2020-12-16

僕の夢は右中間へ飛ぶ

高校三年の夏、僕のバット空気を切り裂いて、放られたボールキャッチャーミットに吸い込まれた。

ストライクのちぎれるようなアンパイアの声とともに蝉の音が滲んだ。僕への代打は見送られた結果だ。

過去の蒼い色合いが地球成層圏に溶け込む。

はいロケットに乗っている。どこから話せばよいだろうか。

イーロン・マスクという男がいる。

スペースXというプロジェクトに取り組んでいたあの男だ。

彼は何度となくテスト飛行を繰り返して、スペースXプロジェクトにて火星への夢を見上げる訓練をしていた。

僕が右中間へのホームランを良くも悪くも夢見てきたようにだ。

そんな言い方は君たちを混乱させるだけかもしれないね

見えない草の匂い球場太鼓の音、きっと小さい粒になって眼差しを向ける彼女だった人。

イーロンのロケットが墜落した。

2020年12月のことだ。ロケットバットに当たるわけじゃない。空振りもない。

だけどもロケットは大きな成層圏拒否されておずおずと地球に舞い戻って消えてしまった。

イーロンはそれを大きな一歩と称賛した。

僕が土を持って帰った夏が今乗るロケットの窓に重なる。

地球の引力が僕を手放すまいと、体を座席へと吸い寄せてゆく。

甲子園、土はどこまでも黒く、絶望彼岸へと続いているように見えた。

僕の首は重たく、空を見あげることができなかった。

九回裏の逆転満塁ホームランの原因は僕の失投によるものだ。

フォーク判断した指先からの白い楕円は、吸い込まれるように拾われて運ばれてしまった。

イーロンならブラボー快哉を叫んでしまうだろう。

その後気落ちした僕は彼女の声も耳に入らず、疎遠になり別れてしまった。

全てが灰色になってゆく中でごく普通に就職した。コンビニ惣菜を買うようにだ。

痛みも和らぎ始めた頃、何かを始めようと笑顔で前を向く男を見た。

時代インターネット全盛期だった。僕らの味わった暗闇もスマートフォンで見ることができる。

しかし僕の興味は高校球児に注がれていなかった。

くたびれた僕の中で若芽が透き通る空に伸びてゆくように感じた。

JAXAに勢いで電話し、メールも打った。僕の人生がここから変わってゆくような気がした。

周囲の人間はお前の歳で宇宙を目指すのは自殺行為だとか、何も達成したことがないのだろうとか、成功するやつは若くして成功してる、イーロンだってそうだろう、とたしなめてきた。

全てが耳に入らなかった。僕はあのときの打球を思い描いていた。

敵チームの白球は右中間へと吸い込まれた。

やがてアメリカとのコネクションを持つに至った。

死ぬ気で運動し、マラソン選手並みの肺活量を得た。

こんなに努力できたんだと思い、自信がついてくる。

筋力トレーニング緊急時対応、他の応募生との戦い。

気づけばイーロンに肩を抱きしめられていた。ロケットの前でだ!

信じられるかい。君たちは。こんなに世界の空は蒼いんだ。

この窓の外に見える小さな蜘蛛の渦や大きなアフリカ大陸や、僕の青春が詰まった島国や、全てが蒼いんだ。

ロケットの噴砂音が聞こえなくなった。管制塔の通信が耳元に響いてくる。

「君たちは偉大な旅を始めたんだ。そのホームランボールでね」

管制から拍手と歓声が聞こえる。そして緊張した声で彼らの仕事が再開される。

地球ホームランバッターたち、見ているかい?

僕の夢は宇宙間を飛んだんだ。

宇宙間を、飛んだんだ。




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