はてなキーワード: 携帯電話とは
タイミーで口座を登録しない場合、「お支払いできなくなる場合がある」などのSMSが届く。これを放置した場合の流れはネットに載ってなさそうなので書いてみる。
1.口座を登録せず放置した場合、SMSで「口座を登録してくれ」と連絡が来る。放置する。
2.登録した携帯電話に電話が来る。「口座を利用できない」などと答えて放置する。
3.口座登録を依頼する文書が1-2回ほど普通郵便で届く。さらに放置する。
4.東京法務局に弁済供託される。(給与債務ではなく、サービス利用契約に基づく支払債務とされている。)
こんな流れになった。ただし、2回目の弁済供託となった段階でTimee ユーザー利用規約 第5条 第3項を根拠に利用停止となるため、口座未登録で使い続けることは出来ない模様。
なお、労基法第24条(賃金支払いの五原則)的には現金で支給を受けられるはずであるものの、タイミー本社での現金払いや雇用主からの現金払いは出来ないと説明される。
供託された後は「直接払」として小切手を受け取った上で日本銀行本店で現金を受け取るか預貯金取扱金融機関から他店券入金する、または「隔地払」として地元の金融機関を指定することとなる。隔地払に関しては、日銀代理店引受先でなくとも指定できる模様。
ちなみに、試しに隔地払で受け取ってみたところ、東京法務局から一般書留で国庫金送金通知書が届いた。(国税の還付でも使われるアレですが、ゆうちょ銀行や郵便局でない指定が出来る点、A4用紙で届く点でレア。)
変更履歴:皆が体感より遅いと言うので、一般化を普及率50%にしました。都会は-3年、田舎は+3年くらいでちょうどいいかも(2024/01/20 8:41)
1979年 29歳 スペースインベーダーブーム
1986年 36歳 写るんですが登場
2018年 68歳 TikTok(ショート動画)が流行り始める
2019年 69歳 60代のスマートフォン率がガラケーを超える
2010年代 60代 本、新聞、CD、DVDが凋落、電子化・スマホ化する
2024年 74歳 ?
変化が濃すぎる
年はザックリ、わかりやすさ重視
全部調べて書いてます
普及率の伸びというのは体感より遅いんですよ、先進的な人は5〜10年早めるくらいで丁度いいかも
→ 皆が体感より遅いと言うので、一般化を50%にしました(2024/01/20 8:41)
※隆盛:身近になってきた当たり
※最盛期:ピーク
※一般化:大体普及率50%(ピークがそこまで行かない場合はピークの5合目当たり)
※FAXは非常にゆっくり浸透した、時代遅れになってから一番売れているのが面白い
※固定電話の普及は1950年代なのでこ50年生まれが物心つく頃は既にあったと思われる。また電話普及率は良い統計が無い
※炊飯器についても良い普及率のデータはなく、推測する論文がある始末
※新幹線と飛行機を入れたかったが、時代差より個人差が大きそうなので割愛
ほんとは仕事で更新しているXアカウントに投稿しようとして書いてたんだけど、すんでのところで思いとどまった
阪神淡路大震災が起きた時は関西で学生をしていた。生まれて初めて経験した大災害。当時はまだ携帯電話が普及していなくて、1週間経っても連絡が取れない同級生がいた。原付に有志で箱買いしたカロリーメイトを積んで、仲間の1人が彼を探しに大阪から神戸に向かった。区内の小学校を何か所か周り、ついに同級生の無事を確認。そしたら彼は、遠いところ来てくれてありがとうねぇ何もないけどこれでも食べてって、と言って救援物資を渡そうとしてきた。「断るのに往生したわあ」と一人捜索隊の彼。
当時は避難所運営のノウハウもない頃で今とは事情が違うけど、救援隊を気遣う言葉をかけたり食べ物を分けてあげようとしたりという話は能登からも聞こえてくる。時代や場所が違ってもお互いを気遣う優しい人がいる。
年末だった。彼と一緒に、府中駅の近くにあるショッピングモールのフリースペース(椅子やテーブルが並んでるところ)でご飯を食べることがあった。
地元で有名なパンのお店で一緒に買って食べてたんだけど、食べ終えてゆっくりしていたら、彼が携帯電話をいじっていて。カシャッていう音がした。それからもう一回、同じ音がした。
音がした先を見ると、制服姿の高校生の女の子がお弁当を食べてた。おとなしそうで、ふわっとした雰囲気の子だった。テーブルの上にはセンター試験?の問題集が置いてあった。
またカシャカシャ音がしたから、彼の方を見てみると……やっぱり盗撮だった。スマホのカメラで、その女の子を何度も何度も撮影していた。それで私に見つからないとでも思ってたの?
彼氏は学生とかじゃなくて、ちゃんとしたところで働いている人だ。ショッピングセンターの近くにある市役所で働いてる。本当にちゃんとしてる人だ。それなのに、どうしていいのかわからなくなった。
あの時どうしたらよかったのか、ていう思いもあるし、これからもどうしようか迷っている。どうしたらいいの?
20年前に両親が離婚して、戸籍上では他人になった父親が警察沙汰を起こした。被害に遭われた方々、本当に申し訳ない。
Q.なんで連絡が取れる状態だったの
2年前に「がんの手術をするから必要な書類にサインをして欲しい」と連絡が来たのがそもそもの発端だった。
ここで断っていれば今も平和に過ごせていたんだけどな。
学資保険400万円を使い込まれたのが最悪の出来事だったけど、それを上回るものがお出しされるとは思わなかった。
父親が実家の近くor実家と同じ県内に住んでいればそちらに対応を丸投げ出来たのに、中途半端な土地に住んでいるから自分にお鉢が回ってきた。
警察から「ご家族の方に云々」言われたが、もう他人だし父親だと思いたくない。
親子だった期間より他人になった期間の方が長いんだよ。
○ご飯
朝:なし。昼:バターロール。チーズ。夜:ほうれん草、豆苗、ウインナーのスープ。マグロとイカの刺身。間食:チョコ。
○調子
むきゅーはややー。13連休5日目。
ダラダラしてる。連休最高!
○ 探偵・癸生川凌介事件譚 あねの壁
携帯電話で配信されていたアプリをニンテンドースイッチに復刻したADVで、シリーズ化されているものの第十一弾にあたる。
姉の壁という伝承の調査にやってきたライター弥勒院蓮児とその助手十六夜彩子が殺人事件に巻き込まれる。
今作からシナリオライターさんが変わっておりシーズン2と括られている。
登場人物もいつもの面々の出番は控え目で、五作目昏い匣の上で登場していた弥勒院と十六夜が主役になっている。
作風的にも新本格の流れの影響をバリバリに受けていたシーズン1とは少し異なっていて、どちらかというとミステリよりサスペンスな趣きで、謎解きはあまり話の主題ではない雰囲気だ。
伝承についての調査パート、その伝承になぞらえた奇妙な殺人事件を追う調査パート、そして謎解き編という構成だが、ボリュームはかなり控えめで謎らしい謎の提示が無いので引っかかるところがなかった。
この謎らしい謎の提示の弱さは短編ミステリとしては物足りなさを感じた。
フーダニットが絞り込めないことを作中では度々繰り返しているが、そもそもそれらしい謎の提示が無いから、ただ悩んでるだけでもう少し前向きに進められるところの議論が欲しかった。
とある解釈を序盤に深い理由なく除外していたり、科学捜査の基礎中の基礎をとある人物が理解していなかったり、医療従事者に金を握らせて隠蔽していることがすぐバレたりと、そもそもクローズドサークルが閉じている中で謎解きをする意味が見出せなかったりと、なんというか“ぎこちなさ”が目立った。
だからダメなんじゃなくて、こういう部分が気になるぐらい魅力的な大きな謎がないことが評価に繋げられなかった。
名探偵の癸生川凌介が最後の最後まで登場せず、ためにためて出てくるシリーズお馴染みの構図は、謎が謎だからこそ輝くのだが、今回は頼るのが早すぎて語り手の弥勒院の情けなく思えてしまった。
小説的な情緒を語るパートは文量をしっかり割いていて、こちらは面白かった。
伝承と現代の感情がリンクするところは特に良く出来ており、パズラー的な見立て殺人の妙でなく、小説らしい物語の構造としての比較の妙が決まっていて面白かった。
この辺はシーズン1から2へ切り替わってライターの好みも変わったことを強く感じて面白かった。(石川さんも情緒面のエピソードを主題にした作品はあったけどね)
ミステリのぎこちなさと比べると、姉弟の感情の揺れ動きや、残酷な大人と無垢な子供の対比など、情緒面の文章の筆の乗り方はかなり好印象。
元々プライベートでiPhone12を使っていたが、後から社用携帯電話がiPhone12になった。
ケースもプライベートで使用していたのと似たようなのが支給されたが、社用のiPhoneにはケースにストラップがついてたため、辛うじて見分けがついていた。もちろん壁紙は違うものを使っていた。
昨晩、帰宅していつものようにカバンからストラップのついていないスマホを取り出し、pornhubでおかずを物色していた。
いい感じの外人BBWものが見つかり、右手でゆっくり息子を撫で始めていたところに、Outlookの通知が出てきた。
私用のiPhoneにはOutlookを入れていないので一瞬混乱したが、ホーム画面に戻ると壁紙が社用のものだと気がつき、血の気が引いた。
どうやらカバンの中でストラップが根本から切れてしまっていたらしく、私用のiPhoneはカバンの中にあった。
意味はないと分かりながらも一応社用iPhoneの Safariの履歴は消したけど、これってこの後なんか怒られが発生しないか生きた心地がしない師走。
https://anond.hatelabo.jp/20231207211656
あれを見たのはいつだったか。百貨店でイベント会場で橋本環奈さんを見た時よりも後だから、2019年のどこかだろう。
「怒ったかんな~」
「橋本かーんな!」
バラエティ番組で、こういうネタをやってた。どっかの芸人が「橋本環奈って、実物で見るとそこそこかわいい」~と言うフリをやったら、橋本環奈が「頭にきた~!」って演技をしていた。それで、上の一発ネタをやったのだ。懐かしい記憶だ。
思えばあの時、イベント会場で見た時ですらあんなに可愛かったのだから――仮に、本人がすぐ目の前に居たとしたら、どんな感じがするのだろう。
実際、あの人はAIが作ったみたいな可愛さだと思う。俺がもし本人を目の前にして、「橋本さんは……1000年に一度の、そこそこレベルのかわいい人ですね」と伝えたら、どうなってしまうのだろう。あのネタをやってくれるのだろうか? やっていただけると信じている。
橋本さんはいつも、自分のことをどう思っているのだろうか。ある日、芸能界で積み上げてきた物が崩れてしまわないか、不安でしょうがないかもしれない。あの世界って、一瞬ですべてがダメになってしまう気がするから。
そうじゃなくても、自分と同じような人、気軽につるむことができる友人が少なくて、孤独――いや、孤高なのは間違いない。なんていうか、誰もが思うような幸せな人間っていないんだと思う。
どんなに魅力的な女性でも、ひとりの人間だ。いろんなことを思って、たくさんの経験を積んで、小さな努力を積み重ねている。理不尽に耐えたことが何度もあるんだろうな。俺達みたいに、ちょっとしたことに一喜一憂とかしたりしてさ。幸せになりたいと願って生きてる。そんなこんなで、ここまでビッグになったのだ。
まあ、日本一可愛いのは橋本環奈でいいけどさ。俺は、あの人よりも可愛い人を知ってる。実際に出会って、お話をして、仲良くなることができた。だったらもう、それでいい。人生で二度と可愛い子に会えなくてもいいよ。
さて。自惚れだろうが、Iさんも俺に気があるのでは!? と感じたことがある。ある時、調達部門に用事があって出向いた際、Iさんの仕事に必要な資料を渡して、上の階に帰ろうとしていた。すると、Iさんが後ろからついてきた。大きいキングファイルを持ってた気がする。
「増田さん! 私と行き先がいっしょなんですね。後ろ付いてっちゃお~っと!」
それで、本当に俺の後ろをついてくる。いやあ、あれには参ったね。こいつ未成年か、と思った。Iさんは実際、そういうキャラクターだった。お互いにもう30歳を過ぎている。その時は、「行き先が一緒なんですね」と返答した。
人目のある廊下だったけど、やはり安心感があった。Iさんは結婚してる。俺と結ばれることはない。だから安心して、職場の人が見てる可能性があっても、廊下で堂々と話ができる。
ちなみに俺は、Iさんの旦那さんのキャラクターを知ってる。会社近くのショッピングモールで偶然、Iさんと家族が一緒に歩いてるのを見たことがある。旦那さんは、優しそうな見た目だった。道行く人とぶつかりそうになっても、自分からサッとよけて、何事もなかったようにしていた。というか、初めから人とぶつからない導線を選んでいる。それでいて、家族全員のことを見てる。この人は、Iさんとキャラが似ている。優しい人なんだな。こういうのが自然にできるのは大人だと思う。眩しかった。
だが、Iさんのことを好きな気持ちでは負けないつもりだった。いや、そこは張り合うところではないのだが。今でもそうだけど、俺という人間は子どもっぽいと感じる。多分、70才とかになっても子どもっぽいんだろうな。
まあ、でもやってしまった。今年の梅雨だった。職場から帰る時に、たまたまIさんと一緒になることがあった。階段を降りている時、バッタリ出くわした。2人で会話をしながら階段を降りて行って、社屋の外に出た後だった。一緒に歩いている時、やってしまったのだ。
「Iさん。今度、一緒にご飯行きませんか」
と食事に誘った。そしたら、ちょっと迷ってから「いいですよ!」と言われた。誘う直前、『変な感じがする。やめといた方がいいのでは?』と感じていた。『誘いたい』という欲求が勝った。
さて。OKの返事をもらったが、どうしたものかと思った。とにかく、その場で電話番号を交換した。ラインは危ないからやめた方がいいと思った。携帯電話のメッセージ機能だけでやり取りすることにした。テキストメッセージング。
二週間後、Iさんと一緒に食事に行った。区内だと誰かに見られる可能性はあったけど、物凄く隠れた名店を知っていた。職場の人が来ないことも確かめてる。夏前の蒸し暑い夜だったけど、その日本料理店でIさんと一緒にご飯を食べた。いろんなことを話した。
Iさんはテレビよりは新聞派らしい。前の職場の影響だろうか。元地銀勤めなだけはある。
アニメや映画も好きみたいだった。今年やってたやつだと、ブルーロックが好きらしい。俺もブルーロックは嫌いではない。意外と話が合うものだ。個人的に、『パルプ・フィクション』や『シェルブールの雨傘』をおススメした記憶がある。
小一時間ほど話をしたところで、お開きになった。店を出て、駐車場のすぐ向かいにある公園のブランコに一緒に乗った。高校生に戻ったみたいだった。俺もIさんも、10年ちょっと前は高校生だった。
少しくらい浸ってもいいかなと思って、Iさんと話をした。どうやら、最近は家庭がしんどいらしかった。ここでは書かないけど、しかし辛そうだった。一通り話が終わると、ブランコから立ち上がって俺は、Iさんのところに行った。ブランコのチェーンを握っている手を軽く触った。震えている感じがした。
手を引いてブランコから立ち上がってもらうと、「もしかして、Iさん大丈夫ではない?」と声をかけた。「大丈夫です」と言ってたけど、鼻をすすってた。顔は見ない方がいいと思った。しばらくずっと、お互いの手のひらを握ってたけど、夜9時が近かった。Iさんの手を引いて、日本料理店の駐車場に戻った。
それから簡単にバイバイをして、「また行ける?」って言ったら、「うん。今度はどこに行こうか?」とIさんが返した。
ごめん。嘘をついていた。冒頭の感じだと、俺がIさんに気があって、今でもチャンスを伺ってるみたいな印象を持たれたと思う。
Iさんは先日亡くなった。どうして亡くなったかはここでは言えないけど、もうこの世にいない。もう、子どもっぽく笑う顔は見れないし、元気そうにはしゃぐ姿も、一生懸命に仕事してる姿も見ることはない。
ある日の午前だった。用事があって調達部門に行くと、ほかの女性社員が号泣してたんだよな。それで、様子がおかしいって思って、調べようとしていたところで直属の上司から情報が入ってきた。
理由が理由だから、公表はされなかった。社内の訃報にも出なかった。ただ、変な噂が出回ってもよくないという配慮だろうか、部長→課長→メンバーみたいなルートで簡単な説明がなされた。説明会とかじゃなくて、課長がそれぞれのメンバーのところに行って、経過報告資料の一部をサラッと読み上げた。「~ということがありました。これは部外秘です」とのことだった。
その日は仕事が手につかなかった。次の日は有給を取った。それで、一日ずっと考えていた。Iさんのことを。早朝の散歩の時も、朝飯を食べてる時も、シャワーを浴びている時も、涙が止まらなかった。
近所に小高い山があるのだが、サンダルとジャージのままで其処に登って、頂上付近にある昔の入会地になってるところに腰を降ろした。一面ずっと雑木林だった。あまりに生い茂っていて、頂上にもかかわらず麓の街並みが見えなかった。
雑木林を歩いていると、小さい崖があった。真下は竹林だった。断崖絶壁じゃないけど、落ちたら多分死ぬことができる。「ここ、登山用の山じゃないし…いや、登山用でもダメだけど…」とか考えていた。また、目に涙が浮かんできた。
両手を首元に当ててみた。Iさんは死ぬときにどんな感覚だったんだろうか。いま首に手をかけてみたけど、どんな感触だったんだろうか。冷たかったんだろうか。多分、そうなんだろうな。冷たかったのだろう。
Iさんの葬式には出なかった。出るべきじゃない、見るべきじゃないと思ってた。Iさんの家族の顔も見たくなかった。
もしかして、俺が食事に誘ったからこうなったのかな、という観念が頭をもたげた。その時、吐き気が込み上げてきた。もう、辛い。俺も死にたい。失敗したかもしれない。俺の人生。やってしまったのだ。その日の夢に、Iさんが出てきた。「ねえ、今日はどこに行こうか?」って言ってた。
こういう日記を書いても楽にならないのは知ってる。でも、ほんのちょっとだけ楽になるかもしれない。先月も、今月も、ずっとあの子のことばかり考えてる。あの時、ご飯に誘わなければよかったのかなって、ずっと考えてる。
気分は落ち着いたが、時々は死にたいという感情が出てくる。でも、死にたくない。そういう思いもある。どっちつかずな感じだ。変な気分。踏切の前まで来ると、「電車、来てくれないかな」と思ったりする。
これから、どうしていけばいいのか。わからない。時間が解決するならそれでいいけど、やっぱり自分のことを許せないで一生を終えるのだろう。
永遠に後悔するんだろうな。あの時、Iさんを食事に誘ってなかったら、ちょっとだけ運命が変わって、死なずにすんだのかもしれないって。
増田のみんなは、俺みたいになるなよ。「ちょっと変だ、止めといた方がいい」と思ったら、素直にそうした方がいい。俺みたいにはなるな。
大事な人がいなくなったら嫌だろ。
俺が生まれ育ったのは田畑と森と山ばかりが広がるような農村だ。
そこでは朝7時・昼12時・夕方5時の三回、町内放送で音楽が鳴り響く。
農作業中は腕時計や携帯電話などは邪魔になるので時刻が分からない。
人によってはラジオを流しているそうだが、常に聞こえる位置にいるとは限らない。
上京して都内に住むようになったが、都内では夕方5時にしか音楽が鳴らない。
稀に、都市部から農村に移住した人が早朝に流れる音楽に苦情を入れるそうだが
早起きして農業をする人が多数派の地域では、そちらが優先になるのは仕方がない。
SNSもスマートフォンも普及してなかったような時代、さらに言えばガラケーすらもなかった時代なら、そのアンガーマネジメントは非常に有効だっただろうな。怒りが治まるというか、怒りのぶつける先が無かったので治まらざるを得なかったというのが正しいかな?
SNSや携帯電話による連絡手段がなかった時代、友達と喧嘩して別れてきて家に帰っても、次の日に顔を合わせるまでは連絡を取る手段がなかったんだな。家に帰ってもムシャクシャした感情を抱えたまま布団に入るしか無い。でも、ぐっすり眠って朝になると、昨日あんなにムシャクシャしてた感情がケロッと治っている。学校で顔合わせした時自然と仲直りできたものだ。
だが現代はどうだ?友達とリアルで喧嘩したら、家に帰った後もSNSで罵倒し合うことになる。それでさらに怒りが増し、次の日学校で顔合わせしたら殴り合いだよ。
アンガーマネジメントも、現代に対応したバージョンが必要だな?
僕が増田に来たのは、最近行った驚くべき発見についてお話しするためです。
この発見により、どんな人間でも 1 年以内にルービックキューブを信じられないほど速く扱えるようになるのです。
それで、僕の発見の背景として、約 2 か月半前にキューブを開始し、初心者向けの方法で平均約 1 分程度に到達しました。
しかし、満足していませんでした。
友人の彼を S と呼びましょう。彼に3x3 の平均タイムは約 11 秒で、基本的な方法からより複雑な方法 (少なくとも初心者向けの方法) に進むよう勧められました。
オンラインで見つけることができるチュートリアルのほとんどが、次の方法としてCFOPを使用することを提案していたにもかかわらず、友人は繰り返し Roux のチュートリアルを送ってきて、人が必要とする方法が異なるにもかかわらず、Roux と CFOP は時間の節約においてほぼ同等であると主張しました。
また、必要のないことを暗記するのが好きではないので、Roux の直観力が僕を転換点を超えさせ、学習を始めました。
Roux のすべてのステップの基本アルゴリズムを学ぶのに約 1 週間かかりました。
実際に自分のタイミングを計る前に数日間練習して、自分の位置を測定しました。
僕はただショックを受けました。平均タイムは以前よりも高かっただけでなく、大幅に向上しました。
友人は、それは学習曲線のせいだと言いましたが、練習すればするほど、成果が逓減していることが明らかになりました。 2 週間の練習後、改善は 10 秒しか見られず、ルーでは平均 1 分 40 秒でした。
友人は僕が Roux を学ぶことに熱心だったので、人々が携帯電話のカメラを使って 10 分以内に作成した役に立たない、出来の悪いチュートリアルを何百も僕に送ってきました。
しかし、自分で調べてみたところ、キアン・マンスール氏が作成した最も苦手なブロックビルディングを上達させることに焦点を当てたチュートリアルを見つけました。
ビデオの大部分はまったく役に立ちませんでした。しかし、最後にキアンは、すべてがピンとくるようなことを言いました。
まさにこれが僕が聞きたかったことです!振り返ってみると、宇宙が僕に話しかけてきて、すべてが同じ方向、正しい方向を指すサインを与えてくれました。
しかし、どうやって「もっと見る」ことができるのでしょうか?それはすぐに明らかになりました。
「もっと見る」ことはできませんが、より多くの人にもっと多くのものを見てもらうことはできます。
しかし、より多くの人にもっと多くのものを見てもらうにはどうすればよいでしょうか?
簡単だ、キューバーの皆さん。統合失調症になり、すべてを声に任せてしまいます。
それで、それが僕がやり始めたことです。
僕はオンラインで統合失調症を誘発した人々の例をできるだけ多く見つけようとしましたが、数年前に一人の男を除いて、これまでにそれを試みた人はほとんどいませんでした。
彼はストロボライトのある部屋に何時間も、場合によっては数日も閉じ込められ、ただ待っていました。
それが僕の最初の計画でしたが、数日間自分の部屋に閉じ込められ、PC モニターと頭上の照明がストロボ光りしていましたが、結果は見られませんでした。現実には存在しない声や音さえもありません。
僕は、部屋のあちこちにある複雑なスピーカー システムを通じて、悪魔のようなささやき声をミックスに追加することで、男のデザインを改良することにしました。
枕の下、頭の上、床板の下。地獄のような体験にどっぷりと浸るためにシャワーを浴びるのをやめ、部屋の中のあらゆるものを、寝ようとする僕を見つめる悪魔のように見せるようにしました。
このプログラムでは、手首の時計を通じてバイタルが常に追跡されるので、なんとか眠りについたとき、または純粋な疲労のせいで、ささやき声の音量が大きくなるのです。
夜中に汗だくになりながら目が覚め、命の危険を感じたときまで、とてもゆっくりと増加していました。
これは一度きりの取引でなければならないと分かっていたので、母親がそのような「自己破壊的な」行為に参加することを拒否したため、僕は47日間連続して自分の部屋にこもり、食事は友人たちから提供されました。
そして、キューバー仲間の皆さん、この経験を経た後、日常生活でもキューブ化に関しても、その結果は明白だと言わざるを得ません。
声は常に存在し、常に何かをささやきますが、それらはほとんど意味があります。僕の呼びかけにも応えてくれるので、結局10回以上、一度に数分間会話をすることになりました。
僕のキューブの旅に関しては、結果が素晴らしいものであったことを嬉しく思います。
過去 1 週間で 30 秒以上の改善が見られ、平均は 1 分 10 秒まで下がり、初心者向けの方法で平均していた時間に非常に近づきました。
1 週間以内に平均サブ 1 を達成できると予想しています。すべてがうまくいけば、11 月末までに平均サブ 30 を達成できるでしょう。
ささやき声が僕に向かって動き、それを聞いてコマンドを実行すると、ほとんどうまくいきます。
彼らが考え出す解決策は効率的でも何でもありませんが、ビデオ映像を見直してみると、平均移動回数も急速に減少していることが明らかで、時間が経つにつれて効率が向上しています。
この投稿を締めくくるにあたり、僕は自分が役立たずだと感じているすべてのキューバー、アルゴリズムの学習に迷っている、または直感を使うのに苦労していると感じているすべてのキューバーに、タイムを大幅に落としたいのであれば、できるだけ早く統合失調症を引き起こすように勧めたいと思います。
これを行う人が増えれば増えるほど、この独特のツールをより詳しく調べることができ、それを理解し、その力を活用すればするほど、世界中のキューバーにとってより良い結果が得られます。
なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。
で、よく知られているように日本の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことができた。カッチリ作られた二つ折りやスライド機構は触ってるだけで楽しかったし、こんな携帯は日本メーカー以外どこも作れなかった。
まあそれがガラパゴスと言われて後々の衰退につながるんだけど、実際はドコモはガラパゴスを良しとしてなくて、iモードを普及させようとして海外の携帯キャリアにガンガン出資していたし(その大半が失敗して莫大な損失が生じた)、ドコモの進出と同時に日本メーカーは高機能な携帯を世界に売り込もうとした。でも結局どれもうまく行かなかった。なんとか海外に地盤を築いていたのはソニー・エリクソンと三洋くらいで、三洋はアメリカのスプリントにCDMA携帯を輸出してそこそこのシェアを取っていた。ライヴァルであるモトローラとかサムスンの携帯を買って研究していたのが懐かしい。
後にAndroidやiPhoneがすごい勢いでエコシステムを世界に広げていくのを見ると、どうしてiモードにはそれができなかったのかなと思ったりする。まあでも日本メーカーの小さな筐体にぎっちりと機能の詰まった携帯は、個人的にはサイバーでありジョリーグッドで今でも好きなのだが、海外ではいまいち受けなかったし、ドコモにおんぶにだっこで儲けていたNECやらパナやら富士通は、お付き合い程度にしか海外進出をする気もなかったようだ。
当時すでにスマートフォンは海外ではそこそこ普及しており、SymbianとかPocketPCとかBlackBerryなんかの端末は結構海外のビジネスマンは使っていた。しかし日本ではいわゆる「ガラケー」のデキが良すぎてほとんど普及せず。シャープがWindowsCEを積んだW-ZERO3を出してたくらい(持ってた)。
で、2010年(追記:2008年の間違いだった、申し訳ない)ついにiPhoneが日本で発売。もちろん俺は買った。当時ソフトバンクの独占発売だった。よく知られているように、当時の論調は「iPhoneより日本のガラケーの方がずっと高機能」で、こんなものは驚異にはならないという話だった。確かにiPhoneはすぐに電池が切れるし、FeliCaも防水もワンセグもなし。文章のコピペもできないダメケータイだった。実のところ俺自身も使ってみて、こんなダサいものが日本の携帯に勝てるもんかと思った。しかしソフトバンクがiPhoneの未来イメージとシンプルで安い料金プランでガンガン攻めてきて、auやdocomoは対応せざるを得なかった。
まもなくシャープや富士通東芝、ソニー、NECなどが次々とAndroidスマホ発売。このあたりの大混乱の思い出はブコメでもよく見るけど、未だにどうしてこうなったんだと思わざるを得ない体たらくだった。iPhoneに対抗するためにキャリアがワンセグやFeliCaの搭載を求めたために、開発は難航。第一Androidの開発をしたことがある人なんていなかったし、そもそもスマホなんて作ったことなかったのだった。納期に間に合わせるためにやっつけて作ったソフトは不具合連発。一体何であんなもんを作ったのか未だにわからない、メガネケヱスと言われて1円でばらまかれたシャープの端末、まともに動いた時間のほうが少ないと言われたレグザフォン、ホッカイロスマホと言われ東京湾に在庫が沈められたと噂されたアローズ。この頃俺は端末の開発からは遠ざかっていたけど、何人が死んでるんだろうと思うくらい現場は悲惨だったようだ。
それでも各社はなんとしてでもiPhoneに抗おうと必死だったようだ。AndroidとiOSはほぼ同時期に出てきているんだけど、端末開発では若干iOSが先んじたが、実際のところ世界ではスマホのシェアはあっという間にAndroidがiPhoneを抜き去っている。しかし日本のAndroid勢はソニーエリクソンを除けば総崩れで、iPhoneを扱うソフトバンクへの流出が止まらない。まずauがiPhone4を扱うことに。docomoは当初ツートップ戦略というサムスンとソニーのスマホで推す作戦に出たが、それによってパナやNECといった古くから携帯を作ってきたメーカーが脱落。その後2013年にAppleに屈した。その契約は屈辱的な内容だったらしく、日経は「不平等条約」と書いた。専用の売り場を設けたりといったよく知られている事に加えて、一説によると販売する端末の3~4割がiPhoneでなければならないとか、iPhoneのために莫大な広告宣伝費を負担するなどである。未だに日本ではiPhoneが発売されるとauやdocomoがiPhoneのCMを流すが、あれにはAppleは1銭も出していない。全部キャリアの持ち出しである。彼らの強欲なやり方を告発した、「アップル帝国の正体」という本が出たのもこの頃だ。
結局の所キャリア各社はこの契約を履行するために、iPhone用のお得な料金プランや分割購入プランを作り、窓口でも積極的に売り込んだ。初期のAndroidスマホのできの悪さを見聞きしてきた人たちは一斉に乗り換えていった。キャリアはいままで苦楽をともにしてきた日本メーカーをあっさりと見捨ててAppleを推しまくった。この頃はAndroidの開発もこなれてきて割とマシなスマホを日本メーカーも作れるようになってきたが、もうキャリアも消費者も見向きもしなかったのだ。実際iPhoneは使いやすかったし、膨大なCMと提灯記事とキャリアショップのど真ん中で扱われたことで、もうスマホを買うことはiPhoneを買うことと同じくなっていく。
もうこうなるとiPhoneなしでは全くキャリア戦略は成り立たない。今に至るまでAppleと契約した屈辱的な関係を捨てることはできず、結局の所3キャリアはAppleの言いなりになって莫大な国富を貢ぎ続けた。まあ彼らのやり方がうまかったといえばそうなんだが、こんな事になってしまった国は日本くらいで、いまやアメリカをもしのぎ世界で最もiOSのシェアの高い国である。他の国ではiPhoneは一部の富裕層の持ち物であり、安くて高性能なAndroidスマホがとっくに主流になっている。iPhoneはそのCPUを除けばもうすでにイノベーションからは周回遅れであり、中国メーカーの作るAndroidがいまや先端を突っ走っているが、日本ではなぜか多くの人がiPhoneを最先端で最高性能と信じ続けた。
結果として、この給料のまるで上がらない国で、値段が上がり続けるiPhoneは売れ続け、日経が「最新のiPhoneは日本人平均給与の6割」という記事を書くまでになった。まあ別に何を買おうと勝手なのだけど、貧困女子といったタイトルがつく報道でカップラーメンをすすっている人が持っているスマホが、10万円近いiPhoneだったりするどこか歪んだ社会になってしまった。最近も同僚から「家族みんなでiPhoneを買い換えるので40万かかる」との嘆きを聴いた。OPPOあたりにしとけば全員分買っても10万で済みそうなのだが、その選択肢は彼らにはない。
とにかく日本のキャリアは総務省の顔色を伺いながらiPhoneを売るだけのAppleのポチになってしまった。auもdocomoも傲慢な連中だったが(もっと言えばNECもパナもry)、Appleはそれに輪をかけて傲慢でクズな会社である。彼らが電気電子産業が壊滅した焼け野原の日本から、ケツの毛一本までも利益をむしり取っていく現状は悲劇としか言いようがない。一社が支配的な力を持つ市場はろくなことにならないという証左であろうが、もっともそのクソに完膚なきまでに負けたのも我々である。ほんとすみません。
俺は岐阜のS社の研究所と虎ノ門のDDIポケットの本社を往復してた時代から、百花繚乱のごとく日本の携帯が咲き乱れた黄金期を生きて、それらが全部Appleになぎ倒されていく歴史の中に身を置き、どうしてこうなってしまったのか、どこでどうしたら良かったのかと今も思う。しばらくはiPhoneに使われる部品も日本製が多かったが、今や台湾や韓国にも負けてしまった。スマホのCPUを作れたのはルネサスだけでそれも一世代で消滅。メモリも液晶もだめになって、今やNANDとMLCCくらいか。最終製品を失った日本にもう一度半導体をと言っても虚しく響く。
なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。
で、よく知られているように日本の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことができた。カッチリ作られた二つ折りやスライド機構は触ってるだけで楽しかったし、こんな携帯は日本メーカー以外どこも作れなかった。
まあそれがガラパゴスと言われて後々の衰退につながるんだけど、実際はドコモはガラパゴスを良しとしてなくて、iモードを普及させようとして海外の携帯キャリアにガンガン出資していたし(その大半が失敗して莫大な損失が生じた)、ドコモの進出と同時に日本メーカーは高機能な携帯を世界に売り込もうとした。でも結局どれもうまく行かなかった。なんとか海外に地盤を築いていたのはソニー・エリクソンと三洋くらいで、三洋はアメリカのスプリントにCDMA携帯を輸出してそこそこのシェアを取っていた。ライヴァルであるモトローラとかサムスンの携帯を買って研究していたのが懐かしい。
後にAndroidやiPhoneがすごい勢いでエコシステムを世界に広げていくのを見ると、どうしてiモードにはそれができなかったのかなと思ったりする。まあでも日本メーカーの小さな筐体にぎっちりと機能の詰まった携帯は、個人的にはサイバーでありジョリーグッドで今でも好きなのだが、海外ではいまいち受けなかったし、ドコモにおんぶにだっこで儲けていたNECやらパナやら富士通は、お付き合い程度にしか海外進出をする気もなかったようだ。
当時すでにスマートフォンは海外ではそこそこ普及しており、SymbianとかPocketPCとかBlackBerryなんかの端末は結構海外のビジネスマンは使っていた。しかし日本ではいわゆる「ガラケー」のデキが良すぎてほとんど普及せず。シャープがWindowsCEを積んだW-ZERO3を出してたくらい(持ってた)。
で、2010年(追記:2008年の間違いだった、申し訳ない)ついにiPhoneが日本で発売。もちろん俺は買った。当時ソフトバンクの独占発売だった。よく知られているように、当時の論調は「iPhoneより日本のガラケーの方がずっと高機能」で、こんなものは驚異にはならないという話だった。確かにiPhoneはすぐに電池が切れるし、FeliCaも防水もワンセグもなし。文章のコピペもできないダメケータイだった。実のところ俺自身も使ってみて、こんなダサいものが日本の携帯に勝てるもんかと思った。しかしソフトバンクがiPhoneの未来イメージとシンプルで安い料金プランでガンガン攻めてきて、auやdocomoは対応せざるを得なかった。
まもなくシャープや富士通東芝、ソニー、NECなどが次々とAndroidスマホ発売。このあたりの大混乱の思い出はブコメでもよく見るけど、未だにどうしてこうなったんだと思わざるを得ない体たらくだった。iPhoneに対抗するためにキャリアがワンセグやFeliCaの搭載を求めたために、開発は難航。第一Androidの開発をしたことがある人なんていなかったし、そもそもスマホなんて作ったことなかったのだった。納期に間に合わせるためにやっつけて作ったソフトは不具合連発。一体何であんなもんを作ったのか未だにわからない、メガネケヱスと言われて1円でばらまかれたシャープの端末、まともに動いた時間のほうが少ないと言われたレグザフォン、ホッカイロスマホと言われ東京湾に在庫が沈められたと噂されたアローズ。この頃俺は端末の開発からは遠ざかっていたけど、何人が死んでるんだろうと思うくらい現場は悲惨だったようだ。
それでも各社はなんとしてでもiPhoneに抗おうと必死だったようだ。AndroidとiOSはほぼ同時期に出てきているんだけど、端末開発では若干iOSが先んじたが、実際のところ世界ではスマホのシェアはあっという間にAndroidがiPhoneを抜き去っている。しかし日本のAndroid勢はソニーエリクソンを除けば総崩れで、iPhoneを扱うソフトバンクへの流出が止まらない。まずauがiPhone4を扱うことに。docomoは当初ツートップ戦略というサムスンとソニーのスマホで推す作戦に出たが、それによってパナやNECといった古くから携帯を作ってきたメーカーが脱落。その後2013年にAppleに屈した。その契約は屈辱的な内容だったらしく、日経は「不平等条約」と書いた。専用の売り場を設けたりといったよく知られている事に加えて、一説によると販売する端末の3~4割がiPhoneでなければならないとか、iPhoneのために莫大な広告宣伝費を負担するなどである。未だに日本ではiPhoneが発売されるとauやdocomoがiPhoneのCMを流すが、あれにはAppleは1銭も出していない。全部キャリアの持ち出しである。彼らの強欲なやり方を告発した、「アップル帝国の正体」という本が出たのもこの頃だ。
結局の所キャリア各社はこの契約を履行するために、iPhone用のお得な料金プランや分割購入プランを作り、窓口でも積極的に売り込んだ。初期のAndroidスマホのできの悪さを見聞きしてきた人たちは一斉に乗り換えていった。キャリアはいままで苦楽をともにしてきた日本メーカーをあっさりと見捨ててAppleを推しまくった。この頃はAndroidの開発もこなれてきて割とマシなスマホを日本メーカーも作れるようになってきたが、もうキャリアも消費者も見向きもしなかったのだ。実際iPhoneは使いやすかったし、膨大なCMと提灯記事とキャリアショップのど真ん中で扱われたことで、もうスマホを買うことはiPhoneを買うことと同じくなっていく。
もうこうなるとiPhoneなしでは全くキャリア戦略は成り立たない。今に至るまでAppleと契約した屈辱的な関係を捨てることはできず、結局の所3キャリアはAppleの言いなりになって莫大な国富を貢ぎ続けた。まあ彼らのやり方がうまかったといえばそうなんだが、こんな事になってしまった国は日本くらいで、いまやアメリカをもしのぎ世界で最もiOSのシェアの高い国である。他の国ではiPhoneは一部の富裕層の持ち物であり、安くて高性能なAndroidスマホがとっくに主流になっている。iPhoneはそのCPUを除けばもうすでにイノベーションからは周回遅れであり、中国メーカーの作るAndroidがいまや先端を突っ走っているが、日本ではなぜか多くの人がiPhoneを最先端で最高性能と信じ続けた。
結果として、この給料のまるで上がらない国で、値段が上がり続けるiPhoneは売れ続け、日経が「最新のiPhoneは日本人平均給与の6割」という記事を書くまでになった。まあ別に何を買おうと勝手なのだけど、貧困女子といったタイトルがつく報道でカップラーメンをすすっている人が持っているスマホが、10万円近いiPhoneだったりするどこか歪んだ社会になってしまった。最近も同僚から「家族みんなでiPhoneを買い換えるので40万かかる」との嘆きを聴いた。OPPOあたりにしとけば全員分買っても10万で済みそうなのだが、その選択肢は彼らにはない。
とにかく日本のキャリアは総務省の顔色を伺いながらiPhoneを売るだけのAppleのポチになってしまった。auもdocomoも傲慢な連中だったが(もっと言えばNECもパナもry)、Appleはそれに輪をかけて傲慢でクズな会社である。彼らが電気電子産業が壊滅した焼け野原の日本から、ケツの毛一本までも利益をむしり取っていく現状は悲劇としか言いようがない。一社が支配的な力を持つ市場はろくなことにならないという証左であろうが、もっともそのクソに完膚なきまでに負けたのも我々である。ほんとすみません。
俺は岐阜のS社の研究所と虎ノ門のDDIポケットの本社を往復してた時代から、百花繚乱のごとく日本の携帯が咲き乱れた黄金期を生きて、それらが全部Appleになぎ倒されていく歴史の中に身を置き、どうしてこうなってしまったのか、どこでどうしたら良かったのかと今も思う。しばらくはiPhoneに使われる部品も日本製が多かったが、今や台湾や韓国にも負けてしまった。スマホのCPUを作れたのはルネサスだけでそれも一世代で消滅。メモリも液晶もだめになって、今やNANDとMLCCくらいか。最終製品を失った日本にもう一度半導体をと言っても虚しく響く。
23歳でほぼ天涯孤独っていう人間、どのくらいいるんだろうか。
多ければ多いほどこれが普通で、当たり前ということになる気がする。まぁ間違っても自分だけではないと思うし、それならまあギリギリ普通にカウントしてもいいのかな。当たり前ではないだろうけど。
16で母が逝った。悲しむ暇なんてなかった。
母の元同僚の方などに手伝ってもらい、高校も少しだけ休んで、処理をした。
祖母は生きていたので、祖母と書類上の親子になった。馬は合わなかったが、未成年の間に肉親が完全に居なくならなかったという点では非常に感謝している。それに、高校に寮があったのも幸いだった。
しかし合わないものは合わず、高校卒業と同時に就職して逃げ出した。
祖母の距離感の押し付けが苦しくて、せっかくの休暇で消耗するのが嫌だと、実家に関する全部に対して見ないふりをしているうちに祖母がとうとう認知症になった。
地域の支援センターみたいな所から連絡が来て、デイサービスで支援してくれていると言われた。
会いに行った祖母は酷く痩せていたし認知症の症状はありありと見て取れたが、うまく悲しむことができなかった。少し罪悪感があったのを覚えている。
その時支援センターの人から、連絡の取れる親族は自分しかいないからと終身型老人ホームの選定についての話をされた。
まぁ曲がりなりにも就職まで世話になったし、自分がやるべき事だろうと思って仕事の合間を縫って探していた。
同時期に3時間程しか眠れなくなり、病休を取る事になった。休みつつも探していかなければ、と遅々としたものながらも自分にできることをやっていたつもりだった。
支援センターの方から連絡があり、今まで音信不通だった叔父と唐突に連絡が取れたため叔父が全ての処理を行ったと連絡が来た。
自分は叔父の連絡先も知らないし、祖母は恐らく携帯電話を充電していないため、この時自分は明確に「1人になってしまった」と思った。
自分はどこで間違えたのだろうか。
自分がもっとしっかりした人間に育っていればこんな背景関係なく、普通に過ごせていたのだろうか。
自分が発達グレーでなければ、もう少し周囲に助けを求めるのが上手かっただろうか。
自分がもっと自分のことを好きであれば、何か変わっただろうか。
親がいない人なんて他にもいる。
実家がないも同然の人なんて他にもいる。
発達グレーゾーンで苦しんでいる人なんて他にもいる。
自己肯定感が低い人なんて他にもいる。
全部自分だけじゃない。
その人たちだって生きている。
悲しみや苦しみのキャパシティは人それぞれだと言うが、自分は遥かに人より弱いのだと思う。世界で1番心が弱いんじゃないかとさえ思う。だから自分はダメなのだ。こんなになってまで、未だに交友関係の続いている相手が少しでも悲しむから、怒るからという理由で死ぬこともできない。
この文章自体、言い訳と自己保身のために書いているようなものだ。誰にでも訪れる可能性のある苦しみを「でも」「だって」に使いたいだけだ。そうしないと耐えられないくらい弱いから。
どれだけ仲のいい友人だろうと、どれだけ頼れる上司だろうと、結局のところ何の拘束力もない他人だ。本当に困って思い悩んだ時に相談する相手は、今はもう居ない母以外思いつかない。そんな無責任な甘え方をしていいのは、母しか思いつかない。それにしたって母にとっては傍迷惑な話だろうけど。
その割に一丁前に寂しいという気持ちだけあるから笑ってしまう。自分自身のことはもうどうでもよくなったはずなのに、人と話して、遊んで、必死に明るく楽しい自分でいることに執着している。