はてなキーワード: 唐突とは
ロコちゃんは"ひとりあそび"をしている。お供は、ピンクが似合う細くて短いバイブなのだ。
「…っ♡…っ♡…っ♡」
ゆるい振動をベースに、周期的に起こる強い振動がロコちゃん腰を跳ねさせる。
ソレはぼくが操作しているのだ。
深夜、暗い部屋で行われるえっちなあそびを、一緒にする。
ある日、ロコちゃんが"ひとりあそび"を始めたのだ。
ひとりの世界に入り込んでいたと思ったら、ふと、夢中になっていた手を止めてぼくのほうに振り返ったのだ。
ちらとケージの様子を伺ったとき、ぼくはわからないふりをしなかったのだ。
だいすきなロコちゃんがえっちな気持ちになっている。こんなに喜ばしいことはないのだ。
だからむしろ、滾ったぼくのソレを、見せつけたのだ。
かぶりつくように見つめられたロコちゃんは、顔を赤くしながら"ひとりあそび"を続け、完遂したのだ。
はじめ、これには落胆したのだ。"ひとりで遊ぶ"のに、"遠隔コントローラー付きのおもちゃ"を手に入れてきたのだ。
誰かの影を感じられずにはいられなかったのだ。
でもそれは間違いだったのだ。
ショックでふて寝をしていたら物音がして、何かが置かれたことに気がついたのだ。
それはバイブの遠隔コントローラーなのだ。思わず滑車を回してしまったのだ。
照れくさそうに「静かに」のポーズを取るロコちゃんはとても可愛かったのだ。
遠隔コントローラー付きのおもちゃは、"ひとりあそび"には余計な機能がついているのだ。
つまり、"だれかとつかう"ことが前提となる。そのコントローラーを、ケージの中に入れたのだ。興奮しないわけがなかったのだ。
しかし、ふと、よぎることがある。
このままの関係でいるのだろうか。
ぼくはロコちゃんを喘がせる。ロコちゃんはぼくの名を呼ぶ。疑いようもなく相思相愛なのだ。
でも、ロコちゃんを悦ばせているそれは、"ヒトのモノ"の形をしているのだ。
愛を伝え合う仲なのに、触れ合っていないのだ。これでは……。
「幸せそうな女性を見ると殺したいと思うようになった。誰でもよかった」
小田急電鉄切りつけ事件の容疑者が語ったとされる言葉。絶対に許されない犯行だが、同趣旨の言葉を同様の事件の容疑者から聞いた。いずれも容疑者は派遣労働者だった。一定の人間をモノのように使い捨てる社会について考える。
ここから「ジェンダーに基づく差別意識」を読み取る連中の想像力の逞しさ、凄すぎるな。
「弱者男性の立場は苦しい(から、こうした行為に追い込まれるのも仕方ない)」と副委員長は言いたいのだろうと、
本人が言ってもないことを勝手に読み取るわけ。
そうした背景を語ることは、別に容疑者にミソジニーがあった可能性を全否定するものじゃないだろ??
第一「絶対に許されない犯行だが、」の一文を、どうしたら読み飛ばせるんだ???
何かの宗教か?
時代劇と同じと思っていいい。時代劇で唐突に切腹させたり主君の仇討ちをしたり人助けをしたりとかは全然いまの世にないけど、そういうもんかなって思えるでしょ?想像力の話でもある
○ご飯
朝:サンドイッチ。昼:カロリーメイト。夜:カツカレー。サラダ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、それなりー。
さんれんきゅーなので食料の買い出しや、台風で洗濯物干せないからコインランドリー行ったりと慌ただしく過ごした。
特に主犯格である円居晩の作品がずば抜けて面白かった。(これが面白くないなら根本的にこの企画やらなきゃいいのでは? 感があるからハードルがゲキ高いのに)
もこっちが抱える悩みが普遍的で誰しもがどこか抱えているからこそ成立するお話で、本編の空白を見事に補完している。
読者はもちろん、作中に登場するどのキャラクタもどこかもこっちに共感するところがあって、かつそれをあけすけに正直に口にするもこっちに友達ができていく本編の説得力をちゃんと踏まえながらそれをミステリに落とし込んでいた。
それとシロイハル、ライト姉妹、クズとメガネと文学少女(偽)とのクロスオーバーもので、かつそれぞれのアフターストーリーも兼ねていて、それでいてキチンとわたモテでもあるそんなストーリーだった。
特にシロイハルは唐突な打ち切りの理由でありそうな棗先輩フィーチャーされていて、かつ「森田パート」と呼ばれる箇所はもうある意味スナックバス江とのクロスオーバー感すらあった。
「浪人決定して絶望」とか、それこそ京アニをパロって「盗作されたと主張」ってやればよかった。
犯人の絶叫だって、「社会の役に立たないくせに」じゃなくて、「何でお前らなんだよおお!」とかにすればよかったんだよ。
あれは「唐突に大切な人間を失う(その遠因に創作行為があった)」という経験に、「創作行為の業の深さ」と「いかにそのいのちが理不尽に奪われたか」を象徴させるから良かったんだ。
理不尽さを特定の病気の症状由来っぽく描いてしまったから叩かれたのであって、例えばもっとありふれた「創作で認められない鬱屈と嫉妬でわけわからんくなった奴」みたいな描写にすれば普通に業の深さも理不尽さも表現できた。
それをあんな雑な仕事してるから普通に話のクオリティが下がってるし、信者は「嫌々改変させられたんだ」って思い込む。
もったいないことしたよ。
久々の更新ですね。
久々って毎回言ってる気がしてますが事実なので仕方ないですね。
何故唐突に更新したのかと言いますと、今年は頻度を上げようと思いまして。
出来るだけ多くの哲学的な思考或いは論理的なアイデアを残しておいた方が良いかなと。
インプットだけしてもアウトプットしなければ何も意味ねーぞ!(唐突な煽り)
と、前置きはこのくらいにしておいて。
無理矢理にでも1記事につき1つは思考プロセス残しておきましょう。
新年最初になるので、私が自分自身を含めた人間を観察する時の考え方を書いておきます。
基本的に、基本的にどころか全て「欲望」と「忌避」に焦点を置いてます。
以下に簡潔に書きます。
こんな感じです。
それ以外は無いって思ってもらっても良いくらいです。
例えば、私が今このブログを書いているのも、言葉を表現したいという欲望があるからです。
因みに細かく追求するなら、
私は言葉を発することが二酸化炭素を吐くような欲望になっていますが、
人によっては他人に見てもらう承認欲求に欲望を置く人も居れば、
ずっと書き続けているから書かなければならないという継続を途切れさせることへの忌避で書く人も居たり、欲望と忌避は様々な形を持って居ます。
まさにその「様々な形」というものを、他人の言動から解析して判断評価していくことが好きなわけです。
嫌な性格ですね。
勿論、自分自身においてもこの解析と判断評価は掛けていますが、自分自身の場合は言動ではなく、言動で表す前の意志段階で行っています。
つまり私が言動で表現している時には基本的にはどんな欲望や忌避が潜んでいるかわかった上で行動に移していると考えてもらって良いです。
割とタチ悪いですね。
上手く分析出来ると、会話の中から「この人はこの欲望で人付き合い偏ってるな」とか、「この人はこれを避けようと行動しているな」とか、タチの悪い分析が出来るようになります。
なので、人を見て判断するのではなく、本当に欲望と忌避に焦点を当てた人付き合いが出来ないと色々しんどそう。(急激な他人事)
書くの疲れてきたので今日はこの辺で良いでしょう。
気が向けば今回の続きですが気が向かなければ全く違う内容になってます。
しらんけど横の俺が苦手なのは佐倉綾音の低音ボイスキャラもだが、宮野真守のカッコつけキャラ、釘宮理恵の美少女キャラ、といった感じのハスキーすぎてクセが強いタイプの声だな。最近でいうと花江夏樹の熱血系演技もなんか歯が浮く感じで苦手だ。アルドノアゼロのイナホくんとかオッドタクシーみたいな低めクールなボイスは嫌いじゃないけど。男性で高めの声出すタイプも特有の気持ち悪さから無理になりやすいな。村瀬歩とか蒼井翔太とかそのへん。まあ喋ってる範囲では耐えられるんだが吐息をハアハア出す演技をされるとまあきつい。何が言いたいかっていうとウェンティのダッシュ時の唐突なハアハアボイスをどうにかしてくれって話だ。鍾離先生を見習え。
ワクチン接種後の疲労で夕方帰宅してからうつらうつらとしていたら宇宙人が現れて精子をくださいと言ってきた。
唐突だな、と思ったし無礼なのでそれは無理です、と答えたら宇宙人がZガンダムみたいに変形したかと思ったら鈴森れむちゃんが現れた。
れむちゃんが、増田くんの精子のみたいな、といってくるのでうおおおおお、なんぼでも!と叫んでパンツを脱いだがよく考えたらさっきちょっとオシッコがパンツに付いてしまったのだ。
ワクチン打った方の手をチンコに添えていたらビクッとなってしまっておしっこをこぼしたのだ。
そんなん気にしないよおおお増田くんのちんちん大好きだしむしろおしっこも飲みたいよっっとれむちゃんが流暢なネイティブな英語で言っってっくるのでグーグル翻訳で翻訳しながらフェラをしてもらった。
まだまだイケっしょっっと許してくれない、まってまってレムちゃんと言ったら今度はハンブラビみたいに変形して名前は忘れたけどHカップのグラビアアイドルにヘンゲした。
わあああああああああパイズってよパイズって言ったら、ええパイズルの?と仏語で言ってきたんで、パイズってよマドモアゼルと言ったらパイズリながらフェラしてくれた。
2秒で出た。
https://bunshun.jp/denshiban/articles/b1436
冷戦時代の墓から出てきたイマジンは、IOCからのリクエスト。
日本にはイマジンのカウンターとなるコンテンツを用意できなかった。それは最初、メッセージ性としては弱いテクノジャンルであるPerfumeを用意する予定だったから。AKBもアレですけど、Perfumeも客層考えるとサブカルの皮被ったアレですよ。キツい。芯がある歌を歌える人選じゃないんですよね。そして歌はドローンのイマジンが政治的な意味をもっていたように、歌はテクノロジーの添え物じゃない。開会式での歌は、自国の外交的スタンスの意思表示になるんです。国歌だってそうでしょう。サブカルには申し訳ないけど、優等生的でつまらなくても外交的にはMISIAの方がマシ。なおかつ、ここでAKBではなくPerfume出すと中田ヤスタカと秋元康の喧嘩にしか見えないじゃん。二者とも国際的にウケてるってどういう意味でウケてるんだよ。各国の個人的好みならともかく、公的な意味を持った外交の舞台なら両方無理だよ。ただ、秋元才加は今のAKBとかと客層が違い、秋元康サイドも国際舞台ぐらいわかって妥協できるってことがわかったんで、AKBと聞いただけで排除に頑張った椎名林檎が子供だったし、椎名林檎含めたサブカルサイドの人材に多様性も公共心もなかったと思う。
そして、IOCに対して日本がイマジン以上に、今の紛争や差別が絶えない国際社会に合ってるリリックのある歌を用意できなかったのが残念でならない。音楽監督が林檎さんに遠慮してるのか、そもそも小山田氏の件もありこんなことになってしまうぐらいには友達のノリで仕事回してただけで考えがないのかわからないけど。それでも本当に日本としてイマジンがよかったら日本人としてイマジンを和訳でもして日本語で歌えばよかった。日本語で歌えば外国から借りてきた言葉や思想っぽくなくなるから。英語の歌詞はドローンで出すんだし。イマジンをどうしても入れるなら、それも無理なら妥協して日の丸運んでる救急隊員を多めにして自衛隊にコロナ終戦をイメージさせるイマジンから君が代って流れ?これで今の時代的には古くて言葉が強いイマジンを多少は打ち消して、今の時代はコロナに打ち勝って長寿を願う君が代で行くという印象になるから。ドローン飛ばすと戦闘機想起になるんですけど今の時代の戦争ってそうじゃないでしょ。でも、テクノ界隈、メッセージ性のある歌詞のある楽曲の選択や制作、めちゃくちゃ弱そう。ダンスの添え物的な音楽作るのは強いけど、MIKIKOさんみたいなダンスに強い人いなくなった時点で音楽監督以下のテクノ界隈チームの強みが相当削がれた感はある。同じアホなら踊らにゃソンソンとならずに、森山未來と江戸消防記念会を出したのはよかったと思います。
あと開会式の台本はあっても、画だけあって、全体の一貫したシナリオがない。
各国や日本で傷ついた人が立ち上って共にスポーツができる目標に向かって手を繋いで歩み、スポーツができる平和を噛み締めるストーリーがない。
ネオ東京で日本すごい的なの、どうでもいいですよ。各国のおかげで日本が繁栄している謙虚さがなくて。ネオな『東京』だけじゃなくて、世界を包括するテーマが必要だった。
復興五輪がダメなら、もっと広く世界の人への歓迎と世界の傷ついた人に対する慈しみでよかった。日本すごい的な表現を自分でするんじゃなくて、ささやかな気配りで各国に言わせないと恥ずかしい。で、とりあえず鳩を飛ばせば平和でしょ、という安易さ。
パクリパクリ騒いでるけど、パクリは予算ない中でのプロジェクトマネジメントの延長でしかなくて、元の案も根底の外交やオリンピック憲章的な思想がなくて良くないよ。見た目派手なテクノロジーとダンサー入れておけってスタンスのMIKIKO案から、開会式当日までグダグダが続いててダメなんでしょ。
国際問題や問題に向き合うスタンスみたいなことからサブカルが逃げた結果がこれなんだよ。
本当にああいう派手だけど中身がないMIKIKO案みたいな案をひっくり返すの、他のプロジェクトでも面倒ですよ。ああいう派手だけど中身のない仕事の後始末って一番したくないものなんですよ。派手さに気を取られてわかってないサブカルみたいな人がうるさいから。だから、小林賢太郎は元々の経験不足や知名度、業界政治力の割にはよくやった。あれ以上のこと当時の彼にはできなかったと思う。
これは、椎名林檎たちミュージシャンの自己表現の仕事ではなく、電通的なクライアント絶対主義でもなく、スポンサーの言うことを聞くけどスポンサーに文句言いつつも自分の作家性は通す映画や舞台監督の仕事だった。
立憲民主党に所属する衆議院議員本多平直氏の離党・議員辞職問題について,少しだけ混乱している人が居ると思われるところを補足したい。
本件の経緯を簡潔に記載すれば,本多議員が党内の「性犯罪刑法改正に関するワーキングチーム」(以下「WT」)において発言したとされる内容及びその後の発言に関連して,立憲民主党執行部が,本多議員の党員資格を一年間停止する処分を検討していたところ,同議員が,処分予定日前に立憲民主党を離党し,併せて議員を辞職したというものとなっている。
この件については,WTという内部の機関の議論がリークされていることや,後述のあまりできの良くない「立憲民主党ハラスメント防止対策委員会」の作成した調査報告書(以下「本件調査報告書」)の公開,それに対する本多議員の意見書等もあり,適正手続き(デュープロセス)に違反するものであったという強い批判が一部見られる。
https://note.com/ishtarist/n/na1ffe70feb6a
https://note.com/helixmakimaki/n/n7e417f067125
党の内部処分にデュープロセスという言葉を用いることが適切であるかどうかは置いておくとしても,上記のとおり,本多議員の党員資格に関しては,同人の離党により処分がなされることなく終わっているものであり,まず,この点で,手続き違反が存在するかどうかを判断する前提を欠くに至ったことは指摘が必要であろうと思われる。
ただ,時期的にはほぼ処分に向けての手続きは終了していたと考えられ,その関係で適正な手続きを経ないまま処分を出そうとしていたのであれば,その重大性に鑑み,立憲民主党への批判が正当となる場合も考えられるため,もう少し確認をしておきたい。
https://cdp-japan.jp/about/ethics
立憲民主党の党倫理規程はこちらに公開されている。関連規程を抜粋しつつ確認したい。
まず,第4条第2項
常任幹事会は、党員の倫理規範に反する行為・言動が、党の綱領及び規約等に反し、本党の運営に著しい悪影響をおよぼすと判断した場合、幹事長の発議に基づき、以下の各号に掲げる処分を行うことができる。
一 党員資格の停止
(後略)
この発議については,第5条第3項にその事実調査に関する規定がある。
幹事長は、倫理規範に反する行為・言動に関する措置について決定しまたは処分について発議する場合、公正な調査に基づいて事実を確認するとともに、措置又は処分の対象となる党員の弁明を聴取する機会を確保するなど、その権利の擁護に配慮しなければならない。
また,同条第4項でこの調査自体を倫理委員会に委任する事ができる旨の記載がある。
なお,常任幹事会が行う処分については,倫理委員会の意見を聴く必要があると同条第1項に定められている。
常任幹事会は、倫理規範に反する行為・言動に関して、第4条第2項に定める処分を行おうとする場合は、倫理委員会の意見を聴かなければならない。ただし、党の信用保持等にとって緊急の必要がある場合には、処分を行った後に倫理委員会の意見を聴くことができる。
倫理委員会は,意見を求められた事項について,自ら調査を行う必要があることが,第6条第2項に定められている。
倫理委員会は、意見を求められた事案に関し、自ら関係者の意見を聴取するなど事実の調査を行い、中立かつ公正な判断を行わなければならない。
・6月9日
福山幹事長が,WTでの本多議員の発言に関し,立憲民主党ハラスメント防止対策委員会に対して事実調査及び再発防止に関する諮問(本件調査報告書参照 https://cdp-japan.jp/files/download/DHOD/ohYK/HBoz/eMbq/DHODohYKHBozeMbqNI5kKNf4.pdf )
本多議員に対し,ハラスメント防止対策委員会委員長及び3名の弁護士によるオンラインヒアリング1回,同委員長による対面での面談1回(本多議員ツイッター参照 https://togetter.com/li/1748840 )
・7月12日
ハラスメント防止対策委員会の調査報告書完成(本多議員ツイッター参照)
・7月13日
党常任幹事会前に,福山幹事長より,本多議員に対し,本件調査報告書を元に,1年間の党員資格停止処分の発議をする旨の説明あり。これを含め,発議前に弁明の機会が本人に与えられることはなかった(本多議員意見書参照 http://hiranao.com/ikensho20210721.pdf )。同日,常任幹事会において福山幹事長から本多議員の党員資格停止処分の発議。常任幹事会から倫理委員会への諮問。
・7月21日
倫理委員会,本多議員への聞き取り調査実施(本多議員ツイッター参照)
・7月26日
倫理委員会,常任幹事会へと意見提出?(本多議員ツイッター参照)
・7月27日
(3)検討
以上,事実経過と党倫理規定を照らし合わせると,手続き上の問題点は,幹事長による処分発議に先立つ事実調査において,「公正な調査」と「権利の擁護への配慮」がなされているかどうかという点に絞られることがわかる。
この点,幹事長からの諮問によって行われた立憲民主党ハラスメント防止対策委員会の調査が,処分発議に当たっての「公正な調査」とされているようであるが,調査目的が処分の要否に向けられたものではなく(諮問内容,ハラスメント防止対策委員会という組織の立ち位置,本多議員に対する説明(処分目的の調査ではない)といういずれの点からも,この点は明らかと思われる。),公正性,権利への配慮の両要件双方に,いささか疑問が残るものである。
このことは,本件調査報告書の内容を見ても,立法過程における自由な言論という点の考慮が弱く,特定の立場に立脚した本多議員に批判的な立場で記載された色彩が強いことが明白に見て取れ,これをもって「公正な調査」とするのははばかられると言わざるを得ないだろう。
但し,事実認定という点では,2回の聴き取りを経て,本多議員の事実上の弁解も取り入れられ,「性交」発言が記載されていないなど,それなりの「権利の擁護への配慮」がなされていることも見て取れる。当該調査が,あくまで発議のための調査であり,処分に際しては,第三者性の高い(と思われる)倫理委員会の調査が規定上必要とされていること,そして,その調査が実際に行われていたと思われる(7月21日の本人聴き取り等)ことを考慮すると,処分を違法ないし不当ならしめる程の手続き違背があったと言えるかは疑問が残ると言えるのではないか。
少なくとも,弁明の機会が一切与えられていないとか,処分に際しハラスメント防止対策委員会による本件調査報告書のみを事実認定の前提に使っているとかいった事実は無く,混乱した手続きや不出来な調査報告書の問題はあるとしても,やや勇み足と見受けられる批判が散見されるのは気になったところである。
(4)その他余談
なお,幹事長からの事実調査がハラスメント防止対策委員会への諮問となってしまった理由は不明だが(最初から倫理委員会への委任で良かったのではないか),本件調査報告書を読むと,WTにおける本多議員の論調にパワーハラスメント的な問題意識を持っていた議員が複数人いたらしいことが見て取れる。筆者は本件調査報告書の方が不当な圧力であると感じるもので(そもそも,「パワーハラスメント」を指摘すべき諮問内容だったのか?),政党が出す正規の報告書がこのような言論封殺的なものであることにいささかの驚きを感じたが,本多議員の議論の仕方も,建設的な議論と言うよりは相手を論難をするに過ぎないものが多かったのではないかとも感じてしまった。示唆に富むので興味がある方は一読をお勧めしたい。
また,筆者個人の見解としては,50代と14歳の真摯な恋愛があるのではないかという主張は,性交同意年齢の検討を行っていたWT内の議論状況からしても,50代と14歳の性交について保護すべき利益があるという主張以外には取れず,自由な議論のために必要な言論であるとは言いがたいように思う。女子の婚姻年齢の引き上げ等の現状を見ても,仮に真摯な恋愛感情があるのであれば,なおさら成人の側が相手の成熟を待つべき時期だろう。刑事罰の謙抑性という点を考慮しても,いささか唐突な意見と言わざるを得ず,立憲民主党という政党が守るべき基本的倫理観に反するということもあり得るように感じた。ただ,内部的な議論の場での発言を切り取ったものに過ぎず,その後の本多議員の弁明は書面ベースで見る限りは十分なものに見え,当初の厳重注意で幕引きとするべきであったように感じたところである。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1750665
ツイートは特にたわいないそうだねーみたいな話なんだけど、人気ブコメ見ると
今まで食べた栄養素など覚えていないのと同じで、1つ1つの体験や経験がその人を形作る。親が連れて行ってくれた記憶が消え去るわけでなく、次に受け継がれる。だからこそ、貧困を連鎖させてもいけない。
「子供が覚えているか否か」という観点を持ち出すと「覚えてないなら連れて行くだけ無駄」という効率性の話になってしまう。そうじゃないんだよ。そこじゃないんだよ。子供に経験を積ませるというのは全く別の文字数
が今の上位。
なんかはてブって全部政治問題、社会問題を絡めて説教してくるおじさんか、唐突にオヤジギャグいってウケを狙おうとするおじさんしかいない典型的おじさんSNSだなってカンジ。
という連絡を見舞いに向かう新幹線で受け取った。
誰かに話を聞いてもらいたい気もするが友人に突然こんな重い話をしても反応に困らせてしまうだけなので、匿名で流してとりあえず自己満足を得ようと思う。
いろいろと問題もあるが、こういうおおらかさはインターネットのいいところだと思う。
話を戻す。
癌による病死だった。60台半ばだったので、特別に早いわけではないが、今の時代から考えると少し早いなと感じる。祖母もどちらも健在であるし。
増田は兄姉に比べてだいぶ年の離れた末っ子で、母が増田を生んだのは38のときであった。ちょうど羊水が腐る歳なのでよく覚えている(増田自身はおおよそ健康に生まれ育ったが)。
増田は大学院の修士課程まで通わせてもらった。大学では留年もしてしまったが、おかげで学んだことをほぼそのまま活かせる技術者として働くことができるようになった。就職したのは去年のことである。
母は PTA だの保護者会だのをよく押し付けられるタイプの人で、それなりに忙しそうにしていたことが多かった。
その中で人間関係を築いたりと良いことももちろんあったし楽しんでいないこともなかったのだろうが、自分ではなく他の誰かのために時間を使うことが多いなと感じていた。
年の離れた末っ子であったことやそのくせ大学院まで通ったこともあり、もう少し早く子育てから解放されてもおかしくないと考えることもあったのが、より強くそう感じさせたのかもしれない。
まあ、生まれ育ったことも大学院までぬけぬけと通ったことも特に後悔はしていないのだが。
後悔はしていないのだが、なんにせよ母が(子供ではなく)自分のために時間を使えるようになったのは去年になってようやくである(と増田は感じている)。
いわゆるセカンドライフがこれからだ、というところで逝ってしまったことがとにかく悲しい。
これからまた楽しいことがあるぞ母さん、と思っていた矢先のことであった。
母は何をしたかったのだろうか。
数年前にゴルフを始めていて、父もゴルフが好きだから一緒にたくさんゴルフをしたかったのだろう。
手先が器用で刺繍などもしていたことがあったから、そういう時間を今まで以上に取ることもできただろう。刺繍は猫によく邪魔されていたが。
そうやって猫に邪魔されて仕方ないなと笑いながら猫を構ってやることもあっただろうと思う。
父の住む田舎と子供の住む東京を行ったり来たりして、友人に会ったり孫の世話をしたりすることもあったと思う。
孫の世話に疲れたときは独り身の増田の部屋に避難させてくれ、なんて言っていたこともあったから、今住んでいる部屋を出るときは広めの部屋にしようなどと考えていたこともあった。
きっと思い出せばいくらでもこのようなことは出てくるであろうが、なんにせよ母にはこれからも楽しく日々を過ごしてほしかった。
とりあえず学校を卒業できて就職も叶い一人で生きていく姿を見せられたから、最低限はクリアしたと言えるのかもしれない。
友人の中には早くに親を亡くした奴もいるから、彼らに比べれば贅沢なことを言っているかもしれない。
ただ心残りがあるとすれば、一回でいいから自分で稼いだお金で美味しいものを食べさせてあげたかった。
そうやって感謝を示したかったのかもしれないし、単に立派になったと褒めてもらいたいといった子供じみた思いを抱えているだけかもしれない。
なんにせよ、その機会が訪れることはなかった。就職と新型コロナウイルスの流行が被らなかったらそうした機会もあっただろうと思うと、どうしても時期が悪かったなぁと感じざるを得ない。
昨日の夜に容態急変の知らせを受けて次の朝というタイミングとはいえ、死に目に会えなかったのも不孝者なのかもしれない。現に姉家族は始発の新幹線に乗っていて間に合っている。起きるのが苦手なのはずっと変わらなかったよ、母さん。
先程母は自分のために使えた時間が少なかったと書いたが、それでも母は幸せだっただろうか、いい人生と言えただろうか。
兄姉ともども迷惑や心配のかけ通しであったが、増田たち兄弟や父をはじめとする家族との時間が少しでも楽しい、幸福なものであったらいいと願わずにはいられない。これは不出来な息子のエゴであろうか。エゴであったとしてもいい、どうせ自分で思うだけだから。
少なくともこちらは幸福であったのだろうと思う。以前自宅で療養している母を見舞いに行ったときに「ただいま」と言って「おかえり」と返ってくることが、「いってきます」と言って「いってらっしゃい」と返ってくることが、母の発するその言葉の響きが殊の外好きであるらしいことに気づいた。
変わらない日常の、帰ってくる家の象徴だったのであろうと思う。気づいたときは唐突なことであったし気恥ずかしさもあって伝えそびれてしまったが、こんなことになるなら伝えておけばよかったかもしれないと思う。急にこんなことを言われても困ってしまったかもしれないけど。
このような小さな後悔はいくらでも出てくるし、これからも出てくるのだろうと思う。ただどうしようもないことでもあるから、それらを教訓に父などの家族をはじめ他者との関わりに活かしていくのしかないのだろう。このようなありふれたことに改めて気づくなど、愚者は経験に学ぶというのは本当にその通りなのだなと感じる。
さて、いよいよまとまりがなくなってきた。だからといってまとめ直したりすることはないし、「結局何が言いたかったのだろう?」と考えることもしない。もしこれを読む人がいたとして「結局何が言いたかったんだよ」となるかもしれないが、それについては本当に申し訳ないが特に考えていないとしか言いようがない。
多分この手のことは何かを言いたくて言葉にしているのではなくて、何かしらを言葉にすることが大事なのだろうと思う。
五輪の開会式でゲームのBGMが大々的に使用されていて好評を博していた。
世界中の選手が入場し、天皇陛下や総理なども列席するイベントの音楽にゲームBGMが採用され、アナウンサーは「日本が世界に誇るゲーム音楽」という感じで紹介していたようだ。
これ自体は文句なく素晴らしいことだし、開会式も思っていたより遙かにまともだった(事前のゴタゴタで期待値が低すぎたせいもあるが)。
しかしながら、末席ながらゲーム業界で働いている者の実感としては、なんというか違う世界を見ているような気分になったのも事実だった。
というのも、私の実感ではいつゲームが国家の一大イベントの音楽に採用され、「日本の誇り」と当たり前のように語られるようになったのか解らないからである。
思えばリオ五輪の閉会式でも当時の安倍総理はマリオのコスプレをしていた。これもまた画期的なことで、政府が世界に通用する、知名度の高いコンテンツとして実利的な観点からゲームを選択したと言うことだ。
しかし、日本政府はそこまでゲーム産業の知名度や競争力を理解しておきながら、ほとんど国家としては何の支援もしてこなかった(そして現在も特にしていない)。
クールジャパンという題目が掲げられて20年ほど経つが、その間についぞ政府の支援を受けてゲームが作られたという話を私は知らない(これは本当に無知なだけかも知れないが)。アニメ業界にも共通する、末端のクリエーターの低賃金、長時間労働は一向に解決されていない。
マリオの生みの親、宮本茂は2019年に文化功労者に叙されるまで何の政府からの表彰もなかった。人間国宝でもおかしくないだろうに。
世間の目も一貫して冷たかったはずだ。ゲーム脳等というオカルトが蔓延ったのはさすがに一昔前だが、今でもゲームというのは教育に悪いもので、映画や文学などの「芸術」とは違う、低級なモノという偏見は拭われていない。香川県では県ぐるみでゲームの規制が進行している。
そもそもゲームがお茶の間の話題になるのはせいぜい新型ゲーム機が発表されて電気屋に行列が出来たときか、任天堂からポケモンの新作が出たときくらいである。
例えば日本のゲームがGoTY(その年に発売された全世界のゲームの中で最も優れたゲームに贈られる賞)を受賞しても、それを大きく報じるのはあくまでゲームメディアだけで、一般のメディアには触れられさえしなかった。
国産ゲームがGoTYを受賞するというのは、その競争率や産業の大きさを考えれば「邦画がアカデミー作品賞を受賞する」「日本がワールドカップで優勝する」といったインパクトに匹敵する偉業といっても大げさではないと私は思う。
しかし全くニュースにもならない。ゲームというコンテンツを楽しむ人の数は映画やサッカーに全く負けていないはずなのに。
ちなみに日本は2000年代以降でもGoTYを3度受賞している。
このようにして、日本のゲーム産業というのは国から無視され、社会から蔑視されつつ、勝手に作品を作ってきた。予算の桁が一つ違う海外産のゲームにアイデアと日本独自のテーマなどを駆使してどうにか張り合ってきた。
そうしているうちに海外では評価されるようになり、今や一部の例外的なジャンルを除けば、国産ゲームの売り上げの大半を海外での売り上げが占めるようになった。
自分の認識している日本におけるゲームの立ち位置というのはおおよそ上記のようなものだ。
だから、オリンピックの式典のようなハレの舞台に唐突に日本のゲームが登場し、「日本が世界に誇る~」みたいな紹介をされているのを見るとパラレルワールドに来たような気持ちになった。
「今まで無視してきたのに都合良く利用するな」という憤りより、戸惑いの方が大きい。
名前が抹消されてあのクソダサ開会式が「小林賢太郎の代表作」って扱われなくて済んだだけでも解任された価値はある。
私みたいな痛い信者はあの開会式で唯一面白かった、どう見てもポツネンと小林賢太郎TVの焼き直しの「箱を並べ替えて模様→ドローンでロゴからの地球→ピクトグラム仮想大賞」は小林案だって判るからそこが褒められてりゃ溜飲も下がるってもんだし、責任者じゃなくなってるから、心底恥ずかしかった「なんか大工の格好した烏合の衆が木の上でうろうろしてるくだり」「北朝鮮を見習えと言いたくなる散漫で閑散とした実写版『はたらく細胞』のマスゲーム」「態度の悪い各国の体育会系がぞろぞろ歩いてくだけの1時間半」「ジャルジャルのコントみたいな白空間で各大陸のあんまり知らない人が令和3年にもなって『イマジン』歌ってメッセージ語った気になってるさむさむゾーン」「唐突な灰皿テキーラダンス」「松井に介護されるよぼよぼの長嶋茂雄だったもの」「なんか富士山が割れて階段出てきて、上の太陽だか月だかしらん玉が中途半端に割れるだけのクソ地味動きなしコンセプトなし聖火台」が公的には小林のせいにならないのは心底儲けもの。
友達とみんなで悪口言おうって集まって見始めたのに最終的に全員げんなりして私しか見てなかったからね。劇ピン含む狂言回しのテレビクルーは、本当ならもっとしっかりした縦軸があってそれに関わる予定だったんだろうね。岡山の県北のテーマ曲が流れたところしか盛り上がらなかった。
小山田何某の炎上を発端としてオリンピック関係者が何人か燃えている件について。
別に小山何某の過去のいじめを擁護する気はさらさらないが、氏の過去の全ての業績を無視してオリンピックもNHKの番組も何もかも解任しなければならないことなのか?
日本の法律には時効もあるし少年法もあるのだ。過去の行動を、しかも未成年の学生の頃の行動を中年になってから断罪して社会的地位を根こそぎ奪い取るという所業は、とてもじゃないが法治国家のやることとは思えない。
雑誌のインタビューは成年になってから行われていて反省していないと言う人もいるだろうが、それすら20数年前の話だ。刑法だって無期懲役以上の刑でなければ時効は20年以下である。
そもそも20数年前の雑誌のインタビューを根拠に「反省していない」はないだろう。適切に発言者の意図が伝わっているかどうかなど当時のインタビュアーにすらわからないほどの年月が経っている。発言の語尾に(笑)をつけるかどうかなんて編集者のさじ加減でしかないのだから。
今の小何某が本当に反省しているかどうかはどうでもいい。根拠の希薄な理由で、現在の仕事を瑕疵なくこなしている人間の地位を不当に奪っている今の現状はただの私刑だということが問題だ。
インタビューと同時期に警察とカーチェイスして飲酒運転で逮捕された男がお昼のワイドショーでこの問題を他人事のように取り上げているが、坂何某が世間に断罪されて降板する気配は無い。私刑とはそういうものだ。罰する基準などなく、その対象は世間の雰囲気とそれを扇動するものの意図によって決まる。
想像力の働く人間ならば、過去の言動を何十年もあとに掘り返して社会的私刑を下す世間の所業を目の当たりにして、パンとサーカスの一環として捉えるよりもいつかそれが自らに牙を剥くことをこそ恐れるべきなのではないか?
ここ数日のSNS上では過去にいじめられた経験のある人間が、何某に個人的怨嗟という名の社会的五寸釘を打ち込んでいる光景に溢れていた。しかし彼ら全員がただ純然たる被害者として生きてきたとはとても思えない。人が誰かに抑圧されると他の弱者を抑圧することで精神の安定を図るというのはよくあることだし、現在進行形で虐げられている者こそ自分よりも下の立場の者に優しくはなれないものだ。自分を含め誰しもが被害者でありうるし加害者でもありうる。
むしろ自分はいつも被害者で、加害者になったことなど生涯で一度もないと考えている者が一番まずい。ここ数日SNSで腐るほど言及されていたように、「加害者はいじめを忘れるが、被害者は死ぬまで覚えている」のだから。
今回の何某の社会的焼死を容認するのならば、自分が立場ある地位についた瞬間にそれらをすべて唐突に失うリスクについても真面目に考えるべきだろう。この業火には誰しもが焼き尽くされる危険性があることを忘れてはならない。
犯人像なんてどうでもえー部分だ。
あのシーンは事実を克明に描いてるわけじゃなく、こうかもしれない、こうであったかもしれないという主人公目線の妄想とも読める。
必要なのは現実の友人の死の限りない理不尽さ、唐突さ、そのためのギミック。
マリコも好きだが、あれはロードムービーとして丁寧に主人公の心を描く誠実さが魅力と思う。ちゃんと読むとちゃんと分かる、伝わる、誠実な描写が美しい。
ルックバックの好きなところは、描写力の高さで描けるはずのものを省略し、ある種の未知、余白、想像の余地、読み手に委ねられた解釈の余地を残しているところ。
それはキャラクター造形にある悪意にも当てはまる。未知の悪意、作者が自分自身を最優先で刺しにいくような、合理的でない悪意が含まれている。これが正体不明の魅力だが、この悪意を誤読すると起こるのが諸々の感想、だと思う。
「批評家が決めるよ」
「IQが110以上ある人たちにとっては答えなんてそもそも1つしかないよ」
「物語のテーマが最も濃厚に伝わるにはどうすればいいか考えれば分かるよ」
「もしも妄想じゃなかったと言うなら4コマの貼ってある窓が映る漫画的な意味がないよ」
「もしも平行世界じゃなかったと言うならふさぎ込んでたやつがいつあんなふざけた4コマを描いたんだよ」
「起こった悲劇は変えられないよ」
「都合が良すぎると疑問に思わない人はメンタルを病んでるよ」
「正解がないと延々と不毛な議論が続くから正解があるべきだよ」
「正解がないと考察した俺が馬鹿みたいだから正解があるべきだよ」
「多数派が選んだのが正解の不在だよ」
「正解がないことが正解だよ」
「タツキが答えを一つだと言っても出された作品がそうじゃないならそうじゃないよ」
「物語に意味が必須だと思う人は現代アートとか大嫌いだろうね」
「創作に意味が必須だと思う人は現代アートとか大好きだろうね」
「可能性のゆらぎを描写している作品に一つの解があると思うのが間違いだよ」
「正解があると延々と話し合えないから正解はないべきだよ」
「正解があると他の考察してたら俺が馬鹿みたいだから正解がないべきだよ」
「とにかく愛の力だよ」
「愛は平行世界を超えるよ」
「愛は現実を超えるよ」
「LGBTだよ」
「友情だよ」
「間に挟まりて~~~」
「病気の人をだすのはよくないよ」
「俺は傷ついたよ」
「唐突すぎるよ」
「地震で殺したら災害に絡められるからと安易に殺人鬼を出したのが逃げだよ」
「異常者が起こした事件をダシにしてステレオタイプみたいに扱うなよ」
「俺がでてたよ」
「普通に楽しめばいいよ」
「正解があってもなくても名作だよ」
「背景が綺麗だよ」
「お前ら漫画読むの下手すぎるよ」
「正直大したこと無いよ」
「この程度で騒げるやつが羨ましいよ」
「俺はつまらなかったよ」