はてなキーワード: 核兵器とは
(『本書の概要』で述べるとおり専門的すぎるため省略)
●『人口過剰』
p.176 人格影響説…非同一性問題→非人格的総計説、非人格的平均説…新たな理論Xを求める。
p.181 非人格的総計説は…とにかく人間を増やすべきだという「いとわしい結論」と、まだ存在しない人間を対象とする誤った前提を否定できる。ただし、人口のサイズに対するガイドラインはなくなる。非人格的平均説は…人間の出生に条件を付ける「単純な追加の問題」を否定できる。…非人格説は幸福の最大の総量/平均値ではなく、不幸の最小の総量/平均値を目指すべきだ。よって、理想的な人口はゼロだ。
●『段階的絶滅』
p.191 高齢化。とくに一部が「最後の人類」となることはQOLを大幅に低下させる。
p.194 現存の人々のQOLを良くするために新たに生命を作ってもよいか。また、その条件は。
p.195 総計的人格影響説、平均的人格影響説…不幸から見た場合、平均説は明らかに誤り(QOLが悪い人生が60億あるより、120億ある方が悪い)。総計説なら部分的に許される。
p.198 平均説・総計説とも功利主義に対するのと同じ批判を受けうる。→権利・義務論:厳格な説ならすべての子作りは許されない。厳格でない説なら部分的に許される。
●『絶滅』
p.202 小惑星の衝突といった外的な脅威、持続不可能な消費、環境破壊、疫病、核兵器、生物兵器。
p.204 ①皆殺し②「最後の人類」への害悪③人間がいないという状態…①は明らかに悪い。②は最後の世代の方が、最後から2番目の世代より、未来への願望・欲望が絶たれるという点で害悪が大きい。ただし、これは絶滅が早いほどにいいという議論と矛盾しない。③道徳的主体や理性的思考者がいなくなり、多様性もなくなる。それらの受益者はいないし、「永遠の相のもとで」価値があるか不明だ。
○第7章『結論』
p.210 「道徳台帳」という功利主義の理論を退けるピーター・シンガー。「失望主義(反失望主義」を退けるニルス・ホルタッグ。
p.211 そもそも反直観的だというのは判断材料として有力ではない。…この結論(反出生主義)が反直観的という理由で否定し、背理法的に非対称性を退ける。…快楽の不在は悪で、苦痛の不在は「悪くはない」と見做すことはできない。さらに、支配的な直観は①他人に害悪を与えることを子作りに限って度外視している、②出産を奨励する直観は心理学的に歪められている、という問題がある。
p.214 背理法的に非対称性を論じることができると見做せば、我々より悪い人生を送る人々に、我々の直観を同様に反直観的と非難されることになる。
●『楽観主義者への応答』
p.215 楽観/悲観主義には事実、価値判断の2つについてがある。無論、反出生主義はどちらも悲観主義だ。
p.216 反出生主義の楽観主義的転回=避けられない絶滅を良いことだと考える。他の人々にとっては悲観主義的だ。
p.217 楽観主義者は悲観主義を苛立たしく思い、非難する。出生は「覆水盆に返らず」で、自分を憐れまず、いかに自分が恵まれているか考え、人生をフル活用し、喜びを感じ、前向きに考えなければならない…①人を元気付けるというだけでは正当とは言えない。②自己を憐れむことなく自らの存在を悔やむことはできる。何より、反出生主義はまだ生まれてこない子供のためのもので利他的だ。盆からこぼれてもいなければ、こぼれる必要もない。③自分の人生に満足すべきだという意味を読みとって「いかに自分が恵まれているか考える」ことは、自分に都合のいいように解釈することを必然的に伴い、そうしろという命令には全く説得力がない。反出生主義は苦痛の拡散をせず、なおかつ自分の人生をより悪くなくすことができる。④楽観主義は苦痛に対する妥当な否定ではなく、ただの無関心でしかない。明るい方向がつねに正しいというのは、ただの無根拠なイデオロギーだ。自己欺瞞を回避できれば、集中して取り組まなければならないのは、おおむね希望より逆境だ。彼らは幸せかもしれないが、だからといって正しいわけではない。
●『死と自殺』
p.220 存在してしまうということはつねに害悪だという見解は、死が存在しつづけるより良いということや、自殺がつねに望ましいということを意味しない。存在するものは存在しつづけることに様々な利害関心を持ちえて、人生を続けるに値しないほどの害悪は、それらの利害関心を無効化するほどでなければならない。
p.221 実際、存在することの害悪の大きな1つは死ぬこと(不死ではないこと)だ。
p.221 エピキュリアン:死は死ぬものにとって悪くない。死が来た時点でその主体は存在せず、よって死は経験できない。…①すべての条件が同じなら、長い人生は短い人生よりいい。②死んだ人間の願いは尊重すべきだ(もし死は害悪でないのなら、死後生じることで害悪ないことはない)。何より、③殺人はその犠牲者を害するという直観に反する。
p.222 ①存在することが害悪だと考えるひとさえ、同意なくその人を殺すのはその人を不当に扱っていると考える。②予防原則:エピキュリアンの見解が間違っていた場合、深刻な害悪がもたらされるが、反出生主義が間違っていても、害悪がもたらされることはない。
p.223 生前の非存在と死後の非存在は非対称的だ。人に歴史は個人の歴史から構成される。
p.223 「生前の」人物から奪うというのは…害されるのが「生前の」人物なら過去への因果関係が生じているという議論…死が害する瞬間は「つねに」または「永遠に」だ(例:「最後から2番目の大統領」は「つねに」、「永遠に」そうだ)。…デイヴィッド・スーツ「それは「純粋に関係的な」点において惨めであるということで、彼が害されているということは言えない」。
p.225 ともあれ、反出生主義はエピキュリアンを意味しない。エピキュリアン:死は害でも益でもない。→エピキュリアンの見解を退けるとすれば①死はつねに害悪である。②つねに利益である。③害悪である場合も利益である場合もある。…①②は明らかに間違い。反出生主義は③で、QOLの評価と、それが存在しつづけるのをやめるべきときの基準は、自己決定の原理によるべきだ。しかし、一般的な見解より合理的な自殺に寛容なことは確かだ。実際、西洋の文化のほとんどを含む多くの文化に合理的な自殺への大きな偏見がある。
p.228 一旦、誰かが存在してしまい、その人への愛着が形成されると、自殺は苦痛を引き起こす。せいぜい子供のいない人生の苦痛を比較することで和らげるだけだ。さらに、周辺の人への害が増えることがあり得る。
p.229 旧約聖書でヨブは生れてきたことを悔い、エレミヤはさらに堕胎してくれなかったことを恨んでいる。タルムードはヒレル主義とシャマイ主義の論争で、人類は作られない方が良かったという後者に軍配を上げている。
p.231 反出生主義は人間好きによるものだ。しかし、人類は自分からは絶滅せず、多数の苦痛が生まれつづけるだろう。これこそ、人間嫌いが反出生主義に達しない理由だ。…人々は反出生主義も子作りをやめることも受けいれないだろう。それが人間好きに由来するとは考えにくい。それは人間に対する悪意ではなくとも、存在してしまうことへの害悪への、自己欺瞞的な無関心によって行われている。
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○第1章『序論』
p.10 子供を産むことの決断には様々な理由があるだろうが、そこに存在することになる子供の利害が含まれているはずはない。
●『誰がそんなに幸運なのか?』
p.12 「生はあまりにも酷い。生まれてしまわない方がよかっただろう。誰がそんなに幸運なのか?」(ユダヤ人の格言)
「決して誕生しないことは、死ぬ運命にある人間にとっては最善の事柄だろう。しかし、このことは十万人のなかの一人の人間にだってほとんど生じない」(フロイトのジョーク)…「非同一性問題」→私たちはたしかに非存在がよりよい状態にあるとは言えない。しかし、存在するものについては、存在することは当人たちにとって悪いことだと言える。「これは哲学的なゲームでも冗談でもない」
p.15 生殖をするカップルは、苦しみを生みだす氷山の頂点にいる。遺伝的な起源の責任。=デレク・パーフィット「起源説」
p.16 反出生主義の偏見…子供嫌い、子供を持つことによる自由と財産の制限
p.17 出生の偏見…子供をもたないことは利己的で未発達→①子供は別の人間なのだから、子供をもつ動機は利己的でしかありえない。②(1)子供をもつことはしばしば不注意の結果でしかない。(2)生殖の衝動は原始的なものである。
p.19 全体主義者の政治団体は軍事的な理由で生殖を奨励する。民主主義国家も、つねに生殖を支持する層が勢力の大半を占めている。…あらゆる国家は移民より生殖により人口が構成されている方が正当化される。
●『本書の概要』
●『読者への指針』
●『存在してしまうことが害悪であるということがあり得るか?』
p.27 「非同一性問題」「未来の個人のパラドックス」…(ex)遺伝性の障碍
p.29 非存在は存在と比較できないため、存在することがしないことよりも「より悪い」と言うことはできない。…存在の害悪は単に「悪い」というだけで十分だ。
…誰かが死んだ方がマシだと考えるとき、自分の状態が良くなると考えるわけではない。存在しなくなる方が良いほど人生が悪いものである可能性と同じく、はじめから存在しない方がいいほど人生が悪いものである可能性はある。
p.31 誰かが存在していることとしないことを比較するのは、2つの状態を比較するのではなく、まったく別の事態を比較することだ。…障碍が耐えがたいにしろ人生を生きるに値しないものにするほどではない場合は、そうでない場合より難しいと考えられている。=生きるに値する人生において、存在するよりしない方がいいというのは矛盾だ。→これは「生きるに値する人生」という表現の多義性が原因だ。
p.32 「生きるに値する人生」は実際には「生き続けるに価する人生」だ。だが、問題は今はまだない人生であり、これに「生きるに値する人生」という表現を使うことはできない。「始めるに値する人生」を始めない方がいいというのは矛盾だ。
p.34 道徳的な問題に関わる意味で、人が存在するようになる過程は長く、段階的だ。
p.40 非存在に苦痛がないことはいいことだと言える。可能性において存在する誰かの利害で判断することができる。我々は、自分たちについて存在しなければよかったのにと仮定することができる。
p.42 人々を幸福にする積極的な義務があると考えている人でも、幸福な人々を存在させる積極的な義務があると考える人はほとんどいない。
p.44 非対称性は思考実験「遠く離れた(異国の住民の)苦痛と、無人の場所(無人島・火星)」(…非対称的な判断)で実証できる。
p.46 積極的な功利主義者は幸福を増加させようとする。そこにも①人々を幸福にすること、②幸福な人々を生みだすこと、の違いがある。①は倫理の要請だと言える。しかし、②を倫理の要請だとすると、個人の価値は幸福の価値から派生することになり、人々を幸福を生みだす手段だと見なすことになる。
p.52 つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力をもつ人を比較すれば、存在しないことの利点がつねに勝ることは明らかだ。回復するのは手段的な善であり、内在的な善ではない…という批判は成立しない。実在する人物について善がないことに「奪われていない」という判断ができるのは手段的な善のみだ。この区分は意味がない。
p.54 楽観主義者の快楽と苦痛の費用対効果分析…は「存在しない」場合との比較でなされていなく、無意味だ。…快楽に苦痛の2倍以上の値がある場合、「存在する」ことの費用対効果分析は成立する。しかし、QOLを決定する快楽・苦痛の割合、苦痛の下限の問題がある。何より、思考実験「つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力をもつ人」はつねに相対的に前者が勝る。
・『別の非対称性』
p.59 シフリン:より大きな害悪を防ぐために小さな害悪をもたらすことはいい。しかし(純粋な)利益をもたらすために害悪をもたらすことは悪い。よって、生殖は悪い。存在が利益をもたらすとしても、あらかじめその存在の承諾を得ることは不可能だ。また、その仮想上の承諾を想定することもできない。…①存在しなければ害悪を被らない。②存在することの害悪は耐えがたいものでありえる。③人生という害悪を逃れるには大きな代償を支払わなければならない。④仮想上の承諾はその個人の人格を無視している。…そもそも、出生が利益をもつことはない。
p.63 出生された人物の権利を生殖が侵害するということは、その権利を請負う人間はその時点で存在していないためにありえない…という議論は生殖の特別な特徴を無視している。害悪を被り「得る」ということで、特別な権利を認めるべきだ。なぜなら、存在しない権利がないということはありえない。…自律していない存在(=子供)にはより大きな利益をもたらすために害悪を与えていいというパターナリズム的な議論…は、子供とまだ生まれていない子供は異なり、出生は絶対に悪いということで否定できる。
p.64 フェーイゲ「反失望主義(antifrustrationism)」:選好が充足した場合も選好がない場合も等しくいい。悪いのは選好が充足しない場合だけだ。よって、出生は悪い。
p.68 自らの人生を楽しんでいるという理由で、存在してしまったことを良いことだと考える…もし存在してしまわなかったら、その楽しみを逃す人はいない。しかし、存在してしまわなかったことで、苦しみがなくなるのは良いことだ。
p.69 存在して良かったかどうかを間違うはずがないと考える…存在してしまった当人の存在が良い/悪いということは、存在してしまったことが幸福/不幸ということと同じではない。
p.72 人生の良さと悪さの差は、順番、強度・頻度、人生の長さ、閾値、で人生の質とは変わってくる。
p.75 ①ポリアンナ効果:楽観主義。人生の質を改善するらしく思われる要因のほとんどは、人生の質の自己判断にあまり影響を与えていない(例:体の各症状に対する自分の健康状態への判断がほぼ一致するのに、幸福への判断とはあまり一致しない)。②適応。③比較:幸福の自己判断は、実際は相対的な指標による。
●『人生の質に関する三つの見解のどれをとっても人生はうまくいかない理由』
・『快楽説』
p.81 人間は人生の大部分をマイナスの精神状態で過ごす…空腹、渇き、便意・尿意、疲労、ストレス、暑さ・寒さ。前述の3つの心理学的効果で無視されているだけ。さらに…持病・加齢:痛み・苦しみ、眠気、挫折感。災厄:アレルギー、頭痛、挫折感、苛立ち、痒み、寒気、生理痛・閉経後の火照り、吐き気、低血糖、発作、罪悪感、恥、退屈、悲しみ、憂鬱、孤独、無力感、喪失感、その他、被害感情全般。
・『欲求充足説』
p.84 精神状態について判断を間違うことはなくとも、欲求については間違うことがありうる(単に快楽を追求している場合は除く)。…欲求は当然、満たされていない時間の方が長い。また、欲求が満たされるのは一時的で、そもそも、欲求が満たされないことも多い。現状維持の欲求さえ、実現は不可能だ(老い、死)。
p.86 マズロー「つねに新たな欲求が生じる」。イングルハート「人間が永遠の幸福を得ることができるなら、何ら行動しなくなる」。マズローは人間はおおむね幸福で、不満足は病的状態だと言うが、ショーペンハウアーは不幸こそ人生の当然の状態だと言う。
p.88 欲求の充足までに困難があった方が、あるいは充足の過程そのものが良いという議論…は明らかに不条理だ。
p.92 「客観的リスト」は「永遠の相のもとに」ではなく「人間の相のもとに」構成されている。…40歳で死ぬことが不幸だとして、90歳でそうでないのは何故か? 「色んな芝生に生えている草を数えることに人生を捧げている男」(ロールズ)の人生は無意味だが、その視点と人類の視点は大差ない。
p.93 人生の質は「人間の相のもとに」判断すべきである、あるいは、具体的な背景に応じて判断すべきであるという議論…は明らかに不条理だ。
p.98 害悪に満ちた人生を、①すでに存在している人のためでなく、②功利主義的な目的でなく(また、そうであっても)、生みだすことはできない。人生の質の判断は当てにならず、よって、人生を続けるに値するかは別論だ。
●『子作り』
・『子作りの義務はない』
p.103 子作りの義務…①射程:子供を(1)何人か、(2)できる限りたくさん、持つ。②正当化の理由:(1)存在させられる人々の利害関心、(2)その他(他者の利害関心、功利性、信仰、等)。…存在させられる人々の利害関心によれば、子作りの義務はあり得ない。それ以外の理由ならあり得るが、それにしても相当に疑わしい。とくにできる限りたくさんの子供を持つべきだという場合は。
p.105 生殖衝動、子作りへの関心…「性交への関心」「親になることへの関心」と「子作りへの関心」を分ける。前2者に子作りは必要ない。
p.107 他者の関心…両親、部族・民族、国家。しかし、こうした他者の利益を適えることは、それによる当人の利益を適えることと表裏一体だ。
p.109 子作りへの関心は…これまでの議論から権利を制限されるべきだ。
p.113 子供を持つべきでない道徳的義務があるなら、子供を持つ道徳的権利はあり得ない。よって、子供を作る権利は(愚行権を含む)法的権利だ。
p.114 法的権利は道徳的義務と対立する場合、そうした方が良いという仮説を必要とする条件付きのものとなる。そして、阻却可能条件(子供を作るべきでない)がつねに適合する場合、その法的権利は妥当ではない。
p.115 政府が子供を持つべきでない道徳的義務を認めると、施策としてあり得るのは①権利を与えず自由放任する、②禁止する、のどちらか。①は権利を与えず容認するというのは矛盾で、いずれも積極的な②を包含する。②はその道徳的代償が子作りの禁止による利益を上回ることはないと思われる…非最大化主義的非帰結主義者の見解。
・『子どもを作る権利を意見の相違があるということに根拠付ける』
p.116 法的権利とその正当化にはこのことだけで十分だ。危害原理の必要条件:ある行為が害悪であるかどうか意見の相違がある場合は、危害原理の射程の外にある(例:人工妊娠中絶)。…ただし、奴隷制のように、ある行為が害悪か議論の余地があるだけでは許されないものもある。
p.118 危害原理の例外となる意見の相違は妥当/無条件のどちらか。奴隷制やアパルトヘイトは明らかに妥当ではない。
p.120 少なくとも反出生主義が最も優れた反論と比較して十分に検討されるまでは、妥当な判断のできる理性的な人々によって、意見を妥当に違えることができるかは結論付けられない。
p.121 少なくともリベラルな社会において子供を作る法的権利が撤回されるのには長い時間がかかり、そのときにはその意見は広く認められているだろう。それまで、新しい人間を存在させてはならない道徳的義務を認めつつ、子供を作る法的権利を認めることはできる。…実際、テイサックス病やハンチントン病のような遺伝性の病気、エイズのような感染病など、他の場面では許されないほどの害悪を与えることが、子供を作る場面では容認されている。
p.123 障碍…障碍は社会に構成されたもので、実際には障害(disability)ではなく不能(inability)だ。また、障碍の出生前診断は政治的に悪いメッセージとなるという「表出主義者」の議論…障碍が不能ということは、「より悪い」ということを否定するものではない。健常者と同じQOLを持つ障碍者も、さらなる障碍についてはQOLを低く見積もる。また、反出生主義はむしろ平等主義だ。
p.132 ロングフルライフ…訴訟は①子供を持つ法的権利に関する妥当な意見の相違。②QOLの評価は個人的なものだ(とくに現在のロングフルライフ訴訟は代理人によることが多い)。もし判例ができれば、もうQOLの評価は個人に独特なものではない。の2点の課題がある。
p.135 セックスは子作りの目的でなされる場合のみ道徳的に容認されるという多くの反論がある見解(オーラル・アナルセックス、レイプ、不倫、不妊症)を、反出生主義は「性倫理の反生殖的見解」として完全に退ける。
・『誕生の悲劇と婦人科学(gynaecology)の道徳』…『悲劇の誕生』と『道徳の系譜(genealogy)のもじり。
p.140 1人の子供を救うために新たに子供を持つという場合は…(a)自分たちの関心(interest)を満たすため、(b)今存在する子供に弟妹を与えるため、(c)家族、部族、民族、種族を大きくするため、(d)何の理由もない、という場合よりはるかに良い。これらは、他人を手段として扱ってはならないというカンティアンの命題によりいっそう当てはまる。
飛行機はCO2を大量に排出するから良くないという「飛び恥」が欧米で流行してると報じられたが、現地ではさらに進んだ考え方として「生き恥」が広まっている。人は生きているとCO2を排出して地球に優しくないから死のうという運動だ。既に28人が「生き恥運動」で亡くなっている。実際に死んだ人はまだ少ないが環境保護団体「地球のための選択肢」によると自殺志願者は既に37564人もいるそうだ。環境保護団体はこの動きを賞賛していて積極的に死ぬよう市民に呼びかけている。自分たちは監督責任があるから最後に死ぬらしい。は?まあそんな訳で欧米では地球のために死ぬ素晴らしい人々が出てきている。だがある時一人の環境テロリストが気付いた。全人口に占めるヨーロッパ人の割合はそんなに多くない。自分たちが頑張ってもたかが知れてる。むしろそこそこ贅沢していて人口が多い中国や日本インド韓国の人口を半分に減らした方が効率的なのではないかと考えたのだ。すぐにこの意見は拡散されてヨーロッパの総意となった。かくしてアジア人半減作戦は実行に移され中国インド日本韓国をはじめとした大量排出国はもちろん今後大量排出国になるであろう発展途上国にも核兵器を撃ち込んだ。各国とも果敢に応戦し核ミサイルを撃ち落としたが残念ながら大量の核兵器がアジアを焼き尽くしアジア人は半減した。当然アジア各国はブチ切れた。すぐさま準備を整え中国、インド、北朝鮮、日本はヨーロッパに向けて核兵器を撃ち込んだ。日本は沖縄にあったやつを勝手に使った。環境テロリスト政権に支配されていたヨーロッパ各国は自分たちの崇高な理念のもとに行われた核攻撃をアジア人は絶対に受け入れてくれると勘違いしていたので全くの無防備であった。そのため全ての核兵器が撃墜されることなくヨーロッパ全土に降り注ぎヨーロッパ大陸から人が消えた。そして放射能汚染により人類は滅亡した。
Kindle Oasisを買った。Kindleには何千冊も入るので旅先にもこれ1つ持っていけば数千冊の本だって持ち歩ける。好きなものを好きなときに読めるのだからありがたい。旅先にもっていく本の重みで腰がやられそうな悩みを解消できる。
あと、目当ての本がすぐ見つかるのが良い。買っておいて後で読もうと思ったり読み返そうと思っても当の本がどこにあるのか思い出せない探すのに大層な時間がかかると言う悩みがある。Kindleはこれを解消してくれるのである。Kindleデバイスで検索すればその本がすぐ出てくるのだからありがたい。
なので、本はKindle版があるのなら全てその版を買うようにしている。こういうことも考えてジェフベゾスはKindleを開発し続けているのだろうと思う。この人物は世界中の人々のライフスタイルを変えた。偉い人だ。ビジネスの成功者は人を殺すとことなく多くの富を生み出し、従業員だけでなく、それに付随してビジネスを行う人々をも支え、養っているわけであって、戦国武将などとは次元の異なる偉さを持った人々といえる。
現代はいってみれば経済戦争の時代というべきときであってそういう次元の戦いの中で学べるとは有難いものである。戦に命をかけずとも良い。核兵器という使えば双方を壊滅させてしまいかねない武器を手に入れることによって狂ったような均衡状態の中で平和な時代を生きていけると言うのも皮肉なものであって、まるで白刃の上を裸足で渡るようなスリリングな時代であるとも言える。
話を戻す。ところでKindle Oasisにはマイクリップと言う文書がいつの間にか画面に現れる(Oasisに限らないのかもしれないが。→ paperwhite にも同じ機能があった)。これはなんだと思って開けてみれば、それは自分が読んだ本のハイライトした箇所が抜粋されて1つのファイルにまとめられているのであった。これはとても良いアイディアではないか。自身が感銘を受けたフレーズがまとめて見られるのだから、よほど読書の楽しさを知り抜いた人が開発したにちがいない。
Kindleは Paperwhite をこれまで使ってきたのだがOasisは反応速度が段違いに良い。こんなに動作のスムーズなKindleをAmazonはつくれたのかと驚いた。Kindle Oasisは買って良い。
あえてマジレス的に考察比較してみる(★印は主観だが、世界的観点のつもり)
世界:帝国主義の絶頂期。飛行機が実用化、ドレッドノート級軍艦が登場。
世界:清・独・露・オーストリア・トルコが革命で帝政やめる。第一次世界大戦で陸海空の技術レベルが激変。男が兵隊に取られた分を埋めるため女性の社会進出が拡大。
世界:基本的に2つの大戦間の平穏な時期。アメリカは大戦後の好景気で急成長。自動車産業が発達。あと各国でラジオと映画が普及して大衆文化が拡大。
日本:大正デモクラシーの時期。藩閥政治家が高齢化して影響力を失う。
世界:第二次世界大戦の勃発と終結と冷戦体制の到来。核兵器とロケット兵器の実用化。戦勝国の多くも植民地を手放す。
日本:敗戦で大日本帝国は一度滅亡。新憲法が制定。社会制度は激変したが、日本人の大部分は引き続き貧乏農民で、生活の風景は昭和初期とそれほど変わってないはず。
世界:冷戦体制から緊張緩和。東南アジアとかアフリカ諸国とか次々と独立。カウンターカルチャーとか出てくる。新左翼運動が激化。汎用コンピュータと月ロケットが登場。
日本:高度経済成長が本格化。農家や個人商店からサラリーマン世帯が激増し、家電製品や自家用車が一気に普及テレビが普及してエンタメも変化
世界:ベトナム戦争は失敗。米中が国交樹立。米ソ両陣営とも停滞。
日本:オイルショックで高度経済成長が終了。新左翼運動が失速。
世界:前半は停滞の冷戦体制。後半急に米ソ冷戦は雪解け、ソ連より中国のほうが危険視されるようになる。イランイラク戦争を契機にイスラム原理主義が台頭。
日本:一億中流とかポストモダンとか言ってたおめでたい時代。後半はバブル突入。
世界:冷戦体制が終結。世界はアメリカ一人勝ち……と思ってたんだよこの頃は。インターネットの普及、といってもまだダイヤルアップ時代。
日本:バブル崩壊。だんだんみんな貧乏になる。ネットはまだどちらかといえばオタクのアイテム。宮崎勤という男のせいでオタは日陰者だった黒歴史時代。
世界:テロ戦争の時代。中国経済が急成長。最後のほうはリーマンショック。ネットの高速・常時接続化とともに電子商取引が普及。後半にスマホが登場。
日本:失われた10年だか20年だか。新自由主義と構造改革で活性化するつもりで失敗。宮崎駿だの押井守だの庵野秀明だのの商業的成功のせいか、いつの間にか「ジャパニメーションは日本が誇る文化」になった。
だから日韓請求権協定とか貿易管理に基づき、お話し合いをしましょう、と何度も何度も日本は言っていたのに、韓国側が話し合いを無視してきたので、話し合えるならこんなことにはなっていない
今回の問題は安全保障なので損得は関係ない。損得だけで考えたら、フッ化水素を北朝鮮に直接輸出したっていい。儲かるんだから。
でもそれはまずいでしょう。日本が輸出した物は海外で核兵器開発に使われてるかもしんないけど、止めたら日本が損するから送り続けるね!って、ことになる。そうしろってことなのか?
あれって、輸出管理の打ち合わせに三年間ブッチされてて、それ以外の徴用工の打ち合わせもブッチされて、もうやだ、こいつらわけわかんない、ってなっただけで、
輸出管理の打ち合わせは無視されるけど、徴用工の話し合いには応じてくれた、ならこんなことになってないだろう
普通、AとBとCの件についての打ち合わせがあり、Aだけ無視されてもBCは応じてくれるなら誠意をまだ信じられるがABC全部無視されたらもうムリだろ
輸出管理の話し合いにも応じてくれないしさー、それだけならまだしも、徴用工のも無視だし、レーダーの件も未だに認めないし、もう信用できないわーってだけの話で、ホワイト国排除の決定の時の信頼度ダウンブーストになっただけ
韓国の件だけど、自分がここ10年ぐらい関わっている安全保障貿易管理(輸出管理)の分野が日の目を見て嬉しいと思う反面、不正確な報道やツイート拡散も目につく。
そこで、頭の整理も兼ねて、今回の事象に対する輸出管理担当者の考えを、ここに遺しておこうと思う。
■輸出規制ではないのか
最近の報道を見ていると「ホワイト国を外れても輸出はできる。だから「輸出規制」にはあたらない」というのが日本政府の言い分であり、最近のネット言説の潮流となりつつある。
しかし、それはあまりに形式的な論であり、輸出にかかわる企業側の手間、輸出までの期間を考えると、実質的な「輸出規制」に値するものだと私は思う。
ここで日本の輸出規制について触れておくと、大きくわけて(1)リスト規制と(2)キャッチオール規制という2つの規制に分かれている。
貨物の性質に着目した規制。たとえば精度の高い工作機械なんかは、核兵器開発に転用される可能性があるので、広範に規制されている。フッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素もこのリスト規制に引っかかる。
原則は輸出案件(契約)ごとに許可を取る必要がある(=個別許可申請)。
ところがこの個別許可申請というのが曲者で、今どき申請は紙ベース。添付する契約書面の内容はもちろん、誤字脱字等についても事細かにチェックされて、まあなかなか許可が下りない(90日以内というルールがあるにはあるのだが)。あと許可申請先は経産省の安全保障貿易審査課という鬼のように厳しい部署であり、厄介。
それじゃ企業の経済活動が成り立たないよね、というわけで、一定場合については「包括許可」という、文字通り包括的に許可を与える制度を設けて、簡単に輸出できるようにしたわけ。
特にホワイト国向けの「一般包括許可」という制度は、なんだろう、鈍行列車に対する新幹線みたいなもの?あるいはディズニーランドのファストパスみたいなもので、電子申請もできて、許可もスムーズに下りる。申請先も全国の経済産業局や通商事務所で済む。経産省の審査課に比べると遥かに楽。
韓国についてはすべてのリスト規制貨物について「一般包括」が使えていたのを、7月1日からはフッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素について使えなくした、つまり個別許可申請が必要とした。
そして8月28日からは韓国がホワイト国を外れるので、すべてのリスト規制貨物について個別許可が必要となる。たとえば等級の高いベアリングはリスト規制貨物なんだけど、それ1つ韓国に出すにも、いちいち経済産業省に申請が必要となってしまう。
(正確に言うと3品目以外については「特別一般包括」という制度を使うという手がある。ただし経産省検査官の監査を事前に受け入れなければならなかったり、いろいろ面倒くさい)
■結論
つらつらと書いてきましたが、とにかく個別許可申請というのは、言葉上のイメージより遥かに面倒くさいものであり、許可までに時間も掛かる「実質的な輸出規制」に値するものなのですよ・・というのが私の考え。
フッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素を取り扱う企業について考えると、おそらく案件ごとに個別許可申請して、許可を取って、船を手配して・・・と悠長なことをやってられるような貨物ではなさそう。デカものの工作機械であれば、1件ごとの個別許可申請でも商売が回るのだが(面倒くさいことは変わりない)。
さらに、個別許可申請では「誓約書」という、勝手に転売しない旨をうたった文書を相手方から取得する制度がある。これ、相手方が誓約書に反して転売した場合は日本の企業が責任を問われるという鬼畜な制度であり、具体的には罰金や輸出禁止処分等のペナルティを課されてしまう。だから工作機械メーカーなんかはGPSを機械に埋め込んで、相手方が機械を動かし場合はすぐ分かるようにチェック体制を整えている。
しかし、フッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素にGPSを埋め込むわけにはいかない。もし韓国企業がこっそり転売をしたら、彼らを信じてわざわざ輸出許可を取った自分たちにペナルティが課されてしまう。こんな状況下でわざわざリスクを取って輸出をするかというと、韓国向け輸出自体をやめてしまうのではないだろうか?
上記3品目については日本政府は輸出許可を出さないような気がする。もちろん不許可処分を出してしまうと大事になるので、企業の自粛を求めるようなやり方になるとは思うのだけど(そういうことが何度かあった)。その意味でも「実質的な輸出規制」に値するものだと思う。
顧客の性質に着目した規制。簡単に言うと経産省が発行しているブラックリスト(外国ユーザーリストという)に載っているか、輸出された貨物を核兵器開発等に使用した前科があったり、今回使用しようとしている顧客については、リスト規制と同じように経産省に許可申請をしなければならないとする制度。輸出企業は、顧客の名前や契約書、HPを調べて、安全な顧客かどうかを確認する義務があるというわけ。
ホワイト国向け輸出の場合はそもそもこのキャッチオール規制審査が免除されていたのだけど、ホワイト国から外れると、この審査も行わなければならない。
・・・ただ、担当者の実感としては、この審査自体はさほどの手間ではない。企業によってはホワイト・非ホワイトの区別をつけず実施しているところも多いと思う。
■ホワイト国を外すこと
ちなみに、ホワイト国というのは現在27カ国あって、国際的なレジームに加入しているかどうかが基準になっている。核だったり、ミサイルだったり、生物兵器だったり、汎用品の軍事転用だったり。自分がこの仕事を始めてからは、ブルガリアが追加されたことがあったと思うけれども、基本的には4つのレジームに入っているかどうかがメルクマール(と、自分は教えられてきたし、安全保障貿易管理の資格試験でもそのような模範解答とされている)。今度インドが入るんじゃないかと数年前から言われてはいる。
ところが韓国は巷間言われているような北朝鮮への横流し疑惑があるとはいえ、4つのレジームから脱退したわけではない。にも関わらず差別的な取り扱いをするのは、明文化されていないとはいえ、ルールを逸脱した運用だよなあ、と思うところはある。
■今後の着地点
本丸はフッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素の3品目だとすると、これらについては引き続き個別許可申請を必要とする一方、今後アメリカの仲介を受けて韓国をホワイト国に戻すというのは、着地点としてありそうな気はする。けど、今の内閣と嫌韓世論からすると、それも難しいのかなあ・・・。
追記。
https://mainichi.jp/articles/20160330/k00/00e/010/240000c
選挙まえは隠してたみたいだけどね
https://twitter.com/ecoyoko/status/1152350013437239299
選挙前に隠してたと言えばうちの選挙区、自民以外の選択肢が国民民主しかなかったからそっち入れたというのに。
今回の投票の絶対テーマは自公維新で議席2/3超えさせない=改憲議論阻止 だったのに。独裁と戦争は勘弁して。
https://twitter.com/kenpouhikaku
今のトコ、ね 誰がやってるアカなのかわかんないからもしこれから傾向変わってくようなら注意。
ニュースアプリのヘッドラインが韓国のことばっかりだ。いつもの朝日や日経の記事のほかに、普段はトップに登ってこないソウルの通信社の記事とかがずらずら並んでる。
まあね、そりゃそうだ。
とはいえ、軍隊がやりあうみたいな戦争に発展する可能性はないはずだ。何しろお互い全く利益がないし、片方が軍事的に圧倒的に強力ということもなく、欧米の監視や中露の脅威もある。核兵器がなくても相互確証破壊は成り立つ。いま日韓にあるものがそうだ。
しかし、軍事力に発展しないことは、かえって別のエスカレーションを生むだろう。
近代以降の戦争っていうのは普通、片方あるいは両方の当事者が疲弊し尽くすことで終わる。たくさん身内も死んだし、国内に厭戦気分が漂って、これ以上は続けられないというムードになることでしか、戦争は止められない。
翻って、経済戦争という形態の戦争では、まあ打撃があるにせよ身内が死ぬわけでもないし、なんなら戦争しているとの実感すら国内に起こらない。
この状況下において、戦争っていうのは止まるのか?
落とし所なんて作れるのか?
実際のところは、正直わからない。
ただ、上記のように考えるのは、自分に「炎上」についての知識が多少あるからだ。ちょっとカッコよく言えばフレイミング。所謂ネット上の口論のことだ。
それは、疲れないからだ。リアルタイムで顔合わせの口論なら、少なくとも数時間もすればどちらもが疲れ果てて、それ以上喧嘩を続けられなくなり、仲直りはしないまでもその場は収まる。しかし掲示板での書き込みを通じて喧嘩をしてしまうと、別に疲れたら寝て起きてまた書き込んでもいいわけで、レスポンスの殴り合いは原理的に永遠に続いてしまう。日本で観測された最初の「炎上」は雑誌の読者投稿欄における非難の応酬だったとされている。
(なお、昨今は利用者側に、さっさと立ち去った方が勝ちだ、みたいな認識が広まってるので、お互いが余程のアホでなければ日を跨ぐような炎上は起きにくくなっている)
翻って、もう一度考える。
我々は経済戦争という状況下にあって、厭戦気分に入ることができないのではないかと思われる。
なら戦争のやめ時ってのは、どこにもなくなるんじゃあないのか。
ちょうど、疲れずにレスし続けることで単なる口論が「炎上」になってしまうように、際限ないエスカレーションに陥ってしまうのでは?
もしそうなれば、あり得る帰結は二つだろう。
一つには、両方の政府トップが、抗戦を求める国民の声を無視した鶴の一声を発し、さっさと戦線から離脱してしまうことだ。
しかしこれはそもそも難しい気がする。両国とも今のトップにその気がなさそうだし、次のトップを選ぶ際にも敵国への譲歩を唱えて次のトップになれるような状況も考えにくい。アメリカなどが頭ごなしに両方に命令する的な状況を想定しても、なかなか厳しいのではないかと思う。
もう一つは、経済戦争のエスカレーションが行くとこまで行って、完全に交流がストップする。化学製品は韓国国内で作ればいいという奴がマジで出来てしまい、日本国内でも保護貿易が進み、その状態で経済が安定してしまう。
そうなった時にどうするか、という前提でこれからのことを考えねばならないんじゃないかと思う。
国家にあたっては、韓国自体との競争よりも中国米国との保護貿易競争に備えるとか。身近な範囲では、海外輸入品の食材で料理店をするのはリスクなので控えるとか。