はてなキーワード: ライフワークとは
コロナで人生が変わってしまった人は多いと思う。私も仕事の雰囲気が変わり始めている。
私は運がいいことに、やりたいこと興味のあることを比較的できる研究者を某旧帝大でやれる機会に恵まれている。専門は化学。だが、それも音をたてて変わり始めている。
もともと将来の仕事を何にしようと明確に描いたことはなかった。幼少期に育った地域は比較的英才教育とは程遠い地域であり、貧困家庭も多かった。友人の家に行くと昼間からおじさんがゲームをしていたり、パチンコや酒に明け暮れている、そんな地域である。小学校でありながらも学級崩壊に近いことが起きており、義務教育の内容をきっちりと終えることができなかったと記憶している。そんな状況を深く考えることはなく、私は周りの事象に対して疑問を持ち、調べるのが好きだった。なぜ水は雨として降ってきて、山を流れて、コンクリートの隙間から流れていくか。そんなことが気づいたときには不思議だったと思う。幸いにして先生にも恵まれた。疑問をもち、それを自分のペースで解決するのが好きであり、校庭のはじっこで疑問点などを書き出していたときに理科の若い先生が理科室に誘ってくれた。そこには違う世界があり、好きなだけ実験していいと言われてのめり込んだ。ガスバーナーをつけてよくわからない化合物を熱して色が変わる、気体がでる。一つ一つが楽しくてしょうがなかった。だが先生がある日突然学校に来なくなってしまい、程なくして全校集会が開かれた。持病の喘息でなくなったらしい。どうしたらいいのかよくわからないくらい、悲しかった。狭い実験室の僅かな道具から世界の広さをあれ程教えてくれた先生がこの世からいなくなってしまったのが悲しかった。学問は世界を広げてくれるというのを肌で教えてもらえたと実感している。
当時はショックだったが、中学校から親の転職の関係で引っ越し、比較的普通の地域に引っ越してしまった。小学校のときにはサワガニを追ったり、カエルを捕まえて、ビーダマンからでてくるビー玉の平均距離などをひたすら数える子供であったが、引っ越した地域では勉強熱心な地域であり、誰も放課後には遊んでいる子供はいなかった。塾に行くとのはなしだったが、恥ずかしながら塾という単語を知らなかった。動物を捕まえた数よりも試験の点数を重視する地域であり、ひどく狼狽したのを覚えている。小学校での経験があってか理科と数学が楽しくて仕方がなかったが、何故か閉塞感があった。あくまで中学高校でのお勉強というのは与えられた範囲でやる学びであり、そこに自由度は少なかった。結果的に勉強はできたのでとにかく自由を求めていた。高校には入ったが、倫理の先生と哲学の議論ばかりしていた。こう考えると私は先生に恵まれているのだが、先生に学びの自由を求められる場所はと聞いたときに日本には殆どないと言われてしまった。あ、そういえばといって、それがきっかけとなり京都にある大学に行くことになった。
大学は自由であった。毎年謎に作られる像やコスプレ卒業式で有名な大学であるが、学生の多様性がまったくもって違っていた。そこでも縛られるのが苦手な私は大学で授業に行けなかった。ただ、大学の図書館にはホコリを被っていながらもたまらなく刺激的な書籍が非常に多くあり、図書館に毎日通った。楽しくて楽しくて仕方がなかった。たぶんそれは小学生の時に一人で課題を設定して、問題解決をする。そういうプロセスであっただろう。数式、活字が踊っているようにすら感じた。一般教養の授業でもムラ社会を議論する授業や、紙飛行機を飛ばす授業など色々あり、不思議な授業であったと思う。ただ相変わらず大学の専門の授業は指定の教科書から逸脱していなく、面白くなかった。ある意味授業に関しては圧倒的に劣等生であったが、たまたま行った授業のときに言われた印象的な言葉がある。「結婚は何回でもできるが、研究室選びは一度しかできない。」人生のパートナーは何度でも選べるが、人生の専門となる研究室は一度しか選べないとのことだった。へそ曲がりな私は研究室で変わったことがやりたいと思い、研究室を巡ったが、どれもこれも古臭いホコリを被った図書館で聞いたことがあるような内容だった。日本の最高学府が学問として理解できてしまうということが非常に悲しかった。ただ、たまたま非常に尖った研究室があり、そこで私を拾ってもらえた。やはり私は先生に恵まれていた。研究室は今思えば世界的に有名で先駆的な研究室であり、そこで自由に研究を行う機会に恵まれた。朝から晩まで先輩後輩教員とディスカッションしながら、自由自在に研究をすることができる。研究費も潤沢であり、装置も多くあるために闇実験で自分の考えるすべての実験ができてしまった。卒論のテーマも自分でかってにテーマ設定をして卒論発表までさせてもらえた。今思えばあんなことに、というテーマであったが、当時は楽しくて仕方がなかった。卒論が終わった当日、テーマの変更を推奨された。初めて方向性を提示されたが、一言であった。ここには恩師の力があったと思う。結果的に与えられたテーマとは関係なく、M1で勝手に実験をして修士で論文を3本書いた。楽しくて仕方がなく、博士課程に進学した。博士では論文を12本書いた。ちょっとした自慢である。
博士の資格は名刺の角に書くことができる運転免許のようなものであるというのはよく言ったもので、単なる認定試験である。友人が大学のポジションの公募に出す中、私は自分の学問を切り開くのだと思い、博士研究員をすることに決めた。なんとなく海外は日本より風通しが良いだろうと思い、日本の研究費から支援をうけて、海外に2年間いけることになり、それまでに一切したことがない分野に飛び込んだ。将来学問を切り開くためには甘んじて先達のいる学問をすすめるよりも、開拓者であるべきという精神である。ただ現実は厳しかった。言った先の研究室では私は初めての外国人であり、装置の使い方、実験の仕方、単語すらわかっていなかった。学部生に単語の意味から教えてもらいながら、教科書を端から端まで読んで、理解した。論文は2年間で3000報くらい読んだ。めちゃくちゃ勉強し、1日の睡眠時間は3時間程度だった。結果的に分野での最高峰の論文誌に数報報告することができて、ライフワークが見つかったと思った。ただこの辺りから研究に対する見え方が変わってきたと思う。日本人会でいつも飲んだくれている友人がいた。大学では見たことがないが日本人の友人を探しているようだった。何が楽しくて研究をしに海外に来ているのかというふうに聞くと彼は出身研究室に戻るので1年間遊びに来ていると話していた。悪い冗談かと思っていたが、実際に彼は日本の出身研究室で職を得て戻っていった。不思議なものである。
当時の海外での受け入れ研究室の教員にぜひともこの国で残って研究をすすめるべきだと言われた。日本は講座制の影響もあり若い研究者が活躍しにくいということを聞きつけていてくれていたらしい。ただそのときに今まで私を支えてくれた恩師たちの姿が頭をよぎり、日本に恩返しをするべきではないかと思った。施されたら施し返すという精神である。日本に戻るためには公募の書類を出さないと行けないのだが、不思議と通らない。面接にすら呼ばれない。それまでに分析していなかった私が悪かったのだが、どうやら日本ではコネというのが幅を効かせているらしく、面接にすら呼ばれない。それとずっと付き合っていた婚約者との結婚もあり、フットワークの軽い私はならば日本に帰ろうと、日本に帰り、講演ツアーを行った。幸いにしてその一つが目に止まり、研究プロジェクトの一環で雇ってもらえた。そこでも好きに研究をしていいと言われ、論文を好きに書いた。楽しかった。研究だけしてたまに論文を書けばいいというのは至極楽しかった。ただ、学生と研究ができないのがとてつもなく寂しく、コネはなかったが、海外の訳のわからない研究室で研究をしているよりも経験をつんで日本で研究している私は魅力的に見えたのか、公募に通った。めぐり合わせというのは不思議なものである。
こうしてやっとただの研究者から大学教員になることができた。恒久的に研究ができるというのは非常に幸せであり、研究以外も楽しんだ。毎週の授業というのはライブである。そのへんのストリートミュージシャンよりも自分の一つ一つの発言を学生に聞いてもらえることができ、研究に対するスタンスなど伝えることもできる。学問というのは積み重ねの学問である。積み重ねがあるから新しさがわかる。ひとつひとつ丁寧に教えていき、学問の楽しさを伝えたが、やたらと聞かれるのは単位がとれるかかどうかであった。研究室でも熱意をもって新しい実験の仕方や、研究分野の掘り下げのための論文読み込みを学生と一緒に行った。ただ、学生から文句が出てそんなに頑張りたくないとも言われてしまった。悲しい。私はそんなに魅力がないのだろうか。大学教員というのは研究以外の思った以上の雑用があり、それに追われていた。ただ、そのたびに今まで知的教育を享受してき立場からそれを授与できる立場にならねばと思い、一所懸命に振る舞った。その結果ここでの学問結果をなんとかして論文にすることができた。これからすべてが軌道に乗る、そう思っていた。
そんな先のコロナである。実験を専門としている私は当然大学に来なければ研究をすすめることができない。だが、緊急事態宣言のあおりをくらい、研究室での研究活動はオンライン中心になり、さらに愛妻は妊娠中であったために下手な行動はできない。研究が中心であった私の生活は転換を余儀なくされた。学生と最新の実験成果を共有できない、授業はオンラインとなりzoomの先では、全く授業を聞いていない学生がいるかも知れないという状況で苦しかった。価値観も変わらざるを得ない矢先に子供が生まれた。福音であった。
学問というのは先んじてその場で役に立つものではないが積み重ねだと思っている。子供も同じで、毎日毎日状況が日進月歩である。首を動かすことがしんどそうだった子供が、今では自分の力で首を動かし、光の導く先を必死に見ようとしている。大学で学びをしている学生で一時的にやる気を失っている子もかつては私の子供と同様日々ひとつひとつできていくということが楽しかったのだろう。相変わらず大学での研究活動は制限されている。以前ほどの自由は担保されておらず、どうしても何かしらを管理する必要がある。その一つ一つの行為が私には苦しい。ニュートンはスペイン風邪のタイミングで新たな学問をみつけた。私にはそれほど頑張ることはできるかわからないが、研究を行い、学生に希望や考え方を論理的に教えるというのが現在の職での義務であろう。間違いなく私の研究生産性は下がったが、価値を下げず上げることが義務であると思い、日々努力している。
私はどちらかというと男性向けで活動しているんだけど、ときどき名義を変えて、女性向けでも活動している。
商業でも連載を持っていて、そちらでもある程度認められている方だと思う。
だから、増田と違って、作品作りに比重を置いていない、とは言えないし、
一番の違いはそこだと思う。
私の場合は、崇拝されることもあれば、激しく嫉妬されたり罵倒されたりすることもある。
どちらにせよものすごく執着される。
その執着ぶりは、あまり他人に関心がもてない私にとってもはや不思議なレベルで、
かわしても、受け流しても、無視しても、反応しても、あんまり意味はなかった。
もう人間が嫌いになってきた。
ライフワークや好きなことをしているだけなのに、
ただ、ペンネームとはいえ名前を出して作品を発表するということは、
執着されることからは逃れられないのだと、頭では分かってもいる。
耐えられる器には限界があるんだよね。
元増田の作品を見たことがあるかもしれないし、ないかもしれないけど、
もしまた気が向いたら、ふらっと何かを作って、発表してくれたら、私は嬉しいな。
欧米で予約なしで診療受けようとしたら、どれだけ待たされることか…
そして良質でもある。医師のライフワークバランスの犠牲の上にね。
https://news.yahoo.co.jp/byline/mamoruichikawa/20180829-00091924/
のに。
婚活女が、男に「結婚したい」と思ってもらうためには。料理が好き、家事全般好き、経済観念もそこそこあります!の家庭的メリット女子力()アピールが必要らしかった。
(人気の婚活本、愛されテクニック系の書籍、ブログなどを読む限り)
実際プロポーズの決め手は料理好きなところと、ふるさと納税の申し込みなどをきちんとやってくれる所(経済観念?)だったらしいから。
だってどれも別にライフワークにするほど好きじゃない(=作業)から。
(清掃業者になるくらい掃除好きとか料理研究家になるくらい料理好きとかそういう仕事にするレベルで好きならいいかもね)
その論理で行くと、そう言う家庭的女に食いつく男性は年収も【低〜中の上】くらいで
女性はこうあるべき!女子力とは!家事育児はお前の仕事!とか言うモラハラ予備軍な人になってしまうだろう。
※余談:年収が高すぎる人は家事もプロに外注したりするし、嫁にそこまで求めない傾向がありそう。
例) 若い金持ちはモテるから遊ぶ=そもそも結婚先送りしがちで嫁いない。
若くない金持ちは金持ってなかったら釣り合わないような若い子をトロフィーワイフ的に求めるから家事より容姿を求めがち。もちろん本人の外見等で例外あり。
高年収の人は置いておいて、要は、自分のママみたいな人が欲しいんだよね。美味しいご飯作ってくれて、身の回りのお世話を献身的にしてくれて、無償の愛を捧げてくれて。
さらに自分の子を生んで育ててくれて、稼いでくれる俺に感謝と尊敬をしてくれる、優しくて褒め上手な可愛い嫁が欲しいんだよね。
経済的に旦那に寄りかかるなら、旦那のママ代わりで尽くす覚悟はある程度必要なのかも。
今の30代以上の人の育った家庭(主に首都圏)の親世代は専業主婦家庭が恐らくメジャーなのでそのママのような良妻賢母が当たり前に求められるのかも。
でも今はうちのように正社員二馬力で年収もほぼ変わらない家庭も多い。
そうなると完璧な旦那のママ(専業主婦)と同じクオリティの尽くしをするには限界がある。
ただ、私も女として育てられてきた過程で、
『彼氏や旦那様のために美味しい手料理を作る、綺麗好きで子ども好きでママのように女子力の高いのが良い』
のような、女の子はこうあるべき、男の人に愛されて尽くして、それが女の幸せ!
とテレビドラマや女性向け雑誌のモテ技コーナー、また学校教育の中で染み付けられ、思い込まされてきたと感じている。
だから料理もがんばったし、彼女らしく、奥さんらしく尽くせることに幸せを感じたりもした。それも思い込みで、束の間だったけど。
私の家は貧しい方なので、親世代の中では珍しく共働きで、母は父より稼いでいたけど、それでも父は台所に立ったことも食器を片付けたことも掃除をしているのも見たことがない。
「男の子だったら塾に通わせたいけど…女の子はどうせ嫁に行くしな」
とも言われる始末。
今となっては「お母さんより稼いでないお前はなぜテレビ見て横になってるの?作って貰ったのに皿くらい片付けろよ。」と思えるけど、その時は思わなかった。
だから旦那が友達の奥さんのことを「あんな奥さん理想だなぁ。三歩下がって主人を立てて。」って言ってたのもそういう教育の賜物なんだと思う。
男も、女も、誰も悪くない。そう摺り込まれ、教育でプログラムされただけなのだから。
当時はそうしなければならない経済的(社会的?)事情があったのかもしれないし。
結婚してみて気付いたことで、男の人がずるいと感じてしまうのは、
独身時代同様、仕事や趣味に全振りして、職場ではそれなりに評価され、順当に昇進していくこと。羨ましい。
女性のように出産で1人産むごとに1年以上キャリアに穴を開けることもなければ、子どもがいる人は避けよう、と飲み会に誘われなくなることもない。
就活の面接で「結婚願望はありますか?折角育てて立場を与えてもすぐに寿退社や産休を取られてはねぇ…」と言われて悲しくて泣いたこともあったから。
でも女はそういうものと教育をうけ、それに納得しておきながら、結婚を望み、子どもを望み、今の生活を選んだ以上、私に責任がある。
今自分が選んだこの世界の中で、ただ家に尽くすだけの愛され婚活本の中の古きよきテンプレ女性像を目指すのではなく、
私は私らしく仕事も趣味も自分の好きなことをもっと頑張ればいいし、そのためには尽くしすぎず頑張りすぎないことを頑張ろうかな。
男性のことも妬んだり嫌いになりたくないし、男だからこうではなく、この人だからこんな魅力がある、と思えて家族を愛せるようになれたらいいな。
自分のことを家事育児ロボット(生活費稼ぎ機能付き)と思い蔑まず、1人の人間として大切にしたら、きっと旦那や周囲から大切にしてもらえる気がする。
「男は得してる」そう思えばそれを言い訳に頑張らなくなるから。
むしろ家事育児完璧にこなして旦那を愛しつつ旦那より稼げるようになったらかっこいいじゃん。はー、体力つけなきゃ。
黒人vs白人論争を男尊女卑に置き換えて語る人もいるけど、男女間で憎みあってもお互い不幸なだけと思う。
女だからを言い訳にせず、諦めることをやめ、しあわせになりたい。
だからせめて自分の子どもには、男尊女卑の摺り込み教育はしない。女も男も等しく価値のある存在で仕事でも夫婦間でも対等なライバルであっていいんだよと言ってあげたい。
結婚相手に求める譲れない条件って、せいぜい二つまでで事足りるんじゃね?
一、「生活に関係する重要事項に関して話し合って決める」ということをすることができる
・自分の欲望や価値観と他人のそれとを天秤にかけリソースを割り振る際の「割り振り方」の感性が合う
・「話し合いで決める(落としどころを作る)」スキルがある
をクリアしていなければできないこと。
「生活に関する重要事項」とは具体的には「子どもが欲しいか否か、欲しい場合に必要なカネ・時間・労力をどうするか」「仕事と家庭維持労働の分担配分」「介護労働の分担配分」など。
落としどころを作るのはかなり高度なスキルで、ビジネスでは「一般論から方向性を決定しようとする」「とにかく自分の要望を通すため、または自分の負担を減らすためにはなりふり構わない」「話し合いの席につかない」などの逃げを打つことを許容する向きがしばしばあるが、これを多用しがちなタイプはNG。
→「あの人のどこがいいかと尋ねる人」に、都々逸の通り「どこが悪いと問い返す」を素で行けるか、「ここが良いだろうが!!」とマジギレし返せるくらいが理想。
そこまでじゃなくても、「全体としては生理的に無理ってわけではない」は満たしたい。
「相手からやられたらストレスなムーブ」が発生したときに、なんだかんだで惚れてる方が比較的耐えやすい。あばたもえくぼ。
以上。みたいな。
そして、この一つめを満たすのには実はかなり出来た人間でないとならない。
例えば思考が侵されるほどの依存症患者や、ネットで他人を叩くことにハマっている正義中毒者には満たせないし、話し合いができる精神状態を保ち続けるためのカネや睡眠時間に余裕が必要がないタイプ、即ちワープアやライフワークに全精力注ぎ込むような天才系変人または変人系天才にも難しい。人と会話できない(意志疎通行為自体に難がある)コミュ障も論外レベルで厳しい。
足切りとしては上々だろう。
ゲームが、酒が、タバコが、ギャンブルが、芸能ニュースが、アイドルが、ダメっていうのは、要するに「自分からしてみれば、何がいいのかわからないからダメ」なのだ。
しかしそれは足切りラインに設定するべきじゃない。というのも、上記の一番を満たしていそうかどうかを察知するために非常に有用な話のタネになるからだ。
自分には良さがわからなくても、相手方にすれば「ここが良い」ポイントがあるかもしれない。或いは「確かにメリットがないから、やめるよう心掛ける」という譲歩もあるかもしれない。
そのどちらにせよ、そういった反応を相手方から引き出そう、そういうコミュニケーションを持とうと自分が思えるかどうかを検討するべきなのだ。
思えないのなら、その結婚は無理がある。
小説執筆経験を含め、創作経験は無かった。仕事で文章を書くことはあるが、クリエイティブなものではない。
読書家と言えるほど読む量は多くないし、映画・アニメマニアなどに比べれば全く観ていないが、フィクションは好きな方だと思う。
投稿締切が今日だったので、まだわからない。1次選考の結果は7月で、最終選考の結果発表は10月らしい。
結果が出た後だと、良くても悪くてもまとめる気にならないし、変に情報を取捨選択してしまうと思うので、このタイミングで書き残しておく。
小説・映画・漫画・アニメなどの作品をみてストーリーについて「こうすればもっと面白くなるのに」と思う時が多かった。
あわよくばいろんな人に読んでほしいし、収入源にもなればと思った。ただ、今は普通に小説を出しても売れない時代。アニメ・ドラマ・映画化などのメディアミックスの選択肢が多いライトノベルは、まだマーケティング的に強いと思った。電撃を選んだのは、単純に最大手だから。
絵が描けない(ありがち)。
物語の作り方を勉強しようと思い、脚本についての本をいくつか読む。ここ最近の受賞作品や売れている小説を読む。ネットの情報も調べる。
その後、まず100字以内でどんな物語かをあらわす文章をたくさん作る(ログラインと言うらしい)。この時点で早速、創作の難しさに気づく。思いつくのはありきたりなストーリーばかり。
ゼロからアイデアを出していると、似たようなものばかりになることに気づく。自分がどんなストーリーを考えるのが得意かわからないし、この段階ではある程度多様性があった方がいいと思い、SF、現代青春もの、戦記物、みたいにカテゴリでわけて、その中で考えることにする。それぞれのカテゴリの中でまだマシと思えるログラインを、800字程度のあらすじに膨らませる。
なんとかかんとか、4本分ひねり出し、この段階で一度友人に見せてみる。わりと恥ずかしかった。
友人に見せた4本のあらすじがそれなりに評判が良かったので、キャラや世界観の設定を深めていく。ここで、あらすじごとに考えやすいものと考えにくいものがあることに気づく。わりとスムーズにキャラや設定を考えることができた2本を使って、書き始める。
いざ書き始めて、これは長期戦になるであろうことを瞬時に悟る。自分は夏休みの宿題を直前まで放置するタイプだが、それでは到底太刀打ちできない。そこで、毎日起きてから3時間を執筆にあてることにする。3時間にしたのは、仕事との兼ね合いと、これ以上は創作力が続かないから。土日だけは3時間x2スロットの6時間にした。また、毎日同じ小説を書いていると自分自身がその物語に飽きることに気づく。自分が心から楽しめないのはまずいだろう。なので、二作品を一日交代で書き進める。
電撃大賞には、全体で80ページ以上130ページ以内という規定がある。自分の執筆ペースは、エピソードの流れが頭にできていればだいたい3時間で8ページぐらい。文字数にすると約6000〜8000字。だがこの「流れが頭にある」というのがくせ者で、最初に作った800字程度のあらすじだけでは、一つ一つのエピソードが書き進められない。つまり、エピソードごとに、もっと細かなプロットが必要だった。なので、3時間の執筆時間以外でも、通勤時間を使って次に書くエピソードの流れを頭で考えて、スマホにメモを取っていった。
また、書いている途中は一度も推敲せずに一気に最後まで走るのが良いというアドバイスがネットにあったのでそれに従う。結果的にこれはよかったと思う。とりあえず終わらせるのがモチベーション的に非常に大事だと思った。特に序盤〜中盤あたりを書いているときは、本当に最後までたどり着けるか結構不安になった。その辺で行ったり来たりするのはあまり良くないのではないかと思う。
月末に二作分のドラフトが完成する。この段階ではまだ人に見せられるようなものではなく、第ゼロ稿というところか。
ドラフトが完成してから、1週間寝かせて、再度最初のページから直していく。
上に書いたとおり、一切途中に推敲は入れていないので、矛盾が生じていたり、伏線をまったく張っていない設定がたくさんある。他にも、安直でつまらない会話や、適当な人物や風景描写、冗長な文だらけ。まずは全体を見てそれらを洗い出し、一つ一つ潰していく。
細部の推敲と並行して、改めてプロットを見直す。物語全体の流れがほぼ確定したので、章立てを決める。各章内に、盛り上がる部分・落ち着く部分があって、最後に引きがあるかを確認する。うまくまとまっていない章については、エピソードを追加・削除・移動。また、全体をとおしてテーマに一貫性があるか、最後まで引っ張る謎や問題があるか、改めて確認する。
これも平日3時間、休日6時間のスケジュールで進める。「自分はこの小説を完成させられる」という自信のようなものがようやく出てくる。
第一稿が完成する。プロットを見てもらった友人に完成版を見せる。かなり恥ずかしかった。
1週間ほどで友人から感想をもらう。自分では気づかなかった有益な視点が多くもらえる。特に、物語の最初のテーマが放置されて途中から別のものに変わってしまっていたり、せっかく魅力的なキャラがいるのにそのキャラのエピソードがほとんどなかったり、そういうのこそ案外自分では気づかない。
感想を踏まえて、ぶれている部分を直したり、キャラのエピソードを追加したり、不要なキャラを削除したりする。
月末に再度友人に見せる。これぐらいになると、あまり恥ずかしくもなくなる。
漢字の使い方を見直したり、改行の入れ方を変えたりと、読みやすさやテンポに気をつけて変更していく。
脚本術の本に、「審査員はランダムにページを開いてそこが面白いかどうか見る」と書いてあった。なので、自分でもそれを試した。これは良かったと思う。通しで読んでいると良くも悪くも物語に入り込んでいくので、細かい欠点に気が向かなくなる。あと、無意識に自分が気になる部分ばかり直してしまうのも防げる。
10日が締め切りだったが、さすがに直前は結構時間を使った。コロナの影響で使える時間が多くなったこともあった。
受賞作の傾向をつかもうと思って読んだが、ストーリーという点では傾向はあってないようなものだと思った。文体も多様で、地の文多め漢字多めのものから、ほぼ会話文で構成されてるものまで。そんな感じではあったが、ある意味傾向がないのが傾向と言えるので、それがわかったのは良かった。
どう作れば失敗しないか、アンチパターンを学べた。当たり前のことを網羅的に並べてあるような印象は少し受けた。結局、面白いストーリーに方法なんてないのだろう。
序盤で一気に引き込むのが大事、というのはどんな指南書にも書いてあった。つまりそれぐらい難しいということなんだと思う。実際、キャラ紹介や世界観の説明が必要な序盤は、面白くするのが難しいと感じた。
よくできているドラマやアニメの一話は、テンポ良くこれらをこなしている。映像があるドラマやアニメと違い、小説は文章だけしか使えないのでそのまま真似はできないが、構成などは参考になる。
どこで盛り上げてどこで落ち着かせて、どこで困難にあわせて、、、とかの流れは常に意識した。二作品とも六章構成だったため、全体を六話構成のアニメだと考えて、各話の中できちんと盛り上がりポイントがあるか、全体の中でどういう位置付けか、などを意識した。そのために、定期的に全体の流れをノートに書き出した。
音楽を意識して、横軸に時間、縦軸に盛り上がり度、みたいなグラフを何回も描いた。可視化すると、ずっと盛り上がってばかりの章や(つまり盛り上がってない)、ずっと平坦な章があることに気づく。
過去の受賞作品、あるいは売れているプロの作品を読むと、文体に正解はないことがわかった。読みにくく目が滑るな、と思うような作品もあるが、それはそれで作品の雰囲気を作るのだと思う。ただ、自分にとってはやはり読みやすい文がよいと思った。なので、とにかくシンプルに読みやすく、を推敲時には心がけた。
普段読んでいる時は意識しなかったが、一つ一つの仕草や会話文の後に続ける文書ひとつとっても、無数に可能性がある。正解なんてないから、すべて自分で考えないといけない。ストーリーにしても、少し気をぬくとありきたりな展開になるし、会話文も安直な切り返しばかりになってしまう。少しも気が抜けない。
書き始めるまではいろいろなキャラや展開があったのに、書いていくとそれらをどんどん切り捨てる必要が出てくる。ページ数の要請ももちろんあるが、実際、切り捨てた後に読むと、そっちの方が大抵の場合面白いし読みやすい。熱くなれるはずと思ったシーンや、魅力的なキャラを、どんどん消していく。そうした決断をいつ、どうやってするかには常に悩んだ。
仕事の息抜きになるだけでなく、毎日の生きがいになる。普段の生活では辛いことも多いが、小説を書いている時間はそれらを忘れて空想の世界に浸れる。熱いシーンや悲しいシーンなどは泣きながら書くことも多く、そのあとには不思議な充実感が得られる。
自分はあまり人と喋るのが得意ではない。人と会話しないといけない時は、単なる雑談でさえ、そのシミュレーションをしてから参加してしまう。それでも失敗ばかりである。会話の後に反省会をすることは、もはやライフワークだ。ただ、人と会話するのが決して嫌いではないし、むしろ人が何を考えているのかにとても興味がある。小説ならば、いくらでも時間をかけて会話をすることができる。これはとても心地よいものだった。
こんなところだろうか。良い結果が出ればいいな。
恥ずかしながらもうすぐ90になる祖母のことだ。
見かけはそれ相応の年齢だが、人一倍健康なのをいいことに、最近は毎日朝から晩まで敬老パスや福祉タクシーを使って買い集めているらしい。
一人暮らしなのに、すでにマスクの箱は一部屋を占拠している。もっとも家全体が色々な物で溢れてゴミ屋敷一歩手前になっており、マスクの下の地層は見えないので正確にどれくらい買ったの不明だ。
会社でも話題になっていた。マスクをつけていないおばあさんがこの町のあちこちのスーパーやドラッグストアに出没してマスクを買っていると。それは身内(またはその同類)のことだとは言えなかった。
祖母は若い頃からこの手のことを繰り返してきた。儲かると聞けばどんな話にでも飛びつき、無くなると聞けばどんな物でも買ってきた。
古くはオイルショックで、トイレットペーパーが無くなると噂が流れた時、祖母宅はトイレットペーパーで溢れ、部屋に置き切れない分はビニールに包んで庭先に積み上げられて、祖母宅に付いたあだ名はチリガミ御殿だった。当時中学生くらいだった私の母も、塾や部活などそっちのけで大量買いの手伝いをさせられたらしい。私が小学生だったのは1990年代で、隣町の元チリガミ御殿とされる建物が、祖母宅そのものだったことを知った衝撃は忘れられない。
若い頃の体験、つまり戦争中の物がない欲しいものが手に入らない悲しさと苦しさが祖母をそういう性格に変えてしまったのだと母はいう。他人を出し抜いてでも自分やその一族が優位に立ちたい、そのためならば犯罪以外ならなんだってやる。それが祖母のライフワークであり、命がけの執念なのだ。だからこれ以上買っても意味がないよねとか、他の人に迷惑だよねとかいってもそれは全くの無意味なのだ。これは病気です。会心させられるものなら50年前にしています。
あんまり難しいことわからないけど、割と的をいてるんじゃないかなっていう未来予想。
働き方改革で労働時間の上限設けられて、終身雇用の時代も終わってってなったら、仕事いくつも掛け持ちしてリスクヘッジするしかなくない?
一部の経営陣を除いて、末端の労働者階級は共通のスキル使い回せる複数の企業でフレキシブルに働けるほうが本当の意味でライフワークバランスも取れていいと思うんだよね。
そもそも企業側も一人の人生を背負う責任を負わなくて済むし、働く側もその時の都合に合わせて労働量を調整できるからいいことしかないと思うんだよね。
これなら育休でもなんでも好きなだけ長期休暇取れるし。
国も育休の申請とかを企業に押し付けるんじゃなくて、その人の労働実態を把握して支援するべきだよね。
銀行のローンとかも、そういう人間に貸付できるような審査基準持たないと、これからの時代お金も貸し出せなくなるはずだし。大体今日日どんな企業に勤めれば35年もローン払い続けられるとか判断できるんだっての。
翻って、つまりはそういうフレキシブルな採用ができる企業がこれからは成長するのだと思うんだよね。
バイトなんかではそういうのが始まってるみたいだけど、自然と競争化が進んで福利厚生とかが差別化の要因になってくるはずだから早いうちからやったもの勝ちだと思うんだけどどうでしょう。
頭のいい人、誰か補足してくれないかな。
生きていくのには何を作るかなんだよね
何をするかじゃないんだよ
していることを経過時間で評価してくれる学校という制度を過ごしたあとでなんにも考えてないと
「なにをするかだ!」とか考える人が多いけど
なにかを生産してほかの人の生産ができないものや足りていないものを補う形で
その補う差額を報酬として受け取らないといけないんだ
絵を描くっていうのは手段であってアートなんだよねアートオブマイライフ
それを売るっていうのはユーチューバーになって24時間自宅のカメラで生放送するのと同じ
たぶん人気でると思うよ たぶんけっこうかせげる
さすがにそれは無理だわっていうから才能の一部である絵とか技術の一部である写真とか
それを利用した小物にして売り切り商品として小売りにするんだよね
報酬があるかどうかっていうのは別の話として仕事してるわけじゃん
そのライフのワークの仕方がアートなわけだよねアートオブライフ
それを売るかどうかは別の話じゃん?
どこをどれだけうっても無限に湧き出てきてどこを売ったらおわるのか
いくらでそれを売るのかっていうマネジメントしないといけないよね
絵をうって転売転載され風俗バイトのポスターに使われフェミニストにたたかれとかされるのか
人気画家としてうれるのか絵画教室をひらくのか個展として入場料を取るのかあるじゃん
高級腕時計とか自動車みたいに現金としての留保を数字にださないように
経費で絵画を購入してその現金を壁掛けの金庫として保管している状態にするとか
そういう用途のために使われる物理的な証券的意味合いの美術品として
オークションや美術品協会内でその価値を掲載して保証している価値の代替品としての
美術品もあるよね
書くことじゃなくて売ることがいるわけで
売るためには売り先が必要で
必要を創出するのかだよね
人に受け入れてもらえないからいい子にしていないといけない
したくもない仕事をして本当にしたいことを夜の街で酔って
疑似体験するのはアーティストの葛藤なんて比較にならないのじゃない?
アーティストの自殺率と学生やサラリーマンの自殺率比べてみようよ
いまお金になってるものをメインにやるのが一番じゃないってことじゃん?
絵よりもバイトのほうが収入があるならバイトで正社員めざしたほうが
クライアントにってクライアントを捕まえるがのそんなに簡単だと思う?
つかまえる腕もタイミングも環境もあるんだからそこにより多く接する必要があるよね
そこでお金にならないことをしないといけないのならその資金力もいるわけで
お金をかせぐためにアートをするためにお金が必要っておかしくない?って思うけど
アートというのがお金になるから仕事をとるために手数料を払うってことじゃないよ
お金をもっている特定個人がそのお金の使い道としてその商品を購入したいと思って
お金をつかって仲介業者がそれをアートと称してその業界の名から一つ売り上げをあげて
在庫がひとつへれば業者は二つ購入しておこうかと予定をたてるじゃん?
おかねもちのいまの購入動向とそのリストにのる名前に割り込むをしないと
絵なんてかいてる場合じゃないし写真なんてとってる場合じゃない
どうせ高いところでろくに細かいものが見えてないんだからはやりのゲージュツとか
むかしの絵画や美術品骨董の価値観をそのまま購入したりしてるだけ
売り手がやばいくらい売り込んでプロデュースしてるアメリカでは
ディレクターがゴミにでも価値をつけてオークションにブッキングするから
カタログに載ればなんでもいいんだよね
そこで貨幣とおなじくらい価値がでるように独自性があってコピーがしにくい
それを業務で利用することで利益につながるものが漫画だったりパッケージデザインだったり
その絵柄を特徴づけて自社製品の目印になる作品を購入したいよね
それが順位としてどれくらいなのか、比較検討できないと価値もつけられないし
どんなすごい技術がつまった作品でもその業界や学会で評価されないと
値段をつける人がつけられないから買えないよね
ただただすごい見てすごいからすなおにただお金をだしたいっていう作品
がもしあるとするならそれをどこで見つけるのかってことだよね
みつかったとしてその取引をどうまとめるかだよね
そういう業者や業界の充実やお金持ちだけがあつまてる芸術学会が
そういう単位でお金をやりとりしているだけのところで芸術やってこうっても
まずお金がないならアートを二束三文の事務で消費してるパワーポイントができる程度と
かわらない扱いの界隈で生きていくしかないよね
無駄な苦しみをしている努力の芸術家はたくさんいるのだろうと思うけど
水滴が岩を穿つようにそのなかからたまにあたりがでたらいいよね
千や万の芸術家の屍の山がその千分の一とか万分の一の割合でまわってきた運を
つかみとった瞬間の輝きをアートとしてみることが芸術そのものだと思うので
かれらが芸術家ってがくぶちのなかでいきながらにもだえてひとのふみだいになっていくさまの絵を
みる楽しみをしているその芸術のたのしみかたもいいんじゃない?
芸術家とやらの人たちが地の底でもがいて人の上にのりあげてすこしでも天に近づこうと
時に落ちたら死ぬようながけにたつことを「アート」と言ったり想像しえなかったひどいことを
人にしかけることを「アート」といってみたりしてる辺境の地獄から正統派の技術を積み上げていけば
貧乏で無名でも欲を出さず積み重ねていけば価値になると信じて地獄の中央でほかの人の足場として
いい趣味してるよねー