はてなキーワード: いちことは
なにしろ九州が未曽有の大災害に襲われている渦中であるから、ひっそりとしか報じられていない印象だが、
安倍晋三が、今日から始まる靖国神社の春の例大祭に真榊を奉納したというニュースが流れている。
参拝は見送ったとのこと。
例のごとく、なぜ参拝しないのか、特亜に配慮なんかするな、戦没者の慰霊がなぜいけないのか、などと
最近はなんだが「マスゴミはなぜいちいちこんなことを報道して騒ぎにするのか?」などという発言も見られるが、
まあ「取り上げれば騒ぎになること」をとりあげるのはマスコミの仕事なのだから、取り上げてあたりまえである。
自分は、靖国神社の存在について、神道の伝統にしたがえばきわめて特殊な神社であると思う一方、
なにかと「首相の参拝実現を!」と叫ぶことには反対の立場である。
というか、首相などということよりも、もっともっと先に実現すべきことがあると考えている。
英霊たちは、岸信介の孫のパフォーマンスなんぞより、今上陛下の御心を待っているはずだ。
先帝陛下は、先の大戦に敗れて以降も、定期的に靖国に親拝されておられたが、1975年11月を最後に靖国を訪れることなく崩御された。
先帝陛下は、その大御心を無視して靖国神社がA級戦犯を合祀したことに対して不快感を持ったれており、
それが親拝されなくなった理由だという説がある
今上陛下がなぜ親拝されないのかということについては、現在の陛下のお立場から考えて、
少なくとも陛下のご在位の間には決して明らかになることはなかろうが、
「もし、今の状況で陛下が靖国に親拝されたりしたら、ハチの巣をつついたような騒ぎになる。
そんなところに、陛下がいかれるわけがない」と答えた、という話を読んだ記憶がある。
となれば、現在、行政の最高責任者である安倍晋三のなすべきは、
自らが「最高権力者でござい」という顔をして陛下を差し置いて靖国に赴くことではなく、
陛下が親拝されるとなれば、やれ軍港主義の復活だのなんのと騒ぐ輩が内外からでてこようが、
それは間違っている。
たしかに、先帝陛下は昭和20年まで大元帥として軍を統率されていたが、
敗戦によって軍服を脱がれて以降、荒廃する日本の各地に赴き、親しく国民と接せられ、
「四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世になど波風の 立ちさわぐらむ」という明治大帝の御製を引かれて
その御心を示された方である。
軍服に威儀を正した大元帥陛下でおられるよりも、スーツとソフト帽の姿で民衆に手を振る象徴天皇でおられるほうが、
望みだったのではないかと、畏れ多くも推察する。
もしかしたら、庶民的な君主であろうとしたが故に、君側の奸に疎まれ、挙句は若くして病に倒れた父君
国籍や民族を問わず、先の大戦の悲劇を語り継ぎ、その犠牲者を慰霊することを
自らの責務として精力的に活動されていることは、近年の海外への慰霊の旅の数々をみれば、言うまでもあるまい。
先の大戦に敗れて「象徴天皇」という立場になって以降、日本の天皇というのは
英国の王族などは、軍務につき、結婚式では嬉々として軍服に身を包んでいたりするが、
現在、我が国の天皇はじめ皇族方は、けして軍服などという野蛮な服装に身を包むことなく、
我が国の事実上の軍隊である自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣であるから、その地位にあるものが靖国神社を参拝すれば
現行憲法下で今上陛下が靖国に参拝することが、軍国主義の復活につながるとはとても思えない。
もし、そのことで国内外に誤解があるのならば、その誤解を解くことこそが、首相の仕事であろう。
首相自身が靖国に行かないことで近隣諸国の懸念を防ぎ、陛下の親拝実現に一歩でも近づくのであれば、むしろそうすべきだ。
にもかかわらず、無用に近隣諸国との緊張を高め、陛下を差し置いて自らが靖国に行きたいなどという首相がいたならば、
それは、本当の意味で皇室を敬愛しているのでもなかれば、我が国のことを思っているとは、到底思えないのである。
そもそも現在でも陛下は、伊勢をはじめ、各地の神社や天皇陵を親拝されているし、
宮中では、日夜、神道の形式にのっとって、我が国の安定の民の幸福を祈っておられる。
もちろん、それは「象徴天皇」の「国事行為」ではなく、天皇家の私的な行事としてであって、
その区別は厳格にすべきだろうが。
皇室を敬愛する愛国者のふりをして、近隣諸国へのヘイトスピーチをばらまきつつ「首相の靖国参拝実現」を声高に叫び
結果として陛下の靖国親拝への道を遠ざけ、英霊の御霊の安らかなるを妨げるものは、
愛国者のフリをした不逞の輩というべきであろう。
武力で取り返す訳にもいかず、もう手が無いだろう。家族会も「制裁を強くしろ」と以前は言っていたが、今回は「あらゆる手を使って」みたいな事を言っていて、もう家族としても手が無いのは解っているが、何か言わざるを得ないから言っているように見える。
被害者が本当に苦しんでいるのは解るんだけど、彼らの意見を聞いてもどうにもならないし、その通りにすれば解決するというものではないのだろう。
いちいちこういうタイミングでマスコミに意見を求められても困るんじゃないだろうか?事実は報道するにしろ、いちいち意見を求めに行ったり、そのコメントを記事にする必要は薄く、また何か大きな動きがあるまで控えてもいいんじゃないだろうか?
これはある種嫉妬ではあるが「暗黙のルール」を破ってPVをかせぐのはいかがなものかというもの。
「暗黙のルール」が正しいとは言えないが。
特にブックマークをするより見るほうに重きを置いている人の不満。
さらに言うと新着エントリーをRSS登録してしまうようなはてぶジャンキーだ。
新着エントリをRSS登録するとガンガン互助会ブログが流れてくる。
人気エントリだけ見るようなライトな利用者やお気に入りとかその他のツールを使ってカスタマイズする人とは比にならないほど互助会の影響を受けることとなる。
たくさん流れてくるブログが毎度同じメンツで同じような肯定的なブクマされているとそれはストレスがたまる。
ブックマークを見るというよりはブログの延長線上で使っているはてなブロガーはいまいちこの感覚がわからないのかもしれない。
はてなブログがはてなブログ以外よりも新着エントリに上がりやすい状況というのははてなからすれば必要なことではあるだろう。
だがはてなブログをはてなブックマークにより集客しやすくし、はてなブログ人気を高めるということは、ある種はてなブックユーザーにしわ寄せが行くことを許容しているとも言えないだろうか。
はてなブックマークを見ることに重きを置いている人は別にはてなブログに限定せずに面白い記事を見たいはずだ。
はてなのサービスにハテブがつきやすいのは今に始まったことではない。
しかしその度合いが強くなってきたら反発は強くなる。
特定のサイトを非表示にできる機能が銀の弾丸といえそうだが難しいのだろうか。
その方面に明るくないのでわからないが技術的というよりリソース的な問題なのだろうか。
ユーザーごとに異なるページを生成するのはなんだか負荷がかかりそうだし。
互助会をしていてもそのうち効果が弱くなるとか、実は新着エントリにのってもPVはあまり増えないとかアフィリエイトも儲からない、だから放っておいてもよいのではという意見もたまに見かけるが、それはブロガーとして互助会を見ている意見だなと思う。
はてなブックマーク閲覧者の立場から見るとそのブログが新着入りの恩恵を受けていなくてもはてなブックマークのRSSには毎日流れてくるという状況が問題なのだ。
一口にIT土方と言っても色々な仕事があるが、その中でもブラックという悪名の大元になっている、開発の仕事を新卒から手がけて10年になったタイミングで、上司から「人の上に立つキャリアに行かないなら、技術者として横への広がりを」と勧められ(加えて開発の仕事があんまり取れない事情もあり)、そこから数年ほど運用チームの一員として業務をやってきたが・・・俺にはこの仕事のセンスがまるっきり無いことが判明しただけに終わった。
というか、今はもう運用という仕事に対して憎悪の感情しか沸かない。心底嫌気が差してしまった。
以下、色々向いていなかった系の主張メインの言い訳。
俺が長く手がけた開発は必ずゴールがあり、それを踏まえた細部への落し込みの段取りが仕事の核となる。そしてこの段取りを進める忙しさが常にあり、上手く行かなくなった時はブラック激務が待っていると。
一方の運用は、開発と比べたら桁違いにヒマで、しかもゴールがない。しかし、その緩やかな時間の中で日々業務改善に頭を巡らせ、より上手い回し方を工夫することが肝要である。
まず俺は、この時間感覚・仕事感覚の違いに、結局どうしても慣れなかった。ヒマに任せてひたすら惰眠を貪ってしまい、働かないオッサンに成り果ててていた。
多分このまま行ったら、給料泥棒としていずれ切られるだろう。
それから、今時のシステムにはサーバやスイッチのみならず、大小様々なアプライアンスが含まれる。それもアプライアンスが基幹装置だったりすることは全く珍しくないので、こいつらの監視は非常に重要なのだが・・・俺はこのアプライアンスというやつに全く興味が持てなかった。
真面目な運用者なら仕組みや機能を率先して調べ、業務改善や次期システムの提案に噛ませるなんてするんだろうけど、俺の場合「よくわからんブラックボックスで、でもなんかよろしくやってんだね、じゃあそれでいいんじゃね?」程度にしか思えず、出来れば障害の1つも起きないなら無視したいものだった。
これはもう運用者としては致命的にダメなセンスだろう。開発で例えるなら「ミドルウェアに興味ない」とか「クラスライブラリやフレームワークに興味ない」と言っているようなものである。
そうそう、開発と運用の違いと言ったら、確実に対立するポイントがある。
それは非機能要件の取り扱い。
開発にとって非機能要件というのは「障害発生時の検証用や、機能要件の異常系処理など、恙無くシステムを動かすのに最低限必要な仕組み以外は手を出したくないもの」だったりする。基本的に手を入れ始めたらキリがないので、やればやるほど仕事が増えてしまうのに、それに見合ったカネも時間も用意されていないことが多い(というかそんな見積もりを客に出すのは無理)からである。
一方の運用にとっては「機能要件は満たせていて当たり前で、その上で特に障害時の対応を中心とした非機能要件はきちんと作られるべきもの」である。システムトラブルで矢面に立つのは運用者であり、そこで手も足も出なければ存在意義を問われるのだから当然だろう。
このように非機能要件だけ取っても、同じシステム屋なのに見ているポイントが全く違う。
「正直気にしたって仕方ないような細かいところまで質問してきて、いちいちこっちの回答を言質に取って、その上で文句ばっかり付けてくる面倒な奴ら」
「いつも中途半端なモノを作り逃げし、いざという時も要領を得ない曖昧なことしか言えない、信用出来ない奴ら」
となる。
こういう、ともすれば対立の原因になる認識の違いを踏まえ、身も心も運用者になることが、俺にはできなかったと言ってもいい。
というわけで、これから俺はまた開発に戻る。
「流しのオッサンコーダー」として半年~1年単位で現場を点々とすることになると思うが、何年も椅子に座ってログを眺めているようで眺めていないよりは会社に貢献できるだろう。
或いは若手開発者育成という名の、ブラックな環境に飲まれないノウハウとか、「ハイリスクノーリターン」を避けるサバイバル術伝授とかやってもいいかなーと思っている。若手をOJTで潰すのは許せないので。
この場合、「この人にはどういう言い方をしたら通じるのか」という問題が今以上に重要になるだろうけど、それくらいは受けて立たないとという感じ。
でも女の人たちは視線に敏感、特に性的な視線に敏感だって言うじゃないですか。
よく「男のいやらしい視線ってすぐ分かるよね」「わかるわかる、胸チラ見してるなーとかね」みたいなこと言ったりしてさ。
ってことは、下着屋の前を足早に俯いて通り過ぎるという俺にとって結構なストレスである行為をやめて、普通に歩きながら「お~えろいえろい」って見るようにしたら、それほど露骨にならないようある程度気を遣ったとしても女性は勘付くんじゃないですか。
女性が性的視線に敏感だってのが、ある種の冗談であり女性から男性へのふざけ混じりの牽制ならいいんですよ。
三十路童貞の俺が、「女の人は嘘をつく」ってことをはじめて学んだという微笑ましい話だから。
こういうところでこういうこと書かないようにして、イオンの下着売り場の前もペット売場の前も「お~眼福眼福」って眺めながら悠然と歩くオッサンになって、でも女性もそれに気づかなくて、問題ナシだ。
現状では、
・俺のような奴が、居心地の悪さに耐えつつそそくさと行動するのを今までもこれからも強いられ続ける。
・俺みたいなのが悠然と眼福眼福って歩くことで女性は不快になるし、俺もキモいと思われて悲しくなる。
のどっちかなわけ。
それがいやだから、わざわざこういうところでこういう男のいやらしさを書いて、
「下着も生理用品もどうしても性的に感じちゃうし見ちゃうけど女性陣よそれを許してくれ、責めないでくれ。
あなたたちは男の性欲の抑えがたさを知ってそれならしゃーないと不快さが薄れるしアクセスしやすい下着売り場もそのまま、我々は許され居心地の悪さが薄れる、winwinになろう」
という提案をしてるわけなんですよ。
男女でざっくり分けて語ってることに怒ってくる人にはすまんな、そんなに発情しない男も発情する女も敏感な女も男も鈍感な女も男も個人では色々いるだろうから。
でも俺は個人間の話だけしたいわけじゃないので。
嫌ズイショと嫌梯子はいっぱいいるけど親ズイショと親梯子が誰もいないwwwwwww
お互い嫌いなやつを殴るためにズイショと梯子を利用してるだけwww
はしごたんを最も強く擁護しているIDは5v6v6zSt0.net。「絶対風化させない」などとはしごたんの分身のような発言をしておりブログの記事の表現の弁明までしているが一体何者なんだ・・・
だからさくら子はアンビバのブラフにまんまとひっかかったんだって。
まず最初にリファラとコメントのIPと文体からメメがさくら子だなって見当をつけた
さくら子にはネットの知識がそんなにないだろうっていうことでメメが罠にはめるためにそれっぽい情報を出した
メメの情報だけでは個人の特定なんて不可能なんだけどそれに反応しちゃったから狙い通りさくら子だったってことをさくら子が自身の行動で裏付けちゃった
ただのリファラとコメント書き込みのIPを見せただけなんだがさくら子は見事にだまされたのさ
銃を持っていたらっていう仮定の上での話で、且つ「撃ち殺すレベルの怒り」だったと表明してるだけでなぜ脅迫罪が成立するんだ?
ズイショ叩いてるのを一部の自演にしたがってる奴がいるみたいだけどそんなの通用するわけねえだろ
それが今回の件で一気に吹き出しただけだぞ
普段仲良さそうにふるまってた連中の誰か一人でもズイショをかばってるか? ま、そういうことだ
ズイショはだんまり決め込む気ならこのまま消えろよ
しばらくして何事もなかったみたいな面して戻ってくるなよ
ズイショって元々口だけ番長の小心者っていうイメージだったからしばらくしてシレッと戻ってきても不思議じゃないがな
前々から嫌われるに足る事をしてきたんだよ
本人や好意的なヤツらが思ってる以上に、敵は多かったと現実を受け入れろ
擁護エントリーにしちゃ子無しへのウエメセと見下しが透けて見えてるからな
関西人特有の、イジりやボケを入れたから笑ってくれるよね?っつー安易な笑い
そもそも押し付けなきゃ
ああやって馬鹿にした文章書いてもいいって思ってるんだよなぁw
一方そんなはしごたん擁護を殴りに行くID:WpmOw99k0.net。ズイショの味方はいなさそうだがハシゴたんの敵は多そうだ。 敵の敵は味方となるか?
あれが抗議?お得意の子供がいない苦悩ネタの繰り返しじゃねえか
妊娠の話題だけで回れ右したくせにタイトルから罵詈雑言で読んでもらえると思うのは甘え
まあせいぜいここでズイショに私怨のある小物に煽られて踊ってろ
不幸の回転寿司みたいな女どもとせっせとつるめよ
それも擁護エントリーに難癖つけてそこまで面倒見切れないって言われただけ
それをギャーギャー子供がいない苦悩ガーって騒がれてもね
梯子が荒れて様子がおかしいから文字数制限ないDMでやりとりしようとすれば粘着扱い
内容はどうせまともなもんだろう
エチ、かあみっと、蜜、トピシュ、ミーアキャット、アンビバ、きまや、さくら子
さて、この中に何人紛れているのやら。
ID:KQRpIogH0.net 3回投稿 嫌ズイショ
ID:hXSMuHmI0.net 2回投稿 嫌ズイショ。アンビバ擁護
ID:fKh3Pmue0.net 2回投稿 嫌ズイショ
ID:eFobZ6a70.net 2回投稿 嫌梯子
ID:GOJhfX8q0.net 4回投稿 嫌ズイショ
ID:p9tu0kDq0.net 4回投稿 嫌ズイショ。アンビバの件になると顔真っ赤にして擁護
ID:Y3W7MbAK0.net 2回投稿 嫌ズイショ。嫌梯子。
ID:HaQs2pUf0.net 2回投稿 嫌ズイショ。
これ以外の人間は1回投稿でばらけている。嫌ズイショの人たちが熱心だな。
弱者特権キズツイターって戦隊物っぽくて格好いいな。id:orangestarさんWEB漫画化はよ。
http://anond.hatelabo.jp/20151014112250
どうしたらいいのか分からなくなったので助言が欲しい。
1.全員リスニング受けなきゃいけない模試だったのに予備校側が希望者のみだと勘違いしてリスニング受けられなかった人が続出
200点中リスニングの配点が30点だから、ほとんどの人はまるまる30点なくしてしまった。
これは模試の2,3日後に生徒の指摘によって発覚したんだけど、予備校側は他の生徒に説明することもなく、
模試返却のときに「こちらの手違いで30点なくなったので調整しておきました~」とか抜かすだけ。
授業でミスを連発する。一回の授業で必ずどこか間違える。生徒に指摘くらって次の授業で訂正。
用語ごっちゃにしちゃったとかじゃなくて、
実験結果を真逆に説明したあげく、それを裏付ける説明を自分で作っちゃってる。
予備校のえらい人に抗議した結果、希望者には別のビデオ授業を取らせてもらえることになったけど、質問要員はこの講師しかいない。
以前から質問しに行っても教科書に載っていないような突っ込んだことは答えられない人間だった。
体系的に生物を学習した人間ではないんだと思う。場当たり的な知識ばかりを放り込んで、それを生徒に教えているのだろう。
化学知識もまったくない人間なので、そこの連携ができないのも結構困る。
クドカンとか三谷幸喜のシュールさも、リアリティも、描こうとしてないのもわかる
少女漫画のドタバタが基調となったラブコメなだけだし、細かいこと言わなくていいのかもしれないけど、やっぱ気になる
柳楽優弥がまれに酔っ払ってキス、小日向文世がまれに「お前男と付き合ったことないからケーキが作れないんだ」、
りょうがまれの話を聞いた時関係ないのに「ストーカーって何をするかではなくて誰がするかよね」とか
「私なんで彼氏できないの」スーシェフも、朝ドラであそこまで露骨に見せるのは自虐じゃなくてセクハラだわ
夜飲みながら話すならいいとしても、朝ドラで朝から見るにはちょっと不快過ぎる
脚本家が女の人だから、「女なのにこんなこと言っちゃうアタシ」感を出したいのか、はたまた、男性では書けない、
男性ではまさにセクハラで不快と言われるようなことも女性なら書いていいと思ってるのか知らないけど、不快なもんは不快
それから、全編を通して「ぼくがかんがえたマイルドヤンキーの現状」が出過ぎ
そして「村全体が家族」を出せば出すほど、劇中に出てこない村人が気になって気になって仕方ない
「目につく土地と目につく人しか大事に思えないんでしょw」を出しすぎてて引く
田舎に残る人は残りたいだけの理由があるので、そういう人物を描けばよいのに描けてない
それと、同級生と弟を、大した理由も説得力もなく高卒すぐに結婚させた意味もわからなかった
「ストーリーに影響が大きくない人物を誰か、マイルドヤンキーらしく10代で結婚させとこw」でしかなかった
いや、ほんとに田舎をなめ過ぎ
ふざけ過ぎ
キャリアのある脚本家だし、劇中でも三角関係をあちこちに散りばめて人間関係に幅を出したり (けいたとまれといちこ、けいたとよういちろうといちこ、ふみとがんじとけいたのじいさん、まれとゴン太とみなみちゃん、シェフとわこと亡くなった妻、これから察するにたかしの想い人はみのり?、いちこに大阪の男が出現?) 、少女漫画のコードで書いてみたり、きちんと計算して書いてるのがわかるからこそ、不快感がすごい
実力のない若手が意図せず書いちゃった、ではないのが明らかだから
朝からコテコテ恋愛ものの、セクハラ満載コメディ少女漫画見せられて、面白がるだろうと思ってる神経が理解できない
あまちゃんとか受けたから、自分も朝ドラで新しいことしてみたかったのもわかるけどさ、朝ドラは朝ドラのコードを踏まえるからこそ、面白いものが出来てくるのもわからんのかね
いいか。キスのあとでいきなりエッチを誘うというのは、あり得ない。断られるに決まっているだろ。
男女の間で何かをしたければ、「してもらう」というのはダメだ。こちらからリードして、誘惑する。それしかない。
それができる男や女は、どんどん次のステップに進める。できない男や女は、いつまでもグダグダしているだけだ。
今回の場合は、「キスして」「エッチして」「抱いて」と思うのはやめろ。「こっちから誘惑する」という方針だけが成立する。
要するに、エロいお姉さんになって、二人きりになってから、体をすりつけたり、おっぱいを押しつけたり、おっぱいに触らせたりする。
いろいろやっているうちに、男の方は興奮して、どうにもならなくなって、暴走する。そのあとで、「じゃ、責任取ります」となる。
今回の女性の場合は、精神的に幼すぎる。まるで子供だね。これじゃ、結婚しても、先が思いやられる。女性が男性をリードするぐらいでないと、結婚生活はうまく行かない。「××してほしい、してほしい」と思うような幼稚な頭じゃ、恋愛は無理だと思い知れ。
男から見ても、そんな面倒臭い女は、お断りだよ。だいたい、こういう女は、結婚したあとも、「夫が××してくれない、あれもこれもしてくれない」と文句ばかり言っていて、自分からは何もサービスしないに決まっている。こういう幼稚な女は、男から見て、最悪だよ。手間ばかりかかる。妻と結婚しているんじゃなくて、手間のかかる娘(ガキ)が一人いるようなものだ。さっさと捨てたくなるね。
そう思っているところへ、フカキョンみたいなエッチな女性が現れて、「お姉さんが遊んで上げる」と抱きついてきたら……いちころだろ。
漫画の絵の動きについて、いろいろ話が絡み合って切り分けができていないと感じたので、趣味でイラスト描くくらいの素人ですが書きます。長いです。
漫画において「動いてるものを描ける」ことと、漫画としてそれが「動いて見える」かは別物です。
安彦氏に関する話ではそこがごっちゃになっていると思います。
「Cコート」は読んだことないですが、この画像の右ページについて。
ページを開いて右上からデカイ男の身体に沿うように目が行って、ドドドの効果音と脚に視線が流された瞬間に次のコマのテニスラケットに目が行きます。視線誘導で読者の視線を巧みに操る中で大胆にアクションを展開させ重量感とスピード両方を表現してます。
この絵に対しても動いていないと感じる人もいるでしょうが、普通の認識で言えばとても躍動感がある画面で、多くの人が動いていると認識するに足る画像と思ったのですが、いかがでしょうか。この画像は動いて見えてもほかの絵では動いて見えない、という場合、それは作者の意図なのでまた別の話だと思います。
とりあえずこの画像だけで安彦氏は動いて見える絵を描ける、と言い切ります。
氏は絵が上手いしアニメーターなので「動いてるものを描ける」のは当然です。それだけではあれなので、もう少し詳しく書きます。
某ブログにも出てきた「リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座」では動きは4サイクルエンジンに例えられ、それぞれ「吸入」「圧縮」「爆発」「排気」と分解されています。
アニメーターである著者の西澤晋氏は絵に躍動感を与えるには「吸入」「排気」が大切で、安彦氏はそれを描けると書いています。
これは主観でもなんでもなく、ただその絵が描かれているか、の事実でしかないので、この判断を保留する人がいるのが謎です。上の画像で言えば左ページの飛び込んでる女の子は「排気」です。他にも、氏の漫画をパラパラめくると「圧縮」「爆発」のようなはっきりしたポーズではない動きがたくさん描かれていると思います。簡単に言うとそれらが「吸入」「排気」です。
アクションのメインである「圧縮」「爆発」は描きやすいのですが、それだけが描かれた漫画に人はあまり躍動感を感じません。「圧縮」「爆発」は止まっているポーズにも見えるので、(実際静止した状態でそれらのポーズをとることができるものも多い)それらを羅列しても、止め絵の連続にしか見えないのです。ちょっと失礼な例の出し方ですが、池上遼太郎氏などはこの典型です。
人間は描かれた絵の前後の動きを勝手に想像します。様になりやすい「圧縮」「爆発」を描くより、動きの予兆を感じさせる「吸入」の方が、見る人の想像力が刺激され絵に生命力を感じます。ギリシャ彫刻などいい例ですが、あれらは「歩き出す手前」「腕を上げる手前」などの一瞬をかたどっているため、彫像を見る人はそこに見えざる動きを感じ取り「まるで生きているよう」と評します。(絵画などで寝そべっているポーズでも、呼吸やかすかな動きのタイミングを切り取って生命感を与えています)
ちなみに動きの直前を描くと生命感が宿る、というのは上記のように絵を描く上や生命を表現する上での基本中の基本です。ただ、デフォルメされた漫画絵で微々たる動きの呼吸の「吸入」「排気」を表現するのは難しいので、もっぱら大きなアクションで使用することがメインになります。(「吸入」「排気」と呼べるかは判りませんが安彦氏は叫んだり、大きく息を呑む動きの絵に特徴があったります)
http://www.suruga-ya.jp/database/pics/game/185021560.jpg
漫画ではありませんが、この絵なんかも人物の呼吸が伝わるすばらしい絵だと思います。
じゃあみんな「吸入」「排気」を描けばいいじゃん、と思うかもしれませんが、それが難しいのです。そもそも絵を描く人間としては、やはり人物に「圧縮」「爆発」のようなポーズを決めさせたくなるものです。それが、中途半端な動きである「吸入」「排気」の絵を描くと、残尿感のようなものを覚えてしまうのです。
また、漫画内であるひとつのアクションをする人物を描くにしても、人間には間接が無数にあり、それらが常にひとつの動作を指向しているわけではないのです。
バットでボールを打つ動きにしても、腕はバットを振っていてもボールが当たれば指はバットを放さなければいけないし、踏ん張っていた足も次は走り出さなければいけません。本当はもっと細かいのですが、それらひとつひとつの「吸入」~「排気」の要素が複雑に絡み合っているのが、一つの「動き」なのです。漫画のコマ内には流れる時間が存在し、決して一瞬を切り取ったものではないので、時間軸が同一コマ内でも違っていることがたくさんあります。そこに上記の要素も加わるのです。
いちいちこれらのことを考えていては、連載のスピードで漫画をかくことができないのでどうしても類型的な絵になります。そうなると、「吸入」「排気」の絵を描いていても、どこかでポーズをとっているような硬い絵になってしまうのです。このような中で自然に「吸入」「排気」の絵を描ける、というのはすごいことなのです。
(いしかわじゅん氏がどういった意図で発言をしたのかわかりませんが)上記のように安彦氏は動きのある絵を描けます。(多くの人が動いている、と認識できる絵を描いていると個人的には思います)しかしそれでも「安彦氏のこの絵は動いていない」「ほかのこの漫画より動いていない」など思う人があったら、それは意図的にそう描いているのですから、安彦氏がなぜそのように描いたのか考えてみるのがいいのではないでしょうか。というか、僕には動いてるようにしか見えないので、どう動いて見えないかを増田あたりに書いていただけると助かります。(これすごく大変だと思いますが。。)よろしくお願いします。
そういや大友克洋美少女描けない問題のことも思い出したんですが、なんであんなに絵が上手い人が美少女程度を「描けない」と思う人がいるのかが判りません。結局、みんな自分が好きな絵が上手い絵、嫌いな絵が下手な絵って認識なんでしょうか。これ、自分もやってしまう間違いなんですが、好悪と上手い下手は別です。自分にはそれがわかるなんて思わないことが大事なんだなと最近思います。勉強が大事です。
長々ありがとうございました。本当は、漫画の絵が動いているとはどういうことかを視線誘導メインで書こうと思っていたのですが、思ったより長くなってしまったので別の機会に書きたいと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20141102082350
安彦氏は動いて見える漫画を描けるか、ということを証明するために貼ったリンクなので、とりあえず右ページが動いて見えるならよしと思って貼りました。左ページについて言えば確かにスローに見えますが、写っている右ページの下段にもコマが見えますし見開きのノドも完全には見えてないので、個人的にはここらへんで左ページにつながる何らかの描写があるのではと勝手に考えていました。
社畜は奴隷って素直に俺は思っちゃうんだけど、そうじゃないっていう意識高い系の人がいるのが理解できない。どういう思考でそうなるんだろ?
やっぱ建前で言ってるとか、自分に酔ってるだけで、全部嘘なんかな?でもそういう意識の人を基準に今の社会って成立してるんじゃないの?
それとも、社会が要請する人格にならなきゃっていう脅迫観念を自分の信念とすりかえちゃうのかな?
それとも本当に本当に、そういう感じの考えをナチュラルに持って生まれる人ってそれなりの割合でいるのかな。
彼女ってのが居るのが普通らしいけど、できたことないし、なぜそれが必要なのかが分からない。
昔みたいに女とやったり裸見るには苦労して風俗か彼女作るしか無いっていう時代でもないじゃん。
でも、彼女って意外と普通にできるもんだから、そこまで深く考えなくても普通に彼女いるのが普通の感覚なんかな?
なぜ生きるのが怖いとか、死ぬのが怖いってので動けなくなることが無いんだろう?
自分は昔からなんで生きてるのか、親がいつか死ぬなんてマジかよとか。そういうのばっかりかんがえてたから、それって普通だと思ってた。
でも、たいていは年に何回か怖くなる程度なんだってね。
そういう感じだったから、哲学とか文学に傾倒しちゃって。なんで皆文学とか哲学に走らないのかな、人類が把握してる世界の全体像を分からないまま生きるの怖くないのかなって不思議だった。
わかんないんだけど、いちいちこういうのが気になるっていうか。自分が普通に生きるにはエニグマになっちゃってるものが多すぎて、なんとなく世間に壁を感じてしまう。
世間の壁っていうのはあるんだろうか?
個人個人が思うままに社会を作っていって、その全体像ってのは別に整備されたモノだけじゃないから、だからなんとなく齟齬を感じちゃうって感じ。
個人と個人のぶつかり合いが、何個もの衝撃吸収剤を経てぶつかりあうみたいな?
小中学校時代ずっと顔のことでいじめられていた。だれからも「変な顔w」と笑われていた。ぼくがどんなに努力しても「でも顔は変だよねw」といわれて終わってしまう。小学生時代は走るのが速かった。運動会のリレーの選手だった。でも結局ぼくは「変な顔のやつ」でしかなかった。「ヘンガオ」や「怪物くん」があだ名だった。中学時代も高校時代も学年トップレベルの成績だった。でも「変な顔のやつ」でしかなかった。いったいどうしたらいいのかわからなかった。だれもぼくを認めてくれない。
これはもう東大に行くしかないと思った。でも落ちて、結局地方の旧帝大に行った。そこには絶望しかなく、もうすべてがいやで、むなしくて、かなしかった。
ぼくはなぜか大学時代「イケメン」「ハンサム」「かっこいい」といわれるようになった。まったく意味がわからず、これが社交辞令というやつか、まったく世の中歪んでいるなくらいの認識だったが、それは完全な確信をもってそう思うのだし、ぼくはどう見てもおかしな顔で、いまだに毎朝エレベーターの鏡を見て落ち込むわけなのだ(あとで説明するがぼくはいま障害者向けの作業所に通っている)。
なんども鏡で確認する。どう見ても奇形だ。骨格がおかしく、人間に見えない、なんだろうこれは、ペンギン? それともピスタチオ? 鏡を見るたびに落ち込む。鏡を見てこれはひどいと思ったらもう外には出れない。ひたすら寝込む。引きこもる。そうやって大学5年が終わった(大学にいけなくて1年留年したのだ)。
いつのまにかぼくはメンヘラになっていた。大学1年からその傾向はひどくなったかもしれない。大学5年目は卒論を書くだけだったのでなんとか卒業はしたが、もちろん就職活動などはしていない。じつは大学4年目に就職活動をしたのだが、もうまったく完全に頭が真っ白になってしまって、どうしようもなかった。ぼくはわけのわからないことをくちばしっていただろう。それ以来トラウマで、大学卒業後実家に帰ってきて、就職活動を親に迫られるとぼくはパニックになってしまって(過呼吸になって呼吸困難になる)、身動きできなくなっていった。どうしたら他人に認めてもらえるのかぼくにはまったくわからないのだ。ぼくは「変な顔のやつ」だ。それはもうどうしようもない。どうしようもない状態からいったいどうやってだれかにぼくの価値を認めてもらったらいいんだ。それはまったく完全に究極の難題だった。死について考えてぼくはよく小さなころからパニック状態になっていたが、まさにそれと同じ現象が起きた。考えが及ばない、まったくの未知、理解の範囲外、それは神、神だ! だが神なんかいない! 神の姿なんてぼくらはだれもわからない、というより神に姿があったらそれはおかしいのであって、ぼくにとって、《就職活動=他人に自分の価値を認めさせる》という儀式というものは、まったくの神秘であって、考えの及ばない、彼方の彼方にあるほとんど魔術的な妄想とでもいうべきもので、一般企業で働くということは完全に奇跡のわざでしかなく、それも実現不可能の絵空事、定義の及ばない、ことばの射程の外にある、まったく完全な神秘だった。しかし世間の人間はみんなそれをあたりまえのようにこなしているという事実がぼくに重くのしかかってきて、それは絶望ということばだけでは言い表すことのできない、とてつもない、ある重層的な空虚、陳腐な言葉で言えば、そうだ、まさにそれは「世界の終り」だった。そう、世界は終わってしまったのだ。ぼくには理解できない、おそらく認知すらできないなにごとかがこの世界では行われていて、ぼくはそこに存在するだけの強度をそなえていない、おそらく世界の脆弱性とでもいうべき……、異端! おお! すばらしい! 圧倒的少数にして弱者! 愚者であり賢者! ぼくにはもうこの物質世界は見えていない。文字通り超然としている。だがなんだ、超然としているというのに、ぼくはこの物質=顔にこだわっているではないか。ぼくの精神は完全にこのけがれた体から離脱しているというのに、しかしぼくのトラウマはまだ完全に顔にとらわれていて、むしろ顔こそすべてであって、かわいいは正義であって、ぼくは美少女が好きであって、いまだに勃起するではないか! なんなのだこれは。とらわれている! この世界に! ぼくはこの世界で認められたかったのか、それともこの世界を否定したかったのか、いやちがう、ぼくは自分自身が否定されたことによって、まさに自分自身が否定される世界というものを肯定することによって、ここに自分の存在を確立したかったのであり、だがそれは自虐でしかなく、自滅でしかなく、まさにこの自縄自縛のなかで、どうしようもない破滅的な未来へ向かってぼくは生きてきたのであった。だが、それも考えてみると、結局、死にたいという欲望に突き動かされたものでしかなく、しかしいざ死のうと思うと死ねず、しかし死のうという意志そのものが生きることを肯定するなにかとなっていたのであり、もはやなにがなんだかわからない状態で、結局ぼくは精神科を受診することになった。
精神科というものはまったくわけがわからない。まともに話したのは最初の診察のときだけだ。投薬治療をつづけてきたが、まったく改善は見られない。投薬治療だけでは無理ともちろん医者はわかっていて、カウンセリングも並行してやっているのだが、いや、しかしだね、臨床心理士といっても、しょせんぼくより頭の悪いひとなわけだ。ぼくがひたすらこの世の不正や不正義や不条理について語っていったところで、ぼくの真向かいに坐っている、この美女はなにか理解しているのだろうか。ホメロスやオウィディウスやプラトンについて話していたとき、ホメロスも知らなかったのだが、これは大丈夫なのだろうか。いやしかし美女とお話できたのだからよしとするか、というかそのひとはぼくを捨ててさっさと結婚してしまって、いまはもうカウンセラーやってないっぽいのね。まったくね、なんなのかね、結局口だけというか、そりゃカウンセラーにはカウンセラーの人生があるわけだが、こっちだって人生かけてしゃべりまくっているわけでね。ぼくはいってやったよ。あなたのことが大好きです、幸せになってくださいってね。うん。そうだ。彼女は幸せになったのだからぼくは泣いて喜ぶべきなのだろう。でもなんなのだろうねこのむなしさは! ぼくは結局利己的にすぎないが、自分がしあわせになりたいのだよ。しあわせになりたいよ。しあわせってどういうことなのだろうね。いや、もしかしたらいまの状態もしあわせなのかもしれない。障害基礎年金をもらっていて、医療費には困っていないし、両親はまだ生きているし、むしろあんなに厳しかった父親も……、ぼくは彼に虐待とまではいかないのだろうが、幼少期かなり暴力を振るわれて、ちょっとトラウマになっている。まあだからといってアダルトチルドレンというわけではないのだが。むしろいま父は仕事を退職してかなりやさしい性格になっている。父があんなにぎらぎらしていたのはまったくくだらないあの世界の滓とでもいうべき労働のせいなのだ。まったくこの世は腐っているね。でもとにかく両親はやさしい。ぼくはまったく役立たずで、そりゃ洗いものや掃除くらいはするが、だからといって、妹みたいに金を稼いでこないわけでね。
就労に向けて頑張りましょうという。ぼくは作業所に入った。B型ではなくて就労移行だ。一般企業での就労? それってどんなものなのだろう。ぼくは最低賃金で事務系のアルバイトを体験してみたことがあるが、そこは一日でやめた。そこのババアの指示がまったく理解できなかったため、ここで働くのは無理だと感じたからだ。あれはぼくがおかしかったのだろうか。支援者にはそういわれた。ぼくがおかしかったのだと。おまえに歩み寄りの気持ちが足りないのだと。でもぼくは真剣に真面目に全力で全身全霊を込めてやっていたのだ。しかし、その初日というか、唯一働きに出た日だが、そこをしきっているババアは朝いってもそこにいず、アルバイトの女性スタッフがぼくにいった。こんな感じでこんな感じのを作ってください、とね。いや、ぼくは大学卒業後まったく社会に出てなかったわけで、こんな感じの資料をつくれといわれても、いや、そりゃあね、見本があればぼくだってエクセルくらい使えるから、作れるんだが、その見本がないので、その指示、つまり「見やすいように作ってくれ」の「見やすいように」というのがどういうものなのかがまったくわからないわけだ。それはこちらの頭の中に知識として入っていないわけだから。そしてぼくに職歴がないというのはわかっているはずなのに、そういうことを要求してくる。それなので、ぼくは自分にとって見やすいように作ったのだが、それはちがうという。だったら見本を見せろと返す。見本はないという。なんだそれは。ここの職場はいままで同じような資料を作ったことがあるだろうに、そういったノウハウの蓄積といったものはないのか。ないという。なんだそれは。もう意味がわからない。そしてぼくは悪者にされた。ぼくは積極的に説明を求めた。人と話すのは苦手だし、さらに人に話しかけるなんてことはほとんどもう中学以来したことがなかったというのに、そのぼくが、そうだ、障害枠ということでやっているのに、そのぼくがやっと話しかけたのに、不完全な情報を断片的にしか与えてくれない。なんなのだこれは。この資料をもとに作ってください、といわれる、だが、作っている途中にその資料が不完全だということがわかる、なので、ぼくはこの資料だけではつくれないので、もっと正確な情報をくれという、そうすると、なぜだかわからないが、いやいや出してくる。意味がわからない。というか、最初からちゃんと資料を用意しておいてくれないと、いちいちこっちが催促しないといけないのか。なんなのだ、この非効率な仕事は。指示するなら、完全な指示をしてほしい。こっちは最低賃金でやとわれている、それも障害者枠でやとわれているクズなのだ。そのクズに創造的な仕事をもとめないでもらいたい。わけがわからない。これが社会。これが社会。おそろしい。そもそもなんで入って初日のぼくがそこの常識みたいなものを知ってると思っているんだ? あまりにも想像力がなさすぎないか? なんでぼくがそこの常識、たとえばA班とはどこでなにをやっているどういった人間たちの集まりだということ、そういうものをどうして入って初日のぼくが知っているという前提で話が進んでいるんだ。おかしくないか。どう考えたっておかしい。しかし支援者はぼくにコミュニケーション能力がなかったせいだなどという。それはちがうだろう。ババアのコミュニケーション能力というかもっと大雑把な意味での能力の問題だ。管理し指示を出す側の人間がしっかりしているべきじゃないのか、しかも障害者枠で、職歴なしで、やっとここで社会復帰のためのちょっとした労働をさせてもらいますみたいな人間に対してなぜ的確な指示を出さないのか、ぼくにはまったく意味がわからない。その職場の空気読んでやってねってそんなのわかるわけがないだろう。3ヶ月や半年そこにいればその場の空気やルールというものもわかるだろうが、入って初日に、どうしてそういった超人的な想像力が要求されるのだろう。それは理不尽じゃないのか。そしてそれを理不尽と感じるということがぼくの甘えだと論破される。これはおそろしい。思ったよりも、社会は遠いところにある。いったいどうすればいいのか。社会というものは理不尽だとみんな嬉しそうに言う。腐ってやがる。
作業所に行くと、○○さんは高学歴だし、なんでもできるよね、だからどんどん面接受けようぜみたいなことになっている。たしかにハローワークでGATBというテストをやったところ、一番高い数値は160近くあったし、ほかもおおむね130を超えていた。向いてる仕事というのがそのテストでわかるらしいのだが、困ったことに、ぼくに向いてない仕事はない! なんだそれは。この役立たずが! なんでもできるということはなにもできないということだ。ひとは制限があるから頑張れる。無限にひらかれていては神秘主義者になって終りだ。
なにもぼくは自分が天才だといいたいのではない。東大には受からなかったし、ネットで例のIQテストをやると138しかでない。こんなものは天才でもなんでもない。ちょっと平均より頭の回転が速いだけだ。中途半端、それがぼくに与えられた称号。といいたいのだが、だが、ぼくの顔は中途半端どころではなくどろどろに崩壊していて、もはや人間ではなく、だが、作業所にはダウン症のひとたちもいて、そういうなかにいると、たしかにぼくはそういうひとたちの一部ではいられるのだけど。でも世間はぼくらを人間とはみなしていない。障害者は殺せ! 隔離せよ! という。生きる価値がないという。
ああ、たしかにそうだ。ぼくらには生きる価値なんてない。でもなぜか生きている。みんな死にたいはずだが、でも生きちゃっているものはしょうがないのだから、結局生きている。
さて、どうやってこの顔と向き合っていけばいいのだろう。結局ぼくは自己肯定感をもてずにいるわけだ。結局それなのだ。自分に生きる価値があるとだれかが、家族以外のだれかが認めてくれれば、それだけできっと見える世界は変わってくるのに。見える世界を変えるためには努力しなければいけない。しかし努力の方向性がわからない。ぼくは存在そのものを否定されている。能力についてなら努力でかえられるだろう。性格についてならある程度の矯正は可能だ。しかしぼくの顔は! どうしたらいいのか。そういうわけで、ぼくはしばらく口をすぼめて生活していたことがあった。口をすぼめることによって、見える顔が多少変わるからだ。ぼくはそれによってマシな顔になったと信じていたのだが、まわりのひとたちはおかしいからやめろという。マスクをしていたら、マスクをはずせといわれる。なぜなのか。
露骨な容姿差別は存在する。容姿差別はなぜか問題にならないが、かなり重大な問題なのではないだろうか。ブサイクだとなぜいけないのだろう。奇形だとなぜいけないのだろう。
破壊衝動に身を任せてはだめ、テロなんてやっちゃだめだからね、と医者にいわれている。たしかにそうだ。もちろんぼくはそんなことできないだろう。せいぜい机をぶったたいて自分が骨折するくらいだ。むなしい。でもすべてをぶっこわしてやりたい気持ちはたしかに存在する。
「通じないだろうな~(ドヤァ」うん、意味わかんない。
なんか相手が意味わかんないこと言ったら勝ちとか、そういうゲーム?
そうやって「この反応にはこの反応返しとけば安心」と思ってるから、どんどん言語化能力下がっていくんだよ…。
そもそもさ。こっちだって自分が本当に悪いと思ったら改めるよ。
気に入らないところがあったらさ、言語化してそう言えばいいじゃない。できないの?
だから「カス」だの、あからさまに語彙ないなーって単語で罵倒してくるんでしょ?
そうやって2chの刹那的なテンプレ使ったやり取りは脳働かせなくていいし、ハイコンテクストの生む内輪の心地よさもあって気持ちいいのはわかるけどさぁ。
本当に俺はコイツが気に入らないし、それは独りよがりではなく周りに受け入れられる理由があると思うなら
ブログにでもなんでも書けばいいのに。別にこの際増田でもいいよ。
吐き出したいこと吐き出せばいいんだよ。
私も我慢するのはどうも性に合わないからこうやって吐き出させてもらってるし。
公の場に公開しないってことは、それは誰も同意してくれないと既に自分で自覚してるからじゃないの?
君の意見に納得したら改めさせてもらうし、納得できなければこちらも言い返すから、議論しようぜ?
公の場でこっちがぐぅの音の出ない正論述べて、ブクマでもみんなが君に意見に同意して、私がはてなのみんなから嫌われていることに絶望して泣きながらはてな退会するように仕向けてくれよ。頼むから。
さぁ、次は何かな?テンプレート的には「こんな長文になって顔真っ赤だなコイツwwww」とか?
私的にはコミュニケーションに必死になって何が悪いのかと思うけどね。
もし、上のような返しをするなら、ちゃんとそのへんについて意見述べてね。
もし続ける気があるなら、idコールしてください。
当然届く場所でな(無理だろうけどどうせ)