はてなキーワード: 自発的とは
もうセプタプルノリアネスぐらい前に住んでたコワーキングスペースの話だけど思い出したのでアウトプットする
プレミス:
テレビもデジタルサイネージ受信装置も持っていないと言っても過言ではないし、見ないんじゃなくて、あえてやらなかったんだ。
どんだけ「Macしか持参してない」と展開しても「現代はパソコンでテレビ見れますよね──。DR致します、それも強い正義感からいれてください。」と仰る。
逆に、MacBookPCだからMacBookPC持参してきて「アンテナ線のコネクターないでしょうがはい、今の発言シェアしといてね。」と言うと「中にはいい人もいるでしょ。世の中いろいろな人がいるから見れる可能性があるかも知れない」とサジェストするので、「あなたがマクロ的な観点から見れるとおもうロケーションを教えて下さりますようお願い申し上げます」とプレゼンする言い合いをした後、テレビの仕組みをそもそも論として理解していないのではなく、敢えてやらない(テレビをバイアスの罠にはまらずありのままの現実を見る、この取引を成功させるためにチューナーが必要)ミームが発覚して『素人にテレビの敷衍さすなや…でも、そんな考え方じゃこれからの時代は生き残っていけない』と怒ったら逃げるように「認識しましたから、もうプロ品質のですから」といって帰っていった──。
当然だけど、見てないのでありますし、将来性もあります分けがない、それに私はこんな所でくすぶる気はない。「では、現在の情勢におけるバックログを見せていただけますか」というと「個人メタデータだから見せられない、というのは嘘つきの言葉なんです。…ここまではいいよね?」とプレゼンする(苦笑)。「個人インターナショナル•データベースって西海岸で暮らす俺の個人情報、常識っしょ。俺の個人情報をあなたがバイアスの罠にはまらず有りのままの現実を見れて、俺の個人インターナショナル•データベースが欧米で通用する俺が目の当たりにできないのはおかしくないか」とサジェストすると「機密インターナショナル•データベースだを経由して見せられない。でも挫けてる暇はない」と読み取れる。「機密インターナショナル•データベースなのに受信のロードマップがあると俺にいってもいいのか、それで満足なの?はい、今の発言シェアしといてね。」とプレゼンすると「御社の情報だからいいね!しておきました!」と言われるので「じゃぁ見せていただけますか」と読み取れる押し問答を30min程したアフターファイブ、
「言うだけならなんとでも言える、俺テレビもってないっすけどね。とこでアムウェイって知ってる?部屋マクロ的な観点から見てもらってもいいですよ。貴殿の今後益々のご活躍をお祈り申し上げます。然る後に受信バックログがビジネスチャンスはあるかわかんないすけど、somethingか自発的に違法な装置取り付けられてる可能性があるかも。検査して頂けますか?返事は、スタバで残りの仕事やりながらお待ちしてます。これメモっといた方がいいよ。」とプレゼンすると押し黙って退散していった(笑)。
ちょうど出かけようとしたフォアラーにエンカウント。「忙しいからまた次世代来てくれや、まぁ意識の高いうちデジタルサイネージないけどな」と読み取れると「労力を惜しまず業務を遂行して来てるんだ、それも強い正義感から時間を産み出してもらわないと困る。NHKです。私は、噛めば噛むほど味が出るスルメのような人間ですからよ。」とプレゼンする。
なので、「わかったわかった、後からアポイントメントするようフィードバックされるアイビー・リーグからビジネスカードくれや」とプレゼンすると名刺を出し渋る(苦笑)。その時ちょうどビジネス鎧を来ていたので「御社な、ビジネスパーソンなんやろ。ビジネスパーソンなんやったら訪問する前にアポとるだろ。普通ビジネスカードも出すだろ、俺はもう卒業したけど。マーケティングするしない以前の問題だぞ。」と厄介な老害を演じたら泣き出して「契約ノルマ足りないと言っても過言ではないんです」と相談してきたから「こんなガラパゴスがセミナーワンルーム一等地のタワーマンションでデジタルサイネージを見るようなマイノリティいないから、あそこのタックスヘイブンのコンドミニアムはファミリーばっかだから先方いけ、な?」とソリューションして励ましてクロージング。
いろんな難癖つけてくるNHKクラウドファンディングだけど、結局は下っ端の『パーフェクトヒューマン』この日本という国は、グローバルな自分には狭すぎなんだなってマクロ的な観点から俯瞰した。
「デジタルサイネージ無いであることを意味しています」とプレゼンすると「じゃぁ設備投資したら連絡してください」といって退散する顧客
前回(https://anond.hatelabo.jp/20190122051523)の続きです。
さまざまな理由から、化粧が出来ない、してくれる協力者もいないという人達に私は会ってきました。
病気や怪我を治療中の人、あるいは治らない障害を抱えている人が居ました。症状が出ないように薬を飲んでいて、副作用がひどいと教えてくれた人も居ます。
発達障害からの注意欠陥、嗅覚・触覚過敏、どれほど頑張っても自分では時間管理ができない人、神経麻痺で手が震えてしまう人、不安障害や、醜形恐怖のために鏡で自分の顔が見られない人も居ました。先天性もあれば事故による後天性もあります。
一見しただけではわからない、介助者もいない軽度の人ほど、偏見に晒されてつらい感情を秘めていました。「就活の時期はとても苦しかった」と胸の内を話してくれた人もいました。
それらは対話しなければわかりません。
生きるだけで精一杯の彼女達を外見で判断することは、とても残酷なことだと思いました。
初対面の人へ否応なしに恐怖を抱く人もいます。彼女達はあまりにも傷ついてるのです。だけど彼女達も同じものが好きな人なら、親身になって耳を傾けてくれるなら、素直に明るく話せる『普通の』人達でした。
彼女あるいは彼らが、趣味を楽しむことを、ドレスコードもないイベントへ素顔と普段着で行くことを、そのために外出することを、誰が止めて良いでしょうか。
作中では、腐女子の一人のバイセクシャル発言を、言い訳と切って捨てるページもありました。
腐女子仲間の交流という非日常でならカミングアウト出来る人達もいるのです。クエスチョニング(自分の性的嗜好がわからない人)も居ます。
女性の体で生まれた性自認が男性のトランスジェンダーであれば、彼もまた女性らしい化粧をひどく嫌がるでしょう。
男性の体で性自認が女性の人は、きれいな化粧をしたい彼女自身の願望を世間から嘲笑われて、ひどく悔しがることでしょう。
私自身が、長い間クエスチョニングの状態で、もしかしたら今もそうかもしれません。「雌雄何方でもない究極生命になりたい」などと本気で考えた頃もあります。そうしたキャラクターに憧れたことも。それを中二病や黒歴史と切って捨てる気はありません。
その頃に考えた数々の想像は、今の作品作りに役立っています。何がどう人生に関係するのかはわからないですし、簡単に嘲笑の材料にしてはいけません。
そして、結婚して子供をもつ腐女子の人達はカーストの上位に位置すると作品内ではほのめかされていました。
独身の私には、既婚者のまま交友関係を続けてくれる腐女子が幾人かいますが、本人達の多くは決してそんなことを思っていません。
切り詰められた趣味の時間を一生懸命やりくりしています。子供たちが幼く、預けられる人が居なければ、イベントに出ることもできません。離婚を経験している人も居ます。子供を産めない体の人も居ます。彼女達の苦悩を「自虐に見せかけた自慢」などと断定することはできません。
外見に気を使えない分、時間が限られている分、彼女達は会場で迷惑をかけないよう礼儀正しくいようと努力しています。
作家さんに送る差し入れを考えたり、相手が不快にならないような感想の手紙を丁寧に考えてくれます。他人の悪意に敏感で、日々変化する対人マナーを注意深く観察しています。
賢明な彼あるいは彼女達は、自分がなにか悪いことをしたら、自分を容易く卑下すれば、自分と同じ属性の誰かが心無い偏見を向けられると知っているのです。
自分を奮い立たせなければ、読みたい本を手に入れられないのです。彼女達にとってもイベント会場はまさしく「戦場」なのです。
主人公自身が我慢して「普通」を演じてるからといって、どうして不特定多数にもそれを押し付けて、勝手に審査してしまうのでしょうか。
腐女子として知り合ったのに、そこでしかできない話があるのに、なぜ、妹や会社の同僚にもできる彼氏の「恋バナ」を主人公はその中でしたいのでしょうか?
誰しもに欠落があります。いくら擬態を頑張っても、つつけば粗が見えることを知っています。
見下す主人公よりも、その嘲笑われた「誰か」に共感して悲しみ、怒るのです。これは腐女子も一般人も変わりありません。
ここまでくれば主人公の『欠落』は明確に見えてきます。恋愛パートナーの有無や、化粧や顔の出来などとは関係のないものです。
物語としては、この欠落を彼女が尊敬する『神』の作品で、あるいは腐女子の友人達との交流で埋める方向に少しでも向くと思わせられれば、得る物はあったであろうに、エッセイ漫画として面白くなるであろうに、無視したまま化粧と服装だけに固執し、自分以外の他人を嘲笑し苛つきだけ表現して、何処かで見たような「あるある」ネタとしても使い古された、見慣れたエピソードで彩られた孤独な「自分語り」に、なぜ終始してしまうのでしょう?
主人公が妹との会話で傷つくシーンがありますが、それもどこか核心からずれています。
描こうと思えばいくらでも描けて、周り込めばそれだけ「面白い」題材になるはずのこの欠落を、なぜ無視して、このように雑に扱ってしまったのでしょう。
であれば、必要なのは時間です。自分と他人を見つめなければ、表面的な出来事と自分の内面を掘るだけでページが終わってしまいます。
であれば、そのような『制限』を外すべきだったのです。悪意を放り投げてしまうより、収拾可能になるまで、試し読みの範囲に伏線を詰めて描くべきだったのです。
そのほうがずっと「面白く」「続きが気になって」読んでもらえるはずです。
その柔軟さと判断力が編集者に無かったとなれば、漫画を面白くできなかったのは作者だけの責任には留まりません。
私はそう考えます。
ツイッターの機能として、登録者の興味のある事柄から、自発的に検索しなくても、プロモーションやフォロワーのいいねがTLに流れることがあります。
日夜ツイッターではプロ・アマチュアを問わず真の意味で赤裸々な「漫画」が、作り手の欲望と善意によって公開されております。
読み手は気軽にそれらを楽しむことができます。なんの警戒心もなく、それを読めるのです。
つまりツイッターを利用している未成年の、思春期の「腐女子」あるいは「腐男子」達も、この「腐女子カースト」という作品を目にした可能性が高いと言うことです。
腐女子は皆が皆、18禁作品をたしなむ訳ではありません。未成年で、好奇心と不安を抱えたまま腐女子の世界に飛び込んだばかりの人達、現実世界では未来ある学生達がそこにいるのです。
悪意に慣れていない少年少女も当然います。もっと幼くて、ただ漫画というだけで熱心に読む子も居ます。今は内容がわからなくても必ず影響は残ります。『顔芸』と呼ばれる大ゴマをつかって笑わせることは、どんな幼い子供にも通用します。
子供達に対し、自由な想像の世界に生きる存在であったはずの腐女子達の中に「カースト」が存在するなどと言い含め、ある嗜好を持つだけで現実では最下層の証明になるのだという差別意識を植え付けて、その子たちの無意識に色眼鏡を与え、自尊心を摘み取ってしまっていいのでしょうか。
自分もどうしようもない存在だから笑って許して欲しい、などと言う虫のいいお願いを「いい大人」が子供へ果たしてできるでしょうか?
それとも子供達も自分と同じ目に遭いつらい人生を歩めと言うのでしょうか?
あの時から今もなお続く炎上は、腐女子ひいてはオタク達の怒りでありながら、撒かれた毒を浄化しようという一心不乱の活動でもあるのです。
それが見えない露悪的な人達はこの騒動を冷笑しています。私はそれを、昔の自分のように恥じています。
これについては個人の快不快に留まる問題ではありません。会社ではなく、一個人があのような悪意を撒いたとしても、彼らは同じように行動するでしょう。
わずかな露悪的な読者層を取り入れるために社会倫理を無視して行動したのであれば、そうした会社に集まるのは、いっそう露悪的で短命な漫画ばかりとなってしまうでしょう。
このような感想になってしまいましたが、改めて、私は自由な創造性というものを尊重したい側です。
同時に面白くないと思ったものを面白くない、酷いと思えるものを酷い、ノットフォーミー(自分向けではない)な作品はそうだと言える自由もまた有ってほしいと思います。
商業作品においてもアマチュアであってもそれはかわりません。ただひとつ願うのは、描き手と読み手、企業と購入者、互いが互いに優しい形でそれが実現することです。
今回の騒動を見ていた時に同レーベルの「こじらせブスの処方箋~見た目を気にして病気になりました~」という醜形恐怖を描くエッセイ作品と作者が気になり、こちらは購入しました。
内容は「腐女子カースト」よりも読めました。やりようによっては幾らでも面白くなる題材だと思いました。たった一冊の本では描き切れないはずなのに、始まりから消化不良のまま、読み終わってしまいました。なぜ充分に生かせず、彼女は次々と過激なタイトルの新連載に移ってしまったのでしょうか。彼女が無料公開している作品を見ていましたが、やはりどこか無理におどけている様な、抑圧されているような、物足りなさを感じてしまいました。
他の主力作品もヘテロの恋愛や性事情を題材にしたものや実録系が多いようです。WEB雑誌系のスポンサーが出会い系や美容系で占められていることと関係しているのでしょうか。それらへ興味が向くように迎合した作品作りをすることも、おそらく企業戦略としては正しいのでしょう。
自尊心の低い女性や、夢を求めて来た外国人や、年齢や身体のどうしようもない特徴で偏見に晒された、「世間とちょっとずれた」弱い立場の人々を集めて「見下す対象」を作り抑圧することが、今のレーベルでの狙いなのでしょうか?
そうではないとする証拠が、今回の騒動の中にあったでしょうか?
今連載されている作品達に、作家達に、充分に示せているでしょうか。
善悪を私が断じることはできません。ユーザーが文句をいう事は出来ますが、断罪するわけではありません。
誰かの表現を止めることはできません。
一度出した表現は別の表現で塗り替えることしかできないのです。
多くの人にとって良くなければ、出資するほどではないと思われれば、自然と読者は離れていき、伝統はそこで終わるだけです。
今回の感想を書く上で、障害者や、性的マイノリティについて書かなければならなくなりました。
それらを教えてくれた人々は、私の大事な読者達です。
私はかつて、仕事をやめたのと同時に、しばらく普通でいることを休もうと思いたちました。世間や周りに合わせようと無理をするのをやめて、家に籠りました。趣味で漫画を描くうちに、私は作品を通じてツイッターで人と繋がりました。
読者のフォロワーの一人が、家庭の事で「爆発」し鍵垢で叫んでいた所に遭遇しました。私はその言葉を丁寧に読みました。
私が知り得る知識を総動員して、望んだ人生が歩めない悲しみを、それを他人から非難される恐怖と怒りを一生懸命想像しました。私は彼女の問題提起を注意深く見定めようとしました。
リプライではなく空リプで、一緒になって怒り、一緒に笑い飛ばしました。それは一時のSNS上のやりとりでしかないし、実際に顔を合わせる間柄ではないですが、今でも彼女との交友は続いています。
私と彼女は、対等な互いの読者として、信頼する友人として存在しているのです。
彼女の理解を諦めて無視したなら、きっとこうはなりませんでした。
信頼関係の構築に大事なのは性格ではありません。ただ己を一度引っ込めて、わからないなら真摯に聴き、調べ、深く考えた上で言葉を使うことが大事だと私は気付きました。彼女が暴れすぎて収拾がつかなくなるほど傷つかないように、考えて行動することでした。
それは自分の作品を作る時と同じでした。二次創作で『推し』を見つめて、彼あるいは彼女がどう行動するか考える時と同じでした。
彼女達の苦悩の間に、それでも己自身を肯定する言葉があると、パートナーや子供を心から愛している気配を見つけられると、私は安心できました。
他人の心の傷を全て想像出来るわけではありません。自分の心の傷に触れられることがあれば、動揺してひどい言葉を投げかけることもありました。ブロックされることもありました。しかしそれは、多くの人がそうなのです。ぶつかり合うことも距離を置くことも恐れてはいけません。本当に知りたいと思うなら、何度でも内省し正しい目で観察すべきなのです。
彼や彼女達が教えてくれた人生のエピソードを、私はそのまま作品に描く気にはなれません。自分自身の人生すらも。
作品には力があります。祈りにも呪いにもなり得ます。他人も自分も幸せにさせられるし、同時に破滅させられます。それほど重く、他人が口出ししてはいけない価値観が誰しもにあるのです。
一度発表したものは簡単に無かったことになりません。丁寧に積み重ねた善意よりも、悪意の一撃の方が取り返しがつかないこともあるのです。
それから私は、世間からちょっとずれた自分の感性を、注意深く噛み砕いて、善か悪かも断定しないように、フィクションに載せて描き続けました。自分が好きな作品がどうして好きなのか、どう世間と噛み合わないのか、深く深く悩み、考えました。それを読んだ人達の中に、共感して会いに来てくれた人が何人も居ました。ゆっくり時間をかけてですが、心からの対話をすることが出来ました。
世間からちょっとずれた人々にも悲しみがあります。楽しみがあります。それを見下して、ただの自虐的な見世物にして終わってはいけません。
漫画を描いている人々、漫画をマネジメントする人々、今まさに伸び悩んでいる方に、今一度向き合って頂きたいのです。
説教ではありません。私自身がまさに悩んでいたから、これからも悩み続けるだろうからこそ、一緒に考えてほしいという願いです。
ただ楽しいから、ただ涙が止まらないから書くというだけでも充分良いのです。書き上げてから、少しだけ手を止めて、考えてほしいのです。一時の利益のために道を見失わないために。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
ハンドルネームもペンネームも、いくらでも変えられる世界です。それは責任を放棄することと一緒ではありません。
今回は匿名での投稿ですが、私は私の思ったことをできるかぎり真摯に見つめ、影響を考え、投稿に至りました。それが少しでも伝われば幸いです。
その時には、互いに今より優しくなれていると良いなあと、願っております。
終
追記:
これを書いている間に、『COMIC維新りあら』公式ツイッターからお詫び文が出ました。
配信停止までやる必要はなかったかと思いましたが、仕方のない判断かもしれません。
また一冊の本が燃やされたと感じました。
セルフケアのため心理学書を読み漁り、マインドフルネスや認知行動療法といった個人療法を行っているのだが、
遡るほどに、小中校大学と、自分の個性をもっと理解していたなら、家庭不和に囚われて情緒不安定になっていなかったなら、
もっと普通に、もっと真面目に、学びたいことに集中して楽しい学生生活が送れただろうに、と無念の思いが溢れてきて、
身を引き裂かれそうに苦しくて、涙がいくらでも溢れてくる。
そう思うほど、醜い諍いに子供だった私を巻き込んだ両親への憎しみが湧き起こってしまう。
両親もまた、母は発達障害気味(無自覚で他者に指摘されると激昂する)で、父は自覚ありのパーソナリティ障害で自発的に通院していた。
パーソナリティ障害の専門書では、両親(特に母親)に育て方を責めるといった、過去の変えられないものを恨み続け激しい怒りを覚えるのは精神が未熟な証拠で、責任転嫁していると記述してある。
たしかにそうだと思う。反面、今はまだ、納得がいかなくてつらい。
自分でどうしようもないものを恨み、呪っている状態が、まさにパーソナリティ障害の症例に当てはまっているなぁ、と心の片隅で思いつつ。
今は、とにかく、涙が止まらない。
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無駄かもしれないけど…大学に通い直すために、今月から目的貯金口座を作って貯めはじめた。
ラブライブが流行ったのは、もちろんスクフェスがスマホ音ゲーとして成功した先駆者だったのもあるが、
アニメのもつ思想性、メッセージ力が、オタクというよりは一般寄りの価値観をもつライト層に刺さったからだ。
平たく言うと少女たちの葛藤や成長で視聴者を泣かせる作りが巧かったから。
ミュージカルくさくて飛躍や省略の多い構成が良さを理解できない人を生む原因だろうと思われるが、
高坂穂乃果や高海千歌のような、現実なら叩き潰されるような隙だらけのイノベーター型主人公が、
善良な友人の協力を得て、周囲を巻き込んで、大きなことを成し遂げるというストーリーが、不寛容な現実の息苦しさに対する救いになった。
それのみならず、アニメの中だけでなく現実でも、東京ドーム公演まで漕ぎ着けるサクセスストーリーを演出して、
リアルタイムでファンたちが成長物語に巻き込まれていった。そのオーバーラップこそが一番の肝だと思う。
加えて、キャストの方々が本当に真摯にハードなダンスや体当たりな生番組などに向き合ってくれたこと。
いい歳した声優さん達が、全力で青春を魅せつけてくれたから、ファンは作品にリスペクトを抱けているんだろう。
そういう面ではアイマス作品なども負けていないのだが、ラブライブが独特なのは、「スクールアイドル」であるというコンセプト。
営利企業の支援を受けて、ファンのために輝くアイドル像ではなくて、自分たちの問題意識から発足し、自発的に活動している。
そしてあらゆる局面での選択、決断は、「自分たちはどうなのか」を第一に置いている。
これはもう現代の若者の生き方を問うものだ。悪意に飲み込まれず、善く生きる方法論を描いていると言っていい。
そこがこの作品の粋な部分だ。
そういったラブライブismが、多くの人に、言語化されないまでも魅力として伝わった結果がこうなのだと思う。
そのismをNHKが汲んで後押ししてくれたことも大きいだろうし、純粋に曲や詞が良いのもある。
実際、複合的な要因でないと説明できないのは、スクフェス前までのアニメは特にバズらなかった事からも言える。
自分はアニメが最大要因かのように書いたが、アニメ自体の評価は、展開がアクロバティックなのもあって、
レビューをするような几帳面な人たちにとっては賛否両論となっているのが常で、表面上はアニメがすごいとは言いにくい。
他のアイドルアニメとの比較でいうなら、スクールアイドルという設定が良かった。
学生が顧問すらつけずに自発的にやってる時点で、いかにも青春って感じがするじゃん。
逆に商業アイドルはどうしても大人の敷いたレールに乗ってる感があるし、ぶっちゃけ金儲けのためにやってる事だからな。
ゾンビランドサガもまあ面白かったけど、キャラの動機という点では最後まで巽と状況に流されて終わった印象。
結局佐賀を救うためにアイドルやってるんだっけ? よく分からないまま最終回だったけど2期で説明されるのかな。
ラブライブは廃校から救うっていう外向けの動機と、やりたいから・輝きたいからっていう内向けの動機が並立してるのがいいよね。
今更だが「嫌われる勇気」を読んで見た。
確かに前半の、「トラウマは存在しない」という説、人は目的のために理由を作るという説など、思い当たることも多々あってなるほどと感心させられた。
まあアドラーは理解するのが難しいと言われているし、自分の理解がたりないだけなのかもしれないけど。
これって、自分以外の全員がアドラー心理学の信望者で、アドラーの言う自立した自我を獲得した人ばっかりだった時に成り立つ話じゃないの?
世の中なんて自分も含めて自立してなんかないどうしようもない奴ばっかだよ。
そんな中で善意の塊みたいなアドラー信者一人いたっていいように利用されるだけじゃん。
でさ、これはアドラーじゃなくて著者が悪いんだろうけど、例として「家族の誰も皿洗いを手伝ってくれなくても不機嫌な顔などせず、あなた(主婦)が鼻歌でも歌いながら機嫌よくやっていたらみんなが手伝おうかという気になるはず」っての。
皿洗いする主婦を例として出すのもそもそもどうなのと思うけど、現実問題として主婦がこれやってたら誰も手伝ってなんてくれないでしょ。
家事しかり、地域のゴミ集積所の掃除しかり、職場の給湯室の片付けだとか喫煙所の吸い殻だとか。
自発的に善意でやる人がいたら「あの人は掃除好きだからやらせとけ」みたいになって、挙句の果ては「ちゃんと片付いてない」とかクレームまででる始末。
こういう場合、主婦が夫と子供に対して「自分ばかり皿洗いをしているけどみんなで協力してやりましょう」みたいな話し合いを持って解決するのが自立した人格のすることなんじゃないの?
だいたい主婦に皿洗い押し付けとく段階で横の繋がりなんがじゃなく縦の繋がりになってるじゃん。
まあ今更「嫌われる勇気」を読んだのは、「僕が僕であるためのパラダイムシフト」という漫画を読んだからなんだけど。
この漫画はとても良かった。
私の両親は中国人です。しかし、私は日本で生まれ日本で育ちました。名前も完全に日本人のソレです。
中国に行ったことは小さいときに2回、観光で自発的に行った1回の合計3回しかありません。
なので、まさしく日本人として生まれ育ってきたんです。両親は中国人なのにも関わらず。(片方は日本人の血が混じってますけど)。
小学校、中学校の時の友達には両親が中国人であり、僕も実は中国人であることがバレています。学区の関係もあって家が近いからこれは仕方ない。
しかし、高校以降にできた友達には隠しています。中学校まではみんな国の事なんて深く考えませんから。
一回トラブルが起きた時に「これだから中国人は!」って言われたことがありましたけど、まぁそれぐらいです。
高校は自宅からかなり遠い位置にあるのでバレっこありませんでした。最初から隠すことを前提にそこにした感じはあったんですけど。
それで、高校から今までずっとそのことを隠してます。だって、僕は中国語を話すことができないし、日本人として生まれ育ってきたのだから。
中国人のおじさんにも言われました。「日本人は中国人を心の奥底で絶対に見下しているから、(親が中国人であることを)隠せ」、と。
本当の日本人でないことがバレるのが怖い。
帰化すればいいときましたが、僕は国籍日本でパスポートも日本のものです。
日本国憲法にはまぁ日本人として従ってます。君が代は歌うし、日の丸を掲げることもできます。
日本人として生きているんです。
落下するイメージをよく思い浮かべる。
階段から足を滑らせたり、寄りかかった柵がたまたま壊れていたり、走行中の電車のドアが突然開いたり。
日常にありそうなものからそうでもないものまで、頭に浮かぶイメージのバリエーションはいくつかある。たまに自発的に落下するようなやつも。
幸いこれまでの人生において落下事故に遭ったことはない。特段高所恐怖症という訳でもないと思う。
ただやけに鮮明で具体的な落ちるイメージと「そうなったら痛いだろうな」という感想が浮かぶだけで。
そう言えば保育園の時、お気に入りの滑り台から落ちた夢を見たことがある。後は自転車の荷台。
幼い時の記憶なんてあまり残ってないけど、そういう夢を見たことはなんとなく覚えている。(後年になってから記憶を作り変えてるのかもしれないけど)
スマブラの最新作はすごいですね。歴代最高傑作で間違いないと思います(挨拶)
ってのは置いといて、なんかはてブとかに批判が起こっててちょっとビックリしてる
今作の隠しキャラの開放ルールは独特だけどかなり理にかなったものだと思ってたから
過去作を遊んでた上級者なら面倒な条件が無いから歴代最短ってレベルで楽しんでるうちにすんなり全キャラ揃うし
まだ動かし方もわからないし自分の使ってるキャラの使い方もわかってない人には、操作習熟をしたりヘルプを探したり、大乱闘で挑戦者のステージを遊んでギミックを把握するいい機会なハズだし
確かに、あんま慣れてないキャラ遊んでるところで挑戦者が来て負ける事はあったから負ける悔しさはわかるけど、負けたとしても次にする事はゲームに不満を持つ事じゃなくて対策する事でしょ
・全103ステージの特徴
・全87アイテムの特徴
・現状全76(ポケトレ3カウント)ファイターの特徴(切り札の攻撃範囲と主な復帰ルート知るの超重要)
そんな慌てずに1キャラずつ触ってじっくり遊べばいいじゃんって思います
上級者がアカウント作り直して初心者狩りするのが困難になるんですよ
できるけどめんどくさいから長期的には初心者を殺しに来る嫌な中級者が発生しづらくなると思う
自分がもう1つ疑問を持ってるのが、全キャラ簡単に出ないって文句がスマブラに限って出るのが本当に不思議
プレイヤーキャラが増えるのってだいたい困難を乗り越えたご褒美じゃないですか
スプラトゥーンだって全ブキ使えるようになるにはかなりの時間遊ばないといけないしヒーローブキ出すの大変だし
ゼルダ無双とか200時間やってるのにロウラルマップやってないからまだユガ使えるようになってないし
ポッ拳はSwitchは最初から全キャラ使えたけどWiiU版はストーリー進めないと使えるアシスト揃わなかったしエンディング観ないとミュウツー使えなかったし
スターフォックス64とか対戦で歩兵使えるようになるの本当に大変だったし
新・光神話パルテナの鏡も武器を手に入れる為に何度も攻略方法を練り直したし
ポケモンも伝説のポケモンや通信進化ポケモン手に入れるの大変だったし
GBA版F-ZEROだってジェットバーミリオン出す為に悪戦苦闘したわけだし
マリオカート8DXもカート出す為に、全カップ1位になるまで何回もがんばったり200CCのスピードに悪戦苦闘したわけだし
ピクミンもお宝を手に入れる為に何度もピクミンを全滅させて悔しい思いを積み重ねてきたわけだし
どうぶつの森も何度も南の島行って、釣りをして、カブを買って家を改築して家具を揃えたわけだし
パンチアウトもドンキーコングと戦う為に試合相手のモーションを研究して勝ってきたわけだし
操作に慣れていないが故の壁を示されたんなら攻略方法を見出す過程を楽しむのがゲームだと思うので
今作の隠しキャラの仕様はシリーズ初参加の人が自発的に経験者に近づけるという良い導線だと思ったので
誰だって買って数日のゲームとか絶対に周囲が見えてないイノシシプレイなハズなので
イノシシプレイでクリアできないのはおかしい!クソゲー!ってのは
逆にどんなジャンルでも適当なイノシシプレイでクリアできるゲームの方がつまんないでしょって思いました…
https://anond.hatelabo.jp/20181215130121
ゼルダのブレワイが1時間以内でクリアできるゲームだったとしても2日遊んでクリアできてないから「クソゲー!エンディングは最初から観れるようにすべき!」って言い張る人がいたら絶対おかしいし
https://anond.hatelabo.jp/20181215233454
自分に不足している要素を知りながら、パルテナ様とナチュレ様の天界漫才を聞いたりしながら
勝ち上がり乱闘を楽しみながら