はてなキーワード: ストライクとは
他にやりたいゲームができたら今やってるやつは辞めるようにしている。
フルプライスのゲームを買ったと思って1万円以内の課金はする。
惰性でだらだらと続けていたけどそのうちチェンクロに移行した。
世間では「スマホゲーがストーリー重視になった転換点」みたいに言われてるけど
ぶっちゃけストーリー部分はミリアサとどっこいどっこいじゃないか?
どちらかというと(ミリアサと比べて)ゲーム部分に期待していた。
一見するとチェインクロニクルっぽく見えるが、カードヒーローを彷彿とさせる戦略性があった。
(検索するとカードヒーローとの類似性を指摘するツイートがそこそこ出てくるので俺の気のせいではないはず)
でもガチャで欲しいキャラが出なかったのでイラっときて突発的にやめた。
まあデレマスをやっていたのでデレステも…ということでそこそこプレイしてはいた。
他にも音ゲーはいくつかやったけど、どうも向いてない気がする。
もうピアノの鍵盤をそのまま表示してそれで曲を弾かせろよって思う。
荒木比奈が好きだったけど、ぜんぜんSSRが出てこなかったな。
フィンランドゲー。
タワーディフェンスとMOBAを足して2で割ったようなゲーム。
単純なゲームの面白さだけで言えばコンソールなど含めても最強クラスだと思う。
メインで遊ぶことはなくなったが、いまでもちょこちょこやってる。
韓国ゲー。
ずっとクラロワやってた反動でコテコテのオタクゲーをやりたくなったので
ちょうどサービスが始まったばかりのこれを始めてみたんだったと思う。
キム・ヒョンテ絵が素晴らしく、それがLive2Dで気持ち悪いくらい動く。
ゲームUIのデザインもよくて、ほぼオートの戦闘でストレスが少ない。
でもガチャで欲しいキャラが出なかったのでイラっときて突発的にやめた。
キャラごとに強力な特殊能力があり、クラロワより「一発逆転」が増えて大味になっていた。
違いと言えばそのくらいで、ほとんどクラロワそのまま。
普通に楽しんでいたんだが、一年も持たずに敢えなくサービス終了。
世界レベルでプレイヤーを獲得して広く浅く集金できるクラロワに対して
少数のオタクしかプレイしてないのにガチャ要素が薄いのは無理だったか…。
中華ゲー。
キャラをいろんな場所に配置できる本格的なタワーディフェンスゲーム。
リリース時から直近まで続けていたがウマ娘が始まったのでやめた。
もともと競馬好きだった(馬券は買わないが)ので製作発表時から楽しみにしていた。
推しを手に入れられなかったらやめると思う。
タイトルの通り。
学部・学科も自分が学びたい分野でどストライクだったので第一志望でそこ目指して頑張ってきた。
合格通知と一緒に学長のメッセージとして「今年度は9割対面で授業します」的な紙も入ってのでめちゃくちゃ期待してた。
ところがどっこい、蓋を開けてみると「感染拡大防止」という名目で当面の間オンライン授業。9割対面はどこ行った。
しかも2021年度から対面でやる大学が多いらしく、友人が通ってる早稲田とか慶応とか明治とか東洋とか津田塾とか海洋大とか神奈川大とか、
軒並み対面あるらしくてかなりショックを受けている状態。
9 割 対 面 は ど こ へ い っ た ?
こんなんで愛校心とかマジで沸かないっつーの。
アイカツ!~オンパレまで筐体とアニメを追いかけていたが、現在の最新作であるアイカツプラネット!にいまいちハマれない。
もともとアニメに固執はしておらずシリーズが続けば良かったので実写化については歓迎していたし新筐体も期待していた。
先行稼働にも行ったし実稼働も初日からプレイしていた。キャラクターの見た目も可愛くて自分的にはどストライクだった(とくにシオリちゃんが可愛い!)。が、やればやるほど違和感がつのる。
番組の方も視聴していたが回を増すごとに疑問点が増え集中出来なくなり最新話を見るのが辛くなった。
以下は愚痴。
[筐体側]
ドレシアは何がしたいの?
そろそろ説明してほしい。
・イベントがポイント制になったため、1日でもプレイしそこねると上位を狙えない。また効率も関わってくるので常に全力プレイを要求されているようで、ゆっくり遊びづらい。
過去作でもポイント収集イベントはあったが物語が見れたし特定のポイントで限定ドレスが貰えたのでそこまで苦ではなかった。(せいぜい8回位のプレイで回収できた※オンパレ除く)
・ゲームプレイ前にスイングが排出されるのでそのレアリティによっては以降のモチベーションがかなり下がる
ただ稼働終了したディ○ニーの着せ替えゲーもそれがキツかったので個人的に合わないだけだとおもうが。
ドレスは普通に着てほしい。せめてオープニングバトルだけでも…。
3タテされてスタートドレスのまま終わった時はマジで情けなかった
・そもそもアイカツプラネットの世界におけるランキング上位者とは何なのか説明がほしい。
ダイヤモンドフレンズみたいに名誉あるものなのか?その場合、(アイカツプラネット界において)どこまでの影響力をおよぼすのか?
よく分からないものに対してとにかく1位だからすごいと言われても意味がわからない。
全アイドルのNo1とうたうならスターライトクイーンやS4やダイヤモンドフレンズ並みの影響力の説明をしてほしい。目指すべき対象がわからんのでモチベーションに繋がらない。
・課金導線が弱い
オンデマンドから現物になったせいだと思うが、ブロマイド作成や特殊カードがなくなったせいで、スイング収集やスコアタに興味がないと追加金の意欲がなくなる。
またスイングを買うだとマイキャラパーツが入手できるがランダムなので欲しいパーツがくるか分からず購入意欲がわかない。
配布かグッズかマイページ作成のどれかからになるが、誘導がない。
スキャンしてねだけじゃだめだと思う。作るとどういうことができるかちゃんと紹介しないと初見やライトユーザーが定着しないと思う。
またマイページから作れるが幼女先輩には出来ないだろうし(親御さんの承諾という大きな壁)継続プレイさせる気あるのか?
[番組側]
・アイカツプラネットにおけるアイドル観をちゃんと説明してほしい
アバターと現実の人間の2種類いるが、アイカツプラネット界と現実世界におけるアイカツ!の違いは何?
必須だとしたら、あの世界の人々はアバターをどう受け入れているのか?
アバターのファッション誌が一番疑問。普通に現実での着こなしを知りたいわけでかなりミスマッチでは?
サマーウォーズのOZみたいな仮想空間なのか、プリパラなのか?
ご飯食べてるしエンジェルロードなる地形への干渉があるからプリパラ的空間だと思うが、そうなると一般人はどうやって出入りしているんだ?
観客はどこから湧いて出たんだ?
・話のテンポが遅い割に上記の世界観の説明がほぼない。ドキドキプリキュアの構成を見習ってほしい。
ドレシアは結局何なんだ…
またセリフのテンポや演技が変。何で意味不明にセリフを溜めるんだろう?
・結局まおちゃんはハナになって何をしたいの?
ハナを続けたいのはわかったけど、それによってどういうことがしたいのかが分からない
ここまでくると、自分はアンチ側になってしまったのかとも思う…
ただシリーズは大好きだし続いてほしい。
プラネットも今は自分には合わないだけで後々好きになる可能性はある(実際スターズがそうだった。VAくるまでキツかった)ので
とりあえず2弾プレイと最新話見ないと…
あまり男性が女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的に早熟な少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャーの知的で論理的に自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマ「サマー/タイム/トラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。
さておき、これは近親相姦のお話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉を弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。
頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かない。モテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞき込まれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉で現実に適応しようとした姿なのかもしれないのだ。
それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的な活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉で言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。
あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワン・カラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまうタイプのキャラクターが好きだ。
死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌が醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿を馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人がヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通やフェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。
それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気の山脈にて」も愛好している。
架空の神話がショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品は基本的に短く、しょうもないオチの作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空の世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精の魔法も見せてくれる。
「あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画「メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムがテーマの作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。
表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙のお話なのだけれども、そのロボットは自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間のサイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。
学生時代、自分は女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎の作品も同様の理由で好きだ。
自分を馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。
「ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカの植民地で暮らす女性の視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。
個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカを前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地の支配者側からの視点は批判的に読まなければならないが、色眼鏡の比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。
植民地時代のアフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くからの貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人が満州や朝鮮半島、台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ。
はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。
確かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大な小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代の小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。
「李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰の文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。
これは「三造もの」と呼ばれる中島敦の私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明の無意味さに対する形而上学的な恐れや不安が意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後の説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年・文学少女たちは、その言葉を無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。
膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフの作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分の初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。
しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的に搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバートの夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータの内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。
ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手な男性の心理の解剖である。
「ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供の挫折を描いた小説であり、この社会が弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近な話題から告発した話なのだ。自分がした屁の責任をかぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢そのものじゃなかろうか。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html
遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールドの未来を舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学や陰謀論と社会の関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。
仁木稔の作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学や物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台もラテンアメリカで日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品は中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズの最新刊が出ないか、今か今かと待っている。
明治十一年の日本の都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信を批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治の日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。
著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異のイメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識を内包した、強固な偏見に根差したものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。
とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なものを嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦の描写に優れる。
妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。
姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分の人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。
韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。
いつの間にかクリアしてたとか、クリアした瞬間が良く分からないとか、そういうゲームが最近多くなってる気がする。
まるで、ゴルフのゲームでスイングした瞬間「ホールインワン!」テッテレーとか、ボウリングで球がレーンに落ちた瞬間「ストライク!」みたいになってる感じ。
「ちょっ待て!なんで分かんねん!」とゲームに突っ込んでも「ゲームプレイ中突然失礼しますゲームの中の人ですそんな事言われましても
こちらは全て計算可能な世界でやってますんでそこらへんはそれはもうはっきりと分かるわけです」とド正論が返ってくることは100%明らかなのでどうしょうもない。
ぶっちゃけこれがどういった経緯で書かれたのかは本人のお気持ちのことなので他人にはわからないが、どうも艦これ界隈において多数の二次設定が乱立してはそれが公式に逆輸入され初期のキャラ付けが崩壊することを嘆いたものであると推察されている。
確かに艦これ界隈においては「空母は大食い(特に赤城)」「◯◯はママ(複数いる)」などのファン設定が共有されていき、それが公式へと逆輸入されていっている。これはアニメにおいて赤城が大食いカレーを食べているシーンを思い出せば瞬時に理解していただけるだろう。
そもそも創作物の制作サイドは二次創作の設定を拾って取り入れたがる場合と、初期のイメージを守ろうとする場合のどちらかに分岐していく運命にある。
気をつけたいのは、「ファンにとってのそのキャラクター」を作中で描こうとした結果のファンサービスであって、公式逆輸入を繰り返す運営が単に悪ノリをしてるわけでも、初期設定を貫く運営が二次創作におけるキャラ改変を嫌っているということでもないことだ。あくまで作品とファンが相互に幸せになる形を模索した結果にすぎず、好みの問題、not for meの類となりそこに絶対正義はない。
とはいえ個々人の感情においては「俺が不快だからな許せねえ」が絶対正義となるのも事実であり、内心の自由が保証されている国でそこに踏み込んで平地に均せということに正義はない。
事件はアニメ「ポケットモンスター サンアンドムーン」第13話「アローラパンケーキ大レース!」において起こる。
なんとそこにはしょんぼりした垂れ目で情けない顔をしたあのカイロスがいるではないか!
カイロスは昔から「レアだけどパっとしない」「クワガタというよりアリジゴク」「ストライクは強くなったぞ」「ライバルのヘラクロスは普通に強いぞ」とネタにされ続け、メガシンカによりようやく日の目を見たときでさえ「対抗馬だったヘラクロスへの殺意が具現化した姿」と言われてしまうほどのネタキャラぶりである。
そんな姿と強気な吊り目のギャップが魅力のカイロスが何故か垂れ目にされるウサミちゃんの画像のインパクトはなかなかのものがあり、あのウサミちゃんの画像がポケモンアニメ事件より前にバズった際には多くの界隈で「なんで突然カイロス?」「これはカイロスなのか?」「流石にキャライメージが変わりすぎだろ」「カイロスは繊細じゃないよ~」「カイロスはそんなんじゃないよ~」と言われまくっていた。
元々ネタ扱いしていいポケモンという立ち位置が強かったカイロスにコレが起きてしまったせいで、カイロスのキャライメージに「そんなんじゃないよ~」は強く埋め込まれることになった。
強気な顔つきと攻撃的なメガシンカ初代やGOにおけるレアリティなどの要素から一転直下して「そんなんじゃないよ~」と言い出す姿はネタキャラとしては最高に美味しいためある意味セーフというのが多数の意見だが、一部には「カイロスは実はカッコイイ」「クワガタやぞ?」「漢の相方」といった価値観のファンもおり、そういった「強いカイロス」のマニアにとっては強い逆風が吹くことになってしまった。
この事件における最もインパクトが強いところは、公式逆輸入を最悪と謳ってる本人が公式に逆輸入されるネタを提供し、キャラクターイメージを変化(まあカイロスは元々ネタキャラだからセーフみたいなのは今は置いといて)させてしまったことである。なぜ適当な動物キャラにしなかったのか。どうしてカイロスだったのか。どうしてあんな描き方をしたのか。作者の無配慮が産んだ悲劇にして現代インターネットの喜劇である。
我々が「カイロスはそんなんじゃないよ~」から学ぶべきことは、自分が誰かの無配慮に怒るとき、自分の怒りに意識を向けすぎると、今度は自分が誰かにとっての無配慮になってしまうから気をつけねばならないということだ。ここまで読んでくれた皆さんは是非そんなんカイロスを他山の石として持ち帰って欲しい。
自分の周りではクラブハウス流行ってるんだけど、このサービスも機能追加やPlatform化が遅れたりすると、ユーザ離れが進んでSNS事業だけだとやっていけないみたいな話になって、これからはゲームだって話で、「クラブハウスストライク」とか出すんでしょ?でもって、レイトマジョリティの「クラブハウスってゲーム会社が出してるクラストっていうのがあって」とかいう話を聞きかじったアーリーアダプタとしては「だいたい合ってるけど、全然違うんや」って言葉を口の中で噛み殺したりすることになるんでしょ?
運よく上場できても、赤出したりして経営陣が揉めてCEOが退任して、マネタイズちゃんとしようと言いつつ、うまくできなかったりして、元のCEO呼び戻せとかいう話になって戻して、やっぱり広告必要だって話になって、ルーム一覧に広告が表示されるようになって、Streaming APIみたいなのも廃止されるんでしょ?
上場して大きな会社になった場合には、Platform化に成功して、他社向けにClubhouse SDKとか提供して、他社アプリからめっちゃ情報収集してるとかで批判されて、創業者は創業者でその頃にはお金持ちになって財団とか設立して「クラブハウスはもういい」みたいなこと言い始めるんでしょ?
他にも、上場せずにM&Aされた場合には、M&Aした会社から機能を増やせとか利益を上げろとかめっちゃ言われて、元々シンプルなポラロイド風の写真共有サービスだったのに、ポラロイド風以外の写真共有や動画共有まで機能として入れることになって、全然違うアプリになっちゃって、元の創業者がキレて辞めたりするんでしょ?
うまくいけば、アーリーアダプタはその大部分が数年後とかには飽きて使わなくなってると思うんだけど、その頃にアプリを使い始めたレイトマジョリティと話をしてみたら、「最初の頃はもっとシンプルで、楽しかったんだよなぁ」と思ってるアーリーアダプタと、「このアプリすごいね」と言うレイトマジョリティで、なんか噛み合わない感じになったりするんでしょ?
全部知ってるんだから。
俺の人生にはコミュ力も画力も歌唱力も容姿の良さも運動神経も人生経験も情緒も足りていない。
欲しい、欲しすぎる、渇望しているのに俺の人生では手に入らないことが確定している。
それに輪をかけて腹立つのが、それらすべてを兼ねそろえた神のような人がいることだ。
そしてこれが一番キレそうになることだが、いわゆる神は自分の事を不幸だと思っていることだ。
度々不幸だと口にしているのをSNSで見たので間違いない。
俺はコミュ力がない、俺が話せば職場の人からは「意味が分からない」「何を言ってるのか分からない」などと言われるのは日常茶飯事。子供の時からそうだった。積極的に話しかけても冷たい反応ばかりで成果が出ない。
神は有り余るコミュ力がある。誰からも好かれる。周りから評価され、友人も多く恋人もすぐにできる本当にモテる人だ。人気がある。特に動かなくてもガンガン話しかけてもらえる。
俺には画力がない。何年も絵を描きデッサンをしてきて練習したがイメージする力に乏しく、簡単な絵ですら何日も(下手すると一か月以上)かかる。モチベは落ちて絵の練習量も下がる悪循環に今は陥っている。
神は画力がある。俺が数年かけても描けない絵を神は数ヶ月で書けるようになった。練習したからだとそいつは言うが、だから何だ?俺も練習してきた。
暇で友人も恋人もいない大した趣味もない俺と違って、友人も多く恋人もいる多趣味なそいつの方が時間がないのに負けるのは画力の神に愛されてきたかどうかなのだろう。言い換えれば素質があるか要領がいいのだろう。
俺は音痴だ。カラオケで80点以上取ることもできないし、ボイトレに通っても先生の説明が理解できず辞めてしまうぐらいには素質がない。
神は死ぬほど歌が上手い。テンポの速いロックやメタル、キーの高い歌も違和感なく歌う。
俺は容姿が悪い。受けた評価は「ダサい」「もっさりしている」「キモイ」とか散々だ。ファッション誌を見て服を買ったのだが「ファッション誌を見て買ったなら、もっとファッション誌っぽい服装にしろ」と言われたことがある。
神は容姿がいい。ファッションセンスもよく、ファッション誌に載っていてもおかしくない人だ。
俺は運動神経が悪い。走り方はキモイと言われてきたし、ボーリングは異常なぐらいガーターを出す。ストライクを出したことがない。
俺は人生経験がない。人生経験は人とのかかわりで築かれていくものだが、コミュ力のない俺にはそんなものなどない。
神は人生経験が豊富だ。コミュ力が高いから学生時代もリア充だったらしい。神の口からは周りが驚愕するようなエピソードがポンポン出てくる。羨ましい、あまりにも。
俺には情緒がない。言葉を聞いて何かをイメージしたり想像を働かせたりすることができない。だから人の心を動かすようなものができないし、絵のセンスもない。
神は情緒豊かだ。人の目を引く作品を作ったり人の心をくすぐる言葉を一瞬で紡ぎ、人を虜にする。
俺が来世、嫉妬している神のような人に生まれ変わることができれば悩みはすぐにでも消え失せ、幸せをつかむことができる。
こう考えているからこそ、俺は渇望と嫉妬にまみれた今の人生を耐えることができている。寿命が来たら次は幸せになれるからだ。苦しい今を生き抜いてやると強く思えるのだ。
だが困ったことに俺が神だと思っている人は複数いるのだ。俺はどの人生に生まれ変わればいい?どういう風に来世をオーダーメイドすればいいのだろうか…?
【追記】
変なことに気づいたのだが、その神のような人は別にtwitterで1万いいねとかされているような人ではない。画力だけでいえばもっと高い人はいるはずだ。
マルチに引っ掛けられた話を見たので私も吐き出してみようと思う。
だいぶフェイク入れながら書くが、わたしには気になっている女性がいた。
年上のお姉さん系、ナイスバディの頼れるお姉さん。ショートカットがとっても似合う。私の好みどストライクだ。
ほんっとにくだらない世間話の流れで、マスク荒れの話をその人としてた。
ランナーズハイでおかしくなってたのもあって、ちょっとハイテンション気味にその女性に絡んでしまったんだ。
そのせいなのかその人(Aさんとする)が美容の勉強をしているという話になり、ぶっちゃけその人を狙ってたのもあって食い気味に話を聞いてるふりをした。
するとAさんは気をよくしたようで、ポケットの中から付箋を取り出してサラサラと連絡先を書いて渡してくれたのだ。
内心、向こうから連絡先を渡されたことに胸キュンした。すぐに連絡取った。
この手の輩に昔から目をつけられやすいため、話を振り切りまくった。お陰で勧誘は諦めてくれた様子。
正直私の胸キュンを返してほしい。
高校三年の夏、僕のバットは空気を切り裂いて、放られたボールはキャッチャーミットに吸い込まれた。
ストライクのちぎれるようなアンパイアの声とともに蝉の音が滲んだ。僕への代打は見送られた結果だ。
イーロン・マスクという男がいる。
彼は何度となくテスト飛行を繰り返して、スペースXプロジェクトにて火星への夢を見上げる訓練をしていた。
そんな言い方は君たちを混乱させるだけかもしれないね。
見えない草の匂い、球場の太鼓の音、きっと小さい粒になって眼差しを向ける彼女だった人。
イーロンのロケットが墜落した。
2020年12月のことだ。ロケットはバットに当たるわけじゃない。空振りもない。
だけどもロケットは大きな成層圏に拒否されておずおずと地球に舞い戻って消えてしまった。
イーロンはそれを大きな一歩と称賛した。
僕が土を持って帰った夏が今乗るロケットの窓に重なる。
甲子園、土はどこまでも黒く、絶望の彼岸へと続いているように見えた。
僕の首は重たく、空を見あげることができなかった。
フォークと判断した指先からの白い楕円は、吸い込まれるように拾われて運ばれてしまった。
その後気落ちした僕は彼女の声も耳に入らず、疎遠になり別れてしまった。
全てが灰色になってゆく中でごく普通に就職した。コンビニで惣菜を買うようにだ。
痛みも和らぎ始めた頃、何かを始めようと笑顔で前を向く男を見た。
時代はインターネット全盛期だった。僕らの味わった暗闇もスマートフォンで見ることができる。
くたびれた僕の中で若芽が透き通る空に伸びてゆくように感じた。
JAXAに勢いで電話し、メールも打った。僕の人生がここから変わってゆくような気がした。
周囲の人間はお前の歳で宇宙を目指すのは自殺行為だとか、何も達成したことがないのだろうとか、成功するやつは若くして成功してる、イーロンだってそうだろう、とたしなめてきた。
全てが耳に入らなかった。僕はあのときの打球を思い描いていた。
こんなに努力できたんだと思い、自信がついてくる。
気づけばイーロンに肩を抱きしめられていた。ロケットの前でだ!
この窓の外に見える小さな蜘蛛の渦や大きなアフリカ大陸や、僕の青春が詰まった島国や、全てが蒼いんだ。
ロケットの噴砂音が聞こえなくなった。管制塔の通信が耳元に響いてくる。
管制塔から拍手と歓声が聞こえる。そして緊張した声で彼らの仕事が再開される。
僕の夢は宇宙間を飛んだんだ。
宇宙間を、飛んだんだ。
了