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2022-07-14

女性将棋競技人口は実際どれくらい少ないのか

女性棋士が今まで一人も誕生していないのは競技人口が少ないからだ」とよく言われる。

まず前提として、「棋士」(男女問わない)と「女流棋士」(女性のみ)は別の制度である。勿論女流棋士将棋を指して対局料、賞金を得るので「プロである

棋士」になる方法を簡潔に言うと 1)「奨励会」に入会する 2)26歳の年齢制限までに四段に昇段する(1年間で4人) 

ルートの「棋士編入試験」(注1)については一旦置いておく。

奨励会の一番下のクラスが6級で棋力はアマチュア四~五段に相当する。

そして入会者のほとんどは小学校高学年~中学生中学生入会でもやや遅いと言われ、高校生以上から棋士を目指すのは相当に難しい(注2)。

今回は小学生将棋大会奨励会における女性割合を調べてみた。

棋士登竜門と言われる「小学生名人戦」(注3)から見ていく。

小学生名人戦方式は 1)各都道府県で予選を行い 2)各都道府県代表者東西に分かれリーグ戦トーナメント戦を行い各2名が勝ち残り 3)準決勝・決勝が行われる

小学生名人戦 歴代ベスト4

参照元日本将棋連盟 小学生将棋名人戦 https://www.shogi.or.jp/tournament/elementary_school_meijin/index.html

ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%B0%86%E6%A3%8B%E5%90%8D%E4%BA%BA%E6%88%A6


1976年2021年の46年間。184人のうち女性は3人
→全体のうち女性割合は1.63%

小学生名人戦 都道府県代表選手基本的に各都道府県1名)

参照元日本将棋連盟 小学生名人戦代表選手一覧(2011年第36回以降は女子赤字記載されなくなった為集計が難しい)

2002年2010年の9年間。436人のうち女性は18人
→全体のうち女性割合は4.1%

小学生名人戦都道府県大会

都道府県在住の小学生であれば誰でも申し込み、参加することが可能だ。県によっては小学生名人戦代表決定クラス初心者交流戦クラスを設けているところもある。

2022年に行われた静岡県予選大会ニュース記事より

公文小学生将棋 静岡県予選会

https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1016393.html

県内小学1~6年生計48人(うち女子6人)が出場。
→全体のうち女性割合12.5%


2019年に行われた千葉県予選大会大会運営関係者ツイートより

小学生名人戦千葉、159人参加でしたが、うち女子は8名。女子率5%。昨年はだいたい1割だったのですが。(後略)

https://twitter.com/doihishako/status/1089452007193104384

データが少なすぎるので女性参加者割合をはっきり言うことができない。上記2例は参考程度に。

追記)つまり小学生名人戦に関して言うと

都道府県大会参加者(0〜2割以下?)→各都道府県代表(4%)→ベスト4以上(1.5%)


出場資格小学生大会小学生名人戦以外にも倉敷王将戦JTこども大会など……。

奨励会

蛸島女流六段が女性として初めて奨励会に入会した1961年以降の奨励会の人数を調べた。

参照元将棋順位戦データベースの各年度奨励会入会者一覧(昭和31年度から)(〜2014年

2014年以降は将棋世界の奨励会のページ(〜2022年8月号)をチェックして人数を加えた。

表にしました→https://i.imgur.com/YmNxtNP.jpg

1961年から2022年7月現在までの62年間で累計奨励会員の人数は約1300人。
62年間で女性の入会者はちょうど20人。
→全体のうち女性割合は1.5%


現役の奨励会員に限ると(https://www.shogi.or.jp/match/shoreikai/

2022年7月現在三段リーグ41人、関東奨励会(二段以下)71人、関西奨励会(二段以下)68人、合計で180人の会員がいる。便宜上4月以降に昇段を決めた新三段も二段以下としてカウント

現役奨励会員180人のうち女性は2人
→全体のうち女性割合は1.1%


なお、奨励会の入会方法は1)毎年8月に行われる「奨励会入会試験」(注4)2)「研修会」(注5)から編入 の2つがある。

8~9割は奨励会入会試験を経て奨励会員となる。人数の上限はなく、年度により入会者数はバラバラ

最初の方でも書いたが奨励会の一番下のクラスの6級の棋力はアマチュア四~五段に相当する。

奨励会には小学生中学生大会で県代表クラスの強豪キッズたちが全国から集まってくる。

最後

ここから個人的な推論

小学校高学年(~中学生)で全国レベルの棋力を持つ女性割合が少ない理由として考えられるのは、

幼稚園小学校低学年の間に将棋を覚える女性が少ない

小学校高学年まで将棋を続ける女性が少ない

さらに言うと

①……親や祖父母女子将棋を教える割合男子に比べ少ないから?

将棋に興味を持つ割合女子男子に比べ少ないから?

②……男子の人数が多い環境だと習い事として続けにくいから?

脚注

1 過去に「編入試験」を受験し四段になった瀬川晶司六段、今泉健司五段、折田翔吾四段、そして今回受験を表明した里見香奈女流四冠の全員が奨励会に在籍経験があり26歳の年齢制限により三段で退会している。

現行の棋士編入試験制度奨励会を経ずアマチュアから棋士になった人は2022年現在は0人。

2 奨励会受験するにあたっても年齢制限があり、16歳は5級受験以上、17歳は4級受験以上と年齢が上がるとハードルが高くなる。

詳しくは→ 日本将棋連盟2022年奨励会入会試験のご案内 https://www.shogi.or.jp/news/2022/07/2022_1.html

2000年以降の入会者のうち5級以上で入会し四段になったのは渡辺正和六段(19歳・初段入会)と竹内雄悟五段(16歳・3級入会)の2人のみ。

残りは全員15歳以下6級で入会している。

3 「小学生名人戦」の歴代優勝者には羽生善治九段渡辺明名人らがいる。

直近の四段昇段者である徳田拳士四段、岡部怜央四段はそれぞれ同大会で優勝、準優勝の経歴がある。

4 「奨励会試験」は受験者同士が対局する一次試験と現役の奨励会員が試験官となって対局する二次試験がある。奨励会試験合格する割合は2~3割と聞いたことがある(この数字不正確)。

5 「研修会」は一般的奨励会下部組織と言われるが、全員がプロ志望とは限らない。一番下のFクラスアマ初段の棋力が必要

2022年現在制度では研修B2女流棋士2級の資格を得る。研修B2は棋力としては奨励会6級相当(ただ奨励会6級受験研修会B1で不合格の例もあれば研修会C2で合格することもあり一概には言えない)。

ーーーーー

追記1961年から2022年7月現在までの奨励会員入会数・昇段者数の表を再掲→https://www.shogi.or.jp/match/shoreikai/

2008年度以降の四段昇段者数の数字に※が付いているのは現役の奨励会員が在籍しているため。

また奨励会退会後編入試験を経て棋士になった人は四段昇段者に含んでいない。

三段リーグが発足した1987年から2007年度までの入会者数は453人、四段昇段者は91人(20.08%)。

奨励会に入会した2割が棋士になっている計算だ。

2020-02-27

anond:20200226183247

年齢制限奨励会出された折田さんが本田五段に勝ったことより、本田五段が初参戦でタイトル挑戦してることのほうがすごくね?

anond:20200226183247

折田アマそもそも奨励会三段リーグ所属してて規定プロなれずに退会になった人。元々プロに近い実力があった。

奨励会やめてから強くなった例は他にもあるからyoutuberから~という指摘は見当違い。

anond:20200226183247

将棋プロアマチュアでは「強い」の意味全然違うというのは多くの場所で言われている。

アマチュアは対戦相手情報ほとんどないため、奇襲が通用やすく、その場限りで強ければある程度何とでもなる。

しかプロは精々百数十人で何十年も戦い続ける。変な戦法は即座に対策されるし、相手の得意先方に真っ向から立ち向かって組み合う力を求められる。

また、プロは持ち時間アマチュアより相当大きく、より深い思考力が求められる。

瀬川晶司今泉健司プロ入り後、いまいちぱっとしていないのも、上記理由によるものと思われる。

要するに、プロ棋士から見て「アマ強豪」は、よく知らないので対策が立てづらいが、プロ棋士棋譜も多くあり、アマ側は対策がしやすい。初見ではアマ強豪が有利と言える。

しかし、プロ入り後に丸裸にされて延々スパーリングを続けなければならなくなったとき地力が問われるということである

そういった意味で、編入試験突破あくまで最低条件であり、折田翔吾も本当の評価はこれからと言える。

ちなみに、折田翔吾が編入試験資格を得た10であるが、勝っている相手ほとんど全員が大した成績も出さずにピークを過ぎてぱっとしない下位の棋士であり、トップ棋士や実力派中堅には負けており、実力派若手とは五分かやや分が悪いように見える。アマ有利な状況でこれなので、プロ入りして揉まれときにどのあたりの位置に付けるかというのもある程度想像はできるかもしれない(とはいえ、我々のような一般人比較すれば、神のようにめちゃくちゃ強いことには変わりがないのだが)

2020-02-26

プロ将棋指しという職業

先日、一人のプロ将棋棋士誕生した。 

  

ユーチューバーである折田アマ将棋棋士編入試験を3勝1敗と勝ち越し、見事プロ将棋棋士となったのだ。

私はこのニュースを見た時、おめでたいという気持ちと、何かもやもやとした気持ちを抱いてしまった。

  

折田アマ最後の対局で勝利を収めた本田5段は、現在棋王戦というタイトル戦を渡辺3冠と互角に争っているトップクラスの強さを誇る棋士だ。

将棋界にはタイトルが全部で8つあり、そのうちの3つは渡辺3冠が持っているのである

そんな最強の棋士と、棋王戦で1勝1敗の互角の戦いを繰り広げているのが本田5段という棋士なのだ

  

私が感じたもやもやというのは、そのトップクラスの強さを誇るプロ棋士アマチュアのユーチューバーが破ったということだ。

将棋という運要素の無いゲームプロが負けたというのは、アマチュアとプロの間に殆ど強さの差がないことが証明されたということになる。

  

将棋本来プロを目指す方法奨励会に入り、ひたすら将棋で勝つことでプロ棋士になれる。

言い換えれば、将棋プロになる条件は将棋が強いことだけなのだ

  

私はプロ将棋棋士の強さに憧れていた。

スポーツ選手好きな人だってそうだと思う。

仮にイチロー草野球選手に負けたらファンはどう思うだろうか?

プロ野球と草野球レベルがほぼ同じだと知ってしまったら、今までと同じ気持ちプロ応援出来るだろうか?

  

スポーツ将棋などのマインドスポーツの一番の違いは、マインドスポーツAIが人を超えてしまっていることだと思う。

パソコンが一台あれば、超一流のコーチ専属で教えてくれるのだ。

勿論、人間が教えてくれるより不親切だし、何より本人のやる気が重要になってくるだろう。

だが、逆に言えばやる気さえあれば、プロと同じ環境勉強が出来るということなのだ。

  

今後、AIが更なる発展を遂げるにつれ、プロアマの実力の差は更に縮まっていくだろう。

その時、何を持ってプロと名乗るのだろうか。

私はそれが知りたい。

2011-07-07

再生約束 初音ミクLAライブを見た外国人感想その1

 初音ミクのLAコンサートに関して、Promise Of Rebirthと題したそこそこ長い感想外国人が書き込んでいた。正直、随分と難解な表現が多く、翻訳も怪しげになってしまった。書き手のHN(wintermuted)を見るに、本来なら黒丸尚風に訳すべきなんだろうが、とても私には無理。とりあえず訳してみたのを置いておく。無断翻訳なので匿名で。誤訳はあると思う。

 なお原文のurlは以下の通り。

http://animediet.net/commentary/mikunopolis-at-ax-2011-promise-of-rebirth

+++++以下無断翻訳+++++

Mikunopolis、アニメエキスポ2011:再生約束Promise Of Rebirth

 メガゾーン23に出てきた謎めいたヴァーチャルアイドルの原型たる時祭イヴがSFにおける一種の狂信的比喩として想像をかき立てる場面に現れてから四半世紀強ののち、昨夜のアニメエキスポにおける比類なきイベントMikunopolisがちょっとした進化的な跳躍を成し遂げた。西洋におけるこの概念の最も著名な派生例がアル・パチーノの穏健な映画シモーヌ]、及びウィリアム・ギブスンほとんど遺伝的に接続された精神小説あいどる』]を通じた形をしていることを踏まえるなら、数千人のファン(及び間違いなく好奇心旺盛な連中)がオタク世界デジタル彼女アンドその友人たちと伴にロサンゼルスノキア・シアターをほとんど埋め尽くすなんてのは、まだまだ先のことだと考えらていたに違いない。不可解にも外部に広がった走査線からケミカルライトネギその他に鮮やかに彩られた通路に至るまで、それはリン・ミンメイだけを認める歓迎の場であった。今なお振り払っている最中である土曜夜のイベント後の残響は、かなり深い思考を私にもたらした。

 いつもカリスマチックなダニー・チューによる紹介と、それに伴うダンスロイドの形をしたリズム点火係は、その先に待っているものの興味深い味見役を果たした。この前座は、おそらく秋葉系(Akiba-kei)の空気に慣れていない聴衆にとって、何が次に来るかを示す重要リトマス試験紙だ。このショーを準備する時間ほとんどなかったことが見て取れる点が、これが日本直輸入製品であり、一見客に対するちょっとした警告にもなっていた。私自身が見いだした特に重要な点についてはすぐに述べる。

 既に日本で有名になっていたコンサートの形式をカンニング済みだった客の大半は、青緑色の髪が次々と繰り出す人気のある曲と、目がくらむようなライブ伴奏(39s Giving DayのDVDで演じたオリジナル奏者の大半、及びこの有名なディスクには含まれていない弦楽器奏者の面々)の混合物を味わった。その間ずっと聴衆は大いなる称賛のためリズミカルケミカルライトを振り、その動きが最後まで全公演を通じて見られたのは心強かった(こうした行為、及びその概念に対する彼らの長く続いた反応は、米国の聴衆にとっては奇妙に思われるものであることを、私はこの場で認めなければならない)。ボックス席に座り、ステージから1階席、クレーンカメラ、そして複数のカメラで撮ったHDスクリーンハイライト映像まで含んだ全景を見る。多くのミクのファンかつアーティストが作った聴衆が親しんでいるヒット曲、World is Mineやポッピッポー、サウンド[ママ]、ロミオシンデレラ、その他多く(どこかでミラクルペイントを彼女に演じて欲しかった)は、オープンソースな現象がほんの3年でどれほど広がったかを示している。そして特に歓迎された巡音ルカ鏡音リン&レンの登場は、観客の熱狂をさらに高めた。センターステージに置かれたほとんど透過性のスクリーンに跳ね返るホログラフィックな投影機は、時にミクが踊りながら少し両端に近づくたびにその限界を示したが、同時にこの海外遠征の短い命に対する理解を伴ってある種の魅力ももたらしていた。

光とサイバー化の見世物

 こうした話を正しい文脈の中に置くため、ちょっとした歴史を思い出そう――小さな子供だった私は、おそらくは地元の祭に毎年来ていたレーザーライトを使ったショーを見に行ったおかげでそれを一つの起源として啓示を受け、1980年代初頭に芽吹いてきた新たなテクノロジーに興味を抱いた。そのショーとは、要するに空気で膨らませたドームの中で音楽に合わせて行われたレーザーペインティングで、客は入場料を払い、床に置かれたたくさんのクッションの一つに腰を据えて15分から20分間、まばゆい光の列と、ミッシングパーソンズトーマスドルビーなどのアーティストの曲に合わせたアニメーションを楽しんだ。今となっては原始的ものに思える――ミュージックPVはいうまでもなく、コンピューターが生み出すアートアニメーションにつながる想像まで至るには長い道のりがあった。また、こうした地味な傾向が存在しなければ、84年のマクロス映画における楽しいコンサートシーンもある種心を揺さぶるほどのパンチ力は持たなかったと敢えて言うこともできる。私が思うにそれは時代の刻印であるが、同時にライブエンターテインメントがどのように変化していくか数十年にわたる発展を知らせるものでもあり、おそらくは音楽芸術の愛好者がいずれはあるところで分裂に至ることまでも示唆していた。

 なぜならこの時代に育った者にとって、アナログからデジタルへ向かう音楽の傾向が何か恐るべきものとみなされ、音楽業界で排斥されたことが一般的な心象として残されているからだ。子供の頃にクラフトワークデペッシュ・モード、ジョルジオ・モロダー、YMOやソフトセルなどのファンだった者にとっては、誰かがシンセサイザーの人工性を嘲り、音楽自然さを殺すと聞かされるのは珍しくもないことだった。そしてこの議論の中に何粒かの真実が含まれているとしても、それは一方で、当時は多数のコンピューター故障の懸念とショーを乗り切るためだけに間違いのない注意深さを必要としたこれらのかさばったキーボードから音を創り出す人間努力と創意工夫を、台無しにしていた。最終的にこの否定的な議論は多くの未来音楽及び演奏形式に付きまとい、興味深い結末をもたらした。それはまたミクのライブ伴奏をこれほど楽しく必要な要素にもした(ギター黒田晃年、ベース田中晋吾、ドラム折田新、キーボード安部潤――言及すべき弦楽器部門を除く。いずれもとても素晴らしい)。スタジオミュージシャンは、あらかじめ簡単に録音することもできる演奏に大いに心をこめることになる。新たな道具を愛するアマチュア音楽家と、伝統的なものとの融合実験によって、このショーはさまざまな要素を混ぜたある種の喜んで受け入れられるシチューとなり、ときにいくつか二級品の歌があったにもかかわらず、既存の姿ではなく可能性を約束するものとして機能していた。――以上がショー全体で私が本質的に感じたことだ。

 誰も見失わなかったよう望むのなら、この最終目標へと向かうDNAを手に入れることが私にとってベストなのだろう。なぜLAのショーはこれほど意義深いのか、そしてVOCALOID、ミク及びこのようなショーが持つ主要な意味あいとは何か。

ジッグラト[古代メソポタミアの塔、バベルの塔]の崩壊:ポップの民主化アイドル思想の終末

 さてこれは真に落とし穴的な回答である。なぜならアイドル歌手という概念及びヴァーチャルアイドルに伴う必然的結末まで考えを煮詰めるからだ。我らが今いるのは現実に近づいたキャラクターアニメーションの時代というだけにとどまらず、オープンソース化した大衆文化の可能性がある時代でもあり、我々はオタクの領域を超えて全く新しい何物かになるまで成長しうるアイデアをおそらく目撃している。YAMAHAが今年のNAMMショー[米国で開かれる楽器展示会]で多用途VOCALOIDを紹介したのを見ても、現状はメディアを通じた古い分配モデルが不可避の断末魔を上げるところに達したと敢えて見なせるように思える。スペイン製のソフトから取りだした一つのアイデアを、音楽作成のための輝かしい新たなモデルへと広げ、そして数が多すぎ、時に厄介な日本アイドル歌手業界を考えた場合に多数の集団に働きかける天才の発案に過ぎないマーケティングにまで、拡大する。終わりなき競争、怪しげな才能、さらに怪しげなマネジメント、生死にかかわる健康上の危険、類似性、そして夢想を維持してほしいというファンからの圧力に満ちた困難な人生――そう、こうしたマーケティング方式とファンに駆り立てられた神話が混じり合って音楽スーパースターたちにかくあるべしとする任務を押しつけるのは、それこそVOCALOIDにとって理想シナリオだ――しばしば置き換え可能で、派生的、はかなく、言うまでもなく消耗品であるミューズたちが、変化もましてアイデアも嫌う文化産業のために存在している。

 考えてもみてほしい。マイルズ・ダイソン言葉を言いかえるなら、これこそ決して疲れることなく、興奮状態にもならず、二日酔い仕事に出てくることもないアイドルだ。彼女はショーを続けなければならないことを知っており、一瞬のうちにコスチュームを変えられる。何よりファンが歌を作り、バンド彼女の横で演奏しているという2つの理由で、その歌は偉大である。過剰な荷物と期待を持つことなく、アイドルが実行すべきだと期待されるあらゆることをする能力を自ら持つミクの存在そのものが、ある種の輝かしいアンチテーゼなのだ。彼女は文字通り、何でも人々の望み通りになれる。汗一つかくことなく。

 そしてこれほど目立つ歓迎を伴う西洋への紹介は、日本人にとってだけではなく夢を共有できる分野を長く求めていた世代にとっても何か極めて特別なことの始まりであり、過保護にされることなくさらなる発展が期待できる約束されたスタートだ。そしてこの夜の感動的な聴衆たちから判断する限り、長きにわたる憧れはついにその実を結んだようだ。

 イヴシャロンレイ……君たちの歌がますます現実に近づいてきた……

+++++無断翻訳終了+++++

 言うまでもないがシャロンマクロスプラスシャロン・アップルレイギブスンの小説に出てくるヴァーチャルアイドル投影麗(Rei Toei)である

 

初音ミクLAライブ外国人感想その2「再生約束フリーダム

http://anond.hatelabo.jp/20110708223459

初音ミクLAライブ外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」

http://anond.hatelabo.jp/20110709211718

初音ミクLAライブ外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来音色

http://anond.hatelabo.jp/20110710234300

初音ミクLAライブ外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」

http://anond.hatelabo.jp/20110711212701

初音ミクLAライブ外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマス世界征服

http://anond.hatelabo.jp/20110712205546

初音ミクLAライブ外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」

http://anond.hatelabo.jp/20110713211501

初音ミクLAライブ外国人感想その8「ミクノポリスコンサートリポート

http://anond.hatelabo.jp/20110714210122

初音ミクLAライブ外国人感想その9「アニメエキスポ初音ミク

http://anond.hatelabo.jp/20110715222900

初音ミクLAライブ外国人感想その10「アニメエキスポ2011(抄訳)」

http://anond.hatelabo.jp/20110716194029

初音ミクLAライブ外国人感想その11「世界彼女もの初音ミクはいかにして全てを変えたのか」

http://anond.hatelabo.jp/20110717201147

初音ミクLAライブ外国人感想その12「アニメエキスポ2011でのボーカロイド体験」

http://anond.hatelabo.jp/20110719031316

初音ミクLAライブ外国人感想その13「ミク:日本ヴァーチャルアイドルメディアプラットフォーム

http://anond.hatelabo.jp/20110719203237

海外blogに載っていたクリプトンインタビュー

http://anond.hatelabo.jp/20110723142345

2010-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20100228215523

もう折田先生像を作る事事態がマンネリだから、自立して学内を歩き回る折田ロボを作るくらいじゃないとマンネリの打破は無理な気がする。

韓国2ちゃんを攻撃するのは定例化してたけど

今まではこんな長時間落ちることはなかったのに今回は何で落ちたんだろ???

京大折田像より韓国2ちゃんが落とされたことのほうが日本の衰退を象徴してるように思う。

一人当たりGDPもあと5年ほどで抜かされるらしいし、さむすん一社のほうが日本の大手家電メーカあわせたより儲けてるし、日本成熟してるから伸びしろがないなんて嘘だってことになるわな。韓国出生率日本より低いけどそれでも抜かせるんだから如何に日本がしょぼくなってるかが明らかだ。

2010-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20100228215523

これを書いた増田やけど、もうちょっと茶々入れとこか。なんか釣られてるようにしか思えへんけど、まあええわ。

折田大仏」が潰された事件をご存じないのですか?

折田像」は既得権保護で成り立った虚像ですよ。

調べてみたけど、俺が在学中(俺は修士修了)の事件やったにもかかわらず全然知らんかったわ。

要するに普通学生にとってはその程度の興味しかないってことやん。既得権とか保護とか言われても、そんな大層なもんとちゃうやん、そもそも。

そんなん言うんやったら、中央食堂の一言カード書いてた某さんが「生協の白石さん」よりよっぽどおもろい人やった話とか、ネタにすることなんぼでもあるやろ。まあええけど。

しかし「もののたとえ」は、どんなものにでも当てはまる。必ずしも崩壊は大きな音を立ててやってくるわけじゃない。

大げさやなー。そりゃ無理矢理当てはめたらなんとでも言える、ってだけのことやん。

で、上の文章の後半、"not with a bang, but a whimper"って、T.S.エリオット引用でもしてるつもりかい?君こそ、名作の詩をそうやって陳腐化することに貢献してるやん。

詩人になりたいとしても失格やし、研究者として実証的にものを言う態度にも欠けとるなー。そんなんでええんか?

そして残念ながら、自己保身と、それから私にとっての「折田像」に忙しくて、私にはリアルの「折田像」を作っている暇がなかったのです。

それやったらそれでええやん。君は君のやりたいことをやっとるわけやし、君が陳腐やという折田像を作っとる人らもやりたいことやってるだけなんやし。

だいたい、「京大生たるものこうであらねばならぬ」いうて力んどる君みたいな奴こそ、一番「京大生らしく」ないんとちゃうのん?別に俺は「京大生は京大生らしくあれ」なんて下らんことを言うつもりはないけど、君自身がそういうこと言うとるんやし、自分が言うたことはそのまま当然自分に返ってくるのは気ぃつけなあかんで。

とりあえず、君は自分らの内輪ネタブクマあたりでこんな若気の至りの与太話に本気で感心してる人らや、特に我田引水で喜んでるid:elm200みたいなオッサンみたいなんに売って嬉しいんかい?と問うてみたい。それって君自身が今の折田像のあり方に向けた批判そのまんまやん。

http://anond.hatelabo.jp/20100228215523

像が乱立していた時期が一番面白かった。力石像、ラオウ像と続いて、他に像を作る人がいなくなってからはマンネリ

ナウシカ王蟲みたいに、前年度は無かったアクセントを付けたり、ポコちゃんのように時事ネタを入れたりしてくれると面白いんだけどな。

ゴルゴボタンも面白かった。

そういう意味では今回のタケシは最もつまらない像だなぁ。何もないじゃない。

今のタケシ像に「イタズラしないで!」ってペンキで落書きして、作った人がそれを笑い飛ばせるような空気が欲しい。

折田大仏を認めない今の京大生はそんな事できないと思うけど。

2010-02-28

京大折田像は、没落日本の象徴である

京大に「折田像」が今年も登場したが、今年もずいぶんと良い出来であった。例年この二次試験の時期は雨が降り、ともすれば無残な姿を晒しかねないハリボテは、しかし雨を受けてもなお一点の色落ちもなく、見事なものだ。投入された技術は、たしかに数年間の制作経験が生かされているのだろう。ニュースにもなったし、受験生の目にもおもしろいものとして映ったに違いない。

ところが、である。

京大生の一人として、今年はついに像に対して「憔悴」に近い感情を覚えてしまった。

理由はただ一点。

「誰にでも作れる像を造って、どうするのか?」ということだ。

 

折田像の歴史は、「誰にも考えつかないことをやってきた」歴史である。塗り替えるだけでは飽きたらず、着せ替え、かぶせ、はては像そのものまでねつ造してきた。それは、真に驚くべき創造力の歴史だ。だからこそ折田像はいまや京大の象徴としてニュースにも取り上げられるほどの知名度を誇るまでになった。毎年毎年、誰ともわからぬ匿名の、それも非公式に建てられた像が、これだけ全国区に有名になったことはかつてないことだろう。まさしく、「創造力」のなしえたことだ。

しかし、だ。この数年に、はたしてその「創造力」が存在しただろうか?

タケシ」の像に、「誰にも考えつかないこと」の一つや二つがあっただろうか?

 

皮肉なことに、「よりよくできた像」を作れば作るほど、「創造力」は失われているんじゃないだろうか。今年の像だが、自分の目には、「クォリティが高いものを作っていれば、みんなが喜ぶだろう」という傲慢さだけが目についた。それは言うなれば日本の「モノづくり」の象徴であり、今日本が抱えている問題そのものだ。「作れば売れるだろう」「技術力が高ければ売れるだろう」という傲慢さ、である。日本家電メーカーがなぜ行き詰まっているか。高い技術力を誇っているのに、なぜ韓国に後れをとっているのか。なぜうまくいかないのか。なぜ沈没しようとしているのか。その問題の象徴が、あの折田像にあるんじゃないだろうか。

 

日本ものづくり歴史は、ある意味自らの破壊そのものだった。よりよいものを作るために、これまで常識とされていたスタイルさえ破壊し、新しく、革新的なものを提案していった。それはまるで折田像が汚され、被され、そしてあまつさえ新しく作り替えられた歴史とうり二つだ。そして今、京大にはただ単に「よくできた」というだけの像が建っている。なんのおもしろみもない、ただの像が。技術力と、過去の知名度だけで名をはせる、まるで空虚なあの像が。

 

それは、完全に行き詰まった日本の姿、そのものではないか。

 

京大当局は、像をなし崩し的に認め、いや、今や、推奨すらしているかもしれない。いずれ当局の「支援」が行われるかもしれない。「伝統」という名の保護主義のために。その先には、死んで腐った創造力でもたらされる、ただ単に見た目だけがよい、うつろな幻としての折田像が残るだけだろう。そしてそれすら残らなくなる。あとに残るのは、一地方大学として細々存続する京大の姿だ。ああ哀れなり京都大学日本ナンバー2として、東大と並び称され、「変人」を排出することで知られた大学は、ただのありふれた大学に成り下がるのだ。いや、悲しもうじゃないか。それは世界における、将来の日本の姿そのものなのだから。

 

かばかしいとは思う。あんな像ひとつに、日本の将来を予言させるなんて。でも、危機感を持って欲しい。たたえるだけではなく、新しい創造を行って欲しい。日本を変えるような、すさまじい力が欲しいのだ。

 

しかし、現実は、少なくとも京大生には――あの像を造った京大生には、その力がない、ということだ。

 

そろそろ、あの像の姿に、絶望しても良いんじゃないだろうか。



***

相変わらず爆釣だぜ、と。

で、お前さんは「折田先生像」に勝る何かを生み出したの?

はい。

しかしそれは「折田像」という形としては結実しなかった、そういう話です。

やってない奴が何を言っても無駄

折田大仏」が潰された事件をご存じないのですか?

折田像」は既得権保護で成り立った虚像ですよ。

本気でそう思うんやったら、こんなわかったようなわからんような文章書いてる暇があったら来年自分がやったらええやん。

その気がないんやったら、要するに君は自分が言うたことを別に本気で信じてへんいうことやろ。

むろんアジテーションの趣が強いかと思います。

しかし「もののたとえ」は、どんなものにでも当てはまる。必ずしも崩壊は大きな音を立ててやってくるわけじゃない。

そして残念ながら、自己保身と、それから私にとっての「折田像」に忙しくて、私にはリアルの「折田像」を作っている暇がなかったのです。

現在日本が陥ってる最大の問題は、この日記のように努力無駄と切り捨てることではないだろうか。

もちろん、無駄努力と言うのは存在するが、それは他人が決めることではない。自分自分の道を信じていけばいいだけである。

他人に対する無駄な過干渉こそが、日本の最大の問題であろう。

だから、私は「折田像」の制作に関して一切の手出しもしていないし、また、完成した像を汚すこともしていません。

ただ、「そんなことをしていてはダメなんじゃないかな」と言っているだけです。

あまり京大生だから、見た目によくできているからといって擁護するだけでは、何も生まれませんよ。

それこそ護送船団の中で腐るだけです。

***

学生のお遊びごときに「没落日本の象徴」とか、おおげさ。「匿名学生のお遊びに文句を付けるチキンが出るようでは日本も終わったな」とか言われたら、君はどう思うのかね。「俺は別に日本を代表してねーよ」とでも言うんじゃないのか。

マンネリならマンネリと批判すればいいが、しょうもない大風呂敷を広げた時点で君の負け。

さておき、学生のお遊びならFランでも誰でもできるような「タケシ」の像を京大生がわざわざ造ることに意味はない。

そういう意味で、自らさえぶちこわすような新しい提案をすることは、すでに京大生ですら不可能なんだ(日本第二位(笑)の大学のはずなのに)、絶望しようじゃないかって話です。

 

「文句をつけるな」などと批判されて、像を精神的に壊すこともままならないなら、残された道はただ物理的な破壊しかない。

「俺達は黙って働いてるのに、文句言うな!お前も黙って働け!」っていうのとまったく同じ。

革新派は、調和の名の下に握りつぶす。びっくりするほど日本の抱えてる問題と同じ構図だね。

その点で、誠に残念ながら、「俺は完全に日本を代表してものを言っている」。

 

予定調和最高や!自由なんか最初からいらんかったんや!

2008-08-28

anond:20080827024650

Giro Orita was one of a team of veterinarians who arrived in Syria in October 1964 in response to a request to the Japanese government from the Syrian Ministry of Agriculture. When the Japanese team completed its mission in 1968,

the Syrian government invited Dr. Orita to stay and continue his work, as well as foster collaboration in animal health research between Japan and Syria.

In 1983, when the Syria-based International Center for Agricultural Research in the Dry Areas (ICARDA) asked the Japanese government for help to develop small-ruminant pathology research, Dr. Orita was delegated by JICA to lead the institute’s animal health research as a visiting veterinarian. In 1985, Dr. Orita received the Syrian Medal of Distinction (second rank) from the Minister of Culture.

He left ICARDA in 1990 but continued to promote relationships between ICARDA and Japanese organizations. ICARDA later named a new animal health laboratory after him.

(http://www.cgiar.org/pdf/Japan_CGIAR_English_June2006.pdfより引用)

どうやら、折田獣医師1964年農水省-日本獣医師会経由でシリアに渡ったんだな。そのあと、プロジェクト1968年に終了しちゃうんだけど、彼だけはシリア政府要請によりシリアに留まった。

それから15年以上あと、1983年から乾燥地の農業プロジェクトが立ち上がったんで、「JICA派遣エキスパート」という肩書きを受けて参加したということか。

やっぱ、あとからJICAと協力したって感じじゃねーか。

CGIAR(国際農業研究協議グループ)ってサイトからだけど、獣医師会の記事とも合ってるし、これでいいんじゃね?

乏しい、とは言ってもある程度の技能や知識は持っていますよ。それに最近じゃ高い技能を持った中堅どころがたくさん応募してくるので競争率が非常に高くなったらしいです。

ある程度の技能や知識があっても、組織がないと大きな事業は興せない。

利権もない(=お金コネクションも相手行政への影響力もない)では、1kmの舗装道路さえできない。

だから、「地道な日本広報活動」って書いたわけ。

剣道柔道の普及なんて、「日本広報活動」以外の何物でもないわな。(もちろん、それは重要な活動です。)

高い技能を持った中堅どころが参加って、、、リストラや途中で会社辞めちゃった人の受け皿か。

なんだか良いことか悪いことかわかんないね。

専門家派遣のほうがメインって書いたけど、専門家派遣だと利権も絡むし、その専門家の所属する団体(企業)の利害もからむ。

ただ、組織仕事に直結するから、活動の規模はずっと大きくなるし、いろんなコネも使える。

ぜんぜん利権のない海外協力隊お金を使わず浅井戸を1本あげるのと、日本企業が金儲けしながら、

専門家派遣で深井戸を10本あげるのでは、どちらが地域貢献になるか?

もちろん、ジャンルによってまったく違うのはわかるんだけど、他でもそうである場合が多いんだ。

文化財を補修するにしても、日本の団体から派遣された専門家補助金獲得と実績を挙げるためにプロジェクトを立ち上げて、

長く続けるのと、青年協力隊が単発でやるのとどちらが貢献できるか?

協力隊は、やっぱりボランティアなんだよ。

ボランティアにできることと、できないこと。

そのへんは、きちんと把握すべきだな。

2008-08-27

anond:20080826122011

ググってみたけど、オリタ氏(折田魏朗氏)はJICA関係なくシリアに渡っているね。

日本獣医師会独自の海外派遣のようだ。

http://nichiju.lin.go.jp/mag/05905/06_12.htm

この派遣JICAがかんでる可能性がないとは言えないけど、JICAメインじゃないね。

たぶん、滞在しているうちにJICAと協力してシリアの牧畜向上に携わるようになったんだろう。

JICA青年海外協力隊ではない。

青年海外協力隊は、JICAボランティア組織の1つのセクション。

基本的に、技能や知識に乏しい、組織から離れた若者青年海外協力隊になるので、貢献度は相対的に小さい。

JICAメイン専門家派遣にあると思う。

ただ、青年海外協力隊海外において、日本という国の好感度向上に貢献してきた点は見過ごせない。

先進国若者が、汗水たらして自分たちと一緒に働いてくれるのだから、好感度は高い。

日本では印象悪いけど、けっこういろいろな所で地道な日本広報活動をやってくれているわけです。

それに、協力隊あがりでJICAのコーディネーターになったり、NPO立ち上げる人も多いから、そう白い目で見るものじゃない。

もちろん、どんな組織にもダメ人間はいるし、真面目で評価される人間もいる。

セックスにあけくれる隊員がいたとしても、青年海外協力隊じたいを批判するべきではないのだよ。

ただ元増田よ、感激する前にちとググれ。

2008-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20080826122011

シリアナシリアか!

シリアナじゃない、シッコか?

あ、シリアナであってた。

Syriana"シリアナ"とは、シリアイランイラク三国の民族統一による中東再建プロジェクトの名称らしい。

日本に住んでいても、ジャイカシリアもよくわからない。

青年海外協力隊は募集のポスターは張り出したことがある。

日本人がんばってる。それが認められている。とても、いいことだ。

折田?どんな漢字だろうね。

http://www.jica.go.jp/syria/

富田だったらいろいろどんでん返しで面白い。

実は女性だった!みたいに。

青年海外協力隊をみてたんだが、、

http://www.jica.go.jp/activities/jocv/application/require/worker.html

(1) 人件費補てん

有給休職等による現職参加の場合、所属先に対して、JICA人件費を補てんします。人件費補てんの上限月額は、所属先からボランティア本人に支払われた前年の給与・賞与総額に基づき、月額55万円以内で個々に決定します。

こんなのがあるんだな。

いっちゃおうかな・・・。

 
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