「うたごえ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: うたごえとは

2023-01-18

anond:20230117163125

昭和平成前期の学校でのイベントは、社会主義教育に源流を持つものが少なくない

活動や学級会における反省告白連帯責任生徒会なんかもそう(「滝山コミューン1974」に詳しい)

フォークダンスもその一つ

フォークダンス日本で広めたのは、昭和30年代の「うたごえ運動」(歌ってマルクス、踊ってレーニン)だといわれている。

フォークダンス学校に取り入れられる必要なんかなかった

増田屈辱は全く必要のないものだったのです

2022-04-19

anond:20220419110401

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E8%AB%96%E4%BA%89

日本語ロック論争(にほんごロックろんそう)は、1970年代初めに起きた日本語ロック音楽関係性についての論争である

日本語ロック論争」は、日本語で歌うべきか、英語で歌うべきかが「議論」された。日本語ロックメロディーに乗らないという説に、英語であるミュージシャン海外成功目標英語は不可欠という論拠の内田裕也(と、その牽引していたフラワー・トラベリン・バンド)、グループ・サウンズ時代から活動するザ・モップス英米追随ながら本物のロック音楽志向という立場である日本語はっぴいえんどは[注釈 1]、その前身エイプリル・フールから移行発展するなか[注釈 2]うたごえ運動の流れを汲むボブ・ディランらに影響を受けたフォーク岡林信康ら、日本語で歌うアーティスト次世代音楽ポップス、またはニューミュージック)に進展する中起こった「議論」がある。

誰もが通った道なんや

2017-12-27

anond:20171227190811

あんリアル歌詞じゃないっぽいんだが

作詞作曲者の窪田聡は、1954年昭和29年)に開成高校卒業した後、合格していた大学に進学せず、文学を志して家出埼玉県うたごえ運動の中心として活動した。

この歌は1956年昭和31年)窪田二十歳の時に発表されたもので、家出当時、次兄を通じて居所を知った母から届いた小包の思い出や、戦時中疎開していた長野県長野市の旧信州新町地区の情景を歌詞にしたものとされる。

2012-12-19

アリとキリギリス

あついあついなつのひのことです

ありはみんなでちからをあわせて

それはそれはけんめいにはたらきました

まいにちねるまもおしんでけんめいにはたらきました

いっぽうきりぎりすはまいにちあそんいました

すきなことをやりつづけました

そんなあるひいっぴきのキリギリス

のしそうにうたをうたっていました

「ありさんありさんどうして

 どうしてこんなあついひに

 あせみずたらして

 はたらいているんだい」

「なにをいうんだ

 いまのうちにはたらいて

 おかないともうすぐ

 もうすぐさむいふゆが

 やってくるんだ」

「せっかくのあついなつに

 すきなことをしていないなんて

 つまらないじゃないか

そういうとキリギリスはまたうたいはじめました

こうしてさむいふゆになりました

いっぴきのアリがいいました

「きみははたらきがわるい

 すまないがきみにくわせるものはない

 ほかにいってくれ」

こうしておおくのありがおいだされてしまいました

いっぽうキリギリスもさむさにこごえていました

のこったアリたちはことしもふゆをこせたと

ばんさんかいをひらいていました

アリはいいました

「ばんさんかいのために

 うたでもうたってくれないか

こうしてばんさんかいにまねかれたキリギリス

なつにきたえたじまんのうたごえをひろうしました

アリたちはたいそうよろこんで

キリギリスにごうかなたべものとねるばしょを

よういしてくれました

いっぽうおいだされたアリは

いくあてもなくさむさのなかを

こごえていました

こんなよのなかいきていてもしょうがない

そういってしんでしまいました

めでたしめでたし

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん