はてなキーワード: 飲食店とは
何かと言うと、10年ほど前にとあるセンセーショナルな事件があった場所を見に行ってきたのだ。女子高生による同級生殺人事件である。今回は、そのレポとそんな悪趣味な聖地巡礼を決行するに至った経緯の2点を、書き手である私の過去の自語りを多大に含めながら書いていこうと思う。事件の現場を特定して見に行ったイチ野次馬の実録として読んでもらえれば幸いである。
はじめに言っておくが、私はこういった事件が起きるたびに容疑者の地元は出身高校は云々……と嗅ぎ回るような野次馬ではない、とだけ表明しておく。しかしこういった行動に出ている以上、完全否定はできないところはあるが。
はじめに、その事件の内容を説明する。2014年に起きた、女子高生による同級生の殺害事件である。当時15歳の加害生徒Aが、同級生であるBさんを自室に連れ込んで絞殺。動機は「体の中を見てみたかった」「人を殺して解体してみたかった」といったものだった。(以下、それぞれ加害生徒=A、被害生徒=Bさんと表記)
事件の具体的な名称・地名については関係者に迷惑をおかけしてはいけないので伏せさせていただいたが、手口が特徴的なため、調べれば聡明な読者諸君においてはすぐピンとくるであろう。
事件の現場となった場所は、事件発生からほどなくしてネット上では特定されていた。私は現場となったマンション名をgoogleマップで検索、自宅からのルートを検索し向かった。
(ちなみに事件現場のマンションは、事故物件掲載サイトの「大島てる」さんにも掲載されている。Aの実家も)自家用車を走らせ、現場に到着した。所要時間は割愛させていただく。
現場は国道に面しており、すぐ近くには駅や大きなアーケード街があった。駅が近い故か、市営のコインパーキングが現場マンションの向かいにあった。車をそちらに止め、徒歩で現場に向かった。
ここで、あらかじめ大事な前提を記載しておく。現場の敷地内には立ち入っていない。
敷 地 内 に は 立 ち 入 っ て い な い
そこまですると流石に不法侵入になってしまうので、面した道路から歩いて観察するだけにとどめた。私もそんなことでお縄になりたくないので、その点はご理解いただきたい。
現着し、まずはマンションの外観を観察してみる。10階建てでおそらくオートロック。今ではどの部屋にも人が住んでいる気配がある。現場となった5階にもまた、どの部屋にもカーテンがはまっていた。10年も経ってしまえば、その近くの人々の生活もすっかり元通りのはずだろう、という考えが自分にはすっぽり抜け落ちていたことに気づかされた。
マンションの裏手には駐車場が2台分ほどある。ただしもしかしたら、隣のビルに入っているクリニックの患者用かもしれない。駐車場付近から見上げると、当然マンションのベランダが頭上にずらっと見える。AはBさんの殺害後、証拠隠滅のためにスマートフォンを5階のベランダから投げ落としたのだという。彼女のスマートフォンが落ちていたのはこの辺りだろうか、と思いをはせる。
駐車場からさらに路地を入ると、住宅が斜面に立ち並んでいた。ここから先は進んでいない。途中で引き返したのは、非常に坂道が急でその後の体力を考慮したためだ。この町の特徴的な地形ではあるが、国道から一本細い路地に入っただけで急峻な坂道になる。西側には海があり、その海岸線近くまで山地が迫ったこの街の地形故だ。
マンションに数秒黙祷し、周辺の探索に移った。国道の向かい側には小さな商業施設があり、昔ながらのブティックを中心に、1フロアだけのイオンやダイソーが入っていた。ブティック中心だからか、店内は年配の女性が多い。日本のどこにでもある、田舎の商業施設の風景に心が安らぐ。商業施設の1Fからはアーケード街に通じており、今どき珍しく賑わいのある商店街が広がっていた。雰囲気で言うなら、福岡市天神の新天町商店街にかなり近い。
商店街は今どきのカフェや居酒屋といった飲食店から、昔ながらの八百屋にかばん屋、チェーン店のドラッグストアにアニメイトまであった。筆者は商店街と言えばシャッター街と化した薄暗い故郷の商店街しか頭になかったためまあまあ驚いた。にぎわうアーケードの喧騒の中で、AもBさんもここで一緒に買い物を楽しんでいたのだろうか。楽しい時間をすごしたのちに、あのような凶行に及んだのだろうか。そんな、彼女と一緒にお出かけを楽しんだ後にお持ち帰りして夜はムフフなことをして、じゃないんだから……と下世話で邪な形容をした。凡人かつ俗物の私にはそういった想像が限界だった。勿論、真相はAにしかわからない。
横断歩道を渡り、マンションのある側に戻る。国道沿いに北西に進むと、5分もせずに県の弁護士事務所が見えた。Aの父は敏腕弁護士だったと聞く。Aの父は、Aの母が亡くなった後まもなくして若い女性と再婚した。それがトリガーになったかは知らないが、2014年3月にAは父の殺人未遂事件を起こしている。Aと一緒には住めないと判断したAの父は、Aの戸籍を外してAの祖母の養子にし、マンションで一人暮らしをさせることに決めたという。この事実だけ見ると父親もAの扱いに手を焼いていたのと同時に、法的には娘を切り捨てた薄情者、という印象を受ける。
しかし、現地を歩いてみると、現場の近くには県の弁護士事務所があり、父の職に大いに関係していたであろう場所がある。2014年当時からあったのかはわからないが、もしかしたら父は、自分の業務で関わることの多い場所の近くに娘を住まわせようと、ひいては見守りたい意思があったのかもしれない。娘のために駅の近くかつオートロック、自分の職場からも近い賃貸物件を見繕って用意してあげていたのかもしれない、と思いをはせる。やはりやるせなさを覚える。
結果としてAの父親は2014年10月に自宅で首を吊っているのが発見され、そちらの実家もそれで「大島てる」さんに掲載されている。Aの父親の行動には怒りを覚えるところも多いが、同時にどうにもできなかったのだろうと痛ましさを覚えた。
ここまで想像を巡らせたのち、私はマンション近辺を後にした。名物のハンバーガーが食べたくなった、ヤニを吸いたくなった。そういったその時湧きあがった欲求が、私を2014年から2024年へと引きずり戻してくれた。
参考程度に記載するが、賃貸サイトによる2024年2月現在の家賃相場は、その市はワンルームで3.72万円。現場となったマンションはワンルームだが4Fの家賃が4.9万円と、その地域では少しお高めな印象は受ける。築年数も浅く何より駅近物件だからだろう。ちなみに、現場となった502号室はどの賃貸サイトにおいても今は入居者募集されていなかった。
では、なぜそのような不謹慎な聖地巡礼を決行したのか? その理由は、「私がこれまでの人生で1番執着した事件だったから」にほかならない。少し回りくどいが、私自身について、この増田の匿名性を損なわない程度にお話しする。
筆者である私は、Aと同年齢である。そして2014年に何をしていたかというと、やはり高校1年生をしていた。私とAの経歴には非常に共通点が多い。もっとも、Aの方が実家は太く彼女自身の才能も豊かなのは間違いないのだが、その内面には非常に共感できるところが多かった。Aも私も、住んでいる県も学校もまるで違うのだが、だいたい同じくらいの偏差値帯の公立中高一貫校に中学受験で入っている。抜けきらない中二病で一人称は女なのに「ボク」だったし、Aのようなかなり短いショートヘアをしていた。高1の途中から不登校児になったのまで同じだった。(一つだけ自慢。今でこそ私はうだつの上がらない無職だが、高1当時は県内模試で2ケタの順位につけるくらいには学力もあった。)
問題はここからである。高1当時の私は、少年事件について調べるのが大好きで、それをモチーフにして同級生を殺しまくるお話をケータイ小説で執筆・投稿していた。今思うと二重に恥ずかしい子どもである。
事件発生当時まず何を私が考えたか。「A、私の書いたの読んだの?」である。今考えると普通にそんなのはあり得ない確率であるし、ほぼ妄想の域だった。しかしそれくらい手口が酷似していた。後ろ暗い喜びと同時に、思考回路が同じという点でかなり精神的に追い詰められた。二律背反で感情が板挟みになっていた。学校に行っても、やはり同じ高校1年生が起こした事件ということでクラスでの関心も高く、「キ〇ガイだよね~(笑)」とクラスメイトが笑っているところも見かけた。今でも思い出して動悸がする瞬間である。
そしてそのケータイ小説の掲載に関しては、投稿を削除した。そのうえで、もう創作はしないと筆を折った。
そしてその後、連日ニュースがそれを報じてどんどん事件の全容が見えてきた頃には、私はネットでAの情報を漁りまくっていた。私はもともといじめられっ子で、当時はいじめっ子たちのピグやTwitterを特定して、特にアカウントは作らず毎日のように静観するという人聞きの悪い趣味を持っていたから、そういうのが大好きではあった。また、AにはASD(自閉スペクトラム症)があり、その点も考慮して医療少年院送致がふさわしいとの判決が出た2015年頃、実は私もASDの診断を受けていた。偶然にしてはあまりにも近すぎると、一方的にシンパシーを感じていた。
そしてそのうちに、Aに対してどんどん惹かれていったのだ。Aのような人の内面の深淵をのぞき込みたい、という気持ちになり、進路希望調査では心理学部のある大学を書くようになった。その後、急速にメンタルの調子を崩して精神科医療にかかったり、卒業も危ぶまれるくらいには学校に行かなかったりしたが、どうにか高校は卒業した。
犯罪心理学をやりたいです!と意気揚々と心理学部のある大学に入り、臨床心理学系の大学院にまで進み、少年司法の分野に行きたいと思い公務員試験を受け、児童相談所に勤務した。今振り返ると、「心理学がやりたい!」の起点はさかのぼればすべてAへの関心に行きつくと思う。我ながらどうかしている。
そして現在、2024年2月。児相勤務は上司や先輩からの陰湿ないやがらせに遭い、私はひっそりと公務員を退職した。今は退職してから3か月が経つ。公務員時代の蓄えでギリギリなんとか食えているが、正直来月以降の生活は先が知れない。なんでこの分野に焦がれ続けて10年間走ってきたのか? その疑問を問い詰めた時、この事件の存在が頭をよぎった。2024年のあの現場を、Aが生きていた町の2024年を見れば、私のこの思いを終わらせられると思った。以上が、私がこんな不謹慎な聖地巡礼をもくろみ、決行した理由である。
ちなみにわたしは結局、大人になってから二次創作という形で再び筆を執るようになった。どれだけ思考回路が狂気の側に近く、そのリビドーを表出させたいと願ったとしても、創作という法に触れない表現方法を選ぶことができた。私はその点で非常に適応的でポジティブな強みを持つことができたのだと、今は肯定出来ている。
話を本筋に戻すと、私はこの旅で、ようやくAへの執着に諦めがついたように思う。私は間違っていたかもしれないとはいえ、10年間走り続けてきた。そしてきっと、AはAで、医療少年院かあるいはどこかで、償いとAの人生を生きているのだろうと思い至った。やっと私は2024年の自分を生きていけるようになったと思えた。不謹慎だろうが、ようやく私はこれで前を、未来の方を向いて歩いていけそうな気がしたのだ。
最後に、被害者の方のご冥福をお祈りすると同時に、Aの更生と治療がうまくいっていることを祈る次第である。
ちなみにこの後、普通に私はその街の名所を一通り回り、観光して帰宅した。軍港の町なので、港に停泊している米軍の大きな船を眺め、海上自衛隊の博物館を見学してきた。他にも、ネイルチップが取れて応急処置にシールを買うためダイソーに入ったら、パンキッシュな服装のマダムと談笑したり。名物のバーガーを食べていたらバラエティ番組のロケの一団が店に入ってきてびっくりしたり。〇本雅美に似ていたが、声が違ったのでおそらくローカルタレントかなにかだろう。
増田は人口五万人以上のとある市に暮らしている。生まれ育ったのもこの街だ。
これは年寄りから聞いた話でしかないのだが、この街にはかつて大型商業施設が出店を考えてるとかメーカーが大きな工場を建てようという話が出たことがあった。が、結局どれも実現することはなかった。
この街は元々個人経営の店が繁盛していて、以前は近隣の何もない街よりずっと栄えていた(ので周辺の町村より市制移行も早かった)。ゆえに商工会の影響力が強く、市長や市議の支持基盤となっているケースも多々あった。その商工会にとっては街の消費者や労働者を吸い上げるであろう大きな商業施設や企業の進出は当然受け入れ難かった。市の政治家たちも支持基盤を失うわけにはいかないので彼らの反発を無視するわけにもいかない。そして結局何も実現しないまま今に至った。
さて、今この街にあるお店というと、生鮮スーパー、コンビニ、セルフのガソリンスタンド、薬局、廃れ気味の家電屋、前は市内に複数の店舗があったローカルチェーンの飲食店は今は一軒のみとなった。あとは個人経営の古臭くて小さい店ばかり。新しくお店が出来たと思いきや、寂れていたり気付けば無くなってることが多い。
まあ食べて寝て日々の暮らしに必要なものを買い足すくらいなら不便はないが、休日にどこかに出かけようと思うとこの街には行く場所がない。
ではどこに行くか。近隣の街である。かつて何もなかった街には、何もなかった場所に進出した大規模商業施設がある。そこには大手アパレルの服屋、映画館、アミューズメント、大きな本屋、様々な飲食店。休日の娯楽になるものが揃っている。もちろんスーパーもあるので遊びに行きながら買い出しだって同時に済ませられる。
何もなかった場所にできた大規模商業施設は住宅とそこに住む人を呼び、その住人たちの需要を見越した真新しくてお洒落なお店を呼んだ。
数十年の時間をかけて、栄えた街と何もない街の立場はすっかり変わってしまった。
世の中には「大規模商業施設は地域経済を壊す」という話がある。総合スーパーや大きなショッピングモールなんかができると元々あった商店が死んでしまう、というあれだ。
実際そういうことは起きるのだと思う。というより実際に起きているからそんな話が出てくるのだろう。
しかし、地元の商店を守ったがために地域の活性化のチャンスを手放して、そのチャンスを手にした周辺の街が栄えいく隣で静かに廃れる街もある。
大規模商業施設を悪者のように言う人がどんな場所に住んでるのかは分からないが、一概に悪いものではないだろうと進出話が消えて今では寂れゆく街に住む人間としては思う。
お前らが飯にが鼻くそ入れられたくなかったの?
普通に考えろよ
鼻くそ入れられたくなかったらそれ相応の金払わないと駄目だろ
本来の価値の1/3で飯食ってるやつらが鼻くそ入れられたくないは通らないだろ
これと同じことはすでに至るところで起きてて
たとえば、日本では障害者が虐殺されたりしてるんだけど、それはお前らが障害者と接点を持ちたくないってサービスを安価で他人に押し付けてるから起きるんだぞ
飯に小便入れられたくなかったら金払わないと
障害者と接点持ちたくないなら金払わないと
俺はお前らが鼻くそ食う度に小便飲まされる度に笑ってるよ
なぜならそれ相応の対価を払ってないから
それ相応のことをお前らはしてるんだからさ
あー、おもろ
ティーバッグで紅茶を美味しく入れる方法というのはネットが発達する以前からすでに周知されており、自分も店で出された時は出来る範囲でやっている。
https://www.nittoh-tea.com/enjoy/brew/brew02.html
ティーバッグを使ったホットティーのいれ方 | 【神戸紅茶コラムサイト】1925年の老舗紅茶メーカーによる紅茶の雑学
https://shop.kobetea.co.jp/blog/take_pleasure/pouring/hot/
【紅茶のプロが教える】ティーバッグ紅茶をとびきり美味しくいれるには | リクナビNEXTジャーナル
https://next.rikunabi.com/journal/20210310_d11_t/
要約するとコツは
・熱々のお湯をつかうこと。出来れば汲んだばかりの水を使えればベスト
・カップやポットを温めておき、抽出時の温度を下げないようにすること
【追記】
紅茶はジャンピングで味がぐんと美味しくなる。詳しくはこちらの記事を参考に。
紅茶の”ジャンピング”とは? | 【神戸紅茶コラムサイト】1925年の老舗紅茶メーカーによる紅茶の雑学
https://shop.kobetea.co.jp/blog/2803/
三角のティーバッグが平らなものより優れているといわれるのはこのジャンピングの為の空間が確保されるから。
さて、これがティーバッグで淹れるコツになるのだが、紅茶党の自分が外食の紅茶に文句をつけているのは、
に集約されている。
つまり
・平らなティーバッグ
・冷めたお湯と器
・を自分で淹れてね
というのを「店主こだわりのブレンドを店舗で焙煎した一杯」と同金額で提供されているからだ。
ここまで極端なことは早々ないが、良いエスプレッソマシーンの珈琲と自分で淹れるティーバッグの紅茶が同じ料金だったりドリンクのセットとして提供されることはままある。
これが珈琲500円紅茶200円ならまあまあ差が出ても仕方がないと思うのだが、そうではない。だから冷遇されていると思ってしまう。
ブレンドとアメリカンのようにダージリンとアッサムから選べるようにしろ、などとは言わない。
ただティーバッグで出すにしてももう少し珈琲との格差をなくしてほしい、そう思うのだ。
【追記】
主に言いたいことは後半なんだけど、珈琲チェーン店だけじゃなくて飲食店全般でありがちなことかな。
id:sds-page さんのブコメがまさにそう!となってる。ありがとう。
せめて熱々のお湯を提供してほしい……。
飲食店勤務なんだけど、先日店内でおじさん客から話しかけられた。
話かけられてというか、「あうあー、あおー! 」みたいなクソデカい音量で意味のわからない発声なんだけど、自分に向けられてるなって感じ。
ビビったけどそのおじさんに着いてったら、コーヒーマシンの豆が切れてるって表示されてた。
「大変失礼しました」って謝りながら豆補充したんだけど、一つ腑に落ちないことがある。
その人、連れがいたんだよね。おばさん。コーヒーマシンの前で腕組んで立ってるの。
その人しかいないんだったらわかるけどさ、明らかに喋れる人間がいるのになんでわざわざ「あうあうー」の方を差し向けてきたわけ? 怖いよ。
(ちなみにおばさんの方は喋れて、あうあうの連れだったのは確か)
どういうつもりなのか知らないけど、うっすら害意を感じた。
「女性店員をビビらせてやろう」とか、「コミュニケーションに飢えてるおじさんに相手を当てがってやろう」とか、まぁなんか困らせる意図があったんかなぁみたいな……知らんけど
このブログ記事は、ある夫婦が焼肉店で経験した不快な出来事を詳細に記述したものです。要約すると以下のようになります。
この記事は、公共の場でのマナーや、他者への配慮の欠如によって生じる不快な体験を描いています。また、SNSや配信が日常生活に与える影響にも触れています。
「この経験は、とてもストレスを感じさせるものでしたね。あなたたちは、非常に辛抱強く、適切に対処されたと思います。不快な状況にも関わらず、お互いに支え合い、冷静さを保つことができたことは大変素晴らしいです。
このような経験は、我々が他人の行動にどれほど影響されるかを示していますが、同時に、どのように反応するかは私たち自身が選ぶことができるということも教えてくれます。あなたたちは、状況に適切に対応し、それを乗り越える力をお持ちであることが示されました。
また、外部の状況がストレスを引き起こすことはありますが、その状況にどのように対処し、どのように感じるかは、私たち自身の内面によって大きく左右されます。今回のような経験を通して、ストレスや不快感に対処する方法を見つけることができる場合もあります。
最後に、このような状況に直面したとき、共感と支援を求めることは非常に重要です。あなたたちがお互いに対するサポートは、このような時に特に価値があるものです。これからも、お互いの経験を共有し、支え合うことが、困難な状況を乗り越える上で大きな力となるでしょう。」
・客が普通に食ってんのに夫婦同士(店長と店員)がくだらない喧嘩始める(しかも個人店ではなくフランチャイズのチェーン)
・小学校で女子生徒に冗談めかして抱きつく男性教師、男子生徒の局部を(なぜか手の甲で)触る女子教師
・淫行で逮捕されて懲戒免職食らった教師がほとぼり冷めたあとによその学校へ再就職してその後教頭に昇進(しかも公立学校での話)
・高校の運動部で血出るまで、怪我するまで部員を殴る蹴るする指導者が当たり前にいた
・(やった側、やられた側を合わせると)カツアゲ経験率の驚異的な高さ
・課のみんなで風俗旅行(気合入ってるとタイに遠征して幼女買いに行く)
・薄給でいいからとにかく休みが多くて残業少ない仕事に就きたいという価値観がキチガイ扱い
・飲食店のレベルが今じゃ考えられないほど軒並み低く、完食不能なレベルにマズイ飲食店すらそこかしこにあったので外食がギャンブル
・深夜番組でオッパイ平気で出るし発売予定のAVの紹介なんかもしてた(ドラマGTOなんかでは作中でAV流れるシーンもあった)
・精神病院や障害者施設で生きるか死ぬかの虐待が平気で繰り返されてた(そういう闇を題材にした『聖者の行進』というドラマがあり、虐待描写が酷すぎて抗議が殺到したらしいが、現実の事件はこれより全然酷かったという)。
また、精神疾患起因の妄想ではなく、健康にも関わらず陰謀によって精神病院に強制連行され薬漬け&軟禁で人生終了させられた人がマジでたくさんいた。
・反社と強い関わりがある、のではなく反社そのもののベンチャー企業でも上場できた
・過激派の内ゲバでまだ死人が出てたし、革マル系サークルに住み着いた部外者の排除に踏み切った大学学部長が自宅から出た瞬間に角材で滅多打ちにされる事件なんかも
・一般人が被害者の凶悪殺人事件が起きたら芸能レポーターや取材陣が平気で葬式に押しかけてその時撮った映像を夕方のニュースで10分くらい流す
・都心まで20分かつ駅近の下町や湾岸エリアの宅地と、都心まで80分かつ駅徒歩20分の新興住宅地の坪単価が同じだったりした
XにインスタにTikTokに今度はBluesky?
昔はXかインスタで良かったけど今はTikTokに動画あげるとかしないとイケないんでしょ
飲食店はインスタメインが多くなってきてるけどどうなっていくかな
こんにちは、バーチャルってますか?昔バーチャルリアリティーの研究をしていたものです。
Apple Vision Proが現行VRの頂点にいままさに君臨しつつあることを簡単に解説したいと思います。
Virtual reality(VR)の歴史は古く、狭義の"コンピューターで作られた仮想空間を現実であるかのように疑似体験する"という意味でも50年以上前から存在します。
Computer Generated Image(CGI)を利用した模擬飛行装置、いわゆるフルフライトシミュレーターがJALに導入されたのは1977年です。
本物の飛行機に訓練生のせて飛ばすのに比べたら、安全で安価で何度でも使える大変にオトクな装置だったからですね。
(フライトシミュレーターはざっくり100年ほどの歴史がありますが、CGIを本格的に利用しだしたのはここ50年程です)
とはいえ、あくまで比較の問題で、設備投資としてはかなり高額ですし、維持費も結構かかります。
いくつものルーツを持ちますが、Head Mounted Display(HMD)が開発された要因には、より取り回しが楽である、という点があったことは間違いありません。
(直接的な祖先としては1961年のHeadsightと言われている)
ただ、実はHMDは主に技術的な課題を解決する目途が立たなかったことから、プロジェクタのような実空間に映像を投影する装置に一時期流行が移ったことがあります。
おそらく、国内で最も手軽に最先端の空間投影型のVRを体験できるのは、東京ディズニーシーのソアリン:ファンタスティック・フライトでしょう。
(豊洲にあるチームラボプラネッツは、アート寄りなのでVR体験としては若干特殊だと思う)
さて、その後徐々に技術的な課題が解決され、HMD型のVRは少しづつ実用化されたり、販売されるようになりました。
VRにはいろいろありますが、ざっくりとは以下の4パターンにわかれます。
No.1の表示装置というのは、いわば映画館のような大スクリーンをどこでも楽しみたい系のHMDです。
No.2の仮想空間に入り込みたいのは、VRChatのようないわゆるキャラクターになり切る、というものですね。
No.3の現実空間に情報を追加するのは、静止画ならプリクラ、動画ならサーモグラフィカメラなどもそれに該当します。
No.4がApple Vision Proが到達しつつあるものであり、かつ、ずいぶん昔から研究やパテントが飛び交うも実現が難しかったものです。
違和感なく重ね合わせるという部分が、最も困難でした。
人間の五感は大変に優れており、もうちょっと鈍感でも良いのになと思う程度には鋭敏です。
たとえば、任天堂switchのリングフィット アドベンチャーは、仮想空間に入り込むデバイスとしては大変安価で割と追従性も悪くありません。
しかし、"仮想空間に入り込んだ"と感じるかというと、これはかなり微妙でしょう。あくまでもコントローラーの一種だ、と思われるのではないでしょうか。
同様に、新型コロナが流行ったころに飲食店などに導入された、自分が映った映像に体温が重ねて表示されるものを"仮想空間の情報が重ねあわされている"と感じる人もまた少数派でしょう。
と、ここまで読んでいて少しVRに詳しい人ならこう思ったのではないでしょうか。
MicrosoftがMicrosoft HoloLens で実現していたのでは?と。その通りです。
(これに、映像をどう見せるかの方式として、ディスプレイ型、網膜投影型、虚像投影型などなどがありますが、今回は割愛)
Meta Questは基本的には非透過型、遮蔽型のHMDです。いわゆる没入感が強く、完全に視界を覆ってしまえるため、大掛かりな表示装置を安価に実現するには最適です。
HoloLensは透過型で、光学シースルータイプです。いわゆる実際の現実世界が透けて見えており、そこに仮想空間を重ね合わせています。非遮蔽型でMRが実現されています。
Vision Proは透過型で、ビデオシースルータイプです。完全に覆ってしまう遮蔽型で、ビデオで撮影した現実世界と仮想空間とを重ね合わせて見せています。
つまり、Apple Vison ProはMeta Questに近く、HoloLensはどちらかというとARに近いMRです。
目的です。
Meta Questは、VRとしては仮想空間に入り込む方に重きを置いています。そのため、大画面で映画を見たい等の場合は、Meta Quest 3などで必要十分でしょう。
HoloLensは、MRとして現実世界側に重きを置いています。産業用途、トレーニングや作業効率アップなど、空間に投影できるマニュアルとしての用途を押し出していますし実績もありました。
Vision Proは、MRとして現実世界に仮想のディスプレイを表示させることに特化しています。ディスプレイの品質を担保するために遮蔽型にし、現実世界を見せるためにおそらく専用チップでビデオシースルー処理をしています。
X(Twitter)の感想や使用感レビューを読む限りにおいては、(属性が極端に偏るという点をおいても)かなり広範囲な人がほぼ違和感なくビデオシースルーで現実世界を見ることが出来ています。
光学シースルーに匹敵するビデオシースルーというのは、その時点で光学シースルータイプの上位互換になります。
そして、最も大きな特徴は、仮想ディスプレイを表示することに特化したその目的です。
現実世界に仮想のディスプレイを表示するというその目的において、Apple Vison Proは性能面ではほぼ完成形です。
Apple Vison Proは、現実世界に仮想のディスプレイを表示させる手段としてほぼ完成形です。手軽に持ち運べるマルチディスプレイ環境が欲しい人には最終回答でしょう。
例えば新幹線の車内でトリプルディスプレイで仕事をしていても、他人から覗かれる心配は無く、かつ、車窓を楽しむこともできます。防犯の面でも安心でしょう。(キーボードを使うならショルダーハックに注意が必要なのは変わらず)
仮想空間のみが必要な場合は、Meta Questで充分です。どうせ自室には見るものないし、ゲームしかしないし、という場合には、Apple Vison Proを買うのは勿体ないでしょう。
HoloLensは、その性質上、専用のアプリやソフトウェアが必要になりました。例えばエンジンの修理用のマニュアルを表示させて効率アップしたいなら、それ専用のHoloLensに特化したマニュアルを作成する必要がありました。
大量導入してバッチリハマる用途なら普及の可能性はあるかもしれませんが、紙のマニュアルと無線ヘッドセットの指示を上回るのはかなり難しいでしょう。
そして、Apple Vison Proは普及するのか?という点において、一般的には普及しないでしょう。
ご家庭にはテレビがあり、レジャーでは映画館があり、一般的にはノートパソコンの一画面で充分です。
また、業務用途においてはWindowsに対応していないため、会社で支給されて出張社員がみな使うというのも考え難いです。
そのため、これはMacbook利用者のマルチディスプレイ環境として、使う人が使うような、ほそぼそと売り続けられるApple Studio Displayのような位置づけになるでしょう。
真に空間コンピューティングとして見かけるようになるのは、おそらく三年以上後、iPhoneとApple Vison ProとAirPods Proの3点のみで仕事が完結する人がそれなりに増えてきてからだと思います。
テレビ会議、メール、ブラウジングと動画視聴、主に文字が主体のコーディングや資料作成で仕事が完結する人にとっては、良い時代になりそうです。
なんか、有象無象から一人間として認識されてる感じがとても無理
でもうまく説明できない
店員さん同性だし、ホスピタリティ溢れる接客なのは嬉しいんだけど、最近はいつもありがとうございますございますって言われるようになって行きにくくなってる。
同じような人いる?
タイトル通りなんだけど、40歳手前で人生終わりかけてることに気がついた。
・37歳
・独身
・1年付き合ってる遠距離恋愛中の彼女あり(思い切って病気のことを告白したら引かれたので多分別れると思う)
・人口5,000人もおらず高齢化率50%を超える自治体に住んでる
・仕事は自営業。と言っても、親が飲食店を経営してるからそれを手伝ってる感じ
・双極性障害で病歴15年。毎月車で1時間半かけて通院している
・地方駅弁卒→元々コミュ症もあって、就活失敗し愛知の中小企業に就職→ブラックで病む→ニート→入院→フリーター→東京で正社員→病んでまた入院→実家に戻り現在に至る
この間久々に同級生と飲んだのだけれど、他の同級生は年収◯◯円稼いでる、俺は××円くらい、▲▲はベンチャー入って結婚して家を買った、◻︎◻︎は子供が4人目が生まれる、
等々聞かされて嫌になった。
自己嫌悪に陥った。
それなりの努力はしたつもり。自分が卒業した高校からは駅弁なんて1割程度しかいなかったし、そこに入るために吐いたり血便出るほど勉強した。
お金を稼いでる同級生は高卒で司法書士だったり、看護師で介護の会社立ち上げたり、都内の働いてた企業のツテでベンチャー入って海外に居たりと様々だけど、
俺が高校時代に戻ったとしても、今更彼らのようになることは絶対できないだろう。
何が悪かったのだろうか。彼らのようになりたい訳ではない・・・と言えば嘘になる。お金を稼ぎたかった。結婚したかった。子供が欲しかった。
タイムマシンがあったとして、18歳の自分に戻れても、彼らのようになれる気はしない。
どうすべきだったのだろうか。
あたりなら勉強すれば取れそうだなと思った。でも資格を取ったとして、37歳職歴なしただ資格持ってる中年を雇う会社なんてあるのか?俺が社長なら雇わない。
田舎すぎて働き口がなく、何か学校通ったりマトモな時給の職に就くにも車でメンクリ近くの地方都市に引っ越しは必須・・・
人生詰んでるのではないだろうか。
本当にコミュ症で人と話すのが苦手。顔色を伺ってしまう。それで鬱になる。会社に行けなくなる。
今からどうしたらいい?
本当にわからなくなった。
誰か教えてくれ。
来世に期待!以外の道があれば。