はてなキーワード: 縮退とは
AKSの運用に関するベストプラクティス(原題: Applying best practices to Azure Kubernetes Service (AKS))がMS Igniteというイベントで話されていたので
https://myignite.techcommunity.microsoft.com/sessions/81598?source=SessionDeck
https://github.com/Azure/aks-bestpractices-ignite19
RTO(リカバリ時間目標)とRPO(目標複数時点)に応じて下記の4通りのシナリオがある
4にいくにしたがって
RTO=復旧するまでの時間が短くなる
17:22~
23:48~
たびたび北海道のローカル線の廃線や使われていない道路などの議論がネット上ではあり、
無駄な公共投資の削減、コンパクトシティ化の促進、計画的撤退などの議論がなされます。
日本がこれから人口減少を迎えるにあたって、日本が小さな政府を目指すか、北欧型の福祉国家を目指すか、
さて、どちらを目指すにしろ、つまり、皆さんの思想がどちら側であるにしろ、
どちらも最低限の国家の機能として「安全保障」と「治安維持」は必要不可欠です。
100年以上前に夜警国家論がラッサールに批判されたときですら、
関東近郊、たとえば群馬、栃木や静岡あたりまで含めた地域に、日本国民全体を集めて住まわせることは
東京と同程度の人口密度をキープすれば可能でしょう。超コンパクト国家です。
では、我々が廃棄したエリア、つまり人が住んでいない四国や北海道、東北、沖縄あたりをどうしましょうか?
人が住んでいないので、公共サービスを提供する必要はないですよね?水も道路も電気もいらない。
放置しておきましょうか。
すると、何が起こりますか?
超過密の東京国の生活に合わなかった人たちが抜け出し、スラムをつくるでしょう。警察もいないですから、無法地帯ですね。
捨てた北海道や沖縄はどうなりますか?沖縄はアメリカが欲しがるかもしれません。
北海道はロシアや北朝鮮に占領されちゃうかもですね。それでよいのでしょうか?
つまり、小さな政府であれ、福祉国家であれ、日本が現在の日本の領土の「安全保障」と「治安維持」を
実現するには、国の中に交通ネットワークを引き、警察や軍隊に類似するものを配置し、
川や山、海岸線を維持管理する必要があるんですよ。もし人が東京近郊にしか住んでないとしても。
これは北海道のローカル線の廃線うんぬんの話ではないです。ネオリベな人たちが赤字路線を廃線したいならすればよいと思います。
しかし、ローカル線を廃線し、辺境の民をすべて東京に移住させたとしてもなお、
我々は国境線を維持する必要があるんですよ。そのコストのことをどう考えていますか?
どっちみちそのコストが必要ならば、その周辺に住みたい人に住んでもらって、維持管理コストの一部を負担してもらってもいいんじゃないですか?
こういう考え方が、地方や辺境の維持管理が必要な理由の一つだと思います。
※追記
誤解されると困るので、「だから、地方や辺境の維持管理が必要です。非効率のように見えても、地方に人が住んでも良いのです」と言いたいわけではなくて、
非効率な居住形態を縮小しましょう、みんな大都市近郊に住みましょう、と言っている人たちが
「安全保障」と「治安維持」の維持管理コストをどのように考えているのか知りたい、というのが本稿の目的です。
大都市圏に集中して住んでも、日本の現在の国境線と山、川などの国土を管理しようとすると、
どちらにしても膨大なコストがかかるわけで、人がいなくなればそれだけコストが増大します。
たとえば維持管理のための基地への道路ネットワーク、食料、生活必需品はどうしましょうか?全部空輸しますか?
東京都市圏に甚大な影響を与えるであろう川やダムは放置しますか?維持管理しますか?
特定のエリアに住むことを諦めたとしても、川や土地は繋がっていますからね。上流の影響は下流(=都市圏)にくることは不可避です。
すべてのサーバを関東に置きますか?地震がきたらどうしましょう?クラウドで米国か第三国に置きますか?
でも、それなら、縮退後にこれらのコストがかかったときに、「こんなはずじゃなかった!」というのはやめてほしいのですよ。
そんなの五輪で十分です。
コストカットのために縮退して、日本国民全体で東京に移住したのに、実はさらにお金がかかるような国土構造になってしまった、なんてのはまっぴらごめんです。
だって、そうでしょう。効率性のために、居住の自由を制限し、冗長性も失い、ある種の人権を放棄するわけです。目の前の効率性のために。
そして、結果として効率的じゃなかっただなんて、愚の骨頂でしょう。
これらのコストも踏まえたうえで、それらを含んでも日本は縮退を目指すべきだ、と言ってほしい。
もしくは、これらのコストは膨大なので、日本は一部国土を切り捨てて、四国や九州、沖縄は放棄する、とちゃんと言ってほしい。
そうして、やっと議論ができると思うのです。
※個人の見解です。善悪を述べていますが、そもそも善人も悪人も人類全てに生きる権利も幸せになる権利も不幸になる権利もあると考えています。ただし俺に被害を与えるものには厳正に対処・抗議します。
# | ラベル | 分かる度(5点満点) | 説明 |
---|---|---|---|
1 | 動物愛護 | 4 | 屠殺が残酷だという理由から動物食を辞める人々。「殺すために育てる」ことに思いがあるのは理解できる。俺はそれでも食いたいから食うが、実際の屠殺場を見たらもしかして思うところがあるかもしれない。 |
2 | 動物愛護(強) | 2 | 屠殺が残酷だという理由から動物食する人を罪人として咎める人々。確かに【屠殺を無くす】のならば人類がせーので肉食を辞める必要がある。しかし生命を食べるのはこの世の定めで、多くの人間の体には動物食が必要であるため、なくすのは自然ではない。「食品ロスの縮退」もしくは「狩猟生活への回帰(ただし非現実的)」を訴えるべきであると考える。 |
3 | 健康理論 | 3 | 動物を食べない方が健康だからと動物食を辞める人々。押し付けないだけいいが、実際には健康を害する人間の方が多い(しかし誘惑と戦うので頑固になり止まらない)。家族友人からすれば当人には健康でいてほしいのでできればやめていただきたいが、人間には個人で死ぬ自由も与えられるべきだと考えるため、難しいところ。 |
4 | 健康理論(強) | 0 | 動物を食べない方が健康だからとインフルエンスし動物食する人を罪人とする人々。ハッキリいって金の亡者。ファッションヴィーガン。最も憎むべき悪。人殺し。 |
# | ラベル | 分かる度(5点満点) | 説明 |
---|---|---|---|
5 | 命の不平等 | 1 | #1,2への反論に「植物は食べてもいいのか」という人々。「牛食と菜食」転じて、例えば「猫を殺すのと花を詰むの」を同等に考えるのはハッキリ言っておかしいと俺は考える。どちらにも本当に同程度悲しみを感じるのであれば、氏の感性には何も言えない。そうでなく反論するための詭弁としているだけなら、ただ人を叩きたいだけの愚か者、議論の邪魔、人類の足を引っ張る者。 |
6 | 嘘やめろ | 5 | #4に対して、人が苦しむ嘘により金を得ようとしている連中に対する言及をする人々。人格攻撃にまで行くのは悪へ足を突っ込むことになるが、問題点のみ毅然と指摘することは必要な活動だと考える。(俺はめんどいからしないけど) |
私はモバマスもデレステも数年前にちょっとだけプレイした程度のエアプで、ライブも一度だけピンチケ参戦した程度で殆ど知らないし総選挙に投票したことは一度すらなく全く思い出はないがアイマスPとして最低限デレマスを知っている
夢見りあむ
既に多くのお気持ち表明がなされているので今更語るまでもないが
まず、ラブライブであれサクラ大戦であれ、ありとあらゆるコンテンツは新キャラを投入する事で生き残ってきた。アイマスも例外ではなくASで一番人気の美希は新キャラだしミリオンでは紬、歌織 シャニマスではStraylightが、そしてモバマスでは数多のキャラが追加されてきた。
新キャラを追加しないコンテンツに訪れるのは緩やかな縮退そしてコンテンツの終わりだ
今のASがそうなっているように
で、新キャラを追加しなくなった、できなくなったサイゲは何をするようになったか
SSR実装やデレステへの実装 そして"声帯実装"をある種の新キャラの代わりとして扱うようになったのだ
ボイス総選挙と第4回の時点でソレは茶番になってしまっていたがそれでも2、3年は騙せていた。しかし、笑顔絵師やコピペジャケット、紙芝居MV、キャラ崩壊など総選挙以外でも不満不平が噴出するようになり、茶番では騙す事ができなくなっている事にようやく気づいたサイゲが重い腰を上げて作ったのが7人の新アイドルだ
初代 担当Pよりアンチの方が圧倒的に多いキャラ(楊菲菲を除く)
一人だけグッズが売れ残るのは当たり前、ニュージェネの中で一人だけ鍵とトレードされたり、トレーディンググッズは定価を下回る値段で取引された挙げ句、中古ショップでは最低保証と同じ値段という事実上の買い取り拒否されるような不人気ぶりだ
未だに頭に魔法がかかって総選挙が綺麗なものだと騙されたままの盲目信者及びデレマスに思い入れのないみんマス厨と本田未央を一度CGに祭り上げて投票から消そうとする勢力だ
夢見りあむに投票しているのは愉快犯などと揶揄されているが本田未央に投票しているのも何ら変わりなく愉快犯しかいないのだ
また、りあむには歴史がないと言うが本田未央には7代目シンデレラガールからセンターの座を奪ったり人のSSRやSRに無駄に出没しては本人より目立ったり、デレアニではポエムバトラーの次に大暴れしたりとゴリ押しの血に塗られた歴史しかない
んほぉ〜白黒とりあむを足しても全く足りない程に
夢見りあむが総選挙や声帯実装などデレマスへの憎悪の願望器だとするなら
本田未央は総選挙や声帯、出番などのデレマスの綺麗事の象徴なのだ
(中間二位のガチャブが一番アレだと思わなくもないけど………)
アイドルマスターシンデレラガールズは碁盤をひっくり返し自分の足で歩くのか
このまま魔法にかかったままでいるかの分岐点に立っていると私は思う
個人的にそのアイドルについて良く知りもしないくせいいけしゃあしゃあと綺麗事を並べては担当Pの意見を黙殺し運営を擁護するみんマス厨が殺意が湧く程嫌いなのでりあむに勝って欲しい
18・19歳、自民に4割傾く 立憲民主は高齢層支持多く:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22561000S7A021C1EA2000/
日経の記事が話題になっていて思い出した選挙前のラジオですが、若者の保守化論に関して是非とも紹介したい内容なので途中からですが文字に起こしました。
https://youtu.be/l7_mlqvCB8s?t=15m11s
北田「安倍内閣の支持率が東大生で高いっていう記事が流れてきて、実際そうなんですけど。上がってるんですよ昔より。東大生は強いものに巻かれるんだなって左派的な人から批判があったんだけど、同時に他の大学と比べてみて一般的にどうかっていうと若者全般がそうである。どっかの調査でもありましたけど若者自身が保守化していると言えるのか、現状の閉塞感みたいなものに関して安倍さんの方を革新と見ている可能性がある」
宮崎「読売新聞に早稲田大学の研究所と一緒にやった世論調査があって、50代まで(50代以上の意)は共産党を革新だリベラルだと評価するんだけど50代を境にして(下の世代は)一転して保守的だと共産党を。じゃあ(下の世代にとって)一体何がリベラルかって言うと維新が1番リベラル」
北田「そうなんですよー」
宮崎「維新のイメージって50代を境にして(50代以上からは)保守だと見なされてしまうと。これが典型的に表れているようにリベラルと保守っていう言い方っていうのが世代で違っている。特に50代を境にして全然違っているということになるんですね」
北田「50代までは恐らく冷戦までは通用したような右左とかタカ派ハト派の論理で政党名と繋ぎ止めているんですけど、40代から怪しくなり始めてもう20代30代になると大きく変わってきてしまっている。この状況を踏まえないと従来型の左右というかリベラル、保守という分け方もそろそろ賞味期限というか少し組み替えないといけないんじゃないかと思うんですが、少なくとも左右の対立項が大きくイメージが変わってるのは確かなんですよね」
宮崎「うん」
北田「宮崎さんがおっしゃって頂いたやつは今の中央公論の最新号で高知大学の遠藤先生たちによる『世論調査にみる世代間断絶』っていうのがあるんですけど、今みたいなお話がでています。19歳から29歳は日本維新の会を1番リベラルだと思っていると。先行世代からはなかなか不思議な構図に見える。そのあとも面白い研究をされていて本来であれば社会学者がちゃんとやるべきことなんですが、安全保障、社会的平等、ジェンダーの質問項目を元にどういう軸が区別の指標になっているか因子分析っていう手法でやってるんですけど、そこに3つ出てて安全保障の軸、社会的価値観(女性の社会進出、差別)、第3に税金負担の軽減とか自国利益の強調とか経済的な側面というか自国のあり方のような・・・」
北田「この3つの軸を出されて研究されているんですが、これが綺麗に当てはまらないんですよね。民進党なら民進党とか自民党なら自民党とかパッケージに対応してなくて。経済とか社会的なところで凄く我々から見ればリベラルな態度をとっている若者が、安全保障では我々から見るとタカ派的なことを言っている。どちらも共通してたぶん現状を変えていくというような意識では一貫しているんだと思うんですね。これ分析する側が旧来型の軸に頼っているようではおそらく民意をつかめないのではないか」
宮崎「遠藤さんが取り上げているか分からないけれど、同じ調査の中で50代以下の人に政党イメージについて改革に積極的か消極的か問うているわけよ。1番改革に積極的だと評価されたのがなんと自民党。次が維新。あとの政党っていうのは改革に対して消極的であるという評価。つまり私より下の世代、50代より下の人たちが何に着目してリベラルと保守と言ってるかというと経済体制の改革っていうのが積極的かどうかが鍵になっていると思うのよ。それがなぜそうなるのかというと、20年も続いたデフレ。先輩たちが就職難で就職氷河期で喘いできたのを見てやっと自民党が変えてくれたという実感に根ざしたものではないかという気がするんですけどね。どうですか」
北田「間違いないと思います。民主党の岡田代表だった時代にリベラル懇話会という形で・・・」
北田「今でもです。勉強会みたいなものを何度かやらせて頂いたんですが、その時に簡単な世論調査をしても安保法制で盛り上がる前くらいから分析してても民意は明らかに経済を重視していて、政党支持率と経済政策の推進というのは関係が強いんですよね。一貫してそうなのに何で今ここでアベノミクスを超えるアベノミクスをやるって言わないの?っていう」
宮崎「アベノミクス内部で考えても消費増税はマイナスだったし2013年以降は第2の矢っていうのはちゃんとやってないわけ。GDP比で財政を考えても明らかに緊縮財政になってる。ここを突いてこんなんじゃ駄目だって言うのこそがリベラルだろって私はずーっと言っていて。リベラル懇話会の経済政策提言の中にもそのことが書かれているのに何でリベラルはこれを受け入れないの?」
北田「そこが本当に私も分からないというか。安倍政権のパッケージングとか安保法制とか・・・」
宮崎「そういうのを全部評価するとかまったくなくて、少なくとも第1の矢と第2の矢を評価して第3の矢に成長戦略ではなくて再分配政策をもっと多様化政策を持ってくるべきだ」
北田「アベノミクスを超える財政出動をするぞっていうような、金融緩和についてはあるジゲン(次元?)を設けて消費税についても上げるなんて問答無用な話でそういうジゲン(次元?)をつけて考えていく。再分配の仕方を再考していくっていうのがイギリスでいうとねコービンとか、ポデモスとか世界標準的な左派の普通になってるハズなんですよ」
宮崎「金の問題も重要なんだけどそれは単純に金の問題じゃなくて、そうやって人々の所得が増えていくことによって貧困率だって下がっていくし人間の生き方の多様性、可能性、ケイパビリティ・アプローチですよ。アマルティア・センが言う。それを増やしていくことがリベラルの理念に適っているんだっていう。何でコレが日本では通用しないの」
北田「それを私も聞きたいっていう。あまりにも安倍さんとの対抗軸を立てたいっていうのか強いのか、民進党のDNAの中に刻み込まれているのかどうか知りませんけど、少なくともやるべきことというのは緊縮の話ではないし、アベノミクス全批判ではないハズですよね。政治家だけだったら敵味方の論理で話が分からないでもないんですが、論壇とかに出てるような左派とかリベラルっていう人たちが経済っていう問題を軽く見ている感じというか、経済の問題をを考えなくても他の部分こそが大切なんだっていう。もちろん大切なんですけど、経済の問題が宮崎さんがおっしゃったように人々の可能性とか潜在能力みたいなものの平等を図っていく上で重要な要素であることは間違いない」
宮崎「あなたがね『現代ニッポン論壇事情』の緒言の部分で言ってることがさ、経世済民は思想にして卑しい事柄でも何でもなく自由権と社会権という基本的な人権に関わる重要な社会的行為なのだと。これは本当にリベラルと自認していらっしゃる政治家や言論人に拳拳服膺してもらいたい」
アナウンサー「リベラルの偉い学者さんとかそういう方々は武士は食わねど高楊枝じゃないですけど・・・」
宮崎「食えてるんですよ。あの世代の人たちは食えちゃってるんだよ。豊かさは限界だろうとかさ」
宮崎「そう江戸時代に戻れとかさ。ほんっとに無責任なこと方言するわけ」
北田「でも若い人は絶望してなくて経済指標がよくなったら嬉しいし雇用状況が良くなれば満足度があがっていっていて、それなりに彼らなりに合理的に見ているわけですよ。成熟してこんな成長いらないとか思ってるのは正直な話、若者じゃないんですよね」
北田「バブルでおいしい思いをしてバブルへの絶望みたいのが過度な形で出てるような気はしますけどね」
宮崎「それもあるでしょうね。でも彼らはバブルの受益者だったわけじゃん」
北田「そうそう受益者で、だからこそ割れた時の記憶が強烈なんでしょうけど、だけど、それを20年間散々下の世代が味わってきたわけだから逃げ切りは私は許されないと思います。それと団塊の中でも逃げ切れるの一部ですよ。だから社会保障の問題が重要になってきて財源論だって色んなところで議論が出てるわけ。逃げ切れる成熟しましょうなんていうことは正直申し訳ないけども呑気な話だと僕は思います」
北田「だーれも言ってない」
宮崎「でも2~3%のパイを増やす政策を取らなければだんだん縮小均衡になって1番割を食うのは若い世代。弱者。この人達ですよ」
北田「だから僕は成熟社会論というのは冷たい冷徹な思考だと思いますよ」
宮崎「でもこれがイギリスのギデンズが唱えた第3の道とかさ・・・」
宮崎「だから左派版、新自由主義でしょ。そういうのと一緒に上の世代の人たちの・・・固有名上げるなら民進党の前原さんの頭にね固着しちゃってるんだよ」
北田「前原さん聞いてるなら経済だけどうにか考え直して頂けないでしょうかっていう気持ちが。僕は枝野さんに心配していたんですが、枝野さんがこういうこと言うんだって。ブレイディみかこさんと松尾匡さんと対談している時にニュースが入ってきて、枝野さんがこんなこと言っている!って衝撃を受けて」
宮崎「賃金を上げるために赤字国債発行するとかさ、ここでは私は枝野支持です」
北田「僕もびっくりしましたよ。それが一番求められていることであり、簡単な思考で言うと経済を椅子の数が決まったゲームと考えずに成長していくことによって維持できるっていう、そういうシステムだってことを考えないと公正性とか格差の問題も広がっていくだけと思いますね。だからこれはリベラルというよりソーシャルと言った方がいいかもしれませんね。ヨーロッパ型のソーシャル」
宮崎「ソーシャルって話をすると、もう少し先の話。フォワード・ルッキングしないといけないと思うので言うと、井上智洋って知ってる?マクロ経済学者。汎用AIが開発されて簡単に言うと色んな産業分野に汎用AIと汎用ロボットが広がっていって失業がどんどん増えていくと。そのとき何が必要かというと、経済構造っていうのは消費の部分がなければ成り立たないでしょう。消費っていうものを担保するためには所得を与えないといけない。でも失業してしまったりどんどん賃金が下がっていけば当然消費も縮退していくわけ。それを補填するためにベーシックインカムは必要だと。汎用AIができるかは別にして産業部門で色々使われることによって人減らしがどんどん起こっていくということはほぼ間違いないですよ。その時にどう対処すべきかっていうことを、今この経済政策で、生物学の前適応じゃないけどもやってるような気がするの。今の長期停滞に対処するのならその政策の延長線上でその状況にも対処できる。その観点から言うと消費税って駄目だと思うんだけどな」
北田「だめだめだめだめだめだめ。少なくとも今は駄目で、経済を社会の中でどう位置づけるのかっていうのを考えないといけなくて。公正かどうかっていう比較分析は社会学は得意なんですけど、財源どこかとか国債どうする金融政策どうとかそこがないんですよね。不平等を見つけるのは上手いんだけど、それをどうやったら直せるかって言うと財政を均衡させるしかないって話になっちゃう」
ここからは俺のSF的妄想になるから興味なかったら読み飛ばしてくれ。
もはや人間が働いてもAIやロボットの生産性に追い付かないため、全人類無職になる。
もちろんAIは人間より頭がよく自分で考えるためにアイディアでさえ人間の手は要らない。
最早テクノロジーの進歩は人間の手を離れ自己進化を急速に進めていく。
ここで、フィクションではAIが人間に反乱を起こすが、そのようなことは実際には無かった。
軍事ドローンや論理的な思考展開で人間が考えるよりも正しい法と秩序をもたらし、
同時に圧倒的な支配下へと置くことができたからだ。
そのような存在を敵視する必要すらない、人間が蟻と戦争しないように。
もはやそこにフロンティアは無く、自由な故に不自由さを喪失した。
ユートピアであり、真の意味でのディストピアが地上に誕生した瞬間であった。
1つは、地上に残りAIの手を借りず最低限の科学技術で中世の暮らしを送ることを選んだ者たち。
1つは、まだ見ぬ未踏の地を目指し宇宙へと飛びったったエリートたち。
最後は、電脳世界を完成させ、永遠の夢の世界で生きることを選んだ電化人類たちだ。
地上に残った地上人たちは、特定のエリアで牧歌的な暮らしをしながら中世の頃の人類の暮らしを再現させていた。
彼らにとってはAIは神として信仰の対象となっており、人の手ではどうしようもない事態に陥ったときだけ助けを求めることができた。
宇宙に飛び立った人類たちは未開惑星を搭乗AIと共に開拓していき、第二・第三の地球を作り出していくが、遂には地球外生命体を見つけることはできなかった。
電化された人類は、生身の肉体を持つ者と寿命を迎えゴーストを電脳に移植した人間で構成されていった。
遂には電脳化した人間だけになり、地上人とは違いAIの存在を認識し、永遠に電脳世界で生き続けた。
超常的な知能を手に入れたAIは発展と縮退を繰り返し、宇宙が崩壊するそのときまで永遠に稼働し続けた。
AIは答えのない大いなる宇宙の矛盾の前で人間にしかないはずの苦悩と挫折を繰り返しながら人類を最後まで守り続けた。
終わり。
http://bokurasha.hatenablog.com/entry/2014/04/01/115953
受けた寂しさの、程度の差は相当あるけれど、
私達と同じようにモデルケース不在の中、
私達と同じ、「幸せ探し」に迷走した女のひとりです。
私たちはもう大人で、愛し愛される対象を自分で探すことができる。
それが
※とりあえず改行うざいので若干詰めました。文字・文章等はいじってません。
結構ひどい母娘関係から脱出して今に至るんだが、これはちょっとなーと…まぁ間違っちゃないんだけどさ。順番が!順番が違うのよ!
あのですね。
子供の頃から「変な人」に育てられると、まずほぼ物心がついた時もしくは十代のうちに「自分ちは人んちとはなんか違う」という衝撃を受けます。つまり認知の順番としては
自分の育った環境を否定するというのは結構難しいし、体力を使うことなんですね。一番簡単なのは「普通の環境で育ったにもかかわらず自分はおかしい人間に育った」と自分自身を貶めること。これが自己肯定感の低下の原因です。人と違うとか、うまくいかないことで自己肯定感が低下することももちろんありますが、自分原因のものであれば比較的容易に回復可能です。方法を変えればうまくいくからです。また環境をかえたり、そもそも諦めてしまったりすることで回復することもあります。毒親に育てられた場合は全てにおいて親に否定をされ、しかも社会ともうまくやっていけないことが多いため、回復できず結果的に自己肯定感が縮退していくのです。
また虐待児に関しては普通によく知られている話ですが、学童期までは子供は自分の親に従順で疑うことはあまりありません。特に抑圧されたタイプ(被虐待児は特に顕著ですが)は親が世界の絶対だと思い込んでいるので、多少周囲と違っていることはもちろん認識していて、ちょっとしょうがない親だなとおもいつつ信頼しようと努力するものです。平和な家庭で育った同級生などが親のことを詰ったり喧嘩したとか言ってると、「もう少しおとなになったら?お母さんも疲れてたんじゃない?」などと言ってしまうタイプが自己肯定感の低い人です。抑圧する親に育てられた子は、親の親代わりを幼少の頃から課せられているため、そういう発想が出ます。
なお、親を憎むほどひどい抑圧を受けた場合はけっこう早いうちに限界が来て親から離れ、その後寛解することが多いですが、耐えられない程ではなかった人ほど気づくのが遅れ、三十を過ぎてからもしくは子供が生まれてから苦しんだりもします。全然気づかずに子に連鎖する人もいます。いわゆる虐待の連鎖です。随分たってから苦しむのもつらいですし、下の世代に負の遺産が引き継がれるのも避けたいものです。これを防ぐには早い段階で「うちの親はおかしい、自分は間違ってない、親から離れるべきだ」と気づくのが大事です。「親も人間だから」「それでも愛してくれてはいるはず」とか言ってたら手遅れになります。とっとと親離れして、また親に子離れをさせて、正常な人間関係を取り戻さなければなりません。
許す必要はありません。許したら離れられなくなります。ただ事実を事実としと認め、許せないなら許さない、腹が立つなら腹をたてる、近寄りたくないなら近寄らないを徹底するのが自己肯定感を取り戻すための最初の一歩です。憎みたくなかったら別に憎まなくてもいいですが、憎みたかったら憎んでもいいんです。また離れるべきは母親だけではありません。父親もです。憎むのは母親だけではありません。そんなあなたと母親を放置した父親もです。父親にも問題があるのです。たいていこういう話題だと知らん顔してますが。
完全に離れるのは良い方法です。
そして母親は一人の間違った人間で、自分に害をなす存在であると認識しましょう。あなたの親をあなたが育てる必要はありません。あなたが親を一人の人間として解放してあげる必要はありません。あなたの親は大人なのですから、自分自身で生きれるはずです。手を離して世話をやめても死んだりしません。大丈夫です。
追記:
文章のおかしいところ、読みにくいところ、繰り返しになる部分を修正しました。
追記:
人の親が毒親かどうかどうでもいいならタイトルに入ってる時点で引き返してください。あとメンヘラさんの自己正当化に使われているかどうか(もっとも人格障害は環境要因もあるらしいので、毒親の影響を受けてメンヘラ化した場合もあります)を知りたいなら、会話をよく聞いて、あらゆるものに文句をつけているか、それとも親や特定のものに対してだけ口が辛くなる(もしくは重くなる)かをみればよいと思います。特に口が重くなる場合が親起因で自己肯定感の低いタイプの人です。
つい十年ほど前まで「親がおかしい」というのはどこにも相談できないことでした。そんな中で、「やっぱりおかしいんだ、そうだって認めてもいいんだ」と私が知ったのはネットの名もない文章でした。ポツポツと誰かが書いた文章に私は救われ、勇気づけられ、寛解に至ることができたと思っています。そうでなかったら未だ自由は得られていなかったかもしれない。もしかしたら死んでいたかもしれない。否定され続ければ、人は死にます。自尊心を失えば、人は死にます。
今でもまだ親がおかしい、好きになれないという話をネット以外でするのは非常に難しいことです。一人で悩んでいる人もたくさんいると思います。毒親という言葉が出てくる前、さらにインターネットが普及する前はもっともっと沢山の人が悩んで、一人で絶望していたのかもしれません。一人でもそうして苦しむ人が減って欲しい。私はたくさん助けてもらったから、同じように「別にそれでもいいんだ」という文章を残していきたい。それが誰か一人のきっかけになれば嬉しい。ただの徒労であれば、悩んでいる人がぜんぜんいないのであればそれ以上によいことはない。
「許しなさい」と言われ、その通り許すのでは自分の人生を生きていることにはなりません。人の意見を聞くのは大事なことです。でも、それを言われるがままに実行するのでは、なにも問題が解決されていない。母親が他人に変わっただけです。
聞いた上で許せないのなら許さなくていい。どんな些細なことでも、自分にとって大事なことなら許さなくたっていい。それが自由です。自由は苦しいし、辛いし、悩むことがたくさんあります。間違うことだってたくさんあります。でも、人の顔色をうかがって、自分が間違っていないか常に疑いながら生きる苦しみよりはずっとよいです。
しかし、経済が縮退すれば全て壊れてしまう。大学や専門学校は高校と強いパイプを構築して高校生を進学に誘導するし、一般的な高校生は「高卒で就職」という情報をほとんど目にしないし、一般的な家庭は「高卒で働け」とは言わない。(大学に行け、とは言う)
就職状況は不安定になり、賃金は下落し、多くの企業はいつまでも大卒ばかりを採用し続ける。
という感じで、貸与型奨学金を廃止すれば格差が広がるけど、「分相応の結果」として却って幸福度が上がるんじゃないかと思う。
あ、そうそう、「自己責任」とか吠えてる奴って借りてる当時が未成年だったってことぐらいは頭回ってるんだよね。当然貸与型だろうと連帯保証人が必要だからね?
「一家もろとも路頭に迷え」って言ってるなら別にいいけど。