社畜は奴隷って素直に俺は思っちゃうんだけど、そうじゃないっていう意識高い系の人がいるのが理解できない。どういう思考でそうなるんだろ?
やっぱ建前で言ってるとか、自分に酔ってるだけで、全部嘘なんかな?でもそういう意識の人を基準に今の社会って成立してるんじゃないの?
それとも、社会が要請する人格にならなきゃっていう脅迫観念を自分の信念とすりかえちゃうのかな?
それとも本当に本当に、そういう感じの考えをナチュラルに持って生まれる人ってそれなりの割合でいるのかな。
彼女ってのが居るのが普通らしいけど、できたことないし、なぜそれが必要なのかが分からない。
昔みたいに女とやったり裸見るには苦労して風俗か彼女作るしか無いっていう時代でもないじゃん。
でも、彼女って意外と普通にできるもんだから、そこまで深く考えなくても普通に彼女いるのが普通の感覚なんかな?
なぜ生きるのが怖いとか、死ぬのが怖いってので動けなくなることが無いんだろう?
自分は昔からなんで生きてるのか、親がいつか死ぬなんてマジかよとか。そういうのばっかりかんがえてたから、それって普通だと思ってた。
でも、たいていは年に何回か怖くなる程度なんだってね。
そういう感じだったから、哲学とか文学に傾倒しちゃって。なんで皆文学とか哲学に走らないのかな、人類が把握してる世界の全体像を分からないまま生きるの怖くないのかなって不思議だった。
わかんないんだけど、いちいちこういうのが気になるっていうか。自分が普通に生きるにはエニグマになっちゃってるものが多すぎて、なんとなく世間に壁を感じてしまう。
世間の壁っていうのはあるんだろうか?
個人個人が思うままに社会を作っていって、その全体像ってのは別に整備されたモノだけじゃないから、だからなんとなく齟齬を感じちゃうって感じ。
個人と個人のぶつかり合いが、何個もの衝撃吸収剤を経てぶつかりあうみたいな?