ。
ただ、もし後者を選ぶなら、レールから外れて生きていくことをきちんと自覚しなければならない。
(まぁ正直すでに外れている二人だが、まだ修正はきく位置にはいるだろうと思っている)
転職アドバイザーの人からは、これ以上非正規を続けたら、正規になるのはとても難しいだろう、と言われた。
その道を突っ走るのか。
けいしの将来だって保障されたものじゃない。向こうが稼いできてくれると思ってはならない。
いつか後悔するかもしれないが、やりたいことやりたいだけやって死ねる。
そもそも私はこの道を選んでどうしようもなくなって死ぬしかなくなってもいいのだ。だっていつ死んでも一緒なのだから。
年上の人にこういう話をしたら、みんなレールに乗るように、って言ってくる。
私より長く生きているから、視野も広いだろうし、知識もあるだろう。”知り合いにこういう道を選んで失敗した人がいるから、私にはそうなってほしくない”とアドバイスしてくれてるのかもしれない。
でも、自由に生きている人も少数ながらいる。多分その繋がりで、ホームレスの若い男の人が結婚した、なんて話も聞いた。
こういった少数派の人たちは言う。普通の大人に意見を求めるな。普通になるようにアドバイスしてくるはずだ、と。なりたいものがあるなら、それにもうなってる人にアドバイスを求めよ、と。それは確かにそうだよな、と思う。
でも、それが自分が心から求めているものならば、叶えられるんじゃないのかな、とも思っている。
とりあえず、けいしと話をしなければならない。
お互いにお互いの人生を、と考えている彼は、自分の思いを聞かないと話してくれないし、わざわざ私の相談にも乗ってくれないのだ。
私は本当にこいつに一生付いて行ってもよいのだろうか。