はてなキーワード: 日本文学とは
人気エントリーより
[例1]
「日本スゴイ」と異世界技術チートは、どこか似ている - シロクマの屑籠
http://b.hatena.ne.jp/entry/p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20171123/1511428961
→一番人気のブコメ
xevra 日本スゲーは嘘だから問題なのだ。20年間全く進歩できず後進国に転落した日本にはもう凄いものなど無いのだ。無いのに有るかのように嘘ついて国民が誤解して、現状に満足して、さらに転落するから問題なのだ。
日本では当たり前の「漢文」に中国人驚愕「要求高すぎでしょ」 - ライブドアニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/news.livedoor.com/article/detail/13930639/
→一番人気のブコメ
mahal 傍目から見たら「その時間で中国語教えろよ」なんだろうけど、日本文学の素養とか日本史の史料とかを大学レベルでちゃんと読もうとするなら、漢文読めないとどうにもならないとか、そういう事情は割と伝わりづらい。
[例2]
ようやくわかった。アベノミクスとは「社会主義化」のことだった(宿輪 純一) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
http://b.hatena.ne.jp/entry/gendai.ismedia.jp/articles/-/53509
→一番人気のブコメ
giyo381 もともと世界一成功した社会主義国って呼ばれてたよね。株式持ち合い時代もコーポレートガバナンスとかなかったし。正直寝言がすぎる
アベノミクスとは「社会主義化」ではありません - Think outside the box
http://b.hatena.ne.jp/entry/totb.hatenablog.com/entry/2017/11/23/195549
→一番人気のブコメ
まあ、何々と同じなんでしょ?って言ってる方はぶっちゃけジャンルの話をしてるんであって
日本文学は全部日本書紀のパクリでしょ?みたいなことを言われようがそこは否定しようがない事実だから無言で頷く他よりない
(海は全ての生命の母でしょ?と言われてカチンとくる必要も反論する必要もないように一言そうだねというだけで良いのと同じ)
(創作物は作られる前段階で他の創作物と全く被ってないのかチェックされる以上は何らかの過去作品の影響を必然的に受けるものであると認識するべき)
作品にとって最も重要なのはビジネス的側面から言えば売上(利益率)であり何がルーツかはどうでもいい(勿論特許侵害に値しない範囲での活動に限る)
そして消費者サイドからしたら「どれが一番買いたいのか」でありこれまた何がルーツかどうかは極めてどうでもいい
仮にもしうる星と同じなんでしょ?(いつまでそんなもんみてんだバーカ)と言う意味で言ってきたとしても
それと深夜美少女アニメを見たいと思っているユーザーの気持ちとは何ら関連性がない
ジャンルとしてルーツがそうであったところで購買者の購買欲の有無とそれとは何ら関係性がない
同じジャンルならどの歌手・曲も大好きなんてやつがまずいないのと同じようにジャンルが同じだからといって購買欲が上がるかどうかは人それぞれ
同じものだから飽きる・同じものだから続けられる、そこは個人レベルの問題でありうる星がルーツかどうかは関係ない
なのでこの発言に同意したところで購買欲を否定できるものではないし、購入動機が消失するわけでもない
単にジャンルのことに対して問うているに過ぎない質問に正しい返答をすればよろしい
公表された(と見なすべき)作品を自由に利用できるかどうか、そして作者に不快な感情を抱かせる利用形態についてどう対処すべきか、実用的な面から考えてみたい。
http://hibi.hatenadiary.jp/entry/2017/05/28/130000
上記の記事では、「公開」「半公開」というカテゴリを作り、後者の「ネット上にあって、閲覧資格を制御することによって、公開のあり方に制限がかかっている」場合には配慮が必要だとしているけど、ポイントはそこではなく、「個人のコンテンツ作成者が公開状態を自由に制御できる」という点ではないだろうか。「公開」「非公開」を自由に制御できるというウェブサイトのあり方は、学術の世界の中ではあまり想定されていなかったことで、現時点で有効な対処が出来ているとはいいがたい。
例えば、
http://anond.hatelabo.jp/20170525145352
NHKウェブ版の記事を引用するときとか、政治家の人のホームページを引用するときとか、めちゃくちゃ大切な情報が書かれている個人ブログを引用するときとか、くっそ面白いウェブ小説を文学作品として研究するときとか、Wikipediaにデタラメが書かれているから批判したいときとか、そういう個々のコンテンツそれ自体に価値があって第何版を見たのかが大事なときにはURLは必須だし閲覧日も載せるべきです。
これは至極真っ当だし大抵のガイドラインにもそう書かれていると思うけど、Wikipediaみたいに過去の版にアクセス可能なウェブサイトでもない限り(=ほとんどのウェブサイトにとっては)、意味が無い。過去にどういう情報が掲載されていたとか実質的には検証不可能だからね(魚拓を取って魚拓のURLを載せるとか、著作権法的に大丈夫なんだろうか)。個人が個人の責任において公開するコンテンツにおいては、「気持ち次第」で公開を取りやめてしまうケースだって考えられるわけでしょ(もちろん企業のウェブサイトにおいても考えられるが、ここでは取り扱わない)。だから、研究に使用することによって「非公開」(=利用不可)とならないように許可を取るべきではないだろうか。
このような考えは、例えば「腐女子にとって二次創作小説は著作者の人格と切り離せない云々」という説明よりは遥かに納得しやすいと思う。(もちろん、腐女子に限らず(今回のケースでも全ての作品がBLではなかったように)個々の作者の事情を理解する/理解してもらうことは必要かもしれないけど、納得してもらうのにはかなりハードルが高い。)そして、今後想定されうるであろう、「Webで公開された二次創作小説を文学的研究対象としてガチで研究する」ケースにも対処できるんじゃないだろうか。
ちなみにだけど、「ものごとをうまくまわすための配慮」なんてのは古典に限らず近代でも現代でもやってる。遠巻きに「研究」するのなら著作者を怒らせようが何しようが構わないんだろうけど、例えば著作者や遺族から、作品の成立にまつわる資料を得ようとする場合、彼らとうまくやっていく必要があるわけなんだよね。
ただし難しいのは、「私の配慮」が「相手にとっての無礼」と受け止められるケースがあるわけで・・・。そうなってしまった場合、「配慮してますよね!」「この無礼者が!」と延々と殴り合わないようにじっくり話し合ってくださいね(無理な場合もありますけどね(体験談))
クリスチャンになると自然と自然科学に興味が湧く(ダジャレ事故)。
光文社からたまたま出てたダーウィン『種の起源』が分かりやすく面白かったため、自然科学の古典を読んでいきたい。
あと社会科学系の本ばっかり読み過ぎて飽きてきたのもある。
『星界の報告』の新訳。望遠鏡で観た星空の様を感動と共に書いた本、らしい。あと地動説が論じられてるとか。
ニュートンの『プリンキピア』を中学高校レベルの数学で平易に解説した本、らしい。別にこの本じゃなくてもいいんだけど、要するに『プリンキピア』に何が書いてあんのかをざっくり知りたい。
チャンドラセカール『「プリンキピア」講義』なる本も定評があるらしいが、難解らしいので警戒している。
図書館で解説だけ読んだら、あの難解な宮沢賢治の内容がものすごく分かりやすく解説されていて驚いた。本作はその解説(読み方)に従って作品を配列した全集。
といってもどう見てもキリスト教に引っ張られた解釈(「完全な自然と不完全な人間の対比」)で、どこまで鵜呑みにしていいのか分からんけど。
ちなみに有名な『雨ニモマケズ』は、昔からキリスト教っぽい詩だなぁと思っていたのだが、モデルの男と目されている人物(斎藤宗次郎)がクリスチャンらしい。ホントかどうかは知らんが興味深い。
ブコメで勧められたのを検索してたら発見。人生をやり直したいという主人公に神が答えるシーンがものすごく良い。
ドストエフスキーのデビュー作。といっても彼が社会主義者で、ゴリゴリのクリスチャンになる前の作品。なぜか光文社から新訳が出た。
どうも金と愛の話らしい。
クリスチャンになる前はマルキストだったので、この本には昔から興味があった。
古い訳で分厚くでかい本しかなかったので敬遠していたのだが、このたび何故か新訳された。マルクスブーム万歳である。
ついでにヒルファディングの『金融資本論』も新訳してください。
とりあえずこんなところ。
主に就職面において全く役に立たないという致命的弱点を持つ文学部。まだ英語文学とかは語学という点でビジネスに使えるけれど、日本文学やら日本史専攻やらは果たしてどう就職に役に立つのか。変体仮名が読めるスキルを主張するより、経済学部で経済学を学んだスキルを主張した方がよく見られるだろう。
学習において学ぶ姿勢や精神が身についたとは主張出来るが、それは他の文系学科だって同じことだ。他の学科はそれにプラスαして学んだことが実際就職において、面接官に会社で役に立つと思われ易い(実際役に立つかは置いといて)
「文学部なのに何故この業界を選んだの?そっち行けば?」…面接官によく聞かれる言葉である。実際文学部が有利な就職口なんて本当に雀の涙なのだが…
そんな学部に行ったおまえの自己責任だ…なんて言葉は真っ当だが少々乱暴であるとも思う。それは薬物中毒者だけを責めるようなものだ。売人を責めていない。就職に役に立たない学部をなんの対策もせず放置してる大学側も幾ばくか問題あると思う。
正直文学部の意味=大学を卒業したレッテルだけが欲しい奴の居場所に成り下がっている気がする。元に理系の推薦落ちて仕方なく文系に来たという奴を何人か見たし。
文学部が有利な就職口なんて教師(少子化で学校が少ない&ブラック)、出版社に図書館司書に学芸員(どれもエグすぎる倍率)ぐらいだろう。実際文学部出でも金融とか全然学部関係ない業界に行くことが多い。なら他学部の方が就職有利でいいじゃんって話になる。資格取るのだって例えば簿記とかは他学部の方が単位になるし。
就職の話しかしていないがその理由は重要なことだからである。生きていくためには仕事をしないといけない。大学は、特に近年は学ぶ場というよりは就職しやすくする為に行く場所という側面もあるだろう。4大卒だけ求人してる会社もある。その利点をぶち壊す文学部。
だからこれは本当に極論だが文学部なんて一部の実用的な学部以外なくしてしまっても良いのではないだろうか。そうすれば就職にまだ有利な文系学部に行くしかなくなる。ただでさえ就職戦争がどんどん厳しくなっている今、少しでも就職に有利な学部に入れた方がいい。学力不足で入れないにしても高卒で仕事に就いた方がまだ時間と金の節約になるだろう。大学の学費も年々高くなって奨学金破産なんて言葉もあるし
文学を学べたこと自体は楽しかったし人生観も変わった有意義な時間だったのだが、仕事に就けず、生きていけないとなると「じゃあもう学ばず趣味にしておいた方が良かったのでは?」と最近思ってしまうのである。
■あじあ の しゅしょく は こめ です
■湖[みずうみ]に ツル がいますよ。
■水面[みなも]に 月[つき]が 映[うつ]っている ね。
■彼の話を聞いて 不愉快 になった。
■ここ は さくら の めいしょ です
■毎朝コーヒーを飲むのが 習慣 です。
■ポテトサラダを 作[つく]るから、ジャガイモを 買[か]ってきて。
■雨降り で月が見えなかったね。
■ 変 な音が聞こえます。
■きのう すてき な どれす を かいました
■彼[かれ]は 壁[かべ]に 耳[みみ]を くっ 付[つ]けて 隣[となり]の 話[はなし]を 聞[き]いていたの。
■この 鞄[かばん]は 重[おも]たい です。
■友達[ともだち]はそのカップルを 冷[ひ]やかした んだ。
■ぼくは 無論 きみに賛成だ。
■その 病室[びょうしつ] はとても 広[ひろ]くてきれいだった。
■かれ は つり の めいじん です
いつのまにかネット上には「やれやれ。僕は射精した。」とかいっときゃ
寒いしださい。
スピッツの話をしたらいまだに「空も飛べるはず」を歌いだすやつのように、
ピアノといえば「月の光」しか知らないくせに語りだす奴のように、
日本文学といえば「人間失格」を読んだととくとくと語りだす奴のように、
寒い。
誤解しないで欲しいが、初期作品、あるいはメジャー作品が好きだという人間を馬鹿にしているのではない。
そうじゃなくて、それしか知らない癖にそれを恥じもせずパロディネタを口にする人間を軽蔑している。
03年頃の村上春樹風スレは、村上春樹読者の愛をもって語られていた。
http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/gline/1045924385/
それを、ここ数年の低劣なまとめサイト文化に踊らされた連中が、
読んでもいない村上春樹を語れると思い込んで口にするのが「やれやれ。僕は射精した。」である。
あたりまえだけど20年以上も経過して文体もかなり変わってるんだが、たぶんそれを比較する程度にさえ知識ないよな。
うんざりだ。
http://anond.hatelabo.jp/20150906074938
寝て起きたらブクマが3桁近いとかなんの冗談ですか。休日の朝書いて夕方まででトラバ2件だけだったじゃないですか。あれでオチた話じゃなかったんですか。
みんなでアラサー女いじるのがそんなに楽しいのですか。よよよよ。
まあ楽しいでしょうな。楽しいっていうかモノ申したくなる感じではありましょう。突っ込みどころの多い人生を送って来ました。
で、
一通り目を通しまして、まずは自分の書いたことを真剣に読み直して反省した次第であります。
確かに、配偶者を扶養に入れて専業望んで稼ごうという人間は家計を預けて小遣い制にしてる人が多数派ですね。
月の小遣いを考えた結果、化粧水とかファンデーションとかの化粧品がだいたい月3500円、クレンジングとかシャンプーとかが月4000円くらいなので必要最低限で月7500円、一応被服費で月に1万円くらい見てもらって合計1万7500円というところです。あとあれか、月の病院プラス薬代が1万5000円で結局は3万2500円くらいかかります。
普段飲みには行きません。なぜなら飲めないから。去年は忘年会と部署の集まりで年合計2回だけ行ってノンアルビールでお腹がぼがぼにしてました。これは悪いけどその都度臨時小遣いで出してほしい。
普段あまり遊びにも行きません。前述のヘンテコな病気の関係でさほど出歩きません。本当は区営の体育館というかジムというか、あそこに行って運動したいんだけど。そういうの付き合ってくれる方素敵です。ジョギングとかもしたい。
普段おたのしみ系の買い物は…すいません今は結構してます…改めます…本は図書館で借りて手元に置きたかったやつだけ買ってるのでそんなにかかりません。たぶん。あとあれだ、長い連休とか犬を愛でに実家行ってます。交通費かかっちゃってます…
あとやっぱ普通に収入少なすぎって話になりますね。というかその分原則定時っていうアドバンテージがあるわけだから、やっぱり私が家事に慣れた方が話が早いってことになる。
……トラバの返答でも書いてますけど、掃除が壊滅的で料理の効率が終わってる感じなんですよね……とりあえず部屋のモノを減らします………料理本も買います………
あとは雑談です。
まずダニー・エルフマンつってその写真を持ってきた方絶許。オインゴボインゴ時代のPVもっとかっこいいのに!!1!「時計仕掛けのオレンジ」ぽいのに(顔が)!1!!あと生声が最高だったんですこないだのライブで!!1!還暦越えであの声だよ。もうどんどん気持ちが偶像崇拝に近づいていっちゃいますよ。
大型犬グレートピレニーズいいですねー!でも首都圏だとちょっと暑くてかわいそうかもなー。実家がもっと北にありますけど、近所のバーニーズちゃんとかハスキー君とか夏大変そう。でもかわいいだろうなあでかい犬。背中に乗せてくれなくてもいいから添い寝してほしい。
部屋は日当たり最悪だけど駅からとても近いんです。5分かからない。割と閑静。周辺にもいろいろ(病院とか郵便局とか)揃ってます。
掛川花鳥園デートは憧れです。上野動物園とかもいいですね。あの辺は美術館もいっぱいあってステキ。デートで思い出したけど割り勘派です。おごられるの苦手です。食事おごられたために一気に「この人とはダメだ」になったことがあるくらい苦手です。トラウマです。
子どもがほしい理由なんですが、正直好奇心としか言いようがない感じです。「好奇心で人一人産もうとか考えるな」というのはごもっともなんですが、具体的な相手がいない現段階ではマジで好奇心ぐらいしか動機が見当たらないのです。
本はミステリーとかSFとか海外文学とか読みます。今図書館から借りてきてるリストだと『ドリフトグラス』とか『ロールシャッハの鮫』とか池澤夏樹の日本文学全集の『古事記』とかあります。ウィリアム・ギブソン好きです。『ニューロマンサー』最高です。
追記:
うわあ。やだなーやっぱり書かなきゃ良かったなー「子どもがほしい理由」。
こういうのってだいたい世間的な正解が決まってて(「この人の子どもがほしい」と思える相手に出会ったので、とか)、そこ外すとめっちゃため息つかれるからなー。というかため息つくために聞いてくる人おるねんからな。イヤミやなー。
ええやんけ「好奇心」。子どもいるってどんな感じなんかなって思うやん。「自分の子ども」ってどういうもんかなーってな。少なくとも「この人の子どもがほしい」なる感覚よりは圧倒的に想像しやすいんじゃい。
あーでも一気に萎えてきたわな。アホらしなってきた。ため息ひといきで吹き飛ぶんやからかわいそうなもんやな想像の我が子よ。はよう受胎したらんと、キミは母の想像通りになることも想像を大いに裏切ることもできん。
そう思うと萎えてるというのに余計に子ども産んでみたくなる。子どもいるってどんな感じなんかな。「自分の子ども」ってどういうもんかなあ。
笑止。
それでも嘘はついていないの。私の大学でのあだ名はローラ。ロシアと中国のダブルの母とミャンマーと日本のダブルの父を持つ私はどこをどう見ても外国人。
ちなみに母方の親戚が住むロシアには長期休暇には帰るが幼稚園から日本に住んでいる。日本語はお茶の子さいさい。ついでにいえば学部こそ理系だけど、日本文学を学ぶサークルに入っている。こんな顔して中原中也の詩集が愛読書。そして極め付けはこの根暗な性格。出来ることなら人と話したくない。SNSの類も一切していない。本を読んで、お腹が空いた時に寒天を食べ、気がすむまで眠りたい。
だが、周りはそれを良しとしないらしい。イメージと違うとよく言われる。もっと可愛い子だと思った、なんて言われる。本当にもう失礼しちゃうわ。私に理想を押し付けないでよ。
ほら、今もこうやって駅のホームで中東からの観光客らしき人がチラチラ見てくる。英語なんて人並みにしか話せないわ。第3ヶ国語なんて無理なんだから。私に期待しないで。あー本当にここは息辛い。
http://twilog.org/kazu_fujisawa
・芥川賞受賞の火花に続き、『ぼく愛』が日本文学カテゴリー2位です。200%の恋愛小説で、日本の文学会を盛り上げていきたい。
・芸人が芥川賞を取って、いろいろと批判もあるようだけど、これをきっかけにみんなが文学に興味を持ってくれると嬉しいなぁ。
・エンジニアリングやビジネスの世界にいると、評価はマーケットで決まるというのが身についているから、◯◯賞みたいなのって、子供相手に偉い先生がご褒美あげてるようなものにしか見えないんだよな。学生のビジネス・コンテストみたいな感じのやつ。
・そもそも自分が世界で一番で、それを評価できるのはマーケットだけなんだから、自分より偉い人がいるという上下関係みたいなものが前提の賞なんて、ダサいだろ。
・いや~、学会の賞とか、誰がこの村の偉いやつで、そいつがいろいろ決めるんだぞ、ということを知らしめるための儀式みたいなもんだったよ、マジで。文学賞とか、知らんけど、どう考えても、構造的にクソな臭いがする。やっぱりフェアなのは金だよ。金。Show me the money!
・Amazon日本文学カテゴリーでは1位だけど、文芸総合では、スティーブン・キングに抜かれて2位になってしまった…。ハァ。
・僕もはじめて文学作品を書くに当たって、文学を勉強しようと思って、原著を読み始めたんだけど、文章がこなれてないし編集がダメで、くっそつまんなかったけど、このシリーズで、すげー短期間に文学が勉強できたよ!> 金融日記 まんがで読破シリーズ
・英文学の教授とかインド哲学の教授とかの年収なんて200万円ぐらいで十分。
・小説を書くのに参考になると思って、夏名漱石とかいろいろ読んでみたけど、読みにくい上に、みんな、くっそつまんなかったわ。
・まあ、僕のは文学ですけどね。 @tabbata 藤沢数希さんの小説って、なんだか、ロバート・キヨサキに似てるんだよね。
・最近の文学は、全く面白くない。理由は簡単で、もはや「IT」無しで成り立たない現代の日常を誰も描いていないから。ITで繋がる、出合う、可能性と広がり、現代をリアルに描くには、新しい文脈が必要だった。遂に藤沢数希氏が開拓してしまった。(信者ツイートより)
だが実は、強烈な非モテコミットのストーリーです。非モテコミットした主人公が負けて、不倫してる奴がモテたまま終わる。極めて現実的なストーリー。
20世紀の恋愛工学小説がこれなら、21世紀は『ぼくは愛を証明しようと思う』だね (信者ツイートより)
・藤沢数希氏の新著を読んだけど、この10年で最高の文学だ。この10年、誰も、ITで自由に繋がり個人がコミュニケーションする現代を、描けなかった。個人が自由に繋がり、出会う可能性。一見チープに見える「恋愛工学」というフロント看板は、作者の照れだろう。芥川賞のレベルを遥かに超えている。(信者ツイートより)
・文豪や村上春樹の文章を文学だと思っていると、文学ではないと思う人が居るかもしれない。だが凝った表現を使わないと文学ではないなんてことはない。100年後に読まれてるのは村上春樹じゃなくて藤沢数希かも。(信者ツイートより)
人によって色々あると思うけど、純文学って「個の狂気」だと思ってた
まあ火花のことだけど、編集者の手で添削された小説を「純文学」として売り出すことに疑問を持つ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150717-00000046-sph-soci
そして、ある日「火花」と名前の付いた縦書きのワードファイルでメールに添付され、送られてきた。一読し「コレが載ったらウチの雑誌は完売するな」と確信しつつ、編集者として意見を伝えた。不要なシーンはカットし、登場人物を加え、4、5回と改稿。又吉は掲載の直前までゲラを真っ赤にした。
芸人が書いた小説だけに、既存の文学から外れた異質な作品を期待していた自分としては、残念以外にない
ただの小説家養成学校に通って、何とか形になった凡百の作品と大して違わなかった
よく芥川賞も商売なんだから、なにマジになってんの?的な意見を聞くけど、それは違うと思う
つまり、芥川賞は、直木賞とは違う「何か」を背負った賞として最初から運命付けられた存在のはずだ
芥川賞の選考委員はきちんとそのことと向き合っているのだろうか?
日本人はアルバート・アインシュタインというように欧米人の名前は名姓の順で呼ぶ。アインシュタイン・アルバートじゃない。その一方で、BBCとかCNNとかの海外ニュースは東洋人の名前をMao Tse Tung(毛沢東)というように基本的にその国の文化圏の順で呼ぶ。Tse Tung Maoじゃない。
だけど、我々日本人が英語で自己紹介するときはTaro Yamadaと本来とは逆に名乗るし、BBCは安倍晋三をShinzo Abeと少なくとも日本人については逆に言う。これが普通だと思っていたのだけど、米国の大学において日本文学について教える時は、Natsume Sousekiで、Chikamatsu Monzaemonで、Hikaru Genjiらしい。
これは「日本人の英語」という本にかかれていたことで、この日本文学をアメリカで勉強した著者は日本に来て初めてソウセキ・ナツメという言い方に出会って最初は誰のことか分からなかったといっている。そして、欧米の中で日本人については姓と名に混乱があって、それが我々が変に気を利かせてしまっているせいなのだから、日本の国際化の為には明治以来の逆に名乗る習慣をやめたらいいじゃないか?と提案しているんだけど、本当にアメリカ人は日本の名前文化は名姓の順だと誤解しているのか分からない。
気になってしょうがないんだけど、いま身近に外人が居なくて聞けない。とりあえず、メールではYAMADA Taroと書くようにすればいいのかな。
中学三年間で集中して詩集を読む。海外の古典。シェークスピアなど。
創作は、思いきって漫画を描く。早めに画材を揃えて漫画友人を増やす。
高校三年間は、古典の小説に移行。日本文学でも、海外文学でもたくさん読む。
流行の漫画はあまり繰り返し読みしない。もっと多くの漫画を知り、多くの漫画家を知る。
大学では、バイトで金をためて、流行りだしたバックパッカーで海外旅行。
東南アジアなどをうろつく。出版社持ち込みなどの暴挙に出るのもこの頃。
社会人では、もっぱら趣味で漫画と小説、時々油絵や刺繍など趣味を広げる。
http://anond.hatelabo.jp/20141001193557
ライトノベルと言うと、表紙と挿絵にアニメ風の美少女イラストが入った内容の軽い低俗な本、がすぐ思い浮かぶだろう。
雰囲気としては合っている気がする。僕の読んできたライトノベルもだいたいそんな感じだった。
でもとりあえずは、無用な誤解をさけるために定義付けをしっかりしよう。
だけど、すぐに反証が見つかる。
例えばここに、さっき本棚を一分漁って見つけた佐々木マキのイラストが入った村上春樹の『カンガルー日和』がある。
この本が刊行された時、日本文壇は春樹は文学ではないと言っていたかもしれないけど、少なくともラノベとは言えない。
それに、児童文学はイラストが入っているのが一般的だから、イラスト=ラノベとはいえないんじゃないだろうか。
じゃあ内容が低俗だとか軽いのがラノベだ、ということだろうか?
いやそれはおかしい。シドニィ・シェルダンの『空が落ちる』は一般小説の棚に置いてある。
紅玉いづきの『ミミズクと夜の王』のイラストはどう見てもアニメ絵じゃないが、ライトノベルを名乗っている。
(表紙がアニメ絵の一般小説もちょっと名前は挙がらないけど、本屋でたまに見かける)
こんな感じで、ラノベがラノベである理由はおよそはっきりしない。
はっきりしているのは、ラノベであると名乗っている出版レーベルが幾つかあり、それについて一般的にラノベであると認められているという状況のみである。
こんなわけなので、定義はラノベのレーベルから出ている本がラノベだ、ということにしておくのが妥当だろう。
だから筒井康隆がラノベのレーベルから小説を出したらラノベになるし、『百瀬、こっちを向いて。』の中田永一がラノベを書いたらラノベになるし、中島梓がラノベのレーベルから本を出したらラノベになる。
大江健三郎が児童文学だと言いはって『二百年の子供』を書いたら児童文学になったように、大江健三郎がラノベのレーベルから小説を出したらラノベになるだろう。
その通りだ。
しかしそういう人は、日本文学が垂れ流した私小説という肥やしにもならない糞の山のことはどう考えているのか。
僕が言いたいのはつまり、未来のノーベル文学賞作家がラノベから出ないと誰が言い切れるのか、ということだ。
いや言い切れるはずがない。
さっき書いたように、ラノベがラノベであるのはレーベルの問題であって、その内容だったり作者には関係が無いからだ。
そんなものはない。
ラノベを馬鹿にしている人は、ハリーポッターが児童書版で出たら恥ずかしくて買えないのに一般書版で出たら買う人たちだ。
そういう人は自分の力で、自分だけの「ハリーポッター」を発見することは絶対にできない。
そういう人は本当に面白いものを見つけることも、それを評価することもできない。
男のアナルから赤ちゃんが出てくるようにならないと男女平等は実現しません。
そこを屁理屈で同一のものと見なすからキチガイになってしまうのです。
欧米の女性は性欲処理とピストルの弾除けとしてのみ使われていた期間が長かったので
家庭や医療福祉の業界、公共地域社会における地位が高い日本の女性と違って、
成功とは男と同じことをすることだとしか考えられないのではないでしょうか。
おっぱいは男女平等です。乳が出てくる男性も居るらしいですし、
また一つ賢くなりました。ありがとうございます。
「こうあるべきだ」という理念を軸にするのではなく、
時間と体力という、限りがあるリソースを分配するという観点に立つなら・・・
欧米の男女平等は「男も女も同じことをする」発想に立っているので
女性固有の負担の上に男性が行っていた負担を積み重ねるという結果となる。
見かけとしては男性と女性は同じ地位・権限・自由を手に入れたが、実際には欧米型男女平等は男だけが楽になった。
日本においては女性管理職が少ない、女性の賃金が少ない、女性は非正規雇用だらけだと統計数字しか見ない
欧米と日本のお馬鹿から批判されているが、そもそも身体構造や生殖機能が男性と女性で違うので、適用される法律も違うし、そうなると役割も違う。
労働基準法、育児介護休業法、男女雇用機会均等法などの労働法規で男性よりも取り扱いに制約が多い女性の待遇を男性並みにしようとするなら、
さらに資金を投入して女性に下駄を履かせるか、男性の待遇を女性並みに下げるしかない。
男性よりも出来がいい、家庭に入ると勿体無いという女性がいるのは、試行錯誤が許されるほど資金に余裕がある企業や元々女性労働者が中心だった業種および企業、
男女の身体的差異がハンデにならない頭脳労働や事務作業をする業界職種で多い話。
昔の日本は共働きだったと言うが、親世代と同居して子育てをアウトソーシングしやすい環境だったこと。
専業主婦と同様に、親元から遠く離れて核家族世帯を築くライフスタイルも戦後の一時期のみだったという史実には目を塞ぐ。
企業が従業員に対して転勤などをさせにくくなるから、誰も声を上げないのである。
出産や産前産後の身体的不自由を背負う代わりに企業での正規雇用(義務)を免除され、家庭における女性の地位を日本社会から承認されてきた。
欧米と違って日本女性は管理職や政治家などという形で男性ほどの活躍はしておらず、それがお馬鹿のメガネには女性差別に映る。
しかし個人の負担「量」という観点で考えると日本における男性と女性はイコールであるか、まだ男性の負担のほうが大きい(自殺者数などから)。
世界からは差別されているように見える日本女性は生活に満足しており、もともとの女性固有の負担の上に男性と同じ役割もしなくてはならなくなった欧米女性は生活に不満である。
「文学」という言葉の定義を、もう少し広げるか狭めるか、ハッキリさせた方がいいんじゃないかね。
定義を狭くして、いわゆる「フィクション」を楽しめないという人は一定いるわけで(たとえばウチの兄貴は、映画というものが金輪際楽しめない、という。理由は登場人物を見ていると、その行動の非合理性にイライラさせられるからだそうだ。)、面白くないものを無理に面白がろうとする必要はないと思う。堅苦しく難しい「フィクション」というのは、そういう趣味の世界にはあるかもしらんけど、まあ必需品ではないし。
また、例に挙げられている「ニホンブンガク」はもう少し定義が広く、「文学は社会の教師たるべし」みたいな時代の産物なんだよね。哲学・社会問題・警句・歴史・神話・劇、などなど、さまざまな要素を加味して楽しまれていた総合芸術。表現技術や技法というのもその中にはあるけれども、単なる言語芸術以上の何かを含んでいたもの。そういう意味での「文学」には、社会で生きていて、人文系の問題領域に関心があれば、どこか引っかかる作品や作者があるだろうと思う。優れた作品も、時代性を背景にしている部分は大きいので、たとえば日本が新興国として成長とその限界の予感にあった時代の雰囲気を抜きにして夏目漱石を読んでも当時人気を博した理由は分かりづらいだろうし、社会の逼塞の度合いを抜きにして横光利一の「機械」やその文体の面白さも分からないだろう。また、大正の退廃から戦時下にかけての日本の時代風景を抜きにして太宰を読んでも、本当のところ何やら分からない部分があっておかしくないと思う。「御伽草子」なんか、戦時の言論統制下で発表されたということを理解すれば、相当面白い。(これは、実際当時の人が「戦時下で次々大家が筆を断ったころ、太宰の御伽草子だけが『文学』を求める乾いた心を癒してくれた」といった類の感想がある。)
もちろん、そんな中にも、時代を超えるような「何か」に触れた作品というのもあるわけで、同じ作者のものでも「こころ」や「春は馬車に乗って」や「人間失格」なんかはそういう部分を大きくもつ。だから、日本文学に世界性がない、ってこともないと思うよ。
とりあえず、増田は、太宰よりは坂口安吾、芥川よりは谷崎潤一郎を読むべきじゃないかなあと思う。現代文学でいうなら、村上春樹より村上龍を読んでみたら、っていう程度のアドバイスだけど。まあ、あんまりいい喩えじゃないんだけどね。
ぼくは外国の文学好きで読みまくってるけど、日本文学はほんとにつまらないと思う。好きな作家なんて数人しかいない。海外の小説読みなよ。肩慣らしに19世紀小説から読むのがおすすめ。日本文学ははっきりいってつまらないよ。日本文学ならまずは大江健三郎を読んでみるといいと思う。なんだかんだいって世界クラスだから。大江がだめなら文学向いてないってことだと思う。そしたらあきらめてエンタメ小説読んでたらいいよ。読書にも適性ってあるし、文学が向かないってのはある意味幸せなことだと思うよ。実際、日本では純文学なんて廃れてるしね。もう文学なんて必要とされてないんだわ。