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はてなキーワード: 暖かいとは

2023-09-18

せんべいぽりぽり。ぽりぽりせんべい

せんべいぽりぽり。ぽりぽりせんべい。ちゅーる。ちゅーるぺり。ちゅーる様。 夜、初めて買ったホットカーペットの上に寝転んだら...想像していた通りの夢。これから寝るのが楽しみでたまらない。何故か今日気持ちいい。でも...明日から寒くなるそうなのでうっすら温かい部屋で暖かいホットカーペットの上の上で寝ようと思う。 妹のeid誕生日。先週だった。会社の人が妹の誕生日会を開いた

Anond AI作成

2023-09-16

妊娠ってやっぱりデバフだと思う

https://anond.hatelabo.jp/20230629220732

色々と励ましのお言葉ありがとうございました。「2ターン目の恩恵(子供欲しい)のためには1ターン目の大変さ(妊娠辛い)は仕方ない」というコメント個人的に腑に落ちました。

オタクゲーム脳のため「ステータス=体力半減、攻撃力減少などのゲーム上の状態」という意図で「妊娠というステータス」と書いていましたが一般的には「ステータス社会的地位」を指すようです。何人かからご指摘をもらいましたが、不快に感じられた人が居たら申し訳ありませんでした。

日記がてら現在妊娠8ヶ月の体調や諸々について。

少なくとも上を書いた時よりは元気になったので、他の妊婦さんの励ましになれば。当時原神のデイリーすらできなかったけど今はフォンテーヌ闊歩できてます。(砂漠世界任務から目を逸らしながら)

 

つわりマジで辛かった

 →結局20週くらいまで具合悪かった。14〜16で終わるって情報何?(個人差)というか前の増田書いた時つわり終わった(のに何故か具合悪いまま)と勝手に思ってたけど余裕でつわり引きずってた。今思い返せば吐き気はわりと収まってたけどまだ熱っぽくてくらくらしてた。あとホルモンの影響かわからないけどメンタルがぐちゃぐちゃだったのもこの時期には落ち着いた。

  産むまでつわりの人もいるらしいので本当に大変だと思う。産院でも「つわりはどうしようもない、仕方ないね〜」という感じだったので本当にどうしようもないのだろう。点滴数回打って何日か仕事休んだけど休職をせずに済んだのは幸い。(仕事アウトプットの遅さを上司が見なかったことにしてくれたおかげだと思う)

  今も平日の仕事だけで疲れちゃってあまり外出できないので、結局自分マタニティライフ全然楽しめてないなとちょっと残念な気持ちもある。自分からは行く気にならないけど夫が近場の公園とか道の駅に連れ出してくれて軽い運動兼気晴らしになるのがありがたい。

 

・腹がちぎれる

 →重い、痛い、ちぎれる。もげる(もげてない)。大きいお腹重力がかかっているのでそりゃあそうじゃと脳内オーキド博士が訴えかけてくるけどとにかく痛い。腹帯しても余裕で痛い。最近は重すぎて腰も痛くなってきた。家に帰ったら重力の向きをせめて少しでも変えるために即寝る。

  というかこのお腹の中の生き物がさらに大きくなって下から出てくるという現象が未だに半信半疑。保健体育で習ったし母親教室原理見せられたけど物理的に無理では?

  お腹が前に出ていると男の子というジンクスがあるらしく、母親から絶対男の子だよ!と言われてて本当に男子らしいのでちょっと面白かった。ちょっと歳の離れた弟を昔からかわいがってて、「小さい頃の弟また世話したいな〜」と思うことがよくあったので男の子うれしい。女の子ももちろん嬉しかったと思う。

 

胎動が思ってた10倍激しい

 →おっ、もしや動いたか?と思った2週間後にはもう痛いくらい動くようになった。職場プレゼンしてる時とか今から寝るぞ!と横になっている時に限ってもう動く動く。お腹が動いている状態で寝れるわけがないので寝不足。眠れないことを加味してベッドで横になる時間を増やしてるけどそれはそれでしんどい

  ちょうどわたしが眠りたくなる11時くらいに胎児は活発に動くらしいですね。なんでや。子供は夜に寝てくれ。

 

・足つる、やばい

 →ほぼ毎晩夜中に足がつって起きる。つると一言で言っても妊娠前に経験したことないレベルの激痛。「いてえ……!……!!」って悲鳴が出るので同じ寝室で寝てる夫を起こす確率およそ7割。ごめん。そして先述の胎動で寝付けないこともしばしば。オワリ。

  なんなら昼間までそれを引きずって痛い。なんだこれ。

 

・常に運動

 →涼しい室内を歩いているだけで汗ドバドバ出てくる。人と喋ってるだけでも息上がってくる。ご飯食べるという行為で体力を消費して満身創痍になる。

  いつも生きているだけで軽いジョギング状態。原神で言う侵食みたいな。地味にこれが生活にめちゃめちゃ影響及ぼしてきててヤバい

 

手続きが複雑すぎる

 →ふるさと納税結婚後の苗字変更が可愛く思えてくるレベルの複雑さ。しか産休育休取る人って全社員の中でそんなにたくさんいるわけじゃないので会社でもらえるマニュアルが古かったりする。補助金もらえたりマニュアルあるだけありがたいけどもう少し何とかなって欲しい……な……。

  あと産んだ後にお医者さんから直筆で書類いくつか書いてもらわないといけないのやばい。直筆?!?!って三度見した。お医者さん直筆の書類を綺麗なまま会社or役所まで届けるミッション難易度高い。うっかり屋な上に産んだ後とか必死すぎて絶対忘れると思う。

 

マタニティウェア高っ!

 →高いよ。自分は専門の通販サイトとユニク◯のXLかXXLでしのいでる。なるべく安く済ませようとしたけど動けないから数揃えないとまともに生活できないのでまあまあお金かかった。二人以上産めばこの分の出費は無くなるのかも、と思いつつもつわりの記憶が辛すぎて今はそんな気力ない。まだひとりも産んでないし。

  元々Mサイズ特別に痩せてもないけど標準体型なのにマタニティウェアすら腹回りが厳しくなってきてて臨月まで耐えられるのかというお財布と腹回りのチキンレースが始まってる。マタニティMじゃなくて全部大きめを買った方が良かった。これはマタニティウェアを買う予定の妊婦さんに強く訴えたい。大きめを買うべき。

  下着もほぼ全部買い換えないといけないの地味に大変。西◯屋で三枚1000円のマタニティショーツを買った後にワ◯ールで一枚3000円のマタニティショーツを試しに買った。お値段10倍で100倍着心地がよかった。圧倒的な履き心地に敗北して腹帯は◯コールで揃えた。ワコー◯は高いだけあって本当に質が良いと思う。叶うなら全部揃えたいけど素肌に近いものだけで我慢した。

 

社会や周りの人は思ったよりもとても優しい

 →電車通勤10分くらいしか乗らないので基本端っこに立ってるんだけど、たまたま人の多い日に波に流されて座席の前に立ったらサラリーマンに席譲りましょうか?と声をかけてもらった(その時はすぐ降りるのでと丁重お断りした)。

  運が良いとか、子育て世帯の多い地域ってのもあるかもしれないけれど今のところ外で嫌な目には遭ってない。むしろ役所で待ち時間座らせてもらったり、駅のエレベーターで譲ってもらったりとか気を遣ってもらって申し訳ないことの方が多い。

  ありがたいことに職場でも妊娠を明らかにしてから暖かい声をかけてもらえている。陰口を言われてる可能性はゼロじゃないけどそもそも会社悪口陰口めったに聞かないし、むしろ言ってる人の方がアレな人(とは言わないけど)なので多分本当にそう思ってもらえているんだと思う。自分も育休復帰後に妊娠した人に会ったら周りの人を見習って暖かい声をかけられるようになりたいと思った。

 

・うわっ……わたし母子手帳白すぎ……?

 →お医者さんとか色んな人に見られると思うとなんか恥ずかしくて…………。

  増田に書いたこと表向きっぽく直して書き移せばいいのではと今思った。

 

そんなわけで妊娠は肉体的に(&序盤は精神的にも)完全にデバフだけど家族や周囲の方の優しさでギリ頑張れるみたいなとこある。もし心と健康に余裕のある方は街で妊婦さんを見たらちょっとだけ優しく見守っていただけると嬉しいです。

頼むから無事元気に産まれてくれ〜と祈りつつ胎動で眠れない夜中に書きました。

2023-09-15

anond:20230914182108

暖かい地域とか温かい環境が用意できないと枯れちゃうのがね~

どうやって冬場管理してる?

2023-09-11

ダウン症みたい」「障害者」が誹謗中傷となる社会

プロ野球選手が「ダウン症候群みたい」「障害者」と言われたことが誹謗中傷だと話題になっているけど、身内にダウン症当事者がいる自分としてはこういう話題とき世間の反応を見ているとなんかとても割り切れない気持ちになるというかもやもやしてしまうことがある。

もちろん、「ダウン症」や「障害者」という言葉を悪意と結びつけて使う人が一番悪いのは理解しているつもりなんだけど、それに対する「誹謗中傷だ」「最低だ」というような過剰な反応を見ていると、当事者に対するスティグマの強化になっているというか、ダウン症障害絶対的に良くないものというような社会的認識再確認みたいになっているような気がして少しつらさを感じる。

こういうことを言うとわがままと捉えられてしまうかもしれないけど、誹謗中傷された選手に対する暖かい応援言葉があるなら、その片方で悪意のダシにされたダウン症障害当事者たちへの連帯言葉もあってもいいんじゃないかなと思ってしまう。

昨日は何回か起きて何回か夢を見たけどほとんど忘れた

覚えてるのは一つ目は遊園地の夢

外人が多い遊園地で夜になり半袖短パンではすごく寒くなってきて周りはみんなトレーナーとか着てて、屋内遊戯施設があったのでここなら少し暖かいかな?と思って入ったらストリップ劇場だった

まぁでも寒くはないのでここで一晩過ごすか、という夢

二つ目はその時見た夢が映画のあらすじになってて7割くらいほとんど同じじゃん!と驚いた夢

夢の中ではストーリーを覚えてたけどもう全部思い出せない

三つ目は真っ白な豆腐のような建物トンネルの中を車で移動する夢

そういうシーンだけ覚えてる

目が覚めたら忘れないように何度も反復して覚えるようにしてるけど最近はどうにも思い出せない時が多いな

2023-09-10

anond:20230910095529

応援するよ。

孤独って病気じゃないから、癒すには誰かの側にいるしかない。

君だけの暖かい場所を摑み取れ、弱者男性よ!

2023-09-05

残暑の熱が弱くなっていくと、秋が、冬が来るんだよなぁ。

気温が下がって、身体を冷やすと、いろんなことが嫌になったり、やる気がなくなったりするかもしれないから、部屋を暖かくして、着るもの暖かいものを選ぶんだぞ。

室内で履く靴下も、生地が厚いものが良い。

食べ物も、鍋とかスープとか、あったまるものをさ。

2023-09-02

初心者マーク付けた車を法定速度超えて追い抜かすのは勝手だけどさ

信号で並んだ時何となく気まずいから追い付かれないようにしてよ。

「うわさっきのダサい軽トラじゃん」ってわりかしデカい声で言っちゃったよ


初心者で右走ってたのが気に食わなかったのかな。

その信号超えたら左車線潰れて1車線になるから予め右寄ってたんだわ。

仕方ねえから前に入れてやったけどマジでダサいから、次から初心者マークに生暖かい目で譲られる前にさっさとどっか行ってね。


ちなみに夜20時半くらいの時間帯だからそこそこ空いてた。私は後ろからゆっくりチンタラ走ってました。3点しかいからね、法定速度内で走りたいの。ゆるして。

2023-08-29

人生で親の声より聞いた慰め

「つらいのは今だけだよ。頑張っていれば報われて、楽になるよ」

本当に私はよくこれを言われる。年1回のおみくじですら、2年に一回は言われてるような気がする。今は冬で、暖かい春の芽吹きがもうすぐですって。

ほんとうにつらい。わたしはいつになったら報われるんだろう。

2023-08-28

今の奥さん結婚した、1番の理由

彼女と会うまでは、ずっと「足りない」「できない」とか思い込んでいた人生だった。

彼女は僕ととにかく違っていた。

一般には明るいと形容されるのかもしれない。情緒が安定していて、多くのことを前向きに捉えられる人だった。

どんどん惹きつけられた。生涯で1番勇気を出してアプローチしたら、なんと付き合えることになった。

かなり嬉しかった。

彼女は、一緒にどこに行っても、何をしても「幸せだね」と何かにつけて言ってくれた。彼女自身のことを「嘘が苦手なタイプだ」とよく話していた。僕もそう感じた。僕も、彼女はなんでも素直に話してくれているように感じられた。

単純に育ちがいい人なんだと思われた。

何かと勘ぐりが強い僕には、そんな彼女とのやり取り一つ一つが本当に衝撃的だった。いつでも、素直で正直で、それでいて感情的には終始しないやりとり。一緒に過ごす時間は、僕の体に染みついた皮肉さや生きづらさを少しずつ溶かしてくれた感じがした。

ある日、彼女にそんな感覚のことを伝えた。すると、彼女ケラケラと笑って「あなたって本当に面白いね。ずっと一緒にいてもわかんないことばっかりだね」と言った。

それからほどなくして、ようやく「ああ、俺はもう十分に恵まれていたじゃないか」と思えるようになった。回復できたと思った。健康な人に癒してもらう中で、暖かい気持ちのようなもの自分を満たしていいくれたんだと思った。

次の日にプロポーズした。

この人といると楽しい……とかも、もちろんそうだけど、この人と過ごせること、その毎日が本当にありがたいことに気がつけたんだ。

そして、同時にこんな幸せ時間はずっとずっと続いていく訳ではないことにも気がついた。

ありがてぇ、ありがてぇ。

感謝を込めて、彼女の肩を揉むと「あー、幸せだわ〜」と言ってもらえるんだ。何言ってやがんだ、それはコッチのセリフだよ。

結婚して20年。

僕は幸せです。

彼女とは、ずっと一緒にいたいです。

ずっと続いていく訳じゃない、この日々を大切にしなくちゃなぁ。

気に入られるように、毎日がんばるぞー。

2023-08-20

[] シュレディンガー孤独

「人との関わりのない寂しい人生」と言われるが、本人は特に問題を感じておらず十分に満足に暮らしている可能性も大きい

「寂しくない」として、それを他人に認めてもらう必要が無く、したがって世間に対して公言する必要が無いため、世間に聞こえる声は他人と関わらなければ「寂しい」人間の声のみであり、それが認知バイアスになっている可能性があるから

そう~一人で大丈夫~わかるわかる~😭

なんて公言してしまう人は全く逆の構ってちゃんなので、生暖かい目で見てあげようね

本物はそんなこと言わずすっといなくなる

お気持ち」とか言って人を馬鹿にするゴミは「感情がない」と嘯く中二病のガキと同じようなもんなので相手にする必要はなし

暖かい目でスルーしよう

2023-08-19

暖かい空気は上に登り冷たい空気は下に降りるのに

山の上は寒いのは何故だろう。

2023-08-14

anond:20230814222256

ぶっちゃけそいつを忘れて自分なりの幸せを見つけるとこが一番の復讐だと思う

もし増田が何かニュースになるくらいの犯罪を犯したら、そいつ暖かい家庭で子供を抱きながら「あー高校時代にこんな奴いたわwww捕まってる〜キモwww」って思うだけだ

anond:20230814222256

ぶっちゃけそいつを忘れて自分なりの幸せを見つけるとこが一番の復讐だと思う

もし増田が何かニュースになるくらいの犯罪を犯したら、そいつ暖かい家庭で子供を抱きながら「あー高校時代にこんな奴いたわwww捕まってる〜キモwww」って思うだけだ

2023-08-13

漏らした

成人を迎えてから数年経ってる大人なのに、物心ついてから初めてうんこ漏らした。ほんとに泣きたい。数日前のことだけどいまだに引きずってる。

それは海外での出来事だった。

その週の昼間は暖かい日が続いていて、天気予報も何も見ずに薄着で出かけたら、その日だけめちゃくちゃ寒い日だった。

パートナーとお昼を外で食べてから買い物しようということになり出かけた。

お昼を食べて、スーパーへ買い物へいく。

道中にパートナーが「トイレに行きたい」と言い出した。

その日は祝日ビルが軒並み閉まっていた。行った地域は、カフェレストランなどには客が使えるトイレは無い。仕方なく、駅のトイレを利用した。

パートナートイレが済み、その後10分歩いた先のスーパーへ。

道中も肌寒く、「着る服間違えたね」なんて会話をしていた。

スーパー冷蔵コーナーで肉や乳製品を選んでいると、ふと感じた。

便意

初めはこの買い物が終わるまで我慢できるほどの便意だった。だが、段々と波が大きくなってくる。

冷蔵コーナーの冷えが波を大きくさせていることに気づいた私はすぐに離れた。すると、少し波は緩やかになっていく。

この緩やかになった波に油断した私はパートナーと共に買い物を続行した。(お腹が痛くなった時点で、トイレを探せばよかった、敗因)

海外スーパーは広い。一周周りきったところで最後のコーナーが『冷凍食品のコーナー』だった。

漏れる冷気に再び訪れるビッグウェーブ

海外スーパーの品々に心躍ってるパートナー

もう冷静ではいられない私。

「ごめん…トイレ探してくる」と言い残して私はトイレを探すことにした。

だが、海外スーパーはでかいくせにトイレはない。

道中、やはり空いてるビルは無く、駅へ行くしかない。

出ているのが空気なのか具なのかわからないまま焦りながらトイレを探す。

10分がものすごく長い距離に感じた。

やっとのことでトイレを見つけ、個室へ。

パンツを下ろす。

具だった。

かなりのショックだった。

下着処分した。

幸いにもその日はシフォンスカートを履いており、中にレギンスを履いていた。

スポーツ用のレギンスノーパンで履くこともあるしな(私調べ)と思い、その日はノーパンで帰った。

パートナーの前でまだ可愛くいたい私は、「トイレ遠かった〜」と言って、未だにパートナーうんこ漏らしたと言えないまま過ごしてます

2023-08-08

俺は税金払ってるから図書館で本借りても別に恥ずかしくないけど、寝に来てるホームレスは流石に恥じるべきだろうな

税金わず毎日図書館に来て冷房を浴びながら昼寝しているホームレスがいる。

何日風呂入ってないのかも分からないクッセーオッサン一角占拠している。

宿無し生活用の装備が詰まったリュックを近くにおいて椅子の上に横になって寝てる。

クッセー靴下匂いが染み付いて汚染された椅子は、あとで職員ファブリーズかけまくってるんだろうなと想像がつく。

住民税払ってる人間図書館に来て本を借りるのは全く恥ずかしいことじゃない。

皆でお金を出しあっているクソデカ学級文庫図書館なんだから

絵本をすごい勢いでグルグル読んでいく生き急ぎ園児ラノベを大量に借りているニキビ中高生、彼らはきっと親が税金払ってるから堂々と使って良い。

実験論文用の資料を読み漁っている大学生、その日の分の新聞を3つぐらい掴んで読み終わったらまた次の新聞を3つぐらい掴んで戻ってくる新聞ジジイ、将来税金を沢山収めてくれたり、過去たっぷり税金を払い終わった人間も堂々と使うべきだ。

だがホームレスはどうなんだろう。

ずっとずっと税金を払わず、本を借りるわけでもなくただ涼しい場所暖かい場所を求めてやってきて、夜の怪しい仕事にでも備えているのか堂々と昼間から寝息を立てている。

3人がけの椅子に堂々と横たわり、場合よっちゃ隣の椅子荷物ボンボン置いている。

まあ別にどう寝ようが関係ないんだよな。

だって臭すぎて半径5mぐらいは誰も近寄れないんだから

1円の税金も収めること無く公共施設を貸し切っているホームレス

こんな存在が許されて良いんだろうか。

ホームレスじゃなくてツーリストちょっと休憩に来てるのかもよ?」←知らねーよこの街で住民税払ってね―奴が知識や娯楽を求めるでもなくただエアコン効いてる場所で寝るためだけに来てるのがおかしいっつってんだよ。

健康で文化的な最低限度の生活を誰もが送るために弱い人にも優しくしなきゃいけないってのは分かる。

俺がいつかホームレスに転がり落ちた時、同じようにどっかのデパート空港の待合室で怒られるまで寝てるかも知れないから。

でも釈然としないんだよな。

ホームレスが単なるホームレスで居てくれているだけまだマシで、風雨を凌ぐ場所欲しさにどっかの家に押し入ってくるぐらいなら、公共施設悪臭撒き散らしてくれてた方がまだマシだってのはある。

いやでもマジで風呂洗濯しろよ。

冬場は凍りつくから仕方ないにしても、夏場だったら公園蛇口からぬるま湯が出てくるだろ。

でも今どきは公園全裸になることも許されないのか。

どうしたらいいんだろうな。

ホームレスを集めて仕事を与えるホームレス労働施設がやっぱり必要なのかな。

野に放たれた無数の落伍者対処に未だにこんなに頭を悩ませるとは。

2023-08-01

鬱病になった話とその後(追記

追記)予想以上に多くの人に見ていただいてびっくりしています最後の方にコメントで寄せられていることについて一部回答と説明を追加しました。

【本文】

初めての投稿

増田プロフィール

30代男性

身長173cm

体重76kg

高専

工場勤務

拙い文章なので読みづらかったらごめんなさい。

増田高専卒業して適当に決めた地方工場就職した。一応大企業工場なので給料はそこそこ良くて、交代勤務ということもあり比較自由時間が多い職場だった。学生時代は専ら夜型人間毎日来る日も来る日も、メタルギアオンラインをやって夜ふかしして授業中にうとうとするような生活をしていた。いつも寝不足気味だけど少し寝れば動けたため自分はあまり寝なくても大丈夫人間なんだと思っていた。就職してからもはじめのうちはそんな生活を続けていた。

三年目になって責任のある仕事を任され始めたときに、苦手な人が自分上司になった。

その人はとにかく揚げ足をとったり重箱の隅を突くようなことを言うことで有名だった。増田は無事その上司からロックオンされてしまい、それから3年間は地獄のような生活だった。交代勤務による不規則生活に加えて、上司からストレスで眠たいのに寝れない状態が続いた。眠れないかゲームをする。更に眠れなくなる悪循環に陥っていたと思う。ゲームをやめろよって思うかもしれないけど、その時は日々のストレスの捌け口がゲームしかなかったから辞められなかった。

いよいよ夜勤明けでも寝られなくなってきたので、休みの日はマック2セットと酒をどか食いして気絶するように無理やり寝ていた。おかしくなる前の1ヶ月は、2日間徹夜は当たり前、3日間徹夜することもあった。

そんなある日2回連続遅刻した。一回目はその日の記憶があまりない。あとから聞いたら、結構重要仕事をとんでもなく雑にこなして周りに迷惑かけたうえに、時間になると次直に交代してすぐに消えたらしい。

二日目はっきり覚えている。職場から電話で起きた。時間は朝10時。遅刻だ。しかも、なにやら頭の感覚おかしい。とりあえず目を覚まそうと浴室にいき、シャワーを浴びる。シャワーから出たとき時計10:40になっていた。体感5分ほどしか浴室にいなかったのに時間が経ちすぎている。浴室内での記憶がなくなっていた。とにかく会社に行こうと車に乗った。また記憶がなくなるのはヤバいと思ったのでしっかり目を見開いて信号の色を声に出して運転したが、最初信号以降の記憶がなく気がついたら会社制服を着てロッカールームにいた。仕事場に行き上司に一通り怒られたあと、夜勤明けの後輩と引き継ぎを行った。その後輩の日本語が何も聞き取れなかった。正確には、聞き取れてはいるんだけど意味理解する前に記憶から消えていく感覚だった。これはちょっと面白かったのを覚えている。もう一つ、引継書に書いている文字が浮き上がって踊っていた。これはうつ病だったり統合失調症の症状で聞いたことがあったので、あ〜これかーって感じだった。認めたくなかったが、その光景を見て多分だめだなって思った。その後仕事で使う設計図見ても何も意味わからんし、そんな状態仕事などできるわけもなく、上司ギブアップし頭の病院に行くことを伝えた。

診断は双極性障害。心当たりはあった。むしろ心当たりしかなかった。この3年間で貯金を含めて1000万くらい無駄遣いしていた。決まって散財するのは冬だ。車を買い替えること3回、友達に30〜50万あげたこともあった。趣味の道具で部屋は埋まっていた。これは躁状態によるものだったのだそうだ。

斯くして精神病院への通院と薬の服用が始まった。抗精神薬と睡眠薬を処方された。睡眠薬発明した人はすごいと思う。あんなに寝られなかったのに飲んで15分で7時間寝ることが出来た。抗精神薬は正直よくわからなかったが今良くなってるから効いているのだろう。会社休職すると辞めてしまいそうだったので、保健室通学みたいに会議室へ出勤して雑用をちょこちょこやるのを半年続けて、だいぶ頭がはっきりしてきた頃、友達に進められてやったマッチングアプリ出会った女の子と付き合うことになった。

これが本当に良かった。彼女のお陰で生活リズムは整い、部屋は片付き、風呂に入るようになった。やっと人間に戻れた気がした。

それから回復は早かった。その後交代勤務には戻らなかったが日勤として仕事ができるようになり、その彼女結婚した。子供はいないけど仲良く暮らしててあの頃を考えると、今は最高に幸せな日々を送っている。

双極性障害を経て、かなり人格が変わったと思う。

まず1つはプライドがなくなった事。自分をよく見せようとか、理想自分でなきゃいけないっていう強迫観念から開放された。いい意味プライドを捨ててありのまま自分でいられるようになったと思う。

2つ目は人にやさしくできるようになったこと。増田は元々冷たい人間だと言われていたが、本当に辛いとき彼女や先輩、後輩にかなり救われ、今までの自分があまりに醜く自己中心的だったことを思い知った。同時に自分のような人間を救いたいと思うようになった。

久しぶりに会う友達からは同じ人間じゃないくらい変ったと言われる。

双極性障害を、経験して人間的には成長できたと思う。精神疾患も悪いことばかりじゃないと今は前向きに捉えている。

追記

結構批判とかくるかなと思ってビクビクしてましたが、思いの外暖かいコメント、励ましのコメントが多くて皆さんの優しさを感じました。

回答するコメント

◯結局「理解ある彼女」の話じゃん

読み返してみたら確かに理解ある彼女」がすべてを解決してハッピーエンドになりました!って内容ですね。

実際、彼女のお陰で生活を立て直せたのでその認識で間違いはないです。

ただ後出し申し訳ないですが、元々増田は、中学生の時以来彼女はおらず、女といるより一人で趣味謳歌していたほうが楽しいじゃん、と思ってるタイプでした。コミュニケーションの取り方も自分の考えをまずバーっと喋ってあなたはどう思ってるの?みたいな、一般的女性からすると苦手なタイプだったと思います。はっきりしているので男友達はそれなりにいましたが。

そんな性格でしたが、うつ状態に苦しみ、自信とプライドが地に落ちていく中で導き出した結論は「悩みの答えは自分の中にはない」ということでした。自分理論ではうつ状態から抜け出せない事がわかったので、とにかく人の話を聞いて、その人が話す言葉の背景を想像して、色々な価値観否定せずに、様々な可能性に目を向ける癖をつけました。

多分その結果、タイミングよく「理解ある彼女」と巡り会えたのだと思っています

あと、嘘くさくなってしまうので入れませんでしたが、うつ状態真っ盛りのとき父親交通事故でなくなったことも、心境の変化のポイントだったと思います。ただ色々重なって職場ではとんでもなく不幸なやつだと思われてました(笑)

タイトル鬱病ではなく双極性障害だろ

これもたしかにそうですが、わざと鬱病という表現しました。諸兄には不要だったかもしれないですが、双極性障害より鬱病って書いたほうがイメージやすいかなと思ったためです。変更はしませんが、これで迷惑がかかってしまった人がいたら本当に申し訳ないです。ごめんなさい。

プロフィール身長体重いるか

全面的同意です。全く必要のない情報でした。(笑)

ハラスメント上司のその後

実は増田が苦しんだ3年間のうち最初の2年間だけその上司の下で働きました。ある時その上司言動限界を感じて所属長に直を変えてくれと懇願して移籍することができました。しかし1度起きた双極性障害の波はどんどん大きくなり3年目で破綻しました。その上司ステップアップして今も私と同じ職場で働いています特に何のお咎めも無いですが、増田上司を恨んでいません。その人はその人で家庭や仕事問題を抱えていて苦しんでいるようなのでお互い出会ったタイミングが悪かったと思っています。間接的ではありますが、その上司がいなければ妻と出会えなかったと考えるとむしろ感謝しています

最後

これを見て増田と同じような症状や悩みがある方は勇気を出して病院に行ってみることも一つの解決方法だと思います病院に行けば治るとは言いませんが、病名がついたことでホッとした自分がいました。仕事人間関係がうまく行かないのは自分能力が低いからだと自分を責め続けていましたが、病気のせいだとわかって少しだけ自分を許すことができました。だめな自分を許していく道のりの最初の足掛かりとなりました。死のうかと思うこともありましたが、今では生きててよかったと思えています。どうかあきらめないで自分を許す道を進んでください。

2023-07-24

anond:20230724142716

 オーストラリアシドニー出身ティム・シャドックさん(51歳)は、1人で船に乗って旅をしている途中、メキシコで犬と出会った。

 ベラと名付けられたそのメス犬は、シャドックさんから離れようとしなかったという。ベラに家族を見つけようとしたシャドックさんだが、ベラは彼が船に乗るたびについてくる。

 そこで彼はそのままベラを乗せ、4月メキシコラパスを出航し、5000km以上離れたフランス領ポリネシアに到達しようとしていた。

 ところが、航海開始から数週間後、嵐に見舞われ、船が座礁した。

漂流生活2か月後、奇跡的に救出される

 電子機器通信システムが損傷したため、シャドックさんは助けを求める連絡をすることができず、ベラと共に太平洋漂流していた。

 それから2か月後の7月12日メキシコを出航してから実に3か月後に、奇跡が起こった。

 メキシコマグロ船「マーシャ・デリア」を監視していたヘリコプターが、シャドックさんとベラが乗っている船を発見したのだ。

 ついに、漁船グルマール社員たちに救助されたシャドックさんは、痩せ細って髭が伸びていたが、船の上で立ち上がることもでき、救助隊の質問に答える気力はまだ残されていた。

 しかし、食糧も不足していて危険状態にあったため、メキシコマナジージョ市に搬送される前に、乗組員が食事と水分補給、そして治療提供した。

サバイバル技術を活かして生魚と雨水でしのいでいた

 太平洋大海原で犬と漂い続けていたシャドックさんは、生魚を食べ、雨水を飲み、小さな船の天蓋の下で太陽を避けて、これまで生き延びてきたという。

 釣り道具やサバイバル用品を船に積んでいたことが、命を繋ぐ結果になったと思われる。

 海洋サバイバル専門家マイクティプトンさんは、このように話している。

シャドックさんの持久力は運とサバイバル技術の組み合わせによるものです。

また、彼は日中暑い時には自分の身を守る必要があることも知っています。なぜなら、脱水症状の危険さらされているときに一番避けたいのは、発汗することだからです。

シャドックさんは、気候と立地のおかげで新鮮な水の供給を確保できたのでしょう。

このような長い航海は、歴史を振り返ると暖かい環境太平洋で行われることが多いです。万が一座礁した場合寒い環境だと生き延びる確率はより低くなるからです。

とはいえ、シャドックさんが助かったのは奇跡で、「干し草の山の中の針」を見つけたようなものです。

人々はこの船がいかに小さいか、そして太平洋いかに広大であるかを理解する必要があります遭難者が見つかる可能性は、かなり低いです。

さらに、窮地をシェアするベラがいたことが、違いをもたらしたかもしれません。

座礁となると、その日その日を懸命に生きる必要があり、試練を乗り越え、諦めないためには、非常に前向きな精神的態度を持たなければなりません。夜の海の暗さを想像してみてください。

何が起こるかわからない長期航海には、計画を立てて水と食料を十分配給することが、生き延びる秘訣なのです。

漂流中は相棒のベラが大きな慰めになっていた

 友人の話によると、シドニーIT業界で働いていたシャドックさんは、その後退職し、新たな挑戦を探していたそうだ。

 大腸がんを克服したこともあり、旅に出て航海を決意したのだろう。旅の途中のメキシコ出会ったベラは、シャドックさんのよき仲間となっていたようだ。

 太平洋漂流していた数か月の間も、ベラはシャドックさんの大きな励みになっていたことで、生き延びる気持ちを持つことができたのかもしれない。

 後のメディア取材で、シャドックさんはベラの存在にとても救われたと語っている。・ベラとの別れを余儀なくされる

 しかし救助後、シャドックさんとベラは別れることを余儀なくされた。

 健康状態を完全に回復させるために、シャドックさんは家族の待つオーストラリアへ帰ることになったのだ。

私は、ベラとメキシコ出会ったとき、ベラのために飼い主を見つけようとしました。でも、ベラは何度も私の側を離れることを拒否しました。

私を飼い主に選んでくれたベラに応じて、一緒に旅を続けようと思いました。(シャドックさん)

 漁船の乗組員が救助に近付いたときも、ベラはボートから離れようとしなかったそうだ。

 ともに窮地を乗り越えた仲間であるにもかかわらず、ベラと離れ離れになってしまうことはシャドックさんにとってもベラにとっても辛い。

 だが、国外ペットオーストラリアに持ち込むために必要手続きは複雑かつ厳格で、かなりの費用がかかる。シャドックさんはベラと別れる決断を強いられたのだろう。

 犬は「承認国」から入国を完全に許可される前に、ワクチン接種やマイクロチップの装着、検疫での隔離期間を受けなければならない。

 残念ながら、メキシコオーストラリアへのペット輸入が承認されている国のリストに載っていないため、ベラを連れて行くのはより一層の困難を伴うことになるのだ。・ベラはすぐにメキシコ漁船乗組員に引き取られる

 結果、ベラはメキシコに戻ったマグロ漁船の乗組員ヘナロ・ロザレスさんに引き取られたという。

 シャドックさんはベラを大切にしてくれることを条件に、ロザレスさんに引き渡したようだ。

 ボート乗組員たちは、すぐにベラを気に入り、「素晴らしい」と評した。また、口々に「この犬は私よりもずっと勇敢だ、それは確かだ」とベラを称賛した。

 シャドックさんは、疲れた表情だったが、救助されたことに大きな感謝言葉を口にし、このように語った。

ベラは美しく、特別な犬です。ベラが生きていることにただ感謝しています

私を救助してくれた船長漁業会社の人たちには、感謝してもしきれません。私は今生きていますが、本当に生き延びることができるとは思っていませんでした。

しばらくの間、健康状態がかなり悪かったので辛かったです。 かなり空腹だったし、嵐を乗り越えられるとは思いませんでした。

漂流中は、何かを修理して時間を過ごし、「ただ水の中を楽しむ」ために海に入って前向きに過ごしました。

海にいるのは本当に楽しかったし、外にいるのも楽しかった。だが、状況が厳しいときはただ生き残ることだけを考えなければならない。

そして救われると、再び生きたいと思えるようになる。救助されたことに、とても感謝しています

今は、とても気分がいいです。頑張ったと自分でも思います

シャドックさんを診断した医師によると、厳しい試練の中にいたにもかかわらず、彼の健康状態は良好だそうだ。

 とはいえ、究極の状況にあったシャドックさんは、ゆっくりと正常な状態に戻る必要があり、数か月は経過観察をしながら、必要に応じてさらなる治療を受ける予定だということだ。

 ちなみに、シャドックさんを発見した漁業会社グルポマー社のアントニオスアレス社長は、同社での船団を近代化していて、同船は最小で50年以上経過しているため、これがマリアデリア号の最後の航海になる可能性があると述べた。

 もしそうなら、それは「人命を救った船としての、素晴らしいお別れになるだろう」と、スアレス氏は語っている。

2023-07-20

セックスしたら何かが変わると思った

でも何も変わらなかった。

俺は今21の大学生で、元童貞だ。

彼女いない歴=年齢。

彼女といちゃつく奴を見るたび軽蔑してきた。

それなのに本当は、彼女がほしくないわけでもなかった。

童貞を捨てれば変わる。

そんな信仰心を持っていたわけではないけど心の何処かでは正直期待もしていた。

から今日大学をサボって行ってきた。

90分で約三万。

大学生にとっては結構な額だ。

初めての相手は小綺麗な女の人で、二十代に見えた。

自分が初めてだと告げると積極的リードをしてくれた。

泡立てながら身体を密着して洗われるのは正直くすぐったかった。

態度に出ていたのか、僕の顔を見てお姉さんはくすくす笑った。

そのあと正面からも洗ってもらった。

おっぱいで洗われると、柔らかさに驚いた。

お姉さんは笑顔のまま世間話をしてくれて、ふっと会話が途切れると、次には俺のものを口に入れていた。

その後、ベッドの方に移った。

お姉さんが仰向けに寝て、自分が覆い被さるようになりながらも何もできず、まごついていると「大丈夫」とお姉さんが身体を起こして言った。

それから今度はこちら側が仰向けに寝るように言われて、素直に従った。

お姉さんはゆっくり僕に股がった。

痛くない? 大丈夫? と言いながら。

問題ないとわかるとお姉さんは笑い、ゆっくりと僕に顔を近づける。

キスをしながら右手は僕のものを捉え、丁寧に彼女なかに入れていく。

暖かい

動いてる。

それがまず思ったことだった。

呼吸に合わせるように、お姉さんはゆっくり上下した。

僕は初めてを体験した。

そして、僕は童貞ではなくなった。

90分が終わって、お互いが服を着終えると最後ハグをした。

それからキスも。

若いんだから彼女を作りなさい」とお姉さんは言った。

それだと商売にならないんじゃないんですか?

そう僕が言うと、若いうちはもっとちゃんと遊んでも損はないよ? とお姉さん。

答えになってない気がしながら僕も笑い、店を出た。

帰りに牛丼を食べた。

食べながら思い返してみるも、正直な感想は「こんなもんか」だった。

三万。でかかったな。

食べかけの牛丼並盛を見ながら思う。

自宅までの景色が変わって見えるようなこともなかった。蝉が五月蝿い。日射がきつい。ただそれだけ。ゆっくりと、いつもより緩やかに時間が過ぎていくだけ。

それだけ。他は一緒。いつも通り。

それは余韻と呼べるものなのかもしれないし、違うかもしれない。ただ心のなかにさな穴が開いたような気がした。穴。何も詰め込めないような。何かが既に沢山入りきっているような穴。その穴の正体を僕はまだ知らない。

とにかく、だ。

セックスしたって、何も変わらなかった。

けれどそれに安堵している自分も居た。

何も変わらない‥‥。

今日サボったから、明日ちゃん大学へ行こうと思う。

そこで目にする景色は、今までの自分とは違って見えるのだろうか。

埼玉県プールNGポーズ

はてブでは表現検閲炎上していますが、私はまっとうな判断だと思いました。

 

私はグラビアファンです。リアルイベントに参加するほどの濃いファンではなく、新作のサンプル動画はすべてに目を通し、そのうち月に数本を購入する程度の、ライトな愛好家です。増田にもたびたびグラビアを楽しむエントリーを書かせていただいています。今の推しグラドル星名美津紀ちゃん林田百加ちゃん佐々木萌香ちゃん真田まことちゃん大川成美ちゃん村上りいなちゃんなどです。

 

そういう人間の眼から見て、埼玉県プールガイドラインには、努力の跡がうかがえました。

ガイドラインは物議を醸すかもしれない。しかしそれを押してでも、健全撮影会は何とか許可してあげたい、そういう思いが伝わってきます。県は撮影会をできるだけ許可したいのです。

そもそもプールは泳ぐ場所です。公営プールの主な役割市民水泳を楽しむことです。それ以外のサービスプラスアルファ付加価値にすぎません。撮影会に貸し出すことだって本来あってもなくてもよいサービスです。「いかがわしい撮影会との線引きが難しいので、水着撮影会向けの貸し出しは今後すべて中止します」と言うことだって簡単にできたはずです。なのにそうしなかった。茨の道を選んだのです。英断だと思います

 

実際に行われている撮影会がどのようなものかは参加したことがないので存じ上げません。ですが、健全ものから相当きわどいものまで、幅広くグラデーション分布した様々な撮影会が行われていたであろうことは想像できます

 

ファン立場からしましょう。グラビアははっきりと不健全です。いかがわしいです。だから興奮します。そこが価値なのです。

ことに近年は全年齢向けグラビア過激化が進み、露出や擬似セックス表現がいよいよ露骨になってきています10年前なら着エロと呼ばれてR18指定されてもさほど不思議ではないような作品が、今や堂々と全年齢向けに販売されています。人気グラドルから着エロスキップしてAVに転身した三田サクラ(旧芸名二宮さくら)も、グラビアとAVの違いは表現のグレードにすぎない、地続きのようなものであると言っています商業グラビアですらそうなのですから露出で人気を獲得してきた地下アイドルコスプレイヤーたちはどんな格好をするのでしょうか。

 

たとえば、あなたの町公民館貸し会議室でAV撮影が行われているとしたら、あなたはそれを許容できますか? あなたは許容できるとして、町のみんなは許容すると思いますか? 多くの市民は許容しないか、少なくとも抵抗をおぼえるでしょう。そういう後ろ暗い、いかがわしいことは、税金運営されている施設などではなく、民間施設でやってほしいと思うでしょう。なにしろ民間の貸しスタジオならいくらでもあるのですから

いやらしい、はしたない、いかがわしい、といった〈風紀〉は主観的尺度に過ぎませんが、それでも社会通念として機能していることは事実です。

 

公的施設は様々な目的で利用されますが、その目的のすべてを〈風紀〉という日付変更線でくっきりと弁別することは簡単ではありません。なにがエロでなにがエロでないか、そんな曖昧地雷原にアウトとセーフに線を引くことは難しい、いっそ全部を禁止してしまえ、となるのがお役所の事勿れ主義です。厄介事には蓋をしてしまうのが一番簡単解決方法だったはずです。埼玉県はそこにあえて線を引こうとした。私はこれを埼玉県良識良心だったと思います。泳ぐためのプールだけど、ほかにももっと色んなことに利用させてあげたい、でもエロだけは勘弁して、公営からね、と。

 

埼玉県差し出したNG集が生暖かい笑いを集めていますが、グラビアファンであれば納得の内容になっていたと思います。見ない人には面白おかしものだったかもしれませんが、見ている人にとっては的を射た図でした。露出に挑戦するタイプグラビアによくある代表的扇情ポーズを端的に図示しています。とてもよく勉強しています。私は埼玉県の態度は支持しますね。

2023-07-18

anond:20230713014620

元増田です。

こんなに反響があると思わなかったし、反響があったとしてもインターネット特有小馬鹿にするようなコメントが半分以上を占めるだろうなと思っていました。


暖かい言葉を投げかけてくれた人たち、ありがとう

救われたというか、心が軽くなった気がします。

かに相談できないまま抱えていたから、慰めてもらったり辛かったねって同情して欲しかったのかもしれない。

本当は会社から給料も3倍くらいにしてほしい!!!出張から逃げるべきだったけど、逃げなかったおかげで取れた案件だったんだからな!


まとまりのない文章だけど、お礼だけ。

心療内科カウンセリングとか受けてみるよ。

ありがとうございました。

平成なら許されたレベル大人度」で止まってしまった「令和を生きるガキ大人」を見るのがとても悲しい

俺たちが子供だった頃の大人は割りとガキだった。

くその通りだ。

大人らしい大人なんてオイル流れるロボットだ!自由な心を持った大人になろうぜ!」というマヤカシを信じて、ちょいワルを気取ったダセー大人になったまま帰ってこれない人が大勢いる。

運の悪いことに下にはさとり世代がいるのでそれと比較してしまうと「え?あの年齢であの言動って人間として終わってない?」となりがちだ。

本当にキツい。

時代に合わせて「求められる大人レベル」を調整できる余力を残した人達は今どき基準パワハラ回避して動けている。

でもそうじゃない人、不器用なくせにカッコつけようとしてレールから飛び降り、そのままガキクセー大人になって帰ってこれなくなった人達は本当に悲惨だ。

部活の先輩みたいなノリで先輩風を吹かし、昭和平成初期の部活の中ぐらいでしか許されないようなハラスメントガンガンしつつ、たまにジュースを奢っておけば下から尊敬眼差しで見てもらえると思っている。

実際はそんなことはまったくない。

繰り返したハラスメントは恨みノートに蓄積し、限界を超えたタイミング慰謝料へと変換されていくし、自分が得ていると思っている尊敬薄っぺら愛想笑いを本物と信じたい心の弱さが見せる幻だ。

完全に終わってしまっている。

老人であれば「頭がボケて来たようで」とまだ幾分生暖かい目を向けてもらえるが、これでアラフォーアラフィフぐらいだと「まだまだ脳みそ健康だろうから単純に性格が悪いんだな」で切り捨てられる。

不憫すぎるよ。

人間力に生まれつき乏しい人達が、それに見合った生き方を選ぶべき所を時代に流されてしまったんだ。

遊び人とつきあった真面目くんが人生を持ち崩す様を、10年単位の長い長い時間をかけて行ってしまったようなものだ。

ゆるゆると長い時間をかけて下ってきた蟻地獄の深さがエグすぎて、もう今の人生脱出するのは困難な所まで来ている。

彼らには翼がない。

から落ちたら終わりなのに。

可哀想に。

よっぽど力のある人間だったら引き上げられるのだろうけど、多くの人間自分1人が歩むので手一杯だからからそれを見ていることしか出来ない。

助けてやりたい気持ちはないわけじゃないのだが、俺なんかが助けに行けない所まで深く沈んでしまっている。

2023-07-14

家族が欲しいなと思った話

私が大人になってから、母はたまに「自分毒親育ちだった」と言うようになった。

もう何年も前に亡くなったが、私にとっては少し偏屈なおじいちゃんしか見えなかったけれど、たまに母が語る。


本当はやりたいことがあったのに女は勉強などするなと女子大に進むことしか許してくれなかった。

勝手に家に芸者をよんでどんちゃん騒ぎをしていた。

かなりの偏食家で、みんなで食べる夕飯のはずなのにおばあちゃんに必ず自分専用の別メニューを用意させていた。


そんなことを、ポロポロと話してくれることがあった。

でも決して感情に任せて私にぶつけるのではなく、わりとコミカルに話してくれる。

私にとっての「おじいちゃんの家での思い出」が壊れないように、上手に話してくれる。


私がまだ子供だった頃、母はなかなかヒステリックだったと思う。

私の軽はずみな一言や行動で感情が一気に昂り、大声で怒鳴り、思わぬ行動に出る。

部屋を散らかしっぱなしにしていると図書館で借りてきた本を捨てられそうになったり。

ランドセル油性ペンテストで取った取ってしまったひどい点を書かれたり。

学校から手紙をかなり溜め込んでしまっていたのがバレて、怒鳴りつけられ物を投げられ3日ほど口を聞いてもらえなくなったり。


原因は全て私だが、母の地雷がどこにあるのかあの頃のアホな子供の私には分からなかった。

些細なことで怒る、そして怒ったらどうしたら落ち着くのか分からない、厄介で恐ろしく思えた。

正直、これが原因で私は親くらい年齢の離れている女の人が少し苦手だった。


でも、もちろん年がら年中怒っているわけではない。むしろ怒っていない時のほうが多い。

料理がうまくて、裁縫もできて、絵もうまくて、映画趣味が良くて、話が面白くて、頭の回転の速い、大好きな母だ。

から、母が「毒親育ち」のイメージがつかなかった。


母は言う。

「私はお父さんと結婚できたか普通になれた。お父さんがすごい」

かにと思った。父は“普通”の人だ。

おだやかで優しくて、家族が大好きで、お酒あんまり飲まなくて、しっかり者で誠実で、たまに天然でおちゃめ。

働き者で、愚痴はほぼ言わず休日は一緒に遊んでくれた。最近では早起きしてコーヒーをいれて掃除をしたり洗い物をしていたりするらしい。

不機嫌なところなんてほとんど見たことがない。普通……じゃなくて聖人だ。


受験期間という誰もがナイーブになる数ヶ月。

私が模試でひどい点を取ったか何かで(そしてたぶんそれを隠そうとしてバレて)母が私の存在をまるっきり無視していた日があった。

家の中がピリついて居心地が最悪な日に帰ってきても、穏やかにかに、けれどちゃんリビングに居た。

これってすごいことだったと思う。仕事で疲れて帰ってきたのに家の空気が最悪だったら収まるまでどこかで時間を潰してきたって良かったろうに、あの嫌な空気を一緒に耐えてくれていた。


「母を怒らせたのは私の落ち度だけど、なにもあんなにヒスんなくても良くない?」と父に愚痴たこともある。

「確かにあれはちょっと異常だと思うよ」と父が言ってくれて、私はそれにすごく救われた。

そうか、あれってやっぱ変だよな。私だけが悪いんじゃないよなってほっとした。


夜中、トイレに起きて自室からそっと廊下リビングを隔てるドアに耳を当てると、母が泣きながら父に相談しているのが聞こえた。

私のことについて相談しているのがわかって心臓が痛かった。

父は寄り添うように母に何かを答えていて、父は私だけの味方じゃなくて家族の味方なんだなぁと思ったのを覚えている。


大人になるにつれて怒られる回数も減っていき、穏やかな家になった。

私は実家を出て一人暮らしを始めて、そしてたまに実家に帰ると仲のいい両親が迎えてくれる。

子はかすがいなんて、たぶん嘘だ。少なくともうちは当てはまらない。私がいない方が両親はきっとずっと仲が良かったろうにと思う。

私がいなかったら母はあんなに怒鳴って泣いて過ごすことにはならなかったし、父も居心地の悪い家に居る必要もなかったはずだ。


それでも、実家に帰ると二人は私を歓迎してくれる。

母は料理を張り切ってくれて、父は「iPadの設定がわかんないから教えて」と私を頼ってくれる。

良い家族だ、すごい。一人も壊れることな暖かい家族ちゃん形成するってすごい。

私には、こんなすごいことできないなと思うようになった。


子供の頃の恐ろしかった母親を思い出す。

怒って泣いて「そんなにお母さんのことが嫌い!?」と叫んで、違う、お母さんが私を嫌いなんでしょう!と言い返したくて、胸につっかえた言葉を言わなくて本当に良かった。

母は私を嫌いだったんじゃなくて、どうしたらいいのかわからなかったんだと思う。

母親だって、ただの一人の未完成人間なんだものね。


私はもう母が私を産んだ年齢を超えてしまっているけれど、独身だ。彼氏が欲しいとも思えなくなった。自分一人で生きるのに精一杯だ。

告白された流れでなんとなく彼氏ができてもしっくりこなくてすぐ別れてしまう。

学生期間が終わって、合コンなどにはいかないもんであまり出会いもなく、思い立ってマッチングアプリを使って婚活してみたことがあったけれど、ヤリモクだとかモラハラだとか奢り奢られやら、育児がうんぬんだとかの情報twitterに滝のように溢れていて何を信じていいのかわからなくなってやめてしまった。父のような穏やかな人を探したいと思ってしまって、比べてしまってだめだった。

会社であまり接点のない人から急に距離を縮められて気持ち悪くなって上司相談をしてなんとか追い払ったこともあった。

あん聖人はどこにもいないんだ。いいなあ、母は。父と結婚できて。心底羨ましい。


そもそも他人に話を合わせたり予定を合わせたりするのが苦手なのもあったし、もう恋愛がとにかくめんどくさいと思ってしまう。楽しくない。

赤の他人から性的感情を抱かれるのが気持ち悪い。というか、その前に手を繋ごうと誘われるのが気持ち悪い。手なんか繋いだら歩きにくいだろと思ってしまう。(実際断ったら文句を言われてかなり面倒だった)

彼氏の家に泊まった時にシングルベッドで一緒に寝ようと言われ、ちゃんと寝たいし狭いから嫌だと断ったら「俺のこと本当に好き?」と聞かれて面倒だった。好きなら強要していいのかい、というか一緒に寝られるほどは好きじゃなかったわごめんね、としか思えないまま床で寝た。

もしかして「男」がダメだったのかも、と思って女の子と付き合ってみたこともあったけれど同じだった。

性的な目で見られるのは居心地が悪いし、手を繋ぐのはやっぱり嫌だった。会話をするときトーンがどんどん下がっていって、喋り方が怖いと言われて喧嘩になったりもした。

そんなことが続き、向いてないなら無理に相手を作るもんでもないなと思ったし、私は人を好きになれないんだなと思い知った。


父も母も、私に結婚しろだとか孫を見せろだとかは言わない。

いい歳をした娘が独身なのって気にならない?と母に聞いてみたら「東京女の子一人暮らしをしてること自体心配だけど、好きに生きて欲しい。我々のことは我々で何とかできるからやりたいことして好きに生きな!」と言ってくれた。孫とか見たい?と父に聞いたら「まずは自分のことをできるようにね」と言ってくれた。

母は自分が受けた不条理人生を私に負わせまいと、毒親連鎖を断ち切ってくれたのだと思う。

父は私の未熟さをちゃんとわかってくれているのだと思う。


こんなできた両親がこの世に居るかい。居るんだよ私には。大好きな両親だ。

大好きすぎて、失ったらきっともう立ち直れなくなってしまう。

実家に帰ると幸せで、美味しいご飯を食べてテレビを見ながらたわいのない話をして笑って。

用意してもらったお風呂に入ってると「こんな大好きなのに父も母もいつか死んじゃうんだよな……」と考えてしまって涙が止まらなくなる。


両親が死んじゃったら私も死んじゃいたい。ごめんなさい、30過ぎた大人の癖にこんなことを考えてしまって。

ああ、だから人は結婚をして自分と生きてくれる家族を作るんだなぁと思う。

いいなぁ、家族粘土とかで作れたら良かったのにな。


追記

ちょっと感傷的になったタイミングでわーっと書いてしまったので、補足というか気になったコメントに関してちょっと追記を。

書いてしまってから、そっか、こんなふうに書いたら親が叩かれるよな……と納得したし、少しほっとした部分もある。

自分では許せていたつもりでも、心のどこかであの頃の自分のやり場のない感情成仏させたいと思っていたのだと思う。

母親に直接過去の話をしても何か得られるものがあるわけではないし、直接傷つけたくもなかったから、知らない誰かに母親批判してもらうことで救われたかったのかも。

とはいえ、私は自分母親毒親とは認識できないんだよな…金銭をせびられたわけでもないし、跡が残るような傷をつけられたわけでもないし。

好きなことをして飯を食ってく選択肢を後押ししてくれたり、趣味理解してくれたり、私にとっての母はやっぱり最高で大好きだと思ってる。あの一時期だけがしんどかっただけで。

親に完璧なんか求めない派です、自分が親になる機会があったって、完璧にやれるわけないだろうし。

今はネットがあるからいろんな知識を得られたり、同じような境遇の人を調べて安心できるだろうけど、今から●年前じゃそうもいかなかったろうし。

……って考えるとほんと親ってすごいよな……ものすごく探り探りで子育てしていくって、灯りのないトンネルをずっと歩いているようなもんじゃんか。大変だったろうな。

自分を愛せない〜に関しては、自分を愛してないってどっかに書いたっけ…?愛してないつもりはないんだけど、そんなふうに読み取れるように書いてたならごめん。

自分のことは自分なりに愛しまくりです。それ以外は手が回らんわって話で。

小説進めてくれた人ありがとうちょっとずつ読んでます

あと、ヤングケアラーではないです。

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