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2024-06-19

anond:20240619234418

単位休み入れられない底辺ザコがしがみついて何年も同じ職場で働き続けるんだろ

anond:20240619233528

労働経済も変わってくるだろうね

現在みたいに愚直に同じところで働き続けるなんてこと無いんじゃない?

少なくとも「年単位の長い休み」は入れてくことになるだろう

有給消化すれば年一で半月ぐらいの休みとか、無理なく取れるんだよな、余裕で。有給って何十日も付与されるし。

周りの空気的に無理だが

なんもしたくない

部屋から出ずに半月だらだらしたい

疲れてんのかも

退職代行Re:START【フルリモート/完全土日祝休み/年休130日/縁の下の力持ち

 

派遣辞めたまっすーこれで働けばいいじゃん

と思った

[]小久保監督ネコいるから、あまり家を空けられない」

 ―2日間の休みは。

 「湯布院に行ったよ。湯布院に行ったけど、昨日の昼には帰ってきた。ネコがおるからあんまり長く家を空けられへん」

 ―少しは野球は忘れて。

 「いや、そうでもないけどね。野球の夢が多いから」

 ―どんな夢を。

 「その時の心の迷いとか。あの時このサインこうやったかなと、こう動くべきやったかなとかは夢でよく見るよ。それは2軍監督時代よりはるかに見るね」

anond:20240619103814

「1分いや45秒でいいか休みたい!!」がより上位に来ちゃうと取りかかれなくなるんよなあ

で1分休み始めると45分休んじゃうっていうね

ゲーム有給」とか「ディズニー有給」は公言すんなとは思う

anond:20240618140259

これ、ほとんど同意できないけど有給周りのことについてはめちゃくちゃわかるわ

最近若い連中は有給申請するときに「好きなゲームの発売日なので」とか「友達ディズニー行くので」とか普通に言いやがる

あまつさえ休み飲み会とき雑談でそれを公言しまくる

いや別にどんな理由有給使おうが別にいいけどそれを公言すんのは違うだろ

普通に「私用」で申請しろ

お前が遊んでいる間こっちは業務調整してお前の分の仕事もしてんだからもっと配慮をみせろや

普通に失礼だろうが

この辺の機微に疎い若者最近マジで増えたなって思うよ

こっちもニコニコ作り笑いして「そうなんだねー」って反応してあげてるけど普通に内心では疎まれてるってことに気づいた方がいい

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

anond:20240618201125

そういう妄想してる人はネット休みした方がいいぞ

DQNから叩かれるだけやで

anond:20240618181311

俺の職場普通に休みは仲いい奴らと一緒にラーメン食いに行ったり職場の休憩室で弁当食ったりするけど

単にお前がぼっちなだけなのでは?

旦那子どもが欲しいと言われた

私が欲しくないのにね!!!

旦那は元々子どもが欲しくない派だった

結婚して約半年旦那に「子どもが欲しい」と言われた。正確には、私に対して「子どもが欲しい?」という問いかけだったけど。

これを聞かれたときわたしはめちゃくちゃ驚いた。というのも、旦那子どもが欲しくない派だったからだ。

結婚をする前、付き合っていたときにも、「子どもが欲しい?」と聞かれたことがある。私は「相手が欲しいなら欲しいけど、欲しくないなら別にいらないしそこまでではない」と答えた。これは私の本心だった。私の答えに対して、旦那は「自分は欲しくないかな〜」と言った。なので、私たち子どもを作らず、二人で暮らしていくものだと思っていた。

子どもが欲しい旦那に対する私の最悪な答え

旦那に「子どもが欲しい」と聞かれたとき、私はびっくりして「〇〇(旦那)は欲しい?」と聞き返してしまった。質問質問で返すな。

旦那の答えは「いてもいいかな、楽しいと思う」的なものだった。それに対して、私は「〇〇が子育てをできる気がしない」と最悪な返事をしてしまった。でもこれも私の本心だった。

旦那絶対子育てができないと思う。旦那は私からすると良い男だし良い夫だ。でも、良い父親にはなれない。

私の中の親のイメージは、子どもが最優先だ。実際私はそうやって育ってきて、両親は私たち子どものためにあらゆることを犠牲にしてきたと思う。お金時間趣味仕事、そういったものを全て子どもに合わせられるかどうか。旦那がどうかはともかく、私にはその覚悟気概はない。

私に選択肢があると思っていた

旦那子どもが欲しい話をされて一番驚いた理由は、私に選択肢があると思っていたからだ。本当に最悪、最悪な女。

旦那子どもがいらないと思っていたから、ずっと一人で悩んでいた。私が欲しいと思えば産むだろうし、私がいらないと判断したら二人で暮らしていく。勝手にそう思っていたし、結局「いらない」という結論に至って、子どもがいない人生を歩もうとしていた。

当たり前だけど、子どもの有無は一人で決めるものではない。それが分かっていなかった。あまりにも愚か。そして、旦那子どもが欲しいという話をされてから1ヶ月以上経った今も、結論を出せずにいる。

子どもが欲しくない理由

子どもが欲しくない理由は大量にある。一方、欲しい理由は片手で数えられるほどしかない。この時点で、私は子育てができないと思う。

父親存在

私の人生において、父親存在はかなり大きい。父親は、常に私たち家族のために過ごしていた。

から、昔から漠然と、もし私が子どもを産むとしたら子どものために人生を捧げられる人が父親であってほしいと思っていた。時間お金生活趣味の全てを捨ててでも子どもを優先できる人。子どもが大好きで、子どものために生きられる人。

後述するけど、私は子ども自体がそこまで好きではなくて、多分普通母親にはなれるだろうけど、並以上の愛情を注ぐことはできない。せいぜい一人分が限界だ。だから、私以上、せめて私と同じぐらいには愛情と手間を注げる相手でないと子どもは作れない。愛情が足りなくて子どもを不幸にしてしまうという強迫観念を持っている。

障害遺伝

私は発達障害で、家族も同じ障害を持っている。完全に遺伝

それでも、私は幸せに生きてきた。家族から無尽蔵の愛情と、友人に恵まれたのと、勉強が得意だったことが主な理由だ。

子ども遺伝した場合子ども幸せに生きていけるのかという不安がある。家族から愛情私たちで頑張るとしても、友人をはじめとした人間関係学習能力ほとんど運だ。もし子どもが「産まれてこなければよかった」と言ったら、私にはかける言葉がない。私が原因だからだ。

生活不自由

私はとても自己中で、自分がしたいときにしたいことをできない状況が許せない。眠いときに寝たいし、お腹が空いたときに食べたいし、出かけたいときに外出をしたい。仕事は気分が乗ったときに取り組みたいし、お金自分のためだけに使いたい。

幸いなことに、今は上記の願いが全て叶っている。自分努力で望む仕事に就いたのと旦那理解の賜物だ。

子どもができるとこれら全てが失われる、と思っている。子ども中心になって、子どものための生活サイクル、外出、出費。きっと私は耐えられない。私はまだまだ自分人生を楽しみたいと強く思う。子ども人生を優先させる未来想像できない。よく「子育て自分人生追体験」と聞くけど、私は自己中だしまだまだ自分が主役で生きていきたい。この座は譲れない。

子どもへの嫌悪

そもそも子どもが嫌いという大きな理由がある。特に中学生以下が嫌い。

私はかなり器が小さくて、子どもからという理由で許せることが少ない。子どもに手をあげそうな気すらしている。イヤイヤ期や反抗期を耐えられるわけがないと思っている。

子どもが嫌い」というと「自分子どもだった時期があるのに?」と言われることがある。そう言われてもと感じる。おじさんは、自分がおじさんだからという理由でこの世のおじさん全員を好きになれるのか?

あと「自分の子どもは可愛いから大丈夫」とも言われる。そう感じる人もいるだろうけど、じゃあ仮にそう感じなかったときはどうすればいいんだろう。やっぱいらない、ができるわけもないのに。

妊娠出産への恐怖

これが一番大きな理由かもしれない。とにかく産みたくない。自分お腹の中に別の命がいるのが気持ち悪くて本当に無理だ。しかも1−2ヶ月ならまだしも10ヶ月も…? 

私は痛みにかなり弱い。少しでも頭痛がするとすぐに痛み止めを飲むし、病院での治療検査は全て麻酔ありを選択する。でも、出産は痛みありきの行為だ。無痛分娩も痛みはあるし、妊娠中も不調や痛みがつきまとう。

妊娠の何もかもが嫌で、自分子どもを産む可能性を想像すると、まず妊娠への嫌悪感でつまずく。

本当に最悪な話なんだけど、正直自分が男で相手が産んでくれるなら、子どもは欲しい。最低!このわがまま女!

自分精神状況

私は自分精神を安定させたいという気持ち人一倍強い。自分努力と行動の結果、今の生活は最高に幸せ。嫌なことを排除して排除してやっとこの状況に辿り着いたのに、子どもができると全てが崩れ去る。そうなったときに、自分精神が安定しているわけがない。不安定でぐちゃぐちゃで、死にたいと思うだろう。

子どもを産むと、もう後戻りはできない。絶対に今の生活には戻れない。まだまだ今を満喫していたい。

あと、仕事休みたくない。仕事が好きというより稼いでいる自分が好き。私の精神の安定には十分なお金必要で、旦那給料に頼って暮らす生活をするときっと自分を嫌いになる。100歩譲って、産んだあとに相手が育休を取って私が変わらず働くなら、もしかしたら子どもが欲しいと思えるのかもしれない。

子どもが欲しい理由

子どもが欲しい気持ちも少しだけある。理由は、親に孫を見せたいという気持ち楽しいと思える可能性があるという気持ち、これだけだ。

親は、孫を楽しみにしている。私に直接言うことはないけど、薄々伝わってくる。

兄弟結婚して子どもができれば、私が子どもを欲しいと思うことはなくなる気がする。もちろん、兄弟には絶対に言わないけど。結婚するもしないも、子どもを作るも作らないも本人の自由で、周りが触れることではない。

子どもができると、なんやかんや「子どもがいて楽しい」と思うんだろう。

でもそれは、子どもがいる自分を無理やり肯定したいだけではないか。今が不幸1・幸せ10人生とすると、自分子どもができると不幸100・幸せ60になる気がする。幸せも増えるけど、それ以上に不幸が増える。

絶対量ではなく相対量で判断する価値観を持っているから、増えた幸せよりも増えた不幸に執着してしまいそう。

本当は旦那子どもが欲しくないと思う

ただの予想だけど、本当は旦那子どもが欲しくないのではないか、と思う。

旦那からすると、人と暮らすようになり自分人生他人が入ってきた。その結果、年収が増えたり生活が整ったり部屋が綺麗になったり食事が出てきたり風邪を引かなくなったりなどのメリットが手に入った。お互い完全別家計趣味不干渉暮らしいるから、ある程度の自由もある。

子どもができたら、もっと良い生活楽しい生活になる、そう思っている気がする。

でも実際は、お金が減るし部屋は汚くなるし子ども風邪が移るし自由も無くなるし、デメリットがたくさんある。あくまでも私から見てだけど、それを理解していないように感じる。

デメリットちゃんと知ると、結局子どもが欲しくないと思うのではないだろうか、と勝手予測している。本当にどこまでも勝手な女。

子育て山登りのように感じる

私の努力もあり、今の人生には辛いことがない。例えるなら、毎日海を見てのどかに暮らすような生活。定年後のような暮らしをしている。

子どもを持つことは山を登るようなものだと思う。厳しい道でしんどいこともあるけど、時折見える絶景や頂上という目標への道のりに楽しさややりがいを感じるのだろう。大変だけど喜びも多い、そんな日々。

普通の人の生活は、私からするとマラソンのように見える。コツコツと走って、辛いときもあれば楽しい瞬間もある。会社の人に怒られたり失敗したり、目標を達成したり褒められたり。

どうせ走るなら山を登りたい、と山登りに惹かれるのかもしれない。

私は海辺のんびりと歩いているような日常だ。気分でなければ歩く必要もなくて、座って綺麗な景色を見ている。周りには誰もいなくてこの過ごし方に対して嫌なことを言われることもない。

そんな状態で山に登ろうと言われても、なんで?と感じる。もちろん山にもいいところだろうけど、わざわざ登ろうとは思えない。

それに、一度登ると今の生活には戻れない。息を切らして山を登りながら、「海に戻りたい」と二度と戻れない生活に想いを馳せ続ける人生は、私からするととてつもない地獄に思えてしまう。

まとめ

まとめると、私には何も覚悟がないのだと気づいた。これを書きながら子どもが欲しくない理由ばかり思い浮かぶし、頭の中にはマイナスの考えばかり漂っている。

子どもが欲しくない理由も、全てが幼い。自分自身が成熟しきれていなくて、本質的には子どもから大人側になりたくないのだと思う。自分人生子どもに捧げる覚悟がない。子ども幸せにする力も、自分子育て幸せになる未来も見えない。

私は考えがコロコロ変わるから、今はここまで欲しくないと思っても、いつかは欲しいと思うのかもしれない。今の考えを忘れないためにこれを書いたけど、後から見て嫌になってすぐ消す可能性もある。

てか、こんなところで勝手につらつらと書かれている旦那が一番可哀想だよ。ごめんね旦那あなたは何も悪くなくてただただ私の幼稚性が悪い。

anond:20240618143936

だ か ら 女性下方婚しろ

男女問題ほとんどはそれで解決するから

制度平等化しようと頑なに育休取らないのは、女性が頑なに下方婚をせず稼得圧を求めるから

で、給与が逆転した途端に離婚したがる女が後を絶たない。

男が稼ぐのが当たり前と女が考える社会で、キャリアダメージがあるかもしれない休みを取るのはリスクが高すぎるので誰もやらない。

はやく価値観アップデートして下方婚が当たり前の社会にしたら?

男女平等な国はとっくにやってますよ。

最近若いやつらが幼稚すぎて職場孤立してきた

職場の昼休みで出てくる会話といえばアニメゲーム漫画の話ばかり

休み中鬼滅の最新話がどうの新しく発売された漫画がどうのといい歳した大人中学生みたいに話している

部下はゲームの発売日に有給消化、たか国内旅行有給消化

「それはちょっとどうなんだ」と小言を言おうものなら人事から戒告されるから素直に認めるしかない

飲み会の会話の内容も仕事の話とかビジネスマンとしての在り方とかそういうまともな話なんて一切出ずにずっとアニメマンガドラマゲーム

俺が最近読んだビジネス書の話をしたら「へぇ、凄いっすね」とシラけた顔で流される

なぁ、これがまともな大人組織なのか?

いくらなんでも最近若い奴らは幼稚すぎるだろ

一昔前は大人組織の中でアニメ話題なんて口に出すのも憚られるようなものだった

いい歳して漫画を読んでいるようなのは社会から排除されて当然だった

今じゃ駅にもアニメ絵のソシャゲ広告があふれているし音楽もよくわかんないアニメの曲ばかりがランキングに載っている

ある意味、今の日本若い奴らは本当に気の毒な連中だよ

俺達の下の世代で「まともな大人の会話」ができるやつって今何人いるんだろうな

いつか俺らが死んだときのことが心配でならない

日本には幼稚なこども大人しか残らずにそのまま内側に引きこもってまともに社会を維持することすらできなくなってるんじゃないか

NHK-FMに起こっている異常事態

ちょっと大袈裟タイトルだが、FMで毎週番組担当している(していた)司会者から番組中で番組編成に対して苦言呈されるほどなので、結構な異常事態だと思う。

【前提】NHK-FM音楽番組が中心である(あった)。音楽を主に聴かせる朝昼のクラシック番組、正午のニュース後は同じく音楽中心の歌謡曲番組夕方若者向けの番組赤い公園津野米咲さんも週イチで担当されていた…)。

夜はクラシック演奏会ライブ録音番組放送後、若者向けの音楽番組ミュージシャンインタビューパーソナリティの語り多め。

ねこの編成であったが、NHK-AMの1波廃止決定以降大幅に変わった。ちなみにまだ廃止はされていない。

まず語学番組FMでも同時放送されることになった。朝6時からニュースを挟んで朝の8時までが語学番組枠に。

FM放送開始して間もなくの1963年から60年以上、朝6時の枠で放送されていたお馴染みのクラシック古楽番組が朝5時に追いやられた。

(ちなみにNHKFMの本開局は1969年だが、1957年より実験局として放送開始している。)

夕方若者向け番組廃止。およそ2時間の枠がレギュラー番組再放送枠になった。

AM廃止で枠を失う芸人アナウンサーバラエティ番組を押し込むために空けたんじゃないか邪推している)

長年親しまれている古楽番組の移動はリスナーから悲鳴が上がった。かなりマニアックな盤もかける番組なのでネットの聴き逃しの権利が取れず一部の週を除き聞き逃し配信が不可、聞きたければ5時に起きるしかなかったのだ。

抗議がかなりあったようで、今年ようやく6時に戻された。

そして昨年あたりから顕著になったのがレギュラー番組再放送の激増と、季節ごとの特別番組の激減である

元々は、5週ある月の5週目は再放送であることが多かったが、それ以外の週も「反響が大きかった回を特別に選んで再びお送りします」という体裁での再放送が増え始めた。週1で1ヶ月に4回しかないレギュラー番組なのに、月に1〜2回は再放送になる。

ピーター・バラカン番組中で苦言を呈していたようだ。

一番酷かったのは今年3月に終了した「洋楽グロリアスデイズ」である。これも前身番組含めて長く続いていた洋楽懐メロ番組だったのだが、終了の告知が2月で、2月3月最終回を除き全て再放送番組司会者もX(Twitter)で戸惑われていた。

そして、国民の祝日、夏のお盆休み年末には特別編成の番組放送される事が多かったのだがそれらもほとんど無くなった。

祝日には「今日は一日◯◯三昧」という生放送特集番組を朝から夜まで放送することが多かったが、昼からになり、そのうち番組自体ほとんど放送されることがなくなった。

夏や冬には昔の人気番組クロスオーバーイレブン」「夜の停車駅」が1週だけ復活、ということもあったがそれも無くなり、レギュラー番組再放送で埋められることになった。

さらに今年3月から先行放送された新番組「マイ・フェイバリットアルバム」、週替わりのゲストパーソナリティお気に入りアルバムを5枚紹介する番組だが、のっけから再放送だらけである

3月19日〜ヒャダイン

4月1日中川晃教

4月8日DJヤングスキニー

4月15日武田真治

4月22日鬼龍院翔

ここから1ヶ月間、5月20日分まではヒャダさんから放送やり直しの再放送が続く

5月20日秀島史香

5月27日七海ひろき

6月4日からまた鬼龍院翔〜で再放送である

6月11日〜栗本斉

6月18日からはまた七海ひろき再放送

4月から新番組でこれ。

からさまに予算を減らされている。それでテレビではプロジェクトXみたいな偏向回顧番組作ってるんだから文句の一つも言いたくなる。

おそらくはてな民ラジオANNくらいしか聞いていないだろうし、NHKFMなんて金の無駄から無くしてしまえくらいにしか思ってないだろう。俺らのお眼鏡に適わない、金にならない文化なんか消えても困らない、という空気は感じる。しかクラシック日本に紹介し続けたり現代の音楽を記録し続けたりとその意義は大きい。

しかNHKでも予算無限ではないし、近年は特に大きな話題にならないものは消していこうという姿勢のようだ。

儲かる儲からない関係なく、文化の記録を残していけるのはNHKしか出来ないと思っているのだが、NHKはもうそうはしたくないように見える。音楽がじっくり聴ける番組は今後更に減っていくし、レギュラー番組も年間に制作されるのは全週の三分の一ほどで、後はずっと再放送、になるのかもしれない。

世知辛さを感じている。



ちなみにNHK番組編成に関して意見を書く場合は、番組サイトから送るよりもNHKトップページのご意見から送る方が良いそうだ。

番組宛てだと番組スタッフしか見ないが、NHKへのご意見ならえらい人の目に入る可能性もあるそうで。これ3月に(NHKAMから引っ越し組だった)番組が終わったヤバTが最終回で言っていたので、間違いないと思われる。

婚活辞めたけどすごい開放感

休みの日を全部好きなことに使えるの最高

さながらサウナから出た時のよう

もう二度とやってやんねー死ねバーカバー日本滅べ!!

2024-06-17

東京ディズニーシーの新エリアファンタジースプリングス)に行くのはもう少し待った方が良いよ

今まさに文化の衝突が起きているさなかなので、そういうのが好物な人以外は、今は行かない方が良いよ。

概要

これは、ポジショントークなのに、読む人と利害が一致するタイプの珍しい状態なので、自分の記録も含みで書き残しておくよ

身バレはイヤなので、多少はボカして書くよ。

エリアは逃げないし、待てる人は待った方が良いよ

一番はコレ。そもそも、「どうしようかな?」と悩む人はいったん待つのが良いよ。

なぜならば、プレビュー争奪戦を超え、グランドオープンを終え、週末を2回ほど経た状態なので、どうしても行きたい人は既に相当数が行った後なので。

ただ、X(旧Twitter)でネタバレを踏みたくないとか、自分休みが合わずに行けてないけどどうしても行きたい!という人は、以下理由のあたりを覚悟して行くのが良いと思う。

いまはグランドオープン後すぐだよ

ディズニー的な書き方をするなら、ファンタジースプリングスエリアは、まだゲストを迎え入れ始めて間もない状態だよ。

アナとエルサも、アレンデール城にこんなにたくさんのお客様を歓迎するのは初めての経験だし、混乱するのは目に見えているよ。

なので、グランドオープン後の混乱を楽しめるくらいの気概が無いと、正直オススメはできないよ。

安全が最優先で、この優先順位が覆ることは無いよ

東京ディズニーリゾートにおいて、安全は何よりも優先されることで、この優先順位が覆ることは絶対に無いよ。

全てにおいて安全側に倒したコントロールが為されるので、結果として、アトラクションに乗れなかったり動かなかったり、場合によっては表示されている時間よりも並ぶことがあるよ。

そのせいで、なんだか不公平だなと感じることが起きたり、せっかくお金を払ったり時間をかけたのに、思い通りに行かないことが多くなるよ。

これは、ある程度時間が経ってみんなが慣れてくると、キビキビと対応できるようになったり、対策が練られてくる部分があるよ。でも2~3週間でどうにかなるものでは無いよ。

気合の入った人がまだまだ多いから、文化的な衝突が起こる可能性があるよ

ちょっと最初に言ったことと矛盾するかもだけど、どうしても行きたい人とは別に、すごい思い入れを持った人がまだまだたくさん詰めかけているところだよ。

実話ベースで行くと、アトラクション友達と「あれすごい!」とか「カワイイ」みたいな声をあげると、ツツかれて「動画に声が入るので遠慮してもらえませんか?」と言われたりするよ。

正直なところこれですらマシな可能性があって、思い入れのある人から見てマナーがなってないと思われた場合、X(旧Twitter)に急に晒されることもあるよ。

これはありとあらゆるところで起こる可能性があるので、ある意味ではちょっとピリピリした状況と言えなくもないよ。

ファンタジースプリングスホテルについては、積極的に今は避けた方が良いよ

オープン直後のホテルなんて、系列がたくさんあるホテルですら腕利きが集められてなんとか回していくようなことが多いのに、ファンタジースプリングスホテル前例がないホテルなのでより大変なのは想像に難くないよ。

その上、いまは文化的に大きく異なる人たちが大量に集まっているので、輪をかけて大変なことになっている可能性が高いよ。

ただ、お高めのディズニー関連施設はわりとお行儀の良い人が多いので、とんでもない目に会うことはまず無いと思う。

宿泊、料飲、宴会

ホテルバイトしたことがある人なら知っている人も多いだろうけれども、ある程度の規模以上のホテルでは、宴会と料飲が稼ぎ頭だったりするよ。

宴会は、パーティー披露宴なんかだね。割と事前準備の積み重ねと当日の大騒動で乗り切る感じのやつ。

料飲は、いわゆるレストランバーでのサービス提供で、業態によってはココがホテル花形だったりするよ。

そして宿泊は、流れ作業でかつイレギュラーが多く、その立地その建物独自対応方法が大量に存在する、ある意味ノウハウの塊だよ。

意外なことに、巨大な外資企業であっても属人性の高い領域であって、支配人が変わるだけで雰囲気すら変わることすらあるのがホテル面白いところだよ。

そして、開業間もないホテルにはこのノウハウが十分に蓄積されていないことが多いよ。

まあ、そういうもんだよねーと理解が出来る場合以外はあんまりオススメはできないよ。

値段と客層が一致しないことが多くなるよ

ぶっちゃけ名前出しちゃって書くけど、ヒルトン系列でも、コンラッドヒルトンでは客層がけっこう違うよ。

なんでかっていうと、コンラッドは高いから。ざっくり倍くらい違う。

とはいえ、どこも英語が通じて品質一定しててある程度期待通りのサービスが受けられるのは間違いないので、せっかくだからコンラッドにしちゃおうか!という人も泊まる。

なので、立地が良いコンラッドなんかだと、記念日のディナーの横で、旅行に来た大家族がもりもり食事を取ってる、なんていう光景もままみられる。

マリオット(リッツカールトン)とかもそうだけど、ある品質サービスに、結構お金をポンと払える人がわりと多く泊まっているよ。

とはいえ、これらは代替ホテルがないとどうしようもないので、そこにしかないホテルには、様々な文化から色んな前提を持った人たちが宿泊に来るよ。

なので、ちょっと高いけどまあせっかくだしなあ、というくらいの気持ちなら、今は避けた方が無難だよ。

具体的に避けた方が良い人たちと期間

おおむね1泊3~8万円くらいの金額相当で良く泊まってる人ほど避けた方が無難だよ。

10万越えに良く泊まるような人たちは失敗しても別にそんな痛手もないだろうし好きにしたら良いと思う)

感覚しかないけど、平日の稼働率が5割超えるような繁盛してるホテルだと、ある程度こなれるのに1年は欲しいような気がする。

ファンタジースプリングスホテルに関して言えば、半年でこなれたあたりでクリスマスを乗り越えて、年明けに夏休みを取り終わったスタッフが揃う2月とか4月あたりがねらい目なんじゃないかなあ。

これから暑くなるし、かと思えばクリスマスも控えてるし、となると、正直今年いっぱいはむつかしいのではなかろうか。

逆に、遠巻きに「あそこが伝説エリアか……」と眺めることができるなら、他の場所は空いているよ

今まさに新エリアには大量の思い入れのある人たちが集結しているし、まあせっかくディズニーシーに来たんだし行ってみたいよね、みたいな人も来ているので、逆に新エリア以外は割と空いているよ。

おおむね、2割引くらいの込み具合だよ。

とはいえ、激烈に空いてる!というほどではないので、まあ、多少オトクかな?くらいで、遠方からわざわざ企画してくるほどの空き具合ではないよ。

まとめ

ふんわり行ってみたいかもーくらいなら積極的に止めるくらい今の新エリアはわりとピリピリしているよ。

全然行ってないけど東京ディズニーシーに新エリアできたみたいだし行ってみるかーくらいの気持ちでも、あんまりオススメはしない。

個人的には、ファンタジースプリングスマジックを取れて、新エリア撮影雰囲気を楽しめてアトラクションも1つ2つは乗れなくても次の楽しみだよね、というくらいの気持ちの人にだけおススメできる感じ。

なので、どうしても子供が行きたがっている!という人は、おとなしくファンタジースプリングスホテル"以外"でバケーションパッケージを使って予約して、気合を入れて向かって欲しい。

あ、湿布は塗るタイプが剥がれないしお手軽だしおススメです。

マナーとは節度であり、授業中の水分補給はしないマナーってのは社会人になって商談中やクレーム対応中で相手の神経を逆なでしないことに繋がる

https://mainichi.jp/articles/20240615/k00/00m/040/007000c

授業中やテスト中に水を飲まないのがマナーって、めちゃくちゃ批判されてんだけどさ。

授業中やテスト中の水分補給フリーにしちゃうんじゃないのよ。どうしてもの時はOKなんでしょ。

本来休み時間に水分補給しておくべきところでしょ。

え、今の中学校って休み時間がなかったりするの?それなら仕方ないけど。

このマナー害悪だって言ってる奴ら、自分クレーム入れてる真っ最中相手が水分補給しても切れたりすんなよ。

あと、テストの時も水分補給自由にさせちゃうのは不正対策に余計なコストかかるようになるからな。念のため申し添えておきます

田舎庶民人権意識マジで終わってるから舐めないほうがいいよ

田舎引っ越してきて2年

最近つくづく思うんだが、ネット上で露悪的に言われるような差別的言葉を悪意なくリアル言い放つやつが田舎には多すぎる

ポリコレうっざいわ〜」といつも思っているような俺ですらドン引きするレベルの会話が行われまくってるんでその実例をご紹介したい

なお、訛りは標準語に変換

あんなカマホモみたいな競技の何がいいんだろうね」

会社の昼休み中、俺の妻はフィギュアスケートにハマってますよと話題に出したときに言われた一言

マホモってリアルで言えちゃうホントやべぇなってドン引きしてたんだが周りの同僚も「ですよね〜」みたいな反応していた

事務のA子さん、無駄大卒なんですよw」

会社飲み会で言われた一言

自己紹介時間みたいなのがあったんだが、A子さんの自己紹介が終わったあと隣に座ってた同僚がこそこそこれを言ってきた

その後、「A子さんは勇んで東京大学行ったんですけどこっちに戻ってきていまは事務ですからねw普通に最初から地元就職すればよかったのに無駄っすよねw」といらん補足説明までしてくれた

「まぁ要は最近オカマの人増えてるんでいらんこと言わないように気をつけましょってことですw」

東京本社リモート繋いでコンプラ研修やっていたときのこと

一通り研修が終わってから社内で振り返りをしていたとき課長から出た一言

お前は一体何を聞いていたんだと心の中でツッコまずにはいられなかった

あんたは子供作らないの?あん美人奥さんいるのにもったいないね!」

いわゆるDINKsをやっているんだが近所のおじさんにニコニコ言われた一言

この地域にはデリカシーという概念はないのだなと察したきっか

「はぇ〜、ずいぶん尻に敷かれているんだね!」

リモート勤務の日は私が夕飯作ってますよと言ったときの反応

男が料理するものではないという考え方は余裕で現役のようです

田舎なめてた

これらの発言の怖さはマジで欠片も悪意がないということ

東京上記のことを言えば上司から戒告処分の一つでも余裕でくだされると思うが田舎ではそんなことはない

故に普通に生きてりゃ身についていくであろうデリカシーも全く身についていない

そしてこの地域ではそれが当然なわけである

正直異星に来た気分だった

ちなみに俺は再来月にこの田舎からさらばしてまた東京に戻れる予定

ありがとう田舎価値観アップデートされたよ

地方の個々人の人権意識東京平成初期くらいの基準です

夏まだなのに暑さでぐったりな増田酢魔なりタッグで冊アニの灘待つな(回文

おはようございます

急に暑さきてから

なんかぐったりな感じがするんだけど、

筆が進まないわーって思いつつ

本番が夏に向けて忙しくなりそうで

その気配を感じつつ

私は今日も暑くなるのね?ってちょっとうそうに夏まだだというのにぐったりやられている感じだわ。

これなんなのかしらね

久しくこんな調子は初めてな気がするわ。

たぶん梅雨入りしていない感じもあるから

順序を追って暑くなってもらわないと調子狂うのよ?

違うかー?

休みの日に詰め込む予定が多すぎて

それも疲れている原因になっているのかも知れないし、

調子に乗って早い時間にお誘いがあっての飲み会とかもありつつ、

あーこれがたぶん原因かも!って思い、

帰ったら帰ったで

うそうに激眠に襲われる羽目になるの。

外す羽目もないぐらいの詰めようよ。

今日は1日頑張ってささっと終わらせられたら帰って寝るわ。

暑くなってきているから要注意よ。

私は大人しくしておくわ。

うふふ。


今日朝ご飯

遅くまで寝ていたので

家で食べると言うよりまたサンドイッチ屋さんを頼りがちの

ミックスサンドしました。

なんかタマゾーン薄いなぁって思いつつ。

タマサンドにもしようかと思いつつ

バラエティーに富んだミックス感が否めなかったので

ミックスにしたわ。

デトックスウォーター

世間ではオクラオクラウォーラー流行ってるらしいわよ!

やっと世間が追いついてきた感じね!って思いつつ、

新聞広告に引っ張られて私もオクラウォーラーこしらえてみたわ。

まあ簡単オクラを刻んでウォーラーに入れればオーケー

簡単粘り気をゲット出来るウォーラーとしてはうってつけらしいわよ。

そんなオクラウォーラーね。

暑くなってきているので、

水分補給はしっかりとね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

ゲーム制作虚しすぎる

6歳の誕生日、親に買ってもらったゲーム機で遊んで俺は衝撃を受けた。

その前からゲーム付き電卓みたいのはやらせてもらっていたがレベルが違った。

画面の向こうには別世界が広がっていて、俺はその世界ヒーローだった。

それから俺はゲームにのめり込んで、ゲームのために生きてきた。

ゲームをやるために飯を食って寝て学校に行き、ゲーム禁止されないために勉強をした。

ゲームクリエイターになりたいか教養を身に着け、情報を集め、ゲームをひたすらやった。

プログラミングは正直クソつまんねーと思ったけどゲームを作るためだからと頑張って覚えた。

そして会社に入って、ゲームを作って、趣味でも勉強して、順調な人生だ。

他人が同じように人生を語ったら順調すぎてウゼーと思ったろうな。

でもゲーム作ってるうちに気付くんだな、俺如きが関わってもゲームなんて面白くならねえって。俺の中に面白ゲームを作る才能がねえ。

ゲーム作ってて面白かったと思えるものがねえ。

人生を乗り換えるのが面倒だから乗り続けた電車は俺を帰り道の分からない知らん所へ運んじまった。

マネタイズの仕組み化がやらしいとか、バグを取るのが面倒とかそういう複雑な話じゃねえ。

単純にゲームを作るのは遊ぶのと比べてコスパが悪すぎるってだけのことだ。

一人で作ったしょーもないゲームを作り上げたときにあるのは虚しさだ。

なんでこんな遊んだ人間時間無駄にするだけの存在を作ったのかと。

多少のダウンロードはされる。

レビューはつかない。

★1が投げられる所までもやってないのかも知れん。

虚無だ。

会社で作ったゲームに対しての虚しさはその何倍もの強さがある。

俺が関わった部分が全体の足を引っ張ってるような気がしてならない。

エゴサして面白いと褒められてる部分は俺が関わってないような所だらけだ。

実際には影響を及ぼせるような仕事はしてないから単なる妄想だ。

ただの一部分でしかねえ。

合奏コンクール口パクしてる奴らと俺の立ち位置に違いなんてねえ。

そしてそもそも、俺たちは参加賞しかもらえねえ負け組集団だ。

ゲーム作って何が一番虚しいって、ノイズしかえことだ。

世界必要のねえ贅沢品でしかなく、しかデジタルデータからいくらでも量産できる。

そんな中でしょーもないものいくら増えても世の中は豊かにならねえ。

食い物なら不味くても腹の足しにはなる。

掃除とか工事とかも人出が増えれば荷物持ちぐらいにはなって世の中が少し回りやすくなる。

工場従業員が増えて休みやすくなれば事故は減るし、流通人間全然足りてない。

ゲームなんてのはクソゲー掴んだらただ金ドブなんじゃなくて時間無駄になる。

世の中に与えている価値マイナスなんだ。

観葉植物や変な洗剤を高値で売りつけるヤクザねずみ講と同じような社会にとってマイナス労働だ。

虚無しかねえ。

俺はただの寄生虫だ。

水商売に手を出すなってのはこういう話なんだな。

縁日ペンキ塗ったひよこ売って生計立ててる詐欺師みてえなもんだ。

なんでこんな人生になったんだろう。

最近ゲームを遊ぶのも楽しくねえ。

楽しいゲームを作れた奴らへの嫉妬しかねえ。

他人感謝される仕事してる奴らは人生うまく行きすぎだろ。

戻れない年齢になってから突然歯車が狂ってほしい。

俺と同じ地獄に落ちたとして過去の栄光がある方がきっと辛い。

そこでなら、俺のほうが幸せになれる。

ああ、俺って負けず嫌いなだけかなあ。

2024-06-16

anond:20240229201607

これを書いた増田です。

結果的に生きてます(笑)

この後ぐちゃぐちゃしながら考えてたんですけど、まあ最終的には誰かに言えてたんならそもそもこんな風に追い詰められたりしなかったよなと半生を振り返り、じゃあ別に今誰にも言えてないのもおかしくないか、と溜飲を下げることが出来たからです。

結果的には部屋がめちゃくちゃがらんとした人になって職場でちょい浮いてる人で終わった。

ホルモンバランスめちゃくちゃになったので婦人科病院に通いつつ、相変わらずカウンセリングを受けたりもせず情緒不安定になりながら生きています

会社も続けてます

辞めるつもりではあるけど。

とりあえずプロジェクトを移って嫌いな先輩の下に付けられてるけど嫌いだからこそ遠慮せず仕事出来てる感ある。

今回の件で上の人を信じられなくなったので、お金貯めたらやめようと思う。まだ体力が回復しきらなくて休みがちなのに風当たりが強いのもキツい。

パワハラしてきた人間は、それそれで病んだらしくて数日間仕事を休んだらしい。

別に今は世間話くらいはできるし、あの時は色々重なったんだねという感じ。

相変わらず、好きな人には好きと言えてないしそばにいて欲しい時にそばにいてとは言えない人生だけど。

家族パワハラで1ヶ月くらいまともに働いてなかったんだよね〜とか言えてないけど。

きっといつか好きな人ちゃんと好きと言って振られて、私を好きと言ってくれる人と一緒になれる人間になります。なんでも誰かに相談したり、抱え込まずに相談できる人になりたい。

あれから3ヶ月?たって、ぽつぽつ親しい友人にあの頃実は…と話し始めました。会話に矛盾が出るのが気持ち悪くて。

危惧結構当たってて、なんかこう、私が思ったよりもみんなそっか〜みたいな感じだった。多分事を荒立てないようにしてくれたんだと思うけど、きっとあの頃話して同じ反応されてたら病み散らかして死んでたから今のタイミングで話すのが1番だったんだと思う。

からでも仕事をやめようと言ってくれた友人と結婚したい。

今もこれを書きながら涙が止まらなくて、あの頃が私に残した傷の深さを思い知ってる。

あの時死んでればよかったとも、死ななくてよかったとも思ってて、だからこそ逆に、いつ死んでもいいように生きなくちゃ行けないと強く思うようになった。死にたくなった時気持ちよく死ねるように、頑張ろうと思う。

最後

こういうこと書いてる人のところで喧嘩すると本当に死ぬ人もいるから気をつけた方がいいぞ…と思いながら真剣レスバしてくれた人には感謝、おふざけで喧嘩に乗ったやつはできるだけ不愉快なことが起こるように祈ってます

追記

長くてごめんね。

ここに書いていいよって言われて救われました。今後も沢山書くから

anond:20240229201607


これを書いた増田です。

結果的に生きてます(笑)

この後ぐちゃぐちゃしながら考えてたんですけど、まあ最終的には誰かに言えてたんならそもそもこんな風に追い詰められたりしなかったよなと半生を振り返り、じゃあ別に今誰にも言えてないのもおかしくないか、と溜飲を下げることが出来たからです。

結果的には部屋がめちゃくちゃがらんとした人になって職場でちょい浮いてる人で終わった。

ホルモンバランスめちゃくちゃになったので婦人科病院に通いつつ、相変わらずカウンセリングを受けたりもせず情緒不安定になりながら生きています

会社も続けてます

辞めるつもりではあるけど。

とりあえずプロジェクトを移って嫌いな先輩の下に付けられてるけど嫌いだからこそ遠慮せず仕事出来てる感ある。

今回の件で上の人を信じられなくなったので、お金貯めたらやめようと思う。まだ体力が回復しきらなくて休みがちなのに風当たりが強いのもキツい。

パワハラしてきた人間は、それそれで病んだらしくて数日間仕事を休んだらしい。

別に今は世間話くらいはできるし、あの時は色々重なったんだねという感じ。

相変わらず、好きな人には好きと言えてないしそばにいて欲しい時にそばにいてとは言えない人生だけど。

家族パワハラで1ヶ月くらいまともに働いてなかったんだよね〜とか言えてないけど。

きっといつか好きな人ちゃんと好きと言って振られて、私を好きと言ってくれる人と一緒になれる人間になります。なんでも誰かに相談したり、抱え込まずに相談できる人になりたい。

あれから3ヶ月?たって、ぽつぽつ親しい友人にあの頃実は…と話し始めました。会話に矛盾が出るのが気持ち悪くて。

危惧結構当たってて、なんかこう、私が思ったよりもみんなそっか〜みたいな感じだった。多分事を荒立てないようにしてくれたんだと思うけど、きっとあの頃話して同じ反応されてたら病み散らかして死んでたから今のタイミングで話すのが1番だったんだと思う。

からでも仕事をやめようと言ってくれた友人と結婚したい。

今もこれを書きながら涙が止まらなくて、あの頃が私に残した傷の深さを思い知ってる。

あの時死んでればよかったとも、死ななくてよかったとも思ってて、だからこそ逆に、いつ死んでもいいように生きなくちゃ行けないと強く思うようになった。死にたくなった時気持ちよく死ねるように、頑張ろうと思う。

最後

こういうこと書いてる人のところで喧嘩すると本当に死ぬ人もいるから気をつけた方がいいぞ…と思いながら真剣レスバしてくれた人には感謝、おふざけで喧嘩に乗ったやつはできるだけ不愉快なことが起こるように祈ってます

anond:20240616122706

自民党シンパは未だに「安倍さん」と呼んでるで。

職場おっちゃんが昼休み食堂テレビ野次飛ばしてる時に「安倍さん」だったら良かったのにな―と「岸田」の批判をしてるの聞いたことあってビビるで。

一部の奴らにとっては「安倍さん」はアベノミクス日本経済を救ってくれたヒーローなんやで。

ほんま謎。

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