2024-09-15

性欲と愛の理論破綻している

加藤純一の不倫騒動の切り抜きを見た

別に自分ファンでもなんでもなく少し遠い界隈のゲーム配信みるくらいで流れてきた情報をたまに拾うくらいの距離感なんだけど、まあゲーム大会とか人間関係とかで影響はあるので様子を少し見るために

それで加藤純一自体はどうでもいいんだけど、加藤純一は不倫相手離婚すると嘘をついていたが付き合う気はなく、妻を愛していると断言しているのをみて、思うところがあった

話しぶりをみればそれが本当であるのはすぐに分かる、というか不倫相手AV女優を使ったオナニーがしたいだけだと言われているのもエグい

離婚すると騙して性的関係を結ぶのは何らかの処罰が欲しい、妻が自分じゃなく(嘘をついてヤッた)相手に謝れと言っていたのは正しい、加藤純一は良くわかっていなさそうだった

そこでこの前のソープ行け増田を思い出して、いや愛ってあるんだけど、今この世の中にある男性の性欲と愛情理論は突き詰めると破綻しているんだよな、と思った、加藤純一個人がクソで破綻している、と言うこともできるんだが、それだけじゃない

加藤純一夫妻は一緒にいると友達のようになってしまうため別居しているらしい、しか加藤純一は妻に自分の子供を産んでほしいと冗談めかして言い、妻はそれにはいともいいえとも言わず、こんなやつの子孫を残してはいけないと言った、配信者の妻としても、女性として自分気持ちをどちらとも言い切れない答えとしても100点の回答だと思った、この夫妻の間に確かに愛はあるのだと感じた

インターネットに転がっている空っぽ人間同士の茶番なんかにはない人間性の重みがあり、そこに愛さえあれば上手くいくとは行かない辛さがある

不倫しなければいい、性欲は我慢すればいいという単純な性欲の話だけではすまない、パートナーとして一緒にいたい異性と男女の関係でいられないという愛の問題がこのろくでもない炎上によって世間可視化されている、なかなか重い問題なのでめったにお目にかかれないやつだ※子育て後の問題は、家族としてフェーズが違うので別と私は考える

性欲によって愛を見失うというのは古典的な使い古されたテンプレートだが、なんだかそれ以上の問題がこのこじれにはある

フェミニズム的な考えと同じ方向性になるが、世の中に氾濫するパッケージされた性欲を自分の中に取り入れすぎるとパートナーに向ける恋愛感情や性欲がどこかで幻想の女体やエロ女性性に犯されてしまい、バグってしまうんだと思う

なんとなくぼんやりずっと考えていたことだが、世間市場においてエロと愛は切り離されてしまう、男性に向けたエロメッセージは愛のない性欲のみに市場原理的になってしまうため、どこかで世間で消費されるためにパッケージされた性欲そのもの自分の中の気持ちと連動した性欲を切り離さないといけず、それを本能的に自分判断分別をつけられる男性と、できない男性がいるのだと思う※8割の浮気不倫はしょうもなく愛の問題なんかと無縁でただの性欲のせいなのであしからず

世間の性欲と自分の性欲、恋愛感情や愛を切り離すというのは、それらについて男性が語る様子を見るとただ良心に従えというような精神論ではなく、男性感性論理本能感情など様々なもので行われているようにみえる、そしてエロと愛を破綻させてしま男性自分でそれらの手段を持たず、世間的な風潮を取り入れることで生きている男性のように思う

私は世間流れる情報を取り込むタイプなので、世間にある情報自分の中の精神を組み合わせて理論を作る、おそらくそ性質のせいでよりそう思うのだが、世の中に溢れる情報を統括すると、世間に流布された性欲と愛の理論破綻している、何かピースが足りていないのだ

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