人によって色々あると思うけど、純文学って「個の狂気」だと思ってた
まあ火花のことだけど、編集者の手で添削された小説を「純文学」として売り出すことに疑問を持つ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150717-00000046-sph-soci
そして、ある日「火花」と名前の付いた縦書きのワードファイルでメールに添付され、送られてきた。一読し「コレが載ったらウチの雑誌は完売するな」と確信しつつ、編集者として意見を伝えた。不要なシーンはカットし、登場人物を加え、4、5回と改稿。又吉は掲載の直前までゲラを真っ赤にした。
芸人が書いた小説だけに、既存の文学から外れた異質な作品を期待していた自分としては、残念以外にない
ただの小説家養成学校に通って、何とか形になった凡百の作品と大して違わなかった
よく芥川賞も商売なんだから、なにマジになってんの?的な意見を聞くけど、それは違うと思う
つまり、芥川賞は、直木賞とは違う「何か」を背負った賞として最初から運命付けられた存在のはずだ
芥川賞の選考委員はきちんとそのことと向き合っているのだろうか?
芥川賞って昔っからただの文壇政治の道具じゃないのか?
商業誌に載ったものである以上、編集の手で添削されてるのは当たり前だと思うんだが…他の作品もそうじゃないの? ラノベの賞とかだったら一般公募だけど、これは元々商業で発表さ...
笑