はてなキーワード: 眉唾とは
言いすぎな面はあるし、制作陣の軋轢までいくと眉唾だが、イエイヌの扱いに憤慨するのは別におかしくないだろ。
主人公変更後もメインキャラとして扱わないといけないという事情が垣間見えるサーバルの扱いより、
物語の根幹を成すキャラであるイエイヌ(と、アムールトラ)の扱いがクソ過ぎたのが2の不満が噴出したポイントじゃん。
旅に連れて行かなかった件についても、そこに至るまでのイエイヌの扱いと設定面の齟齬が問題になっているんだよ。
視聴者からは好意的に見えるキャラの出した飲食物に手を付けないとか、
警告を無視して危険に無策で飛び込むとか、助けられるも省みないとかヘイト貰う行動しかしていないよあの回のキュルル。
更に「おうちに帰る」理由にしても、後に明かされた設定面から考えると永遠に達成されない未来に危険物と共に置き去りにされているわけで、
うちは世帯収入3000万の子育て都民で、妊娠判明とともに車を買ったけど、そこまでの必要性はなかったかなと思っている。
都内だと保育園はどうせ徒歩圏内にあるので、晴れてたら電動自転車、降ってたら徒歩という運用で十分だった。車は保育園の近くに駐車場がないと使えないし、下手すると最寄りの駐車場より自宅のほうが近かったりする。
レジャーには車が必要かというと、確かにあったほうが便利な場面は多い。でも、ディズニーランドくらいなら往復あるいは帰りだけでもタクシーで帰ったほうが楽だし(子連れで一日遊んだあとで車運転するの、嫌じゃない?)、富士山麓とかそのくらいの距離のところに行くときには新幹線で行って現地でレンタカー借りるのが一番楽だ。渋滞に巻き込まれないしね。かさばる道具は現地で調達だ。
災害時には車があったほうが良いという話も、311の時に翌日まで道路が車で埋まって全く動かなかったのを見ていると、眉唾だ。自転車ですら身動きが取れなかったというのに。EXILEの宣伝トラックが交通を完全に遮断してたんだけど、運転手が罵声を浴びててかわいそうだったな。
とはいえ、車で15-30分程度の距離にある公園や施設に行くときだけは、車があってよかったなとは思う。このくらいの中途半端な距離が、車と公共交通機関で大きく所要時間が変わってくるんだよね。けど、カーシェアリングが徒歩一分のところにできちゃったせいで、もうこれでよくね?という気にはなっている。
うちは世帯収入3000万の子育て都民で、妊娠判明とともに車を買ったけど、そこまでの必要性はなかったかなと思っている。
都内だと保育園はどうせ徒歩圏内にあるので、晴れてたら電動自転車、降ってたら徒歩という運用で十分だった。車は保育園の近くに駐車場がないと使えないし、下手すると最寄りの駐車場より自宅のほうが近かったりする。
レジャーには車が必要かというと、確かにあったほうが便利な場面は多い。でも、ディズニーランドくらいなら往復あるいは帰りだけでもタクシーで帰ったほうが楽だし(子連れで一日遊んだあとで車運転するの、嫌じゃない?)、富士山麓とかそのくらいの距離のところに行くときには新幹線で行って現地でレンタカー借りるのが一番楽だ。渋滞に巻き込まれないしね。かさばる道具は現地で調達だ。
災害時には車があったほうが良いという話も、311の時に翌日まで道路が車で埋まって全く動かなかったのを見ていると、眉唾だ。自転車ですら身動きが取れなかったというのに。EXILEの宣伝トラックが交通を完全に遮断してたんだけど、運転手が罵声を浴びててかわいそうだったな。
とはいえ、車で15-30分程度の距離にある公園や施設に行くときだけは、車があってよかったなとは思う。このくらいの中途半端な距離が、車と公共交通機関で大きく所要時間が変わってくるんだよね。けど、カーシェアリングが徒歩一分のところにできちゃったせいで、もうこれでよくね?という気にはなっている。
自分へのご褒美ってのは分かるんだけど、
自分を愛するってのがよく分かりません。
私よく分かんないわー。
自分を大切にってのともなんか違うくない?
だけど、
自分探しとも通じてるのかしら?
よく自分探しの旅に出る人は、
何が見つかったの?って思うし、
それなら椎名誠の冒険した本を読んだ方が手っ取り早いってものよね。
旅に出る際、
鶏を生きたまま逆さに吊して持って行くんだって。
その方が鶏生きていて食べる寸前にさばけば新鮮お肉にあり付けられると言うことで、
あ~あ、なるほどねーって。
私はその発想なかったわ。
冷蔵庫に入れてたって、
傷む足の速さでは1位2位を争えるわよね。
そうなると、
現実逃避が上手な人ほど、
なんとかなのかしらね。
よく分からないけどそう言う気もしないでもないわ。
でもさ、
ご褒美あげすぎじゃないかしら?って思うし、
でもそれがデフォルトになったらもはやご褒美とは言えないのか。
そっか
それもそれでまた困ったものよね。
しかし、
私へのご褒美ではさすがにちょっと甘すぎるわ。
うふふ。
殿堂入りのタマゴサンドはご褒美のときに食べるって決めているの。
今週とかは忙しくて家事できてなさ過ぎまくりまくりすてぃーなので
果物また買いに行きたいわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
承前 : Part-1 https://anond.hatelabo.jp/20201002000619
次回 : Part-3 https://anond.hatelabo.jp/20201005082738
前回に引き続いてlevels.fyiから例を取ろう。今回はFacebook
Title | Salary | RSU etc (/year) | Bonus |
---|---|---|---|
E3 (L3) | $119,919 | $43,253 | $15,838 |
E4 (L4) | $159,690 | $80,076 | $18,804 |
E5 (L5) | $196,671 | $151,000 | $31,090 |
E6 (L6) | $228,755 | $284,358 | $51,717 |
E7 (L7) | $268,933 | $502,667 | $91,333 |
E8 (L8) | $298,000 | $738,500 | $238,250 |
最初にlevels.fyiの信頼性について。自分の見聞と比べてみたところ、levels.fyiに乗っている情報は少なくともL3-L6ランクまでよく合致する。
もちろん、自己申告制なので明らかに嘘の情報もあるが、少数である。平均値として見れば確かにこの程度である。
ただし、L7以降になると途端に参考にならなくなる。そもそも報告されている数字の間で違いが大きすぎる。
経験年数やランクで一概にTCがこの程度、という議論は間違いのもととなることがある。
場合によってはBandが極端に広い、つまり同会社・同部署・同ランクであっても報酬下限・上限に開きがあるのだ。
特にランクが上がっていくと多くの会社でRSUのバンド幅が極端に広くなる。
ランクが下の技術者がランクが上の技術者の倍を稼いでいるということもよく見聞きする。
自分の周りでは大抵その「ランクが上の技術者」は在社年数が長く、あまり活躍していない。
老害、とまではいかないが「報酬が低くても他に行かないだろう、行っても痛手でない」とマネジメントに思われているからこその現状である。
日本ではシリコンバレーの雇用はドライで合理的、という記事をよく見かけるが、現実的には制約が多くある。
降格などというのは極端に寡聞であるし、あまり活躍してなくてもすぐに解雇、とは大抵ならない。
ただし、部署・会社全体でのlayoffは話が別だ。一旦経営層が腹を決めれば容赦は無い。
話をランクに戻す。上記から推測できるであろうが、ランクが上になるとDependsの一言であって、そもそも別会社の間で
「この会社のこのタイトルはL6に相当する」「いやいやそれはL7だ」という議論もよく起こる。
levels.fyiはまるでランクの真の対応関係が分かっているかのような図を表示しているが、特に上のランクでは眉唾だと思っていい。
最終的に公平な比較基準はやはりTCであるが、バンド幅が大きいので個々人の比較はできてもランクの比較・対応までは不可能である。
今回は最後に低ランク、L2/L3についてもう少し詳しく語ろう。
まず、FBのL3の数字、上で述べたようにlevels.fyiの数字は私が多数の学生応募者から直接聞き・交渉した数字と非常に合致する。
数年前からFBではstandard packageが大体$180-200kというのはよく言われていた。
このL3向けのstandard packageは未経験の学生が学部・修士を卒業後に就職するUniversity Hire向けのものである。
考えてみてほしい。彼らはMIT/StanfordやIvyを卒業するが、実務はほぼまっさらの、まともに使えるコードなどまだまだ書けない子供たちである。
そんな彼らが初任給でまず間違いなく年収2千万円は行くのだ。また、彼らの全員が有能な技術者に育つかというとそんなことは全くない。
また、育ったとしてもattrition rateはGoogle/FBのような会社であっても高く、ほかの会社により好条件で移っていくことが多々ある。
この状況を見て、シリコンバレーはcrazyと考えるか、日本を出てこちらに来よう、と思うかは人次第である。まず隗より始めよ。
ともかく、FB/AWSを筆頭に景気が良くなってきた数年前からはこれが水準であるので、どの会社もこれに近い数字を出すか、或いはほかの条件で
competitiveになろうとしのぎを削る。
ただし、高ランクの場合と違い、個々の学生からバンド幅を極端に広くするような交渉はあまり行われないか、成功しない。
せいぜい、RSUを少し積むか$10-20kのボーナスが出るくらいである。ほかの会社との競争上、全体の水準は上げざるを得ない。
しかし、それはある程度の人数を一流大学から採用するためのものであって、個々の学生をどうしても欲しいという状況はあまりない。
実務経験がなく修士の授業を取っただけの学生にそんな能力があるのは稀だ。
中にはとびぬけて有能な例外もいるが、そういう学生の多くはPhDに行くか、こんなstandard packageではunderpaidだ見縊るな、とスタートアップに行く。
30分がたったので今回はここまで。次回は一回昇進して「一人前」と扱われるL4あたりを取り扱いたい。
お家の家庭用洗濯機は濯ぐとき水が少なすぎるって言う著書をどっかで読んだのよね。
洗濯するとき濯ぎ1回モードとか神!って思ってた時代があったけど、
どうも剃れ眉唾らしいの。
洗いはともかく、
濯ぎはたっぷりの水を使った方が、
洗濯物の乾いたときの仕上がりがふんわり極上極まりないのよね。
濯ぎの水多目にしたら、
上手く行きそうなの。
で、
たとえ2回濯ぎだとしても、
足りないわけ!
で私は思ったんだけど、
どの他の洗濯機よりも勝てんような気がするし、
洗い→脱水→洗いモードで水マックスですすぎ→脱水→引き続き水マックスですすぎ2回モード→脱水
今のところね。
また次の課題でもあるし、
そもそもとして
すすぎが足りないという場合、
洗剤入れすぎ問題もあるのよ。
これちゃんと量って入れないと
洗濯が乾いたとき臭くなる原因の一つでもあるかもしれない科学なの。
まったくのそれ盲点だったと思わない?
適当に量っていなかった洗剤が、
濃いめのハイボールって言っとけばいいと思ってるのと同じ!
それはそれで別洗濯機時空科学研究所で時空を歪ませているというか、
あの研究所はいつか時空警察に嗅ぎつけられてお縄を頂戴されちゃいまくるに決まってるのよ!
私の方は
日清オイリオと日清製粉が同じ日清グループだと思ってたら大間違いなぐらい、
多少洗剤量を量り間違っても
もういい加減「すすぎ」と「濯ぎ」の表記の揺れはどうでもいいとして、
まずあなたが洗濯機の扉を開けて閉めて開けて閉めたら洗濯物が入れられなーいって
洗濯機の扉を開けるならば、
なんの著書かは忘れたけど、
きっと洗濯科学を研究している研究所が出してるに決まってるから、
でもあの一言!
そう洗濯濯ぎの時は水多目!って言うことだけを覚えているの。
1冊に長く書かれていた結論は
たった1行で結論出て笑っちゃったわ。
もうそんな本結局は買わなくていいじゃん!ってね。
うふふ。
昨日暇だったので、
お味噌汁つくりました。
なんか生臭いのよね!
これは一度母の作り方レシィピをお母さん衝動のファミリー的なマート食堂で
レシィパクってこようと思うわ。
お味噌汁ぐらい手間かけて作ったら本格的な感じがするじゃない。
手ー挙げてー!
てなもんよ。
ジンジャーとハチミツでジンジャーハチミツウォーラーにしました。
これはホッツでいただくべきよね。
と少し思いました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まず「体を温めること自体に、様々な疾病等を改善する大きな効能があること」
次に「いわゆる泉質といわれるもの(pHだったり、ミネラルが含まれているなど)は事実として測定可能だし、その中の一部には実際に証明された効果もあること」
最後に「温泉に入るという文化が歴史的に非常に古くからの背景を持っていること」
これらが組み合わさった結果、温泉文化には最古かつ最強のニセ科学が君臨してしまっている
これは具体的には「体を温めることによる効能と、いわゆる『温泉成分』による効能が未だに区別されていない」ということである
温泉に入ることは、体を温めることを包含しているので、現に人は健康になるのであるが、そのうちどこまでが「単に風呂に入ったから起こったこと」で、どこからが「温泉独自の効能」なのかという研究はされていない
にも拘わらず、歴史的な背景から、温泉地にはまことしやかに効能が謳われているものが多い
古くは湯に入ること自体が貴重だったため、温泉でもなければそもそも「単に体を温めるだけの効能」すらも得られず、その効能も温泉効能の中に一緒くたになっていたのだ
https://comic-days.com/episode/13933686331667252531
頭の上にミカンをのぜる
https://www.tyoshiki.com/entry/2020/07/31/204512
冬野梅子『普通の人でいいのに!』私はこう読んだ
https://deztec.hateblo.jp/entry/2020/08/01/162746
これらたいへんよい感想文なんだけど
個人的にはマッチングアプリという要素に対する話が足りていなくてモヤモヤした
これもバズったよね
「マッチングアプリで会った人だろ!」
http://www.moae.jp/comic/seinoprize_matchingappdeattahito
「普通の人でいいのに」の方ではアプリの話はサラッと流される程度だったけど
主人公が「普通の人」「普通の出会い」を求めたきっかけが「アプリじゃない普通の出会い」を求めたからというのは言及されてる
ここらへん共感できたんだけどどうなんだろ
マッチングアプリでは、他人を比較し、自分が比較される状況が作られる
他人を比較する目はかなり厳しいが、そういう人が自分に靡かないことを知って自分のレベルを否応なく自覚してしまうわけだ
良いなと思う人は自分と釣り合わないし、釣り合う人は興味がない
美男美女を除けば、大抵の人なんてキツイ状況なんじゃないだろうか?
こういうのって実は学校・進学・新卒採用あたりにすごく似てるんだよね
似たような条件の人が一斉に同じことをすることで発生する市場形成
勝者以外はああいうの嫌いだと思うんだけど
すると「もっといい人がいるかも知れない」とはアプリに比べてなりにくいし、自己評価されてる気にもならない
あと、こういうのは選択肢が多いほどにドツボにハマるのではないだろうか?
ある商品を買うときに、2,3種類から選ぶのであれば素直に買えるのに、ネットショッピングなどで100種類の中から選ぼうとすると迷ってしまって結局買えないみたいなこと無いだろうか?
私は結構あるんだが
もっと良いものがあるかもしれない、この選択は間違いかもしれないと不安になったり
本当はもっと良いものがあるが高いから買えない、という事実が心のなかに残って踏ん切りがつかなかったりする
特に買い替えが難しいものほどそうだ、家具とか車とか、迷うし苦しんでしまい、完璧主義者みたいになっちゃう
マッチングアプリというのはこういった
・自ずと自己の魅力の現実を見せつけられる問題(学校や新卒採用に似てる)
などがあって幸福度より不幸度の方が大きいんじゃないかと予想してる
学校・就職なんかはそれでも競争を促すことで社会が良くなるという前提があったけど、マッチングアプリっていたずらに市場形成してるだけだよね
しかもその中でのエリートたちはこのシステム使わないからね、絶望感すごい
せっかく社会という大海に出ることで自分の評価が曖昧になってたのに、突然アレがまた始まったら苦しいに決まってる
「普通の人でいいのに」の主人公はそこから逃げようとして転げ落ちた感を読み取ったんだけど
まあそれは90年代みたいな感じになると言う意味で、別の悲哀になってくるんだろうけど
マッチングアプリって成立せずズルズル使ってもらったほうが得だから、無限にこれは続くっぽいよね
かくいう私も何度かそれ関係の仕事をしているが、まだまだ市場は伸びているし今後も伸びていくだろうという話だった(って経営者が言ってた。投資家向けの資料だからやや眉唾だけど)
どういう仕組みで遺伝子が多様性を担保してるわけ?その仕組みって現代のような数万人を対象とするような選好システムに対応してるわけ?
それはっきり言って詭弁だわ。「体に良い物は体がわかってるから脂肪と糖分取りまくっても大丈夫」レベルの話でしかない。
お前が言ってる「遺伝子が多様性を分かってるから個人の選好に任せても大丈夫」なんて眉唾でしかないわ。特に男性の選好なんてほとんど定量化されて、そこに多様性とかないじゃん。
そもそも金持ちはモテるけど、金持ちの素養って遺伝的要因というよりは社会的要因じゃん。現代社会というか、人間の社会が異常なのに、それを遺伝子が理解できるっていうがまずあり得ない話だわ。
その社会的要因、外からの圧力が選好に影響してる状態で「個々人の選好に任せてOK」はさすがに無理でしょ。
もうミーム汚染とか言うレベルでなく、一般教養かの如く夏目漱石はアイラブユーを「月は綺麗ですね」と例えたみたいになってるけどソースもないのによくもこんな捏造を発信できたな!?と思う。し、よくソースがないこんな情報が広がっちまったもんだよ!!!!と思う。
今更どうしようもないけれど。
発信者は一体何を思ってこんなことを発信してしまったんだ 。過去に戻って嘘はいけないと説得したいが、発信源も発信者も特定できていない以上阻止することが出来ない。
言葉の意味は流動するもんだし、アイラブユーが月が綺麗ですねでも別にいい。それはいい。
ただ、夏目漱石の名を騙った事だけはどうにもモヤモヤする。許しちゃおけねえ。
夏目漱石の作品が好きな人間に「あれですよね!?月が綺麗ですね!!!」なんて言った日にはその人は悲しみに暮れると思うよ。気をつけてくれ。私は深い傷を負った。
ネットにはアイラブユー月は綺麗ですね問題以外にも近代文学作家達に関するエピソードがよく転がっているけれど、あれらも眉唾ものやら過度な誇張やらが散見される。
そういった情報を目にしてそれを自身の知識として蓄える際には、出典や根拠があることを是非確認されたし。ちゃんと。頼む。マジで。
作家のエピソードをまとめた本でもけっこうう〜ん?というような情報もあるので正直困っちゃうんだけどね。
まとまりがなくてごめんね。
以上。
最近、おけけパワー中島(以下おパ島)という概念が新たに出来た。
初出は2020年6月7日に投稿された真田氏の漫画「秀才字書きと天才字書きの話です」に出てくる、主人公が崇拝レベルで慕う神字書きと仲のいい相互フォロワーのハンドルネームなのだが、多くの同人界隈にそれぞれのおパ島(概念)がいるようで、漫画に感銘を受けた声と、同人オタクの怨毒と悲鳴とともに一気に広まった。
どの悲鳴も新鮮かつ悲痛なものであり、お気持ち文が好きな人には是非ともツイッターで検索をかけて苦酸っぱさを味わってほしい。
私が「秀才字書きと天才字書きの話です」と続編「神字書きがジャンル移動する話」を読んで思ったのは、「七瀬の思う人間関係と綾城、おパ島の人間関係が綺麗に事故ってるなあ」だった。
おパ島ツイートでおもに悲鳴を上げているのは、ほとんどが七瀬サイドの人間である。私もその一人だ。
七瀬サイドに共通する価値観、それは(こと創作において)人間関係を対価システム(相手に対価を与えることで関係性の維持をしようとする行い。造語)で考えすぎているということだ。ここでいう対価は「持ちうる実力が等しいか、相手への献身で交流のメリットを感じてもらおうとする」こととする。神と親しくするには神に次ぐ力を手に入れるか、はたまた敬虔な信徒でないと許されないと自縄自縛してしまうのだ。
人間関係に対価システムを持ち込むこと自体は悪くないのだが、度が過ぎれば問題となる。だいたいの場合、まず真っ先にメンタルがやられてしまう。
現に七瀬は、「もっと上手くなりたい 綾城さんに興味を持ってもらえるくらいの字書きになりたい」が段々と、「フォロバされないし自分の作品へのコメントもない(興味を持ってもらえていないと判断できる)=自分の実力が足りないのだろう」と考えるようになり、最終的に「おパ島の感想はワンパターンなのに興味を持ってもらえてる=自分の実力はおパ島に負けてしまうレベルの乏しさである」と思うまでに至ってしまった(そもそも七瀬はおパ島の作品をちゃんと読んだことがあるのか疑問だが、仮に読んでいたなら感性が正反対だったか、袈裟まで憎かったのだろう)。
最終的に七瀬は綾城をブロックしようとまで決意するも、イベントで本を出すというツイートに負け、足を運び、実は認知されていたことを知って(そのうえ誉め言葉までもらって)感情が爆発……と終わる。
神に認知されていた、自分の作品が神に刺さった。これは紛れもなくハッピーエンドだろう。そのうえで最後に七瀬にひとつ言いたい。カウンセリングに行け。
七瀬サイドの人間は、まず基本的に陰キャである。そしてコミュ障気質でメンヘラだ。遠慮深く自罰的で、自分の低さを保つため、少しでも秀でたところのある人は、雲上人にしたがる。神と親しくなりたい場合、友人としての交流ではなく、相手の持ちうる才と肩を並べか献身することで距離を縮めようとする。神の作品はすべて拝み、ふぁぼりつし、匿名で感想も送る。作品を愛しているのは勿論のこと、それが対価のひとつになるからだ。
しかし綾城サイドはそうではなく、基本的に居心地の良い、話して楽しい人と交流する。才能はあればもちろん喜ぶだろうが、文才がいきなり枯渇しても、変わらず交流し続けるだろう。七瀬サイドが枯渇したらば、「相手につり合えない」という気負いから、ひっそりと疎遠の道を選ぶ。
この人間関係に対する価値観のすれ違いを解消しないと、一部のおパ島に敵意を隠し切れない人が毒マロを送ったりしてしまう。幸運にも七瀬友川はそうはしなかったが。
あくまでストイックな彼女らは、いつか綾城とグランドで対峙するため、動体視力を鍛え日々素振りをし、強打者になるまで至った。しかし不幸にも、綾城と相互になるために必要な技能はサッカーであった。
創作界隈では、作品と作者への好悪は分けて考えるべし、という戒めがある。綾城が七瀬にフォロバしないのもおそらくはこれだ。綾城が七瀬に向ける感情は嫌悪レベルまで行かないだろうが、人間としての興味が薄いのは確実である。七瀬→→→→→→→→→→→→(←←)綾城ぐらいの温度差があるだろう。
自分に厳しい人間は、他人にも厳しくなりがちである。もっと正しく言えば、他人に厳しくする免罪符として、自分を縛っている場合がある。「私は○○してあげたのに、向こうは何も返してくれない」と悲しくなるのはわかるが、そもそも向こうは○○してくれることをこちらに要求したのか? 見返りを約束したのか? と自問を忘れてはならない。
「神字書きになれば相互になれる」という考えは綾城との関係を対価第一で考えてる証拠であって、神字書きである綾城はおそらくそういうメンヘラを何人も相手してきたのだろう。対価システム持ち同士なら事故にならないが、綾城はそうではない。結果事故る。
つまり、綾城が何を書こうが肯定してくれるし特定ジャンルに縛り付けようとせず、良いものは素直にほめたたえ、地雷薄めのおパ島と仲良し続けるのは当然のことなのだ。つらい。
綾城さんをktgにはめたのは私なので感謝してもええんやでツイートは死ぬほどむかついたし、私なら確実にブロックする。陽キャがオタクの誇張した物まねしたみたいな不快感があった。あそこで怒りを飲み込み攻撃にうつらなかった友川はすごいと思う。
定期的にツイッターで「日常ツイートを控えろと要求する匿名メッセージは、アカウントを乗っ取りたい奇人の仕業である」という啓蒙がバズるが、私は半分近くは七瀬サイドの人間が送っているのだと考えている(残りの5はアンチ、1は奇人)。なぜなら七瀬サイドには、見える形での他者との交流は否が応でも気になってしまうから。
神とたたえる創作者には自分の理想から外れてほしくないという欲求は、七瀬サイドの人間が抱きがちである。神には自分が認めたと才能の持ち主とのみ交流してほしいし、自分と同程度かそれ以下(に見える)の存在は歯牙にもかけないでほしい。なぜなら、これほど恋い慕って対価を払っている私が、歯牙にもかけられていないのだから、と。
酸っぱいぶどうをするのは個人の自由だが、木登りのできる他の狐の足を引っ張ったり、ぶどうの実りを妨害するまで至っては、個人の問題では収まらない。跳躍力のない狐は、「神もおパ島も自分とは違う価値観・考え方の持ち主である」という自他の区別が付けられるまで、臍を噛み続けるしかないのだ。つらい。
幸いにもたくさんの方が見てくれていたので補足。「七瀬が本当に綾城と親しくなりたいなら、匿名をやめてメッセージを送ればいいのではないか」という感想が散見されるが、私の解釈では、七瀬→綾城はあくまで憧れであり、そこまで親しくなりたいとは思っていないだろう。信仰は遠きにありて清いものなので、自分含め普通の人間が近寄るのは解釈違いなのだ(ファンクラブの抜け駆け禁止や、百合に挟まる男を殺す男のようなものと解釈してもらってもいい)。
また、綾城が求めるのが有能なメンヘラではなく気の置けない相手というのを理解したとして、その気の置けない相手になるために七瀬が行うのはやはり、研鑽という名の献身だ。本能的におパ島になれないことはわかってるからこそ、”小説で”有能さをアピールするしかない。そしてフォローは返らない。
七瀬サイドの人間がなぜ先に実力アピールにいそしむのかというと、上にも軽く書いたが、生育環境の影響が大きいだろう。自己肯定感のない人間は、特技や相手の苦手な分野をカバーして、恩人・利用価値のある存在になろうとする。見捨てられ不安が強いための行動なのだが、出しゃばりすぎたりマウントに見えてしまい、結果距離を取られてしまいがちだ。
仮に七瀬が綾城と相互になったとして、フォロー解除されないためにひたすら小説の練習をするだろうし、おパ島のリプライには相変わらずむかつくし、おパ島と同じツイートに話しかけたとき、どうしても生まれてしまう扱いの差をリプライから敏感に感じ取って病むと思われる。七瀬の地獄はこれからだ。つらい。
■七瀬サイドの人間はなぜ対価システムに至るのか(おけけパワー中島)
https://anond.hatelabo.jp/20200704211736
対価システムについて、若干掘り下げたものである。科学的な根拠などはほぼないため、眉唾程度にとらえてもらえるとありがたい。
愚痴を吐き出して明日からリセットして頑張れるよう、下記記載する。
東日本大震災の後で就職は厳しかったけど、大学時代は勉学も遊びも工夫しながら周囲より頑張って(と思う)、堅実な企業に運良く就職できた。
周囲と比較して、地頭が悪く仕事も出来ない方だったけど、数年を経て、仕事が楽しくなってきた。職場の人とも上手くやれるようになった (と思う)。
色々あって、実家に2ヶ月間だけ戻ることになった。
久しぶりに実母と長い時間を過ごす日常になった訳だが、これが物凄く疲れるしイライラしてしまう。何故なのかを考えたところ、
・会話が通じない (人の話を聞かない)
・意地が悪い
・効率が悪い
・何事も自分の思い通りにしようとする
・テレビをずっと観ている
・新しい事/物を受容できない
(かといってイジられるのはNG )
会社の人は優秀な人ばかりで、頭の回転も早いし、何だかんだ優しい人が多くて、ストレスがない環境だったんだなぁ…と今回の帰省で気づいた。
(会社では自分が1番頭悪い方だろうと思うので、周囲の人は自分に対してストレスを抱いているのかもしれない…)
母は他人のことや、自分の思い通りにならないことをすぐに馬鹿にするので、
最近は必要最低限の情報を与えるもんかと、短い無難な会話で済ますことが増えてきてしまった。
イライラも伝播しつつある気がする。
良くない状況。
しがない自営業。幸いにもコロナの影響は無い。今まで働いてきた年月分を生きれば年金を受給できるかもしれない。子供は2人、今後教育費がかかるのは1人だけ。生活には困らないものの決して楽ではなく、収入が無くなる不安は尽きない。都内在住。
政権が必死に隠そうとしても漏れてくる醜聞を数年ずっと目にし続け、現内閣には早々には退場してもらいたい。当然というか、やっと下がってきた内閣支持率を見ると、衆院の解散もあり得るのかなと。また来月には都知事選がある。
で、ですよ。次に選挙が来た時どこの誰に投票すれば良いのか考えてみて、納得いく先が見つからんわけ。
前提として自分の基本的スタンスは「国や政治に余計なことをして欲しくない」と考えている。そりゃ払う税金は少ないほうが嬉しいし、給付金がもらえるなら辞退する気なんて起きない。でも、今のレベル感というか塩梅には一定の満足を感じている。それよりも下手に手を加えられて、すでに予想されている将来の世代の重税が悪化したり、今の仕事に変な縛りが生まれる方がよっぽど不満だ。
都がらみでオリンピックについて考えれば、東京に決まる前に誘致反対というなら賛成したが(開催地が決まる前の2012年都知事選のことは覚えていな。猪瀬さんじゃない誰かに入れたはず)、今の段階で中止を叫ばれても賛同できない。どうせコロナの影響でできないんでしょ?くらいに思っているし、開催できたら出来たでめでたいじゃない。なんか。
国政も含めて考えると、年金受給者にも課される消費税はもっと高くても良い。たとえ将来の自分が苦しいと思ったとしても、子供らの世代の負担を少しでも減らせるのなら構わない。斜陽の一途をたどる国内経済に外資を取り入れるため、企業に有利な税制がとられたとしても納得いく。
エネルギー政策。他よりも危険性の高い現在の原発は改善が必須。でも日本で一定のコスト(リスク含む)で安定的な電力供給をと考えると無しにするのは現実的に思えない。研究の進んでいる小型原子炉の活用も含めた、柔軟で合理的な方向を示してほしいのだが、知る限りではどの党の政策も文句しか出てこない。
戦争なんてもっての他だけど、戦後75年重ねてきたこの国の仕組みや歩み、国民が醸成する良い意味での平和ボケ感からすると、日本から仕掛けるような戦争は起こせないと信じているし、あとはイマイチ信用ならない覇を狙う国々に対して噛みつける準備をしっかり見せておけば良いと考えている。
自覚的にマジョリティで自分に対してはマッチョを求めるが、マイノリティやジェンダーによる生き辛さを無くす政策は積極的に支持する。人間は自身の心に忠実に生きる権利があって、他のそれを侵害することだけが許されざることと信じている。この点では与党に不足を感じる。
さて。
いざ選挙が近づいてき都知事選の立候補者を見ると、泡沫候補が注目集めるために出しくる極端な政策は、たとえ私の生活に有利だとしても眉唾だし、かろうじて有力な宇都宮さんや山本さんの政策には同意できない点が多すぎる。じゃぁ小池さんっていうと、もう決まっている感あるうえに諸手を挙げて賛同できるわけではない人に投票するのは面倒なだけと思っちゃうわけです。
衆院選が今年行われたとしても、安倍さんを支持したくないから投票しないか、辞めるなら経済政策の現状維持で自民党に入れちゃいそう。もやもやしながら。
ちなみに党別に考えると
<<与党>>
• 自民党: 自分は潔癖な無宗教なので、神道寄りなのはマイナス要素。変な憲法改正案もNG。他はまぁ及第点かな位。
• 公明党: 一番まっとうなこと言っている感あるし、正直心がゆらぐこともある。創価学会が母体という点で却下。
• 維新: 新自由主義もありと考える自分としては無くはない。ただ中心/創設メンバーが生理的にダメ。なんなんだろう。
• 立憲: いいこと言ってる。でも消費税/高福祉とエネルギー政策についてが合わない。基本路線が合わない感じ。
• れいわ新選組: 自分からすると、本当に余計なことしかしなさそう。名前からかもしれないけど中二感あり。
• 国民民主: 改めて政策を調べたが耳に優しい、が財源論が乏しすぎる。民主の血筋なのかな。
ね、けっこう真面目に考えてみたんだよ。でも結局は都で小池さん、国政では自民党になっちゃいそうで、投票意欲は全く沸かないわけ。こういう人多そうだよね。
毒親から逃げ出してきた友人が、我が家に居候している。娘が検討している歯列矯正の案内書を見つけて「許さないよ!」とか言ってビリビリ破るような親から突発的に夜逃げし、行く宛がないのを気の毒に思って、1LDKの狭い部屋に受け入れたのだ。
あれから二ヶ月ほど経過して、友人はなんだかワガママになった。先程も私が洗面台を使っていると、「私は7時出発なんだから、洗面台を占領するのやめて」と言ってきて我が耳を疑ったよね。いやアンタ家賃入れてない居候ですやん……
当初、最長でも三ヶ月の約束で居候することになったが友人は一向に仕事もバイトも家も見つからない。コロナだから……と言っているが、なんだか眉唾だ。近所のホムセンやスーパーには相変わらず求人票貼ってあるし、新聞には求人広告も入る。
仕事が決まってなかったら約束の三ヶ月を延長しても良いと言おうと思ったけど、無理だったわ。今すぐ追い出すほど非情ではないので、期限いっぱいまでは居候を許可するけど。良い友人だったのがなんだか嫌な感情を持ってしまうし、後悔しかない。
どうも解せない。騙されてるような気がする。
就職氷河期世代の私が20世紀末に就職した時は、そんなに人気のある仕事ではなかった。
その頃からシステムエンジニアという仕事が注目されつつあったが、プログラミングするのは、あくまでシステムエンジニアになるための下積み行為でしかなかった。
プログラム組むのは大手の社員じゃなくて、二次請け三次請け四次請け以降の中小ソフトハウスや人材派遣だ。私は大卒後、東京で従業員10人ぐらいの小さい会社に就職して、あちこちの会社に業務請負で派遣された。単価がくそ安かった。多分会社対会社は月50-60万で契約してたのだろう。終電帰りや日曜出勤、徹夜は当たり前だった。その会社にいる間は月給20万(手取りじゃなくて総支給)超えたことなかった。ボーナス含めても年に300に届かなかった。
頭を使う割には社会的には十分底辺職と言ってもいい扱いだった。でもなぜか、周りを気にせず、単純にプログラミング上達したいおもしろいぐらいの気持ちがあったからなんとなく続いた。
それでも給料安すぎるし人間関係窮屈すぎてもう無理と思ってシステムエンジニア職中心の別の会社に転職した。ちょっと給料上がったが同世代の中央値には程遠かった。そこでもプログラミング中心の業務だったが、昇進するためにはプロジェクトマネージャーになるしかなく、上司面談でプログラミングの職人になりたいと言ったら鼻で笑われた。
プログラム組むよりもExcelで設計書書いたり進捗管理する方が偉いという風潮が根強くてどうもだめだった。
結局そこも何年かいてからやめて今は別の会社でやっぱりプログラミングしてるわけだが…。
この仕事で人並みに食えているという人たちの話がどうも素直に信じられないし(まったく食えない仕事ではない、とは思う)、この仕事が近年人気になっているという話も眉唾ものだ。
社会的な需要が増えているという話は少し信憑性を感じるがそれを鵜呑みにするにしては今のプログラマの社会的地位はあまりにも低すぎるだろう。
自分は能力こそ人並みにははるかに及ばないが、多分この仕事が好きでそれなりの好奇心があるのと、途中で諦めるのが悔しいという意地と他の仕事の適性がほぼないという状況でなんとか続けてきたのだが、
たくさん(?)の若い人が
・他のことも普通にできる
・頭がいい(少なくとも皆私よりは)
のに何故あえてこの仕事を選ぼうとするのか、ここで、プログラミングが好きという理由が出てこないのならそいつは頭がおかしいのか何かに騙されているとしか思えない。