2018-11-16

anond:20181116040528

教えるまでなにもしない、というのは一理あるかもしれない。義務教育受験を受けた人、特に塾や予備校に通わせられた人は教えられることを待つ傾向が強い。最近だと自発的教育という方針議論されているが、大前提としての社会的義務がある以上、つまり義務による強制自発的学習とが矛盾している以上、そして自発的学習自己矛盾してる以上、本質的に変わるとは思えない。まあこれからいつもどおりに凄い子が現れたら教育革新のお陰だという人も現れるだろうが、そもそも大切なのは自発的学習」ではない。

仕事をする人たちから見たら、教えられるまで何もしない、と思うかもしれないが、ではなぜ教えてあげないのか。課題を与えたらやるのだから、とことん与えれてやればいい。時間をかけさせるほどの量を与えたらいい。でも、大人はそうしない。学生がいなくなるから、嫌がるから、らしいが、今ですら大学学生はいない。なぜならアルバイトしたり遊べるから。そして、量を与えれば自然と質に変わることがある。質に変わらないならば、おかしいと人は思う。だから工夫する。

仕事をする人たち、大人が見る学生観は結局、義務教育者となんら変わらないところがある。それは自分たち立場だけしか考えないで、若い人間の萌芽を枯らしてしまうことだ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん