2024-01-17

29年目の1月17日に寄せた駄文です

ほんとは仕事更新しているXアカウント投稿しようとして書いてたんだけど、すんでのところで思いとどまった

阪神淡路大震災が起きた時は関西学生をしていた。生まれて初めて経験した大災害。当時はまだ携帯電話が普及していなくて、1週間経っても連絡が取れない同級生がいた。原付に有志で箱買いしたカロリーメイトを積んで、仲間の1人が彼を探しに大阪から神戸に向かった。区内の小学校を何か所か周り、ついに同級生の無事を確認。そしたら彼は、遠いところ来てくれてありがとうねぇ何もないけどこれでも食べてって、と言って救援物資を渡そうとしてきた。「断るのに往生したわあ」と一人捜索隊の彼。

当時は避難所運営ノウハウもない頃で今とは事情が違うけど、救援隊を気遣う言葉をかけたり食べ物を分けてあげようとしたりという話は能登からも聞こえてくる。時代場所が違ってもお互いを気遣う優しい人がいる。

震災経験して、精一杯の1歩を繰り返しながら作ってこられた神戸復興の道のりが、能登未来を照らす光となりますように。

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