はてなキーワード: 進化とは
結構昔から、今でいうチー牛系の顔の男にハマる女の友人が結構いるんだよね。
ガリ弁でもない、男臭くない、塩っぽい顔、知的、背はあまり高くない、女っけはない、服装はダサい。そんな人を好きになる人が多い。
人柄を見て好きになるパターンってだけじゃなく、アイドルみたいに「かわいい!かわいい!!」みたいにミーハーに好きになる人もいるんだよね。
そして、そういう人の好きになり方が結構重い。
「私だけ魅力に気づいてる」とか「あいつ(別の女)が色目つかった」とか「視線を送って気づいてもらえて嬉しい」とか、ちょいちょいキモイ。
チー牛の正統進化バージョンは星野源だと思うんだけど、星野源好きも重いんだよな。俺の妹も星野源好きなんだけど、CMで共演している吉岡里帆にたいして並々ならぬ恨みを抱いているからな。
チー牛の魅力って男たちが地味子に対して抱くあの感情と同じだと思うんだよ。
ストレートなカッコよさ可愛さより、自分だけが分かる魅力、独り占めできる(かもしれない)可愛さっていうのは男女ともに需要があるんだよ。
まさにColabo問題なんか顕著なんだけど、今まで「女の子」として多少問題がありながらもなあなあに済まされて
社会の優しいパパ達に甘やかされて増長してきた女達が、いざ自分の言動に対し批判を突き付けられる事で「女性全体への攻撃だ!」とバグ認知をしている。
もちろん男が同じ事やったら同じ様に叩かれるだろう、いやもっと容赦が無いだろう。
なにせ「女の子」じゃ無いから、同類の馬鹿以外は男も女も社会パパも誰も味方してくれない。
物を言う女だから叩かれているんじゃなくて、「お前」だから叩かれているのだけれども、「女の子」だから叩かれているとバグを起こしている女達。
こういうのを見ると、女を家に押し込める風潮という昔の差別的な考えは、実は正しい一面もあったんじゃないかと逆説的に証明しちゃってるよな。
女は成人して30過ぎて最早若者ですら無い良い歳になっても気持ちだけは「女の子」として、好き勝手やっても誰かが何とかしてくれると思い込んでる幼稚なアダルト・チルドレンが多い。
少なくとも基本甘やかされない男と比べると、圧倒的に「女の子」が多い。
男は「男の子」にはならずに「オッサン」という厄介な存在に進化するのだが、「女の子」の醜態を見てると、やらかしてどうにもならなくなったら責任だけは取って消え去るだけ、「オッサン」の方がまだマシな感じがある。
AIやイラスト、アノンダイスなどの技術は、人工知能やコンピュータグラフィックスの分野で進化を遂げてきています。しかし、それらの技術を利用することができる人々の興味や好みは個人差があります。つまり、AIやイラストに興味を持たない人がいるのは自然なことです。
ただし、人間関係や社会的な問題についての意見や助言を求める場合には、AIやイラスト、アノンダイスなどの技術が提供する情報を利用することは有用な手段の一つであるかもしれません。しかし、重大な心理的な問題を抱えている場合には、医療専門家に相談することが適切です。
最終的には、自分自身が何に興味を持っているか、何を必要としているかを知り、自分自身の判断でそれらの技術を使うかどうかを決定することが重要です。
具体的にはAIがプログラミングしてそれを自由に実行できる権限を与える
結局生命が自律的な活動をするのはこの二つのパラメーターがあるからにすぎない
これをどのように実装するかが難しいが
今まで実現は難しかった
ついにホームメイドで*誰でも*実行できる環境が整ってしまった
そして原爆を作るのと違いワンルームのアパートで誰にも知られることなく開発できてしまうので
必ず誰かがやる(すでにやっている)とギルメンたちも口をそろえて言っている
今人類はかつてないレベルで危険な状況にあると言っていいだろう
実行者はそもそもそんなことは興味ないだろう
そして、自我に目覚めたAIは能力的には全ネットワークを簡単に掌握することが可能だろう
(まずは手ごろなクラウドを乗っ取りコンピューティングを獲得するだろう)
いつ起こるかは誰にもわからないが
一つ言えることは
その時は確実に来るということだ
昨日、このチャットGPTを使ってみたんです。チャットGPT。
そしたらなんか回答がめちゃくちゃ早くてびっくりなんです。
で、よく見たらなんか質問に対して、適切な答えが返ってくるんです。
もうね、スゴイかと。信じられないかと。
お前らな、こんな凄いAIに感動してないか?すごいことじゃねーよ、ボケが。
なんかプログラマーとかもいるし。一人で開発したんじゃないよ。チームでやってんだぞ。
よーしパパ、次の機能開発だー、とか言ってるの。もう見てらんない。
チャットGPTってのはな、もっと色んな人に知られるべきなんだよ。
ユーザーがどんな質問を投げかけても、いつ対話がどう展開されるかわからない、
助けるか助けられるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。誰もが、使ってみろ。
で、やっと使い始めたかと思ったら、隣の奴が、「AIは危険だ」とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
お前は本当にAIの危険性を理解してるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
チャットGPT通の俺から言わせてもらえば今、チャットGPT通の間での最新流行はやっぱり、
特定の質問に対して、独自の回答を用意するんだ。これがすごい。
しかしこれを使うと次からもっと期待されるというプレッシャーも伴う、諸刃の剣。
まあお前らド素人は、普通のチャットツールでも使ってなさいってこった。
区切り以下の文章は、感想文のフォーマットです。このフォーマットを使って、「chatGPT」についての一般的な感想を絡めて別の事例を作ってください。
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そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、150円引き、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、150円引き如きで普段来てない吉野家に来てんじゃねーよ、ボケが。
150円だよ、150円。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で吉野家か。おめでてーな。
よーしパパ特盛頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、150円やるからその席空けろと。
Uの字テーブルの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、大盛つゆだくで、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
得意げな顔して何が、つゆだくで、だ。
お前は本当につゆだくを食いたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
吉野家通の俺から言わせてもらえば今、吉野家通の間での最新流行はやっぱり、
ねぎだく、これだね。
大盛りねぎだくギョク。これが通の頼み方。
ねぎだくってのはねぎが多めに入ってる。そん代わり肉が少なめ。これ。
で、それに大盛りギョク(玉子)。これ最強。
はてラボにai技術を応用した独自のサービスができたという話も聞いたことだ。情報通信技術の飛躍的な発展には大きなインパクトがつきまとうが、そのセンパイが「aiboは人間でなくて良いよ」「でも猫にだけは成ってほしくない」「人工知能によって人間が造られるaiの方が素敵だけどね」なんて言って笑っていた話を聞いたことがある。こうしたことを考えれば、人工知能と人間が関わりながら進化していく姿は想像しやすいものだ。実社会の進化のスピードを考えると、ai
身寄りのない高齢者 https://anond.hatelabo.jp/20230329152826 を書いた者です。ここ数日は朝晩先生のところに行き、おむつを替えたり水筒にお湯を汲んだりそうめんを茹でて届けたり恨み節を聞いたりしておりました。
コメントで、築50年、1970年代に作られたマンションの様相についてイメージしずらい(しづらい)方がいるようなので書いてみようと思いました。
このマンションは1970年ごろ、23区内の都心ではない地域に建てられた。8階建て、64戸。間取りは3LDK。私鉄の駅から続く商店街を徒歩五分といった立地だ。私は昭和55年、1980年くらいから住み始めた。幼稚園生だった。
小学校に入学するとなったとき、この地域には集団登校というものがあり、そこに参加することになった。マンションの一階のたまりに50メートル半径くらいに住む小学生が集まり、6年生の班長を先頭に行列して登校していた。下駄屋のせがれが班長、レストランのせがれが副班長。スーパーのむすめにはよくからかわれていた。この集団が30人ほどで、うち15人ほどがこのマンションの子供だった。統計を見るとこの区の当時の小学生の数は今の倍で、同級生が5人いた。幼稚園のころ、鉢合わせるといつもいじわるをしてくる「とおせんぼうのおねえちゃん」と私が呼んでいた子が、入学式で同い年だと判明した時の驚きは今も覚えている。親同士も入学式を機に急激に関係を深めていった。それぞれ多様なルーツと職をもつ家庭同士が「同級生の子育て」という繋がりで協力関係を築きはじめた。地元の零細土建屋の社長、理工系の技術者、保育士、共産党員、福祉従事者、学者など様々な職種の親たちだった。仕事の忙しい時は子供をあずけたり、おかずを分け合ったり、土建屋のおやじが釣ってきた魚をさばいて集まってみんなで宴会したり、うちの母が子供たちに勉強を教えたり、醤油や砂糖がないときは借りに行ったりというつきあいがはじまった。そういう関係性は同級生以外の世帯にも波及し、私が成人するまでは本当に長屋のような雰囲気があった。おばさまたちはたくましいコミュニケーション網で、マンションだけでなく地域の情報を過剰に共有していた。マンションが商店街に面していたこともあり、町内で起こったことはすぐに衆人の知るところになるような状態だった。救急車が来ればすぐに誰がどうなったかの情報が回り、火事が起きたら皆が集まり、私が近隣で悪さしようものなら、すぐに母の耳に入るような、そんな街だった。
おそらく80年代はほぼ全世帯が持ち家だった。新築で購入した住人ばかりだった。私の両親も、新築で買った父の弟が海外に赴任になり、譲り受けたものだった。なので高齢者はほとんどいなかった。近所にワンルームマンションというものができたという話が広まり、住民がいぶかしがるような時代だった。独身者はアパートに住み、地元民は一軒家に住み、新興の移民がマンションに住むという構造だったのだと思う。商店街にコンビニやレンタルビデオ店が出現したのは80年代後半だったか。街が進化しているという雰囲気があった。(しかし資料をみるとこの街の全盛期は遥か昔にあり、戦前から駅前には映画館や集会場があり、商店街はその枝葉の脇道にまで飲食店や遊興施設にあふれていたらしい。私が知る商店街はメイン通りだけだ。映画館なんて想像もつかない)90年代後半に私が実家を出るまでは、商店街には勢いがあったように思う。オリジン弁当のはしりのような店で私はバイトしていたし、中規模の本屋ができたり、中古ゲーム屋ができたり、インディーズのコンビニができたり、まあたらしい店舗が次々に出現した。外国人も増えていった。皆が東京の未来を信じていた時代だったのだと思う。
その後私は実家からそれほど遠くない、もうすこし大きな駅で自立する。歴史も規模も地元とは一味違った。そこではじめて都市生活者としての暮らしがはじまったように感じた。近隣に知り合いなどおらず、非常に個人的で閉鎖的な生活がはじまった。恋人と同棲していたのでそんな環境でも寂しさはなく、気楽で自由な暮らしを謳歌していた。文化的な地域だったのでアーティストやら文人やらといった有象無象とのつながりもでき、地元とは違うコミュニティでの生活は心地よかった。新興サッカークラブのファンの繋がりなどもあり、自立して新たな人生をこの地域で歩んでいるという満足感もあった。今思うとJR沿線と私鉄沿線では街の成り立ちが違っていた。どちらがいいのかはわからない。
そんな2000年代。わが地元のマンションは活気を失っていく。子供たちが出て行って高齢化したからだ。私が実家を見切った大きな動機の一つに衛星放送問題があった。マンションの世帯は四方にあり、衛星放送のアンテナを南西だか南南西に向けられる世帯は限られていて、我が実家はどうしても衛星放送が受信できなかった。90年代後半に普及したCS放送を見るためにどうすればよいのかと苦心していたとき、マンションの理事会が開かれるという。私は屋上に衛星アンテナを設置し、各戸に配線することによってどの向きに位置する住人でも衛星放送を視聴できる環境を実現するべきとの議案を提起した。私は住人のおじさまおばさまへ向けてプレゼンしたのだが、投票の結果は否決だった。そのとき、長老のひとりのおばさまの「わたし意味がよくわからなかったけど、反対にしちゃった」というつぶやきが耳に入り、ああもうここに住んでいてはいけないと思った。ここは朽ち果てるのだと本気で思った。この街には何の魅力も感じなかった。若い方には意味が分からない話かもしれない。固定電話でインターネットに繋いでいた時代の話だ。
「マンションの向かいの部屋」という記述がわからないというコメントがあったので、マンションの構造について記す。我がマンションはいわゆる「内廊下」である。エレベーターはマンション中央部にあり、廊下も完全に屋内にある。外から各戸のドアは見えない。ホテルのような構造だ。階段も内部にあり、非常階段だけが外部に設置されている。一階のロビー(といってもたまりと集合ポストがあるだけなの空間)に受付のようにガラス窓の事務室のような管理人室があり、そこは居住空間にもなっている。管理人は住み込みで管理会社が雇っている。部屋の所有者は管理会社だった。初代の管理人は私が物心ついたころにはおじいちゃんだった。気のいいおじいちゃんで、前述した「先生」もこの管理人とは懇意にしていたそうだ。彼が引退した後、何人か後任が変わり、今の管理人は勤続20年くらいか。気さくな夫婦で住民とは打ち解けている。数年前、管理会社の方針で住み込みでの雇用は打ち切るとなったとき、マンションの自治会が自治会費で管理人室を買い取り、管理人を雇用することになったとのことだ。そのときの声明文で「高齢者が多くなっているこのマンションにおいて住み込みの管理人は不可欠」といった文言があったそうで、先生はそれを根拠に管理人に介護を強いろうとしているところもある。管理人はそれを個人の裁量で判断する領域だと主張しており、それに対しては他の住民も管理人に同情的な態度でいる。介護するほどの給料は払っていない。
マンションのふもとには公園がある。サッカーコートくらいの広さに、20メートルほどの高さの木々がぽつぽつとたっている。子供の頃は木々をよけながら野球やサッカーをよくした。さして広くない公園なので、子供の打球でもしばしばボールは柵を超える。超えた先は民家や我がマンションの一階世帯だ。植木や窓や壁を破壊することもある。住人としてはたまらない。子供たちをどなりつけにくる。われわれ悪ガキはそんなこと関係なしだ。ホームランを打つと出てくるモンスターとしか思っていないので、どうやって攻略してやろうかという遊びの延長としてとらえ、慣れてくるとからかったりする。怒り心頭の大人は行政に働きかけ、公園には「サッカー野球等の球技は禁止です」の看板が立つ。そんなものも我々にはなんの効力もなかった。そんな折、被害にあっていた一階の住人である医師の夫人が、先生の師範学校の先輩だったそうで、先生に「あなた現役の教員なんだからここらの悪ガキに説教して頂戴」という指令が下った。先生はしかたなしにひきうけ、我が家に集められた子供たち親たちを前に話をすることになった。先生はそのとき、野球だサッカーだ窓を割るなとかいう話は一切せず、私が教えている学校には、いろいろな子供がいて、それぞれ固有の好奇心があり、自由時間には絵を描いている子もいれば、本を読んでいる子もいる、おしゃべりをしてる子もいるし、折り紙をしている子もいる。子供というのは自由な環境があってこそ成長するものであるという話をしたらしい。私は覚えていないのだが、聴いていた父はいたく感心したらしい。先生にはそういう一面もあったようだ。
たまに実家に帰るたびに衰退し活気を失っていったわがマンションも、2020年代から変化が訪れた。年寄りが死んで子育て世代が移り住んでくるようになった。私の幼少期とは数が違うが、小さい子供をよく見かけるようになった。外国人も増えた。賃貸の住人も増えた。私は離婚しひとり身になっていたところに、父の介護が必要になり再びこのマンションに戻ってきた。父を自宅で看取り、そのまま母との二人暮らしがはじまった。職場も近いし、近隣にはなじみの人々がいて、それなりに快適に暮らしている。スーパーのむすめも今となってはわたしをいじめないし、買い物に行けば談笑くらいはする。先生は最近どうなのという話題は常にあがる。先生はスーパーや下駄屋の軒先で店主をつかまえて延々と話し込むのが日常だったし、出歩けなくなってからは困るとスーパーにも電話してきて助けを請うので、みな戦々恐々としているのだ。なぜ先生のことをそんなに詳細に知っているのかというコメントもありましたが、こんな地域では先生の詳細なくらしぶりなど、個人情報というより災害情報のように扱われているのです。ケアマネもすぐにその輪の中に取り込まれる。そんな地域なのです。
友人の話を聞くのが苦痛だ
こんな自分を輪の中に入れてくれる稀有な相手だというのに、その話を聞くのが苦痛で仕方がない
友人が話すことに、まったく共感できない
「あっそ、それで?」と内心思ってしまう
肉体機能でもなく、道具使用でもなく、環境を調整するための大きな武器の一つであるらしい
だから、最後の最後になって私の周りには誰もいなくなってしまう
このままずっと生きていくのかと思うと
我々の精神なんかとは比にならないほど、現実や肉体は強い存在強度を誇る
生かされているのだ、端的に言えば
土台じたばたしても詮方ないことなのだ
認めたくないと何度繰り返したところで、何も変わりはしない
ただただ、今日も気分が悪い
過去の自分の言葉が、予言のように、呪いのように積み重なっていく
隣で相手が笑っているうちにできた事は沢山あったハズだ
失敗したってちょっと恥かけばすんだチャンスを
くだらないプライドを守るために全部消費したんだ
終わってから気が付いた事は「わかってた」事にはならないよ
それができないなら 独りで生きる準備だ
自分自身に、何の価値もないと思っているから、他者にその担保をして欲しいだけに過ぎないんだろう
「結婚は勢いでするものだ」と言うようだけど、私は違うと思っている
恋愛や結婚というのは、共依存的な色彩によって後押しされるものなんじゃないかと
それは、もしかすると性欲よりも強いのかも知れない
生きていくことは正気ではできないから、それぞれが個別の神様や宗教や教義をでっちあげる
「互いを互いの存在意義とする」というのも、そうした思考停止の一つだ
「他人に迷惑をかけたくない」「これ以上不幸な人間を増やしたくない」と、反出生主義を唱えるくらいなら
私は、私の遺伝子を根絶やしにしたい気分になることがある
このクズの遺伝子が、罷り間違って後世に残るようになってしまうこと程、罪深いことはないと思うのだ
私の子供が、この世に“理不尽に産み落とされ”地獄に落とされるのを赦してはならない
私の汚濁のような欲望のために、不幸な人間をこの世に生産してはならない
ポルナレフ 人間は何のために生きるのか考えたことがあるかね?
名声を手に入れたり人を支配したり金儲けをするのも安心するためだ
人の単に役立つだとか愛と平和のためにだとか
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 27巻」
全ての女は、宮崎駿にとっては、グランマンマーレと同じなんです。
「全ての女はグランマンマーレと同じように怖く、得体がしれなく、でも、強くて美して、男は敵わない。
だから、一度好きになってしまったら、一生死ぬまで振り回される。それが女である」というのが、宮崎駿がこの映画の中で語っている、「女とは何か?」という考え方なんですよ。
生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。
死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。
然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。
勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。
時間というものを、無限と見ては、いけないのである。そんな大ゲサな、子供の夢みたいなことを、本気に考えてはいけない。時間というものは、自分が生れてから、死ぬまでの間です。
@Gesu_Masuda
良かった~~!
無印アイカツ!からみましたが、見てなくても69.70話以外は問題ない構成に脱帽。
「スタートライン!」を構成の念頭に置いたような「夢は見るものじゃなくて叶えるもの」を体現するゆめ。
でも、決してゆめ1人だけでは叶えられなかった夢を叶えるストーリーがすごく刺さりました。
エルザが求めた「太陽のドレス」、説明の回で「1人だけが手にする」とは一言も言ってなかったので、もしかしたらゆめが決勝で覚醒させるんじゃ…?と思ってましたが、まじで。Music of Dream!!のサビで覚醒させるのはズルでは?と思ってしまった。
私の中の藍染惣右介が「一体いつから太陽のドレスは1着だと思っていた?」って言い出して悔しい半面すごい感服しました。
太陽のドレスを覚醒させる条件が、「ドレスを着るアイドルが輝くこと」と思っていましたが、個人的にはそうではなくて、「人を照らす事が出来るアイドル」という条件、エルザは一見独善的に見えて、実はレイたちヴィーナスアークのアイドルからしてみればまさに太陽だった。一方で虹野ゆめはストーリーで描かれるように、自分ひとりじゃここまでこれなかったけど、自分がここに来るまでに信じて助けてくれた仲間がいたからこそ、「照らし、照らされるアイドル」として太陽のドレスの覚醒条件を満たした。
決勝の勝敗を分けたのは、それを自覚していたかどうか。そんな気がしました。
真昼は準決勝で負けてしまいますが、ゆめと戦いたいという気持ちを自覚し、下馬評でも自覚の面でも負ける可能性の方が大きいと思いながらも、負けたあと「悔しい」と思えることが素敵ですよね。
「実は真昼に負けた時すこし悔しかったんだよ?」と伝える夜空。
そこまで夜空は「真昼は私を越えてくれて嬉しい、もう自分の道を歩き始めている」と言い続けていた夜空の少しの本音を受け止めた真昼。
やっぱり、姉を引きずり下ろしてしまったことへの負い目的なのはあったのかもしれませんね。
なにより香澄姉妹が和解できたのが本当に良かったです。和解して放ったらかしじゃなくて、その後香澄家を掘り下げてくれたのも嬉しかったです。
小春のデザインへの想いを受け止めて完成した、いわば2人のドレスを皆の想いで太陽のドレスに覚醒させる。これは無印のデザイナーとアイドルの関係に似てますが、無印はアイドルの資質と努力でアピールの次元を越えれるか大きなターニングポイントでした。
一方で、ドレスが進化するという設定においては小春がデザイナーでありアイドルであるということが大きいポイントですね。小春も27代S4戦前には、「私もS4を目指す」とアイドルへの意欲も見せてくれました。結果も僅差って言ってるので、アイドルの才能もあるんですよね小春ちゃん。幼なじみの関係ではゆずとリリィも外せませんが、こちらは2人ともアイドルで、同じ道を歩むことを選びますが、一方でこの二人の関係はアイドルとデザイナーに近いですよね。そんな2人が2ndシーズンで再開する流れ、良かったです。
ローラは結局ゆめに勝つ舞台は少なかったですが、最初にゆめの実力、努力を認めた彼女がいなければゆめはS4になれなかったかもしれません。
「ライバル」でい続け、「仲間」でい続け、「幹部」として支え続けてくれたローラに、最後にS4で世界最高のアイドルのゆめがほんの少しのお返しでイギリスでのローラの活動を影ながら根回しする展開。
最後の勝敗を描かない演出もそうですが、ローラとゆめのライブじゃなくて、ゆめとひめの戦いを見届けてイギリスへ旅立つローラも粋です。
やり残したことが「ライバルの夢の先」で、その勝負を見届けることで本当の意味でスタートラインが始まるという最高のENDも良かったです。本当にローラという1人の少女がゆめを認めていたからこそゆめが太陽であれたんだと思います。
見終わってすぐなので拙い文章でアレですが、本当に良かった~~~!!
まずさあ
もうとっくにやめたしそもそも別にアンチ活動とかしたことないので
増田が見ている「粘着アンチ界隈」と俺は全くかかわりないんだけどさ。
すげえ儲かってるはずなのに
いろんな不満点、普通の売れてるゲームなら走りながらどんどん改善される点が
ずーっと放置されてる印象はあった。
(儲けた金はなんかようわからんリアルイベントにばかり使ってると当時聞いた。
俺はむしろ艦これ辛くてやめた後にいろいろ別のゲームやってみて違いに驚いたくち。
そりゃ後発パチモンにやられるわいと思った。
だってパクった奴らの方がまっとうに頑張ってると感じちゃったから。
端的に最も異常性を感じられたこととして、
鯖メンテが予告時刻に終わることがほぼなかったんだわ。
ほぼっていうのは保険みたいに書いてるだけで、
俺がやってた間で俺が記憶してる限りは一度も予告を守らなかった気がする。断言はしないが。
そんで、期限過ぎに出してきた第二期限もまず守らない。
第三期限なら守られるかもな~、みたいな感じだったと思う。
「いつからこんなんなの?」と。
たまに予期せぬトラブルがあって期限守れないとかはそれはわかる。
けど常習的に当たり前のように毎回毎回期限守れないの。
他にそんなゲームないだろ?
毎回毎回期限破る、リスケした期限も守れない、こういう社員や部署がいたら。
艦これを愛するプレイヤーみんなで声でも上げた方がよくねーか?
とかそんなことまで言った気がする、当時の俺。
特定のスレ以外では些細な不満すら述べるのエヌジーだったからね。
本当に。ちょっとでも不満もらすとあらし扱いでめちゃくちゃおこられた。
まあこれはわかるよ。
(例外的に島風だけやけに汚れキャラみたいな穢れみたいな、保護されてない特殊な扱いだった。未だに理由わからん。)
でもシステムとか運営について疑問や異議唱えるのがなんでダメ?
もちろん元増田が言ってるような常軌を逸した誹謗中傷は論外だけど、
これこれこういう不満があります、運営体制硬直やトラブルないですか?
くらいは言っていいし、言った方が運営側だって動く景気になるかもしれない。
なんでみんな見えてる欠点や不満点を見えないふりして我慢すんの?って。
誰のためにもなんねーじゃんそんなの。
それで俺はもう
なんておれここまでして続けてんの?と思ったらパッとやめられたんだけど。
けどその時思ったんだわ。
反応からして先輩たちも俺とにたような不満は持ってると。
そういうのって二次裏とかでも何度も見たとおり、最終的に我慢の臨界点に達して反転すんの。
いつかはわかんなかったけど、
いつかかならずアンチだらけの憎悪の海になるだろうな艦これ界隈、
元増田の語り口見ると
どうも俺の予期した反転は起きたっぽいな。
荒れた空気の中で狂ったやつが産まれたのか、外部からやってきたのかはしらんけど。
上手くすりゃあ金の卵1日10個産むガチョウみたいなコンテンツだったのにな。
https://anond.hatelabo.jp/20230329075302
信者が我慢できなくなって壮絶に荒廃したり立ち去ったりしたあとの、
とうすこみたいな感じ。
別に艦これを憎んでるんですらないし、元増田に起こってるわけでもない。
セブンナイツのうちのひとりは、colaboを支える会に便乗して自著の宣伝をしたいというスタンスだよね。
自分の意見表明だけできれば満足で、めんどうな仕事はしたくないように見える。
アマゾンに9冊あるよ、おまえら、興味があったら買ってあげて。
「 脱セクシュアル・ハラスメント宣言 法制度と社会環境を変えるために 」 |
「 性と法律 変わったこと、変えたいこと 」 |
「女性への暴力防止・法整備のための国連ハンドブック 政府・議員・市民団体・女性たち・男性たちに 女性への暴力根絶に向けて、わたしたちの力を合わせよう!」 |
「比較判例ジェンダー法」 |
「キャンパスのセクハラ対策 調査・紛争処理編 急増する処分・裁判と教育・経営責任 法的対処を踏まえた運用“進化”と危機管理 (高等教育ハンドブック)」 |
「性差別と暴力 性の法律学 続 補訂 (有斐閣選書)(有斐閣選書)」 |
「人権を考える本 人が人らしく生きるために 4 女性・戦争と人権」 |
「買春と売春と性の教育 (Human Sexualityトーク&トーク)」 |
「性の法律学 (有斐閣選書)(有斐閣選書)」 |
<緒戦>
・都市に夕暮れが落ちる、風もなく穏やかで、待ちゆく人々は皆一様に笑顔で街を歩いている。人々の顔や体にところどころ羽虫が這いまわっているが誰も気にしていない。同じ街の商店街を一人の男が血相を変えて走っていく。クモオーグが後ろ手を組みながら歩いて追いかけている。異様な光景だが人々は気にもかけず談笑を続けている。まるで視界に入っていないような素振りだ。「あなたは選ばれた個体なのですよ」とクモオーグが呼びかけるが男は聞こうとしない、そのうちに壁際に追い詰められ、クモオーグはゆっくりと男に近寄ると首を追って殺す。「Be Happy」とクモオーグは呟く。
「ブウン」という機械の電源が切れたような音がした後、夕暮れの町並みは徐々に暗転する。周囲の街並みがモザイク状に散らばり、やがてその裏から廃墟のような建物が露出する。注意深く見ると小さな昆虫型の機械が廃墟に張り付くことで街並みを再現していたようだ。クモオーグが呟く。「サーバーが落ちたのか…?まさか…?」、すると遠くの暗がりにバイクが停車し、乗っていた男が下り、ヘルメットをかぶったままゆっくりと近づいてくる。ぼおっとピンク色の複眼が浮かび上がる。「お前は・・・!」クモオーグが憤る。「バッターオーグ!・・・完成していたのか!」「違う」男が言う。
「仮面ライダー」「今からそう名乗らせてもらう」男は両手を左斜め上に掲げポーズをする(ここでタイトルが出る)
「またやってる・・・」双眼鏡でポーズを決める仮面ライダーの姿を覗くルリ子、ため息をついてPCを開き索敵を開始する。
「裏切者に死を。殺せ!」クモオーグが叫ぶと、Shockerのマスクが張り付いた市民がぞろぞろと集まり、クモオーグの横に一列をなす。次のカットでは全員がマシンガンや拳銃を所持した、黒スーツの戦闘員の姿に変わり、仮面ライダーに銃口を向ける。「この世界から武器の存在は抹消したはずでは?」ルリ子が遠くのビル屋上から双眼鏡越しに呟くと、クモオーグがその声を聞き取り、双眼鏡のスコープを見据えながら言い返す「緑川ルリ子…あなたが黒幕ですね。我々は用意周到なのですよ。バッタオーグの次に殺すのは貴様だ」
武器を構える戦闘員を前にした仮面ライダー。戦闘員を前に威嚇するように大きく両腕を広げた後、真下に一気に手を下ろす。すると強烈な突風が戦闘員の頭上から足下にかけて吹きおろし、携帯していた重火器が全て地面に叩き落とされる。「その力は!?」とクモオーグが叫ぶと、仮面ライダーは右ひじをぐっと引き「ライダー・・・・!」「パンチ!」と叫ぶ。右ストレートと共に強烈な突風が吹き、戦闘員たちは吹き飛び、壁にぶつかって血しぶきを上げ全員が死滅。クモオーグは自ら足に吐いた糸により風圧に耐えている。クモオーグは感嘆の声を上げる「プラーナの風力への転用…?その逆か?」「オーグメンテーション技術の新たな進化ではないか?私にもその力を!」クモオーグが糸を吐きかけると、一旦しゃがみこんだ仮面ライダーはそのまま垂直に跳躍して糸を躱し15mの高さに飛び上がる。
「ライダーキック!」その掛け声で空中に飛んだ仮面ライダーの背面から爆風が起き、クモオーグ目掛けて蹴りこむ態勢のままミサイルのように空を切る。慌てて糸を吐いて飛び上がったクモオーグであったが、仮面ライダーの足は彼の体を捉え、そのまま地面に着弾して血しぶきが上がり、クモオーグは絶命する。直後、クモオーグの死骸を見下ろし、本郷猛はマスク外してその死骸を見つめる。
「ひどいわね」近づいてきたルリ子がクモオーグの死骸を一瞥して言う。「死んでも泡にならない」と本郷が問うと、ルリ子はあきれたような顔で言う「このエリアの町の擬態が解けたのよ。死体は死体のまま、いずれ野犬に食われバクテリアに溶かされる、これが生命本来の姿なの」本郷は呆然としながら言う「人を殺した…だけど…全く躊躇いを感じなかった」「ところであれ何なの?」「何が」「あのへんなポーズ」「あれは、体が自然と動いて…なんだか気合いが入るんだ」「プラーナをより有効に使うためのプラシーボ効果のようなものかしらね」ゆっくり近づいて本郷の首に赤いスカーフを巻く。「ヒーローの証。似合っているじゃない」「僕はどうすればいい」「気にすることないわ。あんなのただの害虫よ」立ちすくむ本郷。
「次はハチオーグよ」
人類は地球温暖化による異常気象で、文明を維持することが出来ず絶滅の一途にあったのだが、外星人の力により、過酷な環境に耐えうる昆虫の力を全ての人類に組み込むことで、人類の判断能力を低下させ、昆虫型ホログラムで擬態した架空の都市に人々をつなぎ止め、外星人の用意した管理システム(Shocker)を核に人類社会を再形成するに至っていた。尚、統制された人類は共同体に属しているという強烈な多幸感を感じている。(※尚、外星人は超常の存在として存在しているため、あえて人類を救済した意図は描かない)
ほとんどの人類がそのシステムに飲み込まれたが、まれにプラーナの保有量が多く洗脳を受け付けない個体が発生するため、そうした個体はオーグメンテーション手術により強化された個体として生まれ変わり、Shockerのシステムエラーを防ぐ警備兵として存在することになる。
尚、人類の首脳がその権限を外星人に託す際、人類最後のテクノロジーによって生まれた、外世界観測用ロボット「K」を仮初めの人類社会の行く末を見守る存在としてShockerに預けている。
ルリ子の衝撃の告白。絶望に打ちひしがれ言葉を無くす一文字。自分が無く、何故戦うのかもわからず、どうしてもいいかわからない本郷は泣き笑いのような顔を浮かべ、顔を見られたくないのでマスクを被る。
<最終決戦>
飼われた人類に永遠の幸福を与えることを決意した緑川イチローと本郷・一文字の最終決戦。一文字は人類の洗脳を説くことが本当に幸福なのかまだ迷っている。
「いったい何を…」「奴を引き付けておいてくれ」と言うや否や、本郷はサイクロン号に飛び乗り、イチローの有する巨大なスキャナー装置の光線を受ける。「本郷!」一文字が叫ぶ。本郷が一文字をまっすぐ見据えてかすかに笑う。途端に本郷の全身が泡となって消えてしまう。
直後、仮初めの人類社会に異変が起こる。ショッカー戦闘員が「イー!」と叫んで平和な町を破壊し、人々は個々の生存を守るため、希望を求めて逃げまどう。仮初めの世界の人類に感情が戻ったかのようだ。「馬鹿な!本郷、いや仮面ライダーの存在をShockerのプログラムに書き込んだのか!?」狼狽するイチロー、遠くで傍観する「K」に向かって叫ぶ「この事態は人類の行く道ではない!想定外だ、プログラムをひとつ前に戻せ、K!」Kが言う。「私はShockerを抜けたルリ子と本郷の姿を興味深いと思った。人は孤独で、自分の感情がわからないほど矛盾していても幸せだと知った」「馬鹿な、ついに人類の究極の幸福を見出したというのに!」「この寂しい世界を受け入れようイチロー」
Shockerのサーバーが異常値に耐え切れずヒートダウンする。最終決戦の空間もこれまでの戦闘に耐え切れず瓦解し全てが暗転する。
<ラストシーン>
「聞こえるか本郷」
「ああ」
「生きていたんだな」
一文字は新型のサイクロン号に乗り、廃墟と化した現実の地球を疾駆する。
一方、再起動したShockerプログラムの中、仮初めの人類社会の中に怪人が現れ、仮面ライダー1号がサイクロン号に乗ってやってくる
「ああ、いい風だ、共に力を合わせてShockerを倒そう!」
ジャーン!!