はてなキーワード: ふんどしとは
元増田が銀行口座に自由にアクセスできないなら、名義預金なだけで曾祖母のものじゃないの?
まあ、曾祖母は元増田にお金をあげるつもりで作ったのかもしれないけれど、現実は法定相続人が相続し、相続税も払うだろうな。
生息与奪の権利を乱用していた親がゲームのルールが変わったこともわからずにまだそれを行使しようとしているだけでしょ。
あとさ、長女だからって兄弟たちに必要以上に負い目を感じることはないんじゃないの?
兄弟たちを生んだ責任は親にあるし、兄弟だって君が思っているほど弱くないよ。
もう一つ思うのは他人のふんどしで相撲を取るなよって思ったかな。
人気があるやつだと、人のふんどし使ってバズったろ!って感じにしか思えない
こういうのがいいんやろ?って感じが透けて見えていやらしい。
前から好きだったっていうのが知られてるのなら、まだしも。
数ヶ月前に二次創作用のツイッターで興味深い経験をしたから、ここに綴っておこうかと思う。
生きづらくなかろうか…と、感じた話で、おそらく私の二次創作への熱量なんてそんなもんで、相手にしたらとてもとても大事なことだったのかもしれない。
あるフォロワーさん(Aとする)からDMをいただいたことがはじまりだ。
ちなみに、私の二次創作垢は、ジャンルごった煮だ。そこを分かって繋がってる方々ばかり。
始まりのDMについては、私も改善できることだから、そうしようくらいで話が終わったが、以前から気になっていて繋がっていようか悩んでいたことがあるということから、Aの生きづらさや拗れさせてしまっている部分が見えてしまった。
・Aの作品に対して反応が少ないのはなぜか。Aが嫌いなのか。(TLを見逃したという理由は受け付けられない)
・嫌いな作品でもマイナージャンルにいるなら、推しカプの作品には反応をすべきだ。(自分はそうしているからみんなもすべき)
・Aは、大手にいた頃にパクリを疑われないためにと他と違った作品を書くためにと特殊設定を書くようにしているから、作風は変えられない。
以前から、自身の作品へのいいねやブクマがないことへの不安や反応がないことへの疑問を投げかける呟きはあったが、こんなにも悩んでいたのか…と初めて知った。
と、同時に、私にはこんなにも自分の二次創作へ熱量をもっていないなぁと感心した。
正直、ツイッターでのいいねやRTは、見逃した、流れたが理由だ。ジャンルごった煮のため、200も繋がりがあれば、TLは流れるし、支部にあげているならツイッターのホームにわざわざ見に行ってまで、新しい作品を確認には行かない。
Aのマイルールについては、私はずーっとツイッターにいられるわけじゃないから、見てあげられない、ごめんね…な状態だ。
私は、アラサーの腐女子だが、Aはアラフィフのサイト全盛期からの腐女子。
たぶん、ツイッターの流れとサイトの流れに付いて来られなかったのかもしれない…。
情報交流ツールとして流し見する私と反応をもらうためのツールとして使っているAと。
兎にも角にも、Aは、反応が欲しかったのだなぁと思う。
そして、他と差をつけるために推しカプの名前だけしか合っていない設定でも、書かなくちゃならないくらい、二次創作から離れられず、生き甲斐なんだなぁとも。
それに拍車をかけるように、マイナー界隈なのに、なぜか「文章も絵もできる両刀はすごい!」という風潮がでてきたのもあるだろう。
Aは、文章だけでやってきたが、その風潮にのり、自分の二次創作も!と思ったようだ。方や、私は、絵は表現方法じゃないから描かない。二次小説を気まぐれにアップする。時たま、有難いことにたくさんの人に見ていただける時もある。(ジャンル次第だけど)
ジャンルもごった煮で、思い立った時にふらっと二次創作を投下して、同人誌の原稿にも追われず(数年前に社会勉強でサークル参加して満足した)、好きかって喋って、TLにいないことが数日あったりするような私へ、
少なからず気に食わないことがあったのだろう。
いろいろしてるのに、なぜこんな奴に…そう思ったのかもしれない。
ただ……ここでやはり、Aが気持ちをぶつけた先が私だったことが、ほんとうに申し訳ないなと思った。
こんなに自分の作品を見て欲しい、サークル活動もして、絵も文も両刀になろうとするAの気持ちを想像することはできるが、理解は難しい。
これが、私のようなものではなく、同じくらい二次創作に熱量を注ぐ誰かだったら、もっとAも救われたんじゃないかと思う。
ツイッターという架空の世界で作り上げた、顔も知らない私というキャラクターに嫉妬して、ぶつけて、なのに、私には興味深い経験をしたと思われて…この食い違いがごめんねだ。
Aの生き甲斐は、二次創作であり、承認欲求を満たしてくれる誰かの存在を感じることだったのかもしれない。
だけど、私みたいな、熱量が違う相手に嘆いても、私はAの思う存在にはなれない。
だって、二次創作は他人のふんどし借りて楽しませていただいているものだ。
そんなに苦しくなってまでやらなくてもいいんじゃないかと、Aが可哀想になってきた。
改善できない旨を伝えても、Aからは、「フォローは外しません」ときた。
私のたった一つのいいねとRTでは、マイナー界隈は救えないし、狭いコミュニティの見せ合いっこなのに。
私はあまり気にしないから、そのままにしていたら、Aは二次創作作品を電子書籍化して販売をするまでに至ってしまった。
(これにも議論はあるようだが、私は電子書籍化はしてはいけないと思っている。たとえマイナーでも界隈に無用な火種は持ち込むのはどうかなと…
まぁ、正直なとこ怖くなった。公式から万が一にも目をつけられたらと)
そして、ついにブロ解をしたが、数時間後にAからフォローが来てしまった。
どうも、Aはマゾヒストなのかな?と、私のことにばかり囚われていないか?と。
最終手段は、私が消えてあげることだ。
大した熱量もなく二次創作をしている私にこれ以上、囚われていては可哀想だ。
その後のことは、特に情報ツールとしてしか使ってないアカウントに思い入れはなかったため、削除してしまっから、Aがどうなったか分からないけれど、二次創作を続けているんじゃないかと思う。
私は、変わらず二次創作を気まぐれに思いたったら、投下して、好きなことして過ごしている。
ただ、Aはどうしてあんなにも顔も知らない私に執着してしまったんだろう。
二次創作をほんとうに楽しんでいるんだろうか。
生きづらくないかなぁ…と今も思い出す。
最近、同人女シリーズという漫画が話題になっていて(やっぱり私には理解が完全じゃない部分もあったけど)、ふと数ヶ月前の経験を思い出して綴ってみた。なんの関係もないもな。
備忘録かもしれない。
広告のコピーライティング(いわゆるキャッチコピー)がすごいと思えない。
私は新卒から現在に至るまで広告業界(大手代理店→事業会社)に身を置いているが、
広告業界特有の「賞」によってクライアントではない人々(主に代理店)がもてはやされていることに対する違和感がいつになっても払拭されない。
学生の頃、音楽制作や映像制作をやっていた私は、華やかなCMを作ってみたい!というミーハーな気持ちを抱き、運良く大手広告代理店に就職した。
研修後のOJTで莫大な予算の企画会議に参加した時のことを今でも覚えている。
その時はコピーの案出しだったが、ベテランといわれるコピーライターの方々がコピーひとつひとつに対しA4用紙一枚を使い、
衝撃的だった。
詳細なことはここでは述べないが、こんな仕事でクライアントからお金をもらって罪悪感を覚えないのだろうかという感覚だった。
たしかにクライアントの持つ課題や、当該商品の特徴など最低限のことは理解してるとはいえ、
クリエイティブと呼ばれている人々の「単純にやりたい」、「前例を作りたい」、「賞を狙いたい」等の動機が圧倒的に優先しており、
純粋だった私は、そのようなことをOJTの感想として述べたところ、ほぼ内定していた希望部署から外されてしまった。
その後、個人的に制作活動は続けながら、仕事としては制作とは直接的に関わらない部署で数年を過ごした。
その後事業会社(いわゆるクライアント側)に移り代理店に発注する側になった。
たしかに、代理店の持ってくるコピーは、きれいなフォントできれいな体裁に整えられたスライド上ではなんだかすごそうに見える。
でも、いつみてもほんとに誰でも書けるとしか思えないようなものばかりだ。(クリエイティブの皆様は死ぬほどキレるかも…)
学生の頃になんとなく通った宣伝会議のコピーライター養成講座でなんとなくテキトーに出したコピーで
その回の最も良い賞(なんかいいえんぴつだった気がする)をもらってしまったり、
新人の頃にみんなでテキトーに出したブレーンのC1グランプリに一発目で掲載されてしまったという体験もあるのかもしれない。
正直、コピーライティングといわれているスキルは他の技術職と比べるとスキルが不明確すぎるし、
「言葉」という普遍的なものの中で勝手に特権意識を感じているだけではないだろうか。
コピーライティングというのも自体は、社会的意義を持つものだと思う。
現に社会に強いメッセージを残しているコピーはいくつもあるし、私自身も好きなコピーはいくつもある。
しかし、広告業界では、コピー(言葉)が属人的になりすぎている。
どうせ賞をとっても業界内の評価しかもらえないのであるから(広告業界的にはそれが名誉とされているのだが)、
人のふんどしで取った手柄で「すごいでしょ?」的な発信することはやめるべきではないだろうか。
そうすれば、業界以外の人々はいちいち広告業界の人々(特に制作の人々)の「すごいでしょ?」アピールに反応しなくてもよくなるし、
キャッチコピー等の広告物もいちいち「作品」とか言われずに、ひとびとの生活の一部となれるかもしれない。
そこそこ有名なコピーライターとなった友人がtwitterで一般人が書いたキャッチコピーに対して
「広告業界のお作法も知らず書いたコピーだからダメ」と苦言を呈していて、いてもたってもいられずに書いてしまった。
ちなみに私は、一般人が書いたキャッチコピーと代理店の持ってくるコピーは大差なく感じることが多い。
たしかに一般人が書くコピーは大半がアレなことが多いが、一日訓練すれば最低限のお作法は身につくと思う。
たしかに思考訓練にはなると思うが、主観的な成長を感じたとしても、客観的な成長を当事者周辺しか感じられない点で意味ないと思う。
と思う。
もっと書かなければならないけどzoom会議の時間が来てしまいました。
乱文ごめんなさい。
本当に腹が立つ。
今日は録画していた半沢直樹の最終回を楽しみに、在宅勤務をしていたというのによ。
スマートフォンの機能で、自分の興味のあるジャンルとかの記事が自動的に流れてくる昨日、あったりするよな?
その機能のせいもあるが、俺は半沢直樹が好きで、リアルタイムではないけど毎週観ていたから、そういう記事も流れてきてしまうんだよな。
白井大臣に関する記事で、ネタバレで、ストーリーがわかるようなタイトルだった。
どこにも取材にも行かず、知的好奇心やジャーナリズムの欠片もない、こたつ記事以下の、他人のふんどしを利用してPVと広告収入だけを目当てに書かれた、価値のない記事を作りやがってよ!!
いや、価値はあるのかもしれないな。
その記事メディアを運営する親元にとってみれば、PV稼げる記事を書いてほしいよな。
だが読むユーザーからすれば「全く価値のない記事」「腐った肉片に群がるハエや、それに産み付けられて湧いたウジの類に近い記事」と、断罪しておく!!!
いや、"ユーザー"というように一般論にしてしまうかのは乱暴かもしれないから、"俺個人"としておくか。
いいか、こういうネタバレ記事、中を開いてもたいした情報や洞察もない、個人のブログみたいな記事を書く仕事というのはな。
俺の中では、クソみたいな仕事だ。
どれぐらいクソなのか、教えてやろうか?
犯罪に関わる仕事(法律=正義の教典ではない場合もあるので、例外あり)
汁男優
自己満足なのに「勇気を与えたい」等とのたまう登山家・冒険家など
・
・
・
・
アルバイト、契約社員、派遣社員、役職の無い正社員、社畜…etc
エッセンシャルワーカー
高給サラリーマン、一流俳優・女優、一流AV男優・女優、一流風俗嬢、一流芸能人、一流ライター、一流芸術家、一流建築家、社会的に価値や意義のある事業で成功している経営者…etc
--------------------
って感じだぜ。
「職業に貴賎はない」なんていう夢想家の意見は無視させていただく。
無職は犯罪じゃないけど、親とか庇護者に寄生しているから下位。
汁男優も、汁を発射してるだけで、カラミが出来ず消化不良の状態で終わってしまい、しかも「出せるからいいだろ?」的な話で無給になってしまう場合もあるので下位。
逆に一流のAV男優や女優の上り詰めた場合は、高給でなおかつ人間の三大欲求に奉仕する尊い仕事なので上位。
情報商材販売、再現性のないノウハウを売りつけてる場合があり、詐欺に抵触する可能性があるので下位。
ネットワークビジネス、売れない不良在庫を押し付けて金を得ている場合があり、これも詐欺に抵触する可能性があるので下位。
棋士とかスポーツ選手も、別に取り立てて社会を豊かにする価値を生み出しているわけではないので、上位ではない。
ただ、そのプレーで人に感動を与える場合もあるかもしれないので、そこまで下位にはしてない(俺は他人がスポーツだの将棋だのしてるのを観て感動したことほとんど無いけど)。
登山家とか冒険家は、遭難したり拉致されたりして他の人に迷惑をかける場合があるから、棋士とかスポーツ選手より下位。
カリスマ美容師も、なんかやたら高値の割に大したカットしてない場合もあるので、下位。
そんでな、今回の本題。
半沢直樹のしょうもない記事書いてるお前は、汁男優、転売屋、の、次ぐらいの下位層に位置する仕事だ。
転売屋も、供給の少ない商品の流通の間に入って、実際には付加価値が加わったわけではないのに、単に値段を吊り上げて何も価値を生み出していないので下位。
あるyoutuberが「あいつら供給の邪魔してるだけ」というのは的を得ている。
しかし、海外の珍しいアンティークなどを買い付けて日本でも買えるようにするような仕事、孤独のグルメにおける井之頭五郎のような存在、そういうのは転売とは言わなので、含まない。
といっても、俺もニンテンドースイッチとかマスクとか転売したことあるから、ブーメランなんだけどね…。
わかるよ、何の価値も生み出していなことは。
メシ食ってくために、そういう恥ずかしいことをしている。
で、そんな転売屋と、ほぼ同等なのが、クソ記事書いてるお前なんだよ。
書いてて恥ずかしくないか?
転売屋が人気商品に寄生するように、お前は人気ドラマに寄生している。
転売屋が一生懸命にものづくりしたメーカーに寄生するように、お前は一生懸命に作り上げたドラマに、寄生してるんだよ!
お前が生み出しているものは、あるのか?
お菓子のおっとっとみたいに、中身無し。
すっからんかんってことだ。
いや、おっとっとの淡泊であまり主張しない味は、しるこサンドと味は違えど似たような系統の美味しさがあるから、価値があるけどよ。
とにかく、わかったか?
「1円も価値を生み出していない」「特に取り立てた価値を生み出していない」という点で、共通項あるよな。
まあ生活のためにそれを書かざるを得ないというのはわかる。
本記事では、自分が今までまとめてきた服飾史についての記事のリンクをまとめる。また、それぞれの記事のブックマーク数を、各々の記事の内容や傾向、投稿時刻などと比較し、どのような記事が増田ではよりバズりやすいかについて考察する。
導入で述べたように、ブルマーに関する記事についての傾向を調べる。また、項目の一つとして、どの程度IMRAD形式に従っていたかについても調査する。
IMRADとは論文を書くときの基本的な文章の構成方法だ。Introduction, Methods, Results And Discussionの略称で、おおよそ次なような構成に従っている。
もちろん、これはまったくの趣味で書いた文章であるので、ところどころ自分語りが挿入されるなど、厳密にIMRADの形式には従っていないし、結果と考察も一つにまとめられている。そこで、どの程度厳密にIMRAD形式の通りに文章を書いたかを三ツ星でランク付けする。例えば、導入部が省略されているときには、星を一つ減らす。自分語りが長いと感じた場合も、星を一つ減らす。
また、ブルマーとは関係なく書いた随筆についても後ほどその結果を掲載する。
タイトル | 執筆時点のブクマ数 | 投稿日 | 投稿曜日 | 投稿時刻 | IMRAD度 |
---|---|---|---|---|---|
日本人のブルマーとイギリス人のブルマー | 382 | 2020/06/28 | 月 | 07:56 | ★★ |
ドイツ人のブルマーとソ連人のブルマー、となりのトトロのパンツ(1) | 37 | 2020/07/27 | 月 | 07:44 | ★★★ |
イタリアと南米と中国のブルマー(修正版)、その1 | 2 | 2020/08/25 | 火 | 07:45 | ★★★ |
チアリーダーのブルマー、テニスのアンダースコート | 51 | 2020/09/01 | 火 | 08:02 | ★★ |
フィギュアスケートの見せパン、新体操のレオタード、陸上のブルマー | 488 | 2020/09/07 | 月 | 07:52 | ★ |
競泳水着と全裸水泳、海女さんのふんどし | 27 | 2020/09/08 | 火 | 07:55 | ★ |
ビーチバレーのユニフォーム、極小ビキニ強制の歴史 | 272 | 2020/09/14 | 月 | 07:38 | ★★ |
バレエのチュチュ、スカートの中のフリルとパンツ | 40 | 2020/09/17 | 金 | 07:50 | ★★ |
気が済んだので、またブルマーについて書くとはあまり思わないが、書くとしたらほどほどに私事やユーモアを入れてくつろげる文章にしたい。ブルマーについてだけではなく、日常で感じる素朴な疑問についても調査し、読んだら疑問が解消されてすっきりするものを目指したい。
また、具体的にどんな文章がバズるかは、どんな文章が読みやすいことと表裏一体だと考えられるので、こうした知見も仕事やブログの記事に役に立てていきたい。また、自分語りをするときであっても、読者にどう配慮すれば読みやすくなるかも、考え続けたく思う。
筆者はもともとブルマーのほうが好きで、ビキニは露出しすぎがと思うけれども、お尻に関係しているから書く。
ところで前回の競泳水着の記事はあまり伸びなかった。ふんどしまで扱ったのがマニアック過ぎたのか?
1895年にウィリアム・G・モーガンが始めたバレーボールの派生競技である、とされているが、他にも説がある。1920年代のカリフォルニア起源説、1915年のハワイ説がある。
プレイする人数も変遷があったようだ。草創期には6人制でであったが、1930年には現在と同じ、ダブルスで競技した記録が残っている。もちろん、当時の女性の水着は、まだおとなしいものだ。
その後、この競技にはセクシーなイメージがまとわりついてしまう。たとえば、1927年にはフランスのヌーディストビーチにおけるレクリエーションとして親しまれた。ヌーディズムは元来、性の解放というよりは身体の解放に近いのだが、部外者からするとそういうイメージを持ってしまう。また、1950年代米国では美人コンテストやテレビ番組とタイアップしたショーの一部として、ビーチバレーがマスメディアの注目を集めたそうだが、このあたり、少々露骨である。
その後の紆余曲折を経て、ビーチバレーがオリンピックの正式な競技になったのは、1996年のアトランタ以来である。意外と遅い。
さて、英語版のウィキペディアによれば、国際バレーボール連盟が1999年にユニフォームを標準化したとき、女性の衣装は2ピースのビキニであることが求められた。一方の男性の水着は膝までのショーツで、これは一部の選手の間で強い憤りを生んだ、と書かれている。もう一度書こう。女性選手は、ビキニを着ることを強制されたのである。
しかも、次の記事によれば、2012年以前は幅7cm以内のビキニを着ろ、とされていたそうである。いくらなんでも小さすぎる。ブクマにより修正。2012時点では幅7cm以内のビキニか、ワンピース型の水着。ただし、ワンピース型でもハイレグで露出度は高い。僕はセクシーなものは大好きだが、こういうのを強制するのはおかしい。
https://www.stuff.co.nz/sport/olympics/82926043/evolution-of-womens-beach-volleyball-uniforms
上の記事にあるように、幸いなことに、この規定は2012年に改訂された。これには、文化的・宗教的な理由から、肌の露出を好まない選手も参加できるようにするため、という理由もあったし、天候に合わせるため、というのもある。図版で示されているのは、再度の改定である2016年のものであるが、女性も男性も、肌を見せたくなければそうしない自由を得た。当たり前のことのはずだが、普及が遅れた理由はよくわからない。どこかでビーチバレーにセクシーなイメージがついてしまったのか、日本のショーツ型ブルマーのように、とりあえず前の世代から受けついだしこれでいいか、みたいな幾分怠惰な姿勢があったのか、そこはわからない。
https://www.insider.com/why-do-women-beach-volleyball-players-wear-bikinis-olympics-2016-8
この記事の冒頭では「女子のビーチバレーはとても注目されているが、不幸なことにそれは選手が何を着ているかであり、彼女たちの腕前についてではない」と記載されている。その通りである。こんな記事を書いている僕がいるくらいだ。
しかし、責められるべきは僕だけではなく、カメラもそうである。ウィキペディア英語版によれば「2004年の夏季オリンピックにおいて、カメラアングルに関しての調査がなされた。20%は胸部に、17%は臀部に争点を合わせていた。研究は、これは選手の見た目が実際の身体能力よりも注目されていることを暗に示している、と結論付けている」そうだ。
確かに、性的な面も含めて、運動している人間は美しいと思う。けれども、そういう姿を期待されるのはおかしいし、ましてや強制されているのは筋違いだ。何を着ようが基本的に選手の勝手だし、それをきれいだと思うのはこちらの自由だ。
美を競う競技に関してはまた別の論点が出てくるし、美と性愛に関しても一言でまとめるのは難しい。ただ、外野の過度な期待に対して、選手がノーと言える環境、そしてそれが炎上したときに選手を守り、サポートする人物や団体が必要ではなかろうか。
Kerri Walsh Jennings選手の声を、一部試訳する(インタビュー当時37歳)。
「ビーチバレーでは、華氏100度(摂氏37.8度)で運動しないといけません。私たちは本気でやっていて、セクシーさをアピールしているのではないのだと、公衆に知ってもらわないといけません」
「御覧の通り、私は女性です。私は鏡を見るときに、自分を厳しく評価してしまいます。けれども、私はスポーツをするときと身体を動かしているときだけは、私たちの精神に対して肯定的になれるのです」
(訳がこなれていなくて失礼)
スポーツのみならず、舞踏・広告などの表現における見せパンやブルマーについて、引き続き調査したい。
フィクションのキャラクターに対して「他人のふんどし」という言い方をするのは些か無粋ではないか。
あのMVは演出から鑑みるに恐らく政権放送・政党CM的ポジションだと思われるので、言の葉党内部の人間が作詞/アーティストともに抜擢したと考えるのが妥当。
他人に迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリアの混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所が日本にないのは残念だ。何も混浴にしろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。
さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである。
以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。
有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性の壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマのビキニには漫画「テルマエ・ロマエ」からも言及があった)。つまり、絵画の水浴図で誰もが全裸なのは、西洋の画家の猥褻な妄想ではない。
水着の歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場で女性がガウン上のものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫のシャーロック・ホームズ「ライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物は全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性に悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。
ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝の反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代のビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外の観光案内に、トップレスの女性の写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツ・オーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。
また、一部のスポーツ施設では、男性が全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本のCFNM系エロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きである(リンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。
なお、女性の水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に、生理時の衛生管理の問題もあったそうである。
ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較的最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴の歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年に自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉がイギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。
この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国が世界をリードする国家的運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランドの英文学史の本にも載っている。
海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である。
https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear
上記の記事によれば、女性がオリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年のストックホルムでのこと。競泳水着の歴史は、ここから語られるべきだろう。
初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太ももの露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである。
ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。
1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性の水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着の流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんのハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。
そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードのボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。
つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどしの一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房の露出があるのでリンクは控える)。エッチなマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。
https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/
https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg
これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である。江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。
昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物をしまうことで、取りすぎることを防ぐそうである。
http://www.chie-project.jp/001/no15.html
たぶん、女性のふんどしの使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか。団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SMは不勉強なもので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。
考えてみれば、自分はふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。
あの、あるじゃん。
次のページは〇〇についてみたいに書いてるページ。
1ページにまとめろよって思うんだけどさ、ブクマカさんたちはわざわざ最初のページに戻ってブクコメし直すわけでしょ。
全部読まないって人ももちろんいるけど、やっぱりちゃんと読んでる人のほうが多くて、しかも読んだ上で最初のページに戻ってブコメ。
これって律儀すぎない?
そんなことしてるからはてなはいつまでたってもそういう記事に対してどこでブコメしても一括で管理されるような仕様をつくろうとしないんだよ。
あ、いま、各ページごとにブコメしたいって思ったやついたな。
どっちがニッチかなんて考えればわかるじゃん。
そんなニッチなニーズを守るだけのために、大多数のどこでもいいからブコメしたいやつらが最初のページまで戻る手間を背負わされてるんだよ。わかる?
その律儀さと一部ニッチの声のデカさがサービスの改善を妨げてます。
大した内容でもないのに広告数稼ぎたいだけのページまたぎ強要してくるニュースは滅びるべきというのは理解できる。
だけど無料で有益な記事読ませてもらってるんだから広告表示のためのクリックくらい付き合えよとも思う。
ってことはそうしたページやユーザーに柔軟に対応できないはてながクソ。
むかしむかし、ドエロあしがらセックス山の卑猥で淫靡でいやらしくてえっちで全ての陰毛フェチが顔を埋めて一生死ぬまでマインドフルネスしたくなるレベルのインモラル剛毛モジャモジャヴァギナのようなクソスケベで存在自体がデスアクメな山奥に、バイオ性玩具ママサカリをセクシーに背負って、強制的に発情アクメさせる分泌液(ぶんぴつえき)を常に体内に送り込む淫猥触手生物で出来た褌(ふんどし)一丁で、そこら辺をスケベにセクシー徘徊しているドスケベ金太郎(どすけべきんたろう)という名前の毎秒4545194回フルタイム無限アクメしているむちむちボディーばきばきペニス(ちんぽ)のMEGAMAX発情男の子がいました。常にMEGAMAX発情しているので、ドスケベ金太郎のセクシーなスケベ肉体は全体的にエロく紅潮していて常に絶対悩殺発情フェロモンが1日30時間放出され続けています。勿論無尽蔵に垂れ流される精液でそこら中にザーメンマーキングをするのも1日として欠かしたことはありません。当たり前ですね。
ドスケベ金太郎が通った後には絶対悩殺発情フェロモンにつられて激発情した淫乱動物や猥褻植物がエロ集まり、デスアクメする度にリバースアクメをしていました。このスケベなセックス山中の淫乱動物達は、死と再生のアクメを繰り返した結果、棒も穴も突起も袋も全てスーパースケベ強くなり、そこら中でクソスケベな色狂いセックスモンスターズが淫乱ペイジ淫獣大乱交っていました。
ドスケベ金太郎の交尾友だちは、セックス山の色狂いセックスモンスターズから選び抜かれた究極の淫乱動物、その名も究極淫乱動物たちです。
ドスケベ金太郎は毎日毎日、究極淫乱動物たちとえちえちすもうをしてエロ遊んでいました。
Welcome to ようこそドエロあしがらセックス山へ。今日もドスケベッタンバコバコッタン破廉恥大騒ぎです。
「ドスケベ金太郎♡スケベがんばれ♡ドエロ淫乱クマさんもエロ負けるな♡」
———変態とは何か?
誰もが疑問に思い、誰もが気付かない内にどうでもよくなるえっちな概念のスケベな答えがこの2行の空白にあります。私達が認知可能な時間で言えば、僅か3秒ほどの時間になるでしょう。
変態とは認知の先を歩む超越助平者です。ほんの僅かな空間の歪みの隙間から認知出来る氷山の一角だけを私達のような健全な一般市民は変態として認知しているに過ぎません。氷山の一角とは言っても、それは変態のごくごく一部の点でしかありません。線でも面でも無いのです。
私達は常に変態と共にいます。しかし私達は変態を点でしか認知する事が出来ず、また変態も私達のような健全な一般市民には興味を持ちません。それでも変態は「性癖」という穏やかな日差しに似た光を私達に与えてくれます。その光に近付き過ぎれば、私達健全一般市民はただでは済まないという事は、太陽に近付き過ぎたドスケベイカロスのお話や、近付くほどアクメしてしまう美しさのドスケベ白雪姫のお話を持ち出すまでもなくスケベ明白です。
先のたった2行のえっちな空白部分には私達健全一般市民には表現も認識も出来ない悍しくもいやらしい変態生物同士の変態行為がきっと記されているのでしょう。ドスケベ金太郎とドエロ淫乱クマのえちえちすもうは、認知を超越した超助平生命体同士のエロ誉れ高き性戦なのです。しかし、私のような健全一般市民に過ぎないただの人間では、この情欲と色欲と淫欲と肉欲と性欲に塗れた性行為ですらない如何わしくて淫らで卑猥な・・・なんだか知らないけどとにかくエロい行為を書いても2行の空白にしかなりません。勿論このお話を読んでいる皆さんにも2行の空白としか認知されないのです。変態とはそんな領域にしか存在しない絶対的な究極の概念なのです。
あたりを視姦(み)まわすと、エロ観戦していた究極淫乱動物達は一匹残らず発情して、交尾しながら交尾され、ひたすらに快楽と悦楽を貪る理性も本能も捨てた性的な猥褻タンパク質となりました。そしてやがて誰も視姦(み)えなくなりました。ドエロあしがらセックス山の究極淫乱動物達はみな認知を超越した変態領域を行き来出来る超助平生命体なのです。こうなるともはやドエロあしがらセックス山に近付く事は出来ません。運悪くふもとまで山菜摘みに来ていた夫婦は急性淫乱発情症候群(ズコバコシンドローム)に陥り、ドロドロの肉塊になるまで交尾を繰り返し、感度3000倍の媚薬花粉をばら撒くスギ科の植物、その名も感度3000倍媚薬杉の養分となりました。近隣のスケベな村々でもえちえちな村人達がむらむらして、ある者は近くにいる人を、ある者は何か近くにある穴のある生き物を、またある人はそこら辺にある棒状の何かを相手にぱこぱこ交尾を始め、一人残らず素直にデスアクメです。
認知を超えた変態行為が終わり、私達健全一般市民にも認知出来る程度のエロさになってきました。ドエロ淫乱クマが海老反り痙攣敗北アクメをしてアヘ転ぶと、周りの究極淫乱動物達も歓喜アクメでドスケベ金太郎のエロ勝利をスケベ祝いました。
「アクメこうさん、アクメこうさん、ドスケベ金太郎はスケベ強いなあ♡でも、次はエロ負けないぞ♡」
流石はドエロあしがらセックス山の究極淫乱動物です。このくらいはへっちゃらなのです。他のイキ物ならば既に絶頂消失(アクメロスト)しているのはスケベ明白です。
・・・このお話を読んでいる皆さんはご存知かと思いますが、念の為にエロ説明すると、エロ花もエロ鳥もエロ風もエロ月も・・・このスケベ世に生きとし生ける全てのエロ生命エロ物質には、三通りのえちえちな終わりがあります。一つはデスアクメ、もう一つは死後もセックスを止めないえっちな発情死骸(デスアクメゾンビ)化、そして脳に快楽を伴う電気信号を流すだけのタンパク質の塊となるバイオ性玩具化です。しかし、このドエロあしがらセックス山には第四のえちえち終わり、変態領域に飛ばされて亜クメ空間をエロ彷徨うスケベ物質となる絶頂消失・・・アクメロストがあるのです。
今度は、えろえろつな引きです。
ドスケベ金太郎一人と、セックス山中の究極淫乱動物たちのスケベ勝負です。ドスケベ金太郎たちは何に使っても卑猥になるエロケツのエロ穴ぽこを淫らに拡げ、あるエロアイテムをセクシーにめり込ませていきます。そのエロアイテムとは、淫靡なつなにいくつも取り付けられ、卑猥に連なった硬めの球状海綿体です。連なった球体が乱れに乱れ過ぎて淫らマックスなケツ穴から次々に抜ければ一瞬でアクメ負けてしまう事は、誰にでも容易に理解出来るはずです。さらに、それはただの球体ではなく、弾力があり保水性がある海綿体です。海綿体には媚薬が染み込んでいます。それはどこのスケベ悪魔が創造したのかはわかりませんが、ほんの少し絞るだけで媚薬が染み出す仕組みでした。しかもこの媚薬は僅か1滴で強制的に毎秒五千兆回アクメさせるえっちな効果があり、可愛く呼べば媚薬ですが正直劇物です。そんな劇物がとっぷしとっぷし染み込んだ猥褻凶器(エロアイテム)を、ドスケベ金太郎達は、生まれる前からそうしているかのようにド極めてド自然に、それでいてセクシーな動作でぷぬぷぬとエロ入れていきます。当然エロ入れる時も劇物が染み出すので、この時点で数回ドスケベ金太郎達は認知をスケベ超越しました。このスケベ悪魔的猥褻凶器が快楽しか知らないクソエロ肛門からスケベ抜けたらどうなるか・・・並のスケベイキ物なら、きっとバ行しか話せなくなるくらいIQが虚無虚無バ行になってしまうのでしょう。
究極淫乱動物たちの中には、体の大きなドエロ淫乱クマやセクハラ淫乱ウシや多目的淫乱ウマや多目的淫乱シカ、平安京セックスエイリアンもいましたが、ドスケベ金太郎にエロかないません。ドスケベ金太郎が卑猥な猥褻ブラックホール(ケツ穴)に
「ふぬっ♡」
と、スケベ力を入れただけで、究極淫乱動物たちは残らず素直に五千兆回アクメをし、その瞬間、ドエロあしがらセックス山自体が周囲のむらむら村人達の認識からエロ消し飛びました。そこにドエロあしがらセックス山があった時間すら消し飛び、むらむら村人達は何エロがエロ起きたのかもエロ知る事はエロありませんでした。
「えろえろつな引きも、ドスケベ金太郎の勝ち♡」
私達健全一般市民には一瞬の出来事でしたが、ドスケベ金太郎や究極淫乱動物にとってはエロ漫画4話分くらいの激エロ淫乱猥褻バトルがあったのかも知れません。とにかく、さっきまで究極淫乱動物たちだったモノがあたり一面にエロ散らばっていました。
なんとも大変スケベ力持ちのドスケベ金太郎ですが、スケベ強いだけでなく、とてもエロやさしいあまえち男の子です。でも少しだけエロ寂しがり屋だったりもします。エロ寂しくなるとバイオ性玩具ママサカリにセクシー頬ずりをしてエロ寂しさをエロ紛らわすのでした。
ある淫靡極まり無いエロスとカオスとリビドー渦巻く日、ドスケベ金太郎はドエロ淫乱クマのセクシーと言うにはあまりにも妖艶なえちえち背中にスケベ乗ってそこら辺で拾ったバイオ性玩具鯉で自慰をして濃い精液をボドボドと射精しながらセックス山道をエロ行くと、チンポを挟む直前のマジでズるまで五秒前のパイオツのような形の、その名も乳ズリ谷のところで淫乱動物たちが各々の一番好きな部分をしこしこしながら困っていました。
「どうしよう?♡えっちな橋がないから、スケベな向こうへエロわたれないよんぅおっ♡おっほおぉっ♡」
「よし、ぼくにまかせておけ」
ドスケベ金太郎は近くにエロ生えている大きな感度3000倍媚薬花粉大量噴出木を視姦(み)つけると、
「よし、ちょうどいい大きさだ。可愛いね♡すぅーっ♡くっさぁ♡」
と、とろとろのあまあまえろヴォイスでいって、その大きな感度3000倍媚薬花粉大量噴出木にえちえち体当たりをしました。
ドスケベーン!
すると大きな感度3000倍媚薬花粉大量噴出木はエロ簡単にスケベ折れアクメてしまい、ドスケベ金太郎がそれを持ち上げて乳ズリ谷にかけると、感度3000倍媚薬花粉大量噴出木は大量の感度3000倍媚薬花粉を噴出させデスアクメし、ドスケベ金太郎に肉コキして欲しさのあまり、チンポのような形にみるみる変形(オスイキトランスフォーム)し、あっという間に一本チンポ橋のエロ出来上がりです。
「わーい♡どうも、ありがとっほお゛お゛ぉお゛っっー♡♡ぴゅーってなゆ♡うれしくてあたまぴゅーってなゆ♡ぴゅーぴゅー♡ぴーぼぼぼぼぉぉぉっっ♡♡♡」
淫乱動物たちはエロ大喜びで、ドスケベ金太郎のつくってくれたチンポ橋を発情した雌犬のようにエロ渡り一匹残らず無限デスアクメしました。ドスケベ金太郎は粋な変形(オスイキトランスフォーム)をしたチンポ橋を優しくヨシヨシしました。チンポ橋は嬉しさのあまり素直に石化アクメをし、より丈夫で硬くて黒光りする淫靡で猥褻なチンポ橋となったのでした。
その後、強いスケベ力とやさしいエロ心を持ったドスケベ金太郎は立派なセックスセクシーセックス若者になり、セックスパンデモニウム京都の、エロえらくて、究極にして無敵、銀河で最もドスケベなお侍さん、その名も・・・エロえらい究極無敵銀河最ドスケベお侍さんのドス家ベ来(どすけべらい)になって、エロえらい究極無敵銀河最ドスケベお侍さんやエロ仲間達と供に、感度五兆倍媚薬酒を尿道から垂れ流して直接チンポから呑めばいいのにわざわざ地面に溢れた尿酒を四つん這いになって呑む特殊オナニーにドハマリしているクソスケベ美少年ふたなり酒キチガイ鬼やドスケベ羅生門に住む淫乱ふたなり鬼、えちえち土蜘蛛やろりろり爆乳老女(290歳)などエロ悪い助平者を次々とドスケベッタンバコバコッタンにバイオ便所化させてやっつけたり、ドスケベ桃太郎一行と淫乱ペイジ淫獣大乱交御前試合を行いセックスパンデモニウム京都をえっちな発情死骸だらけにしたということです。