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2019-04-14

anond:20190414084658

全くもってその通り。

元増田は不遜だ。

各分野の重鎮には敬意を払うべきなのに元増田姿勢は一体なんだ。

査読経験すらない若造には理解できない学問世界が広がっている。

この祝辞には。

学部生ならまだ論文も書いたことないだろう?

統計に少々怪しい所があっても、全体として差別現実を厳しく訴える内容になっていれば論文価値は認められるものなんだよ。

それに、物理学歴史学専門性がそうであるのと同様に、フェミニズム研究研鑽を積んだ者がこの祝辞の内容を読むと、非の打ち所がないないことが分かる。

祝辞の主が男性だったら疑いすら抱かない癖に女性だったら疑うのは差別だ。

フェミニズムだけ疑うのも差別だ。

物理学歴史学だったらどうせ疑わないんだろうからフェミニズムも疑うなよ。

もしフェミニズムを疑うなら、他の年の男性物理学者や歴史学者が出してきた数字も疑いなさいよ。

でもしないんだろ?

どうせ。

ならフェミニズムも疑うなよ。

そもそもこの祝辞は何かの数字を伝えるんじゃなくて、各自自分の頭で考えさせることを目的にしているんだよ。

元増田、わかるか?

2019-03-29

anond:20190329121432

どこがおかしいか指摘できない雑魚

調べるだけで当時の人物心理が事細かに分かるなら歴史学者は苦労しないよ。

2019-03-16

anond:20190316132101

裸や性器を人に見られても恥ずかしくない、必要ことなんだという価値観をまずは教育で広める必要がある

医者さん(特に外科泌尿器科産婦人科精神科)、家族法専門の弁護士ヌード系の芸術家、元AV俳優コラムニスト、性に関する文化歴史学者など、幅広い関連分野の専門家連携して制度化を進めていかなくては

2019-01-15

anond:20190115115743

なるほど。

しかし俺は「ググれば俺と同じ認識に辿り着けるはずだ」と言っているわけではない。

ググれば情報が出てくるし、それを照らし合わせて自分なりの意見を持つこともできる。

まり、「室町時代江戸時代服装の違い」を説明できるようになるはずだ。

俺が保証しているのはそこまで。

その人が辿り着いた「室町時代江戸時代服装の違い」の知識の真偽にまでは踏み込まんよ。

もちろん、そこに「無謬」を得るのは、歴史学者でも不可能だろうね。

2019-01-06

百田尚樹バカにするのはたやすい、しかし、

百田尚樹というブランド」を作り上げるのにかかった年月と、そのための努力、これは悔しいが素人では太刀打ちできないのだ、悔しいが

じつは俺は、歴史系の底辺ライターである

よく書店ではなくコンビニで売ってる、古代史や戦国時代に関する紙質の悪い雑学本の仕事をしている

その程度の本でも、Wikipedia最後の裏取り程度にしか使わず吉川弘文館だの中公公論社だの岩波書店だのから刊行されてる、それなりの実績がある大学教授が書いた専門書を参考に書いてる

だが、これは自己満足プライド問題しかない

実際、現代ではまともな歴史学者の資料に当たると「日本書紀のこの記述ウソ、当時の政治的作為がうんぬん」「平家物語のこの記述は~」「太平記のこの記述は~」という調子で、いわゆる面白そうな話はほとんど全否定になる

逆に、マニア的に「じつはそうだったのか!」的な面白さもあるのだが、これはある程度の前提を理解したマニアでないと通じにくい

通俗歴史本の執筆という点では、誇張抜きに、俺の方が百田尚樹より真面目に仕事してると本気で思ってる

しかし、それでは売れないのだ

あのくだらん日本国紀は、「百田尚樹というブランド」の勝利なのである

そして実際、無名歴史系の底辺ライターである俺は、『海賊と呼ばれた男』だの『永遠の0』ほどの小説は書けないし書いたこともない、負けなのは仕方ないと認める

が、たか書店ではなくよくコンビニで売ってる雑学本でも、俺はWikipediaに頼らず、一定の実績ある歴史学者が書いた文献を参考に書くことを辞める気はない

読者に正確な事実を伝えたいなんてご大層なことではない

単に職業人としてのプライド問題

2018-12-31

「調べてみました!」系記事って叩かれてるけど便利だよな

私家版Wikipediaみたいな感じで芸能人とかの情報をサッと知るにはちょうどいい。

過去にこんな炎上がありました」みたいなのはWikipediaに載っていないことも多いし、その点でも価値がある。

検索結果が汚染される」という人もいるけど、それは単に検索オプション使えよって話で。

あと最近思ったのは、テレビの内容を書き起こしてTwitterの反応を付け足しただけのニュース記事

あれも価値を認めない人が多いけど、動画の書き起こしという点では便利なんだよな。

100年後には動画のほうが残ってなくて歴史学者は書き起こしから内容を調べてるかもしれないし、

そうでなくともテキスト化で検索可能状態にしておくことには意義がある。

YouTuberTikTokなんかを見てると「動画文化圏」や「アプリ文化圏」が今後もますます発達していくことが想定できる。

そういうsearchableでないコンテンツいかにsearchableにしていくかという点で、「ただ文字にしただけ」系記事価値はあると思うよ。

2018-12-22

anond:20181222174811

エリザベス女王その他「せやな

 

現在の君主の一覧 - Wikipedia

 

立憲君主制度の形骸でもしっかり保存しておいとくとなにかと内政外政やりやすいねん。

過激派ウヨとか炙り出せるし。

 

あとやっぱり文化面やね。

代々歴史学者さんなんだと思うとわかりやすいね

私有博物館の動態保存やってらっしゃるんやで。

 

ジョジョスタンド学履修ついでに海洋学者になったやつおったもんな。

皇室そっくりだと思う。

2018-12-08

史学科のゼミとか卒論とかって何やってるの

数学科事情、すごく興味深く読んだ。

「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 - Unhappy Go Lucky!

ただ、文系学部の「研究」や「卒業論文」の位置づけとかについて、過大評価していただいているような気がしなくもない。日本語とは縁遠い言語を話す地域を専門とする史学科卒の人間として、「ゼミ」や「卒論」の位置づけについて語ってみたい。

ゼミで何をやっているか

いやこれは本当に分野によるのだが、「研究」というよりも「勉強」をやっているところが多い。歴史学というのはまず史料に何が書かれているかを正確に読み解く必要があるのだが、その読み方を徹底的に叩き込まれる。場合によっては修士課程でもこれが続く。もしくは、研究文献の読み方を叩き込まれる。そもそも2・3年前まで高校生だった連中である文系研究書をどのように読むべきかよくわかっていない人も多いし、英語の本を通読なんてしたことないですという人がほとんどだろう。レベルの高い大学なら外国語文献の購読をし(何語なのかは研究分野や参加者による)、あまりレベルの高くない大学なら日本語の本・論文の読み方をゼミで躾けられる。

(「史料」ってのは要するに「昔の人が書き残したこと」。王様勅令だったりお役所行政文書だったりインテリの書いた思想書だったり過激派の撒いたアジビラだったり新聞記事だったり、色々である公文書館に行って実物を見てくる場合もあれば、別の学者がまとめて印刷出版してくれたものを参照する場合もある)

何で学部の段階からゼミに分かれるか、というと、「歴史学とは何か」「史料批判とは何か」みたいな概念方法レベルの話や、「いやしくも歴史学を学ぶ者として最低限踏まえておくべき各地域・各時代の基礎知識」みたいなのを除けば、分野ごとに身につけるべきスキル全然違うので。江戸時代歴史なら江戸時代古文書明治期の歴史なら明治期の文書中国史なら漢文イギリス史なら当然英語古文書……を読まないといけない。イギリスについて研究したい学生日本古文書の読み解き方を勉強しても時間無駄だろう。逆もまた然り。

ぶっちゃけ、「卒業論文」に大したオリジナリティはない

慌てて言えば分野による。

社会調査とかする分野で、自分なりにアンケート調査してみた、とかそういう論文なら、どれだけ拙かろうがオリジナリティはあるだろう。あるいは歴史学でも、オリジナル史料を発掘することが可能な分野ならオリジナリティは出る。

ただやっぱり、学部4年の段階で大層な「オリジナリティ」は出てこない。そもそも外国史の場合史料の読解すら教員の手助けを得てようやく、という人が多い。歴史学では一次史料が重視されるが、私の分野では卒業論文で一次史料を使った時点で優秀な学生の部類に入るだろうなと思う。二次文献、つまり他の研究書や論文をまとめて長いレポート(うちの大学では3万2,000字が下限だったかな)を書けたらOK、という運用をしている大学も多いのではないか。まとめるのにもオリジナリティは出るしね、という苦しい理屈だしそんなの査読つき学会誌に「論文」として発表できるレベルではないが、学会誌に「論文」として出せるレベルのもの要求していると4年では足りないわけで、多くの史学科の学生修士論文で初めて学会誌投稿できるレベルのもの要求されることになる。

何度も言うようにこれは分野による。地味に重要なのが、「その言語大学第二外国語として開講されているか、あるいは教養科目で講義が受けられるか」という点。朝鮮史ドイツ史やフランス史場合韓国語ドイツ語やフランス語文系学部ならたいていは必修の第二外国語として教えられていることが多いので、卒論でも韓国語ドイツフランス語論文は読めて当然だよなあ? というハードモードになることもある。中国史なら「高校から漢文やってるんだしゼミでも読んでるんだから卒論でもちゃん漢文史料は読めるよね? 現代中国語論文も読んでね」ということになるだろう。英語? そんなの読めて当然でしょ? 第二外国語ではなくとも、たとえばトルコ語アラビア語なら多少気の利いた大学なら教養科目とかで開講されているから、イスラーム史やりたいなら学部1年のうちから履修しといてね、という話になると思う。逆に、マイナー外国語必要な分野だと、せめて英語の本くらいは読んどいてね、くらいにまでハードルは下がる。アイスランド史を勉強したいです! と言われても、日本アイスランド語の授業がある大学がいったいいくつあるのか……という話になるわけで。まあ東大の某ゼミではゲエズ語購読とかやってたらしいですけどね。雲の上の世界すぎてまったく想像もつかない。

なので、大学に入った段階で既にどの分野に進むのかなんとはなしの道筋がついていないと厳しい。第二外国語韓国語選択して、やっぱり私ドイツ史がやりたい! というのは不可能ではないが難しい。第二外国語選びの段階である程度進路が決まってしまう、というのが史学科の特徴だ(まあ、英文学科とかは、学科選びの段階で専門地域が決まってしまうわけだが……)。イスラーム史やるなら第二外国語フランス語にしないとね。そんなのついこないだまで高校生だった連中にわかるか! もちろんこれは大学による。西洋史に進学した者にはドイツ語とフランス語双方の習得義務付ける大学もあるそうである。これならヨーロッパのたいていの地域対応できるね! 史学語学と言われる所以だ。

あとは西洋以外の地域だと、「史料に書かれている言語」と「論文に使われている言語」が違うことが結構あって、何でかといえば近代以降に西洋諸国植民地支配されていたりすると「オランダ人研究者がオランダ語で書いたインドネシア史についての先行研究」みたいなのがたくさんあるので。つまりいくらインドネシア語やアラビア語が堪能でもそれだけでは片手落ちで、オランダ語フランス語ができないと先行研究が読めないので勉強せざるを得ない(付け加えるなら、植民地支配されてたということは、お役所では宗主国言語が使われていたり宗主国のお役所植民地統治担当する部局があったりしたわけで、それらの史料は当然宗主国言語で書かれている)。さら前近代史だと、「昔使われていた言語」と「現在使われている言語」が異なっていることが多く、典型的には古文とかラテン語とかである現代日本語論文はスラスラ読めても古典日本語チンプンカンプンという人も多かろう。前近代西洋征服王朝なんかだと大変で、現地語+支配階級言語植民地支配してたヨーロッパ言語、をやらなければいけなかったりする(アラビア語オスマン語+フランス語、みたいな感じ)。いやー、西洋現代史はヌルゲーの領域っすわ……その国の言語ができれば用足りるからなぁ。現地に行けばネイティブスピーカーいるか勉強簡単だし(アッカド語みたいなネイティブがいない言語習得してる人ほんと尊敬する)。もちろんここで少数民族とか国際関係史とかに興味を持ってしまうと語学沼に引きずり込まれるわけだが。イギリス史なら英語だけでいいだろうと思っていたらうっかりウェールズに興味を持ってしまウェールズ語を勉強することになりました、とか、ドイツ語だけで通そうと思っていたら枢軸国外交に興味を持ってしまったせいでイタリア語も読んでます、みたいな。とはいえこれらは院に進学してからの話(あるいは院への進学を希望する学部生の話)だ。院に進学しない学生卒論レベルなら日本語英語or中国語でじゅうぶん、という運用大学ほとんどだと思う。

ヨーロッパ植民地についてしか述べていないのは、日本植民地場合宗主国言語習得する困難はほぼ存在しないからであって、日本植民地支配をしていなかったと言いたいわけではないので念の為。もちろんこれは日本語母語話者である学生の話で、韓国台湾学生あるいはそれらの国から留学生植民地時代自国史を勉強しようと思ったら日本語を読まなければいけないわけであり、なんというか申し訳ない)

でもまあ、卒論書くのは大事ですよ。たとえそれがレポートに毛の生えたレベルのものであっても、院に行かない学生にとっては専門家指導されしっかりと文献を読み込んだ上でこんな長文を書かされる機会はこの先の人生でなかなかないし、それを経験するというのが大学に行く意味だと思う。院に行く学生にとってはもっと長い修論博論書くんだから当然このくらい書けなきゃ話にならんわけで。

院に進んだら何やるの

留学します。

これも分野によるのだけれど、たいていどっかに留学する。中国史なら中国台湾フランス史ならフランス、みたいに。留学先で大学ゼミに参加したり史料を集めたり現地の専門家指導を受けたり、あるいは分野によっては語学勉強をしたりする。もちろん複数国に留学してもいいし、研究対象国以外に留学することもありえる。アフリカ史を研究するためにポルトガル留学した人がいたり(イエズス会士が書いたものを読みたかったらしい)。で、帰国してから博論を書く(たまに留学先でそのままPh.D獲っちゃう人もいる)。

上述のような事情があるので、歴史学を専攻している人はたいてい4年以上博士課程に在籍する。ちゃんとした大学で3年で博士号獲るのは一部のバケモノだけです。たまにいるんだよそういうバケモノが。日本史なら楽勝かというとそういうわけではなく普通に4年以上かかってることが多い。留学期間とかもあるので、博士課程の先輩に学年を聞いても即答できないことが多いから気をつけよう。29歳でドクター? 夢物語かな? まあ本当に文系大学院なんて資産の子供か養ってくれる配偶者持ちか自殺志願者以外は来ない方がいいです。男性歴史学者が書いた研究書のあとがき奥さんへの謝辞が書いてある場合、もちろん本当に純粋感謝の念であることも多かろうがけっこうな確率で一時期ヒモ生活を送っていたことへの感謝だったりする。奥さん実家でチクチクとイヤミを言われた経験を聞かせてくれた教授もいらっしゃる。これ有名大学の教授様になれたから笑って話せるだけで、なれなかったら悲惨だよな……。まあでも、研究者の不遇っぷりは文理問わないか

2018-11-22

anond:20181122112349

追加。(みんなタイトルだけじゃなくて概要くらい付けようぜ)

とりあえずローカス20世紀ベストSF

https://gingaooo.hatenablog.jp/entry/20thsf

ここに出てくるレベルなら、どれを読んでもハズレはないかな。

メジャー作品は読んだという中に『ファウンデーション』も『リングワールド』も入ってないって事は

宇宙舞台の壮大な話は苦手なのかもしれないから外すと

電気羊』好きならエフィンジャー重力が衰えるとき』(身体人格を改造しまくった人間ばかりのアラブ都市での犯罪捜査)もいけるかな。

幼年期の終わり』的なのだスタージョン人間以上』(意識接続ができる新人類誕生旧人類との葛藤)、

              ベアブラッドミュージック』(学者が創り出した「知性を持つ細胞」が人類を変える)

タイムトラベルものなら『夏への扉』とは雰囲気大分違うがウィリス『ドームズディブック』(14世紀調査に出かけた歴史学者が巻き込まれる苦難)とかどうかな。

2018-11-07

anond:20181106201315

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%88%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%80%89%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F

『〈子供〉の誕生』(こどものたんじょう、フランス語:L'Enfant et la Vie familiale sous l' Ancien Regime)は、フランス歴史学者フィリップ・アリエス著作である1960年に公刊された。子供大人の一線を当然視し、学校教育制度を当然視する現代の子供観に対して、疑義を呈する書物であるフランス語原題は『アンシャレジームの子供と家族生活』という意味であり、「〈子供〉の誕生」は、日本翻訳者がつけたものである

アリエスは、中世ヨーロッパには教育という概念も、子供時代という概念もなかった、と言う。 7〜8歳になれば、徒弟修業に出され、大人と同等に扱われた、と言う。飲酒恋愛自由とされた、と言う。なぜ大人子供の一線を7〜8歳に引いたのかと言えば、この時期に言語によるコミュニケーション可能になると考えられたためである、と言う。 7〜8歳以前の子供は動物と同じ扱いであり、大人フリスビー代わりに投げ遊び、落として死なせたこともあるという。乳幼児死亡率が高く、5歳までは頭数に入れられなかった。もっとも、乳幼児死亡率が高かった理由として、医学水準が低かったことだけではなく、両親のベッドの中で、あまりにも頻繁に窒息により非業の死を遂げる子供が多かったといった理由も挙げられている。

教会は、嬰児殺しを厳禁していた。が、両親があれは事故だったと主張してしまえば、それ以上追及する者はいなかった。

近代的な学校教育制度が現れたのは、17世紀のことである。当時の教育者たちは、古代には存在した学校教育を倣い、「純真無垢」を理念とした。「純真無垢」とは何か。子供大人を引き離すこと、特に子供にとってセックス禁忌にすることだった。また、子供として保護される期間の延長も提唱した。この時期から美術子供テーマにし始めた、それ以前は美術子供テーマにすることはなかった、と述べる。

近代学校教育制度は、大人とは異なる、子供服というものを編み出した、と述べる。この傾向は特に男児に顕著で、男児の特徴的な衣装であるズボンが考案された。それに対し、女児服装の変化には無頓着であった。女児家事に専念すればいいのであって、学校教育を受ける必要性が少ないと考えられたためだ、と述べる。

これを受け、近代的な学校教育制度は、同年齢の子供を同一のクラスに編成した、と述べ、極端な場合には、寄宿舎制度を設け、子供を外部から遮断した、と述べる。

2018-10-11

単に素朴な疑問に答えてるだけならこんなに疲れねえよ

Dragoonriders まあ、こうして知見が溜まるのは、素朴な疑問って大事だよな、と言っておく。疲れると思うが存分に書いていただきたい。

単に文系アカデミアでのキャリアパスを聞かれて答えただけならこんなに疲れねえよ!

文系論文を読みもせずにお気持ち明学問だと決めつける連中,

文系がどういう資料を使って研究してるかもろくに把握せずにエビデンスがないエビデンスがないとわめく連中,

査読されてる雑誌今日日たくさんあるよと何度も言ってるのに査読論文がない! って吹き上がる連中,

こんな連中が寄ってたかって文系への偏見に満ちたコメント垂れ流すのは「素朴な疑問」とは呼ばねえよ! 素朴な疑問って大事だよねとか微塵も思わねえよ!

丁寧に水の機序について説明してくれる科学者が現れてくれたか水からの伝言って大事>< とか思うか? 思わねえだろ?

現代医療について解説してくれるお医者さまが出てきてくれたかホメオパシーって大事>< とか思うか? 思わねえだろ?

日中戦争について教えてくれる歴史学者降臨してくれたか南京事件否定論って大事>< とか思うか? 思わねえだろ?

議論が深まっ太郎にはもうウンザリなんだよ!!!!!!

anond:20181010203532

2018-10-08

みんな日本語学術言語としての重要性を軽く評価しすぎ

この件.

https://togetter.com/li/1274544

査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.

何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国韓国でも,文系研究業績の大半は自国語だから

文系研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準から

インドサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育英語でやっている国や,ツバルナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)

そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.

そもそも社会学には膨大な日本語研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書からから日本語で一通り揃うようになっている.

自国語で用が足りるんだから論文執筆言語自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.

イギリスアメリカ学者英語で書き,フランス研究者がフランス語で投稿し,ドイツ博士ドイツ語で教授資格申請論文審査を受け,ロシア院生ロシア語で報告している中で,なんで日本教授日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.

これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって歴史学だって文化人類学だって文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌日本語で書かれている.

そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.

世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.

もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究あなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧学者と同じようにアフリカフィールドワークをし,日本語西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.

あるいは,ヨーロッパ歴史を知りたいと思ったとしよう.あなた造作もなく,フランスドイツイギリススペインロシアや,そしてチェコポーランドポルトガルボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本歴史学の積み重ねてきた問題意識接続されている.

それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語文法記述した本も,ヨーロッパ小国言語の音声を論じた本も,中東言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EU制度アメリカ大統領選挙,韓国歴史認識ロシア愛国主義湾岸諸国君主制,どれも日本語最先端研究が読める.

こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.

とあるアジアの国に行ったとき書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジア言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧から翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.

あるいは,ヨーロッパ小国書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラペラ入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.

たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパアフリカ社会ラテンアメリカ先住民近世朝鮮史東南アジア政治についての最先端研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.

私の感覚だと,英語網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.

カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカまれ英語ネイティブ白人であってもだ.ザマーミロ.

というか,実は文系分野に関しては英語網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人カタルーニャ言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.

なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブ西アフリカ地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパ前近代研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.

この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語最先端研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しか文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端研究の全てが英語提供されるわけではない.

なので文系では,英語理系ほど特権的地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.

というわけで,文系研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).

別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウント和文論文勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルール文系押し付けないでいただきたい.

私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.

文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本コンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパアフリカ部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリアハンガリー舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.

別に文化に限ったことではない.政治経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダ虐殺スレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解やすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域専門家が書いた本や論文和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史理解する助けになるだろうか.欧米フェミニズムについて日本語研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.

すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.

日本人は恵まれ研究蓄積にあまり無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.

英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代日本医師ドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語外交学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのとき現在私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位貶める必要はないと思う.それは私たち社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから

最後に.

どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語しか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.

追記

英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。

日本国内の、査読なし論文が実績になる分野の教授たちによって、査読された研究にも何らの価値も感じない。

anond:20181008221502

id:bocola 自分でも言ってるように査読しなの問題査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。

arXivのない世界からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.

事前の査読は,論文信頼性担保するための手続きひとつであって,それが欠けている「からダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマン査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.

私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系ローカルルールで事前の査読必須なのはよくわかったけど,そのローカルルール文系敷衍されても困る.

id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。

私もオタクですが.

追記

続きは anond:20181009084352 anond:20181009213503 で.

2018-10-03

ウヨ歴史に興味がない

ここ10数年、右傾化ガーとか歴史修正主義ガーと言われて久しい。

ところがウヨが興味あるのは慰安婦とか南京とか戦前戦中の話だけで、それ以前はどうでも良いらしい。

過去10数年ぐらいに刊行されてる、吉川弘文館人物叢書だの、朝日選書だの講談社中央公論社だの各社の新書とかで、古代中世日本史の本を読むと、なぜウヨ激怒発狂しないのか謎でならない。

しろ古代史では『日本書紀』は大ウソだらけ、万世一系ではなく継体天皇の代からは新王朝可能性が濃厚、任那日本府は通説よりずっと規模が小さく「日本府」って名前も後世につくられた、「大化の改新」の中身はほとんど無し、厩戸王実在したけど聖徳太子の手柄の大部分は蘇我氏の業績、藤原氏中臣氏)を美化するための誇張が濃厚、壬申の乱記述天武天皇正当化する作為が濃厚――といった調子皇国史観絶対で「記紀の内容はすべて史実!」て言ってた戦前基準じゃ許されん話ではないか

神武天皇実在した」とかドヤ顔で語ってた自民党議員は怒らないのか?

中世史も、『平家物語』の名場面の大部分は創作源氏卑劣後醍醐天皇政治的無能だったか建武の新政は失敗、戦国時代には住民虐殺奴隷人身売買が通例……とかなんとか、そんな話がフツーに記されてる。

竹田恒泰とかの「日本伝統に詳しい人」と称する連中に言わせると、近代以前の日本には中国韓国のような野蛮で卑劣な話は一切なく、この世の悪はすべて戦後民主主義せいらしいが、全然そんなことはなかったと公然と書かれてる。

やれ「歴史戦」とか言う連中は、なんでこういうここ10数年の歴史学者の成果を「ブサヨ歴史捏造だ!」と言って怒らないのかw

ウヨ連中は本当に、明治期以降か下手すりゃ昭和戦前しか興味ねえんだろうな

専業主婦とか夫婦同姓が本気で日本伝統と思ってたり、小島毅が書いてたように「明治維新が起きたのは江戸時代儒教が広まったから」とか知らんで、本気で「中国韓国儒教国家だからシカラン」とかドヤ顔してる奴多いし

でもさ、ウヨって基本的に「昔は良かった史観」だろ? それがこんな近代以前にはまったく無知でいいのか

ま、あいつら「伝統興味ない」「天皇嫌い」が本音なんだろうけど

2018-08-27

anond:20180826220500

文系学問って、ちょっとかじったくらいでは、いい加減なものとまともな物の区別がなかなか付けづらい。理系学問なら、全体が分からなくても、明らかにこれはおかしいという説明は初学者にも区別付くだろうけど、文系学問では質の悪い新書レベルの読むだけ無駄学問モドキな情報が世の中に溢れてる(たとえば、真面目な歴史学者匿名で書いた歴史学のわかりやすい考え方や新情報も、いい加減でオカルティなおもしろおかし自称郷土史家」みたいな連中の感想日記うんちく韜晦ブログかに埋もれて消えてしまう)から、あまり意味がない。理系学問知は共有によって磨かれるが、文系学問知はどちらかと言えば手垢がついてどんどんゴミにまみれる印象。一言で言って、文系学問集合知と相性が悪い。


それより、もし学ぶ気があるなら、まともな学者良心的に書き、まともな出版社から出版されたまともな哲学入門とか、法学入門とか、経済学史の簡単解説とか、文学研究本とか、教育学解説本とか……図書館行ってそういうのを一冊でも読むべきであるネット上でその代替物を探す行為には、コストに見合ったメリットがない。

2018-08-11

anond:20180810211812

かにその通りだけど、官僚政治家戦争体験していない世代が多くて、具体的な考察のしようがないのではないかと思う。だいたい大衆受けしそうなことは言っても、具体的な実現プランなんか持ってないのが政治家という人種

とりあえず歴史学者にでも第二次世界大戦の敗因とか日本はどうするべきだったか考察してもらうしかないのではないかと思う。

私の素人考えでは、真珠湾攻撃とかやって勝ち目のない相手戦争を仕掛けたところがまず間違ってるし、食糧武器の手配がまともに出来なくなった時点でその国や地域からは退却すべきだったと思う。

だいたい日本全国に空襲焼夷弾の雨が降った時点で降伏すべきではなかったのか。軍需工場のある地帯基地ピンポイントで狙うならともかく、一般市民無差別攻撃して焼き殺すのがもう戦い方としておかしいだろう。

戦争中のに敵国にモラルを求めても無駄かも知れないけど、ただでさえ日本軍がアメリカに反撃する力を失っているのに、武器一つ持たない(竹槍とかは役に立たなすぎるので武器と見なさない)一般市民を殺すというのはアメリカ軍にとっても手間と焼夷弾のムダではないのか。ましてや原爆なんて壮大な人体実験以外の何物でもない。

私は自衛隊存在否定しないけど、どちらかといえば災害ときにとても役に立つ人々という認識で、軍隊としてはアメリカに良いように役に立たない武器を買わされている微妙存在だと思う。どちらかというと災害時に必要とされるもの予算をつけた方が良いんじゃないか。それだと軍隊とは言えないかも知れないけど。

あと、戦争が起きたとき対策はどこの国を仮想敵国と考えるかで全然違うと思う。北朝鮮だとすれば、彼らが攻撃してくる間どうやって国民をどうやって避難させるかが課題で、戦いが長引けば向こうが勝手に消耗して攻撃手段を失って自滅するように思うんだけどどうだろう?

日本より強い軍事力を持つ国は、直接日本攻撃するというよりも、アジア圏の国と戦うとき日本基地として利用し、自分の国が直接攻撃されないよう、盾として日本を利用するのではないかと思う。

素人考えなのに長々と書いてしまって失礼。この国の偉い人たちは歴史に学びつつ、具体的な「二度と戦争をしない方法」を考えてほしい。

2018-08-08

anond:20180808114231

価値かもしれないが、意味はあるかもしれないだろ! 5000年後の歴史学者がこの書き込み発見して何かしら意味を見出す可能性はゼロじゃないだろ!

2018-06-26

グレーな世界が大好きだ

合法非合法

危険ドラッグ

軒先で野宿

テレビで半裸で出てくる中国のおじさん

家の中でいつも半裸でいた俺の親父

親父の白ブリーフの、白と黄色境界線

吉田豪のハリボテっぽさ

磯田道史の番組に登場する歴史学者以外の人たちのオカルトっぽさ

脳科学で登場する中野信子の怪しさ

中野信子が回を重ねるごとに増してくる艶っぽさ

ブリーフ不透明なまま

まぎれる記憶

祖父山菜を摘みに行った思い出

透明なマスクをして握手した思い出

酒をいっぱいあおってお店へ

汚らしい擬音を発しながら財布の位置3分おきに確認する

2018-06-14

anond:20180613181638

歴史学者とかはかなり多くの数字に対してあの出来事があった年だな実に良い数字だとか思うんだろうか。

2018-06-08

本質でないところで難しい文章

こんな文章永遠に続くのはつらい

私は有名な歴史学者であるが、その文章のダラダラと長いせいで内容の難しさではなく、何が何に掛かっているのか文章を解析するのに大変苦労し、せっかくの内容も台無しとなっているその書籍は本当に残念に思うとともに、戦前学者が書くものでおそらく一般人対象にしているものだと思えるような本でも、所謂編集というものがなく著者が書いたままを出版してしまっていたということ感じ、この本の評価において高くそれをしている人は大変優秀なるものか、文章を読んでいるのではなく見ているだけなのではないのかと思ってしまい、前者の数は普通に考えれば、後者の数よりも少ないはずであり、何も読めていなという人が格好だけをつけて評価しているのがほとんどだとしか思えないのである

2018-04-21

法律に詳しくない法学博士別におかしなことではない

三浦瑠麗の件。

https://buzzap.jp/news/20180420-lullymiura-law-knowledge/

東京大学大学院法学政治学研究科 総合法政専攻博士課程を修了し、法学博士を取得しているものの、三浦瑠麗さんは農学部出身で自らの肩書きも「国際政治学者」。実は政治学が主分野で、法律についてさほど知識がないのかもしれません。

なんか「法学博士なのに法律知識がないの?」って言ってる人がそこそこいて、Buzzap! までその認識なのは流石にどうなの、って思ったのでちょっと書いてみる。

まず、日本大学の多くでは政治学法学部で教えられている早稲田大学明治大学には政治経済学部があるが、東京大学京都大学慶應義塾大学北海道大学名古屋大学、など有名どころの大学はたいてい法学部の中に政治学科あるいはそれに準ずるものを持っている。

まりそれらの大学政治学を専攻した人は、法学について詳しい知識がなくても「法学部卒」になる学位も「博士法学)」とかになる。そういうところは学部の内側で法学専攻と政治学専攻に分かれていると思うので、法学部に入学たからといって法律教育を受けているとは限らない。

なので、法学」の学位を持っている人が全て法律専門家とは限らない。ひょっとしたらアメリカ政治研究者かもしれないし、ドイツ近代史研究者かもしれない。あるいは政治哲学を講じているかもしれない。そういった人たちが日本実定法について一般人よりは多少詳しいよね程度の知識しか持っていなかったとして、それはまったく不思議ではない。

学部学位名称と専門分野がリンケージしないというのは割と多い。たとえば歴史学哲学心理学なんかは多くの大学では文学部で教えられている(社会学なんかもここに入るかな)。結果として、博士文学)」(ただし文学のことはよく知らない歴史学者)なんてものが量産される。文学知識がないのに「博士文学)」を名乗っているのは別に彼らの責任ではなく、日本大学学位授与のシステムがそうなっているんだとしか言いようがないし、三浦瑠麗の「博士法学)」も同じことだ。

もちろん、デタラメな法知識知ったかぶってひけらかすのは恥ずかしいことだし、著名人twitterでそんなことをやったら炎上するのはしごく当然であり、その点で三浦瑠麗擁護余地はまったくない。存分に恥をかくべきだ。

だが、法学博士なのに法律について無知なのか、というような責め方あるいはあげつらい方をするのはおかしい。東大政治学を専門に学んだ者の学位が「法学」になるのは彼女責任ではなく単にそういうシステムだというだけの話であり、政治学について多少なりとも学術書を読んだことのある者なら経験的に知っている知識のはずである。そのような責め方は許容することができない。

あと農学部卒なことをあげつらうと小熊英二に返ってくるぞ。彼も学部農学部出で修士から文系の院に入り、現在ではちゃんとその分野の学者として認知されている。学部まで理系として過ごしても、その後文転して良い業績を挙げているのなら何ら問題はないはずだ。もちろん学部教育というのは専門知のベースになるものであるから、「違う学部だったの? ああ、道理で……」みたいな事例が多々あることは否定しないが、三浦瑠麗憎しのあまり理系から文系に移ってきたという経歴を叩くなら反対する。似たような経歴を持つ別の学者のために。

なんというかもう、お前ら、流れ弾やめーや。

2018-03-25

よく歴史勉強しろという文言について

ネットでも現実でも、上の様な文言を言い放って論破しようとすることがよく見受けられるが、本当に可能なのかと思う。自身の主張を塗り固めるためだけに資料の一部を取り上げ、好意的解釈するのは以ての外だが、中立的視点に立ち真実を学ぶということは、歴史資料解釈想像して生まれる以上、難しいと感じる。だから歴史学者というもの存在するのだろうが。

2017-12-05

そこそこの年齢まで童貞だった著名人を知るとホッとする

宮沢賢治とかニュートンとか。

ベートーヴェンもらしい。

でも昔過ぎるとあまりホッと出来ないんだよな。

最近だと、磯田道史って歴史学者を知ってホッとした。三十過ぎても童貞で、こないだ卒業したらしい。

どなたか存命の著名人でそこそこの年齢まで童貞だった人教えてください。目安は20代後半くらい。

人助けと思って。

それが僕の救いになるんです。

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