中学生の頃、とある地方都市に住んでいた俺は、毎日電車通学をしていた。
ある日、学校からの帰り道、駅のホームで電車を待っていた。いつも一緒に帰る友人達とは別行動で、一人ベンチに座って本を読んでいた。遠くの方で同学年の女子達が何やら騒いでいる。どうやらその内の一人が名札を線路に落としてしまったらしい。
本当なら駅員を呼んで拾ってもらうのが正しい行為だろう。だがその時の俺はそうしなかった。ホームから線路に勢いよく飛び降りて、名札を拾い上げた。
あの時の俺は漠然とした不安の中にあった。クラス替えで仲の良い友達達と離れて、反対に気に食わない奴等が集うクラスに放り込まれて磨耗していた。好きだった子に振られた。父が単身赴任で家に不在がち、その代わり母とぶつかった。進学校を自称するくせにやけに厳しい校則が煩わしかった。在学している中高一貫校を抜け出して、別の中高一貫校への進学を考えていた。
今になって思えば、どれも瑣末なことでしかない。でもあの時の俺はその一つ一つが重なり合って、漠然とした不安の中にいた。ふと自分の命が消えてしまってもいい。そんな感覚だった。
あの日、名札が線路に落ちているのを見かけて、死ぬ理由を見つけられた気がした。線路に飛び降りて、名札を拾おうとして、轢かれて死ぬ。あっけない最期。
でも現実はそう上手くいかなくて、地方の路線だから電車が来るまでには時間があった。難なく名札を拾い上げた俺はホームの上までよじ登ると、別のクラスでほとんど話したことがなかったテニス部の女子に名札を渡した。一連の動きを見ていた彼女は驚いた表情で、ありがとうと言った。
片田舎の学校の最寄り駅だからか、ホームには人もまばら。一般客、ましてや駅員さえも俺の行為に気づいていなかった。端から見れば格好つけた中学生の危なげな善行は、誰にも咎められることはなかった。
あれから10年以上。しょうもない希死念慮が湧き上がってきた時、あの日のように死ぬ理由をこじつけられないかと考えてみる。物事はそう上手くいかないもので、理由はどこにも転がっていない。死ぬ理由に遭遇することはなく、かと言って積極的に命を絶つほどの勇気は持てず、そのままだらだらと生き長らえていく。
自分も死にたくなるホームラン級のストレスはないけど、コツコツとしたストレスから死にたいなと思う。通勤列車をいつもぼんやり見てるし。 ホームで列車待ってたら目の前で人がホ...