はてなキーワード: オファーとは
ネットでそういう主張する大多数の奴らって
まるでエリートでイケメン(美少女)なリア充は、それにさえなれば、この世の快楽と名声のすべてを享受できてるに違いないみたいな病的な偏見まであるけどさ
意識高い系が夢見るフリーランスで年収1000万とかGAFAとかからオファー来るレベルのエンジニアだって、それこそワンミスでクビで次の日無職みたいなものすごいプレッシャーや苦労や努力をして、すごいしんどい思いしてるわけだろうし
アホ女が夢見る芸能人やモデル級の容姿と家柄だけで飯食えて専業主婦でセレブ生活できる美女だって、その美女なりにすごいプレッシャーや美貌維持のための相当な努力や苦労をしてるわけだろうし
凡人平凡な今の俺でさえ、日々の生活にひーこらいって苦労してるのに、雲の上のレベルのエリートたちがする辛苦に果たして耐えられるんだろうかね?
エリートにさえなればアゴで人こき使って自分は楽できるはずだっていう、カルトレベルの妄執持ってる奴らも多いけどさ
そういうこと、考えたことないんだろうか、そういう人たちって、なんで考えられないんだろうか
アイドルって歌って踊って、それをたくさんの人に見てもらって磨かれていくものだと思います。
なのに音楽番組って、アイドル出してくれなくない?正確に、というか言いたいことを言うと、様々な事務所のアイドル出してくれなくない?
こんなにオタクが認められる時代になって、アイドルも色々な事務所から誕生してるのに、特定の事務所のアイドルしか出てないの、おかしくね?
別にそこに所属しているアイドルに非はない。そこは大前提。事務所は自分のアイドルを競争させたくないのか?自分たちが育てて力を入れたアイドルに自信を持てないのか?事務所所属のアイドル達は、皆素晴らしいのに?
とりあえず言いたいことは、色んな事務所のアイドルを音楽番組に出演させてくれ。テレビから人が離れていっている時代でも、テレビはやっぱり影響力がある。アイドルだって、テレビに出たくない訳ないとは思う。(と勝手に解釈しています)出してくれ!!!!事務所の圧力かとか何かよく知らんがとりあえず音楽番組はオファーしてください!!
私は男性アイドルのオタクのため、この目線で言っているけど女性アイドルでも全然当てはまると思います。
Jニーズも!sターダストも!ジェO1も!その他の素敵なアイドルがいる事務所も!全員出してくれや(名前出してすみません)
匿名ブログで愚痴ってる時点でオワっているかもしれませんが、諦めたくないです。オタクだし、推しが大好きだし、ライブだけではなく音楽番組やバラエティなどでも輝いてほしいし。
バンクシーは名前くらいは知ってると思うが、街中に意図のある落書きを残していく匿名のアーティストで、モスクワ・マドリード・リスボン・香港などで100万人以上を動員した展覧会『BANKSY展 GENIUS OR VANDAL?(バンクシー展 天才か反逆者か)』の日本版がいま横浜のアソビルで開催されている。
この展覧会は、バンクシーが匿名の活動( 言ってしまえば犯罪的な活動もしている )をしていることをいいことに、勝手に開催されているもので、日本はまだリストインしていないがモスクワやラスベガスなどで行われた「BANKSY展 GENIUS OR VANDAL?」は、バンクシー公式サイトで「FAKE」と指摘されている。
最近バンクシーの展示会が相次いで開催されていることを知っておいてください。 どれも同意の上で開催されたものではなく、これらはアーティストの知識や関与がない組織によるものです。それなりの扱いをお願いします。
https://www.banksy.co.uk/shows.asp
展示されている作品は、バンクシー作品を所有しているコレクターから借りてきて展示しているので、まあだいたいが本物らしい。真贋の確認はされていないが。
(贋作も混ざっているという情報あるので、「贋作が見られるのは本展示会だけ!!」とかいう凄い企画である可能性も高まってきた。これについては後述)
バンクシーも勝手に名前を金儲けに使われて( 作品はオーナーであるコレクターに権利かあるんだろうし、どこに展示されるかは勝手だろうが ) いい迷惑だなと思うが、オリコンニュースのこの記事。
https://twitter.com/oricon/status/1288212393659523072
バンクシー展からオファーがきて江頭2:50の「バンク尻―」もバンクシー展に展示することになったというニュースだ。
すぐにこれは訂正が入っている
【お詫びと訂正】「本家バンクシー側からオファー」と紹介いたしましたが、この展覧会はバンクシー本人無許可のものであるため、表現に誤りがありました。訂正してお詫び申し上げます。
https://twitter.com/oricon/status/1288312436634710023
恐らく、バンクシー展が本家から認められていないものだとは知らずに江頭側が「本家からオファー」って書いてしまったのだろう。
確認してないのが悪い……とは思えないな。バンクシー展が本家(本人)と無関係なんて思わないもんな…。
バンクシーは、自らの情報を隠して活動しているため世界各地で勝手に「こいつなら訴えてこないだろう」とばかりにグッズが作られてガンガン売られている。
EUで法人を設立して商標管理をしたり(もちろんこれは商業主義の批判のためであって自らのグッズを売るためではないと思われる)、実際には買うことはできないグッズが並んでいる(通りからショーウインドウ越しに商品風の作品を見られる)「店」を出したりして対抗している。
バンクシー展、本人は認めてないわ、バンクシーって書いてあるだけのグッズ作って勝手に売るわ、地味にやりたい放題なの恐ろしい。※画像は拾わせていただきました
https://twitter.com/springcourtykh/status/1239527013452378114?s=19
我らが日本の「バンクシー展」では、本家ロゴを使わず普通のゴシック体のフォントで作ったTシャツやトートバッグを売っているのだ。アツい。アツいぜ。
この「BANKSY」って書かれたトートバッグ持って歩くの、ヤバくないすか!?!?!??
プリントグッズやってる印刷会社のデザイナーが「バンクシー展のグッズのデータ作ってよ」って依頼されて、このデータ作るときに「本家のロゴデータないんですか? 本当にこれでいいんですか?」って言ったと思うんだよなー。泣けるなー。
バンクシーについての本も書いている美術の専門家、鈴木沓子さんのツイートです。
中にはバンクシーの贋作も何点か展示されていたので(添付)、本物と贋作と別の人の作品がいっしょくたに展示している展覧会だということは、もう少し知られてほしい。。
https://twitter.com/gingerhoneytea/status/1288309852222058496?s=19
バンクシー作品かを確認する方法は恐らくバンクシーの商標管理をしている法人の認定を受けるかどうかだけっぽいので、真贋の確認は難しいのだが、専門家がこう言ってるのが本当ならバンクシー展の主催すごいな。
いや、バンクシーが有名になってるしちょっと儲けてやろうってくらいで、ここまで徹底的にやれなくない?
どうなってるの???
最近はBuzzFeedジャパンや、Business Insider Japanと並んでジャーナリズム魂のあるメディアとして(俺の中で)話題のウェブ版「美術手帖」さん、いまこそこれを記事にしてくださいよ。
コタツ記事じゃなくて、中の人に意図を聞いてくるとか、バンクシー関連の専門家の意見までまとめるくらいのやつ。
この増田はそれを読みたくて書きました。届け、この想い。
タイトルの通り、わたくしは28歳の時、処女膜を自分で破きました。
なぜそんなことをしたのか?
それは、どうしても挿入を伴う男性との初体験が嫌だったからです。
二十代のころは、それなりに男性からオファーがあり、デート後にホテルに行くこともありました。
痛みが無理というのはもちろんですが、
それよりも、男性によって私が痛い目に遭う
血まで流さないといけない
なんで未経験の女だけがそんな目にあわなければならないののかと、怒りに満ちた自己防衛をしていました。
どんなに好きな人に求められても、その信念は揺らぎませんでした。
気持ちが安らいでいたため
あれ?今なら指くらい入るのでは?
と思いました。
おそるおそる性器にさわってみて指を入れてみると
すんなり入り、痛みも全くありませんでした。
そのまま二本、三本、あれ?こんなもん??
そこで思い立ったのです。
男性に痛い思いをさせられるのがどうしても許せないなら
そこでまず私は、ドンキへ行き、
バイブを買おうか?とも思ったのですが
無機質で、男性器を模ったものはグロテスクで無理そうだったので
とはいっても、いきなりは入らないので
ベッドで仰向けになり、足を開き
xvideoでアダルトアニメを見ながら
性器をぬらす、指を入れてならす
よし、三本入ったし、大丈夫そうだなと思い
ちくわをぐぐぐっと挿入してみました。
ぐわっ………なにこれ?!
痛いというより、狭いというのが正しいような………
ズムズムズムと狭い道をこじあけるちくわ
いてて!!と、なりしたが
でも、我慢できないほどではなく、
もっと奥、進むのだ
恐らく最奥まで挿入できて、性器もこれ以上ないくらい広がっていました。
痛みはそれほどではなく、ただきつい、という感じでした。
こんなもんだったのか……
若干拍子抜けしつつ、出し入れをしてみて
きつい感じもなくなってきました。
ちくわを出して入れる、出して入れる
ずぼずぼ、ずぼずぼ………
なるほど………これがセックスなのか………
わっ!血が出てる!!!
私は喜びでいっぱいになりました。
その後、無事になんの恐怖も痛みもなく、男性と初体験を済ますことがでがした。
結局私が言いたいことは、ひとつです。
痛みが怖くてセックスに至れない女の子へ向けたメッセージです。
そこまでやばい痛みではないよと伝えたいのです。
私も、抗不安薬を飲んでいなければ、こんなことできなかったかもしれません。
痛い思いをさせられることが許せない
そんな女の子は、わたしのようにセルフで処女膜を破いておいて、
初体験に臨むというのも、有りだと思うのです。
確実にオファーが来ると思うがメンタルが不安定なときにやるのはリスク高そう
MSのやつ応募する。MSみたいに充実してないけどアクセンチュアもなんかそういう枠あったぞ
https://www.microsoft.com/ja-jp/mscorp/diversity-itlearning/program.aspx
《1 年目》 月曜日/水曜日/金曜日・・・13:00までに品川へ出社で退勤は17:00。クラスルーム形式のトレーニング
《2 年目》 月曜日/水曜日/木曜日/金曜日・・・13:00までに品川へ出社。プログラミング演習とクラス ルーム形式のトレーニング
ーーーーーーー
お金のために働くだけだと、毎日自分に言い聞かせてパソコンに向かう。
クリエイター業で働いて、顧客から依頼されたものを製造するだけの仕事。
モチベーションは常に低空飛行で、2〜3年に1,2度興味ある分野の案件があったりするくらいだ。
思えば、社会は8割は面白くない仕事で回っているのかもしれない。
好きが仕事になるってかなり幸福に見えるかもしれないが好きなものの中にも嫌なコトって必ずあって、仕事にすると実際嫌いがほとんどで。
大人は大変なんだな、と嘆きながら生きている。
私の親は日本での学がなく、満足な読み書きもできず、1人は少ししか日本語を話せない。
したがって、就ける職が絞られる。実際父親は派遣の工員をしていて、母はレーンでの作業員をしている。給料はびっくりするほど低い。
残業は、命を削って得るもので、母は毎日4時間ほど残業をしてやっと23,4万得られるらしい。体は、ボロボロだ。
(これは年老いてきた近年で、景気がマシだった頃は30万前後だったと聞いている。とはいえ、基本給は約5万下がった程度だと聞いている。)
私は幸いなことに奨学金で専門学校へ進学できたが、入学金を自力で用意できず銀行に借りた。
就職活動の時は、親の給料以上必ず稼ぎ、好きなことで生きていくぞと輝いていた。
青かった。どこまでも青二才だった。
ほんとうに私はどこまでも幸運で、勉強ができて資格もあって、それなりのコミュニケーション能力と、底抜けの明るさが持ち味だったので一部上場企業に就職先に選べた。
問題はその後だった。
奨学金の返済で月に2万は搾取される。家賃・光熱費・ペットの養育費...エトセトラエトセトラ。給料は良かったが、高い物価と遊ぶ場合は必ず金をかける必要がある都会で心細かった。
会社は残業代のない年俸制、軍隊研修をなんとか乗り越え、胃痛を抱えながら配属先が決まった。優秀だ優秀だと持ち上げられ、しかし知らないことはたくさんあるので失敗すればそんなことも知らないでやっていたのか、と驚かれる。秒数億円が動くのシステムを保守。1コマンドでサーバを停止させてしまうような仕事だった。先輩6人に囲まれていたが年齢が一番近い人でも8歳ほど違った。
教育らしい教育は、同じ時期に入った中途の人がしてくれた。もちろん中途の人も仕事を絶賛覚え中だった。
能動的に学ばなければいけない、止まることは許されない、間違いも許されない、私は優秀だ、社内の情勢が見えてきたら、政治にも巻き込まれたりして不要な人間関係の悩みも受けた。
親元からかなり離れ都会で精神も削れる所まで削れ、土日は酒浸り、酒がないと眠れなくなっていた。23時前後の帰宅時は24hスーパーに寄って、枝豆やウィンナーと酒を買い、それが夕食だった。就寝前に風呂に入る時間はとらず、睡眠に充てた。
気がつけば、ドアノブに手を触れただけで泣き崩れるようになっていた。その日は会社を休んだ。
翌日、出社した。
会社にいたくなくて、立ち食いそば屋でギリギリまでご飯を食べた。そこに、同期がいた。残業代出ないのつらいよなーとか、またみんなで飲みにでも行きたいなーとか他愛無い会話をした。
入社して半年以上、気がつけば11月。親から電話がきた。LINE通話じゃなく、電話だった。LINEは長いことスルーしていた。
しんどいなら、帰っておいで
はっきりと覚えている。
1ヶ月後、年をまたぐ前には実家に帰っていた。
実家に帰って真っ先にしたことは、禁煙。その後、お酒を控えるようにした。
胃痛は、消えていた。
この業種自体は好きだったし、早く働いて自分の金が欲しかった。
小さな会社だった。ここも教育は行き届いていなかったが、自由はあった。
自分の思う最強のシステムを作ることが許されていたし、管理も自分に全て任されていたので、やりたいことを全てやった。
案件は人数で割れないほどきていたし、毎週レベルでシステム製造の見積もりを作成していた。忙しさは最初の会社の8割くらいという感じだろうか。
私は全て乗り切った。小さな問題は起こしても大きな問題は何一つ起こさなかったどころか、火消役としてあちこちの案件に引っ張りだこだった。
問題はそれを誰も評価してくれないことだった。同僚は自分を評価していたが、それが上に伝わることはなかった。全然なかった。
あるいは、伝わっていたが無視されたのかもしれない。
私の額面給料は21万円だった。リーダをしていた人でさえ32万だった(給料明細を見せ合いっこした)
3人のメンバーを抱えてリーダーをするようになっていたし、新人教育も私だけが力を入れていた。全ての質問に根強く答え、新人の空いた時間にする課題を出したりもした。
会社のPCの注文や備品管理、整理、不便な部分のヒアリングと解決を何度も繰り返した。
ひどい低賃金で結局、3年弱働いてやめた。
こうして、晴れてフリーランスになったのだ。
付き合う会社、仕事は選べるし、自分のペースで自分の責任で、自分のやりたいことができる。評価はお金で返ってくる。
私にはすごくあっていた。
幸にしてコネもいくつかあったし、コネがコネを呼び、仕事には事欠かなかった。15〜20日程度働いて、月35万前後稼いでいた。
未払金80万。私は血の気が引く音が聞こえた。
いろいろを経て借金をせずになんとか過ごしたが、安定を欲して、
また正社員になろうと思った。
完全在宅で働けて、受注系の開発で、評価制度が分かりやすい会社が良かった。
履歴書・職務経歴書を登録していたサイトから、全て叶った会社からオファーをもらった。
残業は月に30時間ある月もあるが、お金が出るからやる気がすごかった。
残業を減らそうと色々なフローに案を出した。新参者がいろいろ言っているなと思われただろうが、ここら辺は上司への根回しやあんの提出の仕方でなんとかなった。
しかもこれが、評価をされた。入社して半年後の査定で給料が上がった。3万も上がった。
開発業務自体は大して興味なかった分野が割り振られたが、会社のフォローが手厚く、やりたくないがやり切れている謎だった。
ストレスはあるが胃痛がするほどではない。正常範囲なのか、自分が慣れてしまったのかはわからない。
やりたくない仕事だけど、金払いがいい。
この仕事なら、続けられる気がした。
何故だろうと不思議だった。
社会人5年目位程度の若造の言うことを真摯に聞いてくれるからだろうか。
困っていることを部門全体で解決してくれようと動いてくれるからだろうか。
金払いがいいからだろうか。
わからないけれど、基本的に社内に敵がいないことも大きかった。
仕事終わりや休みの日の精神はとても安らいでいた。少し愚痴を話しておしまいだった。
面白くないけど、しんどくない。
やりたくないことだけど、その中でやりたいことを見つけられる実施できる。
疲れたり、めんどくさい時だってあるけど、評価とその結果のお金で返ってくる。
私は今幸せなんだなと実感した。
面白くなくたって、自分や自分の周りの人の負荷になっていなければきっとそれでいいんだ。
やりたくない仕事だからこそお金をもらってやっているのかもしれない。
さあ、もうすぐ連休だ。
メジャーリーグベースボールのボストン・レッドソックス等で活躍した田澤純一投手が13日、日本の独立リーグ BCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズに入団した。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200713/k10012512801000.html
日本人歴代3位のメジャーリーグ388試合登板というリリーフ投手としてメジャーリーグで積み上げた数字の割には、日本では知名度が低いだろう。
それは通常、日本でスター選手になり満を持してアメリカに渡る選手が多い中、田澤選手は日本プロ野球に所属した経験が無いからである。
「日本のドラフトを拒否して直接海外挑戦した場合、日本に戻っても高校出身選手は3年間、大学・社会人出身選手は2年間、ドラフトで指名できない」
というものだ。
プロ野球12球団の申し合わせ事項となっており、通称で田澤ルールと呼ばれる。
これはまさに田澤選手が引き金となって作られたルールであり、本人が希望したとしても、巨人や阪神などのいわゆるプロ野球の球団にはすぐに入団できないということである。
田澤選手は、高校を卒業後、社会人野球のJX-ENEOSに進んだ。
JX-ENEOSで活躍して評価を高め、複数球団からドラフト1位候補として名を挙げられるようになった。
しかし、ドラフト指名が確実視されていた2008年、メジャーリーグ(MLB)挑戦を打ち出した。アマチュア有望株のMLB挑戦について、当時の球界には一大騒動が巻き起こった。
田澤選手はNPBの全球団にドラフト指名を見合わせるよう文書を送付し、バッシングを受けながらも最終的にMLBの球団と契約した。
これを受けて、NPBの球団は事後的に上述のルールを定めたのである。
1995年の野茂英雄氏をパイオニアとして(ただし、日本人初のメジャーリーガーは1960年代の村上雅則氏)、その後数々のプロ野球選手がアメリカに渡ったが、ルールは問題が発生するたびにその都度整備されてきた。
野茂氏のMLB移籍も複雑な話だった訳であるが、長くなるためここでは割愛する。
NPBを経ずにMLBに行こうとする日本人選手が現れるのはどんな背景があるのか。
海外移籍のためのフリーエージェントの権利を得るのに9年の1軍登録が必要だからだ。2軍暮らしが長ければもっと時間がかかる。
原則と書いたのは、ポスティング制度を利用すればそれより短い期間で移籍できるからである。
しかし球団が認めなければポスティングでは移籍できないので、海外フリーエージェント権を得ない限り移籍の自由は保証されない。
MLBに挑戦するのが30歳近くなれば、選手によっては全盛期を過ぎていることもある。
数年間日本で実績を積んでMLBにステップアップしよう等ということはできないのである。
日本人選手が自由に海外球団と契約できることは、NPBのレベル低下につながる。
しかしながら、「NPBからオファーがあったにも関わらず、それを蹴って海外球団と契約されてはNPBの面子が立たない。面子を立てなかった選手の面倒は見ない」という裏の声が聞こえてしまうように思えてならない。
一方で日本の球団は、チェン・ウェイン、リン・イーハウなどといった台湾の有望選手を獲得している。
また、昨年には異例中の異例で、2018年にMLBドラフト1巡目指名を受けたが契約に至らず、2019年にも再度の1巡目指名確実と言われたカーター・スチュワートがMLBを経ずにNPB入りしている。
ここ数年の田澤選手はアメリカでもマイナー暮らしで、力は落ちてきていると見られる。
したがって、田澤ルールが無かったとしても今の実力でNPBで投げれるかは未知数だ。まして2年後、3年後にNPBの球団が獲得する保証はない。
とは言うものの、インタビュー記事からすると、田澤選手自身もこのルールには従っている。
しかし、将来の選手のためにも、このようなルールが少しでも変わっていくことを願っていることも事実のようだ。
https://full-count.jp/2020/07/14/post829635/
田澤ルールは田澤選手が渡米した事後にできたルールだから、田澤選手には適用されないのではという説もある。
もっとも、NPBの球団が田澤選手をドラフトで指名する動きが無いため表面化していないが。
レベルや報酬の面でNPBがMLBに敵わない以上、アマチュア・プロ問わず今後も多くの選手がMLBを志望するだろう。
しかし、この田澤ルールについては、大物アマチュア選手がMLB志望を口にすると、たびたび話題にはなったものの、深い議論には至らず置き去りになっているように思える。
この年数はアマチュア選手にとってどんな心理的影響を与えるのか。年数を変えたらどうなるのか。
同じ目的を達成するのに、他の手段ではダメなのか。どうしてもこのルールである必要があるのか。
議論を重ねた上で、最終的に結論は変わらないかもしれない。しかし今はまだその議論がなされていない。選手の契約、移籍に関する問題は発展途上だ。
内容はタイトルの通りだ。
なんだかもう色々と疲れてしまったし、自分がなにをしたいのかもとうの昔に解らなくなった。
元々、浪人して適当に都内で遊べる理系大学、ということで選んだだけの大学なので思い入れもなんもないし、そもそも今いる学部だって正直なにも興味がない。機械やりたかったのに全く違うところにいるし。
大学生活はだらだらと、文系のように過ごしてしまった。いや、文系以下かもしれない。サークルは一年で辞め、ぷらぷらと単位を落としつつ、人当たりだけはいいので友達に助けてもらってなんとか留年はしなかった。大学生活は女の子を落とすこと、車で遊ぶことに励み(全然容姿はオタクだけど)、勉強はほぼしなかった。
バイトは適当にサボれてそこそこ稼げるところ、だからなんのスキルもない。もし、身についたものがあるとすれば、適当に愛想笑いをし、適当に客の気分を取る。それぐらい。
趣味は車。金がかかる趣味の代名詞とも言えよう。いろんな車を乗り継いで売って...というのを大体15台ぐらいやったと思う。仲間の輪は広がったし、たぶん一生付き合うなこいつらとはっていう奴らにも出会った。これだけは唯一大学生活で成功したことだと思う。
他にも、マーケティングだとか、そういうのがちょっとだけ興味があった...といえば聞こえはいいが、ただ馬鹿みたいに安い金額でモノが欲しい、ついでに稼げたらいいなっていう理由だけで労力をかけない転売まがいのこともやってる。中国とかアメリカから適当にモノを買ってきて、日本で捌く。後メルカリのバカ安いのをヤフオクに流す。まあこれがそこそこの利益が得られるからって一昨年ぐらいからやってる。情報商材屋を嘲笑うぐらいの事は独学でできたと思う。
さて、就活に話を戻したい。
元々ぼんやりと就活と院試で迷っていた。去年の11月はどうすっかな、ってマックの外でメニューどれにする〜駄弁ってるようなレベル。インターンは第一志望のインターンに参加できたし、ここ入れたらいいな〜って思ってた。
それが2月に入り、気がついたら3月の早期選考ラッシュの時期だった。この段階ではまだ早期どうなるかな〜って自動車系にエントリーをなんとなくしていた。
4月。採用中止の連絡が届いたり、不合格の連絡が届き始める。この段階で本命に落とされる。
5月。大学も行けない。就活も進まない。不合格の通知がそこそこ溜まってきた。自分は無能なんじゃないか?焦り始める。エントリーすらままならない。なにをすればいいんだ?
6月。無気力。逆オファーアプリで選考の案内が来た企業に落とされる。もうダメだ。でも今年採用遅れてるっていうしな〜ってヤケになっている。
何もかもままならない。この頃には自動車以外のITとかも考えるようになってた。遅すぎる。俺はなにがしたいんだろう?
そして気がついたら7月、大学が再開した。周りの友達はみんなホワイト大企業の内定を持っている。院進勢は外部を受け始め結果待ち。対して自分はどうだ?なにも決まっていない、就活はエントリーすら出来ていないし、院試の勉強のために買った教材すら開いていない。マックの注文はレジ前でキャンセルした。就職が決まった人達の内定先を聞いて回る。みんな仲がいいからすぐに教えてくれる。どこどこだよ〜だとか、あそこだよ〜とか。聞くたびに、自分が無能だとわかる。
大企業のエントリーはほぼ終わったし、一番あれだけ行きたいと思っていた自動車系にすら興味がなくなってきた。日に日に焦りが募るだけで何もしない。やるとしたら日々ヤフオクとメルカリの監視。いつから自分はこんなにつまらない人間になったんだろう。もうなにがしたいかもわからなくなってきた。そもそもこんな自分を雇ってくれる、まともな企業はあるのか?
今日、大学の喫煙所で一人黙々とタバコを吸っていたらヒグラシが鳴いていた。
もうそろそろ夏がやってくる。今思うと、自分の就活が完全に失敗したのは
無計画
の三つが起因していると思う。
ちなみに今日もエントリーしたところから落とされた連絡がきた。
これはコロナのせいではなく、完全に自分の責任だ。ただ、自分が無能だと自覚させられるだけの就活。
一番タチが悪いのは、少なくとも死ぬ気には全くならないこと。ぼんやりと、今でもなんとかなるだろうって考えている。だが行動は起こさない。
結局、全てが中途半端になっている。やる気も、行動力も全て中途半端。これはたぶん元々。それが今まで単に上手く行ってただけ。人当たりはいいから。
それなのに、自分だけは違うと思っていた。別の意味で周りと違う人間になったけど。
長々書いてきて、尻切れトンボになるけど今日はこれで終わり。ここまで書いてきて、さらに一つ分かったとすれば、自分には特技はなにもないし、やる気も続かない、とてもつまらない人間だということ。
社会から見ればこんなの、無気力、無価値だとか評価されると思う。ものすごく妥当。
今日は家に帰ってからヤフオクに投げる商品をアップロードして、タオバオとebayの進捗状況を見守って寝る。
最後に。
タオバオでモノ買う時は650元以下にしないとAsiax通されて通関手数料バカ高くなるから気を付けろよ!軽かったらEMSを使おう。デカかったら4pxで涙を飲もう。
常磐線でこれ書いてて辛くなってきたわ。
はてな匿名ダイアリーでやってるあたりも”逃げ”なんだろうな。俺の人生そのもの。
すべてを実行する必要はないが、費用対効果が高いものをリストアップしていく。
娯楽が多いという魅力のほかに、明らかに就職活動での面倒さが異なるので大学は東京一択。理系は文系より忙しいのがネックだが、現代は明らかに理系出身のほうがチャンスが広い。
四則演算ができないなどの学習障害がなければ、多少数学や理科が苦手でも理系を選んだ方がいい。大学入ってしまえば、微積の計算がクリティカルになることなんてないのだし。
就活を見据えると、どういうわけかインターン経験は強い。プログラミングでもデザインでもなんでもよいから、「業績は伸びているが人が足りていない」ところに潜り込んでおく。Twitterとかでインターン探してます!とか言えばどうにかなる(食い物にしてくる人もいるから、そこだけは気をつけよう!)。一度インターンで働いたことがあるというのは、バイトやサークル活動とは比べものにはならないほどバリューがある。
有名企業のインターンは高学歴とかで埋まっていることが多いが、自分の実力で無理そうなら有名企業にこだわる必要はない。猫の手も借りたいようなベンチャーも存在する。大事なのは、とにかく次の項目で述べる大企業に入るための面接での材料にすることだ。
就職活動時にはとにかく大企業に行くことを考えよう。人によっては新卒カードを使えるこの時期だけが有名企業に入れるチャンスだったりする。
大企業に確実に採用をもらえる方法はないが、確実に不採用になるタブーを踏まなければいつかなんとかなるのだから、とにかく心を折ることなく数を打つ。
有名企業に新卒で入ったことは後々の人生でプラスに働く。あなたがいかに不甲斐なくても、「大企業出身」のブランドを永続的に手に入れるチャンスだ。
大企業であれベンチャーであれ、新卒社員には給与テーブルが存在する。つまり、入社からの年数で年収がほとんど決まってしまう。
ごくまれに仕事で成果を出しまくって抜擢されるような場合もあるが、このページを読んでいる自堕落なあなたは想定される給与レンジを上回ることはないだろう。このように新卒のラベルが付いているうちは、給与テーブルを逸脱することができない。そのため、転職によって不連続的に年収を高める。
転職をする方法はいくらでもあるので割愛する。大事なのは、「多少高くてもいいから人が欲しい」業界や企業をリサーチしておくことと、いくら年収が上がるオファーなら引き受けるかを決めておくことだ。
社会人になって自由に使えるお金があると使ってしまうので、すぐに使わないお金は運用に回しておく。必要になったら現金に戻せばいいだけなので、実際には自由に使えるお金が減るわけではない。
確実に上がる株を見つけられるわけがないので、全額SP500で良い。減ることもあるが、とにかく気にしない。生活は定収入により賄い、投資は長期的(必要になって現金に戻すまでに)に勝てばよい。
人間は賢くないので、孤独のままでいると偏った思考に陥ったり愚かな選択をしてしまったりする。ここまでの経験してきた学生・インターン・同僚のうち、信頼出来るヤツや、コイツになら信頼されたいと思えるヤツを大事にしておく。これは仲間でも恋人でも同様だ。
各種のステージでの選択を行う際に、それが実現可能かをジャッジしてもらうとよい。
北欧でポスドク(fellowship)ポジションを得た経緯と準備をまとめました。こちらの記事(https://www.notion.so/Facebook-London-13743da603ce4632bd9f96672faa0d74)を参考に書かせていただきました。特定回避のため少しぼやかした表現で書いたところがあります、ご了承ください。
私は今年のはじめにオランダ語圏の大学でPhDを取得し、その後も欧州に留まろうと就活をしていました。PhDの就活は、博論執筆やディフェンスと就活期間がかぶるものだと思いますが、そのあたりの事情も書いていこうと思います。私の専攻は数値計算・解析の一分野です。「数値解析」と言っても実際には何も数値計算をしない研究があり、また「数値計算」と言っても何も数学的な裏付けのない研究があります(どちらもそれ自体がネガティブなことだとは思いません)。ただ私は自分の強みとして、この2つ両方をやっていることを打ち出して就活をしました。
2-5月 公募、面接(オンライン)、オンラインセミナー講演など
オランダ2
ドイツ1
です。面接に呼ばれたのが2箇所、そのどちらも面接の数日後にオファーをもらいました。
当たり前ですが、ポスドクをやるために最も大事な要件はPhDを取得していることです。私は昨年10月に今年1月のディフェンスが急遽決まったため、大慌てで博論を書くことになりました。私の大学では外部の教授2人+内部の教授3-4人からなるexamination committeeがあり、 博論提出→(4週間:committeeの教授が博論を読む)→private defense (プレゼン15分+committeeによる質問2時間)→(3週間:博論修正、博論印刷)→public defense(プレゼン50分+質問1時間半) というスケジュールでした。私のディフェンスが急遽決まったのはこのcommitteeの教授たちのスケジュールによるものでした。
9月頃からアカデミア求人サイトを見ていたのですが、実際に応募しだしたのは11月からでした。周りのポスドクの人や教授に使えるリンクなどtipsを聞いておくと良いと思います。私の場合は例えば、mathjob.org, SIAM mailing list, euro-math-soc, NA digestなどをこまめにチェックしていました。
私の分野はあまり大きな分野ではないため、私のプロファイル・専門に合う求人は、多くて月に2-3件くらいしかみつかりませんでしたが、そこに力を入れて応募していました。公募求人のページは締切後に消えてしまうので、(面接の前に見返すなどのために)ローカルに保存しておきました。
私はCVとカバーレターの雛形を用意し、それぞれの公募に合わせて少し変えていきました。どちらも教授や周りの人に読んでもらってコメントをもらいました。ここでスペルミスや文法ミスがあると、後から見返してしんどい気持ちになります。
これは指導教員と副指導教員にお願いしていました。プロセスとしては、自分が応募する→相手方が自分に興味を持つ→相手方が自分のレファレンス先にレコメンデーションレターを書くよう要請する、というもの(が多数派だと思う)で、あらかじめ指導教員たちに「〜〜から連絡あるかもしれないから、見落とさないように」お願いしなければなりません。
面接は二回しか経験していませんがどちらもオファーをもらいました。聞かれたことは、そのポジションにおける自分の強み・弱み、自分の研究成果、教育の経験などでした。どちらも英語での面接でしたが、英語が公用語の国ではないため、ある程度の「社会に溶け込もうというモチベーション」を見せるために終わりの挨拶をその国の言葉でするなど、印象を良くするように努めました。
PhD取得後、すぐにコロナの広がりがやってきました。就活真っ只中の私としてはとても薄暗い気持ちになったのを覚えています。連絡を取っていた他大学の教授から突然メールが返ってこなくなったり、応募していたポジションの選考プロセスが突然止まるなどの事態が起こりました。
ポスドクは自分の研究活動を通したコネで決まることがわりと多いかと思います。もしそれで決まるのであれば、そうするに越したことはありませんが、私の場合は土地の制約やタイミングからそれだけではうまく決まりませんでした。そのため、全くつながりのない教授・大学にある程度の説得力を持って応募することが必要でした。私が応募したものの中にはあとから「ああデキ公募だったんだな」とわかるものもありましたが、これは世界中どこでも起こりうるものだと思って割り切りました。
選考プロセスはほとんどの場合、応募者側からすると不透明ですが、スウェーデンとノルウェーでは透明性を重視しているのか、現在の段階や全応募者の評価シートまで応募者に公開しているものもありました。クオリファイされた24人の応募者全員の名前、年齢や出身大学、業績、プロジェクトとのマッチング評価などが書かれたドキュメントは読み応えがありました。
twitterなどを見ていても思いますが、博士課程は思うように結果が出なかったり、悩みを共有できる人がいなくて孤独だったりと閉塞感が出がちだと思います。私も博士号取得後の数ヶ月、無職期間を経験し気が塞いだこともありました。この閉塞感がくせ者で、そのせいでパフォーマンスが落ちたり更に人と話さなくなるなどの悪循環なども生まれると思います。ただ、自分が思うよりも状況は悪くない、ということをどうやってか自分に客観的に説得できると、この閉塞感も緩和されるんじゃないかと思います。
自分よりも10こくらい年上の先輩(だけど部下)が転職すると言い出した。
自分としては最大限リスペクトしてたし、助けてもらってた。ちなみに女性独身。
年齢も年齢だし、親が住む九州に支店のある会社からオファーうけた、と。
今の会社はホワイト。転職人気企業にも名を連ねるし働き方でいえば、今の会社より
よい環境の会社を探すほうが難しいだろう。年収だって彼女は相当高い。
なのに、何故なんだ。
辞めたいと相談もらったときに思ったのは、個人の選択だし応援したい気持ちと、
感謝と、そして今後彼女が抜けた穴を埋めなければならない地獄が待ってるという
ことだった。私は底が浅い。きっと上司として頼りなく、彼女からしたら抜けてる奴
だったのかと思うと眠れない。