はてなキーワード: 感情移入とは
この作品の作者は基本的にはタイムリープと人の人生を変える、救うという組み立てを使いたがります。この起源を求めると際限がなくなりますが、とりあえずのところ『シュタインズ・ゲート』に求めることができると思います。多くのタイムリープものが変えることによって世界を悪化させるのではなく、変えることによって人々を救うという物語になりがちです。そして、この究極的な選択がすべての人間を救う、という選択肢でした。この前例として宮崎駿の『風の谷のナウシカ』などが思い浮かびますが、宮崎駿自身が悩んで重苦しくなったテーマをそうそう扱えるはずもありません。聖女が一人で世界を背負う、その行く末に待ち受けるのは、聖女の自己犠牲にほかならないからです。実際作品はVivyの犠牲によって世界が救われています。ちなみに宮崎駿はこの悲劇的な終末を原作、映画ともに避けています(ナウシカは戦う女であると同時に、正常な自尊感情と他者尊重の感情が成長によって獲得された人物であるという立場からだとは思います)。
世界のすべてを救うというテーマの割に、Vivy自身が「心を込めて歌う」ことに最後まで躊躇があった、あるいは無理解があったという点で感情移入のファクター一つが阻害されました。彼女はあくまでも人間に近いなにかであったという点で突き放されてしまったのです。第二に、視聴者に伝えるべき人物がダイジェスト扱いだった点が挙げられます。早々と空港で爆死してしまうモモカ、長い人生の経過を博物館とのやり取りで済ませてしまうVivyとマツモト博士(以下、オサム)。特にオサムに至ってはうディーヴァとして保管されていたVivyに恋愛感情を懐き、やがて悩みの時期に入ると母代わりになり、そして自身も伴侶を得ると良き人生の相談相手となる非常に重要な役割を持った人物でした。しかし肝心のオサム登場回は二~三話程度です。実際のところ作者がどう泣いてほしかったのかといえば、このもっともVivyを愛している人物に事実上の自死を強要し、またオサムのなすべき全AIの停止を命じなければならなかったところです。二者択一の苦しみの中にオサムはあったということですね。しかしこれはあまり上手に伝わっていません。個人的に別所で24話構成にすれば解決しただろうと書きましたが、おそらく根本的にそういう問題ではありません。
この内メインとなっているのはエステラやオフィーリアといったAI対AIのあり方に関するものです。これはいわゆるSF的な考察ではなく、人物相関として見るべきものです。AIとAIが関わるシーンが多いにも関わらず、Vivyはその他の人間も救おうとしています。こうなるとどうなるかといえば、人間と同類のAIに感情の殆どが持ってゆかれ、かつ最重要人物のオサムのエピソードが不十分になるばかりか、トァクの背後も語りきれなくなる、ということです。しかし作者的にはAIがインフラ以上になってしまった世界を描きたかった節も感じられます。でなければAIとAIの関係性をメインにもってきません。そればかりかAIを狂わせ、利用しておかしな世界にしているのは人間であるという業も人間側に押し付けています。これはつまり、AIという善悪を取り払った像から人間という醜くも美しい存在を浮彫にしたかった、という心象が背景にあると見てよいと思います。
この場合、AIとAIの物語である、という構造を減らして、人間とAIの関わりを増やすべきでした。なぜならVivyは最後の最後まで歌うことに対して逡巡していましたし、人間とAIの関係のみならAIと敵対する人間、支持する人間、利用しようとする人間という様々な角度がより深く追求できたはずです。さらには人間との関係性や対話が濃密であればあるほど視聴者はVivyの成長も理解できるようになります。
Vivyは物語の中である絶望感に襲われて、具体的には冴木教授の自殺によって一度フリーズします。この現象は上述の項目にかかっています。すなわちVivyはAI対人という構造で人を救いたかったわけではなく、全人類及びAIすら本心では救いたかった、というものです(他所ではモモカの死が重なったされていますが、話の根幹から切り取ると作品の意図としてこうなる、という話です)。Vivyは常々手の届く範囲は全て救おうとする存在でした。したがってVivyは無機質な感情を持つアーカイブのみが理解できない存在であり、その他のシンギュラリティを達成しているAIに関しては人間と同様の扱いに終止していました。これは作者の意図によるところです。作者は最初からVivyを聖女に仕立て上げたかったわけで、大きな風呂敷の中で終盤を終わらせるつもりだったはずです。その中身こそが「全てを救いたい」というリゼロでは成立しにくかったテーマです。もっとも結果として人間を選択してAIを切り捨てていますが、この辺への苦言は終盤にてナビがフォローしています。
前述の人間対AIという構図を増やし、全てを救うのではなく苦渋の決断でAIを停止させるという感情面の描写がより鮮明に描かれるべきでした。これは本来オフィーリアとアントニオの事件のときに行われるべきでしたが、彼らの背後には柿谷が関わっていたため、純粋にAIの悲劇を描きにくかったように思えます。結局AI対AIという構図を減らしてワンクールで収めるべきでした。
実はメッセージ的にはやれることはやっています。例えば先程の人間の業故にAIは悪にもあるし善にもなる。それを処断すべき存在がアーカイブであったという話、オサムが二者択一及び悲劇的な立場にあったという話。AI反対派の柿谷がやがて孫の代になってVivyと協力するという大河ドラマも盛り込んでいます。聖女であるVivyがその使命を最後までブレずにまっとうするという面も全てです。むしろ盛り込み過ぎと言うべきでしょう。しかし逆に言います。12~13話は約5時間ですので、映画一本分と思えばやれないこともないはずです。ではどうすればよいかといえば、感情表現をすべてセリフで済まそうとするのではなく、シーンで伝えきる技術をより先鋭化すべきかと考えます。僅かな感情のやり取りだけ、沈黙だけで意図が理解できるようにすべき、ということです。もっともこれは監督の仕事ですが。
Vivyがあまりにも完全無欠の善人として描かれすぎているように思います。この時代のAIは少なくともシスターズに至っては人間レベルですから、人間のように不義に逆上する場面があり、その過ちを反省する未熟さもあってしかるべきです。こうした人間的深みの一部がVivyから欠落しているがゆえに感情移入の一つを失ったことは、すでに前出で言及しています。
リゼロとローリングガールズだけ知ってますが、たしかに関わったものを見るとサスペンス系が多いように思えます。かみ合わせ的にどうだったんでしょうか。脚本本数が少ないのでこれからなんでしょう。
SFサスペンスとしてSFの屁理屈や言い訳を物語を紐解く推理として捉えられる層と、物語全体の展開を見る層、キャラ萌えする層、旧来のファン層に分かれちゃったからです。わたしは上から二番目です。
いいんですよ。怪獣が四次元から投射されてるとか特異点自体が計算機になる理屈があっても。でもそれメインだと映像では厳しい。そこがすべての人は超楽しかっという。でも楽しんだ観点も間違ってないと思ってます。楽しかった感情までどうこうできる権利もないので。
原作改変したことでアニメ版を見た身からも途中が飛んだことがはっきりわかる印象に。
ハードSFらしいかったるい説明と、学者だけで全て済ませてしまう展開はどっかの小説で見た印象。小説家が脚本を描くとSFを使ったサスペンスに終止してエンタメを考えない悪例として刻まれたと思う。基本有川と銘だけが事件を解決してゆく形式で、ほかがおまけ、という雑な配分もハードSF小説くさくて正直ある意味では小説の作法を無視しまくってる。都合の良い狂言回しの人間を使い捨てて無駄に字数を増やすのがハードSFの作法に見えて仕方がない。加藤侍とかいらんでしょ、狂言回しにすらなってないし。SFの解説をサスペンスに仕立て上げる、という手法は古典SFで見られる手法だけども、映像分野に合わないんですよ。ずーっと地味なやり取りが続くだけだから。
ゴジラじゃなくても成立しただろ、という印象を受けた人が少なからずいたはず。
個人的には好きです。オールマイトからエンデヴァーに移り変わったあとの一戦も熱く、オールマイト不在の隙間を埋めてくれましたし、潜入捜査しているホークスや隠された能力に目覚める未だ成長途中のデクくんなど普通に面白さが継続できてるのが良い。今期はきのこがかわいかった。
前回よりも惰性で作っちゃった感じ。過去に思いを残した人々が精算し、狭っ苦しくて制限だらけの今に戻るという普遍的なテーマ。
SFカテゴリで見ちゃだめです。少なくともはてなでは。ただし物語としてはリゼロの作者だけあって過去改変や世界の変容をテーマ化していて、タイムリープものとしては(同一人物と遭遇するシーンの記憶がないのでリープかな)まあまあだったんじゃないかと思う。この作者の肝は熱血と涙にあるので、そこを受け取りたかった人は刺さったと思う。筆者はおっさんだし壮大なヒロイズムに自己同一視できるほど夢は抱いていないので、若い人が感動してくれたら宜しいかと。こういうナウシカみたいな壮大な世界を一人で背負う、ってことに聖女性を見いだせません。だって増田だってクズばっかなのに人を救いたいと思いますかって話。
ちなみに物語的になんで人を救いたくならないかって、Vivyとその周辺にいるのがAIばっかだからです。AIに対する人権とか、Vivyが苦しかった際に救ってくれた人間とか、そういう感情移入させるシチュエーションがない。だからVivyやマツモト博士が勝手に一人で戦って死んだ話にしか見えない。物語を作る際に思い入れる「環境」を作れてない。Vivyが救うトァクのメンバーの実情もスピンオフにしなきゃならないほど語られない。そんな意味では24話構成にしてもいいくらいなんだけど、削りながらでももっと感情移入できるキャラを増やせたとは思う。トァクなんて敵対してただけなのに救いたくないですよね、あんなもん。感情移入と逆のことやってんですよ。
仕組みに振り切るのか、人間ドラマに振り切るのか作者も配分に頭を悩ませたんじゃないかな。
ぐちゃぐちゃ言ってますが悪感情はないんですよね。ただ佳作感しかないというか。
途中まで見て予約がかぶって潰れちゃったのでそのまま放置。このすばよりパワーダウンしてるので見逃してもいいかな感しかなかった。なんかぼんやり見てても頭に入ってくるタイプじゃなく、他のことしながら見てると頭に入らなかったのでそれもまずかったなと。要するにこのすばを期待した層をある意味で裏切った感じがするというか。ほんとよそ見しながらなので的はずれなこと言ってる可能性あり。
ダークホースじゃないか。とぼけたドラゴンと飄々とした魔王、アホの姫が物件を買い求めながらじんわりと旅する。騒がしすぎないのもいい。力を抜いて見られるコメディで、深夜アニメの本道だと思う。
単なる男子よしよしアニメかと思いきや、実は子育てアニメだった件。誰もが途中で「あーもういいからやっちゃえば?」と思っただろう。でも実のところ、このアニメは男のナイト気取り欲求を満たす効果を持っていて、安易なヒロイズムに酔いやすいやつがハマるアニメの一つだと思います。普通はあんな女子高生みたらヤバそうだから関わらないほうが良さそうだ、という思考が最適解として頭をよぎります。
ちなみに、ヒロインがエアーズロックもまっぷたつに割れるレベルのブスだったらどうするんでしょうか。これはもう無理でしょう。成立しません。何が成立しないかって、物語的にブスでも通用するかってこととルッキズムは別問題だからです。
国の上層部が作り出した金剛鉄兵と、別に組織された零機関。そして物語中に挿話される舞台、サロメなど。これらの話はキャラクターの背後にある一人の女の話に絡んでいて、デフロット君と前田義信の奇妙な縁など明らかになる。
丁寧な作りなんだけどいかんせん小粒な感じがある。サロメや他の挿話を十全に知らないと理解できない気もする。原作知ってる人なら言いたいことが山ほどあるんじゃないだろうか。
天スラはキャラが楽しいので日常系に耐えうるのもわかるものの、延々とやられると中だるみするんだなという話。
マインが司書やるあれの空気感をなんとなく感じつつ視聴。かなり王道少女漫画的で、イケメンのあれと仲良くなってゆく過程でうつむきながら逃げ回るなど、まあそりゃ受けやすいと思います。ただしひねくれた女子以外。イケメンに気に入られない自分と比べてしまって辛いらしいね。なんでそんなところに自分が登場するのか謎ですが。おっさん的にはありだと思います。
地味だけど今期で一番人情に振り切った作品じゃないかと。時代劇を意識した作り、子連れ狼などのモチーフ、復讐と許しの葛藤という普遍的テーマ、古典的ながら骨太だとは思います。ただ、名作かって言うとそうじゃなくて、今となってはなくなった形式を今やってみたという作品かと。
中身がニコニコ、旧2ch的。ヤンデレとクズ、陰謀家など嫌な感じのキャラをやり尽くしてんだけど、嫌な性格って実はテンプレ化しやすいな、という印象。話自体はおバカ系なんだけど、それ以外に感想は出てこない。エンディングの「だいだいだい好き」の部位はおそらく「Die」だと思います。
なんか良さげだと持って見始めたら、作者が炎上して延焼すらせず燃え尽きて終了した悲惨なアニメ。二次絵もどういうわけか自分の周辺では見ません。渋のランキングにもあまり見なかったような。中身も深みがありそうでなにもない作風で、原作の文体も正直うまいとは到底言えない文章力なので、「増田カブ」というふざけた二次創作がはかどりました。これは単なる雰囲気アニメでしょう。礼子と小熊がでかいカブを引っこ抜いて、や~ん大きい、などという下らない同人誌が出ることを期待しています。あと、恵庭が嫉妬のあまりコーヒーのプールを作って小熊の殺害を企てるエピソードも見てみたいですね。
うーん。安定しちゃったかな。はっちゃけてほしかったですね。メディアミックスとかスケベ心が出たんでしょうか。
普通です。面白いともつまらないとも言えない。リーゼントの回くらい毎回ふざけてほしかった。
見た。普通。例のヒールみたいにエロに振り切っちゃったほうがいいのでは。
メタネタやパロディが減りすぎててあんまり。もともと大人用じゃないのだな、という厳しい現実がのしかかる。
ロジックが画作りと構成に追いついてない。キャラ原案がありむー岸田メルなんだけどまるで原作絵を再現するつもりがない。やりたいことは明らかにまどマギ系やゆゆゆの類似品。駄作だったアサルトリリィ以下。こうなると何がやりたいのかわからない。低予算が透けて見えるのが悲しい。
この系は絵面さえ良ければだいたい面白いと相場が決まってんだけど、これは本当につまらない。前回の魔女の旅々を思い浮かべたり、その他日常系を思い浮かべるとその退屈さに驚く。退屈なのに驚くってどういうことなんですかね。
もう一つのVivy枠。作者に失礼なんだけど、多分原作の方はもっと悲壮感溢れる感じなんだろう。
日本人の大好きな悲観的なメロドラマで、みんなと心が通じてるのに世界のシステムが許さなくって、という内容。ちなみにこれを男女の恋愛に置き換えると不倫ものになりますし、断絶をボーイ・ミーツ・ガールに置き換える事もできます。ロミオとジュリエットがその原型です。そして断絶と死はとても相性がよく、実際レーナさんたちと86スピアヘッド部隊は出会えません。あとはそれにハマるかどうかという話です。
一話だけ。これは糞だなと思ったので取りやめに。SFとしても中途半端、少年漫画としても王道を履行しすぎてなにもない。
画作りがすごい作品。まあ、あの人監督なら当然でしょう。内容はびっちり西尾節なのでそれ以外に感想はない。やってることが怪異か普通の探偵かの違い。
新宿スワンの作者なのでヤンキーバリバリになるのはやむを得ないでしょう。ただ、キヨマサくんの本物感は声優ともどもよくできてんなと思います。他のヤンキーがいなさそうなのに、あれだけ田舎にいた感じというか。たちの悪そうなボス感もよく表現できてますね。マイキーくんは完全に創作です。あんなヤンキーもいるにはいますが可愛がられる立場で、トップはったりしません。せいぜいトップの腰巾着です。そして連絡係程度のチビは背後の権力を傘に来て偉そうな態度を取ります。なんでそんな事知ってるかって、もともと田舎者だからです。
タイムリープものというより、キャラものとして見るのが正しいかと。なぜなら彼女だけでなく、ドラケンとマイキーの二名に死んでほしくないタケミチ、というラインがしっかり描けているから。
原作よりわかりやすく、かつ原作を踏襲してるのでおすすめ感はあります。ただ原作は大作感のある無味乾燥とした物語なので、見続けることによって激しく感情を揺さぶられるとか、涙が流れすぎてトイレの便器から離れられないといった現象に見舞われることはありません。それはまあ、二期三期と続けてみればこの意味がはっきりわかると思います。作者が感動させに走ってないので。フシというサーガではなくフシという歴史を通した群像劇という立場なんでしょうね。
もうこういうのはいいかなと思ってさっさと切った話。一話目も覚えてない。むしろ見たつもりで見てないかもしれない。
まあこういうもんでしょう。だって他になんか言うことありますか?
単なる雰囲気アニメと言われた一期ですが、二期も割とそうです、ただし、音楽、美術センス、造形どれをとっても渋くて、昭和テイストを残しながら現代的という良い意味での線引を果たしている佳作だと思います。エンディングテーマのマリアッチを思わせる歌声は郷愁を誘います。OPのベンチャーズ的なギターサウンドも良い。肝心のボクシングシーンがしょっぱいと言われた前作ですが、少し改善してます。むしろボクシングを通したジョーの人生を描く作品なので、ボクシングシーンこそおまけかも知れません。
追記:NOMADはノマド以外に「俺はマトモさ」という意味が込められていると思います。
実は零と同じ轍を踏んでいる作品。要するにストーリーの骨組みはちゃんと考えてあるのに、舞台が同じ場所の繰り返しだったり、キャラが多い割に話に広がりがなくラスト二話程度で一挙に情報量が増えるという、昔のアニメにあった悪いパターンが戻ってきている印象です。舞台と勢力、そして敵と味方両方を映し出すだけでちょっとは面白くなったことでしょう。
視聴者をお舐めになってるのでしょうか。
久々に俺節風の人間ドラマが見られる傑作かなと思いきや、いきなりトーナメント化してしまい、某カルタ漫画か! と手に持ったバチを画面に投げつけた思い出。いえ、実際には投げつけてません。三味線持ってませんし。ハイセンスなお母様の全く方言が抜けきってないのはやりすぎじゃないだろうか。自分の音を鳴らせ、じっちゃんのコピーになるなで終わったので二期あるんですかね。
これですね、個人的に好きなんですけど増田でボッコボコだったのでまあいいかなと思って書きませんでした。個人的には見れば面白い類で、キャラに馴染みが必要なので1期からおすすめしたい感じ。トリックスター役の凜雪鴉(リンセツア・鬼鳥)の奇っ怪さが今作の面白さの一つだと思ってる。どうも虚淵玄って名前出すのがいかんらしいですね。
地方でAT-Xに入ってないんです。おわかりください。ちなみに超絶低速回線です。お察しください。
うーん。この手のいわゆる勘違い成り上がり系って80年代からあって、ある意味では普遍的なものなんだよね。でもこの入間くんはその古典芸を古典芸としてでしかやれてなくて、一期の一話目から俺は真顔で見ました。終始真顔でした。それでも頑張って一期の4話まで見たんだけど、どうしても真顔でした。これは二期も真顔に違いないと思ったので見ませんでした。
幼少期編……三浦先生も死んじゃったのにこっちも酷い扱いにしてはだめでしょう……。
中島かずきの脚本で、ガイナックスを忘れられなかった中村が再びガイナックスをやりたがった作品。この人のテーマ性はBNA以外、底辺の場所から天を目指す、という部分に集約されていて、そのモチベーションが「人の持つ無限の希望」にある、と本人の中で解釈されてんですね。しかしこれって彼の最も得意とするところなので、ある意味最も保守的な作品になっちゃった感じがします。細胞の一部っていう仕掛けもありきたりでもありますし。
用語が超わかりにくい。あとコンテの構成(シーン)がバンバン過去と現在を交差しまくるので今何が起こっているのか飲み込みにくい。カメラワークと効果音と演出などは映画風で大変高度だとは思うんだけど、とにかくわかりにくさで損をしている。メモ取らなかったのを後悔しました。絵は美しいし、中国がアニメの本拠地になりかねない別の意味での恐怖を感じさせる作品かと思います。
これ面白いんだけどアニメは知名度ゼロ過ぎて悲しい。基本的に作りは古いです。何しろポストアポなんちゃらで少女漫画のSF黎明期の匂いを強く残している。サバイバルといえばさいとうたかおのサバイバルや自殺島などでも既出なので新規性もありません。ただ、女性作者ならではの繊細な人間関係の描写や、ほんの些細な出来事から気づきを得て成長してゆく姿は、無人島生活ものと相性がよく飽きにくい構造かと思います。作者の目線に人間の身勝手さを越え、人間の暖かさを信じる気持ちが伝わってくる点も良いかと思ってます。
これ語っていいんだろうか。なぜなら1期見てないから。この期に限って言えば運営側の陰謀と陰謀に立ち向かいながらも自らのアスリートとしての矜持を貫こうとする女性たち、という組み立てで、よくよく考えると一番フェミ枠なんじゃあるまいかと。やんなくてもいいのに時代に機微な気がします。なぜならおそらく一期はそういう作品じゃなかったであろう予測がつくから。
ともかくね、尻がエロい。それだけですよ。尻のために全話見るのが正解です。
「おっさん趣味の女子高生」とか、BLで「女でいいじゃん」と揶揄されるような妙に「女っぽい」受けとか。大半の読者は「わかる~~!」「こいつは俺!」と感情移入しているのであって、「都合よく自分を受け止めてくれる異性」として見てる人なんてほとんどいないと思うよ。
「感情移入」というか「自己との同一視」と、「性的対象」が両立するというのが、フィクションを性的対象とする人々の文化の特異性の一つなんだよな。
異性のキャラクターへ感情移入したり、同性のキャラクターへ性的惹かれを感じたり、または感情移入と性的惹かれに密接な結び付きを感じたり、と言った、トランスジェンダー、ホモセクシュアル、オートセクシュアル、デミセクシュアル的な受け止められ方が、存在するという以上に、何なら主流になりつつすらある(マイノリティ当事者として、というよりも、大衆の傾向としてスペクトラムへ流れつつあるという意味で)ことを無視して、「観客は同性キャラクターに感情移入して、異性キャラクターを性的に見ている」というシスヘテロ的な発想と論理だけを前提に組み立てられた「批評」にはいい加減うんざり。
なりメはかなり若い時に1、2年ほどやっていたのだが、リアルが忙し過ぎてやめざるを得ず、そこからゆうに10年以上経っていた。
もう一度やってみようと思った理由は色々あるけれど、一番は彼氏がきっかけだった。
女心をこれっぽっちもわかっちゃいない、釣った魚には餌もやらん、セックスは自分本位で全然気持ちよくない、こんな歳で新しい男なんか作れない。
もうリアルの男はダメだ、やつらでは私の心は満たされない。もっと、心ときめく何かが欲しい。
そうして私は意を決してなりメの世界にもう一度飛び込むことにした。
結果、ずぶずぶに浸ってしまってまた別の悩みに頭を抱える事になるのだけれど。
活動ジャンルは創作BL。版権モノは元となるキャラをそういう対象として見る事ができなかった。
それに、キャラは見た目だって性格だって自分の思い通りに作れる。自分の理想を詰め込んだキャラに自己投影できるのだ。
リアルの不細工な見た目も、重ねすぎた年齢も、キャラというアバターで全て覆い隠せる。
これが最高に気持ちいい。そして何より、他の人が生み出したキャラに愛してもらえる。
キャラ達によって愛の形は様々だ。束縛したり、嫉妬したり、イチャイチャしたり。そのひとつひとつが尊いのだ。
自分が生み出したキャラが他の誰かが生み出したキャラと二人だけの物語をメールでコツコツ積み上げていくのが好きだ。
腐女子界隈ではポピュラーだがイメソンなんかを考えるのも楽しい。
全く意識してなかった相手と結ばれたCPには椎名林檎の幸福論、ベタベタのバカップルには平井堅のPOP STAR、片思いや悲恋からくっついたCPにはMrs.の青と夏などなど…選曲古め?BBAだからな。
メールなので、LINEみたいに既読や返信時間を気にすることなく自分のペースで返事を返せるのも私にとってはありがたかった。
それは、相手によっては長く続けることができないことだ。
復帰してから最初にやり取りした人とは1ヵ月半しかできなかった。それでも長続きした方だけど。
理由は相手のリアルが忙し過ぎてやり取りができなくなってしまったからだ。
ロールプレイだけでなく、展開相談やちょっとしたやり取りにも誠実で本当に愛してもらえてると感じてしまうほど素敵な人だった。
あまりにも感情移入しすぎて、お別れメールが来た時にはワンワン泣いて3日ほど引きずった。
こんなふうに連絡をくれるならいいのだけど、大抵は無言で連絡がつかなくなる。
そりゃ、やり取りしてみたら私と相性が良くなかったなんてこともあるだろう。
それならそれでいい。でも、待って待って待ち続けて、その果てでお別れを悟るっていうのは悲しいものだ。
私は元々Mっ気が強い+抱かれている男に興奮するという性癖を持っているので、受けをやりたいと思ってしまう。
しかしこの創作BL界隈、女性ばかりということもあって受けの競争率がものすごく高い。やはりイケメンに抱かれるのが好きなのは女の性なのか。
体感、創作BLプレイヤーの割合は攻め1割受け9割くらいだと思う。
攻めが募集している記事に応募しても、返事がもらえる事はほとんどない。
私はなりメを再開してから20件近く応募しているが、返事をもらえたのは2件のみだ。どちらも1週間経たず音信不通となったが。
少なからず想いを込めたキャラが20人もボツ送りとなるのは心が痛い。
1件は感情移入しちゃうほど入れ込んでた人だ。もう一人も短期でのやりとりだったが、ちゃんと最後まで続けてくれた。
募集の方がいいじゃんって思うじゃん?
どっこい募集するには掲示板を利用するんだけど、その掲示板の利用規約によっては一定期間募集の更新ができなかったり、複数の投稿を禁止されてたりする。
数撃ちゃ当たるができないのだ。当たり前だけど。そんなことしたら受けの掲示板1日で倉庫行きの超激流になってしまう。
というわけで、リアル恋愛に見切りをつけてバーチャルな恋愛に現を抜かそうにも上手くいかず、それはそれでストレスをため込んでるのが今の現状だ。
各所絶賛ばかりなので、日和って増田にて感想を書かせていただきます。
2.5の経験がほとんどないので、今まで見たことのある普通のお芝居と比べちゃうんですけど、どれもこんなもんなんですか?
とにかく見せたいシーン・必要なシーンの切り取りが続いていくだけなので、感情移入がしにくいです。
黒と黄色を基調としたスタイリッシュな世界観を貫いているのはよくわかったのですが、いくらなんでも無味乾燥としすぎてるやろ...。
感染症対策で公演時間を圧縮しなければならない都合もわかってます。
にしても、あまりにもシーンとシーンの間に間がなさすぎて、感情を落とし込む時間がないです。
皆さんよくご存知ですよね?脳内で補完してね?っていう。客の事前知識に頼りすぎじゃないか?っていう。
それは演劇としてはどうなんでしょうかね。
照明で工夫するか、持ち道具かセリフでわかりやすくすることできるはず。
まーでも説明的なセリフ入れたくないんですよね?わかりますけども。スタイリッシュにしたいですもんね。
スキップがアッシュにとって大事な存在であるという表現が全くないので、悲しくならないしどうしてそこまで怒るのかも伝わってこない。
ショーターも同じく...。
終始そんな感じが続きますので、そんなつもりで観に行ってください...
自分から前のめりに乗っかっていく感じで観てください。原作から感情を補完しながら観てください。そしたらいけると思う。
ていうか、役作り、アニメに寄せすぎじゃないですか?
みなさん頑張ってるのがよくよく伝わってくると同時に、技術が拙いかたの拙さがこれまたよーく伝わってきちゃって辛い。
早乙女友貴さん、新感線の舞台でお見かけするときはアクションもできて演技も良くて...なのですごく期待してたんです。
今作は滑舌もよくないですし、ちょっと一本調子でよくないです。演出家が違うとこうも差が出るのかと。
劇団☆新感線とチケット代同じですもん。(新感線のが安い場合ある)これじゃあいけないですよ。
2.5って顔なんでしょ?イケメンにお布施しにいくんでしょ?って言われちゃいますよ。
いや、本当に私、ものすっごく楽しみにしてたんですよ。
深みのある芝居を、生と死の手触りを感じる芝居を2.5に期待した自分がおかしかったんですかね。
イケメンを見てきゃーっていう、推しメンが3次元に降臨したことだけを喜ぶもんなんすかね。
弾着(銃で撃たれたほうの人の火薬が爆発する表現のこと)もなかったし、流血もなかったし、なんかずっとみんな綺麗なまま終わった。
最後の対決でアッシュのTシャツが徐々に赤く染まってくくらいの表現ないと死にそうなの全然伝わってこなかったです。
アッシュのTシャツ、マジでずっと真っ白だったよね???最後まで白すぎてびっくりした。
こういうの作ってる側の人の目に入ると落ち込むのわかってますけど、こちらもお金を払わせていただいたので絶賛する自由も批判する自由もあるよねということで書かせていただきました。
寝取る側に感情移入してる層もいるんじゃないの
メンタルが完全に死んでいるので、手短にかく。
https://note.com/kinghalo_dl/n/n939546088687
へのツッコミ。
前の記事はこちら。MPL終了の記事の読み方を書いてる。ここの内容と被るので別の読まなくていい。
各所で突っ込まれてるけど、この背水の逆転劇、とりあえずゲームの素養がない人には何やってるかわからないよ。
少なくともブロッキングのシステムがわからなければ、このシーンでウメハラが高度なことをやってるかどうかわかんない。自分の母親にこれ見せて理解させられるかって考えてみ?
TVでこの動画が紹介された時も、ブロッキングについて説明してたぐらいなんで非ゲーマーが一目見て分かるものじゃない。
実際、オタクが分かると思ってるこのレベルのスーパープレイでも「わからない」んよ。というか、スポーツのスーパープレイも多くがそう。流石に格闘技とかになると派手なものはわかるだろうけど。
あと、挙げられている紙のハイライトシーンはそりゃわかんねーだろーって思う。カード名挙げないといけない時点で難しいよ。
俺はMtGを長くやってるので、あんま知らない人向けのハイライトとして挙げるとしたらこの動画か。
https://www.youtube.com/watch?v=4t0pzLnSWw0
ざっくり説明すると、プロツアー準決勝で敗勢に追い込まれたプレイヤーが、勝負をかけるために自分のリソースをオールインし、次の手番で引いたカードで見事勝利をつかむというもの。
最後に勝敗を賭けたドローで引いたカード名、彼がこの勝利で得た賞金からとって「$16,000 Lightning Helix(1万6千ドルの《稲妻のらせん(カード名)》)」ともいわれるこの動画は、引いたカードで劇的に勝利を収めるという点ではわかりやすいとは思うが、これもカードやってない人にとってはまあわかんねえと思う。
ここが大きな突っ込みどころなんだが、別に失敗してないよ。定義とやらが間違ってる。
MPLっつーのは、これまでMtGが採用していた、プロツアー、グランプリのような個人スポーツライクなプロ興行(参考にしたのはテニスかゴルフあたりだろうか)をやめて、デジタルゲーム界隈でやってたプロ興行のシステムに移行したもの。
今回の発表ではそれをやめ、コロナが終息し次第、段階的に以前のような実イベント重視、デジタルはその次って方針に戻すって話。(店舗イベントを重視するって声明が出ているので、加えて小売へのサポートも厚くなると思う)
やめる理由ってのはおそらく以下。
MPLってのはリーグ戦であり、勝ち抜くにはアベレージを求められる。2日間一発勝負のこれまでのプロイベントとは違う。
なので、安定して勝てるデッキが選ばれがちで、プレイヤーから見ていてあまり面白いものでもなかった。
デジタル化で環境で強いデッキが見つけ出される速度が上がっている中でこの状態は、見世物としてはかなり厳しかった。
ショップはイベント自体の開催やブース出店で儲けてた分をコロナによるイベント中止で失うことになった。また公認の店舗大会も開けずシングルの売れ行きも下がっただろう。
これ自体はMPLが原因ではないけど、小売からは薄くなった販促施策や店舗サポートに対して不満が出ただろうし、コロナで体力のなくなった多くの小売を無視してMPLを継続するって選択肢は無かっただろうと思う。
一応MtGは紙とデジタル両輪でやってるので、紙のほうはコレクター向け商品を出す施策に切り替えたんだが、これも小売りにはおそらく評判が良くなかったと思う。ショップは機会損失を減らすため複数バージョンある同名カードを在庫する等、以前より在庫をかなり持たないといけなくなった。
体力のある大手ショップ以外はかなりキツいんじゃないだろうか。
WotCはここ10年ぐらいで、大型イベントの運営を大型ショップに委託、認定ジャッジ制度の外部組織への切り出し、などなど、イベントについては運営に直接関わるのを止めサポートに回る、というような方針をとっていた。
そんな中、世間の流行に合わせてMtGのeSports化を発表!リーグやります!なんてことはじめたんだが、当然運営は紙のショップに委託できるわけないので、自社でやる羽目になるだろ。じゃあ、なんでGPの開催を外部に委託したんだ?意味なくない?ってなる。まともな企業なら。
自社でやる以上はかなり厳しいコスト管理や販促効果に対する評価が行われたと思う。そこでペイしないって判断になったんだと思う。
「カードゲームである必要性がないと考えます」で挙げられている理由すべてに反例がそこまでの文章に存在する。
書く必要ないよここ。
要は
「プレイヤーにスター性がないし、カードゲームって地味だし、なんかプロとか無理じゃね?」
って言ってるだけよ。
この文章読んで参考になるとか書いてる人マジ大丈夫か?ほんとに。
要はスター性のある選手って事よね。そう。カードゲームプレイヤーにはスターがいない。
認知度が低いのはそのせい。松坂桃李くんがMtGやってGP優勝すればとかあればいいんだけどな。
野球だって、人気のあった大学野球のスーパースターである長嶋がプロ入りするまではプロなんて全然人気なかったからね。
でも認知度が低いこととプロ化ができないことって、カードゲームにおいては別の話じゃない?
カードゲームのイベントは基本的に販促イベント。プロスポーツを模しているし、WotCも上位常連になるようなトップ選手が数名出ると予測はしていたみたいだけど、それで生活する奴が出るとは考えてもなかっただろう。
あくまで販促としてのイベントをやってたら賞金やらショップからの給料で食う「プロ」ってのが自然発生したってだけよ。
いわゆるスポーツの「プロ」とはちょっと違う。一般の人への認知度も重要だが、それがカードゲームのプロとしてどうかみたいなのは、ちょっと論点がぶれる。
少なくとも、MtGは強いからお金が稼げるシステムで回ってた。だから、そもそもここで書かれていることは的外れ。
スポンサー契約とか、まあショップとの間にはあるんだが、生活を支えていたのは、トッププロ向けにあるイベントへの参加報酬制度とかそういうやつ。
というか、この文章書いてる人その辺の事情全然知らないよね。一回「なかしゅー世界一周」とか通読したほうがいいよ。
https://mtg-jp.com/reading/worldswalk/
プロスポーツは、興行をとおして、観客を集めることが大事だし、選手にもそれが求められる。
でもゲームのイベントは、イベントそのものがそもそも販促目的。利益度外視とは言わないが、そのイベント単体での収支は求められないことが多い。
選手は高い技術のプレイを見せることのみが求められ、ゲーム会社はそのプレイを通して、お客さんにゲームの奥深さを訴求する。本気で遊ぶに足るゲームであると。
プロスポーツイベントってより、モータースポーツのイベントと自動車会社の関係に近いじゃないんかな。
とりあえず、80分ぐらいでここまで書きなぐったので、おわりにする。
突っ込み元の記事を読んで違和感覚えなかった人の参考になれば幸い。
(ネタバレあり)
〇大変満足。だけれども、やはり詰めこみすぎだったのでは。
〇戦闘シーンは文句なし。最後の三つどもえの戦いは、きっちり描ききったと思う。それで十分かもしれない。
〇3回泣いた。angelaは反則。
〇一方、日常シーンは、尺の都合かCGの限界か、原作ほど感情移入できなかった。冒頭や終わり、無理をいえばもう少しゆっくり見たかった。別のスタジオがつくる弐瓶作品(つまり、人形の国)も、正直なところ、見てみたい。
〇谷風のビジュアル変更は、熟慮の結果だそうですが、ちょっと違うんじゃないですかね。10年経って経験を経たら、ツルリとした方向には行かないんじゃないか。(他のキャラクターの外見に変更がないのは、そういう設定だろうか。)新エヴァのアスカは、説得力のある年の取り方をしていたが…。
〇演技の強弱に、受け手の問題かもしれないが、少し違和感があった。岐神海苔夫と艦長は、もちろんよかったですよ。山野稲汰朗も、素晴らしかった。
〇グランドシネマサンシャインのドルビーアトモスもよかった。6/10までらしいが、もったいない。立川シネマシティの極爆上映も、同じ感じなのだろうか。
〇Tシャツとピン、売り切れ早すぎ。どうしても欲しくて、新宿までいったが、ない。以前、BLAME!のパンフレットも売り切れで買えなかったんだ。これだけは許せない。再販希望!
そうだな「男が男に迫られると嫌な感じがする」というのは、あくまでも予想ならざるをえないが、女が好きでもなんでもない男に性欲を向けられた時に感じる不快感と同じではないかな。
たぶん脳の同じ回路を使ってるだろうし。
実際、現象としても同じだしな。ヒトのオスだったら、正直大抵のメスには欲情できるよ? しかし相手はオスであり、欲情できない相手だ。
だから、詳しく理由を説明をしたら、その説明自体が間違いになるような感覚があるよ。
お気持ちなんだよこれは。
「ゲイフォビア」とかいって、その感覚を文化的学習に回収させたがるやつはいるが、もっと生まれつき寄りの感情だと俺は思うね。
俺はボーイズラブ漫画も質が高ければドラマとして面白いので読むが、それでも「これは自分ではない」と
強いて感情移入を避けてるとこはあるね。