はてなキーワード: 現実逃避とは
・8時半集合に対して両日とも相方が遅刻してきた(自分はちゃんと起きて待ってた)
・ネットプリントでポスター(A3サイズ)作ってきたら2日目に相方が真似してポスター作ってきたけどいざコンビニで印刷したらL判
・季節柄、ハロウィンモチーフのグッズがよく売れたのだけど2日目に相方が真似して私の絵を丸パクリしたグッズを作ってきた
・↑しかも色抜けはみ出し構図なにをとっても普段よりもひどい(そりゃあ一夜漬けの突貫工事じゃなあ…)
・ていうか一晩で一枚絵上げられるなら他のグッズの締切落としてんじゃねーよクズ
・私の出展物に対して相方の出展物が全く売れないことに対して、相方、言い訳という名の現実逃避をひたすらし始めた
・そんな中相方、「昨年の画風のほうが良かった」と言われて2日目にはその昨年の画風で作った作品を何点か持ち込み。とにかく媚び売ってるようにしか見えなくて、自分の好みの画風とか自分の方向性は大事にしないのかなと思った。
・ブースに来る人の「相方の知り合い率」がめちゃくちゃ高い(顔広いなぁ。羨ましい。私、蚊帳の外w)
・↑そんな中、身内票が入りまくる相方の販売物vs身内が全く来ない私の販売物がほぼ同数(むしろ、私のほうがちょっと多いくらい)売れたのでちょっと勝った気になってる。
……うーん。後日反省会を開く予定はしているのだけどどこから突っ込めばいいだろうか。
これ全部言ったらただの嫌味だしなぁ。あーやだやだ。
春から京急沿線に引っ越して京急は生活にはなくてはならないものとなっている
鉄オタではないので語るのは肩身が狭いが京急好きだ
そこでひょいと京急に乗れば蒲田で乗り換えるけどまあほぼ一本という感覚で簡単に羽田に着くのである
駅着いて空港まで長い距離を歩く必要もない 長いエスカレーター上がればセブンが見えて、広大な国際線ターミナルとなる
日常の京急が、同時にその非日常まで連れて行ってくれるという現実が、リアルなのにあべこべで、そのあべこべさに興奮する
空港に近づくにつれ、地下の駅が多くなり、停車駅も多くなる。まだ空港に着かないの!じれったい!そのじれったさも、好きなのだ。
バスでも空港に行ける。車でも行ける。しかし、あの暗い雰囲気と、妙にピカピカの駅名表示を持つ空港線の各駅を見ながら、羽田に向かうのが好き。
ええか、自分が性転換してイケメンや美女になれると思ったら大間違いだからな。
よく考えてみろ。
お前が不思議な力で性転換したとしてもな
なんでそんなに巨乳になれると思ってる。
なんでそんなにすらっとした長身になれると思うんだ。
元々の性別でもフラストレーションやコンプレックスを抱えているやつなんてわんさかいる。
自分を美女だと思い込んでるブスや、ポテンシャルはあると思い込んでるキョロ充チャラ男ばかりだろうが。
いいか。
性転換したらこうなるだなんて思うな。
そんな妄言をSNSで垂れ流すな。ましてやリアルで直接言ってくるな気持ち悪い。
お前は今日何をした?何が昨日と変わった。
うん。そうだな。
本の一冊や二冊読んで大人になるんだ。
お前が見下している底辺とやらやらやパチカスとやらと全く変わらんぞ。
君の名は。やらシン・ゴジラやら何かと震災と絡めたレビューが見られるし製作者も意図している
確かにあの震災は大きな規模だったし、未だに傷跡を残している。
しかし、俺らの前には未だにブラック企業がのさばっているし、役人の不正もなくならないし
子供は減る一方だし、地方はどんどん過疎化するし、都心はラッシュで痴漢に飛び込みも無くならないし、
芸能人は不倫するし、昭和の名優は死ぬし、台風は来るし、野菜は高いし、うなぎは絶滅しかけてるし、
若者は馬鹿だし、大人はずるいし、老人は面倒だし、男は傲慢だし、女はヒステリックだし、
ネットは殺伐としてるし、基地外が人をいっぱい殺すし、あの国はミサイルをぶっ放す。
メディアもインテリも政治家も、震災をダシにそれまでと同じやり方で金を手にするだけだ。
いつからか人々が抱えている閉塞感や断絶感は何も解消されていなくて、むしろ喧嘩の火種が増えたくらいだ。
なのになぜ、人々の意識や、目の前に広がる風景、生活が変わったように吹聴する?
震災なんて20後半から上の人は阪神淡路を見てるだろ。もんじゅだって同じ頃に事故ってる。
なのになぜ、全国民が共通してこれまでに無い経験をしたかのように思いたがる?
今の日本の状況は、もうずっとあらゆる面で同じ下降線で、
震災は通過点にすぎなかった。
バブル崩壊や、あるいはあの戦争のような、国の運命を変える分岐点なんかじゃなかった。
この国で繰り返される災害で、繰り返される失敗というだけだった。ありきたりの鬱展開だった。
大変動やサードインパクトじゃなかった。ポストアポカリプスにはならなかった。結局日常系に収斂されてしまった。
あの震災がかように特別な非日常的事件、時代の分水嶺のように語られるのは、
あの時この国のシナリオが、或いは自分の人生のシナリオが劇的に変わるんじゃないかと感じた幻想を忘れられなくて、
一方で目の前の辛い、過去からずっと続く苦しい現実を忘れたくて、甘い夢を見る現実逃避に過ぎないじゃないか。
もうそろそろこの過大評価をやめにして、目の前の問題に地道に取り組んでいかなければ、
70年前のような本当の災いがこの国を襲うことは免れ得ないだろう。
もちろんまだ4歳なので、自分で投函したわけではなく、母親(私の妹)がわざわざ代わりに送ってくれた。
4歳でもう手紙という発想があるのか~。最初はただ純粋に感心していた。
しかしこれが男の子だったら、手紙を書くという行動とはどうしても結びつかない。
そういえば自分の子どもの頃を思い出してみても、手紙をやり取りしているのは女子に限られていた。
かわいい文字にちょっとしたイラスト、そんなものが書き連ねられた便箋だかノートの切れ端だかが、(ほとんど女子的繊細さをアピールするためだけにそうしているのではないかと疑うほど)趣味良く折られ、
これぞ女子的技量とセンスの結集とばかりに授業中の教室を舞っている。
そんな光景を思い出した。
そしてそれは教室を舞いながら、その中身を知ることのできないその他大勢へ無言の威圧を放っていた。
(実際、中に重要なことが書かれていることは少なく、ほとんどそういう機能だけのものなのかも知れなかった)
何を間違ったか、そんなものが私のもとに届いたとき、私は戸惑った。
まず、手紙の内容があまりに他愛のないものであること。わざわざそれを手紙に書く意図がわからない。
そして相手はいったいどんな応答を私に求めているのだろう。全くわからない。
次に襲ってくるのは、同レベルの女子力でもってこれを打ち返さねばというプレッシャー。
こんな一画一画を意識して書いたような文字、書けない。きれいに折る自信もない。
それらが私を戸惑わせた。
全力で“女子”を模倣し、なんとか打ち返した後には、消耗と、これで正解だったのだろうかという迷いと、たかだか手紙一つに翻弄されていることへの自己嫌悪が残った。
本来の私なんて、調理実習で作ったカレーをいち早く食べ終え、手持無沙汰な中、頭をぼーっとさせていたら、
「そんなに見つめられたら食べにくい」と、偶然目の前にいた武藤さんに告げられてしまうような、そんな人生だ。
(自覚のない食欲が私にそうさせていたらしい)
そんな自分と、周りの女子との落差がありありと甦り、そしてそれと同じことが4歳の女の子の手紙によって突きつけられている。
そんな女子的なムードを醸し出したり読んだりすることから全くかけ離れた血筋らしかった。
その子の母である妹自身も、「私もあの感じないわぁ~」と言っていた。
また、妹の旦那さんのお母さんにしたって、カラッとサッパリした印象で、微細な女子のムードとはまた違ったタイプの人だ。
「見ているアニメの影響かもなぁ~」と妹は言うけど、アニメの影響だけであれほどのものが発揮できるとは思えない。
やはり、私からしたら充分女子力高めの妹由来ではないかと思う。
いずれしても、彼女が発揮するそれを前にして、私はこう思わざるをえなかった。
女子力というのは、アニメや周囲の女性などの外的な影響から独立し、彼女が望むと望まざるとに関わらず、存在するのではないかと。
そして今になって、私はやっぱり生まれ持って女子力の何割かが欠けているタイプだったんだな再認識させられた。(どうりでやりづらい半生だった)
よくネット上でもフェミがどうとか男女の話題があるけど、本人の意向とは関係なく、生理があり、月経周期ごとの体とメンタルの波があり、女子力があるんだなと思う。
(もちろん個人差のあることで、何割かの女子力が欠けた私がその証拠だ)
どんなに性差を均そうとしても、生まれ持って備わってるものは無視することはできないし、(よほど本人がホルモン療法を望まない限り)コントロールできないだろうと思う。
それを踏まえた上で、女性であることの不自由や、女子力が欠けていることによる不自由や、その他男女問わず、性に囚われる不自由、そしてその不自由の由来や責任の果てしない押し付け合いもいつか克服できたらいいのにな、などと無理やりスケールを引き伸ばし、焦点をぼかすことで現実逃避をしてもみるが、しかし実際のところ、私の問題は、この歳になってもまだそれへの恐怖を克服できていないことだ。そして4歳の女の子にそれを突き付けられたことだ。
別のシチュエーションだったら、あーめんどくせー、女めんどくせーで済ませて回避することもできるけど、今回はそうはいかない。
学校がからもらったプリントは机の上に平積みにで、たまりまくって机から溢れて床に落ちてても知らんぷり。たまにしか必要のない美術の教科書などは学校から定期試験前に持ってくるように言われるのですが、どこにあるか分からず前日に大慌てで探したことがしばしば。
定期試験勉強中は現実逃避から掃除がしたくなり(苦笑)、ちょっとやって試験が終わってから続きをやろうと思うものの、試験が終わったらプレッシャーからの解放で掃除せずにそのまま。
毎年春、学年が上がってそれまでの勉強道具が必要なくなったときにあまり確認せずに一気に捨ててました。そのせいで日記など当時の自分を知る貴重なデータが残っておらず、今になればとても悲しい状況です。。。
20代になって初めて一人暮らしをし、掃除に対する意識が変わりました。
最初の頃は、部屋にそれほどものがなく掃除する必要もなかったわけですが、今まで家族と住んでいた時間から急に一人暮らしになると、それまで家族がいたせいで食事の時間を合わせたり風呂の順番待ちなどに時間が取られることがなくなり、かなり時間に余裕ができたため、「暇つぶし」として掃除をするようになりました。
リビングは、週1で床や家具をコロコロしたり、掃除機をかけるようになりました。エアコンは3か月ごとにフィルターを掃除機にかけ、半年ごとにエアコンの中身を専用のスプレーで洗浄するようになりました。
また、実家にいた当時は全く意識になかったトイレや風呂場といった水回りを掃除することを覚えました。水回りって放っておくと一気に汚くなります。それをいかに抑えるか、掃除の回数や掃除方法だけでなく、普段の水回りの運用も考えていかなければなりません。
私がそのとき思いつき、現在もしている水回り対処法は次のような感じです。
<風呂場>
<トイレ>
どちらも定期的に行うように習慣付けられるまでは時間がかかりましたが、習慣になればこっちのものです。掃除している人からすれば当たり前のことでしょうが、定期実行が掃除の1つの要です。
その後、とある中小企業で事務系のバイトをしました。毎日朝礼があって選ばれた人が自分の好きなテーマでプレゼンするのですが、その会社の社長は儒教的な考え方の持ち主でいろいろと教わりました。
その中でも次の言葉が印象的でした。
人は精神状態が落ちていくと身の回りのことに力を注ぐことができません。掃除ができなくなっていくのは自分の精神がダメになっていくということだそうです。逆に考えれば、普段から掃除をしている人は精神の衛生状態がよく、向上心をつけることができるということでした。(その会社ではそれを実践するために、毎朝朝礼の前に掃除時間が設けられていました)
私はこの言葉に感銘を受け、掃除は怠ってはならないと決心しました。
まとめると次のようになります。
<掃除の基本>
新海誠最新作「君の名は。」はざっくりネタバレしてしまえば「歴史改変して死んだはずの女をよみがえらせる話」だった
まあ死人を蘇らせることを肯定的に描くか否定的に描くかは作家の自由だ
しかし、新海誠は前々作「星を追う子ども」では最終的にそれを否定していなかったか?
「星を追う子ども」はおっさんが主人公の女の子を依代に自分の死んだ妻をよみがえらせようとするが失敗する話だ。
結局死人は蘇らないし、人は喪失を抱えて生きるべきだという作品だ。
作品としてはジブリとエヴァを強引に混ぜ込んでゲド戦記(アニメ)で割ったような出来だったが
ちょうど3・11のタイミングで公開され、震災に対して図らずも一つの回答になっていると感じた。
だのに「君の名は。」ではそれをひっくり返すように、村丸ごとの死をなかったことにしてしまう。
代償として記憶の喪失があるが、最終的に再び巡りあうのでほぼノーリスクである。
新海監督にとって「星を追う子ども」のテーマはどうでもよいものだったのだろうか。
そりゃ監督も人間だから心変わりがあったのかもしれないが、震災を経て死人が蘇るというのをなぜ肯定的に描けるのか。
そんなのは只の願望である。虚妄である。アニメは確かに嘘っぱちだが、
決して麻薬のように現実逃避のために消費されるものであってはならない。
新海誠作品はそりゃあ内向的で童貞臭くてそれが気に入らないという人もいただろうが、
辛いことにちゃんと向き合った上で生きていこうという決意が常に在り、それこそが作家性ではなかったか。
もしもそれを今回やらないことで、辛いことから目を背けてハッピーな映画を作ることで、
今すぐにでも辞めたい。はっきりいって仕事は全然楽しくないし、休みも少ないし、有給休暇も一切取れないみたいだし。ブラックという訳じゃないとは思うけど、やっぱりあの体育会系の感じが凄く嫌だ。まあアパレルだから体育会系はしかたないと思ってたが、こんなに嫌になるとは思ってなかった。学生時代はずっとスポーツしてきて、練習とかくそしんどいし、顧問の先生も体育会系でめちゃめちゃ怒る人だった、それでもスポーツが好きだったからずっと続けていけたし、根性は他の人に比べてあると思ってた。だから今の会社が体育会系っていうのはわかってたけど、何とかなると思ってた。
でも実際入ってみたら、しんどいだけで全然楽しくないし、ノルマもきついし、休み明けが嫌すぎてしょうがない。部活と仕事を比べるのも変かもしれないけど、部活は好きな事だったし、しんどいかわりに楽しい時もあったからやってこれたと思う。今の仕事は本当に楽しいことはないから、ただただしんどいだけだ。
話は変わるけど今自分にはやってみたいことがある。学生の時から思ってたけど。英語を勉強して海外で働いてみたい。何の仕事がしたいかとか、なんでとか聞かれると大した理由もないけど、英語を使っての授業とか、外人に道を説明するときってなんでかわからないけど、自分を表現できる。日本語だと引っ込み思案な性格もあったりして、全然自分を出せないのに、英語だと凄く自分を出しやすい。(ほとんど単語とかでしか話せないけど)そういうこともあるから、やりたいことがあるのに毎日楽しくない仕事をやって精神すりへらしているのが本当にもったいないって思う。こういう事考えてるのって現実逃避なのか、ゆとりの考えなのか、でも今やりたいことやらないで、いつやるの?って自分に問いかけてる
ワンピース好きのDQNはアニメオタクを見下していた。アニメオタクだけはワンピース好きのDQNである自分より下でなければいけなかった。そして、ワンピース好きのDQNの代わりにいじめられるべきだと考えていた。
ワンピース好きのDQNは、極端に自分がマイノリティになることにおびえていた。自分はマジョリティ側の人間であり、自分の考えは常識であり、そのことをアピールしたかった。常にそうしていないといつ周りから白い目で見られるのかわからなくて怖かった。周りの目気にしすぎて自縄自縛になりそのストレスで自分より弱いと思い込んでいるアニメアイコンをさげすむようになった。
ワンピース好きのDQNが言うには、ワンピースは現実的なテーマを取り扱っているから許されるがアニメオタクは幼稚で現実逃避をしているから許されないという謎の理屈を述べていた。このように、このワンピース好きのDQNはとにかくアニメオタクを見下したくてしょうがないようだった。
いじめに怯えて一番過激に弱者をいじめる人の話があるが、このワンピース好きのDQNはまさにそんな感じなのだ。ほかの一般人らしい人がドン引きするほど、一生懸命アニメオタクのキモさや現実の見えてなさを語った。
また、このワンピース好きのDQNは誰も聞いてもいないのにアニメオタクに向かってワンピースの素晴らしさを語りだした。絶対に一般人にはこういう話できないんだろう。アニメオタクを馬鹿にしているからこそ饒舌になったのだろう。、仲間か自分より下とみなしてる人相手の時だけ饒舌になっていった。
ワンピースにもアニメにも興味のない一般人から見ると、どちらも同じくらい気持ち悪いと感じたようだった。
ワンピース好きのDQNは「僕はオタクだけど常識を持っていて現実認識があります」というのをアピールしたくてたまらないようだった。だから僕はいじめられないんだと。 そういうウソを信じるために、どうしても気持ち悪いからいじめられても仕方ないアニメオタクという存在が絶対に必要だったのだろうってことが透けて見えてきた。このワンピース好きのDQNが一生懸命語れば語るほど、周りの人はこのワンピース好きのDQNは現実逃避してるなと感じるのだった。
当然だが彼のイメージは嘘まみれでツッコミどころ満載だ。最初は筋道だてて話してるつもりだったようだが、しゃべればしゃべるほどぼろが出てきて、たくさん突っ込まれてにっちもさっちもいかなくなったら「俺はともかく世間は許さないぞ!それが常識だ!もっと周りの目を気にしろ」という典型的な太宰メソッドで話はじめた。 ついには、「俺がアニメオタクは気持ち悪いと言ったらとにかくアニメオタクは気持ち悪いんだ。アニメオタクはみんな現実が見えてないやつなんだ」とわめきだした。もう理屈もクソもない。単なる駄々っ子である。
周りの人間は「おいワンピース好きのDQNよ、成熟していて現実が見えている」はずの大人の態度はどうした、と思いながら彼の奇行を眺めていた。 ワンピース好きのDQNはずっと周りの目線を気にしているといっていたが実際は何も見えていなかった。 この人はあくまで内在化した自分の脳内にしかない視線しか気にしない。実際に周りがどう見ているかなど全く気にならなかったのだろう。それはみじめなものだった。
最初はワンピース好きのDQNの話を聞きながらイライラしていたアニメオタクだったが、だんだん哀れに思えてきた。多分それだけずっと周りの目を気にして来て、その目線に合わせることばかり考えてきたのだろう。もう自分でもその周りからの目線に立ち向かおうだとか、そこから離れようということができなくなってしまったのだろう。自分を曲げてでもその目線に合わせることに必死で、ついにはおかしくなってしまったように思えた。
結局誰もワンピース好きのDQNの話をまともに聞く気がなくなり、適当に相槌だけ打つようになると、ワンピース好きのDQNは満足して好きなだけしゃべり、そしてさっと帰っていった。残った人たちは「あいつはもうだめだな」「どうしてこうなるまで放っておいたんだ」とため息をついたのだった。
そうだと思うよ。あまりにうるさく言われるものだから、認識がずれちゃってるんだな。
そもそも、少子化の原因は結婚数が減ったからで、それは無理に結婚しなくてもよくなったからだ。
女が社会進出すれば男に頼らず生きていける。男だって独身で不都合がなければ女を食わせる必要はない。
もし、少子化が絶対悪で、他の何を犠牲にしてでも解決すべき問題なら、簡単な話だ。
今すぐ女の雇用を引っぺがして、男にも圧力をかけて、結婚が当たり前だった時代に戻してやればいい。
もちろん、こんなのは現実的ではない。主張する人がいないわけじゃないが、広く支持を得るのは無理だ。
つまり、少子化対策の優先度は現状、あくまで個人の自由より低いものでしかない。
ずいぶん前にどこぞのイタリア人が言ってたが、それは少子化のせいにしておけば楽だからだろう。
内需が先細りして景気に悪影響があるだの、企業が傾くだの、大学が潰れるだの、
介護の担い手がいなくなるだの、いろんな問題をひとっところにまとめてしまえる。
そりゃ、少子化がそれらにいい影響を与えることはないだろう。
しかし、もっと大きな要素がある。不景気になったのは金融政策が適切でなかったからだ。
メーカーが傾いたのも少子化以前の問題で、海外メーカーと大して変わらん品質の割に、
介護が人不足なのは責任の割に収入が低いからで、それは元々無償労働だった時代を引きずってるからだ。
大学にしても、4年も通ってまともな就職先がないなら、潰れたってしょうがないだろ。
けど、それを回避するために、果たして何をしたらよかったのかはわからない。
何より、これからどう解決すればいいのかについても、意見がバラバラだ。
そんな時でも、とにかく少子化が悪い、今の若い世代が子供を産まないせいだーって言っときゃ、
とりあえず一致団結できるわけだ。
気休めなんだよ。要するにね。
目を瞑り、温度を冷たくない程度に下げてシャワーに打たれる。背中に流れる水が胸椎の丸みを伝って腰の凹みを飛び越え、真後ろの風呂のタイルにまとまって落ち、びちゃびちゃとうるさい。均一に水が流れ落ちる音の中に異質なものが混じっているようで少し気になったが、姿勢を変えたくなくて、そのまま水音に聴き入る。
そわそわと落ち着かないような気がしている。今日一日、順調に過ごすことができたと思っている。何が良くないのかと思いを巡らせるも、心当たるものは特にない。多少なり「今日はよくやった」と満足してもいいはずなのに、実際はそうはなっていない。
最近珍しく本を読んでいる。何がきっかけだったかは分からない。本は読まない人間だ。全く読まないというわけでもなかったが、読むときは大体、突然何かに強いられるように他のやるべきことの時間を潰して読んでいた。現実逃避していただけだと思っている。習慣でも趣味でもない。
これが原因だろうかと思い、目を開け、顔をあげると、シャワーヘッドがこちらを見ていた。「俺を見ていたのか」と思ってもう一度よく見ると、シャワーヘッドはただぬるま湯を吐き出しているだけだった。
○夕食:海老フライ定食(ご飯、みそ汁、ミニ野菜サラダ、海老フライ)、コーヒー
○調子
むきゅー!
まあ、若干、本当に若干だけど、タイムカード押した後が気になって上の空だったことは否定しきれない。
○夕飯を女性と食べた
待ち合わせ場所にうろ覚えなシュークリーム屋を指定され若干焦るも、特に問題なく合流できた。
何を食べるかについては、向こうが決めていてくれたので、すぐにお店に向かった。
あまりにも地域的にベタな選択だが、大学ぐらいからずっと通ってるわりに、海老フライを食べたのは初めてな気がする。
その後、互いの仕事の近況の話をして彼女の仕事が無事終わった、というか無事逃げ切れたことを祝ったり、
ラインでサポートしたことにお礼を言ってもらったりといった、挨拶程度の会話をしつつ、ご飯を食べた。
一応、この食事のキッカケは、その「ラインでコーディングのサポートをしてくれたことへの、彼女から僕へのお礼」で、
彼女がそれを重く捉えているとやだなあ、と思ったので、
知っていることを深く調査せずに教えただけで時間もかかってないから問題ない、ことや
人売り会社とはいえ同じ会社の社員同士なのだから気にしなくてもいい、ことや
もし僕が分からない事があったときは教えて欲しい、特に僕が知らないネットワーク構築とかサーバー環境構築とかの話は詳しいらしいから、そのときはアドバイスを求めるかもしれなことなどを、
適当に軽いノリで伝えておいた。
その後、ご飯を食べ終えたあとは、IT業界あるあるで盛り上がった。
特にFさんには色々と思う所があるらしく、次から次へと色々な話が聞けた。
かくいう僕もFさんには思う所が山ほどあるので、お互いに凄く喋った。
結局、今後の仕事のこととか、どういう勉強をするべきかみたいな真面目な話に派生していったり、
その後、解散して、お互いに別の電車に乗ったあとで、
彼女はまだ話足りなかったらしく、さっきは話せなかった、仕事の話題じゃない話題、
特に彼女が好きな少女漫画やアニメの話題を、ラインのメッセージ機能でやり取りした。
で、その流れで僕が「おおきく振りかぶって」を阿部が復帰するかしないかぐらいまでしか読んでないことを伝えると、
それと「マギ」の話がしたいから、アニメか漫画のどっちかを見といて欲しい、と言われた。
彼女が来週から行く新しい仕事場に慣れたら連絡してくれるらしいが、
らしいが、
「でも私からだけじゃなくて、増田さんからも連絡ください(顔が赤くなってる絵文字)」ということらしい。
検事がミツルギってのもあるから早く裁判パートに行きたいけど、
え? ゲームで現実逃避するなって? いや、ゲームで現実逃避することを、ひたすらに書いてきたじゃないですか、今更そんなこと言わないでくださいよ……
まず、前提として行っておかなければならないが、当然オタクにも中道や左派は存在する。しかし何故オタク=ネトウヨというイメージが一部に根強く存在するのか?
次に、オタクと言っても色んな分野のオタクがあるが、このうち「軍事オタク」「鉄道オタク」「歴史オタク」「将棋オタク」「音楽オタク」といった現実に存在する物事に対するオタクは、左右中道まんべんなく存在し、政治的偏りはあまりないように見える。現実に存在するものについて詳しくなるには、当然に一定の教養というものが必要であり、また現実の問題について詳しく調べてゆく過程で実社会について一定の教養が身に付くからである。
「オタク=ネトウヨ」のイメージに最も合うのはいわゆる「アニオタ」だ。
アニメの優れたものは確かに芸術的価値があるし、感動する。しかし、下らないアニメはありもしない架空の世界で現実逃避するようなものも多い。
特にネトウヨ的言動をしている者はアニメアイコンの中でも、美少女が多い。
俺もアニメの美少女には萌える。男の性欲を刺激するのに特化したのがアニメの美少女だろう。だが俺はアイコンをアニメの美少女にしたいとは思わん。
なぜなら、自分が美少女でもないのにアイコンを美少女にするのは欺瞞であり、非常に恥ずかしいことだからだ。
「俺は実際にはキモいデブの中年だが、美少女のようにチヤホヤされたい、可愛がられたい」
であり、
その裏返しとして、無意識のうちに
という欲望があるのだ。
これはつまり、弱き者は強き者に身を捧げてこそ存在価値がある。→個人は組織に身を捧げよ、国民は偉大なる国家に身を捧げよ、という国家主義、(本当の意味での保守思想とは異なる)ネトウヨ思想につながるのは明白である。
アニメ美少女アイコンであってもネトウヨでない人は、己の欲望を自覚しつつも理性によってそれをちゃんと統御している人なのだと思う。
日曜、14時頃に起きて、投票行かなきゃなー着替えなきゃなーと思いながらも、借りたNARUTOが面白くてつい読んでしまう。
19時半、ようやく着替えて投票所に向かう、投票所のレイアウトがいつもと違ってちょっと混乱した。
その後、月曜の通勤に使うので金曜に出先の駐輪場に停めてた自転車を回収しに電車で5駅ほど移動。
ああ、早く帰って選挙速報を見ながらビールを飲んでNARUTOの続きが読みたい。
自転車を回収して家に向かう途中、道を間違えたことに気付いてUターンしたときにザリィ……!という不穏な音を残して自転車がパンクした。
「今日は厄日かしらね……」とカッコつけてつぶやいてみたけど、大蛇丸がチラついてカッコつかない。
しょうがないので自転車を押して歩く、日は沈んでるのに絡みつくような熱気であっという間に汗だくヌルベチョリーナ。
テマリさんに扇いでもらいたいけど、実際頼むとかまいたちで細切れにされそうだなーなどと考えて現実逃避を試みる。
ポタポタ汗を落としながら30分ほど歩いて、このまま押して帰るとさらに1時間ぐらいかかりそうだったけど、時間が時間なので自転車を修理してくれる店も開いていない。
仕方ないので翌日の自転車通勤は諦めて、仕事帰りに寄れそうな自転車屋が近くにある駅の駐輪場を探して、そこに自転車を停めて電車で帰ることにした。
自転車を停めて駅に行ったら電車が目の前で出発。次の電車まで20分。ホームで買った500mlの水がその場で消えた。
家に帰る前にスーパーに寄って夕飯を調達。アユの塩焼きが割引されてて3匹で200円だった。うれしい。
予定から1時間以上遅れてヌルネトベチョリーナ帰宅、建造していたNARUTOタワーが崩壊していて、次が何巻だったかわからなくなってたけどめげない。本が傷んでなくて一安心。
テレビをつけて選挙速報をチェック、すでに自分の選挙区は大方の予想通りな結果が出ていてつまらないので、幸福実現党の候補に何票入るかを楽しみにすることにする。
買ってきた温泉卵を袋から冷蔵庫に移そうとしたらぶつけて割れた。同時に持ってたなめ茸のビンを足に落として小指を痛打した。
おきゅうとが何かわからないまま買ったけど、見た目からして多分根性のない海鮮コンニャクだろうと思って味見したら大体あってたのでウキウキポーズで喜んでたら包丁落として足切った。
コロッケを温めようとしたら、皿のすべりがよくてコロッケが取り残されて宙を舞った。アユをレンジで軽く温めたら爆発した。
ゴミ箱の中で何かがひっかかって開かなくなって、無理やり開けようとしたら全部ひっくり返ってゴミが散乱し、ぶつかった勢いで後ろに置いてたコロッケが再度宙を舞った。
半泣きになりながら買ってきたおかず3品を並べてようやく夕食。
ええい当選者はいい、はやく落選者を映せこのウスラトンカチ!と思いながら腰を下ろしてプルタブを起こした缶ビールは、よく振れていた。