はてなキーワード: いちことは
みなさん、ツイッターでフォロアーを集めたいですよね。
ですが、なかなか面白いことをつぶやけないし、フォロアーも集まらない。
あの人ならこちらがフォローすればフォロー返ししてもらえるかな、と思ってもなかなかしてもらえない。
だって、自分はあまり面白いツイートをしているわけではないし、有名人でもない。
ですが、大丈夫です。いまから私が書く方法を実践していれば、確実にフォロアーを増やすことができます。
注目を集められたら、自分のブログのPVを増やしたり、アフィリエイトに案内できたりするのですから。
ただし、ここで一つ断り書きがあります。
それはいまから紹介するのは、謂わば相手に媚びる嫌らしい方法ということです。
ですが、いやらしいだけあって効果はてきめんです。
さて、そのたった一つの方法とは、「有名人を利用する」というものです。
あなたが認められたい分野の「微妙な専門家」。そういう人たちが最適です。
たとえば、あなたがIT関係者なら某キュレーター、日本社会を憂う人なら某元国連職員。サブカル関係なら某思想家なんかもいいかもしれません。ビジネス関係でそういう人々はうじゃうじゃいるので省略させてもらいます。
そういう人々を利用させてもらいます。
なぜ彼らなのか。
彼らはいつも彼らの書き込みに反発するツイートを数多くもらっています。
承認欲求だってあるし、反発ばかりでは元気を無くしてしまいます。
そういうとき、あなたの肯定的なツイートは彼らにとってより輝かしいものに映ることでしょう。
あなたのけなげなツイートにそういう微妙な人たちはイチコロになってしまうのです。
おまけに彼らにはかなりのフォロアーがついています。
具体的に何をすればいいのか、もうおわかりになった方々もいると思います。
そのときに必ず冒頭に「○○さん」と名前をつけて呼びかけてみてください。
何度か無視されるかもしれません。しかし、そうしているうちにあなたのツイートに返信してくれたり、ツイートをリツイートしてくれるようになります。
会話やリツイートがあったら、その人にありがとうございますとお礼を言いましょう。
自分のツイートが彼らにリツイートされたり、彼らと会話ができたらこっちのものです。
あなたと「微妙な専門家」との会話やそのリツイートは、「微妙な専門家」をフォローしている多くの人々に向けて発信されています。
そうすると、そういう「微妙な専門家」のフォロアーも、あなたとの会話をリツイートをしたり、返信してくれたりします。
そうやって、フォロアーを増やしていくのです。
彼らは彼らなりに忙しい生活をしているため、いちいちこちらの素性を確認している暇がありません。
したがって、@を飛ばしたツイートの内容だけでこちらを判断してくれます。
問題だとは思いますが、ツイッターとはそういうものなのでしょう。
そうであれば、こちらも思いっきりその性質を利用しちゃいましょう。
※この実践を通して、「微妙な専門家」の方々がいかにツイート先を確認していないかよくわかりました。それから、承認欲求という普遍の病の強さも。
こちらに丁寧に記載されていて、感謝の限りです。
注意は
$ wget -q http://linuxmint-jp.net/linuxmint-ja-archive-keyring.gpg -O- | sudo apt-key add -
$ sudo wget http://linuxmint-jp.net/sources.list.d/linuxmint-ja.list -O /etc/apt/sources.list.d/linuxmint-ja.list
の、最初の行の -0- は、英大文字のオーかゼロ。 2行目は 英大文字のオー。
※最初-O-をオーでやったら「PGPファイルがみつかりません」とエラーになった。ここを数字のゼロにしたらあっさり"OK"と表示。このエントリに「ゼロです」を書いたものの、上記公式ページをみるとどうもゼロには見えない。念のためにもう1回ゼロでやってみたら「無効なオプション」だってさ(なので投稿内容を直した)。じゃあ「オー」が正しいのかよ?けど、おいら数字のゼロでうまくいったんだぜ。最近、いろいろPCに馬鹿にされてるわ。VirtualBoxにインストールしていたので手打ちで実行させたから、コピペ可能環境ならいちいちこんなことで問題にならなかったのかな?まさかコピペのオーはOKで、手打ちのオーはNG?
export http_proxy="http://<プロキシサーバ>:<ポート>"
さらに
/etc/apt/ のなかに apt.conf というファイルを作成して
Acquire::http::proxy "http://<プロキシサーバ>:<ポート>";
そこの先生はプロのミュージシャンとしても活動している人だった。
「適当にやって、それでお金を稼げるようになるために、みんな努力しているんです」というもの。
言われたときはまったく理解できなかった。
適当にやってお金を稼ぐだなんて。なんて不真面目な考え方だ、そんなのおかしいと思った。
けど最近、その言葉の意味が少しだけわかるような気がしている。
10年以上、毎年欠かさず参加している夏フェスがある。もちろん、今年も参加した。
そのフェスでは、ベテランミュージシャンから、新進気鋭の若手バンドまでさまざまな世代のミュージシャンが出演し、それぞれのパフォーマンスを繰り広げる。
私が見た限りの印象だけれど、若手のバンドは、数曲演奏するだけのステージでもものすごく気合いが入っている感じがする。
MCでは『僕たちの名前だけでも覚えて行ってください』と叫び、膨大なエネルギーをそのまま音に変換したような演奏をする。
一方、ビッグネームなベテラン勢には、若手みたいな気迫は感じられない。
もう、本当に何百回、下手したら1000回以上演奏しているのかもしれない。
だから必要以上に気合いとか気迫とか、いちいちこめなくてもステージはしっかり成り立つし、客側からしても、十分に観る価値があると思える。
ベテランの人たちは別に、最初から気合いとか気迫といったものを放棄していたわけではないだろう。
彼ら・彼女らが若い頃は「最近(現代)の若者にうけてるバンド」と同じような熱量を、何十年も通して繰り返しライブやレコーディングで発揮してきた。
いちいちこういうこと断らないとわからない人が居るのにウンザリするけど。
つか飛行機って元々うるさいし、
それとも飛行機がうるさい事を知らないのか?
で、よくあなたみたいなこと言う人が居るけど
人間の脳が感じる「うるささ」っていうのは単純な音量の大小じゃない。
自分が乗ってる電車のガタンゴトンとか飛行機のゴオーッとかは「無意味な音」として無視できても
音漏れしてる歌とか話し声とかね。
まして赤ちゃんや幼児の鳴き声は人間の脳にとって「無視できない意味のある、すごく気に障る音」になってる。
だって大人に構ってもらって問題解決してもらうための声だもの。
これと飛行機の音を単純に比べて「飛行機の音の方が大きい!」っていうのは馬鹿丸出しの意見で話にならない。
そしてそもそも俺はこういう議論をしたいわけじゃない。
これを理解できると、私はどうなれるんだろうか、
現実の面白みがわかるのか、物語が現実より面白くてもいいんだと思えるのか、
そのあたりが具体的にイメージしにくいのです。
もし君が物語形式の芸術作品における物語の役割を理解しているなら余計なお世話になるけど、
あまりよくない例えかもしれないが、ラーメンを食べるときについて考えてみよう。
このうち人間の基本的欲求である『食欲』を主に満たすのは炭水化物である『麺』だ。
もしラーメンというものをおよそ一度も食べたことのない人が腹をすかせていたとして、ラーメンを見たらどうするか。
麺をおそるおそる手にとって、どういう食べ方だかしらないがそれを胃に入れて、空腹を満たすだろう。
これももちろん、人間の食事の仕方の一つだ。非常に原始的なやりかたのね。
だからといって、麺をずるずるすすって(あるいはもぐもぐやって)、ああいいのどごしだなぁ、
しこしこしてるなぁ、はらいっぱいになったなぁ、
という風に感じるだけじゃあ、『ラーメンを味わった』事にはならないのはわかるだろう?
ではどうすればいいか。ラーメンなら、麺のパターン(縮れているとか、太いとか、柔らかいとか)があるよね。
それぞれに、ぼくたちの味覚に別々の効果をもたらしてくれる(ぼくはラーメン屋じゃないので
それぞれがどんな効果をもたらすかについては省略するよ)。
それを理解して初めて、なぜこのラーメンはこういうスープの味付けで、こういう具が添えてあって、
というのが理解できる。それがほんとうの意味で『ラーメンを味わう』ことになる。
物語もこれと同じだ。芸術作品というのはその全体で味わうものであって、
その物語要素だけを取り出して味わったとしても、その作品をほんとうの意味で味わった事にはならない。
せいぜいあらすじについての感想を言うのが精一杯だろう。物語のパターンを知って、
その役割(人間の感情を効率よく刺激する)を知って初めて、ほんとうの意味でその作品を味わったことになる。
そんなこと言ったって、ラーメン食べるときにいつもそんなこと考えてないよ、という人もいるだろう。
もちろんそのほうが正しくて、だいたいの処理は脳内で自動でやってくれている。
だからぼくたちはラーメンを食べるときにいちいちこうやって考える必要がない。
でも芸術作品は違う。芸術っていうのはそうやってぼくたちが頭を働かせる前提で作ってある。
だからいろんなフックも仕掛けてあるし、前提知識がないと見えてこない面白さもある。
単純に物語の刺激に踊らされているだけじゃ、ちっとも楽しめない作品もある。
もちろんそうじゃない作品もあるだろう。たとえばそう、某大盛りラーメン店みたいに、
そのことだけを目的においている作品もある(現代においてはそれが大半だろうね)。
でもそれだけじゃ寂しいよね。ほんとうの意味で作品を楽しむには、今書いたようなことを知っていたほうがいい。
それにこのことを知っていても、『ぼくらに単純な刺激を与えて楽しませる』ために作られた作品を
楽しめなくなるわけじゃない。
むしろ、作り手の側の意図なんかが見えてくる楽しみもあると思うよ。
さて、物語の芸術作品における役割がわかったところで、その現実世界との関わりについて考えてみよう。
物語が現実より面白いのは当然のことで、そういうふうに感情を刺激するように作られているからだ。それ自体に何の不思議もない。
ただそれをわかった上で「現実世界のほうが楽しいよ」と言うために必要な飛躍というのは人それぞれだ。
『自分次第で解釈できる物語が無数に転がっている現実世界のほうがいい』
あなたがどういうふうに思うかはぼくにはわからない。ただ物語というものの役割を理解した上で、
それでも現実よりも楽しいものがある、というふうに主張することについてはぼくは否定しないよ。
ただ、余計なお世話かもしれないけれどぼくが強調しておきたいのは、
『現実世界に物語の構造を持ち込む奴らには気をつけろ』ってことだ。
過労死するまで居酒屋で働かされた若者に経営者が与えていた『物語』が何だったのかは、
その経営者の言動を見ていれば簡単に想像できるだろう。それほど物語というものは
暴力的で、人の心を簡単に支配してしまうものなんだ。だって、そういうふうに作られているからね。
http://anond.hatelabo.jp/20111014175014
とか
人がそこまで信じられるのだろうか?
とか
普通の人じゃなく、ネットを見る人や、ネットと言うものに対する時の人の姿勢とかも、人間的と言えるかどうか
とか
色々迷いもあるという事だと思う
なんか、こう ツイッタでも色々団体とか運動とかやってる人はいるし、そういう人たちに自分のページのリンクをお願いしたり、ツイッタで拡散もそうだけど
そういう事のリスト お願いとか こうして欲しいとか
それと、これはやめて欲しいというのも
そういうものを、基本的人権などに照らし合わせて、理論武装したようなのを、マニュアルのようにある程度作って、スパムのような頻度ではまずいけど、ある程度幅広くたくさん、それも言いつつ、連絡を送ったり
してみようかな
だって、市民団体なのか何なのかわからないけど、ある医療を考えるという会か、それを問題提起してる人かわからないけど、反朝日新聞のバナーを貼った思想的なページも作ってた人なんか、無茶苦茶言うよw
思想的な事は話してないからわからないけど、道徳的に無茶苦茶とかだけでなく、これだけの材料でそこまで判断するのは、どう考えても先走りすぎやろ?みたいな状態で、バンバン断定してくる。疲れた。
いきなり聞いても信じがたい事かもしれませんので、どうかもう一度よく考えてから・・・と言って、向こうも納得して謝罪したはずなのに、また同じ事を繰り返す。。。
どう見ても~、と言う言葉使いは、あまりしたくないけど、あれは、どう見てもと形容してよい状態だと思った。
なぜかと言うと、私が書いた親の職業を勘違いして、そこからさらに、想像を逞しくして、「親は優しい」と書いてきたりするから・・・・w
ちょっと、何ていうか、・・・何ていうか
何何何なの???
いちいちこんなんじゃ大変だから、先に理論武装や、権利関係をはっきりさせてから、と思う
わかってない事で、抽象的な決め付けや、意味の無い妄想をしないこと、という項目も付け加えながらでないと、連絡できなんて、日本は何て国なんでしょうw
市民団体も、弱者の権利を守るはずの団体が、搾取的に動いてしまってたりして・・・ (ボランティアはいいんだけどある職業の人がちょっと)