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はてなキーワード: 嘲笑とは

2020-07-18

人生一発逆転したいという欲望

 人生一発逆転したい、という欲望がある。

 自分を見下してきた人間を一発逆転して見返したい、とも言い換えられる。



 思えば、この欲望に取り憑かれるようになったのは、中学生の頃だ。

 しかし、事の始まり小学生時代まで遡る。

 私の小学生時代は暗い。私は、醜い顔に生まれ、些事を大袈裟に捉えては珍妙な動きをする子供だった。小学校は、そういう子供が何事もなく健全自我を育める場所ではない。加えて、私は運動神経も悪く、体育は晒し上げの場として機能した。

 周囲の子供は私を、音の鳴るおもちゃとして扱うこともあったし、いじめ対象として嘲笑うこともあった。「こともあった」と濁しているのは、いじめ対象とならない期間もあったかである。ただ、当時から既に存在したスクールカーストは、いじめがあろうがなかろうが、常に私を下方に位置付けた。

 ともかく、小学校6年間かけて、私は、「人よりも劣った存在」という自己認識を獲得した。

 この自己認識が一転したのが、中学校最初テストである最初期末テストで思いがけず良い成績を取ったのである

 小学校時代、私はお世辞にも良い成績とは言えなかったため、仰天した。あれだけ自分を見下していた面々が、テストの点という尺度では私よりも下位にいたのである

 この成績は幸いにもまぐれではなかったようで、後のテスト継続して良い成績を取り続けた。

 すると、何が起こるか?

 あれだけ自分を蔑んでいた面々が、「勉強を教えてほしい」「お前は成績がいいか高校選べていいよな」等と言いに来るようになるのである自分馬鹿愚鈍だと嘲笑っていた彼ら彼女らの顔面が、悔しさと羨望に塗りつぶされていく様子を、目の当たりにした。

 私は味を占めた。人生一発逆転、最高。

 この胸のすく思いをもっと味わいたい。

 これが人生一発逆転したい、という欲望に取り憑かれたきっかである

 私は、この欲望を追いかけて、追いかけて、追いかけて、やがて大人になった。



 ……



 欲望に忠実に行動した結果、私は、「順調に人生を歩んできた奴」になってしまった。

 人生一発逆転の醍醐味は、ビフォアフターの上昇率にある。「あいつ、どうでもいい奴だよな」と言われていた人間が、ある事柄を機に上昇気流に乗り、一気に空へと吹き上がる。それを地上から見上げる人々の顔を空から眺めるのが気持ち良いのだ。

 ずっと人生一発逆転を必死に追いかけた自分は、大成功はしていないけれど、そこそこ順調だ。ただし、ほぼ能力限界まで努力をしてしまったので、もう大幅な上昇は見込めない。もはや、天空をふわりふわりと飛んでいる他人を、屋上から見上げることしかできない。

 今から私が能力限界を超えて何か事を成したとしても、それはある意味「順当だ」と見なされてしまうだろう。裏でどれだけの汗と涙があったとしても。

 逆に、今でも下にならどこまでも落ちることができる。つまり、「人生逆転される側」になってしまった。しかし流石に、誰かの人生一発逆転のために、わざわざ屋上から飛び降りようとは思わない。



 人生一発逆転したい。自分を蔑んだ奴らを見返して、胸のすく思いをしたい。そう思って周りを見渡しても、蔑んだ奴らはとうの昔に、散り散りに去っていった後だった。

ネットでの誹謗中傷を身近に体験した時の話

 その頃まだSNSは今ほど隆盛ではなくて、ネット上で匿名をたてに誰かを悪く言うといえば、定番ひとつとして掲示板サイトがあった。

 当時、というかそれよりずっと以前からあったのを私が知らなかっただけなのだが、活動していたジャンルで、同じジャンル内で活動している人の中から誰かをピックアップして面白おかし嘲笑うというスレッドがあった。

 それを見つけた誰かがSNSリンクつきで報告し、そこから、私のような地味担当にまで聞こえてくるほどの話題になった。

 まだ(確か)若く、オタク活動幸福楽しい一面しか知らない私には衝撃的なほど、聞いたことくらいはあるあの方この方を名指しで、どこが悪い、ここが拙いと作品批判からまり、本人の人間性について憶測中傷し、笑い、あるいは敵意を隠さず罵るといった、その様相愕然とし、それなりに長い間、その掲示板スレッドに貼り付いて一言一言を脳に刻んでいた。

 その内、社交的でそれなりに人気もあって、少々は目立つ部類であろう、私の友人がそのやり玉に挙げられ始めた。彼女の周囲の人物として、批判はないながらも自分の名が挙げられたのを見た時には、自分が何を感じたか認識するよりも早く、嘔吐した。

 匿名で、明らかに誰か判らないから言うのだろうと思うような下衆な発言が繰り返される中、驚いたことに、友人は、明言しないながらも考えれば気づきそう、或いは違うとしても本人だと勘ぐられかねないほど、正面切ってその場で反論し始めたのだ。

 その手の誹謗中傷なんていうものは、知っている人間から見れば明らかに根も葉もない内容で、しかし驚くほど、ちゃちなやり方ながら、雑な根拠といい加減なソースなんかを提示して、それらしく見せてくる。

 現在SNSほどでないとしても、企業偽装マスメディアやらせ作為的フェイクニュース話題になってまだ記憶に新しい頃で、見え見えながら悪い意味でよく見習い踏襲された話題の運びに感心するほどだった。

 話題の刺激があれば充分で内容の虚実を必要としない目線からみれば、心を痛めるにも潤すにも、充分な燃料だろうと見えた。

 それで私は、彼女のやろうとしてる反論は不利だと考え、彼女自身にもそう伝えた。黙っておけばどうせ話題の旬は過ぎて、深く考えていないように見える彼らは忘れてしまうだろうにと。

 その時彼女が、恐らくは憤り混じりに言ったことを、きっと一生忘れないだろうと思う。

匿名掲示板は、誰もが言いたいことを言っていい場所として提供されている。それなのに何故、間違ったことを言っているやつらが好き放題を許されて、間違っていない私が黙らなければならないのか」と。

 私は一瞬言葉を失い、それから、ごもっとも…と彼女の言い分に白旗をあげ。けれど、陰口好きの類に彼女ほど詳しくも、弁舌巧みでもなく、参戦は恐らく足手まといであろうと考え、何かあれば、どんなことでもいつでも連絡して欲しいと告げるのみに留めた。

 その騒ぎ自体は、長い間うんざりするような泥仕合を続け、繰り返して、予想に違わず話題は次々に変わり、もう追ってもいないので判らないながら、ご存知の通り、同じことが今も世界中で続けられている。


 私は、彼女の言い分はもっともだと考える一方で、匿名を笠に着てよく知りもしない相手をあれほど悪し様に罵れる彼らは一体、何をどうしたのだろうということも非常に気に掛かった。

 その事情は知れないながら、地獄だなあと思う。

 他者攻撃しなければいけない状態にあることそのものが、地獄だ。と、言って意味が通じるかといえば、渦中にとっぷり身を浸し、その刺激に酔って何某かを得られる状態では、恐らくそう感じることもないだろうとも。

 自分よりも弱い者をいじめることは快楽だとはよくいうし、その意味も分かる。そういう状態、そういう心理があることは、知るべき、認めるべきで、そこからでないと出発点に立てはしないが。

 人を殴らなくても生きていける心安さは、人を殴って得られる快感よりもはるかに大きいと感じているし、知って欲しいと思う。

 私達は誰も怪物ではなく、けれど生きていく中で味わう苦しさや弱さがいつでも私達をそのような姿に変え、けれど私達は誰も怪物ではないのだ。

 誰かが指さして私を怪物だと決め、周りがそれを容易く認め、私に気づく者がいなくなれば、私はきっと死ぬまで怪物の姿から元には戻れない。

 詮無いことではあるし、怪物の姿になってしまった者に近付くこと自体が、危険なことだというのも経験から知っている。

 それでも今も、危機回避について考えるたび、記憶の中の彼女が憤りを持って訴えてくる。

「何故、間違ったことを野放しにして、正しいことを言わないのか」と。

本当に辛かった孤独

 私は大学受験二浪した。失敗したことを失敗と素直に受け止められなかったから、こうなった。結局得られたものは一つもなくて、二年の時と可能性、健康身体思考を失っただけだった。二年目はとくに酷かった。勉強なんて遠くに行ってしまって、わずかなコンビニバイトを除けば、そこにあるのは静かな絶望だけだった。“静かな絶望”と書いたが、何も詩的な耽美あるわけではなく、Youtubeの本当にくだらない動画と、過度な自慰行為と、コンビニ廃棄弁当と、周囲からの痛い視線嘲笑侮辱偏見があった。怠惰怠惰を重ね、惰眠を貪っているだけなのに、自分には何かあるはずだと、救いのないことを心のどこかに置いて、何もせずに過ごした。

 ここまで来るとと、おちおち眠ることさえできない。ある時、急に、胸が締め付けられ、呼吸がうまくできなくなって、身体中の神経が痛み出し、何も吐くことのできない嗚咽と、どす黒い鉛を頭の中に詰め込んだような頭痛が同時に訪れる。堪らなく怖くなって目を閉じると、まぶたのうちの仄暗い深淵から、黒い人魚のような、おどろおどろしい悪魔幻覚が姿を見せる。その無数の手が伸びて私を闇の底へと引きずり込もうとする。堪らない不安と寒さに凍えながら、吹き飛ばされそうになりながら、ありもしない幻覚と戦い、二時間ぐらいすると呼吸が戻ってくる。支離滅裂荒唐無稽に思われるかもしれないが、たしかに私は一年間こうして苦しんだ。自殺した方がよっぽどマシだと何度も思った。

 今はなんとかやっている。小さな仕事を与えてもらって(というよりはまだまだ教育期間だが)、恥ずかしい、情けない思いをすることも多々あるが、周囲の支えでなんとか立つことができた。この忌まわしい記憶はいつまで私を苦しめるだろうか。それとも一生亡霊のようについて廻って私を苦しめ続けるのだろうか。一方で、やれやれ、もうどうでいいことじゃないかと思う時がある。だとしたら、最初から苦しむ意味なんてどこにもなかった。

 さて、コンビニに甘いものでも買いに行こうかな。

anond:20200717152440

1.インテリ都民が叩くのは多くの場合観念としての田舎

地縁血縁による束縛が強くて旧守的な老害が多いというイメージ。これを叩いているのはそういう土地に嫌気が差して出てきた上京者の場合も多い)

2.特定地方文化圏への侮蔑意識を持つ人はい

関西人九州人、東北人などへの嘲笑ネタ。ただしそれは大まかな地方区分で、実体験にもとづかない「観念としての関西とか」だったりする場合も)

3.具体的に名指しで「岩手県民」とか「岐阜県民」といった叩き方は、俺の知る範囲では、何かの事件の時に起こる一過性のもの以外はあんまり見ない気がする

(これって結局、ネトウヨの考える韓国人が常に「釜山在住の金だれそれ26歳看護師」とか「仁川在住の李なにがし44歳焼肉屋の店主」といった具体性を持たない観念上の韓国人なのと同じ構造かも知れない)

2020-07-17

どうすれば自分言葉で罪悪感を感じなくなるのか

言い過ぎたかもなって思ってしまって罪悪感が残ってしまう。

自分が放った言葉相手嘲笑されたり、泣かせたり、怒らせたり。

自分が言って変な空気になるとこのトラウマが蘇る。

言った後に相手の反応を見て言うべきじゃなかったかもと、気にしてしまう。

相手に刺すはずの言葉なのに、握っている自分自身が傷ついているような状態

このトラウマがあるから人との距離を詰める事がとても怖い。

トラウマ言い訳にしちゃいけないけど。

初めて自分が立ち止まった時

深夜1時、携帯も見ずにカーテンから溢れる光だけをみ見つめていると急に過去自分対峙する時がある。

20歳を過ぎ1人暮らしを初めて毎日夜遅く帰宅し、寝床につく生活が当たり前になってその時間は徐々に無くなっていったが、今これを書いている瞬間、今まさに久しぶりのこの感情

歳を取ると感覚というか、感情の起伏が鈍くなる。

それは自己防衛の為の故なのか、それとも単純に衰えなのか。よく歳を重ねると涙脆くなると言うが今のところ全くの逆で、泣ける。感動する。映画ドラマを見ても別に自分関係ないしと思って冷めてしまう。

ペットが死んだ時も、そりゃ生物はいずれ死ぬよなって思ったりしていよいよ自分大丈夫かな?と思ったりもする。ところで話は大分脱線してしまったが本題に入るとしよう。

俺が小学1年生に上がった時期だった。保育園卒業した俺は当たり前のように地元小学校に入学した。

そこがどんなところで何を学ぶ場所なのか分からなかった俺は登校日初日に通学途中、怖くなって不安になって

母親の待つ家に帰りたくなってそのまま泣きながら帰宅した。それから母に連れられ登校を試みるも俺は小学校のクラスの部屋という存在が怖かった。

まずきちんと揃えられた机に椅子時間割、科目、授業

チョークの音、テスト時間、何もかもが嫌だった。

今まで保育園では、時間割など無くて好きなことして好きなように時間が過ぎて、夕方になれば母親が来て帰って弟や父親と遊んで祖母が作った美味しい夕飯を見てふざけてみんなが笑ってくれてそれで良かったのに。

それなのに突然、勉強学校生活上級生の存在に戸惑ったし、なぜ友達先生はそれを認めてくれなくて共感しないのだろうと不思議に思った。

そんなわけで俺は小学1年生2年生とほぼ登校を拒否した

時にはクラス友達先生が強引に俺を連れ出そうとした。訳が分からなかった。行きたくないと言うのに。

その時俺はおかし存在として扱われているのを初めて自覚した。

多分この経験死ぬまで心に刻まれているだろう。

俺が初めて感じた。社会という壁なのだから

大人になった今でも皆が普通常識と言われることに疑問を持ちながら生きている。

会社に入って飲み会でお酌の意味が分からないこと。

した方が怒られないからするけど、内心そんなに呑みたきゃ自分でつげよじじい。俺が注いでやってんだぞお礼ぐらい言えないのか?と思っていること。

上座下座も意味が分からない。好きな場所座ればいいじゃん。と思うこと。

結婚して子供を持つことが幸せだと皆言うこと。

親を見る限り幸せそうには見えなかったし、子供を育てて行くことの大変さや結婚して家族を支えていくことがいかに困難だということ。別にしなくてもいいと思うし

したい人はすればいいじゃんって思うこと。

芸能ニュースが心底どうでもいいと思うこと。

顔は知られてるけど結局、他人だし話したこともないしましてや会ったこともない人のことなんて興味が湧かないこと。

主にネット掲示板を見ていると皆自分を大きく見せようとしたりいきなり見ず知らずの人を煽ったり嘲笑したりしていること。自分はその人がそう思うならそれはその人の考えや生き方なので口出しはしたくないし好きにしたらいいと思うので、アドバイスを求められない限り余計なことは言わない主義だし、逆に自分にとっても相手が何言おうが、最終的には自分がどう思うかだからどうでもいいかな。真に受けないようにしてる。

もう最後にするけど、幽霊神様なんていないのに

なんで皆いると思ってんだろうってこと。

いるわけないじゃん。冷静に考えて。

俺が小学校に行きたくなかった理由よりも明らかにおかしいでしょ幽霊神様がいるなんて。

でも世間自身のために動いてないことも知っているから、好きにすればいい、けど他人強要するなよ何事も。

みんな好きに生きたらいい。他人迷惑NG

そして誰も他人生き方批評したり馬鹿にしたりしなくなればいい。

俺は個人が思う好きで多様な生き方を受け入れてしているし、好きにしたらいいと思う。

おやすみ

寝るわ。

眠いし。

2020-07-16

妖怪に遭った話

オカルトではないが私は妖怪の話だと思っている

特定性別や嗜好や趣味なんやかんやを叩く為に書いてはいない

夏に遭った妖怪がおり、未だ夏になると思い出して気分が沈むのでネットの海に流して供養したい、そういう話だよ

オカルト話を期待した人はごめんね



悪魔



趣味を同じくする友人らと遊んだ帰り道、此方を見て悪魔だと罵倒する爺に遭遇した。

一行で済む話なのだが、供養であるのでもう少し語りたい。語るね。


その当時私は二十歳手前くらいの年頃だった。

高校生活は闇色を煮詰めた肥溜めのような暗鬱たる日々だった。要するにカースト底辺のクソ陰キャだった。

しかインターネットを通じて共通趣味を持つ他人と出逢い、親交を得て、なんだ生きるの楽しいじゃん、広いじゃん世界インターネットありがとう、という救済を得てもいた。

インターネットの海は広く、必然的現実世界での住所は遠い事が多く、オフ会となれば一大イベントだった。

少なくとも当時の私にとってはそうだった。

大学には行かず就職をする道を選び、そこで働いて得た給料を握り締め、バスに乗り電車に乗り飛行機に乗り、初めて『友達に会いに行く為のひとり旅』を経験した。

うきうきとわくわくでいっぱいだった。


冒頭に一行で纏めた『趣味を同じくする友人らと遊んだ』というのは、つまるところこの『オフ会』の事だ。


集まった面子と一頻り語り合い、飯を食べ、ショッピングに興じ、おやつを食べ、カラオケで歌い、プリを撮り、オフ会は至極健全に盛り上がり、感極まって泣く程楽しかった。


宿を取っていたので、いや、旅行からまりたいじゃんね。日帰りはやってやれないことはないが、余韻に浸る時間が欲しかろう。欲しかったのだ、私は。

ビジホの一室でひとりゆっくりとこの日を噛み締める為の時間が欲しかった。

泊まっていきなよと言ってくれる面子も居たが、それは畏れ多すぎてできなかった。比喩でなく嬉しさで爆発して死ぬと思った。

じゃあ次に逢う時はうちに泊まってねと言ってくれたその友人に、(また逢えるの!!!!????来てもいいの!!!!!!????)と内心で爆発しながら頷いてハグをして手を振った。


その、帰路だ。


とんでもなく楽しかった、私の青春は今からなんだ、皆やさしくて面白くて素敵な人達だったな、等というような幸せに酔いながら人気のない暗い夜の道をひとり歩いていた、その時。



前方から自転車が走ってくるのが見えた。

幸せに酔いながら歩いていた、とはいえ、そうかそれでは道の端に寄って自転車の通行を妨げないように歩こう、と思う程度には素面だった。

素面だったが、酔ってもいた。


道の端に寄って歩きながらも心は此処にあらず、楽しかった思い出ばかりを反芻していた。

であるからして、自転車を漕いでいるその人物が割と結構な声量で何か言葉を発しているらしいと気が付いたのは、すれ違うまさにその手前だった。


ところでそのオフ会というのは、ゴスロリを愛好する者達の集いであった。

ゴスロリの是非だのなんだのについてはここでは省く。

そして私は自分が着るならばゴシックが好きであった。


初めての友人と初めてのオフ会

しかもその友人らは趣味が同じ。

誰も私の服装嘲笑しない。

それどころか、皆が皆思い思いに目一杯ドレスアップして集う。

加えて、何より、若かった。


要するにこの日の私は勿論どえれぇ気合を入れたコテコテゴシックファッションに身を包んでいたのだ。化粧も然り。

ゴシックとか言われてもよう解らんという場合概念的な魔女想像して頂ければ、それで解釈はふんわりと一致する。


自転車に乗ったその人物はすれ違いざまこう言った。




悪魔!!!!!!!!!!!!




言われた私はこう思った。




魔女ですけど!!!!???)




しかながら見知らぬ爺にすれ違いざま大音量罵倒されるという体験は思い返す限りこれが初めてであった。

まりに驚いたものから足を止めてその爺が去りゆくのをぽかんと見送る格好になってしまったのだが、すれ違い終えて去りゆきながらもまだ尚爺は此方を振り返り振り返り、私を罵倒し続けていた。

否、爺が罵倒していたのは私ではなかった。私を通して何か概念的なもの罵倒し続けていた。


悪魔チリン)、女(チリン)、売女チリン)、悪魔チリリン)、女(チリン)、悪魔チリン)、悪魔チリン)、悪魔チリン……)……


夜の小路罵倒ベル音を響かせながら去ってゆく爺。

通り魔に遭った気分だった。


しかし私は魔女なので、えぇまぁ売女ではないのでそこは否定しますけど悪魔だったり女だったりはしますね…???????????????


という気分でもあった。

けがからなさ過ぎてそういう妖怪なのだと思うことにして正気を保ったのかもしれない。

私という個人罵倒していた訳ではなかったからかもしれない。

元より私の好むファッション一般には受け入れられにくい傾向であることと、虐げに慣れきった高校生活も一因としてあったのかもしれない。


当時の私はこの爺が一体何であるのか全く解らなかったのだ。ただ辛うじて、爺の見た目をしているから爺だということだけは解った。

結果、この爺には妖怪悪魔爺という名がつけられた。私の中で。


この妖怪悪魔爺はそれから数年経った今でも夏のこの時期になると私の心の中に勝手に蘇り、なんとも言えず遣る瀬無い虚無感を齎してはベル音を響かせ去っていく。


嘘だ被害妄想幻覚だなんだと言われるのも辛い気がしたのでこれまで誰にも言わずにいたのだが、例のポテサラ爺が現れたことにより、おそらく同類妖怪であろうこの悪魔爺の話もネットの海に流して供養したく、こうして記事を書いている。


来年からは私の頭の中に勝手に蘇らず、もういい加減成仏してほしい。

2020-07-15

絵師になりたい

絵師になりたい。

私は底辺絵師だ。

その辺にいる雑草と言っても過言ではない。

今、私は猛烈に神絵師になりたい。

別にチヤホヤされたいわけじゃない。

たまたま何かあったのか、普段ほとんどないTwitter投稿した絵への反応が多かった時があった。

普段自分の分の畑を耕して自分で食べてるような人間だ。

底辺絵師とはいえちょっとしかった。

その辺からだと思う。

Twitterで絵を描くと否定され、落書き嘲笑われ、妄想メモは冷ややかに否定されるようになった。

別に有名になった訳でもない。

私は変わらず底辺絵師だ。

今まで通り、私は自分の畑を自分のために耕してるだけだ。

それなのに時折、知らない人が現れて、突然私を否定して、そしてすぐに居なくなる。

私はなにかしたのだろうか。

今までと何も変わらない底辺絵師なのに、なんでこんなことになってるのだろうか。

首を捻っても答えは出なかった。

特段、否定されることはしてないよなぁと気に求めてなかったつもりだったのだが、たまたま、ふと目が神絵師ツイートに止まった。

楽しそうに、好きなことを話してるツイートだ。

ついているリプも、その反応も、誰も神絵師否定なんてしてなかった。

わず私は神絵師の絵を見た。

素敵な絵がそこにはあった。

そして、だれも神絵師を、否定してなかった。

ようやく私はわかった。

私は、否定されたくないのだ。

チヤホヤなんてされなくていい。

ただ、自分否定されたくないのだ。

からその為に私は、今すぐにでも、神絵師になりたい。

2020-07-14

anond:20200713041751

作画崩壊(笑)時代を思い出させるなよ

twitter支配的になってアホみたいな指摘減ってるんだから

2chまとめ全盛期はホントひどかった

あの作品とかこの作品とか

ポジティブ意見が増えた結果、3DCGヌルヌル動く(からすごい)とか、動画溶けてタイミング死んでるのに動いてるからすごいとか

そもそも作画3DCGの切り替えにすら気づいてないとか

タイプ視聴者は増えてきたけど(twitterだとわざわざ反論をかくひとがいないし)

作画崩壊(笑)で、良し悪し十把一絡げに嘲笑の的にして消費してた時代に比べたら、節穴でも支持されない戯言いってるやつのほうがなんぼかマシだ

原作厨作画崩壊(笑)厨は放置しとけ

人間に見える服を着たい金のない20代女のために書く

この記事は今ファッション自己表現をしてる人間には役に立たない

この記事は金があるやつには役に立たない

この記事ブランド相手判断する人間には役に立たない

とりあえず普通っぽい服を着たくてマジで何もわからなくてマジで金がない標準サイズ20代

黒か灰色のよくわかんない服しか持ってなくて「人間に見えたい」以上の願望がないやつ

買うべきものを書く前に書く

特定ブランドを指して嘲笑する人間とは付き合うな、この先自分なりの好みが出来たとしてもお前はそうなるな

ここ数日で↑の反応したやつとファッションセンスマウントとったやつがTLにいるならリム

ファッションで強烈に自己表現してる人間とは付き合うな、相手に悪気があろうがなかろうが今そういうのに付き合うと自信を奪われる

髪はたまに切れ

安くて「普通に見える服」を書く、全部ZOZOTOWNにある

KOBE LETTUCE

 大体ここで足りる、模様がないので着やす

 安くてカラバリが豊富ニットニットワンピを買え

 3000円くらいで買える

Pierrot

 デニム買え デニムじゃないのもある

 2000円くらいで買える

・Honeys

 夏のためにTシャツを買え

 前側にプリントがあるやつにしろ(今年のTシャツは後ろ側にプリントがあるやつがあるから気を付けろ)

 Tシャツは前側になんか描いてあるとなんかまとまって見える気がする、その下にデニム履けばとりあえず夏ルックにはなる

 1000円くらいで買える

 スカートも買え 〜2000円

これはZOZOTOWNにない

GU

 カーディガンと靴を買え

 1000円くらいで買える

服には上と下があって、上と下があればなんとかなる

髪はたまに切れ 頑張れ

下着屋で一度胸のサイズを測ってもらったら後はブラショーツセットの福袋を一生買って良い(ほんとは三ヶ月に一度くらい測り直した方が良いらしい)

5セットで4000円くらいで買える Amazonとか楽天とかヤフーショッピングかにある

当たり外れはある 痛いのは着けるな

友達か仲良いフォロワーがいるなら予約とか下着屋で「測ってください」って言うのだけやってもらえ

いないやつは頑張れ ごめんな

2020-07-13

就活してたら自分がわからなくなってきた話

内容はタイトルの通りだ。

なんだかもう色々と疲れてしまったし、自分がなにをしたいのかもとうの昔に解らなくなった。

以下、駄文だけど簡単自己紹介

22歳、理系大学生大学都内の中堅レベル

元々、浪人して適当都内で遊べる理系大学、ということで選んだだけの大学なので思い入れもなんもないし、そもそも今いる学部だって正直なにも興味がない。機械やりたかったのに全く違うところにいるし。

大学生活はだらだらと、文系のように過ごしてしまった。いや、文系以下かもしれない。サークル一年で辞め、ぷらぷらと単位を落としつつ、人当たりだけはいいので友達に助けてもらってなんとか留年はしなかった。大学生活は女の子を落とすこと、車で遊ぶことに励み(全然容姿オタクだけど)、勉強はほぼしなかった。

まさにクズ理系の極み。

バイト適当にサボれてそこそこ稼げるところ、だからなんのスキルもない。もし、身についたものがあるとすれば、適当愛想笑いをし、適当に客の気分を取る。それぐらい。

趣味は車。金がかかる趣味代名詞とも言えよう。いろんな車を乗り継いで売って...というのを大体15台ぐらいやったと思う。仲間の輪は広がったし、たぶん一生付き合うなこいつらとはっていう奴らにも出会った。これだけは唯一大学生活で成功したことだと思う。

他にも、マーケティングだとか、そういうのがちょっとだけ興味があった...といえば聞こえはいいが、ただ馬鹿みたいに安い金額でモノが欲しい、ついでに稼げたらいいなっていう理由だけで労力をかけない転売まがいのこともやってる。中国とかアメリカから適当にモノを買ってきて、日本で捌く。後メルカリバカ安いのをヤフオクに流す。まあこれがそこそこの利益が得られるからって一昨年ぐらいからやってる。情報商材屋を嘲笑うぐらいの事は独学でできたと思う。

まああんなの全部胡散臭いけど。

さて、就活に話を戻したい。

元々ぼんやり就活院試で迷っていた。去年の11月はどうすっかな、ってマックの外でメニューどれにする〜駄弁ってるようなレベルインターン第一志望のインターンに参加できたし、ここ入れたらいいな〜って思ってた。

それが2月に入り、気がついたら3月の早期選考ラッシュの時期だった。この段階ではまだ早期どうなるかな〜って自動車系にエントリーをなんとなくしていた。

まあなんとかなるでしょwの感覚だった自分を悔やんでる。

4月採用中止の連絡が届いたり、不合格の連絡が届き始める。この段階で本命に落とされる。

5月大学も行けない。就活も進まない。不合格の通知がそこそこ溜まってきた。自分無能なんじゃないか?焦り始める。エントリーすらままならない。なにをすればいいんだ?

6月無気力。逆オファーアプリ選考の案内が来た企業に落とされる。もうダメだ。でも今年採用遅れてるっていうしな〜ってヤケになっている。

何もかもままならない。この頃には自動車以外のITとかも考えるようになってた。遅すぎる。俺はなにがしたいんだろう?

そして気がついたら7月大学が再開した。周りの友達はみんなホワイト大企業内定を持っている。院進勢は外部を受け始め結果待ち。対して自分はどうだ?なにも決まっていない、就活エントリーすら出来ていないし、院試勉強のために買った教材すら開いていない。マックの注文はレジ前でキャンセルした。就職が決まった人達内定先を聞いて回る。みんな仲がいいからすぐに教えてくれる。どこどこだよ〜だとか、あそこだよ〜とか。聞くたびに、自分無能だとわかる。

大企業エントリーはほぼ終わったし、一番あれだけ行きたいと思っていた自動車系にすら興味がなくなってきた。日に日に焦りが募るだけで何もしない。やるとしたら日々ヤフオクメルカリ監視。いつから自分はこんなにつまらない人間になったんだろう。もうなにがしたいかもわからなくなってきた。そもそもこんな自分を雇ってくれる、まともな企業はあるのか?

今日大学喫煙所で一人黙々とタバコを吸っていたらヒグラシが鳴いていた。

いいよな、セミ人生が決まってて。

うそろそろ夏がやってくる。今思うと、自分就活が完全に失敗したのは

無気力

計画

無頓着

の三つが起因していると思う。

ちなみに今日エントリーしたところから落とされた連絡がきた。

これはコロナのせいではなく、完全に自分責任だ。ただ、自分無能だと自覚させられるだけの就活

一番タチが悪いのは、少なくとも死ぬ気には全くならないこと。ぼんやりと、今でもなんとかなるだろうって考えている。だが行動は起こさない。

結局、全てが中途半端になっている。やる気も、行動力も全て中途半端。これはたぶん元々。それが今まで単に上手く行ってただけ。人当たりはいいから。

それなのに、自分だけは違うと思っていた。別の意味で周りと違う人間になったけど。

長々書いてきて、尻切れトンボになるけど今日はこれで終わり。ここまで書いてきて、さらに一つ分かったとすれば、自分には特技はなにもないし、やる気も続かない、とてもつまらない人間だということ。

社会から見ればこんなの、無気力、無価値だとか評価されると思う。ものすごく妥当

今日は家に帰ってからヤフオクに投げる商品アップロードして、タオバオebayの進捗状況を見守って寝る。

最後に。

タオバオでモノ買う時は650元以下にしないとAsiax通されて通関手数料バカ高くなるから気を付けろよ!軽かったらEMSを使おう。デカかったら4pxで涙を飲もう。







常磐線でこれ書いてて辛くなってきたわ。

はてな匿名ダイアリーでやってるあたりも”逃げ”なんだろうな。俺の人生のもの

2020-07-12

自己紹介ができない

私は決して引っ込み思案ではない。

友達なんかいらないとも、出会いなんか必要ないとも、欠片も思ったことがない。

輪の中心は遠慮したいけど、数人の親しい友達と輪の端っこで仲良く語らっていたい、という願望くらいはいつでも持っている。

しかし私は、しばしば「自己紹介」で滑る

アキバ系の見た目を払拭したくて、誰かに楽しい人だと思ってもらいたくて、テンプレート通りにしておけばよいものを、無駄スパイスを加えては自滅する。

高校デビューもしかして:死語)しようと漫画キャラクター自己紹介をそのままパクった次の日には、痛い子扱いでクラス嫌われ者デビかくューしたり。

軽口混じりの自己紹介で笑いを取ろうとしたら、軽蔑混じりの視線を浴びて笑いというより嘲笑をいただいたり。

いずれも自分センスがあると勘違いしていたからこそのやらかしだ。

今?

さすがにそんな根拠のない自信を持ち合わせてはいない。

何せ、この記事をどう終わらせようか、オチをどうしようか、数時間かけても答えが出ない有り様なのだから

anond:20200712095329

「この漫画どこかの違法サイトから丸々転載して来た物だな」って叩いてる奴らは全員知ってるんだよ

その上で違法アップされた作者を可哀想に思うんじゃなくて「何このゴミ漫画不快だわ作者頭おかしいんじゃね」みたいに叩いてる奴らは異常に思う

犯罪被害者嘲笑ったり中傷するのが趣味になってるような物って思えば何かおかしいよ

2020-07-11

firefox」→「キツネ尻尾から炎が出てる」みたいなのに共感性(?)羞恥を感じる

何となく安直英単語イメージから来る発想が低レベル(小学生的ダサさ)」「いい加減レッサーパンダだという事を理解しろや」みたいな嘲笑の声がどこからともなく聞こえてきそうでツラくなるから、だろうか。

 

ドラクエで「ドラゴンフライ」という「背中に薄い羽の生えた飛行形態ドラゴン」のモンスターが出現した際も同様な事を思った。「いや、“ドラゴンフライ”って『トンボ』やん…」と。

誰も鳥山明に突っ込む勇気が無かったのだろうかと思うと涙を禁じ得なかった。

 

他にもこういう事例があるような気がする。あまり共感は得られないかも知れないけど。

2020-07-06

anond:20200705223830

母語を持てなかった人」とブコメした者です。

すみません、「最高にインターネット」というのは、「このゲスさ、最高のインターネット」…というようなニュアンスに感じたのですが、それで合っていますか?

微妙ライン」というのもよくわからないです、推測すると「もっと直接的に嘲笑するとやばいからうまいことオブラートに包んだ」というニュアンスでしょうか?これは私の勘ぐりかもしれませんが。

微妙ライン」「最高にインターネット」…気になってモヤモヤしてしまうので、できれば解説してもらえないでしょうか…?

              

私としては「母語を持てなかった人」という表現は、「海外から移民家庭に生まれて、日本語を学ぶ機会がなく、親の言語家庭内日常会話程度しか習得できなかったり方言だったりし、親の言語の読み書きも習得できなかった人たち」を指していて、日本語も親の言語母語として使いこなせない…という状態を表すのに、他に言いようがなかったのですが…。

たまたま置かれた環境から、本人の能力とは関係なく「母語を持つことができなかった」ので…。

元増田には上記のようなまとめ方で書かれているわけではありませんが、そういう問題があるという記事を読んだことがあったので、その記憶から出てきた表現でした。

100字以内で端的に表す表現がそれしか思いつきませんでした。

もし揶揄するようにも取れるならば、どんな解釈でそうなるのか知りたいです。そしてもっと解釈のブレが起きない表現がなかったか、考えたいです。

              

あるいは「最高にインターネット」は私の表現ゲスいという意味ではなく別の意味だったのに、私の受け取り方が事故っているなら、本来意図が知りたいなと思います

              

どうぞよろしくお願いいたします。

anond:20200706030842

なんでループするんだよこう書けばわかるか?


増田選挙とは多数決民主主義についてではなく選挙手段ついてだけ言及している

ワイ:選挙とは民主主義の根元を成すものであり切り離すことはできない(選挙立候補するのも投票するのも意思表明)また民主主義とは多数決ではない


ちな増田政治が大好きみたいだからこのドキュメンタリー映画オススメするぞ

立候補』だ

泡沫候補の知られざる衝撃の実態に迫るエンタテインメントドキュメンタリー!


負けると分かっていても闘いを挑む― 誰しもが負けると思っていた闘いの為に鍛え続けるロッキー・バルボアのように、本作の登場人物たちは 勝つ見込みのない闘いにも、己と世界のために闘い続けます選挙とは立候補のもとに成り立つシステムです。それが政党や団体によって支援された受かる見込みのある候補者たちだけのものになりつつあるのが今日日本ですが、本来選挙とは誰もが声を挙げられるように出来ています映画立候補』に登場する泡沫候補たちは、選挙に勝つため、政治家になるために闘うだけではなく、自らの信念を貫く様を人々に 見せようと孤軍奮闘しています。その姿がおかしくもあり感動的でもあるのはなぜでしょうか。それは、行動を起こす人々に対して“ツッコミ”をいれたり、嘲笑したりしがちな現代に生きる私たちへのアンチテーゼに見えるからなのかもしれません。何をしたいかよりも、どう見られるかが勝ってしまう、今の私たちの姿に気付かされるのです。奇異な行動を取る泡沫候補たちを劇場に観に来て、笑いながら、最後にはなぜか感動してしまう力を本作品はもっています監督は新鋭・藤岡利充。製作を手掛けた木野内哲也との二人三脚で困難な撮影を経て、本作を完成させました。二人はこれまでもコンビ制作を続けており 本作にもその独特なコンビネーションが活かされています

[8bit news]

https://8bitnews.org/?p=2635

2020-07-05

anond:20200705190222

人を嘲笑するのが君の議論に望む態度かな?正々堂々真顔で議論しなさい。

作者のお気持ち問題

国語の長文に良くある「作者のお気持ちを答えなさい」系の問題を作者が「言ってねええwwwwww」って痛快に嘲笑う系のコンテンツって昔からあって一定のバズりを得るんだけど

あれって問題作成者にも受験生にも作者にも一定言語能力があって「まあそういう風に読めんこともないけど厳密には違うしそこまで考えてんし若干言い過ぎやし何よりこんな問題簡単すぎて何の意味もないやろ」って雰囲気を共有できてるからバズるんだよな

ところが実増田に出るとあれらの問題のハズレ選択肢を直球で踏んで「なぜ間違い選択肢が間違いなんだ! ここに書いてある! 俺にはこう読めた! わからない!」とか言ってるまるでダメ社会が現れてしまったりするんだな

いやー冗談キッツイわ

当たり前に取れてからなすって

2020-07-04

選挙立候補するのも投票するのも意思表明 anond:20200704085333

増田おすすめドキュメンタリーがあるぞ

立候補』だ

泡沫候補の知られざる衝撃の実態に迫るエンタテインメントドキュメンタリー!


負けると分かっていても闘いを挑む― 誰しもが負けると思っていた闘いの為に鍛え続けるロッキー・バルボアのように、本作の登場人物たちは 勝つ見込みのない闘いにも、己と世界のために闘い続けます選挙とは立候補のもとに成り立つシステムです。それが政党や団体によって支援された受かる見込みのある候補者たちだけのものになりつつあるのが今日日本ですが、本来選挙とは誰もが声を挙げられるように出来ています映画立候補』に登場する泡沫候補たちは、選挙に勝つため、政治家になるために闘うだけではなく、自らの信念を貫く様を人々に 見せようと孤軍奮闘しています。その姿がおかしくもあり感動的でもあるのはなぜでしょうか。それは、行動を起こす人々に対して“ツッコミ”をいれたり、嘲笑したりしがちな現代に生きる私たちへのアンチテーゼに見えるからなのかもしれません。何をしたいかよりも、どう見られるかが勝ってしまう、今の私たちの姿に気付かされるのです。奇異な行動を取る泡沫候補たちを劇場に観に来て、笑いながら、最後にはなぜか感動してしまう力を本作品はもっています監督は新鋭・藤岡利充。製作を手掛けた木野内哲也との二人三脚で困難な撮影を経て、本作を完成させました。二人はこれまでもコンビ制作を続けており 本作にもその独特なコンビネーションが活かされています

[8bit news]

https://8bitnews.org/?p=2635

2020-06-29

であるが故の連帯みたいなものに対する羨望と冷笑

世の中既にこんな文章は大量に出回っているんだろうが、自分思考言語化する目的表題について考えてみることにする。

冗長で長くなってしまったが、もし読んでくれる人がいればありがたい。

かなり幼い頃から自分不細工だと認識していたし、運動からきしだったためか、早々に自分は「男らしく」はなれないと気づいていた。

ほとんどの男子児童小学校卒業までには一人称が「俺」になるが、自分は「俺」という一人称が野蛮に思えて「僕」という一人称を使い続けた(今もそうだ)。

ここまで明確に言語化はしていなかったが、人生の早い段階で「男らしさ」みたいなものに対する嫌悪感を明確に感じていた。

とはいえ別に女子になりたいわけでもなかった。

口は達者な方だったので一対一なら女子にも口喧嘩で勝てたが、相手複数になると大体泣かされて帰宅していた。

男子にも女子にもそれぞれ固有の嫌なところがあると思っていた。

私は中高一貫校入学した。

やや特殊環境で、中学は完全に男子校、高校女子もいたが全体の10前後だった。(見る人が見れば大体ある程度見当がつくかもしれない)

高校に入って共学クラスになった生徒もいるが、中高6年男子オンリークラスだったという生徒も多い(私もそうだ)。

そんな理由で、高校男子校的な雰囲気と共学的な雰囲気が同居していた(前者のほうが強かった気もする)。

ちなみに女子生徒からは、当初はかなり困惑したがそのうち気にならなくなったという声を多く聞く(サンプルサイズは極小)。

私はやはり「男らしさ」みたいなものには馴染めなかったが、だからといって別に居心地が悪かったということはない。

恋人なんか端から諦めていて、「男らしさ」的なノリはあくまネタとして捉えているオタク自分の周囲に多く居心地が良かったからだろうと思う。

ただ、(おそらく悪気は全くないのだが)女子がいるという事実を忘れたかのように自分男子出身だとアイデンティファイしてしまう友人たちに微かに苛立ちを覚えてはいた。

クラス対抗競技女子がいるクラスには絶対に負けたくない」「◯◯さん女子なのに理数系強くて凄い」と無邪気に思ってしま自分にも気づいていた。

総括すると、ややマイルドホモソーシャル環境で中高時代を過ごしたおかげで、同性だけから構成される空間の良さと悪さを両方知ることが出来た。

男子校では「男らしさ」をやりたい人はやればいいし、「男らしさ」に馴染めなくても馴染めない人間同士で連帯することが出来る。

そして、「男らしさ」をやりたい人々もそうでない人々もお互いに仲が良かった。

そういう懐の広さが男子校の良さだった。

男子校が「男らしさ」を助長するというのは必ずしも正しくないし、むしろそれをやらなくても楽しく生きていけることを教えてくれる。

ただ、同時に異性に対してかなり排他的である、あるいは個人の中で排他性が強化されるというデメリットもある。

一定の人々は、そういう排他的感覚を異性の前で隠すということを覚えないまま大学生になり、社会人になってしまうのかもしれない。

もちろんこれは明確に欠点なのだが、男性のみの集団だけでなく女性のみの集団でも同様のことは言えるように思う。

さて、ツイッターという悪い遊びを覚えた私は大学入学する頃にはジェンダー意識をすっかりこじらせていた。

社会メジャー領域において女性男性よりも不利な立場にあることは理解している。

しかし実感として別に自分が楽に生きているとは思えないし、男がこんな社会を作ってきたのだと言われても自分のことではないのでどうしようもない。

日常において性差別を行っていると言われても、そもそも異性と雑談のような会話をする機会がほとんどないので身を振り返りようがない。

男性全体のあり方と自分のあり方を勝手に分離してしまうのが厚かましく思えて、謂れのない批判を日々受け続けているような気がしている。

からメジャー領域における女性の不利さへの鈍感さに比してフェミニストわずかな瑕疵オタクへの攻撃に対して非常に敏感になってしまう。

女を生きることの苦しみに思いを馳せつつも、特に炎上しているような話題ではフェミニスト批判するツイートのほうが論理的だと感じることが多かった。

多分これはフェアな態度ではないなと思い、ある時期から意識してツイッター上でフェミニストフォローするようになった(体系的に学習しないのは単に私が怠惰からである)。

そうすると、「女であるが故の連帯」ということを明に暗に唱える人々がいることに気がついた。そういう人ほど男性ホモソーシャル攻撃していることにも。

怒り、嫉妬冷笑、およそ穏やかとは言えない感情が渦巻いた。

第一に、一部のフェミニストにとってフェミニズムとは男女同権主義ではなく、女権拡大主義しかないのだと考えた。

私のフェミニズム思考の源流は、身体的に男性であるというだけで「男性」と括られることへの違和感であった。

(ちなみに私はシスストレートであるし、それに関して疑問を持ったことはない。セックスするだけなら男性とも出来る気はしているが恋愛感情女性しか持ったことがない)

まり身体から離脱すること、「男に生まれても女に生まれても生き方が変わらないこと」が目標だった。

みんな男でも女でもない存在になりたいものだと思っていた。

から、「この世の中は女にとって辛いものなのだから、女しか持っていないものガンガン活用していくべきだ」という態度は理解は出来ても共感できない。

私が勝手な期待だったのだけれど、スタンスがはっきり違うことを改めて意識して裏切られたような気持ちになった。

第二に、女性けが持っているらしいポジティブな「シスターフッド」みたいなものが心底羨ましくなった。

私は先程男子校の懐の広さについて書いたけれど、これは恐らく「同性のみからなる集団」のメリットである

そうした「同性のみからなる集団」の特質に加え、どうやら女性には女性けが持つ「シスターフッド」なるものがあるらしい。

何度も言われていることだが、男性の多くは馬鹿話と趣味の話と仕事の話は出来ても辛さを共有することは出来ない。

弱みを見せたくないというのも無くはないが、どうせ真面目に共感されることはないとわかっているからというのが大きい気がする。

実際、自分だって男性から何か弱さを打ち明けられても「うーん大変だねえ」くらいのことしか言えない気がする。

相手女性となれば話が変わってくる。多分、親しい同性よりもそれほどではない異性のほうが親身になって話を聞くだろうし、共感を示すだろう。

性欲由来の優しさだなんて言いたくはないけれど、恋愛対象でも性的対象でもない人間の辛さを親身になって聞くことは自分にはかなり難儀なことだ。

男性の多くはセルフケア能力性的に興味がない他人ケアする能力も欠けているし、それを改善する方法も全く思いつかない。

基本的男性は他の男性に興味がなく、馬鹿話と趣味の話と仕事の話が出来る相手を望んでいるだけなのだと思う。

から、お互いをケアできる人間同士の「シスターフッド」という関係がとても羨ましい。

もちろん、ケアをする能力というもの女性一般が持っているとは思わないし、前述のような理由で辛いことは男性相談するという女性も多いのだろう。

それでも、多分ブラザーフッドに比べればシスターフッドはかなり現実的だ。

しかし、結局はシスターフッドだって別に女性万人が適用できるものではないし、そんな良いものではないんじゃないかという冷笑的な気持ちになることもある。

男子校は心地よかったけれど、誰かが私と肩を組もうとするたびに私は反射的にその手を跳ね除けていた。

自分が女に生まれていて女子校に入ったとしても、多分ベタベタしたことは出来なかっただろう。

結局ブラザーフッドにせよシスターフッドにせよ、自分が男/女であることにためらいも屈託もない人間だけのものしかないのだ。

自分は明確に男/女であるが、男にも女にもなりたくない卑屈な人間として、ブラザーフッド/シスターフッドを嘲笑してやろうと思っている。

お前達のようなポジティブ人間に救われてなるものか。

少し話が変わるが、感覚としてBLを愛好する男性GLを愛好する女性に比べて遥かに少ない。

ストレート人間に限って言えば、女性が好きな女性に比べて男性が好きな男性というのは少ないのだろう。

男性から見れば、ブロマンスなど女性にとって都合が良いファンタジーしかない。

男は無徴だなんて言うと怒られそうだが、実際身体感覚として男性同士で共有できる「徴」みたいなものは思いつかない。

あるとして、「男はつらいよ」は「女のほうがつらいよ」によってポリティカルインコレクトで不健全ものにされてしまった。(ここにもやるせない怒りはある。もうどうしろと...。)

なんというか、男性であるということに手詰まり感がある。

愚痴ばかりでは締まらないので、身勝手でも現状の希望を書いて終わりたい。

私はやっぱり異性の恋人が欲しい。

生きているだけでしんどいこの世の中で、なんとかお互い傷を舐めあえる恋人が欲しい。

男の連帯にも女の連帯にも馴染めなかった恋人が欲しい。

何とか自分に与えられた分以上は与えるように努めたい。

大学では何とか異性と話せる程度にはなったし、卒業たころには(私の思い込みでなければ)ごくわずかながら友人も出来た。

年代の男女に比べれば遥かに遅れてはいるが、成長していないわけではないはずだ。

この話はこれきりにして、まずは毎日きちんと肌の手入れをするところから努力したい。

男性の苦しみって結局理解されないよね

タイトル煽りです。

これ↓を読んで、結局この人は元増田の苦しみに寄り添えてないよなって話(そもそも寄り添う記事ではないのかもしれないが)。


女性は高い外見レベルを求められ、外見レベルが高い人の苦悩は無視される

https://yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2020/06/28/134939


先にいうと、私も毒親育ち&女性から性的イジメにあったレア人材

元増田とは別人。


>「女捨ててる」と言うことはあっても、「男捨ててる」とは言わない。


男だとストレートに「キモい」と言われる。

…というか元増田女性からキモい」と思われるのが怖い、ってはっきり書いてあったでしょ。



女性は高い外見レベルを求められ――外見レベルを高くすると、抱えている苦悩はないもの扱いされる。社会からレイプ被害苦痛理解されない理由ひとつとして、「一見普通に見える」というのがあった。


前述のように女性から被害受けたときは死にたくて死にたくて死にたくてしょうがなかったので、

それを態度に丸出しにしてたけど、単にキモいと思われただけでした。


おそらくこれは女性レイプ被害者も同様。外見は関係ない。


女性の性被害は周囲からある程度同情や共感を得るけど、男性の性被害はそれすらないから、当時は周囲から理解を得られる女性が憎くてたまらなかった。



>おしゃれはカースト上位層に許されたもので、いじめられている下位層がやろうものなら、途端に「生意気」と見なされて、嘲笑対象にされるような空気存在することは多い。


スクールカーストが低い男性がおしゃれしたら、やはり男性から嘲笑される。そればかりか女性からも「キモいやつがおしゃれwww」とか言われる。



> 実際に「ひきこもりに見えないよね」と言われたこともある。それは、たまたま私がファッションに興味があるタイプ人間だったからというのも大きいと思う。


これはファッションひきこもりから脱出できたサクセスストーリーだよね。大半の男性/女性はこれができずに苦しんでるわけで。


内面の苦しみが理解されない」というけど、ファッションが苦手なやつは外見の悪さで内面すらキモいと思われて攻撃される。

2020-06-28

いつからか「作る側」に風当たりが強い世の中になった

むかしむかしのそのむかし、まだニコニコ動画が出来てほんの数年ほどで、Youtubeにうぜぇ広告動画がなかった頃

その頃は、「作る側」への罵倒批判は良くなかった

「俺のほうが上手い」「つまらん、もっと面白いの作れ」なんてクソコメ残す輩は「名人様」「視聴者様」と言われ、逆に叩かれ嘲笑されてたのだ

「じゃあお前が作れよ」「作ったやつの労力も知らずに」なんてね

さてさて、今はどうだろうか、そんな「名人様」や「視聴者様」なんて言われる輩への批判は少なくなり、作る側が苦言を呈そうものなら「ほならね」と言われて逆に作る側がノイローゼになるまで叩かれるようになった

「俺らは客だから何言ってもいいんだよ」「見てもらってる身分で偉そうだな、潰すか」みたいな事がメインになり、それが正義みたいな環境になったのだ

世知辛い

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