はてなキーワード: 生活費とは
生活費やら出掛けたりする時の金銭もすべて自分が負担しているんだけど
家事全部任せて自分は仕事一本ってしてたら家事一切しないことに文句垂れられて何?って感じ
最初はアルバイトして通信費と小遣いは自分で稼ぐって言ってたし追々家事分担のことは考えないとと思ってたけど
一切お金入れてないのに家事全部するのも嫌って言われると流石にはあ?ってなる
年始に決まったバイト先はもういいかなって蹴っちゃったとか就業前から言ってたし働く気一切なさそうでなあ
何かすべてにもやもやしてるんだけど言う元気もない
飼われている身なので衣食住には困りません。
同期で結婚した人が何人もいますが、結婚という言葉は知りません。
親が持ってきてくれるのを待つしかないです。
遊ぶ金すらないです。
先日、父の葬式が行われている夢を見ました。
建物は木造の教会で私が廊下を歩くと右手の部屋がとても暑く、仮装が行われていると感づきました。
左手の部屋は教会のメインの部屋で母と大勢の人が座っていました。
母は葬式で泣きながら次のように言ってました「損をする」
どうやら父が「死んだ」ということを「損をする」という言葉に置き換えて喋っていました。
これが何の予言なのかはさっぱりわかりません。
「私の言う通りにすれば明るい未来が待っている」「私は貴方より数年も経験豊富なんだ」「私をリスペクトしろ!!」
※父と私は年齢差45年
父の命令に従うのがいい子どもなんでしょうけど現状は違うと思います。
私も妹も親に依存しています。何がいけなかったのかよくわからない。
俺は苦労して医者になった。
両親は高卒で、片方は貧困のため仕方なく、もう片方は学力的に、それぞれの理由で大学進学を諦めて働いていた。
俺はそんな両親の長男で、田舎レベルではあるけれど、そこそこの頭の良さと、かけられた期待のおかげで、それなりに優秀と言われて育った。(親戚は高卒だらけだったが、唯一旧帝大卒のおじさんがいてそれを目標に、とか言われていた)
共働きで働いていた両親に変わって、母代わりの祖母が家にいて俺はよく慕っていた。祖母のお茶飲み友だちにもお前は頭がいいと褒められていた。
俺が小学校低学年の夏、その祖母が交通事故で重傷(ちなみにこれは医学用語ではない)を負ってから、俺は医師になることにした。小学校の卒業文集には未来の「増田医院」の話を書いた。
中高時代のことは面倒だから省くが、俺は医学部には入れなかった。偏差値が5以上足りなかった。通える範囲の地域で一番の進学校だったけれど、現役で医学部に進学したのは4人(国公立3人、自治医1人)だった。
なんとか浪人させてもらえることになり、政令指定都市にうつり寮から予備校に通った。
結果から言えば、俺は医学部には入れなかった。2浪はできないので、センター試験で85%以上なければ医学部は受験しないと両親と約束したからだった(具体的には84%に止まった。全統記述は偏差値67程度だったので、無理はできなかった)。俺と同程度の偏差値の奴らが少々の国公立医学部に受かっていった。俺より悪い成績の奴らがいくつかの私立医学部に受かっていった。俺は俺でも受かりうるレベルの私立医が3000-5000万の学費がないと通えないことに絶望を覚えた。(当時、帝京大医学部の学費は4900万くらいだった)
やりたいこともなかったが、旧帝大の工学部に合格したので進学した。
やりたいことがなかったので、1年生のときは単位をほとんど取らなかった。「旧帝大の工学部」の合格ごときで喜んだ両親をなぜか恥ずかしいと思っていた。2年目は休学した。休学して再受験しようと思ったけど、思っただけで、びっくりするほど何もできなかった(抑うつ的だったし、適応障害的だったなあと振り返って思う)。
復学してからは進級できて、そのまま4年生になり、大震災があり、思うところがあり、残り10ヶ月の期間だけ勉強して医学部を目指すことにした。両親には黙っていた。予備校には通えなかった。教授には2ヶ月後の記述模試でA判定を出さなければ受験を認めない、と言われた。3ヶ月後、教授から受験の許しを得、両親に黙ったまま勉強を続けた。
お金がなく、模試も全部で4個くらいしか受けなかった。2万円弱のセンター試験の出願料だけでも生活費を圧迫した。1校6万円する私立医の併願など、もちろん念頭になかった。
国公立医学部を受けるとして、地方の受かりやすいところを探せば統計的には確実に受かりそうではあったが、遠くに受験しに行くお金はなかった。女性ではないので性別を理由にした入試差別を受けることはないが、再受験生は性別によらず差別のリスクがある。こういった差別的傾向は当時も医学部受験界隈でよく言われていて、そのため差別のない(と言われている)大学の医学部を受けることが再受験生の受験戦略となるのだった。こうした入試差別は、偏差値に比例してなくなっていくとされていた。旧帝大医学部は純粋な学力勝負ができる。俺はそのまま部屋から受験しに行ける旧帝大医学部を受験することにした。
前期試験一発勝負をして、約10日後「合格」の文字を見ることができた。
医学部生活は面倒だから省くが、一言でいえば普通に部活をし、遊び、勉強をした。留年することなく進級・卒業し国家試験にも合格した。俺は医師になれた。
研修医生活は本題ではないので省く。でもちょっとだけ言うとすれば、医師の労働環境は、人間のする働き方ではなかったということだ(俺は比較的楽な方の研修だったが、週1,2回の連続30時間勤務や25連勤でもう無理だと思ってしまった)。女性医師は出産や育休で労働時間がああだこうだと言っている人がいるけど、この働き方は男でも無理である。東京は医師が多いのでまだ余裕があるが、俺の出身地方はすでに医師がどんどん減ってきており、崩壊は当然に時間の問題である。医師の使命感と根性で成り立っている地方は特に女性医師にやさしい環境ではないし、女性医師にやさしい環境でない地域は女性医師が残らないので、つまり男性医師も残らないか人柱になって折れるのを待つだけだろう。
3人兄妹の真ん中で生まれた私はたぶん、軽度の虐待を受けて育った。
兄からずっといじめられていたのに、誰もかばってくれなかった。
両親からの直接的な暴力こそほとんどなかったものの、私だけ誕生日を祝ってもらえなかったり、サンタクロースからのプレゼントがなかったりした。
決して貧乏な家じゃなかったとおもう。世帯年収で1500万円ぐらいあったらしいし。
こどものころは「そういうものかー」と思っていたけど、高校生のときに、私だけご飯が出なくなってから異常であることに気づいた。
未成年に住むところを貸してくれる会社もなければ借りられるお金もない。
教科書を買うお金もない。理系だったから (?) なおさら教科書が高かったように思う。
奨学金も借りられない。一般的な日本学生支援機構の奨学金は親の収入証明が必要になる。
親に収入証明を出してもらおうとお願いし、土下座までしたが蹴り飛ばされて終わった。
今までで一番ひどい暴力だったが、痛みよりも呆然とした気持ちでいっぱいだった。
なんとか、友人の家や先輩の家に転がり込んで、生活費を稼ごうと居酒屋でバイトした。
まかないは好きなだけ食べて良いお店だったから、食べるのは1日1食でなんとかしのいだ。店長が理解してくれる人で、余り物をもらって持ち帰ったりもした。
ずるずると4年生になって、研究室に配属された。
その頃にはバイトでなんとかお金を貯めることができて、家も借りられた。家賃1.5万円の築40年以上経過してる、寝るためだけの場所。
研究は、目の前のことに集中していればいいから楽だった。まわりは大変そうだったけど、私にとっては現実逃避のようなものだった。
ふと冷静になると、友人や同級生は家族に支えられながら、心配されながら暮らしているのに、私はなんてみじめなんだろうと感じた。
そういうのを感じたくないから年末年始もお盆もただただ研究してた。
別に楽しいとか好奇心とかはなく、逃げるために研究してたのかもしれない。
ラボのスタッフには褒められてうれしかったけど、どこまでもみじめだと思ってた。
就活もしたかったけどお金がなくてできなかった。地方大で就活する場合、一般的に30万円ほど必要になるらしい。
例年、4年生の9割近くは大学院修士課程に進学する大学で、同級生は当たり前のように進学を希望していて、もちろん親に援助してもらっていて、なお一層つらくなった。
就活するにも進学するにもお金が必要で、でも親の協力を得られないとなんにもできない日本が嫌になった。
ここまで生きるのを頑張ってきて、必死でやってきたことを無駄にしたくなかったから、理解してくれた知人を尋ね回って進学する資金を集めた。
そのまま修士課程も必死に頑張り続けて、ようやく修士論文提出の直前まで来た。
ただ、やっぱりふとした瞬間に、どこまでもみじめで、どうしようもないやるせなさに襲われる。
来年度からDC1に採択されてきっと生活は楽になるけど、ここまでで350万円も奨学金以外の借金を背負ってしまった。
確かに奨学金は親の収入が少ない学生には配慮しているけれど、私のような親との関係性が悪い学生のことは考慮してくれないのだろう。
つくづく日本という国のシステムが嫌になる。他国がどうなってるかは知らないけど。
理系の博士課程1人を育てるために、1億円近い税金が投入されているらしい。
そりゃ確かに1 mLで10万円もする試薬もざらにあるし、多分本当にそのくらいかかっているんだろう。
一方で私が払った学費はたかだか500万円にも満たないものだ。
でも、どうしても日本という国が好きになれない。もっと人間らしい生活を送りたかった。もっと大学生らしいことをしたかった。
服だって新しい服を買いたいと思ったし、趣味にお金を使うこともしたかった。旅行にいける友人がうらやましかった。
私の青春はきっと、来ないままで終わるんだろうなって思うと無性に悔しくなる。
ちょっと前までは全部親が悪い、日本が悪いと思いこんでやり過ごせていたけれど、最近はすべてなにかに責任を押し付けようとしてそれらしい理由を探しているんじゃないかと思ってきた。
何が正しいのかはわからないけど。
どうすれば正解だったんだろうなぁ。一般に楽しくて自由な期間は全て終わってしまった。私にはモラトリアム期間はなかったんだろう。明日も明後日も漫然と研究して、過ごすんだろうなぁ。
今後もずっと親と国を憎みながら、過ごすんだろうなって想像できる。
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1/22 追記
はじめて投稿してみましたが、予想以上の方々に反応していただきありがとうございました。
賛同・同情してくださった意見や批判してくださった意見のどちらも、ありがたく受け止めさせていただきます。
また、本文中で触れていませんでしたが、私の大学生活を支えてくれた祖父母・知人には、当然ですが心から感謝しています。
(引用) 本人に貸与されるタイプは親のいらないし そもそも働けばいいのでは?
前半部分について、本人に貸与されるタイプでも親のサイン・判子は必要になると思います。最も一般的な日本学生支援機構の第一種、第二種奨学金でも、機関保証を用いている場合だとしても親・もしくは後見人の同意確認が必要でした。そのため、私は借りることができませんでした。企業や財団法人からの奨学金に関しては、すべてをチェックしているわけではないので100%ないとは言えませんが、ご存知でしたら後学のためにおしえていただきたいです。
また、後半部分についてですが、これはそのとおりだと思います。大学に行きたいというのは私のわがままであることは自覚しています (言い訳としては、大学入学時には祖父母が健在だったため、途中で、資金が大きく不足することを予定していませんでした) 。その上でですが、50%は大学進学しないというご指摘いただいたように、言い返せば50%が大学進学できる日本で、親の援助が受けられないという理由だけで大学進学ができなくなるとしたら、それは大きな問題であると思います。借金を背負ってでも大学で勉強したいという意思がある場合には、最低限人間らしい暮らしの中で、勉学に集中できる程度の援助が受けられる体制があれば良いなと思っています。とはいえ、国が憎いというのは確かに過剰な表現でした。申し訳ありませんでした。
(引用) 親が貧乏なケースよりも、親が金持ち(年収1000万超とかで色々な支援がなくなる)だけど非協力的な方が詰むケース多いよね。
(引用) 自分だけメシがない、っていうのは平等にメシがないより辛いよね
私が一番強く言いたかったのはこれです。簡潔にまとめてくださりありがとうございます。
はじめて自分の経験を文章にして、自分の考えがまとまったようでスッキリしました。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
昨日、今日あたりで話題になっていた生活保護の男性が訴える「ストーブ禁止」は違憲 札幌市は争う姿勢 (HBCニュース) - Yahoo!ニュースですが、記事についたブコメを見ていると、生活保護の仕組みや基準に対する誤解が見られたので、制度について簡単に解説してみようと思います。
札幌市側の主張もおそらく以下のような内容かと思われるため、今回の例を用いて説明する箇所がありますが、詳細な状況やお互いの主張がわかっているわけではないので、今回のケースに限らず、生活保護に対する一般論としてお読みください。
生活保護は生活扶助、住宅扶助、医療扶助といった8種類の項目にわかれていますが、メインになるのが生活扶助です。
生活扶助はその名の通り日常生活に必要な最低生活費を扶助するお金となり、モデル世帯を設定したうえで最低生活費を算出して金額を決定しています。
あまり知られていませんが、この生活扶助は第1類費と第2類費にわかれています。
水道光熱費や家具什器費など、世帯全体で使用する費用を扶助します。
さて、「家具什器費」というものが出てきました。これについて詳しく見ていきましょう。
生活扶助費に関しては全国消費実態調査を元にモデル世帯の最低生活費を算出し、金額の妥当性が検証されていますが、検証時に用いられた第1類、第2類の区分については現行の検証手法の課題について(参考資料)の10ページに記載があります。 ※
さて、10ページの中央右側「家具・家事用品」を見ると第2類に含まれる費用として、電子レンジ、冷蔵庫などの家具・什器類が含まれており、その中に今回問題になっている「ストーブ・温風ヒーター」が含まれています。
前述のとおり、生活扶助費はモデル世帯の最低生活費を元に決定されていますが、ストーブを含む家具についても耐用年数を考慮した形で支給がふくまれており、少なくも仕組み上は故障したストーブの買い替え費用は生活扶助第2類として既に支給されています。そのため、札幌市としては新たな支給はできない、としたものかと思われます。
記事では「ストーブの買い替え費用が生活保護費で認められないのは、憲法違反だ」との主張がありますが、上記の通り「ストーブの買い替え費用は生活保護費に含まれておりすでに支給済み」のため、正直この記事通りの主張であれば敗訴は免れないと思います。この間違った主張を通すわけにはいかないため、札幌市としても争う姿勢なのではないでしょうか。
※ 平成26年の全国消費実態調査を用いて平成29年に行われた検証ですが、全国消費実態調査は5年ごとなのでこれが最新かと思われます。
予想外のことによって急に多額の出費が発生した場合に補助する仕組みとして一時扶助による家具什器費というものがあります。
しかし、これは生活保護を開始した時点で家具が無かったり、災害によって家具什器が焼失した場合など、通常の買い替えとは異なるケースにおいて例外的に支出されるものであり、ストーブが永遠に壊れないと思っている人はいないでしょう。(実際壊れるまで真剣に考えないというのはありがちではありますが)
暖房器具に関しては北海道など寒冷地向けにFF式や煙突式の場合の一時扶助の増額も認められており、いろいろと考慮はされているのですが、前述のとおり、ストーブを含む家具の買い替え費用については既に支給されており、以前から生活保護を受給している人は生活扶助で賄うべきものとなっています。
(ただし、モデルケースは全国消費実態調査を元にしているため、FF式・煙突式が買い換えられる分の生活扶助が支給されているのか、は議論の余地があるかと思います)
実際、実施要領においても以下のように「生活扶助で計画的に賄うこと」が求められており、(あくまで外から見える範囲でですが)今回のケースを一時扶助で補うのは難しいように思います。
被服や家具什器の更新その他通常予測される生活需要については、経常的最低生活費(基準生活費、加算等)の範囲内で賄われることが原則である。
なお、被服費等の日常の諸経費は、本来経常的最低生活費の範囲内で、被保護者が、計画的に順次更新していくべきものであるから、一時扶助の認定にあたっては、十分留意すること。
「お役所仕事」というと聞こえが悪いですが、行政においては杓子定規に法令・通達に従って仕事をすることが求められます。
個人に対して法令・通達を逸脱した対応を行うことは最初は完全な善意から行われたものであっても、友達への利益供与など、癒着・汚職の元となりうるため、避けるべきかと思われます。
この辺りに関しては生活保護を題材にした漫画「健康で文化的な最低限度の生活」4巻の183ページあたりを読むと、どの制度を使えば法令・通達から逸脱せずにサポートができるか、といった現場の動きが見えるかと思います。
漫画なので割と読みやすく、いろいろなケースを見ることができるので、興味のある方は読んでみると良いかと思います。
実は生活必需品等購入のための貸付金の取扱いについてという通達が出ており、まさに今回のケースはこれに相当するように思います。
ただ、この通達をよく読むとわかるのですがこれは「貸付金制度を用意したよ」ではなく「他に準備された貸付金制度を利用しても収入とみなさないよ」になります。
そのため、札幌市において生活保護者が使用できる貸付金制度が準備されていたのか、案内されていたのか、国として貸付金制度を整備するべきでは、あたりが本来議論すべきところかと思われます。
また、家具什器費を生活扶助から分離する(月額支給額は減るが、家具の故障時の扶助を新設する)など、制度自体を改定する議論も考えられますが「生活保護の使い道を本人の意思で決定できる」というのは「健康で文化的な最低限度の生活」において大きな比重を占めており、個人的には現状の生活扶助に含まれる形の方が良いと考えています。
どちらにしても現行の仕組みを理解したうえでなければ意味のある議論にならないため、これを機会に仕組みを調べてみると良いのではないでしょうか。
自慢だけど貯金は3000万溜まった。だから記念にと言う思いと、何にも使わないお金を貯めたところで悲しいだけな気がするのでなんか買いたいんですけど何かいいのないすか。
貯金がそれなりに溜まったのは、貧乏育ちで貧乏に慣れており毎月の支出が少ないだけで、年収は750万ぐらい。だから毎月金がかかるのは厳しい。大体30万ぐらいの物がいい。
考えたのは下記だけど、どれもパッとしなくて。
・ドラム式洗濯機 -> 家に設置できないと思う.設置できたとしても洗濯機を外に置く賃貸に住んでおり、すぐ汚れるのでもったいない。
・お掃除ロボット -> わずか4.5畳の部屋だしロフトあるし微妙かなと。あと床に物が散乱しているので使えるようにするのが面倒
後、下記は既に良いやつ持ってるから微妙。(逆に言うとこれら以外は、廉価なものを使っているか、そもそも持っていない。)
・椅子、モニタ、パソコン、キーボード、イヤホン(Airpods Pro)
■追記
・ひげ剃りは有りだな。100円の全然それないひげそりか、200-300円のまあ使えなくもないひげ剃りのどっちかを使ってるが、一時期1000円ぐらいのジレット的なやつ使ってたときの方が快適だったし。電気シェーバーみたいなの使ってみたいし。
・引っ越しもありだけど、家を引っ越し出来る状態に片付けるのが大変すぎる。あとせっかく引っ越すなら職場の徒歩圏内にしたいけど、職場が東京の都会な街だから、キレイで良さそうな部屋だとワンルームや1kで10~12万円とかする。今の家賃3万円代なので、流石に毎月8万アップは気が引ける。今と同等でも、徒歩圏内にするだけで6,7万円になるし、なんだかなあという感じ。今も電車は20分ぐらいしか乗らないし、勤務時間もズラしているので満員電車じゃないしなあという感じ。
・定期検診、なんか行きにくくない?何年も歯の検診とかしてないし行ってみたいけど、何もないのに行きづらい。目はなんか定期的に検診するべきなのか......?
・筋トレとかしてみたいからジムは若干ありかも。しかし今も雨降ってない日はランニングをしているからあんまりかわらなさそう。
・海外旅行、旅行では海外に行ったこと無いから行ってみたくはあるけど高えわ。エストニアとかアメリカとか行ってみたいけど飛行機代高すぎて、たかだか移動にこんな金かかんのか感が凄くて勇気がでねえ。
・オリエント工業は余計虚しくなりそうだし要らねえ。
・トゥクトゥク、もっと乗らねえ、要らねえ、家にトゥクトゥク停めれねえ、免許もねえの4重苦だわ
・ロレックス、時計はキーボードの邪魔になるから付けれねえ、スーツ着ねえし顔がブサイクだからつけててもダセえ
・純金、何に使うんだ......要らねえ......
■追記2
・いやいや言ってすまんな......普通に悪意なかったすわ......
・机、寝具、VR、猫(正直一番欲しい)、植物、免許、ひげ脱毛、あたりが良いなと思ったすね
・インデックス投資とかそういう投資系、ネットで話題になるたびやろうと思うけど結局やってねえ。一応、やっとくかな......。全額現金であるからなあ。
・生活費は特に節約してるつもりも無いし、何も管理してないので、大きく上下してると思うけど、Money Forward曰く直近数ヶ月は10~13万とかだったみたい。
・大学院(修士)卒業したときには1400万ぐらいたまってたので、ブコメに書かれてるほど生活費安くないかも。
・大学生1年生の頃からずっと(今も大差ない。)、手取りで40万前後(ボーナス無し)ぐらいだからだいたい10年ぐらいで貯めた計算すかね。学部の頃は年収400万ちょい + 奨学金(給付・非課税)120万ぐらいだったかな。学年進むにつれてもうちょっと奨学金の比重大きくなるけど大体そんなもん。(大学生の頃から年収で言えばかなり伸びてるのに、手取りはガチで5万も伸びてねえ......)
・この辺はたしかにそうだなと思ったすわ......もうちょっと色々手を出そうかなと思った
ShimoritaKazuyo 年間の貯金500万円として、年収250万円レベルの生活をすることで、キミは若い頃のチャンスや経験を3000万円で売ったのだよ。まだキミはそんな貴重なものを売り続けるのかい?
LanikaiSands 「なんか食べたい」が一番困るのよねー
このことを何度も何度も思い返して毎回苦しくなってきた。ここに吐き出して一旦終わりにしたい。
私は大学四年になりたての頃、当時付き合ってた彼氏との子を妊娠してることが分かった。相手は社会人だったし私も単位はなんとかなったので結婚出産、卒業後専業主婦になった。
初めての育児はとても大変で夫にイライラをぶつけまくった。夫はその頃異動があったり、デキ婚のことで親と揉めて絶縁状態になったり、子供の夜泣きに付き合ってくれたりで徐々に疲れていきうつ病になって働けなくなった。
傷病手当金や失業手当、私の実家からの援助でなんとか3年ほど凌いだ後、たまたま友人の紹介で正社員として採用された私が働き出すことになった。(夫のうつ病が長引いたのはゆっくり休ませてあげられなかった私のせいでもあると思う。当時は本当に子供と自分と生活費のことで頭がいっぱいだった。申し訳ない。)
私は新社会人かつ子育て主婦、というよく分からない状態で、今にして思うと社風とも全然合わず、パワハラまがいのことも受けながら安月給で必死に働いた。正直仕事だけでいっぱいいっぱいで家に帰れば寝てたかった。実際家事や育児は段々と自宅療養中の夫任せになっていき、夫から苦情を言われることが増えた。夫婦喧嘩が増えてセックスに私が誘っても拒否されるようになった。それどころかちょっと手が触れるのも嫌がられた。まぁ、薬の影響とかストレスとか色々あるししょうがないよね、とは思っていたがかなり辛かった。職場でも怒られて、家でも夫とはうまくいかず、育児を夫に頼る時間が増えたせいかあれだけママっ子だった子供も私に懐かなくなっていった。
そんななかで私は人生で1番の間違いを犯してしまった。同僚と不倫してしまったのだ。期間としては半年にも満たなかったけど、頭のおかしくなっていた私は彼だけが毎日の救いになっていた。現実逃避というのか、もう何も考えたくなくって将来どころか数ヶ月先の家族旅行の計画さえ立てるのが億劫になった。数ヶ月先も今と同じように生活してるなんて無理でしょと思っていた。今にして思うとありえないが、不倫相手とギクシャクしだすと更に救いを求めて学生時代の同性の友人にまで不倫の相談をした。このことがきっかけで複数の友人を失った。
まぁそんなめちゃくちゃな精神状態で不倫してたのであっさり夫にもバレた。離婚するか、なんて話にもなったがなんだかんだでお互い関係修復のために努力していこう、という結論になった。この時の話し合いでやっと自分の辛さを夫にキチンと話せた。夫の辛さも理解できた。
夫が私に優しくなった。そのおかげで少しだけ精神状態が安定して、夫や子供に気を回せるようになった。そして私が変わると夫も変わり、病状も回復し再び正社員として働き始めた。共働きは本当に大変で、そのころ子供も学校でトラブルがあったりで、結局私が家族を支えるため仕事を辞めた。収入に不安があったが、余裕がなくなった自分が如何に暴走して周りの人達を傷つけるか痛いほど理解していたので仕方なかった。今はまた専業主婦だ。仕事を辞めて冷静になるとまぁよくあんな理不尽で最も自分に向いてなさそうな仕事をしてたなぁとボンヤリ思う。転職を考える余裕もなく、とにかく自分と周りを責めていた。
夫のことはすごく傷つけてしまった。夫や子供を失うかもしれない、となってやっと自分にとって夫や子供がどれほど大切か理解できた。自分との関係を修復することを選択してくれたことに本当に感謝する。一生をかけて償っていきたい。
一方で取り返しがつかなくなったのは友人関係だ。完璧な自業自得だが学生時代の友人は全て失った。直接私が不倫を打ち明けた子以外にも噂は広まってるかも、と思うともう学生時代の友人誰にも怖くて連絡できない。SNSもやってないので向こうからも連絡も来ない。それにもともと、独身でバリバリ働いていた友人たちと主婦でお金にも時間にも余裕のなかった自分は話題や考えが合わなくなっていた。寂しいけれどしょうがない。
仕事を辞めて友人を失って、それでも家族は残ってくれた。今、夫も子供も元気にしている。私に笑顔を向けてくれる。それだけで本当にありがたい。これから先、自分のキャパを理解して家族第一優先で生きていきたい。そして少し落ち着いたら、余裕を失わない範囲でまた働きに出たい、友人も新たにできたらいいなと思っている。専業主婦で1年ほど過ごし家族だけの世界はやはり少し寂しいことに気づいた。でも自分の場合、家族、仕事、友人関係、をバランスよく保つことができるだろうか、また外の世界に必死で家族を傷つけてしまったら、と不安になる。この辺のバランスの取り方が今後の課題かな。
この約10年間は激動だった。家族の大切さと、人間は環境によって簡単に間違いを冒すんだということを知った。人間性より環境。あと友人関係は簡単に崩れるということ。この先の10年は穏やかに過ごせますように。
環境のせいにするな同じ環境でも大抵の人は不倫なんてしない、と書かれてあった。その通りだ。ただ馬鹿みたいだけど、環境云々については自分の中では再発防止策のつもりだ。若かりし頃は自分は真っ当な人間だと思っていたし、人並みの倫理観や正義感もあるどちらかと言えば善人寄りの人間だと信じていた。自分の本当の人間性について知ることはなかったし、今だって少しはまともな人間になれたのか確認する術はない。アラサーの今どうやれば人間性が向上するのか、全く分からない。だからせめて、そんなことができない、そもそもしたくならない環境が必要だと思っている。あくまで私という人間にとっては、人間性より環境、だと考える。
あと一点、不倫相手とギクシャクしてから友人に相談するのでなくて、なぜ不倫する前に友人に相談しなかったか、という指摘についてボンヤリ考えた。夫婦生活がうまくいかない、育児がしんどい、このような悩みを友人たちは理解してくれないだろう、もっと詳しくいうと、上記のような悩みが生じるのは私が若くしてデキ婚したからで、普通の人は普通に幸せに結婚して子供はかわいいんでしょ?結婚生活って幸せいっぱいなんでしょ?辛いってなんで?と思われるだろうことが容易に想像できたから。というか実際にそういうニュアンスのことを言われたからだ。当時友人たちは皆二十代前半の女の子だからそんな認識で当たり前なんだけど。そう言えば働き始めてからは職場のお姉様が「絶対今は大変やろ、無理しなや、今乗り切れたらラクになるからね」と、しきりに声をかけてくれていた。その方は子育ても離婚も経験されていたので、きっと私の普段の様子をみて心配してくれていたのだろう。だけど、年齢も一回り以上上で、職位も全く違う彼女にあまり甘えたり相談することができなかった。この辺が若くして結婚出産するデメリットだなと今なら思う。年齢に合わせると悩みが合わず、悩みに合わせると年齢が上過ぎて心を開きにくい。今となっては色々あって私も老け込んでしまったので、子供のお母様達とも特に違和感なく溶け込めていると信じているのだけれど、最初の頃は浮いてたしな。
友だちが統合失調症になった。私がアパートに様子を見に行ったときは既に「手遅れ」だった。
とはいえ、パッと見はそこまでヤバくない。一応、コンビニで買い物をして最低限の生活はしていたようである。しかし話してみると分かる。言っていることが支離滅裂だ。日本語で話しているはずなのに意味不明というのは何ともいえない恐怖である。何も返事のしようがないので気のない返事をしていると「あなたが適当な相槌しか打たないのは、黒幕の男性に操られているからだ」という。仕方がないので私がタクシーで精神病院に連れて行ったところ、そのまま保護室に入院となり、現在は退院したようである。
病状が進行してしまったこと自体は可哀そうだが、何人かの友人が怪訝な調子で話していたのと同様、私もかなりもやもやしている。あれから数か月経って今更こんなものを書いているのだから、そのもやもやたるやという感じである。
例えば、Eはかなりキツい口調で「なぜ働いていなかったの」と言っていた。あの子は一流の私立大学を卒業して以来、定職に就いていなかった。風俗の仕事ばかり転々として、会う度に職場が変わっていた。最も長く勤めていたのは、そこそこ特殊な風俗だったと思う。素敵な仕事だと思うが、病気になる前から不安定だった人間にとって、デリバリーで「変態」を相手にするという仕事が適切なのかどうか。
今振り返ってみるともう手遅れだった昨年の秋、私は「昼間の仕事をしないのか」と話した覚えがある。コンビニのアルバイトでもいいから(というのはコンビニで働く人に失礼な話だが)、週に何日か日中にシフトを入れれば生活リズムも整うだろうし、疲れたら今よりもよく眠れるのではないのかという話をした気がする。それに少し無理をしてでも人と接するのがよいとつくづく思う。
こうした話を私は以前にもあの子にした気がする。多分、仕事に関する私の考え方は変わらないので以前にもしたのだろう。しかしあの子は結局働かなかった。いや、働いてはいたのだが、自活はできていなかった。
じゃあどうやって生活していたかというと、結局親に依存していた。実家を出ていたこともあるが、そのときも親の援助で下宿をしていたし、最後に実家を飛び出したときも親が家賃と生活費を負担していた。しかし病状が進行したあの子は「親から虐待されていたので入院することは親に知られたくない。保険証も使いたくない」と言って私と精神科医を困らせた。
あの子には夢があった。作家になるという夢だ。とある雑誌に投稿し、投稿欄のようなものに掲載されていたりしたようである。
創作に打ち込みたいから働きたくないという気持ちはよくわかる。仕事で一日の大分を使えば、読書をする時間も、創作をする時間も限られる。何より働いていると「感性」が鋳型に嵌められて想像力が衰えると思う。
とはいえ、とはいえ私たちはもうこの歳だ。この歳で作家として世に出ていない以上、「才能」なんてないのだと自分に蹴りをつけなければならない。
もちろん遅咲きの作家もいる。華々しく世に出なくても、徐々に大成する人もいる。熱意があるなら諦める必要はないと思う。私は筆を折って「社会人」になれなんて言わない。でも働かずに創作や演劇に打ち込んでいいのは、そのことで病まない人だけだよ。そしてそんな人は五万といる。なぜあの子は働きながら執筆を続けるという手堅くも痛々しい生活を選ばなかったのだろう。
あの子は「安定した収入がないこと」「生産性がないこと」を気に病んでいた。それが最後には幻聴として聞こえるようになったようである。Yが「あの子はいつも『私は創作に打ち込んでいるから』と必死に説明していた」と回想していた。そんなに気に病むくらいなら尚更なぜ働かなかったのだろうと思う。開き直るか、働くか。
私は一度「なんで私がこんな仕事をという気持ちがあるのかもしれないけれど」というようなことを言って釘を刺したと思う。「こんな仕事」でも、何者でもない私たちはせっせと働かねばならないし、誰しもがそうしているのに。
退院したあの子は自宅で療養しているようである。実家が裕福なので、生活費や通院費に事欠くことはないのだろう。でも今後はどうするのだろう。あの子には、履歴書に書ける職歴がほぼない。面接に行けば必ず突っ込まれるだろう。Yは「このまま自殺するか、引きこもりになるんじゃない」と心配していたが、そうならないことを祈る。僕たちはみんな何者にもなれなかった自分と折り合いをつけて生きている。あの子もそこに加わってくれるといいのだが。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200109/amp/k10012239811000.html
じゃあ遊興費や娯楽に使う金は無いね
友人がクソニートで見ていてきつい。
数少ない友人といえる相手でTwitterでつながっているが見ていてきつい。
メンタル面を崩して現在休職中らしいが、傷病手当?がもう出ないらしくて実家に泣きついて生活費をもらっている。
その状況で実家からは一人暮らしを辞めて帰ってこいと言われているが拒否り続けている。
実家から金を借りている状況でコミケだライブだと遊び暮らしているしソシャゲにも万単位で課金してる。
毎日が盆暮れ休日のくせに同人誌の締切は間に合わずいつも割増入稿。仕事しながら同人誌出してる俺のほうがまだマシにトーン貼ってる本を出してるレベル。
その状況で声優のライブのために親から生活費と合わせて追加で25万借りて遠征に行くらしい。バカじゃねえの。働けよ。働けねえなら遊ぶなよ。精神病患者は遊ぶなとは言わないが遊ぶ金ぐらい働いて稼げよ。アホか。
メンタル崩した理由も上司が悪い会社が悪いじゃなくて働くのに向いていないからだとか言っていた。話を聞くかぎり精神病にかなり優しい会社で、3回目の休職なのにまだ馘首にされてない。時短や週4も提案してくれてるらしいんだから少しは働けよ。
その2となります。
とある会社へ契約社員として就職が決まったので、めでたく(?)コンビニバイトから卒業することができた。
もしこの就職が決まらなければ、まだ続けていただろうと思うのでとてもホッとしている。
少し話はそれるが、セブンイレブン自体の勤務経験は約7年といったところだ。
今ではおなじみの電子マネー「nanaco」がまだ無かった時代にアルバイトを始めた。
そして、揚げ物調理器(いわゆるフライヤー)もなく、現在「フランク」と呼ばれる
とても良い香りがするのだ。
自宅近くの新店スタッフ募集の際に、思い切って自営でやっていた店をたたみ
この行動に後悔はなく、むしろ学ぶことが多かった。
話を戻そう。
いくつかご紹介いただいた。
住宅街は6時か7時まで、オフィス街は8時ないしは9時までの枠となっている印象。
もちろんスタッフ側は終わりの時間を仕事予約の際に申し出ることができる。
初めは稼ぎたいと22-7の枠でスタッフを探している店舗さんをご紹介いただいた。
しかし
ヒマ、なのだ
毎回レジ+洗い物+廃棄チェック+雑誌検品陳列+チルドやパン、冷凍納品など
一通りの作業をさせてもらえることはない。
レジは基本だが、店舗側からすれば「よけいな仕事をふやすな」ということだろう
派遣がミスしてもカバーできる範囲の仕事しかまかせてもらえないのが現状。
例えば、洗い物にいたっては
固定で勤務しているのであれば一例に過ぎないが
フライヤー調理器、フライヤー什器、コーヒーとカフェラテマシン
など、深夜でレジしながらこれだけの量をこなすだけでもあっという間に朝が来る。
深夜はあまりお客さん来ないでしょ?と言われるが
それがやがてストレスとなってゆくのだ。
店舗によっては夕勤が先取りして行うケースも多々見受けられるが
概ね冬場はこれだけの洗い物を、商品をスキャンして袋詰めするだけじゃない
宅急便やチケット発券といった他のレジ業務も、いつくるかわからないので
頭の休まる暇がないのだ。
そこで派遣にはレジ専門かつ、洗い物の一部をやってもらうパターンが多かった。
お箸やタバコの補充といった、レジに張り付いてでもできる作業は
慣れると鼻をかむのと同じくらいあっという間に済んでしまう。
するとどうなるか
できることがあればお手伝いします、と申し出ても
できることといえば、入店チャイムが聞こえたら「いらっしゃいませ」と挨拶
何も買わないお客さんが退店しても
「ありがとうございました またおこしくださいませ」
(ヒマでお客さんの行動を見る余裕ができるからこそ言える)
そのぐらいしか、できることがない。
勝手にやること見つけてやれば?
指示されたこと以外の作業を勝手にやることで店舗側とトラブルになれば
その日の交通費や働いた分の賃金はパーになってしまう可能性がある。
万全の態勢で勤務に臨むべく
ささいなことでトラブルとなり、賃金が泡と消えるのだけは避けたい。
勤務前からぐったりすることもあるのに。
休憩をこまめにとらせてくれた。
そのかわり、レジだけやっててください、という。
(無論、パワハラは許されないが)
これに尽きる。心得て仕事をしていてトラブルは一度もなかった。
しかしながらレジで立っててヒマな時間がどーもしんどくなったので
翌週からは22-6の枠で募集されてる店舗があればご紹介いただくよう
予約したのだった。
ここで問題が起こった。
「ご紹介できるお仕事が見つかりません」という連絡だった。
理由は推測にすぎないが
(応募者多数のため抽選、みたいな)
といったところだろうか。
「急に依頼がくることもあるので
待機するか、お休みしていただいて構いません」
とのことだった。
一度目は待機し、連絡がきたものの
22-6で定期的に勤務できないとなると、生活費にも支障が出るので
これが、正解だった。
退職するまでの間、おかげさまで希望した日の夕勤全てご紹介いただくことができた。
心理について書いてみようと思う。
読んでくださってありがとうございました。
本当にギュウギュウ詰めで隙間がない
そんな中目の前の人は女性だった
真っ先にそんな単語が頭をよぎり自分が持っているカバンと吊り革をギュッと握りしめる
安心すると女性からの匂いが気になってきた これだけの至近距離で女性と密着してたらしょうがないのだが
気にしないようにするも電車が揺れるたびに匂いがただよってくる
いやキモいと思われるのもしょうがないのだがどうしても意識してしまう
そのまま何事もなく目的地にはついたのだが
自分は田舎住みでまず電車に乗ることがなく乗っても一両貸し切りなんてざらなのだが
妻子はいるも夜はからっきし、不倫は風潮としてできない、風俗に行こうとするも家族の生活費に消え自分が使うお金なんてざらにない