はてなキーワード: アナログとは
いーたいこといってるって点では同列だな。
俺はわざわざデモにいく気は全くないしテレビもほとんど見ないけど韓流ごり押しとかやだなーと思ってる程度の人間で、ただ思うことは、テレビはもう終わった。またはずっと前に終わってたのが明るみに出たかこれから終わることがはっきりと予兆として表れた。なんかまあ多分そういうことだろう。
韓流とか、反韓流とか、右翼とか差別とかはまあどうでもいいというかひとことでまとめられるほどまとまりのある集団じゃないんだろうし。右翼も差別主義者も含んだいろんな人たちがテレビにくたばれと言ったってことだろう。
2011年はアナログ停波、フジテレビ反韓流デモ、あとこれからなにか一つくらいあって、テレビ衰退の節目の年となるのかしら。
ここ5年テレビを見てないし、テレビがあっても、アナログテレビなので、今、フジテレビがどんな韓国のコンテンツを流しているかはわからない。
しかしながら、あえて言おう。
少なくともお笑いというカテゴリーに限っていうと、韓国のお笑い芸人は、日本の1歩先を行っている。
ごり押しなどしなくても、これは多くの人の共感を得ることができると信仰している。
歴代、韓国のお笑いのトップはレベルが高いが、5年位前、最強のスーパーお笑い芸人がいた。
彼の名は
ノムたん
<,,‘∀‘>
かれには数多くの名言を発し、そのたびに全世界を笑いの渦に突き落とした。
詳細は下のページなどをみるといいだろう。
http://mesiken.2-d.jp/index.php?%C8%D3%C5%E8%BD%B6%C4%B9%B8%E6%B8%C0%CD%D5
彼の体を張ったギャグ…自分どころか、全国民の体を張ったギャグは笑いを通りこして敬意すら感じている。
当時は朝鮮日報が愛読書になったり、本場の雰囲気を味わいたくてハングルまで勉強を始めようとしたくらいだ。
ただ、彼にも欠点があって、実は韓国の一般市民には彼の芸風はうけなかった。
ある韓国の友達など、彼を蛇蝎のごとく嫌っていた。まるで、敵をみるような態度だった。
おそらく、ノムたんは、韓国のお笑いを世界に届けるため、ある意味、自国の人たちを犠牲にしたんだと思う。
それだけにカレの死は残念だった。
彼が韓国のお笑い界に君臨する限り、私は安心していられたのだ。。。
昔ばなしはやめよう。
私はノムたんという偉大な芸人を知っているので、今回のフジテレビの一件は残念である。
ゴリ押しなどしなくても、十分、日本人の心をつかむお笑い芸人がたくさんいるのだ。
・・・さて、韓国のことだけ持ち上げて終わると、ネトウヨ(笑)がうるさいので、日本のことも話そう。
最初、「韓国のお笑い芸人は、日本の一歩先」を言っているといった。
そう。いるんだ。
今の日本には。
それも、二人も。
そう、数年日本のお笑い界のトップに踊りだした鳩山氏や菅氏のことだ。
以前より、お笑い芸人としての一部マニアの間では人気だったが、ここ数年、大ブレークした。
いや、正直、私は彼らの芸風がおもしろくない・・・
いや。。。正直いおう。
嫌いだ。憎んですらいる。
でも、韓国とか中国、ロシアなんか外国の人たちにはうけがいいようだ。
非常に安らかな顔で、彼らの芸を見ている。
私は天国のノムたんに報告したい。
どうだい。日本もやるだろ。
それも二人も。もしかすると、そろそろ三人目も。
pixivは「pixivはイラストを描く人や興味がある人が作品を介して気軽にコミュニケーションしたり、自分で描いたイラストや許可を得たイラストを投稿できるコミュニティ」である*1。しかし、pixivの運営から投稿者に十分な説明がないままに、pixivに投稿されたイラストが運営によって削除された事例が存在する*2。一方で、pixivには「デッサンやアナログ作品等を撮影した写真(実写)であれば」投稿することができる*3。しかし、その条件に該当しない写真が削除されずに今だに存在している*4。
明文化された利用規約などは「ルール」である。そして、コミュニティ内で定められたルールは、その構成員が互いに信頼して行動するための基礎となる。pixivであれば、例えば「特定の条件を満たす画像を投稿してはならない。投稿した場合は当該画像を削除する。」というルールが存在することにより、利用者は他の利用者の不快な投稿に遭遇することなくイラストを閲覧でき、また、利用者はルールに反しない限りは投稿したイラストを運営に削除されることはない、ということを期待することができる。しかし、先に挙げた二つの事例から、現在のpixivには明文化されていない、言わば「隠れルール」が存在すると考えられる。控えめに言っても、運営は利用者にそのような疑念を抱かせている。このようなコミュニティにおいては、運営と利用者の間で信頼関係は成立し得ない。それがイラストの投稿・削除というpixivのシステムの根幹に関わるのであれば尚の事だ。
pixivが今回の騒動を収束させたいと考えているのであれば、この「隠しルール」を明文化することだ。それは「特定のタグがつけられた投稿は規約違反でなくても削除します」「特定のユーザの投稿は規約違反でも削除しません」かもしれない。あるいは「削除するもしないも運営のさじかげんひとつです」かもしれない。あるいはもっとまともなものかもしれない(私はそれを期待している)。いずれにせよ、「隠しルール」が明文化されてルールとなることにより、運営に対する利用者の信頼は回復しうる。少なくとも、利用者が運営を信頼するに値するか否かを、より正確に判断できるようになる。それは、利用者の「おえかきたのしす」の感情を収益の源泉とする企業が行うべき、最低限の行為である。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクのLAコンサート「Mikunopolis」関連の感想和訳その3。今回は初音ミクを文字通りの神話(ブードゥー教とか日本神話とか)と結びつけていた文章を紹介する。とはいっても生真面目なものではなくどちらかというとノリと勢いで書かれており、読むのも訳すのもそんなに苦労はない。肩の力を抜いて軽~く読むのにちょうどいい感じ。
http://animediet.net/conventions/vocaletariat-at-mikunopolis-unite
ボカレタリア(ボカロ階級)革命だ。ボカレタリアート(ボカロ階級者)とはボーカロイドを使う人民階級である。アニメタリアート(アニメ階級者)のようなものであり、そして多くのボカレタリアンたちとアニメタリアンたちは間違いなく重なっている。ボーカロイディアン(ボカロ人)、ボーカロイディスト(ボカロ主義者)、ボーカロイディズム(ボカロ主義)。そう、ミクノポリスは確かに革命的体験であった。ミクノクラシー(ミク政治制)、ミクノクラティ(ミク官僚)、ミクノロジー(ミク学)、ミクノレプシー(ミク症)、ミクノマンシー(ミク術)!
さて、俺がミクノポリスで期待していたのは、実は完璧なホログラムだった。つまり三次元立体画像を考えていたんだ。けど彼女はスクリーンから決して出てこようとはしなかった。ステージから降り、聴衆の中に飛び込んで踊りまくることはできなかった。だから俺の期待とは違っていた。だから技術的にいえばそいつはまだマクロス・プラスのシャロンには及ばなかった。シャロンはステージを降り、お前らと交流することができる。スキンシップできない点だけだよ、同じなのは……。
初音ミクのようなボーカロイドは、新たなる神だ。伝統的にアイドルってのは三次元の人間、つまり役者/歌手が偶像(アイドル)の役を演じていた。偶像が彼女に憑依した時、彼女はアイドルになる。それが演技という概念だ。日本語で演技はhaiyuu(俳優)と言い、その本来の意味は「神に憑依される」というもの[俳優の語源については違う説明もある]。そんでもって多分、日本で最初のアイドルはウズメちゃんだな。彼女は最初のエンターテイナー兼、踊り子兼、お笑い芸人兼、役者兼、演奏家兼、歌手だった。そう、彼女こそ最初のGeigi[芸妓]、Geisha[芸者]だったんだよ。なんだってー。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ame-no-Uzume-no-Mikoto
最古の文学はどんな文明でも常に神話だった。つまり、最初の文学に出てくる登場人物は神々であり、そして役者は神々を演じた。だから演技は神の技、つまりオリシャ[ブードゥーの神々で、神ごとに踊りやリズムがある]と見なされたんだ、当然。それこそかつて俺らがmarebito[客人]を迎えたやり方だ。だけどボーカロイドの降臨以来、俺らはもはや四つ辻でエシュ=エレグバ[ブードゥーの神]を演じる人間を必要としなくなっちまった。コンピューターが女優を生み出し、本物の女優に取って代わったS1m0ne[映画]のように。そしてコンピューターに生み出されたアイドル歌手のミクが、本物のアイドルに取って代わった訳だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Orisha
http://en.wikipedia.org/wiki/Marebito
http://en.wikipedia.org/wiki/Eshu
http://www.youtube.com/watch?v=Yd60nI4sa9A
http://www.imdb.com/title/tt0258153/
ボーカロイドは演じる際に三次元の人間を必要としない。そう、miko[巫女](女性のシャーマン)は不要なんだ。日本で最も古い音楽劇はkagura[神楽](神の音楽)という。まとめて「Sarume」[猿女]と呼ばれていたウズメの末裔たちが神楽を演じた。そしてまさに、ミクノポリスこそが最新の神楽なんだ。つまりミクはウズメの直系子孫ってわけ。そしてミクはもちろんneo-marebito[新たなる客人]ってことになる。
アイドルってのは架空のキャラだ。なにしろそれはリアルじゃないんだから。なのに本物の人間がアイドルを演じるってことは、つまりアナログのアイドルとは偽物の人間、言い換えれば架空の人間ってことを意味する。かつてアナログ時代において、俺らは神の声を聞く巫女を必要とした。でももう巫女はいらない。なにしろ俺らは直接、神の声を聞けるんだから。それこそがデジタルアイドル! ボーカロイドのアイドルは偽物じゃない。架空じゃない。正真正銘、まさにそのままなのだ! 存在す、故に存在すってか。
そして今や俺らみたいな連中は好きなように音楽を作ることができる。俺らの歌を歌わせるために優秀な歌手を雇う必要はないし、音楽制作のためのスタジオもいらねえ。完全に大衆指向だ。誰でもボーカロイドを使って作曲ができる。
もしスティービー・ワンダーが音楽フレーズを創り出すためにボーカロイドを使ったらどうなるんだろうな。彼は様々な楽器からその潜在能力を引き出す方法を知っている人物の一人だ。モーグのようなとても原始的で陳腐なシンセサイザーですら、スティービー・ワンダーが使えば空前の偉大な楽器のように音を響かせるだろうさ。
http://www.youtube.com/watch?v=9CWqY94kwH4
これはプロレタリア革命というよりむしろボカレタリア革命なんだろうか? そう、確かに鏡音リンはプロレタリア革命を唱道している。だがな、労働に従事する人民は実は今なお奴隷状態にあるんだ。なぜなら、労働をするのは奴隷だけだから。労働はお前らを自由にせず、むしろ奴隷にする。アルバイト・マハト・フライ。労働は俺らを労働から解放しない。プロレタリア革命は俺ら全員を貴族ではなく、むしろ被搾取階級に仕立て上げる。
一方、ボカレタリア革命は俺らをまさに特権階級にする。かつてアイドルを雇うなんて贅沢ができたのは、成功したプロの作曲家だけだった。だが今や誰もがアイドルに自分の歌を歌わせられる。アクセスは力なり。インターネットは誰もが情報にアクセスすることを可能にし、そしてボーカロイドは誰もがアイドルにアクセスできるようにしたんだ。
ミクノポリスはフリッツ・ラングの映画メトロポリスの正統なる後継者だ。あるいは手塚治虫の方のメトロポリスかもしれない。アイドルとはつまり作曲家と聴衆の間をつなぐ仲介者/メッセンジャー。でも今じゃ仲介者に本物の人間は必要ない。かくしてフリッツ・ラングの予言は成就せり。それこそがミクノポリスであーる!
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
初音ミクのLAコンサートに関して、Promise Of Rebirthと題したそこそこ長い感想を外国人が書き込んでいた。正直、随分と難解な表現が多く、翻訳も怪しげになってしまった。書き手のHN(wintermuted)を見るに、本来なら黒丸尚風に訳すべきなんだろうが、とても私には無理。とりあえず訳してみたのを置いておく。無断翻訳なので匿名で。誤訳はあると思う。
なお原文のurlは以下の通り。
http://animediet.net/commentary/mikunopolis-at-ax-2011-promise-of-rebirth
+++++以下無断翻訳+++++
メガゾーン23に出てきた謎めいたヴァーチャルアイドルの原型たる時祭イヴがSFにおける一種の狂信的比喩として想像をかき立てる場面に現れてから四半世紀強ののち、昨夜のアニメ・エキスポにおける比類なきイベントMikunopolisがちょっとした進化的な跳躍を成し遂げた。西洋におけるこの概念の最も著名な派生例がアル・パチーノの穏健な映画[シモーヌ]、及びウィリアム・ギブスンのほとんど遺伝的に接続された精神[小説『あいどる』]を通じた形をしていることを踏まえるなら、数千人のファン(及び間違いなく好奇心旺盛な連中)がオタク世界のデジタル彼女アンドその友人たちと伴にロサンゼルスのノキア・シアターをほとんど埋め尽くすなんてのは、まだまだ先のことだと考えらていたに違いない。不可解にも外部に広がった走査線から、ケミカルライトやネギその他に鮮やかに彩られた通路に至るまで、それはリン・ミンメイだけを認める歓迎の場であった。今なお振り払っている最中である土曜夜のイベント後の残響は、かなり深い思考を私にもたらした。
いつもカリスマチックなダニー・チューによる紹介と、それに伴うダンスロイドの形をしたリズム点火係は、その先に待っているものの興味深い味見役を果たした。この前座は、おそらく秋葉系(Akiba-kei)の空気に慣れていない聴衆にとって、何が次に来るかを示す重要なリトマス試験紙だ。このショーを準備する時間がほとんどなかったことが見て取れる点が、これが日本直輸入の製品であり、一見客に対するちょっとした警告にもなっていた。私自身が見いだした特に重要な点についてはすぐに述べる。
既に日本で有名になっていたコンサートの形式をカンニング済みだった客の大半は、青緑色の髪が次々と繰り出す人気のある曲と、目がくらむようなライブ伴奏(39s Giving DayのDVDで演じたオリジナル奏者の大半、及びこの有名なディスクには含まれていない弦楽器奏者の面々)の混合物を味わった。その間ずっと聴衆は大いなる称賛のためリズミカルにケミカルライトを振り、その動きが最後まで全公演を通じて見られたのは心強かった(こうした行為、及びその概念に対する彼らの長く続いた反応は、米国の聴衆にとっては奇妙に思われるものであることを、私はこの場で認めなければならない)。ボックス席に座り、ステージから1階席、クレーンカメラ、そして複数のカメラで撮ったHDスクリーンのハイライト映像まで含んだ全景を見る。多くのミクのファンかつアーティストが作った聴衆が親しんでいるヒット曲、World is Mineやポッピッポー、サウンド[ママ]、ロミオとシンデレラ、その他多く(どこかでミラクルペイントを彼女に演じて欲しかった)は、オープンソースな現象がほんの3年でどれほど広がったかを示している。そして特に歓迎された巡音ルカ、鏡音リン&レンの登場は、観客の熱狂をさらに高めた。センターステージに置かれたほとんど透過性のスクリーンに跳ね返るホログラフィックな投影機は、時にミクが踊りながら少し両端に近づくたびにその限界を示したが、同時にこの海外遠征の短い命に対する理解を伴ってある種の魅力ももたらしていた。
こうした話を正しい文脈の中に置くため、ちょっとした歴史を思い出そう――小さな子供だった私は、おそらくは地元の祭に毎年来ていたレーザーライトを使ったショーを見に行ったおかげでそれを一つの起源として啓示を受け、1980年代初頭に芽吹いてきた新たなテクノロジーに興味を抱いた。そのショーとは、要するに空気で膨らませたドームの中で音楽に合わせて行われたレーザーペインティングで、客は入場料を払い、床に置かれたたくさんのクッションの一つに腰を据えて15分から20分間、まばゆい光の列と、ミッシング・パーソンズやトーマス・ドルビーなどのアーティストの曲に合わせたアニメーションを楽しんだ。今となっては原始的なものに思える――ミュージックPVはいうまでもなく、コンピューターが生み出すアートとアニメーションにつながる想像まで至るには長い道のりがあった。また、こうした地味な傾向が存在しなければ、84年のマクロス映画における楽しいコンサートシーンもある種心を揺さぶるほどのパンチ力は持たなかったと敢えて言うこともできる。私が思うにそれは時代の刻印であるが、同時にライブエンターテインメントがどのように変化していくか数十年にわたる発展を知らせるものでもあり、おそらくは音楽芸術の愛好者がいずれはあるところで分裂に至ることまでも示唆していた。
なぜならこの時代に育った者にとって、アナログからデジタルへ向かう音楽の傾向が何か恐るべきものとみなされ、音楽業界で排斥されたことが一般的な心象として残されているからだ。子供の頃にクラフトワーク、デペッシュ・モード、ジョルジオ・モロダー、YMOやソフト・セルなどのファンだった者にとっては、誰かがシンセサイザーの人工性を嘲り、音楽の自然さを殺すと聞かされるのは珍しくもないことだった。そしてこの議論の中に何粒かの真実が含まれているとしても、それは一方で、当時は多数のコンピューターと故障の懸念とショーを乗り切るためだけに間違いのない注意深さを必要としたこれらのかさばったキーボードから音を創り出す人間の努力と創意工夫を、台無しにしていた。最終的にこの否定的な議論は多くの未来の音楽及び演奏形式に付きまとい、興味深い結末をもたらした。それはまたミクのライブ伴奏をこれほど楽しく必要な要素にもした(ギターの黒田晃年、ベースの田中晋吾、ドラムの折田新、キーボードの安部潤――言及すべき弦楽器部門を除く。いずれもとても素晴らしい)。スタジオミュージシャンは、あらかじめ簡単に録音することもできる演奏に大いに心をこめることになる。新たな道具を愛するアマチュア音楽家と、伝統的なものとの融合実験によって、このショーはさまざまな要素を混ぜたある種の喜んで受け入れられるシチューとなり、ときにいくつか二級品の歌があったにもかかわらず、既存の姿ではなく可能性を約束するものとして機能していた。――以上がショー全体で私が本質的に感じたことだ。
誰も見失わなかったよう望むのなら、この最終目標へと向かうDNAを手に入れることが私にとってベストなのだろう。なぜLAのショーはこれほど意義深いのか、そしてVOCALOID、ミク及びこのようなショーが持つ主要な意味あいとは何か。
さてこれは真に落とし穴的な回答である。なぜならアイドル歌手という概念及びヴァーチャルアイドルに伴う必然的結末まで考えを煮詰めるからだ。我らが今いるのは現実に近づいたキャラクターアニメーションの時代というだけにとどまらず、オープンソース化した大衆文化の可能性がある時代でもあり、我々はオタクの領域を超えて全く新しい何物かになるまで成長しうるアイデアをおそらく目撃している。YAMAHAが今年のNAMMショー[米国で開かれる楽器展示会]で多用途VOCALOIDを紹介したのを見ても、現状はメディアを通じた古い分配モデルが不可避の断末魔を上げるところに達したと敢えて見なせるように思える。スペイン製のソフトから取りだした一つのアイデアを、音楽作成のための輝かしい新たなモデルへと広げ、そして数が多すぎ、時に厄介な日本のアイドル歌手業界を考えた場合に多数の集団に働きかける天才の発案に過ぎないマーケティングにまで、拡大する。終わりなき競争、怪しげな才能、さらに怪しげなマネジメント、生死にかかわる健康上の危険、類似性、そして夢想を維持してほしいというファンからの圧力に満ちた困難な人生――そう、こうしたマーケティング方式とファンに駆り立てられた神話が混じり合って音楽のスーパースターたちにかくあるべしとする任務を押しつけるのは、それこそVOCALOIDにとって理想的シナリオだ――しばしば置き換え可能で、派生的、はかなく、言うまでもなく消耗品であるミューズたちが、変化もましてアイデアも嫌う文化産業のために存在している。
考えてもみてほしい。マイルズ・ダイソンの言葉を言いかえるなら、これこそ決して疲れることなく、興奮状態にもならず、二日酔いで仕事に出てくることもないアイドルだ。彼女はショーを続けなければならないことを知っており、一瞬のうちにコスチュームを変えられる。何よりファンが歌を作り、バンドが彼女の横で演奏しているという2つの理由で、その歌は偉大である。過剰な荷物と期待を持つことなく、アイドルが実行すべきだと期待されるあらゆることをする能力を自ら持つミクの存在そのものが、ある種の輝かしいアンチテーゼなのだ。彼女は文字通り、何でも人々の望み通りになれる。汗一つかくことなく。
そしてこれほど目立つ歓迎を伴う西洋への紹介は、日本人にとってだけではなく夢を共有できる分野を長く求めていた世代にとっても何か極めて特別なことの始まりであり、過保護にされることなくさらなる発展が期待できる約束されたスタートだ。そしてこの夜の感動的な聴衆たちから判断する限り、長きにわたる憧れはついにその実を結んだようだ。
イヴ、シャロン、レイ……君たちの歌がますます現実に近づいてきた……
+++++無断翻訳終了+++++
言うまでもないがシャロンはマクロスプラスのシャロン・アップル、レイはギブスンの小説に出てくるヴァーチャルアイドル、投影麗(Rei Toei)である。
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
http://anond.hatelabo.jp/20110527203744
HTMLとかデジカメとかMacとか、いろいろ改変できそうなネタだけど、すでに成熟期に入っているデジタルオーディオプレイヤー(DAP)を同じように分けてみたい。
最初期の録音可能なデジタルオーディオはDATだが、当時の民生用としてはややオーバースペックだったためもっぱらプロユースだった。DATなんか趣味で持っていたような人は、たぶん今は逆にアナログレコードとピュアAUが趣味なんじゃないだろうか。ヱヴァでシンジ君が父親の形見(生きてるけど)として使ってたあれ。その後MDが発表され、ようやく一般家庭にデジタルなポータブルオーディオが普及する。ただこれらはあくまで「オーディオ機器でメディアに録音する」物であって、現代的なDAPとは違った。
現代的なDAPが発売されたのは1998年から。この当時はまだフラッシュメモリが高価で64MBとかが当たり前だった。この時代はソニー以外の国産メーカーは殆ど無く、iRiverやiAUDIOやMpioなどの韓国勢が主流だった。
この時期のDAPは、PCにつないで使うということで、家電量販店のオーディオコーナーではなくPC周辺機器のコーナーで売られていた。ちょうどWindows98がPCがマルチメディア化してったころ。ただMP3プレイヤーはまだまだマニアックなシロモノだった。この時期にMP3プレイヤーを使っていた人は、結構なギークではないだろうか。
その後ポータブルオーディオのシェアを大きく塗り替えるiPodが発売される。他のメーカーがプレイヤーのために変換転送ソフトを付属させたのに対して、iPodはまずiTunesが先にありそこからiPodを開発した。あと、HDDを採用しPC内のプレイリストを全部持ち歩けるようにしたのも画期的だった、
またアメリカでは2003年(日本では2005年)からiTunes Storeがサービス開始、他のサービスが苦戦する中でiPodの人気を背景に成功をおさめる。
このころ国産メーカーはどうだったかというと、2001年にPanasonicがSDオーディオを発売したり、ケンウッドがWMA対応のCDプレイヤーを発売していたが、いまいちぱっとせず、Apple VS 韓国勢という情況だった。特に「ウォークマン」のソニーがATRAC3やメモリースティックなどの独自規格にこだわったことや(SonicStageがものすごく使いにくかった)、日本の家電メーカーとレコード会社の関係から著作権がらみで消極的だったこともあり、海外勢に大きく水を開けられることとなる。
特にソニーのこの時期の迷走ぶりがひどく、Hi-MDとかVaio Pocketとかその後黒歴史化するシロモノを次々と出し、Appleにシェアを奪われていった。DAPに限らずDVDレコーダーや薄型テレビなどでも同じように迷走していた。その後のソニーの凋落ってじつはここから始まっていたんじゃないだろうか。
この時期に発売されたiPod miniは小型化と低価格化により爆発的に売れ、世界的に品薄の状態が長く続いた。はじめてのDAPがiPod miniという人も結構いるのではないだろうか。
シェアを奪われようやく危機感を覚えたソニーが、MP3やAAC、WMAなどマルチコーデック対応のプレイヤーを発売。家電メーカーらしい発想でHDD搭載のミニコンポを発売。これで「パソコンがなくてもDAPが使える」環境となる。
ソニー以外の国産勢は巻き返しを図るべく音質や付加機能を全面だす。東芝はワンセグ付きのプレイヤー、ケンウッドはデジタルアンプ付き、PanasonicはDIGAとの連携など。あと、日本メーカー品の多くはダイレクトエンコード対応で、PCなしで音楽を取り込めるという触れ込み(ただ決して使い勝手は良くない)。この辺はスマートフォンやPCと一緒で、よくも悪くも日本の家電メーカー的な商品開発。
一方のAppleはiPodを動画対応に。これはiTunesストアで映画やテレビ番組を配信・販売することを前提としたものだった。ただ日本ではこの時期はようやくiTunes Storeがサービス開始したばかりの頃で、動画を購入することは出来なかった。Apple以外のメーカーも、このころからオーディオプレイヤーからマルチメディアプレイヤーへの移行が始まる。更に低価格で簡素な機能のiPod shuffle、ミドルエンドのiPod nanoが発売される。iPod shuffleとnanoにより低価格化・小型化が進みより一般ユーザー向けに浸透する。
この時期はヘッドホンやスピーカー、FMトランスミッターや動画変換ソフトなど、サードパーティのアクセサリが拡充した時期だった。特にイヤホン/ヘッドホンなんか中価格・高価格帯が売れるようになった。ノイズキャンセリングヘッドホンとかDock接続スピーカーが出たのもこの時期。
DAPのデジタルデバイス化がより進む。iPod touchはマルチメディアプレイヤー機能に加え、ネットブラウズやメール、Youtube視聴、さらにApp Storeによりゲームやビジネスアプリなどを入れられる。iPod touchはiPhone替わりに購入した人も結構いた。
iPod shuffle 3GやiPod nano 6Gの滑りっぷりや見ると、「音楽プレイヤーとしてのiPod」の進化は今後大きくは見られないと思う。iPod classicもここ最近はあまり大きく変化してないし。国産メーカーは東芝・Panasonic・Victorが事実上の撤退状態。今後はスマートフォンやタブレット、電子書籍端末と競合がたくさんでるので、単なる音楽プレイヤーという市場は衰退するかも。
彼は仕事中の私が好き。
ゴールデンウィーク中、仕事以外でずっと一緒にいて気づいてしまった。
彼は私の優柔不断さにいらついている。
彼は私の甘えをうっとおしく思ってる。
彼は二人の時間を消費的に感じている。
本当は前から気づいてたけど、
そしたら彼は喜んでくれるけど、
そのたびに私は普段の私を蔑むことになるんだ
ほんとは、
そういうことがしたい。
二度と思い出さないようなテレビ番組を見ながら二人で食べて、
翌々日になっても洗ってない食器が流しにある。
そんな二人はいや
1Kとかの、魚喃キリコの漫画に出てるみたいなぐだぐだの部屋で
私は夏の昼下がりにじっとり汗をかきながら畳にぺたんって座って
折りたたみの鏡を見ながら化粧してアルバイトに出かけていく
貧乏で将来性もないけど、楽しくて
手を伸ばせばそこに愛がある生活
でもそんな未来こなかった
踏み外さずに生きてきたら、そんな未来こなかった
24時間働ける
認めてもらえるから
こんなに私を前向きにしてくれて
向上させてくれて
たくさんのことを教えてくれる
こんな素敵な人はいないと
でもやっぱり、わたしの生産的じゃない部分が、ほんとうの私なんだ
そう思うとやるせない
お母さんは、たわいのない話も聞いてくれた
落ちがなくても
ネガティブでも
じっとずっと聞いてくれた
もともとゲームと機械系が大好きだった私はすぐさまPCに飛びついた。
”インターネット”という言葉は学校で習っていたから、すぐに接続したくなった。
当時は光回線やADSLなんてもちろん無くて電話回線から直接繋ぐダイアルアップ方式。
全く未知の機械と、わけのわからない説明書を相手に何日もかけてやっとインターネットに接続できて
自分がWEBデザイナーを目指したのは思えばこの頃からかもしれない。
中学2年の時にインターネットに初めて触れた私は、その翌年初めての携帯を持った。
今の携帯電話のように、定額じゃないから毎月のバイト代はほとんど携帯の料金に消えていった毎日。
それでも、当時ははやってた魔法のあいらんどを見たり、まだこんなに有名じゃなかった携帯小説を読んだり
ネットで得られる色んな情報を見るのが楽しくてやめれなかった。
いつのまにか友達の間でパソコンのことはあいつに聞けば大丈夫。と見られるようになった。
答えるのも全然苦じゃなかったし、むしろこの頃からPCに関わる仕事をしたいと思うようになった。
初めは魔法のあいらんどとかで作っていたけど、物足りなくなってHTMLのテーブルを勉強するようになった。
まだCSSなんて無い時代だから、テーブルで枠組みして形になっていくのが凄く楽しかった。
それから時は過ぎ、WEBデザイナーの夢もあきらめた私はネトゲにはまって画面の向こうの彼に恋をした。
遊びじゃなくて本気で恋をした。
でもその当時周りには”ネットで会った”なんて言えないし、気持ち悪がられる時代の風潮だった。
本気でこう思ってた。
ネットで知り合った事をバカにされるのが辛かった。
時は過ぎ、今までPCさえ触れなかった友人達が”mixi”を初めていた。
この時は正直びっくりした、時代が変わったと強く思った。
そしていま、Twitterが流行ってますますネットコミュニティの加速広まっている。
こんなに嬉しい事は無い。
誰にもバカにされない時代が来たんだ。
TwitterのTLを見ていても、その人個人の持ち味が非常に出ていておもしろい。
ある意味アナログよりネットの方が、その人の人間性や持ち味を出せるんじゃないだろうか。
ネットコミュニケーションを使えば、社会にある色々な問題を解決できるんじゃないだろうか。
私はこの10年ネットを通じて色んな出会いをしてきたけれど、実際リアルで初対面の人より間違いなくネットで会った方の方が信用できる。
それはたぶん、当たり前だけど”信頼関係が出来上がってる状態”で会うからだと思う。
もちろんアナログも大切だけど、初対面から信頼関係なんて、なかなか築き上げれるものでは無い。
それをあっさり、気の合う仲間を探して人と繋がれる。
何て素敵なことなんだろう。
もっとみんなやればいい。
もっとみんな出会えばいい。
これからもっと加速するネットコミュニティをみんなに使ってほしい。
そんな想いです。
とりあえずこの人たちに共通しているバックグラウンドは、院とか博士課程とか行ってて学校生活が長いこと。現実をドライにクールに客観視したり、それについて文章書いて人にみせるのが好きなようなんだが、人の行動とかアナログな要因が入る物事に関しては考察が劇尼になるようですわ。
最近は、東電とか政府の対応がどうこうだとかっていう新聞記事をよくみるじゃないですか。原因の解明はもちろん大切なことなんだけどさ、この人たち、WSJとかの記事をわざわざひっぱってきて、欧米でもこういわれている、やっぱり東電ダメだわ、とかって言いたいみたいなんですよ。でもこれ結果論が多くて、東電を叩くことが目的な記事なんだよね。それを鵜呑みにしちゃっていて、東電と政府はここが甘いんだ、みたいなことをえんえんというんですよ。Facebookで。うざいでしょ。記事見ればわかるよ。
本人はWSJとかの記事の検証とかをするつもりはまるでなくて、WSJが言っているから日本はダメって毎日吠えてる。万が一の対策しないとダメなんだってWSJに書いてあるからそれを自分の意見と勘違いしちゃっているみたいで。あんた、車乗るけど自動車事故に遭う可能性があることを考えたら乗らないほうがいいんじゃないって突っ込まれてたらなんか激怒してた。
でも計画停電って、まずテレビ局から是非実施してもらいたいです。
例えば、フジテレビを例に挙げると、アナログ波で映像+音声で62.5kW、デジタル放送で10kWの出力があります。
大体携帯電話が0.25w位なので、約29万台分位の出力になります。これが一つの放送局の一つの基地局。さらに中継局がフジテレビを例に取ると、wikiをみると大体20箇所くらい。1カ所5kWだとしても、2万台分。だから20カ所で40万台分位。合わせたら一つの放送局で約70万台位の携帯電話が通話してる分位の電力を使っている計算。
さらに、テレビを見ていても、あれだけの照明を付けて、空調を効かせて、カメラなどの放送機器を使っています。もう、合わせたらどれだけ電気を使っているか?って考えちゃうんですよね。
輪番停波
昼間は一日毎に民放一局ずつ停波していけば良いのにって思うんです。中小企業とか、病院とか計画停電を実施されている裏で、昔の再放送をひたすら垂れ流す意味があるのかと。
せめて東京キー局にこだわらず例えば地方で作った番組を流すことによって、東京のテレビ局だけでも電気節約できるんじゃないの?って思うんです。
なんか視聴者に「電気をこまめに消しましょう!」といってるそばから、ニュースの奥でずらーっとテレビの電源が入って、薄着で、照明がガンガン当たってるスタジオを見ると・・・興ざめになるひねくれ者です。
そしてその後に起こったことたちについて。
君はちょうど小学校の下駄箱にいて、下校する直前だったらしいね。
揺れ始まってまず見たのは、時計だった。君が学校にいる時間なのか確かめたかったから。
だけど運悪くそれはちょうど君が下校するくらいの時間だったね。ママは不安で不安で、揺れの恐怖よりも君のことばかり考えていた。
幸いにも君は学校を出る前だったみたいだけど。本当に、君が一人で道路の真ん中で怯えていなくて良かったよ。
揺れは、長かった。
建物はきしみ、壁にかかっていたものが落ち始め、天井のプロジェクターは私の頭上で振り子のように揺れていた。
そして最後に蛍光灯がジジジと不気味な音を立てて消え、とうとう揺れは収まった。
とにかく、長かったよ。
ママはこりゃ大ごとだなと思ってね。だって、電気が消えちゃったんだもの。
揺れたこと自体はママはそんなに恐怖じゃ無かったよ。ずっと、見てた。
どんな風にどれくらい揺れるのか。
「いいから机の下にもぐれ」って、隣の先輩に怒られたんだけどね。
でも、見たかったんだ。世界を確かめなくちゃって思った。くっきりとそう考えたことを覚えてる。
目をこじ開けて、全部を、見たかった。
会議室にはその時職場の人全員がいて、誰からともなくみんなが声を出していたよ。
「まだ揺れてるから、動かないで」「上注意だよ。プロジェクターが危ない」「揺れ強いよ。まだまだしっかり」「続いてるよ。まだみんな隠れて」「みんな、大丈夫?怪我してる人はいないよね?」って
あちこちで声が上がっていた。ママは一番下っ端だから、じっと黙っているだけだったけれどね。
良い職場だな、と思ったよ。世の中の人たちはどんな感じであの揺れを耐えたんだろう。
君はお友達と一緒だったんだよね。良かった、一人じゃなくて。
お友達が「バスみたい!」って喜んだそうだね。良かったよ、頼もしいお友達を持って。
あんなこと、きっと君が生きている間にはもう二度と起きないと思う。と、信じたい。
ママは会社から退社の許可が出て、一番最初に会社を飛び出したんだよ。
ママの会社って何百人もの人が働いている工場なんだけど、一等賞だったんだよ。すごいでしょう?
車に飛び乗って、車のナビでNHKにチャンネルを回したんだ。どんな状態なんだろう、と思って。
その時に見たのは、街が海に飲み込まれていく映像だった。ハリウッド映画じゃないよ。生中継だ。
大津波警報って、なんだ?大津波?この映像は?現実なの?一体、どこなの?どこの海で津波が起こってるの?
さっぱり訳が分からなかったよ。だって、信じられるかい?街が海に浸かるなんてことを。
そしてそこは、君も知っている場所なんだよ。
一旦車を家に置き、自転車立ちこぎで猛スピードで小学校に着いた。
最初にママも顔見知りの君の友だちに会ったんだけど、その子は顔を真っ赤にして泣いていたよ。当然だね。不安だっただろう。
でも君は不思議と泣いていなかったね。
硬い顔で
「さむさが限界だよ」
帰り道には冷たい雪が降ってきて、街がどんどん暗くなってきた。
街は不安に包まれていた。
あの時、不安は形になって、色になって、私たちの住む街に降りていていたと思うよ。少なくとも、ママにはそう見えた。
これは大ごとだ、って。確かめるように何回も考えた。
確かに大ごとだったんだよ。
ママがテレビも見れず、知らない間に、津波は宮城県の全ての沿岸部を根こそぎ持っていってしまった。
でもママはそれを知る手段がなかったんだよね。
唯一手元にあったのはラジオだけで、でもラジオでは津波がどれだけの陸地を飲み込んだのかは想像できなかった。
君と一緒に行ったことのあるショッピングモールも、水に浸かったそうだよ。
君と一緒に遊んだサイクリングできるあの場所も、なくなったよ。
君と一緒に船に乗ったあの港も、君と一緒に買い物をした市場も、みんな、みんな、波が持っていってしまった。
私がそれを知ることができたのは、それから何日も経って家に電気が来てからだったけど。
君を仙台空港の近くの海のそばにある公園に連れて行くつもりだったんだ。
だからもしもあの地震が一日ずれていたら、私たちは死んでいたかもしれないね。
だってあの場所に、あんな津波が来るなんて全く想像つかないよ。正直、今でも信じられない。
それが、一瞬でなくなってしまうなんて。
どうやって信じたらいいのだろう。
ないよ、ってママは答えた。
もう、あそこには公園作らないの?って君は訊いたね。
どうかな、ってママは答えた。
でも、誰も悪くないんだ。あの公園がなくなったことも、何もかも、全部。
あの日あの時、起こったこと。
そしてこれから起こるであろう全てのこと。
ママたちは津波の影響がなかったから、家を片付けて、ライフラインが復旧すれば
とりあえず身近な日常に帰ることができる予定だった。はずだった。
掌に収まるほどの小さなラジオが、大事な大事な全ての情報源だったんだ。
こうやって考えると皮肉なものだね。
ママは普段からパソコンだの携帯だのって、デジタル漬けになって生きていたのに
結局あんな時に頼ることができたのはアナログだけだったんだものね。
ラジオから貰える情報は限定的だった。音声のみのデータでは、余りにも物足りなかった。
でもNHKのアナウンサーは繰り返し、福島原発が良くないということを伝えていた。
最初は、電源が使えなくなって冷却ができない状態に陥ったこと。
次は、核燃料が溶けているかもしれないこと。
そして、爆発したこと。
分からないっていうことは、不安ということなんだと、今回とくと思い知ったよ。
情報と知識があれば、何事にもそれほど恐れずにすむことを。
知識は人を強くするから。
知らないってことは怖いことなんだって、気付いた時には遅いこともたくさんあるだろうから。
何が起こっているか、分からないこと。これから先、どうなるか分からないこと。
それらがママをどんどん蝕んでいった。
彼が出てきて話すことといえば、やれ爆発しただの、やれ退避しろだの、やれ念のため家の中にいろだの、
そもそも原発の事故ってだけでもとてつもなく恐ろしいことなのに、
その内容たるや、時間が経てば経つほどに悪化して行っている。
ママはね、自分が生きてる間に戦争が起こることって想像したことがなくて、
でもこれは、戦争だと思ったね。
その時はちょうど電気も無くて、買い物するにも屋外に商品をとりあえず並べたものを何時間も並んでちょっと買うしかなくて、
ママは思ったよ。
これは戦争だ。ここは戦中なんだ、と。
そして、まだそれは続いている。
うちに電気がきて、ママはいつも通りにインターネットを使えるようになって、
スーパーも徐々に開いてきて、でも、
まだ何も解決はしていない。
ラジオから二号機の核燃料棒が全て露出して、炉心が溶けたかもしれないってニュースが流れた時に
その時は、ママには君を守ることができないかもしれないって、本気でそう思ったんだ。
何があっても、ママは君を守り抜くって思って生きてきていたんだけれど、
うちにはパパって人がいないから、絶対に絶対にママが君をどうやったって守ろうって思っていたのだけれど、
どうも、ママにでもどうすることもできないのかもしれないって
うちから原発まではたったの80キロほどしか離れていないからね。
原発に重大な何事かがあったら、多分我々も駄目になるだろうからね。チェルノブイリのようなことがあったらね。
すぐには死なないかもしれない。
でも、身体に影響はあるかもしれない。
君は子どもが産めない身体になるかもしれない。
いや、産めないわけじゃないかもしれないけれど
でも宮城県出身だからっていう理由で差別されて結婚できなくなるかもしれない。
君はたったの7年しか生きていなくてこれから先何十年も生きて幸せになるはずで、
でもその全てを原発に奪われるのかもしれない。
2011年3月11日まで、当たり前のようにこの先ずっと生きていくんだと思ってた。
そうしてどんどん君は大きくなって、運動して勉強して、そのうち反抗期になったり恋したりして、
当たり前のように大人になるんだと思ってた。
でもそれは簡単に手に入るものじゃなくなった。
訳の分からないうちに。
福島原発の一連の事故に対して最初に抱いた感情は、絶望だった。悲しみだった。
次に浮かんだのは怒りだった。そして不信感だった。
ラジオと新聞の情報のみの電気が無い状態では、自ら調べることはできない。焦燥感が募った。
そして、憎かった。原発が。東電が。政府が。そして、東京の人すら。
君はさ、まだ7歳で
今ここで何が起こっているかなんてことは、到底理解できないと思うんだ。
多分君の未来には、日本の未来も含まれているんだろうと思う。ひょっとしたら外国に永住するかもしれなけどさ。でも故郷は必要だろう?
だからママは日本の未来について考えなくてはいけないと思ったんだ。
調べたよ。たくさん。原発のことなんて、今まで気にも留めてなかったからね。
放射能と放射線の違いすら知らなかったし、同位体って何のことだかもすっかり忘れていたくらいだったけれど、とりあえずいっぱい調べた。
ああ、余談だけど、やっぱり勉強は大事だよ。ママも昔、ちょっとはしたんだよ。化学も物理もやった。そのベースがなかったら、ちょっとしんどかったかもしれない。まあそれはいいんだけど。
調べたからって正答を得られるわけじゃないんだよ、勿論。
考えなくてはいけない。どんなに困難でも、逃げるという選択肢はない。自分たちの問題だからね。
どこかで誰かが解決してくれるだろう、ってわけにはいかないんだよ。
だから考えなくてはいけないよ。諦めずに、信念を持って、考える必要があるんだ。
ましてや人の命よりも大事な電力なんてものもないんだってこと。
原発がなくなったら、確かにしんどいことが起こるだろうと思うよ。
とんでもなく不便で、そして貧乏になる。私が貧乏なのはまあ、いいけど、日本という国の全てが貧乏になるだろうね。
不便もどれくらい我慢できるんだろうね。今まで無尽蔵に電気を使ってきたからね。
とてもとても、想像つかないけど、どうにかできないこともないはずだと思うよ。
でも、仕方ないよ。
何だって変わり始めはしんどいもんだよ。当たり前だよ。
ママも離婚したての頃はしんどかった。する前は不安だった。でも、どうにかなったよ。どうにか、したんだ。
でもこれは日本という国全ての話だからね。ママの離婚と比較するのはおかしいだろうね。
国の全てがしんどくなるって分かってる方向に向かって、舵を切るのが困難だってことも分かる。
勇気がいる。痛みも伴う。そして、犠牲も。変化は怖いものだよ。いつだって、どんなことだって、そうだ。
だけど私たちは、ずっと先のことを見なくちゃいけない。これから先の、未来のことを。
今この瞬間が辛くてもいいんじゃないかな。十年後、二十年後、五十年後、百年後、いやそれよりもっと先でもいい。未来が幸せになれるんなら、いいと思うんだ。
でも、原発を使い続けて、明るい未来はやってくるのかな。何百年後かの君の子どもの子どもの子どもだって、困るんじゃないのかな。
人間はさ、失敗するもんだよね。
でも失敗は成功のもとだよね。君にもいつも教えてるよね。
勿論、国だって馬鹿じゃないから、津波対策とかはするだろうよ。
多分、無理だよね。だって人間は失敗するんだもの。いつかは必ず、何かが起きるよね。
ママは何かが起こったときに、誰かが命張ってじゃないと止められない仕組みなんてあっちゃいけないと思うんだよね。
今もどこかの誰かが命掛けで、どうにもなんない原発をなだめようと頑張ってる。
でもそれが、家族だったら?君だったら?
日本は変わるよ。変わらなくてはいけないんだ。ママにはそれがはっきりと分かったよ。
こんなこと考えたのは生まれて初めてだよ。でも必ずどうにかしなくてはいけない。
強く強く、そう思ってる。ママにはなにができるのかな。きっと、何にもできないとは思うよ。
だってママは東北の片隅の工場でチマチマ働いてるだけの人だからね。政治家でも学者でもないからね。
だけど考えることはできる。そんなに賢くはないちゃらんぽらんで頼りないママだけど、君のためなら必死に考えるよ。
2011年3月11日は、日本にとって重大な日になるはずだと思う。
君もママもこの瞬間に立ち会えたこと、そしてその渦中にいたこと、これはとてもとても貴重な経験だと思うよ。
人によっては運が悪かったって思うかもしれない。
でも、違うんだよ。
私たちはね、歴史の変わり目に立ち会えたんだよ。
2011年3月11日に始まった悪夢を、一つも無駄にしてはいけない。
これを二度と繰り返さないために、未来に伝えていかなくてはいけないんだ。
私は君に伝えたいと思うよ。
この全てのことを、忘れないで。
枝葉だけど。アナログOK、デジタルNG、だったのはたまたまだと思うぞ?
家のアンテナか送信所かどっちの問題かは分からんが、たまたまデジタルの方がぶっ壊れただけであって、逆だったとしてもおかしくない。
今回の災害で実感したこと。それは、太陽光発電すげぇってこと。
うちの実家は被災地にあって、電話は使えないわ、周りは停電するわ、TVも見れなくなるわ、その他もろもろ大変だったみたいだけど、
でも太陽光発電が機能してれば、その蓄電でアナログTVは見れたんだって。(デジタルはアウトだったらしい)
これ、情報が凄い必要な現地の人間にとって、かなりのメリットだと思うんだ。
話を聴いたとき、ほんとスゲー!!って思った。
蓄電があるから、無駄遣いはできないにしろ明かりも、コタツも電気カーペットもIHクッキングヒーターもエアコンも使える。
…まあエアコン使ってたら無くなっちゃうだろうから無理としても。
政府はもっと、太陽光発電への補助をしたほうがいいと思うんだ。
津波で流されちゃうとどうしようもないけどさ…
でも身寄りを頼った先で暖が取れるのととれないのとじゃ、不安な気持ちだって段違いだと思う。
原子力は問題になってるけど、それをなくせって言ってるわけじゃない。
でも電力の維持は絶対必要で、どれも無くせと言って無くせるものじゃない。
特に原子力は安定した電力を供給してくれる。揚水発電所もあれば、余剰電力の蓄電だってできる。
でもそこに、それこそ日本のほとんどの世帯が太陽光発電を設置していたなら、
少なくともリスクヘッジにはなるし、電気も電気会社に売れる(ほとんど割引ぐらいにしかならないけど)。
電気会社への負荷が減るなら、多少でも他の発電所の環境リスクを減らすことだってできるし、災害後の立て直しにも有利かもしれない。
最近、アフィリエイトサイトやブログの形も随分変わったなぁと感じている。
アフィリエイト系の初期の頃というのは、大量生産が基本だったと思う。
質より量。リンクの張り方も、騙し的な感じが多かった。
現在でも、大量生産派もあるかもしれないけれど、少なくても「ファンが付く」という作り方ではない。
でも、近頃では、1つのサイトを充実させて、リピーターを作るような作り方が基本的になってきたと思う。
それゆえ、例えアフィサイトであっても、ブクマしたりTwitterでつぶやいたりと口コミに乗るようなケースも増えてきた。
サイトのデザインもお店のように気合が入っているし、また、商品を紹介する言葉のユニークさが
より商品の魅力を引き立てている。セレクト自体も、「これ、面白い!」と他の人に伝えたくなるものが多い。
が、ホッテン入りなどで見るようになった。
必ず読んでおきたい、今までで最もブックマークされたAmazonの本ベスト50などもあり、上手くまとめてある。
いずれにせよ、ここまで来ると、ブランディングの域だよねと思う。
また訪れてみたい、何かあるかもしれないと思わせる要素がある。
ターゲット層のニーズをくすぐるように、ある程度特化して提供している。
あと、考え方としては、以下のも面白かった。
今年こそWebサービスを作りたい人に伝えたい5つのこと(+番外編) - パパパパ
http://d.hatena.ne.jp/hajimeataka/20110214/1297645090
ハイスペックなパソコンが必要なFFの需要に合わせて、サイトを作り月3000万円の売り上げがあったらしい。
いち早く、ニーズをつかんで提供する、というやり方もあるんだね。これは、また上記のやり方とは違うと思うけれど、
場合によっては、この2つの要素を組み入れたサイトなどもできそうな気がする。
それと、独自ドメイン+サーバーのほうが良さげかな。デザインも魅力的にこしたことはない。
魅力的というと難しいし技術が必要になりそうだから、ターゲット層に合ったデザインと考えるのが良いか。
あとは、分かりやすさ。Twitterの140字以内で説明できるぐらいが丁度よさげ。
それと、サイトの説明を他人にするときに分かりやすくて、簡潔で、印象に残るものがいいね。
さらには、需要か。誰も望まないのを作ったところで、誰も来ないわけだし。
上記を考えたら、色々思い浮かびそう。組み合わせで、今までないものを作る…か。
例えば、魔法少女まどかマギカのスレをまとめて、アフィを貼るとか、
アナログテレビの人はまだまだ世の中に残っているだろうから、地デジ用に乗り換えようとしている人向けにサイトを考えるとか、
うーん、でも、自分で関心のないサイトを作るのも楽しくないし、作ってて面白いのがいいなぁ…と、思って作ったのが、
記事が増えるのはこれからですが、今後ともよろしくです。ぼっちだと宣伝方法もないよね…(´・ω・`)ショボーン
id:ronck え、windowsに入れたsafari5.04では落ちてないのですが。MACだと落ちてるのかな…。(追記:たぶん直った…はず)
id:cootye 実は今回のブログは稼ごうなんて(あんまり)思っていなくて、素朴な疑問を形にしてみたテストです。
ジャンル的にもウケないでしょうし、また誰かとつるむ気もないです。トップページと、このエントリ以外のセルクマはしない、
Twitterでのフォローもしない…という感じですね。得るモノあったら、次に活かそうかなと(うまくいったらそれはそれで)。
興味あるなら、丸1か月後にTwitterか増田あたりで、UU、PVの結果、楽天、Amazonの収支報告をしてもいいです!
id:ftype そうですね、今回はいわゆるまとめ系の戦略ではなく、意図的に実際のネットショップの
ような細分化したカテゴリ配置にしてあります。一度アップした記事でも、中身を随時入れ替えていくので、
記事が溜まってからが、本領発揮かなぁと、割と長い目で見ていますが、どうなるやら…。
ヘッダーのお褒めの言葉、ありがたいです。おっしゃるとおり、試行錯誤したいと思います!
id:cootye お、再びコメありがとうございます!すごく励みになりました!
id:keipeace なるほど…記事タイトルの色合い、フッター共に考えてみます!確かに、殺風景ですよねぇ…。
id:raf00 うーん、どうなんでしょうね。例えば、2年ほど前は今よりTwitterなども普及していなかったので、
また変わってくる気もします。
id:kururi0421 おお、王道の1つなんですね!
…スーパーアフィリエイター気になる…。たぶん、稼ぐ方はAmazonや楽天ではなくA8.netなど報酬単価が高いほうの
稼ぐ方はabiruyさんのサイトのように、最初の一歩目から、いかに人的作業を減らすかを考えて作るか…でしょうね。
id:valinst …?トップ絵は変わっていませんが…。
無断転載みたいな on Twitpicとかを見て。
無断転載が善だとは思わないけれど、転載そのものをそれほどまでに忌み嫌う人たちの気持ちが正直よくわからない。
いや、理解はできるのだけれど、自分はそう思わない、というべきか。
アナログならともかくデジタルのデータをコピーされたからなんなんだと。
それを描けるのは世界に自分ひとりだけという自負があるならどうでもいいじゃないか。
その絵を描くための技術やら精神やらまでが盗まれるわけではないのに。
もちろん無断転載によって、作者に還元されない金銭的利益が発生する場合は、存分に著作権を主張して戦うべきだろう。
また、作者詐称など、作品のステータスを変化させるような虚偽も許されるべきではない。
しかし、これらは無断転載にともなうかたちで行われることであり、無断転載そのものを必要以上に忌み嫌う必要はないんじゃないか。
とはいえ、Webに限った話で言えば、ハイパーリンクという便利なものがあるから、そもそもコピーしての無断転載ではなくリンクを引けばいいだけ、という反論はあると思う。
しかし流動的なWeb上のこと、好きな作品を確実にコピーして保存しておきたい、という鑑賞者の気持ちもわからなくはない。
私の絵を見たうえで、これを読んだあなたはこう言うかもしれない。「それはお前が無断転載されるほど魅力的な絵を描けないから言えるのだ」、と。
確かに、今の私の絵はへただし、好き好んで無断転載したい人間なんて、そう多くはいないに違いない。
だが、私は絵がうまくなったとしても、いや、うまくなったからこそ余計に思うだろう。
これと同じものを描ける人間なんていやしない、いるなら出てきてみろ、と。