ネットでも現実でも、上の様な文言を言い放って論破しようとすることがよく見受けられるが、本当に可能なのかと思う。自身の主張を塗り固めるためだけに資料の一部を取り上げ、好意的に解釈するのは以ての外だが、中立的視点に立ち真実を学ぶということは、歴史は資料を解釈し想像して生まれる以上、難しいと感じる。だから歴史学者というものが存在するのだろうが。
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