はてなキーワード: 現実逃避とは
ポジティブシンキングの例でよく出てくる「コップの水」の話があります。
コップに水が半分入っているとき、「半分しかない」と思うか「半分もある」と思うかというやつです。前者がネガティブシンキング、後者がポジティブシンキングで、水の量は変わらないのだから、いい方に考えよう。などとよく言われていますよね。
「地球に石油資源は10年分しかない」「地球に石油資源は10年分もある」
10年分しかない!とネガティブにとらえた人は、危機意識を持ち、代替エネルギーや省エネ方法や自然素材の活用などの研究を進めるかもしれません。
一方、10年分もあるからまだ大丈夫!ととらえた人は、そこで思考停止してしまいます。なんでもいい方向に考えるというポジティブシンキングはときには現実逃避となる危険もあるのです。
「一部の人の誤読や、気に入らないコメントを問題視する」ならわかる。
私も、一部はてなブックマーカーが嫌いだ。そういう人は容赦なく非表示にする。(読解力というよりは礼儀の問題ですが)
だけど、はてな全体とか、そういうレベルで読解力がーっていう場合、まず間違いなく「読解力がー」と主張しているその人がバカでしょう。自分がバカであることに気づいてないだけの本気のバカ。
「8割以上の人が誤読する」
こういう時に、2割の人間が理解できてるから俺の記事は正しいって思う?コップの水2割も入っててよかったーって考えですか?
画期的なビジネスプランだとか、芸術作品ならわかりますよ。でもブログ記事でしょ。そんなにわかりにくこと書いてるつもりないでしょ。わかってもらおう、と思って書いた文章なんでしょ。
それで8割の人が誤読するっていうなら、
「自分の文章が、主張内容が正しく伝わらないだめな書き方をしているか」
なんというか「自分は間違ってない」というところを固定して思考するのは
間違ったポジティブシンキングと思うんですよね。
投資でいうと、自分のポジション通りに物事が動かないから世の中が間違ってると主張するようなもんなんですよね。
もしあなたが「ビッグ・ショート」のマイケル・バーリばりの天才だったのならそれが真実である可能性はありません。
さんざんバカにされ続けても自分を貫くことで「もしドラ」みたいに大ヒット作品を生み出せるかもしれません。その可能性にかけたいというならそれはそれで構わないと思います。
でも、無理にそういう可能性つきあたるより、自分のことわかってくれる、合わせてくれる読者がほしいんだったら、SNSに行けば?
エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。
前回は2000年〜2010年あたりのアイドル、ジャニーズ、お笑いのジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った
では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく
まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである
当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい
ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年に向かって右肩あがりの時代だったんだと思う
それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う
現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している
ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である
変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつの国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている
そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる
元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、
新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している
村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である
例外ももちろんあると思う。
例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う
これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う
けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている
他のワンピースのおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない
かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない
こうして、村の中へと入っていくのである
村の中には色んな人がいる。
一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる
けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルのおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、
これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた
物事というものは、完全にゼロから創造されることはない
そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される
ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える
何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う
おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手だ
受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある
けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている
これは、若い子に限ったことではない。
マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である
そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、
レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタやキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)
村民おたくとマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたくの高齢化が止まらない
⚫︎「生産的おたくの少数化」とは
どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる
これは本当にかわいそうだ。
なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ
けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う
ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルでやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)
わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットやメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、
なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、
ジャンルやおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、
この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、
10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである
(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)
はっきり言って、おたくはおたくとして存在している時点で9割は凡である
だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである
素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる
DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)
ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、
ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする
その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、
よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)
ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う
なぜダメなのか、
まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ
ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンをプレイしたとは言えない
ので、布教ができないということである
例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく
まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる
おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい
というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う
何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない
けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい
そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる
なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う
けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない
特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている
自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、
自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない
そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う
だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつはエンタメがおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、
そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている
おもしろいエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う
けれど、今の日本においてそれが悲惨なのは、たまたま様々なエンタメのジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ
しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろいエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった
アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年〜2010年のドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない
仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう
モーニング娘。がミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく
お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない
バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない
芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方
がおもしろいに決まっている
お笑いのジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ
ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう
そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾はわたしと同い年なのでもう少年ではない)
セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない
じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では
ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい
関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛
けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください
若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である
アミューズがドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ
大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある
たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う
まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う
それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない
結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、
今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない
それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。
広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。
残念ながらわたしはスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのエンタメに取って代わるものではないし、
そもそもエンタメではないんじゃないかという疑念が拭いきれない
だいたい女ヲタの世界において、あの人どこにいったの?という話をすると、二次元だと聞くことが最近は多い
けれど、二次元も絶対すぐ今の異常な熱は終わるんじゃないかと思っている
なぜなら今の二次元の盛り上がり方はグッズ収集だが、グッズの収集という盛り上がり方は、これ以上の発展があるんだろうかとハタから見ていて思うからだ
わたしは本当に理解できない、これだけお金をかけるくらいこのキャラが好きなんです!みたいな競争をするくらいだったらホストじゃだめなんだろうか、きっと何回か寝れる
若手俳優のおたくをやっていて同じことを何十回も言われるので、もちろんそれじゃだめなことはわたしもよくわかっているが、俳優と違って二次元のキャラは特別扱いしてくれないし、そもそも概念でしかないので、非常に難しい盛り上がり方だと思っている
しかし、その一方でわたしみたいな変なタイプじゃない女子の欲求を満たしていることも理解している
みんなでこのアニメならこのキャラが好き!みたいに推しを分けてみんなで朝から池袋やらスカイツリーやらTSUTAYAやらに並ぶのが楽しいんだろうなというのは知識としては知っている
団体行動好きの女子にはたまらない「みんなで一緒になにかをしている!」感なんだろうなと思う
だからかなり前の記事になるが日経MJとかはグッズ収集女子を特集する際にもっとそのへんに重きを置いて取材をするべきだったと思ったよ
そもそものそういった子たちの行動心理ってたぶんそこなんだから。
現地で交換したりとか、そういうのが楽しいんだと思うよ。
表面上はキャラへの愛でこんなことになっちゃうくらいこのキャラが好きなわたし!ということになっているが、実際半分くらいはグッズ収集に付随する様々なことを楽しむタイプの女子が大多数のはずだ、女の子は自分を思い込ませるのがうまい
でもそれはもはやアウトドア的な楽しみ方であって、エンターテイメントではない
水道橋に行けばいつでも誰かしら友達がいる!みたいなテニミュなどのアウトドア的側面がピックアップされた趣味だと思う
このままエンターテイメントはなにも新しいものが生まれることなく、これから冬の時代を迎えて、大勢がなにかに熱狂することがない時代になるのだろうか
わたしはそういった大盛り上がりジャンルに身を置いているタイプではなかったけれど、このままなんの盛り上がりもない状況というのはとても不安になる
そして、なによりエンタメを作ってきた側のひとたちが、この危機的状況に気づいているのかしらと非常に不安になる
わたしはエンターテイメントがなかったらこの年まで生きてこれなかったかもしれない。
本当にどこかで尽きて死んでいたんじゃないかと思う
今の若い子達にわたしがエンターテイメントに救われたようになにか別の救いがあるんだったらいいのかもしれないけれど
ストレス社会と呼ばれて久しい日本で、現実逃避ツールの代表格であるエンタメがしにそうだ
そして、みんな違ってみんないいという考えを浸透させたせいなのか、国民が多様化すると見せかけて、思考停止した人たちを量産しているだけな気がする
若い子たちと働いていて本当に思うのだけれど、「どうしてこうなんだろう」ということを考える力に欠けている子達が多すぎる
このままだと日本のエンタメどころか、日本自体がいつか沈没するんだろうなと思う
このままだと日本は確実にヤベエ
エンターテイメントが死ぬかもしれない話
⚫︎前提
・元々自分のfc2ブログからの転載です
・とにかく長い
・とにかく辛口
・怒らないでください
おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。
なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う
そんなわたしがひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある
自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしはゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である
だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしのアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない
けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている
具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい
2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。
テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている
その年のゴールデンウィークは、戸谷公人の誕生日イベントがあり、新宿御苑のサンモールではたしかDステが行われていたように思う
当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。
わたしはというとバースデーイベントのチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた
2010年はそんな年だ。
アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。
赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。
特撮で言えば、丁度2009年が平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。
とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしいおたくがたくさんいた
他のジャンルにも目を向けて行こうと思う
例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である
アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている
2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている
では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。
わたしが小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった
しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。
そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルはわたしの視界には入らなかった
むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしはグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない
(小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)
中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)
イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年がお笑いの盛り上がりのピークと捉えている
思えばわたしはエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。
小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。
高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校の文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエのミッキーを踊った
やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭のクラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマでキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒをエンディングで踊った。
週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい
ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞、KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズのメンバーの名前をポスカで書いていた
(ここで一度力つきた)
エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。
前回は2000年〜2010年あたりのアイドル、ジャニーズ、お笑いのジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った
では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく
まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである
当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい
ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年に向かって右肩あがりの時代だったんだと思う
それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う
現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している
ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である
変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつの国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている
そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる
元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、
新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している
村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である
例外ももちろんあると思う。
例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う
これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う
けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている
他のワンピースのおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない
かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない
こうして、村の中へと入っていくのである
村の中には色んな人がいる。
一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる
けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルのおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、
これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた
物事というものは、完全にゼロから創造されることはない
そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される
ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える
何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う
おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手だ
受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある
けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている
これは、若い子に限ったことではない。
マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である
そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、
レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタやキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)
村民おたくとマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたくの高齢化が止まらない
⚫︎「生産的おたくの少数化」とは
どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる
これは本当にかわいそうだ。
なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ
けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う
ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルでやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)
わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットやメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、
なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、
ジャンルやおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、
この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、
10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである
(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)
はっきり言って、おたくはおたくとして存在している時点で9割は凡である
だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである
素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる
DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)
ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、
ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする
その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、
よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)
ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う
なぜダメなのか、
まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ
ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンをプレイしたとは言えない
ので、布教ができないということである
例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく
まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる
おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい
というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う
言語化するには、その世界を知る必要がある。
何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない
けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい
そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる
なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う
けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない
特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている
自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、
自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない
そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う
だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつはエンタメがおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、
そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている
おもしろいエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う
けれど、今の日本においてそれが悲惨なのは、たまたま様々なエンタメのジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ
しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろいエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった
アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年〜2010年のドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない
仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう
モーニング娘。がミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく
お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない
バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない
芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方
がおもしろいに決まっている
お笑いのジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ
ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう
そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾はわたしと同い年なのでもう少年ではない)
セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない
じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では
ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい
関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛
けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください
若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である
アミューズがドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ
大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある
たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う
まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う
それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない
結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、
今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない
それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。
広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。
残念ながらわたしはスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでの Permalink | 記事への反応(0) | 11:26
エンターテイメントが死ぬかもしれない話
⚫︎前提
・元々自分のfc2ブログからの転載です
・とにかく長い
・とにかく辛口
・怒らないでください
おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。
なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う
そんなわたしがひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある
自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしはゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である
だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしのアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない
けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている
具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい
2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。
テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている
その年のゴールデンウィークは、戸谷公人の誕生日イベントがあり、新宿御苑のサンモールではたしかDステが行われていたように思う
当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。
わたしはというとバースデーイベントのチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた
2010年はそんな年だ。
アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。
赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。
特撮で言えば、丁度2009年が平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。
とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしいおたくがたくさんいた
他のジャンルにも目を向けて行こうと思う
例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である
アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている
2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている
では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。
わたしが小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった
しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。
そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルはわたしの視界には入らなかった
むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしはグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない
(小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)
中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)
イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年がお笑いの盛り上がりのピークと捉えている
思えばわたしはエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。
小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。
高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校の文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエのミッキーを踊った
やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭のクラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマでキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒをエンディングで踊った。
週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい
ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞、KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズのメンバーの名前をポスカで書いていた
(ここで一度力つきた)
エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。
前回は2000年〜2010年あたりのアイドル、ジャニーズ、お笑いのジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った
では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく
まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである
当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい
ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年に向かって右肩あがりの時代だったんだと思う
それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う
現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している
ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である
変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつの国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている
そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる
元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、
新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している
村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である
例外ももちろんあると思う。
例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う
これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う
けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている
他のワンピースのおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない
かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない
こうして、村の中へと入っていくのである
村の中には色んな人がいる。
一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる
けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルのおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、
これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた
物事というものは、完全にゼロから創造されることはない
そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される
ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える
何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う
おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手だ
受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある
けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている
これは、若い子に限ったことではない。
マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である
そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、
レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタやキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)
村民おたくとマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたくの高齢化が止まらない
⚫︎「生産的おたくの少数化」とは
どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる
これは本当にかわいそうだ。
なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ
けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う
ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルでやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)
わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットやメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、
なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、
ジャンルやおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、
この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、
10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである
(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)
はっきり言って、おたくはおたくとして存在している時点で9割は凡である
だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである
素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる
DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)
ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、
ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする
その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、
よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)
ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う
なぜダメなのか、
まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ
ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンをプレイしたとは言えない
ので、布教ができないということである
例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく
まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる
おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい
というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う
言語化するには、その世界を知る必要がある。
何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない
けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい
そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる
なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う
けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない
特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている
自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、
自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない
そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う
だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつはエンタメがおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、
そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている
おもしろいエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う
けれど、今の日本においてそれが悲惨なのは、たまたま様々なエンタメのジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ
しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろいエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった
アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年〜2010年のドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない
仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう
モーニング娘。がミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく
お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない
バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない
芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方
がおもしろいに決まっている
お笑いのジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ
ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう
そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾はわたしと同い年なのでもう少年ではない)
セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない
じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では
ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい
関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛
けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください
若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である
アミューズがドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ
大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある
たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う
まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う
それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない
結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、
今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない
それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。
広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。
残念ながらわたしはスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでの Permalink | 記事への反応(1) | 11:25
学生時代からの付き合いで、最近は結婚という話も度々持ち上がるが、住まいが微妙に離れている。この距離というのが絶妙で、車で一時間半くらい。田舎なので、中間の距離に住居を構えるというのも現実的ではない。二人で話し合い、週末婚というかたちも検討したが、案の定親には強く反対された。
昨日した電話で母曰く「おぬしは結婚するには時期尚早だ」とのことらしい。キャリアをすべて捨てて家庭に入る覚悟および経済的自立がなければ具体的な結婚準備はすべきではなく、また周囲は決して納得しないだろうということだった。
一人暮らしが寂しいとか三十代が近いとか付き合ってもう八年なんだからとかはすべてわたしの身勝手な我儘に過ぎないらしい。まあ、薄々自分でもただの現実逃避だとは自覚していたから、ぐうの音も出ない。
わたしの中ではきっと「死にたい」と「ハワイに行きたい」と「結婚したい」はだいたい同じようなニュアンス(どこか遠くに行きたい)なんだろうな。でもそうした空想に彼氏氏や他関係者諸氏を付き合わせるわけにはいかんのよな。現実を見ないといけん。でも現実って何なんだろうな。トピシュさんあたりにでも叱咤されたい気分だ。
(追記16/06/07)
>id:topisyu "母曰く「おぬしは結婚するには時期尚早だ」とのことらしい。キャリアをすべて捨てて家庭に入る覚悟および経済的自立がなければ具体的な結婚準備はすべきではなく"←二律背反じゃないですか……!
補足しますと、わたしは今非正規雇用(研究職で、テクニシャンとかプロジェクト研究員とかいうやつです)でして、せめて正規職員になるまで結婚をやめろというのが母親の弁です。更に言うならば、母は看護師で、「手に職をつける→正規職員として就職する→貯金する→ばっさり仕事を辞める→子育て→再就職」というキャリアをこれまで踏んできました。恐らくですが、そのキャリア形成を私にも求めて進言しているのではないかと推測します。母の言い分もわかるのですが、現実として難しい(不可能ではないが、何年先になるかわからない)というのが私の考えです。
>レッツ・できちゃった婚!
それな……。
と思ったことがある人は多いと思う。
「現実逃避」と言われるかもしれないけど、僕のはそうではない、と信じている。
たとえば、あるキャラが別のキャラの頭上にクリームをぶっかける。
しかし次のカットでは何事もなかったかのようにストーリーが進行していく。そんな描写に心をひかれる。
というと、「なにかやってもチャラにできる世界に行きたいんだ」と言われるかもしれないが、そうではない。
一方では人間関係が積み重なっていき、それに従ってキャラの性格も可塑的に変化していく(悪人→善人ではない、もっと微細なレベルでの変化)ものの、他方ではある出来事が徹底的に忘却されていくような世界。
忘却というのはキャラのみならず世界からも忘却されていくような、そんな忘却だ。
もしくは、フィードバックがかかりながら展開していく時間ととぎれとぎれになっている時間がメタレベル抜きで共存する世界とでもいおうか。よく分からんくなってきたが。
ところで、「800歳の大樹はどのように時間を経験しているのだろう……」などと思ったことがある人は多いのではないか。
しかしそこでいわれる別様の時間というは、タイムスパンの長短に焦点があてられていることが多いのではないのだろうか。
そうじゃなくてもっと質的に違う時間と通常の時間が離れながらも共存している、そんな印象を受ける作品に僕は強く胸を打たれる。
みなさん、うつ病って怖くないですか。一度なったら身体的にも社会的にも回復は難しく、回復しても自分自身を以前ほど信用できなくなってしまう病気だと思います。
ここではうつ病にならないために何をすべきかを書きます。異論ある方はいくらでもどうぞ。
私がうつ病にならないために実践していることは、以下の5点です。
これらを仕事が忙しすぎて実践出来ないという方もいらっしゃると思います。そういう方は仕事をやめた方がいいです。多くても1回30分ほどで出来ることです。それすら出来ない程忙しい仕事はおすすめできません。もちろんそれがどうしてもやりたい仕事で、生き甲斐であるなら問題はありません。それ以外ならやめるべきです。逃げるコマンドを使えない奴はうつ病になります。
1.運動
運動はとても重要です。1回20分から30分、ウェイトトレーニングを週2〜3回しましょう。ジムに行くのが面倒ならば、自重トレーニングでもかまいません。
腕立て伏せ、スクワット、懸垂、腹筋運動の4種目からはじめるのが良いです。しかし、あくまでも私のおすすめはウェイトトレーニングです。ネットには1時間以上かかるようなトレーニングメニューがありますが、くれぐれもいきなりそれをやらないでください。有酸素運動はたまの気分転換にやる事をおすすめします。
ここで重要なのは、1回のトレーニングは30分までにして、集中して実施することです。いい感じだと満足できたら15分でもかまいません。ちなみにインナーマッスル(体幹トレーニング)は?という声もあるかもしれませんが、あれは流行りというだけで重要視しなくてよいものです。
運動を継続して実施すれば、デブなら痩せますしブスなら身体は魅力的になります。顔は変えられませんが、身体は変えられます。1年もあれば見違える姿になります。非イケメン美女ほどトレーニングをやるべきです。異性にモテる云々ではなく、自分に自信が持てるようになります。
もちろん学生時代にやっていたスポーツを社会人になってもやるという人はそれで良いと思います。重要なのは継続的な運動です。
2.瞑想
朝起きたらまずコップ1杯の水を飲みます。すぐに顔を洗って目を覚まし、布団をたたんで好きな姿勢で3分程度心を落ち着けましょう。
心を落ち着けるには呼吸法が重要です。私は丹田呼吸法を行っています。これはおへそからこぶし1個分ほど下を意識して呼吸をする方法です。
4〜5秒かけて鼻から息を吸い、10秒かけて口から息を吐きます。この時重要なのはおへその下で呼吸をすることと、何も考えないことです。感じるのはお腹の膨らみと、気持ちがどんどん落ち着いて、しんと静かになることです。
3.睡眠
睡眠の重要性とか言わずもがなですよね。毎日6時間は睡眠をとりましょう。不眠症の人とかは専門外なので分かりません。
寝付きの悪い人は下記のようなことも試してみてください。
1分で眠れる478呼吸法
http://nurse-web.jp/suimin/meditate/
枕を変えてもなんでもいいので、とにかく寝てください。
ちなみに寝る前にスマホの画面を見ると寝付きが悪くなるそうなので、控えた方が良いようです。
4.食事
食事は3食などと書く人がいますが、好きなときに食べれば良いと思います。それよりも重要なのは炭水化物、タンパク質、脂質をバランスよく取ることです。巷では低糖質ダイエット等が流行ってますが、くだらないダイエット記事を参考にしてダイエットしている人はいますぐにやめてください。適切な運動と、食事をしていれば痩せますし、綺麗なプロポーションになります。
※余談ですが、今のダイエット業界は胡散臭いのが多すぎます。はやく滅びてほしいです。
アプリやネットで、自分の1日の消費カロリーを調べてください。そして1日にどれくらい食べられるのかを計算してみてください。
食事の際は野菜から食べることをおすすめします。また、サプリメントでマルチビタミン等を摂取するのも良いです。ウェイトトレーニングをやっているのであればプロテインも推したいです。ちなみにプロテインはやばい薬ではなく、タンパク質を英語にしただけのものです。上記の炭水化物、タンパク質、脂質のバランスをPFCバランスと言ったりします。気になる人は調べてみてください。
食事の最後の水についてです。みなさん水を1日2L飲んでください。常温が望ましいです。水分不足になると身体がだるくなります。スポーツドリンクを2Lは絶対にやめてください。
5.思考
1つめの「失敗しても自分のせいにしない」について
仕事でミスった、上司に怒られた。全部自分のせいじゃないです。原因は自分にあっても、責任は上司にあります。つまり上司のミスです。もしくはシステムが悪いです。私は仕事でミスったとき、一度足りとも自分が悪いとは思ったことがないです。無能な上司め、同僚め、システムめと常に他のせいにしています。もちろん心の中の話であって、表面上ちゃんと謝ります。さーせんって感じです。ですが同じミスは3回繰り返しません。2回までならやっても大丈夫です。
2つめの「やばいと思ったら逃げる」について
あ、無理って思ったら逃げてください。多分、あなたには向いてないことです。人間、本当にやりたいことならきつくてもやれるもんです。出来ない人はそれに対する適性がありません。無理、無理と逃げ続けてどの仕事も合わないし起業も無理と思ったら大人しく生活保護受けてください。そういう人は社会に出て働いてはいけない人です。
3つめの「現実逃避はしない」
これ1つめと矛盾してないか?とも思われるかもしれませんが、違います。1つめはあくまで自分のせいにしないだけであって、出来なかった原因を分析し対策たてて同じ失敗をしないようにするというプロセスを外しているわけではありません。あくまで瞬間的な防御でしかありません。
現実逃避をしないというのは、本当の意味で自分を偽らないということです。
現実感の無い夢を心のうちに秘める無駄な行為や、今の自分はまだ本気を出していない、実力をだしていないといったくだらない自己評価をするといずれ現実とのギャップでぶっ壊れます。大人しく自分はポンコツだと思いましょう。大丈夫です世の中の70%はポンコツです。20%の人が普通で、5%の人が優秀なだけです。残りの5%がクズです。そう思って生きましょう。
最後に
リスクを取ってチャレンジ、とかものすごくキレイな言葉使うよね。自分を鼓舞するためなのかもしれんけど。
フリーランス、とくに「ブログで食っていきます」系の人、本当に大丈夫なのか。
アフィリエイトで利益出始めました、って言っても月に数万でしょ?家賃払える?税金払える?
偉そうに言う自分も、かつてフリーランスだった。5年弱サラリーマンやってから独立。
CGも描くし、画像修復、コラージュ、コンテンツ制作、ディレクションとなんでもやった。
1年めの売上500万弱、純利益は440万位。2年めの売上は650万、純利益は530万位。
でも二年で辞めた。
このままフリーで食っていける感覚はあったけど、それ以上が見込めなかった。食えるだけ。
人がウン十人関わるプロジェクトを仕切るとか、プロデューサーとしてモノづくりするとか、夢が見えなかった。
実績や技術が認められて、上場企業に潜り込めたのは本当に幸いだと思った。いまじゃ中間管理職。
私みたいな、フリーランスをドロップした人間から言わせてもらうと、「信念」と「技術」それに「営業力」がないと
フリーランスとして成功しない。もしくは、どれかが飛び抜けていないとダメ。
ブログ程度でフォロワー1000人、PVは5万/月って言われても、「ふーん、で、あなたに仕事を依頼したらどのくらいリターンあるの?」で詰むよ。
会社をやめないとチャレンジできない、チャレンジしない、なんてやつは絶対に成功しない。
フリーランス宣言インフレが引き起こすのは、数年後、再就職もできず、男は日雇い派遣、女は風俗に溺れる姿かと
想像すると、「やめておけ」と思う。
思い直すなら、今だ。
すごく残酷なことを言うけど、男のスクールカーストよりも、女のスクールカーストの方が逆転が難しいのよね…。男の場合、得意なスポーツだったり、流行りのゲームだったりが巡り巡って「この時だけは頼りにされる」みたいなのがあるけど、女の場合それが…かなり減るのよね…うん
インターネットって結局はスクールカーストの延長にある世界だから男の場合は「時代が回ってくれば、カーストの上位に返り咲ける」ので、ネットという趣味に没頭できる。
でも、女の場合はそれが限りなくイバラの道でかつ、趣味ができても尊敬されないから、結局は港区のOLが勝つ。
女の子の不幸なところは、女同士で群れることをやめてカーストの外に出たとしても、男の輪の中で「女であること」を求められ続けること。
だから、女であること自体が苦手だった人にとって、男友達の輪に入ること、ネットなど男の多い趣味に入ることは現実逃避ではなく、現実の延長になってるわけだ
いや、言い方を厳密にするために分けると「女の子の割合が圧倒的に多いけど、マニアしかいないからコミュニケーションは限らなくとらなくていい趣味」に逃げるしか女の子が現実逃避する方法ってないんだけど…そんな趣味は男の俺から見るとほぼほぼ存在しないように見える。だから、しんどそう
前にも書いたけど、ブログの世界で、化けてかつ長続きしている女性の大半は外資系OLか、港区でOLしてる圧倒的強者。完全に現実逃避的にネットやって人気のある女性は、はしごたんぐらい?すこし範囲を広げても堀内みきさんぐらい。「女にとってネットは現実の延長」と僕が言う理由
すごく残酷なことを重ねると…少なくともネットのような男の多いところで、現実逃避的に女性がのめり込む・チヤホヤされる位置に行くのは無理。できても、茨の道。ネットは女性にとっては港区でOLできる人が勝つ世界。つまり現実の延長。それでも、勝とうとすると精神的リストカットに陥る
いや、的確な言い方に落としこむと「精神的売春」か?女であることを病んだ形で表現し続けないと評価されない(と思い込んだり、それでちやほやされた感覚、そういうイメージで呼び込んだ客から離れられない)状況はリスカというより売春か…
@tm2501 ごく一部の人間を当てはめて女性とひとくくりするのやめたほうがいい
@icy_camellia うーん…一応、4・5年ぐらいブログ関係を見てきた上での話ですね…。顔や声といったもっと性別がわかるものが見えてしまうとさらに「現実の延長」になると読んでますが…こっちはそもそも1つの文化が長く続いたりしてないから、「数」を調べにくいんですよ…
僕から見た、北条かやって、ネットが現実の延長だからしんどいという感じなんですよ…。社会学者路線できっちり線が引けたらよかったんですが、こじらせ女子として舞い戻ったり、ブログではオタク色を出したりしちゃったから…あれは「精神的に女を売ってるんだなぁ」と。…所感ですが
@tm2501 でしたらせめてネットというよりブログって言ったほうがよかったかも。あと似た性質の人やモノが集まるので大体はそれが全部ではないですしね。交流する分にはネトゲやらSNSもありますし、ネトゲもまあ病んでる人から普通の人からガチのOLまでいましたしねえ…
「ごく一部の人間を当てはめて女性とひとくくりするのやめたほうがいい」ってわざわざ問題点指摘されてるのに「僕はちゃんとやってるよ!」っていい返すの話咬み合わなくてすごい。
それです。ついでにいうと、穴モテありきな戦略に走ってる人に限って穴モテ狙いの男を批判して『私、こんな経験あるんやで』が多すぎるから『節子、それ経験やない!ただの消費行動や』と三沢文也a.k.a.青二才さんが追加
>言ってる意味が全然わからないんですけど「穴モテしてるだけの、たいして恋愛経験のない女が偉そうに恋愛論を語るな」ってこと?
君のリクエストに最大限お答えして、はあちゅうの記事なんかとは比べ物にならない程のゲスさと、両名へのIDコールまでやったら、僕は色々な意味で期待してたアオヤギさんからブロックされて軽く凹んだよw
男の友情を優先させすぎると、そのせいでモテなくなるから程々にしておこうと思った。一応、ちゃんと読めばちゃんと中身があるし、今のインターネットをきっちりと切り取った記事を書いただけに、すごく聡明な彼女からブロックされたことに「え?」とはなったけど…落ち度は僕にあるしなぁ〜
あとさ…あの記事って、そもそもゲス女系にシンパシーのある女性が読めば、
「あなたがモテないのはあなたが気持ち悪いから」の法則で、論理が正しいとか正しくない以前にレトリックで「ああ、こいつはコンプレックスの塊だからそこから女を批判してるんだ」とか議論をすり替えるのよね…つまり不毛
アオヤギ・トイアンナ両名にツイートされてからついたブコメが「青二才は童貞」「コンプレックスの塊」だといった資質を問う声があるわけだが…童貞ではないけど、経験が少ないからあんまり恋愛の話をしないようにしているんでしょ?
まして、人の恋路にアドバイスできるほど僕は上手じゃないでも、上手じゃないからこそ「いい理論があればうまくなりたいなぁ〜」と思って、本や記事をぐらい読む程度には興味はあるわけさ。でも、その大半は自己肯定欲の低い男性を説教して安心させる記事か、女性同士の世間話をメディアに載せただけ
「泣けば許されると思ってる女がいる」
とまでは言いません。ただ、ゲスなことを言うだけ言って、支持するだけして、そのことを批判された時に「私が悪かった」感が一ミリもないはあちゅうとか峰なゆからへんのひとを見てたら、
「【女の子いじめたらかわいそうでしょ】待ちなんだなぁ〜」と。
一応、二村ヒトシメソッドと、恋愛工学の理論を重ねながら語ったのは、(当然ながら男女問わず、)ある程度理屈っぽく考えられる人なら「二村ヒトシの言い方でたいていのことは批判できるし、(著書を読んでいる人なら気づいたと思うが)都合のいいように出し入れできれば、無敵の論法」と気づくため
ただ、僕はいわゆる「ゲス女」にイラッときた時に言うのはコンプレックスというよりも、自分の母親がバブリーな価値観に染まって、早々と寿退社した分際で、男の趣味が昭和から出てないのに、それを押し付けられて子どもの時にすげー迷惑したから。そういう女が増えると僕が生きづらくなるんよ…
ただ、自分の中で「子どもの時にされてすごく嫌な思いをしたことをしてる女を増殖させる出版社や二村ヒトシは大半の人が生きていくのをしんどくする」と思って言えば言うほど…僕の身の周りの女性の自己肯定を低くしちゃうんだよなぁ…。
いや、僕も男は99.99%死ねばいいと思ってる派だけどさ
僕は「男は競争に勝って1万人に一人にならないと幸せになれない」と思ってるけど、女性については「考える事をめんどくさがらなかったら幸せになれる」と思ってる派なんですよね…。意外とわかってもらえないというか逆に取られがちだけど
僕が男の人に「好きなことを大事にしよう」だの「楽しめ」だのと言うのは、競争の勝ち負け、モテとお金のあるなしを幸せの基準にしちゃったら、男の大多数は競争に負けて幸せになれないから。
女性に対して「考えるのがめんどくさいからって共感できることに乗っかってない?」と言うのも、逆
ただ、僕に近づいてくる女て、僕が「考えるのがめんどくさって共感できそうなことを言う人」じゃない代わりに、僕と同じように「私の性では1万人に一人しか競争に勝ち抜けず、そういう人しか幸せになれないから大半の人は死ぬか、生きている以上最大限の現実逃避をするしかない」的な人なんだよね
で、僕はすごく話があって心地よいんだけど…ただ、あまりにも僕に都合が良すぎてと言うか、自己肯定欲が低すぎて「趣味があるから生きてるけど、それがなかったら死んじゃうんじゃないの?」という女の子とばかり会うのよね。心の穴の一致?うん
「遊んで暮らしたい」じゃなくて、「遊んで暮らし」ます。ビジネスマンのマッチョイズムとか、キッチリ感がないから、とことんちゃらんぽらんかつ現実逃避して凡人らしく生きます。そりゃ、マネタイズのことは考えるけど、お金について考え過ぎると病むからあくまでもほどほどに。
最近の交友関係見てると、男の方はいい意味でも悪い意味でも現実を生きてないか、社会舐めてるかで競争自体を拒否してる人にいっぱい会う。
実際私も、大学生まで10万円も貯金したことがありませんでした。
http://kabooo.net/archives/cat_1007758.html
貯金は不測の事態で「保険」になるということです。お金に有効期限はないので、急いで使う必要はありません。
大学卒業後20年間に、起こった「貯金という命綱で救われた想定外の出来事」を思い出してみました。
(20-30歳)
①交通事故で半年間リハビリ、私をひき逃げした相手側と裁判、弁護士費用。
②就活で連敗、入社した販売店がブラックで逃走。再就職活動費。
③彼女がマルチ商法にはまり、知人の間でトラブルに巻き込まれる、弁護士費用。
④大失恋一度目、人心を取り戻すのにしばらくかかる。旅費。
⑤再就職先で早期退職制度(リストラ)、転職活動費。大学の奨学金返済が結構きつくなる。
⑥大失恋二度目、人心を取り戻すのにしばらくかかる。旅費。
30-40歳
別の方と結婚すると言われ、人心を取り戻すのにしばらくかかる。旅費、諸費。
⑨老化現象からか、目、歯、鼻、耳、内臓に今までに起きたことのない病気の症状が次々起こる。
体調悪化にともない、メンタルも悪化、うつ症状により通院療養費用。
ふう~以上です。20年間でざっと思い返していて、かなり大きな出費でしたが、心労は幾分とカバーできました。
両親にお金がなかったり、「借金」を頼れる親族や知人がいなかったというのも大きな要因ですが、
ともあれ、なるべく「リスク回避」な性格の私が、20年で起きた予想外の出来事でした。
大学生のころには順風満帆と思っていましたが、やはり困難もトラブルもない人生を歩める人は、ほとんどいないでしょう。
今思い返せば不運なのかもしれませんし、私自身の責任要因もあったかもしれません。
なんとか乗り越え、そのたびに、「不運が不幸」な出来事になる前に、食い止めてくれたのが、こつこつ貯めた「貯金」だったと思います。
大学卒業時から年100万円以上は倹約生活で積み立て、問題発生時には、けちらず一気に事態を収拾する為の費用をねん出できたました。
「貯金って意味なくね?」その意味が分かった時「あの時のお金があれば」ではもう手遅れです。
もし早いうちに気づいて貯金を始め、不測の事態で人生の難を逃れる方がいらっしゃれば幸いです。
追記
夜、見ましたらこんなブックマークがついてましたのでコメントがあった分にご返事させてください。
不運すぎるってコメントがありますが、不運でも人生が不幸になったとは思ってはいません。
30過ぎたあたりから、失ったものや手に入らなかった事より、まだあるものやすでに得たものに感謝して生きて行くようになりました。
あと20代後半からの失恋は、結構ダメージ効きますよ。その度に沖縄旅行に行ってました。青い海と空で現実逃避です。
10代学生の時に阪神大震災で被災しました。それも影響が大きかったですね。もちろん地震保険なんて親は入ってなかったですし。
ともかく20才くらいの時には、人生でこんな大変なことが起こるとは思わなかったですが、40にもなると、同年代でも大病、事故、離婚や破産や失業した時に無一文状態だった知人はかなりいます。保険がきかない事もあるので、預貯金は大切です。トラブル時はすぐ現金化できない不動産や株などの資産ばかりだと大変です。
困った時に助けてくれるのが親友や家族ですが、いなければお金が最後の綱です。
いろいろ苦労もありましたが、現在は嫁さんと小さいながらもお店を経営しております。
この先20年後の60才までには、さらに大変なことが待ち構えてそうですが,,,母親が認知症の疑いがあり、特養(老人ホーム)に落ちました。日本し、、、いやなんでもない。あの定期を解約すればなんとか。
皆さんにも幸あらん事を。
それでも集中して2時間観ていられない。
ADHDというわけではないよ。受験も就職もそつなくこなして今までやってきた。
ただ映画を見ていると、この2時間を実益に繋がらないことに費やしていて大丈夫なんだろうかと思う。
休みの日にのんびり映画を観ることなんて無駄だと馬鹿にするだろう。
そんなくだらない奴らに出し抜かれたら自分の価値観にケチがついたようで不愉快だ。
だからこそ、奴らがちっぽけな自己顕示のため即物的に勉強を重ね年長者を欺こうとしている時に
こんな牧歌的な時間の使い方をしていていいのだろうかと不安になる。
多分正解があるのだとすれば、何事もそつなくこなして、
その上で自分の知識欲を満たすために勉強し、なおかつ余暇の充実も意識してそこんとこ両立させることだろう。
自分の感性に自信をもって、好きなことを時間使っていいのは本当に意識高い人だけなんだよね。
でもそんなこと考えたこともないような無邪気な顔して
小汚い顔をさらにくしゃくしゃにしているオタクみたいな生き方もありなのかな、
なんて時々考えちゃってさ、とうとうやばいとこまで来てるね俺。
イラスト描いたりしててセンスいい人は普通にリア充だなと思うだけなんだけど、
Twitterで仲間とギュフフ的な会話ばっかしてたりニコ動とかに出来が荒い何かをアップしているような奴見たときに
上記のようなもどかしさを感じてしまうんだよな。
例えば外出先からどこかへ行くとかならいいんだよ。学校の教室移動とかも遅れたことないし。
家からがだめなんだよなあ。
時間調べて計画立てて早起きしても、計画の時間になると謎の不快感を感じ現実逃避を始めてしまう。
そして何度も時計を見るんだよ。刻一刻と過ぎていくし、だんだん間に合わなくなるのに支度にノロノロしてしまったり。
なんか頭が混乱してしまう。
早く支度できても、そわそわして玄関から出られなくて家の中うろうろしている。
結局集合時間に家出るとか、その日を諦めて欠席したりやめてしまう。
仕事もギリギリに到着してなんとかなってるけど、焦って移動するから、身だしなみ完璧にして家でても目的地ではボロボロ…
直さなきゃとはずっと思ってる。少しずつ遅刻へってはいるけどやっぱりギリギリ。
人として終わってる…信用失ってるのわかってて辛いのにこうなる
このまま今の会社で働き続けても将来に明るい展望はないって分かっているんだけど、
かといって今よりもよい環境に転職できる能力が自分にはなさそうだと自覚していて、
数十年の人生を振り返って考えてみると、進学や就職などの節目でほとんど努力せず
そのときの自分の実力で無理のないところへ進んできたことが今の状況を作っていると思う。
真剣に取り組めば将来にプラスになるってことは分かってるのに、想像力が足りないのか
自制心がゼロなのかで、その時々で夢中になってる娯楽(主にマンガ、ゲーム、小説)で
現実逃避し続けてる。
そんな感じで平々凡々だから、"人類の歴史にその足跡を刻む!!"なんてことがこれから先も
ないであろうことは分かりきってるんだけど、もし自分が存在しなかったら
生まれた時、純粋無垢な赤子であった我々人間は、地球と、今の時代という環境に向き合わないといけない状況から、そこで1世紀弱行きなくてはならない。
ただ、この2016年、混沌とした時代に、本来持つべき人間の姿を忘れざるをえないまま、育っていくのだ。
それは「赤子」の姿である。
誰もが赤子を経験し、そこでそれぞれの環境で育ち、人は形成される。
成長とともに形を変えていく。
おそらく、そういう人間がいないから、言い換えれば、記憶や経験が邪魔した大人という生き物が、競争や、犯罪や、エゴを生み、混沌とした世界を作り出しているのは間違いない。
人間らしく生きられないのは、ただただ忘れてしまっているんだよ。
いや、持っていた。
それを呼び戻すことは出来ないんだろうか。
その感覚こそが人間の本質であり、誰しもが同じ体感を得るはず。
それは、万人受けするものなのか。
この考えは、ただの現実逃避なのか。
ただ、この文章から誰かしら共感を得る人間がいたら、本来の人間らしさを忘れきっていない、人間であろうと思う。
その2へ続く