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はてなキーワード: 結果論とは

2023-08-11

アスリート子供産んでほしい

系の言葉ってどういう気持ちで言ってるんだろう

アスリートに限らんけども

「AのプロとBのプロを交配したらどういう特性人間ができるのか?」みたいな、実験結果知りたい的な気持ちならわかるけど

そういうのはトロッコ問題みたいなもんで倫理感や現実での実行とは切り離して考えるものから、生身の人間に言うのはよく分からない

(まあモラルが足りないだけかもだけど)

そしてそれより意味不明なのは子どもが素晴らしい人生を歩めるに違いない!(から産むべき)」「未来の宝!(になるから産むべき)」系のやつ

同じ道を辿ってほしい、応援したい!ってことなのかもだけど、親と同じ能力があるとは限らないのに…。

単純に優生思想なのかもしれないけど、優生思想の目指すところというか対象ってマクロで見た結果論から、運要素が強い一個人(しかもまだ産んでもないし作る意思確認してない)に求めるのはズレてる気がするし

(「環境が整っていない奴は産むな」系は悪い結果を危惧しないといけないか優生思想を持ち出して慎重になる気持ちはわかるけど、「あなた絶対良い結果になるから!子作りGOGO!」ってのはそもそも保証できないし違うくない?って話

できるだけ確率高いガチャ他人のでも回したい!ってこと?)

発言自由だし実行権はない(と信じていたい)けど、発言自身メリットもないのに他人になんで望むのかな〜という疑問

2023-08-09

anond:20230809023043

ないよ。攻撃者の安寧な場所はない、という結果論の話でしょ。

2023-08-06

同じクラス知的障害の子がいた

小学生の頃に知的障害男の子普通級に通ってて、卒業の年に同じクラスだったから周りの子目線で書くよ〜!!!

結構前のことだから忘れがちかも!

先に言っとくと内容的には本当に不愉快から当事者とかそのご家族の方は読まない方がいいと思うよ。

の子男の子で、身長デカいしはっきり言ってデブで、あと汚かった。鼻くそほじってたりヨダレを飛ばしたりするので、席替えで隣になった子はガチで全員机を離していた。これもイジメなんかな〜って今は思うけど、みんな必死だった。

だって嫌でしょ、知らんやつの鼻くそとかヨダレが自分の机につくの。その机は学校の所有物で別に自分の持ち物じゃないけど、毎日自分が使うものから本当に嫌だった。掃除の度に、みんなその子の隣の机はきっちり少しだけ離して置いてあげていた。

やたら性的なことに興味があったっぽくて、クラスの違うかわいい女の子の後ろをつけて家まで行ったりしてた。これは伝聞じゃなく、実際私の友達女の子がこのつきまといの被害にあっていたので、私は学校と家との中間地点にその子の家があったこともあり、たまに一緒に帰ってあげたりしていた。一緒に帰っている時、何度か姿を見かけたことがある。確か家は全然違う方向だったはず。

あとは生徒会的なのに投書できる箱があったりしたんだけど、その役員の子がお好みだったらしく、何通も投書を入れていて、お返事コーナーみたいなのはの子の投書で埋め尽くされていた。

はっきり言ってキモかった。まだ性的なことに対して未熟な子供からこそ、自分たちより大きな体で、生々しい欲を持って接してくるのがありありとわかってすんげーキモかった。

の子のお母さんは毎日廊下椅子を置いて授業を見学していたんだけど、純新無垢私たちクラスメートがこんにちは!と挨拶したとて一度も挨拶を返されたことがない。ただ亡霊のように座っていた。私たち学習して、その後は無視するようになった。本当にいるだけだった。

授業を邪魔するタイプではなかったのが救いだけど、自分を賢いと思ってるタイプだったのか、やたらと人のテストの点数を当てたがったりした。私もやられたことある。「増田さんは〇〇点でしょ?(笑)」みたいなかんじ。

普通にそれより点数良かったのではぁ?となり、穏やかに無視できてよかった。


総合して、マジで支援学級に行ってほしかった。うちの小学校特別支援学級あったし、その教室は少し離れたところにあったので、私たちはそこに誰がいるのか知りようがなかったし、あえて知ろうともしていなかった。ただそこに通う子達が何人かいて、授業を受けてるんだな、くらい。虐めようとかする子もいなかったと思う。そんな感じでちゃん支援学級もある学校だったのに、なんで普通学級に通わせようと思ってたのか全然からない。

みんな何も言わなかったけど、それは幼いながらも「何も言っちゃいけないんだろうな」って我慢してただけで、何も問題がなかったわけじゃない。付きまとわれてた私の友達は、「気持ち悪い、どうしよう」って泣きそうになってたのに、先生には言わなかった。私も言わなかった。何事もなく卒業できて、その友達も今は遠い場所にいるけど、それは本当に結果論しかない。あの時何かあったら、それは誰の責任だったんだろう。

2023-08-05

職質って下着まで脱がす権利あるの??

最後歌舞伎町での身体検査だ。歩き方に違和感がある男性警察が追い、声をかける。男性の体を調べると、パンツの中から透明な袋が出てきた。

↑令状もない状態でここまでしていいの?プライバシー権侵害だろ。結果論薬物やってたからいいけど誤認捜査で「誤認捜査でした!」で許される内容に思えない。

職質を受けるのは善良な市民義務というが、脱がされるところまで疑惑の段階でも応じなければならないってのはちょっとおかしいと思う

2023-07-28

洗脳には必ず裸踊り儀式がある

中古車販売店の恫喝LINEなんかを見ると、またこパターンだなと思う。

あらゆる洗脳によって身近な人間が何人も姿を消していった増田なりに考えた洗脳についての話です。

洗脳と聞くと誰か特定ターゲットに行うものと思われがちだけど、実はそうでもなかったりする。

例えばカルト宗教を思い浮かべてもらえるとわかりやすいのだけど、来た人間全員を洗脳しようとは思ってはおらず、間口は広くしておいて洗脳に引っかかった人間けが残るような仕組みになっている場合の方が多い。

まり、「Aを洗脳しよう!」ではなくて、「A、B、C、D、E、Fにそれぞれ洗脳を試してみて、B、Eが洗脳に引っかかったから次はより強い洗脳を試そう。」といって絞り込んでいくような感じだ。

なので、洗脳というのは割りと結果論的な側面が強いパターンが多いよというか、むしろほとんどですよということをまず知ってもらいたい。

言い換えれば、誰にでも効果が期待できる洗脳を追い求めるよりも、洗脳にかかりやすい人を探したほうが早いよということ。

中古車販売となんの関係があるの?と思うかもしれないけど、恫喝典型的洗脳手段だと思ってください。

洗脳とは、簡単に言えば相手自分の意のままに言うことを聞くようにすること。

逆を返すと、どのような状況であれ自分の意のままに言うことを聞くようになっていれば、それは洗脳成功しているとも言える。

この違いは何かというと、そこに本人の納得は必要ないという点。

宗教のように心から相手を信頼してしまパターンもあれば、自分は納得していないけど大きな借金があるから言うことを聞かざるを得ない状況というのも、等しく洗脳されている状況といえてしまうのだ。

手段関係性はどうであれ言うことを聞く状況になってさえいれば、それは洗脳において成功と考えてなんの差支えもない。

恫喝というのは世間一般で考えればどう見ても間違ってる行動だ。

なのにあえて大勢社員の前で恫喝をしてみるとどうなるか。

それによって離れる人間もいれば、自分が悪かったと受け入れる人間が出てくる。

さらに言えば、恫喝された他の人間の反応を見て自分恫喝する側に回れば支配する側に回れると考える人だっている。

一度くらいなら自分が悪かったと思ってこらえる人間いるかも知れないが、それが当たり前に何度も続けば結局は残った人間恫喝を受け入れた人間だけということになる。

まりこの状況は、恫喝という非常識的な行為を繰り返すことによって、それでも言うことを聞く人間だけに絞り込めた状況と考えて差し支えがない。

そこに言うことを聞くようになった理由必要ない。言うことを聞くという事実こそが重要なのだ

洗脳する側にしてみれば言うことを聞く人間だけ残ればいいのだから、まともな判断力を持った人間はむしろ不要で、恫喝を受け入れた人間だけでなくそれを理解した上で利用する側に立った人間だって必要人間だと言える。

この点も、信仰の強い信者だけでは宗教が広がっていかないのと同じで、同じような手段理解した上で行使できる宣教師必要だということと非常に近しい。

当然、ただ恫喝をするだけで人を洗脳できるわけではない。

なぜ恫喝を受け入れざるを得なかったのか、その部分を説得や集団心理などを利用して騙していくことを洗脳だと考えている人も多いだろう。

しかし、それが最初にいった洗脳に対する誤解が多い部分でもある。

そこを自分たちで説得するよりも、注文の多い料理店しかり、正常性バイアスで受け入れてしま人間を探したほうが早いと言うのが現実だ。

それならば、まずは相手がどのような考えを持っているかを知るよりもさっさと恫喝してしまったほうが結果は早いのだ。

中古車販売店で言えば、その点において用意したものと言えば高い報酬人間的成長くらいであろう。

ただし、人間的成長は逆説的に行なえない側を幼稚とするものだったと思われるが。

それでも納得しない人間たちを説得するよりは、ついてきた人間だけを選んでいったほうが遥かに効率がよいのだ。

今回はたまたまトリガーになったわかりやすい例が恫喝だったが、増田自身勝手にそれを裸踊り儀式と呼んでいる。

裸踊りは、普通人間なら人前ですることはない。

しかし、洗脳されている人間にしてみればありとあらゆる理由をもって裸踊りをする自分肯定できてしまう状況にある。

まり裸踊り儀式とは、洗脳手段ではなく洗脳度合いの効果測定を目的としている。

はじめから裸踊りをさせるわけではなく、最初もっとさなことから行われる。

人前で大声を出すとか、駅前掃除させるだとか、普通ならやらないようなことに何かと理由をつけてやらせてみるのだ。

それでもし言うことを聞くようであれば、次のステップへと進む。

離脱してしまえば仕方ないし、迷っているようであれば背中を押すような理由を用意する。

そうして少しずつ洗脳効果測定をしては、思い通りに動く人間を選別していくことが洗脳本質であると考えている。

そういう意味では、落ち葉掃除のために誰もが犯罪だとわかるような枯葉剤をまいてしまうという行動も、すっかり洗脳が浸透している状況だったとも言えよう。

裸踊りには、周囲から奇異の目を向けられることによる社会的孤立という副次効果もある。

洗脳したい側にしてみれば、邪魔もの良識ライバルだ。

社会的孤立によってその2つから遠ざけることができれば、より洗脳をしやすくなるのだから選ばない手はない。

まりは、ここが洗脳から助け出せる最後分水嶺だとも言える。

もし何か怪しい方向に進んでいる近しい人がいるならば、突然社会的孤立につながるような行動が増えたときは要注意だ。

距離をおいたが最後、助け出すことは不可能だろう。

おわかりかもしれないが、教育とは洗脳である

それが公序良俗に反していないだけであって、誰もが最初おかしいと思うようなことでも、いつかは望んでするようになるし人に勧めたりもするものだ。

一部の体育会系運動部が好んで行う人前での奇行なんかはまさにこれだ。

過去体育会系大学出身人材就職に好まれたのも、すでに洗脳されやすい土壌が学生生活の中で作られていたことが理由であろう。

そして何もこの話は対岸の火事ではない。

しろワンマン経営者中小企業に多いし大手学習塾でも当たり前のように見られる。

それ自体を悪だとは言わないが、仮にこの裸踊り儀式兆候が見られたときはそれより先に進むべきかどうかは必死で悩むべきだろう。

人間自分意志だけですべてを決定できるとは思っていないが、誰かの欲を満たすための道具にされることを望んでいる人なんていないはずだからだ。

洗脳を行った側をいくら責めても何も帰ってはこない。近寄らない、近寄らせないことが最も効果なのだ

anond:20230728010016

結果論だけどついたぞ。

知的好奇心で会話するリスナーがいてくれるから活動できてる。

2023-07-27

お気持ちマーケティング

日本人にはお気持ち長文の方が響くから、その方が効果あることによる結果論だと思う。

ロジカル客観的立ち位置で書くと、その問題が深刻でないとの印象につながるようだ。

さらに筆者にえらそう云々と反感を持つ読者も少なくなかった。

過去も、悲劇的な事件幼児家族複数犠牲など)→世論の盛り上がり→法制化という流れが多かった。

ロジカルに考えてあるべき論を考える人も、世論実現性のために、お気持ちマーケティング方法論を取らざるを得ない。

普通に自由競争やった結果、日本市場ではお気持ち長文が勝ち残って来たんだ。


しか義務教育ライティングはこうあるべき、議論はこうあるべきと教育したら、

今度は逆に、鬼の首を取ったように、お気持ちマーケティング批判対象になるかもしれん。

今読んだから、これまでの流れを踏まえてなくて申し訳ない。

https://anond.hatelabo.jp/20230725121700

https://anond.hatelabo.jp/20230725173446

2023-07-24

anond:20230724173813

デビューしたての芸能人ときがそんなことまで考えてるのかね

結果論選択した道が有利なことは合理的判断ではないだろう

だいたい芸能界にその概念が当てはまるのかも疑問

美○里○ってやつだけども

2023-07-18

anond:20230717113649

2巻で完結するボリューム感でマンガ描く機会がそもそも少ない・目指さないか

アイディア勝負短編は寄せ集めて1巻とかだし

連載作品は長期を狙うから長期を目指す理由イニシャルコストを減らせること。何事も立上げが一番きついからね

から2巻で終わるもの打ち切り結果論的に2巻だったもの

長期を目指したが走っていった結果アイディアが尽きて終わらすしかなかったものが丁度2巻だったくらいだね

めちゃくちゃ希有な例として2巻規模の作品で良いアイディアがあって編集的にもOKが出た

さら上下って表記まで気にするならさらハードルがある

単行本が1巻も出ていない時点で終わらせる判断が出来てないと

単なる1・2巻表記になってしまう だから少ない

2023-07-15

君たちはどう生きるか」は新エヴァ劇場版(シンエヴァ以外)へのアンサーでは?(ネタバレあり)

または時期的にはエヴァQを見た宮崎駿庵野への激励と呼ぶべきか、仮にエヴァ破滅の道へ落ちた時に世界を救うための保険と呼ぶべきか

君たちはどう生きるか最後、石のてっぺんで眞人は大祖父が手にした世界を作る能力を引き継ぎ世界を作り直すより、地獄のような、バランスを失った世界へ戻り、その世界で友を作り、よく生きることを誓う

Qで世界を作り変えることに固執し、破滅へ向かうシンジとは正反対

地獄のような現実でも、それを受け入れ、友を作り、家族を愛し、よく生きれば良い

それで良いのだと庵野に語りかけているようだ

鷺をあんジジイみたいなキャラにしたのも、もしかしたら眞人(庵野)に対する嘘つきジジイ宮崎駿)という立ち位置にしたかたかもしれない

私は君の友人だと

ただ、結果論としてはこの映画は作る必要がなかったのかもしれない

奇しくもシンエヴァ庵野君たちはどう生きるかと同じ結論に辿り着いていたからだ

なんというか、心配したり、結局同じこと考えてたり、やっぱ師弟なんだな、この二人は

と思いながら観ていた

スラダンは何回も観たけど、これは2回目はないだろう

あと、デート向けではない

2023-07-12

ナチスは「良いこと」もしたのか?』といつものはてな民たち。

以下のエントリにぶら下がったはてな民によるブコメを読んでいて、「ああやっぱりいつのはてな民達だ…」などとぼんやり考えていたらふと、芥川龍之介蜘蛛の糸を思い出した。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-509289.html

 

血の池地獄で他の罪人と共に浮き沈みを繰り返していたカンダタは、生前にたった一度、蜘蛛を殺さなかった。たったそれだけの「良いこと」をその血の池地獄の様子をたまたま眺めていた天上界のお釈迦様が思い出し、天界から蜘蛛の糸を垂らしてカンダタ地獄から救ってあげようとしたが、その蜘蛛の糸を上っていたカンダタは、自分の後から続々と上ってきた他の罪人に気づき、「こらっ!落ちてまうやろ!上ってくんな!」と叫んだら、その瞬間、糸はプチッと切れて血の池地獄に真っ逆さま、というあの話だ。

 

ていうか、田野氏の2年前のツイート炎上の時もそう思ってた。芥川龍之介が始めた書いた童話だそうだが、芥川が伝えたかたことは曖昧で何か教訓めいたものがあるのかないのかよくわからない、と聞いたことがある。ただしかし、私は単純に、「ナチスは良いこともしていたのでは?」なるよくある言い分は、この蜘蛛の糸そっくりな気がずっとしていたものだ。

 

蜘蛛の糸を喩えとみなせば、そのような一般的な言い分を認める人たちは、2派に分かれる。一派は、「ナチスは実は良いこともしていたじゃないか」として、絶対悪の淵から救い出そうとする勢力だ。これがおそらくそのような主張をする人たちの大半であろうと思われる。だから、それらの一派は蜘蛛の糸絶対に切ったりはしない。たとえばそれらの良いことの実例の一つや二つ否定されたからと言って、それらの人たちは次から次へと蜘蛛の糸を垂らしてナチスを救い上げようとするのである

 

もう一派は、蜘蛛の糸の話そのもの、みたいなものだ。良いことをしていたかもしれないことは認めるが、ホロコーストなどの悪行のせいで絶対悪の淵からは救い出せぬ、とするのである。まるでその人達は、天上界のお釈迦さまそのもののようでもある。

 

id:NOV1975 対戦相手全否定するのって中々の悪手で、観客にその否定の一部でも「いやそれは正しくね?」と思わせてしまえば全否定という主張の根幹が崩れる、という最大級の弱点を無視する人多すぎ問題

このブコメなどはまさにお釈迦さま視点である。このブコメの裏を取れば、全否定しなくとも、ナチス否定できると言っているようなものであり、どんなにナチスに良いことがあろうとも、ブチっと蜘蛛の糸を切って血の池地獄に落としてしまえさえすればいいだけじゃないか、となるのである

 

話は少し変わるけど、私自身がしょっちゅうはてな民は、お釈迦様みたいなものかもしれん、と思ってたりする。とにかく「偉そう」な物言いを常にするから(笑)。いや、ネット民なんてはてなに限らず、ほとんどそんなもんなのだけれど、はてな民は若干だか平均して知性が高いように思わせる「何か」があるので、その分だけお釈迦様度は高いように思われるのだ。

 

さて、話を戻すと、一つ言いたいのは、これらブコメを書いたはてな民たちの何人が一体、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読んだのか?って話だ。この本は共著であり、およそその半分を小野寺拓也氏が著述しているのである小野寺氏はウルリッヒ・ヘルベルトの『第三帝国』の翻訳者でもある(それがどうしたとか言わないでね。知る人ぞ知る名著です)。流石に二人とも現役のドイツ現代史研究者であり、『「良いこと」もしたのか?』は、極めて実証的に著述されている。もちろん、現代学術見解にも精通しているお二人だ。その観点で、記述内容自体必要十分には詳細であり且つ正確だと考えられる。ナチス経済政策や、労働政策環境政策健康政策などなど、それらが具体的にどんなものであったかを知るための入門書として非常に良書であると思われる。実際、このようにナチスの具体的な政策について概括的に知ることのできる本はこれまであまりなかったかである。『ナチス発明』?あんなもんただのクソ本だ。ハーケンクロイツデカデカと表紙にするセンスそもそも信じ難い。

 

したがって、まずはちゃんと読んでほしいと言いたいところではある(たかだか100ページ程度の本だ)のだが、実は、同著は別に全否定しているわけでもない。確かに、田野氏は「ひとっつも良いとこなんてないですよ」とツイートでしたからこそ炎上したのだけれど、同著の記述方法は、まずは一般に言われるような「良いこと」を具体的に一つずつ、項目としてあげて丁寧にそれを「良いこと」として詳述するところから始めている。つまり、そこだけ読んで、その後の説明さえ読まなければ、ナチスは良いことばかりしていたかのように読むことさえ可能な本なのである(笑)。その辺が、小野寺・田野氏両名の学者として誠実なところではないかとさえ言い得る。つまり最初からナチス政策を腐しているわけではないのだ。

 

結果的には評価として、ナチス政策は良いところなんて一つもなかったと、結果論として評せざるを得ないことは確かである。その象徴が、現在バルト海沿岸に残されている『プローラの巨人』と呼ばれる、ナチスドイツ歓喜公団Kraft durch Freude)が建設していた巨大リゾート施設である。同著では詳しい記述はないが、同施設労働者が無料使用できるリゾート施設になるはずだった。が、戦争が始まると、建設は中途で中止されてしまい、使用されることはなかった。現在歴史的建造物として、廃墟のまま放置されている(以下追記)。しかし、ナチは確かに労働者に喜びや活力を与えようと、余暇を十分楽しめるように政策を実行しようとしていた証拠ではあるのだ。詐欺集団が実際には存在しない投資物件への投資を求めるのとは訳が違う。ただしそれもこれも、戦争の波の前に全て頓挫してしまったので、「夢」としては良いことかもしれないが、「現実」には良いことがあったとは言えないことになる。しかしその全てを台無しにした戦争を始めたのもヒトラーなのである

 

個人的には、お釈迦さま視点など要らないと思う。個々人が個々人自身によって、ナチスにも良いところがあったのでは?と思うのであるならば、批判視点を忘れずに、それを可能範囲で自ら学ぶべきだと思う。否定肯定を抜きにして、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』は、知性高いはてな民にとってすらも良書だと思うのだが。1000円未満で買えるんだぞ(笑)

 

追記プローラの巨人については私自身の記憶曖昧且つ古かったようで、再利用化が進んでいるようだ。以下、英語版ウィキペディアから機械翻訳そのまま(修正なし)でコピペする。

売却と再開発

 

改装後の2019年

2004年10年以上にわたって敷地全体の売却が試みられたが失敗に終わった後、建物の各ブロックは様々な用途のために個別に売却され始めた[1]。 2004年9月23日ブロック6は入札者不明で62万5,000ユーロ落札された[1]。 2005年2月23日、旧ミュージアムマイルブロック3はInselbogen GmbHに売却され、同社は建物ホテルとして使用すると発表した。2006年10月、ブロック1とブロック2はProra Projektentwicklungs GmbHに売却された。しかし、ブロック1は2012年3月31日競売にかけられ、ベルリン投資家が275万ユーロで購入した。

 

2006年11月連邦不動産庁がブロック5を購入した。連邦政府とメクレンブルク=フォアポンメルン州から財政支援を受けて、この建物ユースホステル設立する計画だった。複合施設最北端位置するこの建物は、5つの連続した部分に分割された。

 

2008年末、プロラが本来目的を果たし、近代的な観光リゾートに生まれ変わる計画承認された。同協議会は、3,000人が住めるだけの居住スペースとユースホステル観光客向けのアメニティ建設する計画を打ち出した。地元議員のケルスティン・カスナー氏は、プロラの海岸を「カリブ海のビーチ」に例えた。しかし、この決定は、すでにこの地域には観光客が多すぎると感じていたビンツの地元住民や、プロラの歴史家であるハイケ・タゴルドから懐疑的意見もあり、また、町の過去歴史から観光客には不適切場所だとも言われた。とはいえ2011年には、かねてから計画されていた96室402ベッドの大型ユースホステルオープンし、ドイツ最大のユースホステルとして人気を博している。低予算志向観光客に向けた施設拡張可能性も提案されている[8]。

 

2010年9月ドイツオーストリア投資グループにより、1号棟と2号棟を高齢者向け住宅として改修し、テニスコートスイミングプール、小規模なショッピングセンターを備えた300ベッドのホテル建設する計画が発表された。投資額は1億ユーロ見積もられている。

 

メトロポールマーケティング

2013年ドイツメトロポールマーケティング社がプロラを改装し、サマーハウスとして販売する権利を購入した[9]。その年までに、いわゆるコロッサスの改装済みアパートメントが1戸70万ユーロ(90万米ドル)で販売された[4]。2016年ブロック1に新しいアパート第一号がオープンした[10] ブロック2のホテルプロラ・ソリテア」は2016年夏に合わせてオープンし、2017年半ばには同ブロックで再建されたアパートの一部が売りに出された。当時、建物のうち4棟は再開発過程にあり、5棟目はユースホステルとして使用され、残りの3棟は廃墟のままであった[4][11][12]。

 

2017年11月更新によれば、ブロック1のユニットフラット)のほとんどは、ハンブルクベルリンに住む人々のための夏の家として販売され、売却されていた[7]。多くの所有者は、Airbnb[13]やHomeAway[14]などのサイト短期賃貸として掲載していた。

2023-07-11

ちゃん自分で考える子」が危ない理由

例えばルールについて無条件に従う子と、ちゃん自分で考えて納得しようとする子がいたとすると

社会成功を収めるのは後者なんだけど

社会から逸脱するのも後者

ルールなんて不完全なものだっていうのに完全に気づくのは30歳くらいになってからじゃないか

それまで彼ら世間では優秀とされたり、ずる賢いとされる人はそれに気づく前にうっかり逸脱することが有る

 

あと、ちゃんと考えてもどうにかならない社会構造という問題もある

ちゃん考える人、かつ天才であればどうにかできるかもしれないが

ちゃん考える人、かつそこそこの秀才であればどうにかできない、みたいなものは沢山ある

この程度というのは結構難しくて

例えば起業なんかは上位1%くらい天才でも失敗する

それよりならルールに従い、凡人と同じように暮らして平均よりちょっと良いあたりのポジションを確保したほうが結果論ではよかったということも有る

 

子供の頃から自分で考えて、ルールの隙をついたり、やり方を工夫したり、周りと違うことをやったり

そういう傾向がある人は平均よりはそこそこ上手くやるが、うっかり罠にはまることがある

 

そう言えばむかしからこういう「逸脱気味の人」「ルールハッカー」的な傾向に名前がないと思っていた

サイコパスだという人もいるけどちょっと違うんだよね

ルールや仕組みの部分に興味があって、積極的に周りと差別化することで成功を目指し、それをアイデンティティにする、自分の考えがしっかりありすぎる人

2023-07-05

anond:20230704182224

原則は集まれば強い、速ければ強い

プレーヤー景色ミラーのない車の運転

狙いがあっても場当たりでも結果論

2023-06-27

anond:20230627173049

ぶっちゃけ、良い物件が見つかるか否か次第だからなあ。ローン組んで家を買う行為が、レバレッジ取引であるリスクシマシな)ことも増田理解しているようだし、その上でならリスクを取るに見合った物件が見つかったら買うこと自体を間違いだとは言いにくいんでは。もちろん結果論的に失敗になる可能性はあるけど。

まあ家賃もったいない論は基本的に間違い(住居サービスを受けているのだからそこに金を払うのは別にもったいなくないし、持ち家でも減価償却していく)だからそこは説明しておいた方がいいかもしれないが、持ち家の方が悪いとはならない。

2023-06-24

anond:20230623115015

結果論の一本槍で突進してくる新卒採用者みたい

この手のやつの企画書に斬新さや目新しさはなく、どこかで見たなにかのサービス劣化版焼き直しなのに、それをやんわり指摘すると「才能の嫉妬された」と言われるから対応するのもある意味怖い

2023-06-22

高校入試が無いかラク出来ると騙されて一貫校の中学入試を受けた。

おもしろ/鬱屈受験録を期待する人は読まないほうがいいです。おれの内的な整理なんで。

元々進研ゼミか塾かの強制二択で前者を取ったのだけど、家にいてもテキストが視界に入るのが不快でたまらなかった。

いつだか、コレ説明不足だろって感じの算数解説イライラしてた。添えられたイラストナントカ君のつっまんねーギャグが異常に癇に障った。きっかけは些細だけど、募る不快が爆発してテキストをクシャクシャにして投げた所を母に見られた。

で、なんか揉めてヤケになって塾に通うって言ったのを覚えてる。

渋々通ってる内に、なぜか入試を受ける運びになってたような気がする。

6年間のまとまったモラトリアムが手に入るなら、まぁ……って自分に言い聞かせた。PSPモンハンの購入を禁止されたのも我慢した。というか当時は「ダメ」と言われて逆らうって発想が無かった。

そんな感じでマジメというか了見が狭かったんだけど、ある時学校寺島君に誘われて掃除サボるという体験をした。自分人生サボるという選択肢が現れた。

黙ってPSPを買うほどの勇気、というかその発想は未だ浮かばなかったけど、意を決して塾をサボってみた。

バレなかった。10km離れたイオンまでチャリこいでフードコートに居座ってエヴァ読んでた。実はバレてて初犯だから見逃されてたのかもしれない。

そんで調子こいてサボりまくっていたらバレて、嫌なら辞めろと言われた。

冗談じゃない。塾通いでドブに捨てた日々を今更無かった事にしろと?初めは強要されて、今更辞めて良いと言われたってアンタは私の時間を返してくれるのか?

典型的コンコルド効果ってやつだったな。

なんてアンビバレンスな感情に苛まれて泣きながら「通わぜでぐだざい」って頭を下げた。

後日学校で○○塾サボったって本当?と複数人から訊かれた。金輪際母に大事情報を伝えるのはやめとこって決めた。

まあそんな感じだったけど一応第一志望に受かって、晴れてまとまった6年間を手にした。

合格後になって実は土曜も授業があると知らされた。そんなとてつもない重大情報は真っ先に言えよカスコイツらの味噌汁農薬でも混ぜて殺してやろうかな、って本気で思った。

かなりマジで悩んだけど、まあ今更……という事で入学を決めた。

親の意向とは違って上昇志向なんて1ミリも無かったんで、勉強に励む気も毛頭なかった。

初めての定期テストでは当たり前に100点が取れる色刷りのやつに代わって、70とか40とか書かれたザラついたテスト用紙が返ってきた。

塾じゃん。学校テストじゃないじゃんって思ったよね。

学校テストで平均を割るなんて考えられない体験だった。まあ後の惨状に比べれば全然可愛いもんだったけど。

どこかにあったプライドがやや傷つきはしたけど、そこで悔しさをバネに、なんて気持ちサラサラ湧かなかった。

目的を忘れちゃいけないからね。ダラけるために小学生時代放課後を捨てたんだから。ってことでさほどは気にはしなかった。

こんな塾の続きをするために入学したんじゃないんだよおれはって事で、もう勉強は丸投げしようと決めた。授業中は寝るかゲームか買い与えられたばかりのスマホをいじるかだった。

唯一ちゃんと授業受けてた中一1学期に聞いたクリプトコッカスネオフォルマンスとか、バージェス動物群のピカイア、オパビニアアノマロカリスみたいな単語だけ今でもよく覚えてる。

合格発表の時おれが「これでもう勉強しなくて済む!」って言ってた時にはヘラヘラしてた癖して、いざ入ってみれば成績にグチグチ言う両親を適当にいなしながら、モラトリアムに浸った。

考え事してる内に、自分なりに実存主義相対主義に辿り着いたりもした。サルトルとかニーチェとかハイデガー大学入って齧った時、コイツおれじゃんってマジでびっくりしたよね。

道徳の授業で教わるような規範はもうおれにとって意味を持たなかったし、晴れて購入を許可されたゲーム没収されても黙って新しいのをもう一機買うのに罪悪感は微塵もなかった。

歳相応に、というか同年代よりも遥かに時間をかけてアイデンティティかにも悩んでみた。

こういうのは拗らせた10代の一過性の悩み、で片付けていいもんじゃないと今でも確信してる。厨二とかいわれるような心をすっかり忘れてしまったら人間お終いだと思う。

まあそんなんで順当に成績はカスだったけど、教室空気を吸ってるだけでも無自覚に上昇志向というか、学歴厨じみた思考が植え付けられてくるんだよね。

進学校が持つ一番の機能はこれなんじゃないかって思う。

高校にもなれば受験話題が増えて、おれもそれに合わせていった。

こんなに勉強嫌いでも大学受験をする事だけは疑わないんだから恐ろしいもんだね。高卒人生落伍者ってかなり本気で思ってた。

最初勉強ちゃんとやってれば楽しいはずだなんて自分に言い聞かせてみたけど、やっぱり苦痛だった。だから変に楽しもうと工夫なんかしようとしないで、入試の通過手段と割り切っていこうって決めた。

これはそのまま、賃金労働自己実現だとかやりがいなんか求めず生活の糧と割り切って、軸足趣味において生きようという人生方針へとスライドしていく。その「割り切り」は後の人生の後悔にも少し繋がってくるんだけど。

そんな感じでやっていって入試に臨んで、まあぼちぼちの結果といった所に落ち着いた。

終わってみれば後出しで後悔も湧いてくるものだけど、進路に関しする始まりは「ダラけたい」だったんだから小学生の頃の自分への義理はそれなりに果たせたと思う。

大学入ってから世界史とかロクに聞いてなかったからその辺文脈理解必要な話にはやっぱり苦労したけど、一人で考え事してた時の内容は宗教学哲学レポートを書く時大変に活きてる。

教授から直々にメールで褒められた時はちょっとしかった。大学勉強楽しい時もある。大抵ダルいけど。

放っとけばボーっとしてるかたまに好きな事に手を出すだけ、根が遊び人ボンクラから環境下駄を履かされて助かってきた部分はあるんだろうなって思う。

でもアッパードル王道を目指す生き方を非常に中途半端内面化してしまって、好きにも「べき」にも振り切れないハンパなディレッタント崩れになってしまったよね。

思うままに生きた人生は暗澹たるものだったかもしれないし、もっと肩肘張らずに生きていられたかもしれない。考える意味のない可能性をつい思っちゃうね。

振り切れた生き方をする勇気なんて平凡な人間にはなかなかないし、そのバランス課題なんだと思う。

たらればを言えばもっと「好き」に振り切れる期間が欲しかたかもしれない。

高校上がってから嫌々ながらも主体的勉強を始めたと言ったけど、本当はもっとからハンパな「べき」が心にあったんだよね。

6年のモラトリアム期間だって、何をするにも「こんな過ごし方でいいのか」って水を差してきた。

なんというか幼い白黒思考の潔癖状態の段階で、バランスなんか考えられない状態で相反する価値を抱えてしまって、それでどっちつかずになってしまった感じだな。

中庸って言葉にすればありきたりだけど、そこに実感や納得を乗せられたのはせめてもの学びか。

勉強から逃げて(そもそも最初から立ち向かおうする気なんかなかったんだけど)自意識を煮詰めた時間だけは無駄じゃなかったって、そこだけは確信を持って言える。

でも出口のないナイーブな悩みなんか適当な所で蓋をして、どこかで思考停止して目の前の生活をやってく生き方はある種の賢いものなんだろうなとも思う。

まあ人生なんて結果論しか語れないだろうし。電源ボタンはあっても、セーブ機能リセットボタンはないのだし。

正解なんかないんだから納得できるかどうかが全てなんだろうけど、今のところちょっと自信はない。

せめて今ある、これから人生は愛せるようにいたいもんだね。

人生において「妥協をしてしまった」のか「妥協することができた」のかは結果論であり、捉え方の違いに過ぎない。

選択を後悔するのは、その選択に期待した結果が伴わなかったときなので、選択した後に後悔が生じないよう、頑張るしかなさそうだ。

そして選択失敗が確定的な時は、ダメージが最小になるように早めに判断をして、損切りとなる次の選択を行う。

ってマック女子高生が言ってた。

2023-06-18

物心がついた時から抑圧されて育てられたと思っている。

親は良い成績を取るためにゲームなんてしないで勉強しなさい、先生の言うことを聞いて内申点を高くつけてもらいなさい、と言ったわりに大学生になってからはやっぱりゲームをしてる男の子って賢いのね、とか、頭の良さは成績とは関係ないよね、と急に言うことを変え始めた。

同時に、あなたは大したことないんだからせめて普通に人生を歩めるように成績を取っておきなさい、とずっと言われてたのかなと感じるようになってきた。

せっかくいい成績を取っても、女だてらにすごいじゃない、と一言多かったのも今思い出すと全然褒められた気がしない。

他にも、同じことしてても男の人の方が偉いのよ、そういうものなのよ、と繰り返し言われたことはよく覚えている。

大人になって女性アイドルが好きになったら、もしかして女の子が好きなの…?と心配そうに言われたり、クソみたいな男と付き合ってて別れようと思っててももちょっと頑張りなさいよ、結婚なんて我慢よ、と言われたり、まあそんなことがあったからその後もっとまともな男結婚して子供ができて親がめちゃくちゃ喜んでくれてもなんとなく素直に受け取れない自分がいる。自分で選び取ったものたまたま親の思う世間の模範と一致しただけの結果論に過ぎない。

子を産むと親への感謝気持ちが湧いてくると思ってたけど実際は逆で、言われたことへの呪詛無限に湧いて出てきて鬱々としてくる。今までは我慢していたり、まあ上の世代はそんなもんよと諦めていたことが自分が親になって自分ごとになるとどうしても許せなくなってしまった。反面教師にして自分の子には同じことをしないというのは当然なのだけど、そう育てられた自分も救って欲しいという思いがずっとある

2023-06-16

anond:20230615192053

発達障害とかで無いのなら既に書かれているように

この辺がはっきりすれば対処法も決まりそう。トラウマとかでセラピーとかそういう心理的アプローチだとは思う。自己流で強硬策より専門家交えて時間をかけた方が良いよ。

こういう人って友人とか少なくて依存気味で嫌われたくないとか職を失いたくなくて会社必死になったりするけど、結果論になるが結婚転職経験すると途端にどうにでもなったりする。そういう心理的安心が得られれば自然と治ったりするよ

ただ、一歩間違うといつまでも心配になって鬱になるので繰り返しになるけどセラピーとかでちゃんとやるのがいい。

2023-06-14

会社の業績が悪化したりだとか、選挙の結果が芳しくなかったとき執行部を一新するかって結果論の側面もあるけど

超長期にわたって一新しないのってもう機能してないよね

それって権威が維持できるから上層部にとっては旨味があるけど、そんな状態で引き継いでも緩やかに滅んでいくだけでもう立て直せないんだよね

2023-06-08

anond:20230607231943

本能があるとすれば性欲で、その結果として妊娠出産がある。なので「子を残すこと」そのもの本能ではないと自分も思う。

子供を残すことが本能なのであれば、両親によるネグレクト子殺しは起こらないでしょうよ。本能は、産む前に作用している。

今まで興味がなかったけど、子を見てから母性父性に目覚めた!って人はいるかもしれないけれども、それとて生まれから結果論

anond:20230607231943

字面のせいか本能ってのがイデオロギー化してるよね

本能なんて単に進化上残ってる性質ってだけで、そうしなければいけない義務でもなければ目的でもない

猫がきゅうりみてびっくりするのと同じ程度の話

そもそも生物は子孫を残さなければいけないわけではない

子孫を残しやす性質が残りやすいってだけの結果論だしね

2023-06-06

何もしないことを正義と認めるべきか

はてブでも人気記事になっていた『アンチマン』の考察で、溝口の在り方を「なにもしない正義」と表現しているnoteがあった。

人気エントリートップに来ていたので読んだ人も多いと思うが、これは主人公である溝口の行っていたレスバやぶつかり行為レイプラスト以外は全て妄想で(まずここで解釈が分かれるがそこは置いておく)、「孤独中年男性という無敵の人にもなり得る立場でありながら、ミソジニー空想の中だけで発散して、現実ではなにもしないように努めている」という彼の姿勢を指している。

そして、案の定というか、この『正義』という言葉には、本題からやや外れてミサンドリーブクマカの一部から、「加害をしていないだけで正義などというのはおかしい」という内容のブクマが付いていた。

このコメント自体はまあ、俺も正論だなと思った。プラスマイナスで言ったらゼロなだけの人間正義などという賞賛意味が込められた言葉表現されるのには確かに違和感がある。

ただ同時に、そういうことを声高に言っちゃうのは馬鹿だな~という気持ちもあった。

なぜなら、おそらくは現実にもいるであろう、なにもしないことを正義と思って勝手自己抑制してくれている男性に対して「そんなものは当然でなんの価値もなく褒められるようなことではない」と突き付けてしまったら、「じゃあ誰にも褒められないならもうミソジニーも隠さず、好き勝手やってやるよ!」となってしまうかもしれないからだ。

からも薄っすら嫌われていて上がりの目もなく、内面ミソジニー的完成を抱えた人間からなけなしの正義感情を奪ってしまえば、女子供にぶつかったりネット越しに女性罵倒したりしてストレス発散をすることは当人にとっての最適行動になってしまう。レイプはまあ流石に捕まるけど、まあ視姦くらいなら楽勝だ。

ミソ男が蛇蝎以上に嫌いな人たちが、なぜそうした潜在的ミソジニーを掘り起こすようなコメントをするのだろうと、コメントを見た時は呆れたものだった。

それだったら、「ちゃん我慢できて偉いねヨシヨシ」とネットの向こうの弱者男性に伝えて、そのまま彼らにこれから正義を胸に大人しく暮らしてもらっていた方が合理的だろう、と。


……ただしかし、ここまで書いておいてなんだが、これはこれで自分が冷酷なことを言っているなという葛藤もある。

上で書いたことはつまり薄っぺら承認を与えることで社会のために弱者男性飼い殺しにしてしまえと言っているに等しい。

これは社会のためになるが、当人たちのためになるか言えば怪しいだろう。

どうせ誰から本心からの愛を受けられないような立場になってしまった人に限っては、ミソジニーでもなんでも好き勝手して生きた方が本人の人生にとっても良いのではないか

俺は浅学の身なので、誰が言ったなんて用語かまでは覚えていないのだが、こういう「社会がお前を都合よく使うために用意した道徳に従うより、自分の欲することのために行動しろ」という思想哲学にもあったハズだ。

偶然による結果論の要素が大きいが、溝口ラストは今までの「なにもしない正義」の無価値さを突き付けられたものだと元ブログでも言われている。

こう考えると、俺は「なにもしないことは褒められるようなことではない」と喝破してみせた一部ブクマカ達は愚かと言ったが、しかし同時に彼女達はある意味で誠実であったのかもしれない。

安い偽りの承認に騙されて人生を消費させられている人に対して、彼らが溝口のようにまだ動けなくなる前に、目を覚まさせることを言ってあげていると取ることもできるからだ。


なにもしないことを正義と認めるべきか、難しいところだなと思う。

https://togetter.com/li/2161839

人が働けば国は栄えるし、人が働かなければ国は衰退する。当たり前だよね。

貧乏なので節約します」の結果が「働くのやめます」なら国は衰退する。

金の回りは結果論に過ぎない。

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