はてなキーワード: 麻痺とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1837708
70代なら現役で競馬見てただろうし!とか純粋に喜んじゃってるオタクのチョロさ笑えるな
これが少しでも女性向け要素入ってたら嘘松だのマックの女子高生とか馬鹿にし始めるのに
ウマ娘になった瞬間さすがウマ娘!年齢層幅広い!って鵜呑みにするオタクって嘘松腐女子と同程度なの自覚してんのかな
少し前までウマ娘どうでも良かったけど無条件に褒めちぎって他下げ兼ねてる信者ばっかで宗教臭いし
エロ二次無いからいいとか褒めてる割に胸の大きさとかの下世話ネタツイ大量に引っかかるし
友達とかにも話しにくいし、かといってインターネットにおいてでさえ友達が作れないコミュ弱なのでたまに見かけるここに。
中退して半引きこもりになって二年が経って、やっと感情の成長を感じた。というよりも、それまでデフォルトだった厭な気持が消えたというか。
こうなる前は、ずっとゲームに打ち込んでた。食事もしなくなって、数キロ減ってBMI16切りかけて、それでも飯が食えなかった。ひたすらにゲームだけをしてた。多分現実逃避だった。
親の怒鳴り声もいつからか止んで、それでもたまに幻聴みたいにしてゲームのSEが親の声に聞こえては心臓を冷やしてた。ただ親のせいにしすぎだなって思うしそれなりに罪悪感はちゃんと覚えているのであんまり家族のことは言わないほうがいいのかもしれない。
布団の中でゲーム実況見ながら夜を明かして、エナジーバーのパッケを布団の外に捨てては窓の外を通る小学生の元気そうな声に頭痛がしてた。それから数日後、ふっとゲームをしなくなった。
課金もしてた。過去の貯金でズンパスも買ってたし、スキンも課金して取ってたし、レベル上げもしないと課金が無駄になると思ってた。でも、すうと興味が消えた。代わりに学校に通えなかった悔しさと、今はもう大学に進学して授業の話をしている友人が酷く羨ましいという思いがあふれた。ついでに劣等感と孤独感で吐くぐらい泣いた。勉強は好きだとずっと嘘をついてきてたと思ってきたけど、噓から出たまことか本当に好きだったのか、あの勉強がしたいこれがしたい、それがしたいから大学に行きたい。でも学費が足りない。友達はみんな、大学に行っている。成人式の服を見繕っていた。教授が。課題が。今まではゲーム漬けで麻痺してたのかもしれないってぐらい泣いた。惨めだし、本当に本当に悔しかった。中退の理由は、カッコよく言えば理想と現実のギャップで病んで死にそうになったから。繕わずに言えば宿題ができなかったから。勉強はそこそこできたし模試も良い点とれたけど、家で勉強できなかったから。「君たちは要領がよかっただけ」という昔通っていた塾の講師の言葉が今更ながら身に染みる。
泣いて、泣いて、それでも編み物かと言わんレベルのメンタルは数か月かけて多分それを乗り越えた。「中退して、こんなに惨めで泣くのだって、それで諦めてないだけ強さじゃん」って思えるようになった。無根拠な自信だって、それで物事を始められるなら良いじゃないかと思えるようになった。周りからの意見はそもそも聞いちゃいないし、じゃあ自分の心の内で決めようって。身だしなみにも少しずつ気を遣えるようになった。まだ途中だけど、バイトも再開して学費をためつつ勉強も再開した。相変わらず楽しくはなかったけど、自分の歩みで進む、自分だけの解説ブックを作るのはとんでもなく楽しいことに気が付いた。推しの配信を見れるように英語以外も勉強し始めた。
多分、時間が必要だったんだと思う。それにしては失ったものが大きいし失いすぎたと思うけど、そんな自分でも友人はまだ繋がっていてくれてるし、自分に無根拠でも自信を持っていいことに気が付いた。噓からでさえ実が生まれるなら信心から生まれるのは極自然だし。
オチがないな~~って思ったけどまあ日記ならこれでいいし、とにかく自分はよく頑張ったしこれから始められるというのを脳内で捏ねる以外の方法で吐き出したかったからいいや。履歴書的には絶対に無駄な二年間だったけど、メンタルも編み物からアルミ缶ぐらいにはなったしやりたいことの見極めもできたからいい二年だったんじゃないかな。今でこうなら多分将来は笑い飛ばせると思う。なんなら二年で済んだのが早いじゃんぐらい。
頑張るぞ~~~~~~~!!!!!
更に捕捉すると
"ブコメに対し、昨年はてなから削除要請が来たので、増田に対して削除要求が来ること自体は信憑性あるよ?"
”https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1234639 同じように指摘受けたのか2020年12月にブコメ書き換えてる人いるね。”
「IDの表示されないはてな匿名ダイアリーは、IDの表示されるはてなブックマークコメントとは異なる削除ルールが上書き適用される」時点で
はてな運営から依頼を受けて「ブコメ」を書き換えた事例は、何の反論材料にもならない
こんな頓珍漢なブコメに誰も反論せず、☆をつけた愚かな人が悲しいことに9人もいる
(しかも、年末のスターランキングで上位常連の有名ブクマカがズラリとスターリストに並んでいるという喜劇的な事実)
お粥1~2杯を1日かけてゆっくり食べないと、リンの不足で死んでしまうそうな。
秀吉は兵糧攻めで開城後に飢餓でふらふらになって出てきた兵士たちに大釜でお粥を振舞ったそうです.ところが,兵糧攻めで生き延びたものたちも,このお粥を食べてほとんどが死んでしまった,とされています. どうすれば,生き残ったものたちは,死なずにすんだのでしょうか?
これは,飢餓状態のあとに急に食べ過ぎたことによるリフィーディング症候群が起きたと考えられます.リフィーディング症侯群とは,広義の飢餓状態にある低栄養患者が,栄養を急に摂取することで水,電解質分布の異常を引き起こす病態の総称であり,心停止を含む重篤な致命的合併症を起こすことがあり細心の注意が必要な病態です.発症機序は,急速なグルコース投与に伴う急激なインスリンの分泌による,グルコースとリン, カリウム, マグネシウム, 水分などの細胞内への移動による電解質異常であり,もともと飢餓のため必要な電解質が不足していることが追い討ちをかけます.最も危険なのは,リンの低下で,クエン酸(TCA)回路が機能しなくなることで,呼吸筋麻痺や急性心不全を引き起こします.また,それ以外にも低カリウム血症,低マグネシウム血症,ビタミンB1欠乏症などの結果,不整脈・振戦・感染症・Wernicke脳症などの多様な臨床症状を呈します.
栄養不良のハイリスク患者では,5〜10 kcal/kg/24時間の栄養投与から開始することが推奨されており,兵士たちは,煮干のようなリンが多い食品を十分に摂りながら,お茶碗に1〜2杯のお粥を1日かけてゆっくり食べていれば助かった可能性があります.実際に,兵糧攻めで生き残ったものは,白米を食べていた上級武将ではなく,ビタミンB1を多く含む玄米を食べていた下級武士であったともいわれていますし,カリウムが豊富な牛や馬の血を飲んでいたものは生き残った,
同和地区に生まれ育ち、多分『それなり以上の同和教育を受けた最後の世代』だと思っている私。
私は昭和の終わりかけに、関西の大都市に生まれた。自営業の父と専業主婦の母のあいだに生まれ、1歳児の頃から公立保育所に通った。
現在は幼児をもつ親でもあり、『保活』『保育園落ちた』などのワードをネットで見るにつけ、自分の育った地域や時代か現代のどちらがおかしいのかわからなくなるのだ。
まず、私の母は専業主婦だ。母方の祖父と同居だったが、その祖父が要介護だったとか、母自身が病気だとか何もなかった。1ミリも『家庭での保育に欠け』てなどいない私が、普通に公立保育所に通った。
母は私を幼稚園に入れたいと思ったそうだ。しかし、親族を含む周りの多くの人たちが、いつ保育所に預けるのか、保育所の申し込みをまだしてないのかとものすごくうるさかったらしい。『保育所が当たり前だった。同じ小学校に行く子は町内のどこかの保育所出身で、幼稚園に行く子なんていない』と言われたらしい。
母は心配しながらも私を保育所に入所させた。まず、町内に公立保育所がいくつもあった。1学年1クラス、私が通った保育所はその中でも人数が少ないところだったので、年長クラスで一緒に卒園したのは12人だった。最近の『保育所が足りない』どころか、どう考ても当時の子供の数を考えれば保育所が多すぎるくらいだった。
運動会や宿泊保育、遠足、卒園式などは合同で行われた。保育士さんはどうだったか忘れたが、市の公務員である給食調理員さんたちは、その町内の保育所のどれかにしか転勤しない。(当時給食調理員だった知人が近所にいたため、知っている)
今、雨の日でもお昼寝布団セットを自転車で運んでいる保育園パパママさんを見かけるが、私が通った保育所ではお昼寝布団の他、給食で使うスプーンや箸など、肌に触れるものや口に入るものも持参する必要はなかった。かばんに入れて持って行ったものは連絡帳以外思い出せない。
私は二人の子供を私立幼稚園に通わせた。ひとりは卒園し、ひとりは在園中。まあ、これでもかというほど指定用品を買わされ、毎日スライド式のカトラリーセットを始めあれこれ通園鞄いっぱいに持って行く。最初は自分の子供時代とのあまりの違いに驚いたが、『あ、こっちのほうが普通なんだ』と最近では思うようになった。
保育所時代はほぼ同和教育はなかったが、小学校に入ると一変した。
まず、入学時に必要なもののほぼ全てが無料支給だった。ランドセルまでタダだった。母と一緒に入学用品を近所の『会館』に取りに行ったことを覚えている。鉛筆や消しゴムまであった。筆箱は自分のものを使えたかな。それが最初の一回だけではなく、『とくしゅうひ』というものがあって、冊子が配られて必要な学用品に丸をつけて提出すると支給された。これはいつの間にかなくなった。高学年になる頃にはもうなかったかと思う。
私の実家は貧乏ではなかった。後に書くが、学用品を無料支給してもらわないと就学できないほど生活に困窮している同級生などいなかった。
ランドセルはデザインも何もかも皆同じ。ほとんどの学用品が全員同じだった。出どころが一緒だからそうなるんだろうけど、他の学校のことを知らないのでそれが普通だと思っていた。給食で使うお箸、食後に使う歯ブラシまで皆同じ。歯ブラシの色選びでじゃんけんをしたことも覚えている。
それから『子供会』というものがあった。放課後に行くところで、別に親が働いているからとか何もなく、ほとんどの同級生が在籍していた。行くか行かないかは自由だったが、小学校の下校時に集団になって歩いて行ったことを覚えている。おやつが出たり、遊んだり、土曜日は昼食も出た。学童保育のような感じだったが、違いは『(ほぼ)全額無料』で『まあまあゴリゴリの同和教育機関でもあった』こと。そこで働く人たちのことは、先生やさん付けではなく、『指導員』と呼んでいた。(例 田中指導員)
主に教えられたのは狭山事件のことで、歌まであった。私はその歌をなぜか今でも覚えている。小学校1年生のときから教えられる。それから、何の日だったかは忘れてしまったが、5月23日と10月31日が近づくと、狭山事件のことをいつもより色々聞かされた。
大人は集会もやっていた。たまに祖父について行ったことがあったが、集会の最後はシュプレヒコールがお決まりだった。後になって祖父はその集会になぜ参加していたのか母に聞くと、『お父ちゃん、その年確か町内会の役しとったからちゃうかな』そんな理由だった。
小学校の名札のところに『差別裁判をゆるさない』とかワッペンをつけて登校する期間があったりもした。『ワッペン登校』と呼ばれていたが、今考えるとすごい。小学生の制服に、別にその子の意思でもなくそういうワッペンをつけさせていたのだ。
学校の道徳の授業は、同和問題を始め、とにかく何かと差別を絡めた内容だった。在日コリアンの問題とか。私の子供が入学して教科書に名前を書いていたとき、道徳の教科書を何気なく見ると、『金の斧 銀の斧』の話が載っていたりして、自分のときとの違いにまた地味に驚いた。
小学校1年生に狭山事件のことを話してこれは差別だ!とか言われても正直よくわからなかったし、狭山がどこかもあまりよく知らなかった。『かなり昔、遠い関東で無実の人が逮捕されて、裁判が何か差別らしくて………』といった感じで記憶している。
他にも後で特殊だと気づいたことがある。天皇制の否定、国歌を教えない、卒業式の定番『仰げば尊し』はなぜそこがダメなのか忘れたが『我が師の恩』のところに文句がついていたっけ。
ある日の子供会の集会のとき、『天皇制はおかしい』という話を聞いたのをおぼろげながら覚えている。『天皇誕生日が祝日なのはおかしい』と力説されたが、子供心に『学校が休みになるんだし祝日にまで差別とか言うのか』と思った。
洗脳レベルの教育だったが、低学年頃にはなくなっていった(後述)こともあり、『差別に負けない大人になってほしい!!』だとか『(何にか忘れたが)誇りをもってほしい!!』と言われても全くピンとこなかった。
ワッペンをつけたり、子供向けの集会があったりというゴリゴリの同和教育は私が高学年になるより前くらいから一気になくなった。そのため、冒頭に『最後の世代』だと書いたのだ。
理由は、狭山事件の容疑者とされた人が仮出獄となったからだと思う。学用品がタダとかそういうのも、その頃からだんだんなくなっていった。
一世代上、私の母世代は、狭山事件が起こった頃に小学生くらいなので、大人になり、子育てをする頃までずっと続いたということになる。
母は私立高校を卒業しているが、『タダだった』らしい。無料だから私立高校を選んだわけではなく、公立高校に行く学力がなかったかららしい。高校の無償化なんてつい最近一部の地域で始まったことだが、これも『同和特権』のひとつだろうか。それよりも驚いたのが、自動車教習所の授業料も『タダだった』と言うのだ。私も運転免許をもっているが、確か教習所に入るときは30万円くらい払ったと思う。それもタダ?
それから、これは自分の家族にはいないが、市の公務員になれるルートみたいなものもあったそうだ。失礼な話だが、『この人、どうやって公務員になったんだろう?』と思うような人が、市の職員だったりした。
母も私と同じで、そういう環境で周りもそれが普通だったし、他のところのことを知らないので、疑問をもったことがなかったらしい。大人になってから、『あれは普通じゃなかったんだ』と思ったという。
江戸時代の身分制度の名残で同和問題や差別があるわけではないと、成長するにつれわかった。私が背負ったランドセルも、入学試験で特待生だったわけでもない母がタダで通った高校も、税金から…と考えたら、嫌われるようなこともしてるよなあ、知らなかったとはいえ…といつからか思うようになっていった。
その後、高校、大学と進むうち、部落差別っぽいものは時々あった。というより、特に悪気のない、同和地区に対するイメージを誰かが話しているのを聞くことがあったというくらい。
まず、『あのへんは治安が悪くて行くもんじゃない。どんなやつがいて何をされるかわからない。最寄駅で降りないほうがいい』と言っていたバイト先のおじさんとか。
確かにイメージとして、ガラ悪いとか治安が悪いとか思われがちだが、これが意外とそうでもない。麻痺してるのか慣れきってるのかとも思ったが、夜になると人通りはほぼなく、ガラの悪い人や治安を乱しそうな人もいない。夜の町は、『ここ?本当に関西の大都市?』と思うほど人通りもほぼなく静か。逆にそれが不思議だとか怖いだとかで動画サイトに載っていたりするが。
確かに治安がよくて人が住みたいイメージではないよなと長年思っていたが、最近では転入者も増えて、昔はボロボロの団地ばかりだったところに一戸建ての家が建ち並ぶようになった。相変わらず市営住宅が多く、整備されているものの見た目がほぼ同じ。スマホのマップが普及するより前は、宅配ピザの配達員さんが迷って電話をかけてくることもあるくらいだった。
そういう街はここだけではない。似たようなところをたまたま電車などから見ると、『あ、ここ…同和地区かも』とわかるようになった。
人生で、『あ、これが部落差別?』と思ったのは一度だけある。結婚のときだった。目の前でやりとりしたわけではなかったが、夫の両親は同和地区の嫁が来るのは嫌だと言っていた。私に直接言ったことはなかったが、義母から夫へのメールを見たら結構すごかった。
結局結婚したのだが、10年経っても『ほら、同和地区の人となんか結婚するから』みたいになったことはない。結婚を反対されたことを知った両親も、『まあ、そりゃ、どうぞどうぞ大歓迎ですってことはないよな』というような反応だった。従姉妹たちも同和地区出身でない人と結婚している。親である伯父と伯母は、娘の結婚相手の両親に出自を話したらしいが、それを理由に反対や差別はされなかったという。
私が昔受けた同和教育の題材にもよく結婚差別が出てきたり、同和の子は貧乏でいじめられて排除されて…みたいな内容が多かったが、思い出してみれば小学校の同級生には食べるのにも困るような生活をしている子は誰一人いなかった。それでも色々支給されたり…あれは何だったんだろう?と思う。
これもまた同和地区特有の話だと知ったのだが、とにかく近所の人達の情報を何でも知っている。私達世代はそうでもないが。今時隣の家の人のこともあまり知らないのが普通みたいな世の中だが、母より上くらいになると、『全くの他人のことを何でそこまで知ってるの?』と驚くほどだ。
私は聞いているだけのことが多いが、たまたま何となく会話にAさんという人が出てきたとする。たとえば私が『Aちゃんのお母さんが入院したんやって、Aちゃん大変そうで心配やなぁ』とか言ったとする。
すると母と伯母が、
『A?ああ、あの子な!うちの一学年下の子で旧姓増田やろ?増田のおっちゃんとこは立ち退きなる前は◯◯に住んでて、今団地入ってるやろ?おばちゃんは滋賀から来た人やったわ。Aは高校出て化粧品屋に勤めとって、学会の男の人連れてきて結婚して西宮のほう行ったけど、結局別れて娘二人連れて帰ってきてたなぁ。増田のおっちゃん怒ってたわ。あの子入院したんや、それは心配やな』
『増田のおっちゃん覚えてるわぁ、Aちゃんて姉ちゃんの一個下やったら、うちの二個先輩やろ?その子の弟がうちと同級生やねんけどな、中学の同級生のCと結婚して、夫婦で市に勤めとったから、お金持ってんで。団地出て関空とかあの辺りに家買うたらしいわ。増田のおばちゃん不倫しとったん覚えてる?近所同士でようやるわぁとかみんな言うとったなぁ』
こんな感じ。一体何の話だったかこちらが忘れそうになるが、私の友人の母親の実家事情を、同学年で仲が良かったわけでもない二人が知り尽くしている。
これは、同和地区出身者同士の結婚が多かったこともあるからかなと個人的に思っている。大人になってからは、では近所に住む誰かの会話に『私』が出てきたとすると、ここまで知られているのかとゾッとして、母に聞いたこともある。
『まあ、このへんやったらそうやろうな。でも、若い子らはそこまででもないと思うけど。うちの娘ていうことはみんな知ってるやろうし、行ってた学校ぐらいは知ってるやろな』
と、当たり前のことのように言われた。
同和地区も、私のように町並みでわかる人でなければあまり他の町と変わらないようになってきた。それに、顔を見たら同和地区出身者とわかるわけでも、戸籍を見たらわかるわけでもない。有名な同和地区が現住所や本籍であった場合はわかるかもしれないが。
解放会館も人権センターとか名前を変えた後、いつの間にかなくなった。『部落差別をなくそう!』『差別落書きを見つけたら云々』という文言が書かれた町内会のポスター掲示板もなくなった。私が少し通ったあの子供会もなくなった。
今でも、『住まないほうがいい町』とかググると私の地元が出てきて、理由に同和地区がどうのこうのと書かれているが、外から人はたくさん来ている。市営団地の入居者は全員知り合いだとか、市会議員や解放同盟のコネで団地に簡単に入れるという話も聞かなくなった。
実際、24年ほど住んだが、事件らしい事件のひとつも見たことがない。通り魔やひったくりに遭った人が近所にいようものなら3分で噂になるはずだが、これも聞いたことすらない。いや、別に『B地区とか犯罪がとかヤクザがどうの、治安悪いとか言われてるけど、全然怖くないですよ、町も綺麗で平和で、他のとことそんな変わりないですよ』とここで主張したいわけはない。
イメージしかない同和地区と、そこに生まれ育った私とでは、全く違うだろうなと思って書いたに過ぎない。
改めて、自分の生まれ育った場所を考えてみたとき、そこがたまたま特殊なところで、確かに差別されたり嫌われたりしても仕方のない面をもっていて、でも何だか『普通の生活の中で出さないほうがいい話題』のひとつであって…
何かそんなことを思って書いてみた駄文だ。
1:gueuleは顔、口という意味なのに、sale gueulesというワードのうちのgueulesが醜いという意味だと勘違いしてしまう
2:差別にあたるかどうかはデンベレ本人の内心が大事であるとして引用したツイートが発言を隣で聞いていたグリーズマンのツイート
3:フランス語通訳で7ヶ国語を操るフランス人ダバディ氏に対してフランス語の解釈でレスバして無視される
4:在仏53年の言語学博士号取得者に対してフランス語の解釈でレスバしてボッコボコにされる
5:ピュータンピュータン言っていたら読み方はピュタンだと指摘を受けて、以後ひっそりとputain表記に変える
6:スラム街出身の黒人主人公の映画、現代スラム街が舞台の映画で何度も出てくるワードだからputainは日常で使われる言葉であると反論
7:執拗に辞書を引用して反論を試みるも、早稲田大学文学部大学院教授から、文脈を無視して「辞書にこういう訳語がある」と主張してくる学生みたいと呆れられる
8:内心から差別に当たらないとかどうのこうと言ってたくせに、裁判で確定しなければ差別には当たらないとか言い出す
9:フランス人の友人に確認してみれば?というツイートを全無視
10:仏仏辞書を引っ張り出してputainにtres familierな表現として感嘆の意味があると反論するも、tres familierは「よく使われる」という意味ではなく「口語的」、即ちスラングという意味であると反論される
11:見ず知らずのフランス人のTwitterにフランス語初心者を名乗って人種差別ではなかったか質問するが、自分が欲しかった答えがもらえなかったためにお礼の返信もせずに消える。お礼を言ってないことを複数人から指摘されて4日後にようやくお礼の返信をする
12:都合の良いツイートを見つけたのでひろゆきがリツイートしたら、ひろゆきの意見に否定的な人だった
13: パリ在住の元大学教授から「ひろゆきはよほどフランス語ができないか、言われ続けて麻痺してるか、ヘイトを親しみと勘違いしている。留学したての若者にありがちなその国を選んだ自分を否定したくない認知の歪みが起きてる」と言われる
14:ラテン語さん(ラテン語歴10年、英検一級、仏検一級持ち)に、なぜ差別行為があったとされる動画内の文脈を考えずにputainという単語の多義性を強調しているのかと疑問を呈される
15:11のフランス人へのtweetで男性ホテル従業員のことを「Les japonaises」と書いてしまい、動画に映っている日本人男性三人を女性と勘違いしたか、「男の日本人」と「女の日本人」をフランス語で区別することが出来ないということが露呈する
16:11で送ったお礼の文が例文の寄せ集めとしてバカにされる
17:F爺に対して無視を決め込み、YouTube liveのF爺関連コメントも一つずつ手作業で削除する
18:東大大学院哲学科博士課程の学生から、論破がかっこいいと思ってる奴いるけど、相手の議論の弱点を突いて自分の(一時的な)優位を示す「論破的思考」よりも、 互いの議論の穴を補い合うことで、新しい洞察を共に獲得できるような「対話的思考」の方が健全だし時代に適合していると言う正論を言われる
19:7/14の配信中に日本人がピュータンの使い方で議論するのはおかしいというブーメランを放つ
20:F爺に対する無視を解除し論破に向かうも、仏大統領が貧困層への親近感アピールのためにあえて汚い言葉を使った動画を切り取ったmad動画に騙され、仏大統領が大統領選挙の場面でputainを使っているというデマをツイートしてしまう
21:20の動画で自分が優勢であると考えて、それまで某ブログ主とトーンダウンして批判していたのに、F爺と個人を特定して攻撃を再開する
コーヒー(あるいは茶)にはカフェインが、酒は言わずもがなアルコールが含まれる。こういったものは適正量を摂取していれば健康に大きな害はないのだけど、それでも健康リスクがあることは有名。そしてこういったものほど拘りが強い人が多い。
コーヒーなら豆の選定や焙煎、淹れ方、器具などこだわる要素は多い。酒に関しても、長い歴史の中で国ごとに文化が形成されている。酒だけでどれくらいの書籍が出版されたのかは検討もつかない。
思うに人類は健康を害するとわかってる食べ物にハマる傾向があるのではないのか?というか依存性や中毒性が高いものに無駄な嗜好を傾けるのはなぜなのか。
俺は酒もタバコもしないから、ビール1つとっても種類が豊富なことに全く理解が及ばない。酔っぱらってしまえば味もなにも関係ないだろうに。寄った人の味覚がどれほど優れているというのか。麻痺した感覚で嗜む酒にどんな魅力があるのかよくわからないが、それでも人類というものは酒に異常な執着を持っているように思える。身体を害し精神に影響するものほど味や見た目などを追求している。
30後半に入った…
代わり映えしない20代後半から代わり映えしない生活を送っている気がする
仕事の内容は変わったし、やらなきゃいけない事も多くなった
転職もした
学び直しもした
でも、根本は何も変わらない
考える事は仕事のことが中心で、仕事の事を考えたくない為に学生の頃から変わらない趣味を続ける
ゲーム、アニメ、エロ…それ以外の事を新しく覚えたり、考えたりするのが億劫
慣れてしまったと言うのは感覚が麻痺してる異常自体だってのはわかる
お金に関しては気分の浮き沈みの対象だけど、かといって人生を賭けてまで欲しいものがあるわけでもない
マイホームを持つと言うことが羨ましいと思うが、2LDKより大きい間取りで何ができるのか想像できない
大切なものは両親位かな
両親が幸せそうならそれで良い
両親が居なくなれば、生きる理由もなくなる気さえする
日本人の感覚、日本人の言うこれくらい普通だし無害だしいちいち文句言うなの感覚、相当ヤバくて麻痺してるからな
フェミは国際的に真っ当なことを言ってるんだけど、日本人は善人ほど声を上げず、ガラパゴスで自分が何をしてるかも知らず低脳低学歴無知蒙昧の底辺弱者男性が実際の意味とは違う意味不明な独自に勝手に作った表現の自由論(?)謎の社会論?(笑)を展開して邪魔をして(やり方もルール違反ばかり)、政権がジジイばかりで、本当に精神性が終わってることを自覚できないという
日本人は礼儀正しくて親切という風説を信じ込んでいる。単に敬語を使うシチュエーションが他国の人より広く建前文化になりがちなのを翻訳しようとするとpoliteな表現としか言いようがないから丁寧で礼儀正しいんですねって解釈されるだけで、民主主義や人権意識はゴミのようなレベル
他国の人もそう認識してるんだけど、ものすごいセクハラや醜悪な差別を受け入れることは先進国のリベラルな大多数の学のある人間には難しいことなんだけど
頭の悪い後進国日本人はそれを指摘されると売国奴!出羽守!ここは日本だからOK!キー!とファビョる
自分の理想しか受け入れられないので、マスゴミの日本万歳神話?が大好きでそればかり見て国際感覚が歪んでおり、外国人差別を内包していて、もっと酷い奴もいるってマジョリティを無視して底辺とばかり比べたがる
「ホモ漫画のホモ描写が多すぎて感情移入のじゃまになった」なんて感想当たり前なのに、少女漫画を読みすぎるとこれが理解できなくなるやつが大勢いるのっては恐怖だよな。
ジャンプのラブコメでセクハラしまくるのがポリコレ的にアウトだってことに編集も読者も感覚麻痺して理解不能になってるのと同じ現象なんだろう
初心者の男性でも楽しめる!少女漫画名作・傑作50選+1。 - Something Orange
なんかねーここにある作品の多くが「少年漫画脳には何が面白いのか分からなくて難しいから楽しく読めなかった」作品なのよね。
ゆーてワシ初心者なんで半分も読んでねーので読んだのだけ反応するわ。
イケメンと偶然であって繊細さ爆発な会話を繰り返しながらご都合主義的なトロフィー彼氏自慢をムーブし続けることの何が楽しい?
流石にこれは面白い。
でもエースをねらえよりベイビーステップやテニプリの方が上だと思うが後続作品との比較はズルだから言わぬが花だったかな。
男女を逆転しただけの話をさも面白そうに語る文化がよく分からん。
やってることはキン肉マンレディーのレベルなのになぜそんなさも高尚なことをしているような態度が出来るのか理解不能だった。
つうか俺、男だけど単にハーレム作ってるニタニタしてるだけみたいな作品(終末のハーレムみたいなの)刺さらねえのよね。
そもそも基本が恋愛で構築されているから恋愛至上主義じゃないとそもそも面白くないというか。
まあそもそもこの漫画はオタクの描写が雑すぎクソザコなんで評価に値しないっすね。
これは理解できた。
基本的には主人公女の「キャー私を取り合わないで~~~」のハーレムなんやけど、その間で男が単なるトロフィーバトルするトロフィーベイブレードにならずちゃんとキャラクターとして呼吸してたのがよかったね。
まあやっぱ真に尊い感情ってのは粘膜をこすり合いたいだけの心からは生まれんのよ。
少年漫画や青年漫画の劣化コピーに見えるんだよなこのジャンル。
青春の中で自分探しに戸惑う天才共(最高のダイヤを磨くためのダイヤモンドカッター用ダイヤみたいな表現だっけ作中だと)の葛藤は楽しかった。
恋愛に関しては「なるほど~~そういう方向性で戦えば反論できなくて勝ちになるのか~~~」って感じ。
一休さんのトンチを聞いて「理屈のコネ方が上手いねえ」と感心するような?
最後の名ゼリフについては「お前の言いたい気持ちは分かるが、俺はまだそう感じられるような出会いをしたことがねえから理屈や似た事象の経験の応用で分かるとしか言えんのよ」って気分で読んだ。
無意味にエッチ的な描写入れる必要ってやっぱねーんだよなと思ってしまった作品。
男性向け作品でも無意味にパンチラしまくるのに時間食われると「感情移入度が下がるんだよ。そういうのはエロ漫画でやってね」と冷めてしまうので、こういう作品だと尚更辛かった。
まあ少女漫画読みなれると感覚麻痺して気にならないレベルなんだと思うよ。
俺もジャンプでおっぱいモミモミしようが冴羽獠がモッコリ連呼しようが完全スルー出来るようになってるし.
やっぱ俺バトル脳すぎるんだろうな。
固有能力の考察とか勝利のための戦略構築みたいな嘘喰いとかでみるようなパートが好きなんだよマジで。
これも割と近いよな。
アスペ女が理解のあるイケメンを捕まえて人生大逆転みたいな部分については全然楽しめなかったがな。
これ少女漫画なのか?
良い悪いよりまずそこを論じ直す必要がある気が。
どこかリアルな湿度みたいのを感じられるのは少女漫画特有で好きなんだけどな。
お家騒動みたいなのとかカーストに対するアレコレとかがまさに少女漫画特有の価値観で作られていて飛んでくる角度的に自分に綺麗にささらず弾かれていく感じ。
やりてーことは分かるのよ、こういうのエモいよねって必死にアピールしてくれるからさ。
でもあれよね好みじゃない相手から言い寄られても嬉しくないような感じのイマイチ刺さらなさよね。
男同士だと「貧乳好きが巨乳アピールでおっぱいばかり写すいAV見ても「いいから顔と下半身を写してくれよ」となるあの感覚だわ」で通じるんだが女さんにどう説明すればいいやら……
俺BOY(初めて買ったギターは真っ白なフライングVで買ったその日にケンカで叩き壊しましたのアレ)とかもいまいち刺さらんのでこれもアカンかった。
バンド系男女漫画合わせて10作ぐらいトライして刺さったのは「ハレルヤオーバードライブ」ぐらいだったぜ。
守るべき大事なモノを「たま」と表現する大切なものプロテクトマイボール精神に共感して読んだが、なんだか全体的に女性的な繊細対人関係至上主義な世界でキツかったぜ。
伏線のオチを知りたくて最後まで読んだんだが、伏線の美しさよりも「うおおおお面倒くさいこと考えてるやつがおおすぎて理解ができなくなってきたぞおおおおお」が加速し続けたんだわ。
やっぱこれも「トロフィーゲットだぜ!俺たちマジすげーからな」の人脈カーストを上り詰めたがる作品なんだんだよなと最後で答え合わせを見た気持ちになったぞ。
誰もが認める凄い奴と友だちになったかじゃなくて「コイツの凄さは俺が認める。いっそ俺だけが認めればいいんだ!」みたいな暑苦しいライバル関係みたいのが好きすぎるんだろうな俺が。僕が悪いレッツファイティング。
ゲームの世界で未来を知っていることを利用して勝利するという話はね、自分がコントローラー握ってれば楽しめるんだが他人がやってると冷めた目で見てしまうんだ。
さて、思ったより読んでないな。
そんな俺に刺さった作品を上げていくぜ。
やはり強いぜ。
カースト爆上げ合戦をあほくせーと思ってしまう俺もここまでインフレされた上に「俺の知り合いマジ凄いぜ」じゃなくて一国で権力争いするのがメインになると普通に楽しい。
最終的にブチぎれた連中が全部ぶっ壊すのもデビルマンじみたヒャッハーなオチで楽しい。
やっぱ漫画は恋愛だの人間関係だのといったリアルでも出来ることじゃなくて安全圏から血生臭い地獄を眺めるようなのが面白いのよ。
結局少女漫画って根っこは面の皮が厚いのを薄く見せたくてしょうがない心の化粧が分厚いゲス同士の足の引っ張り合いだろ?
それをいっそ徹底的に思いっきり堂々とやってみせりゃー面白くなるってことよ。
あれ?
2作ぐらいしか思いつかねえ。
なんだ結構やるじゃん。
つうか俺が読まなすぎてるんだけどな。
お前って、自分の住んでいる日本のクソさを普段からネット言い過ぎて麻痺してると思うんだけど
普通に考えて「日本の特別な特徴」みたいなこと言い出したのお前だし、
どこと比較してるのかを述べるのはお前なんだぞ。
民主主義がクソになるって話なら、民主主義を考え出した人らが最初からいってただけ。
トクヴィルとか。
もうちょい具体的に書こうか
新しい女とのセックスの新鮮さとか女体の見た目のエロさとか受動的な気持ち良さとかで
興奮してセックスしてるとすぐ飽きると思うんだよね
飽きるというのは具体的には刺激に慣れてきて、あーこのままじゃイケないなって感じがしてきて、
努力してイこうとするようになるとどんどんプレッシャーになってセックス自体が億劫になってくる
必死に腰振って息が上がる直前まで激しく出し入れした刺激でようやく射精できるなんて具合だと
もうほとんどマラソンをしてるようなもので性的興奮とは程遠いセックスになってくる
刺激を強めていくセックスは、刺激への感受性がすぐに頭打ちになって感度が麻痺して辛くなってしまう
こういうセックスは長続きしない
持続可能なセックスをするためには、刺激を弱め、弱い刺激でも興奮できる感受性を育てていく必要がある