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はてなキーワード: 感情移入とは

2021-07-17

anond:20210717122053

反省」は具体の大きさなどより、精神を求める。

ほんとにそうかなあ。

日本でも他のアジア諸国でもだけど求められているのは反省可視化するための手続きだと思うよ。

精神の部分に異常にこだわるのは悪目立ちする活動家みたいな人だけ。

小山田が初めて謝罪文を出したことで禊と見做す人もいる。

パラに関わるわけではないとわかって落ち着く人もいる。

実際に精神の部分は関係ないよね。反省手続きが行われたかどうか。

その手続きが的はずれであれば手続きに対する批判が起こる。

元増田の「許す」についてだけど。

手続きとしての禊が済んだと見做すとか武士の情けとして温情をかけるとか「許す」とは関係のない受容がいくつもあるので、社会的には形式が重視されているんだと思うよ。

当然その形式を逆手に取る人は出てくるわけだけど、そこを追求しすぎても社会的利益がないという判断をするのが一般的な考え方だよ。これは形式的なものを受容することで、社会が罪を共有したとか内面化したとかというスタンスだろう。

ただし、直接の被害者は別。直接の被害者が心の中を整理する過程社会とは距離ができるのが当たり前。

被害者に過剰に感情移入する人は、社会に対する形式手続きを受容する性質がない。想像上の被害感情に基づいているのだから、追求することを延々と止められない。

加害者被害者に対してする手続き社会に対しての手続きは別のもの

被害者に対しての手続きは、社会に対する形式手続きを受容するかどうかの判断材料にもなる。

今回の小山田の件は被害者の声がまったく聞こえてこないので材料にならない。

パラリンアスリートパンこねガイジを一緒にするなよ

パラリンピックに参加するアスリートってのは、もともと健常者だったけどバイク事故か何かで片足失っちゃって仕方なしに別の生きがいとしてパラリンピック競技になるようなスポーツを選んだ名誉アスリートであって、人々の前で唯々諾々とうんこ食って全裸オナニーするようなパンこねガイジとは訳が違うし、なんならそういうのを笑って眺めていた側の人間たちだろ。パラリンピックに相応しくないだの、パラリンピック競技者は抗議や辞退をしないのかだの、沈黙賛同だの、全部ズレてる。そもそもパンこねガイジに興味ないっしょ。どうなろうと知ったこっちゃない。だってパラリンピック参加者アスリートから障害者って言葉に釣られて勘違いしがちだけど、パンこねガイジはパラリンピック出れないからな。まずルール分かんねーだろうし。だから五輪セレモニー作曲者が昔パンこねガイジをいびっていたとしても、昆虫を突っついて遊んでましたくらいにしか思わない。せいぜい、良い趣味とはいえないですね、で終わり。パラリンピックから云々なんて感想はないわけです。インターネットのみなさんがパンこねガイジに近しいから、感情移入しちゃって激高する気持ちはわかる。でもこれが現実です。はい。わかったらパンこね作業に戻ろうな。

anond:20210717013634

好きなことに文句言うんじゃねえよ

お前あれだろ、いじめられた側に感情移入するタイプのチー牛でしょ?

お前みたいな「○○やらかしたやつの作品は糞、それが好きなお前らも糞」っていうやつ、ひいては「○○という問題を起こしたとこに所属する人間全員同罪」って理論は見飽きたんだよ、ダボが

ってか同じでしょ?書いてる人、ねえ、いつかベルセルク作者訃報不謹慎ネタ書いた出版社漫画を一度でも書いたことあるやつは謝罪しない限り全員同罪って言ってたやつと

視野が狭いなぁ、感情で動くチー牛ってのは


顔真っ赤の再追記、おまちしてまーーーす♡

言いっぱなしは雑魚だよ?

【再追記に対しての追記

おいおい、俺は見ないふりかい

自分知識人のフリしてんじゃねーよチー牛

作品にも罪がある論を語る視野の狭ーーーーい陰キャラは核心をつかれたら見ないふりに精一杯なんだね!!

反応くれないとこれからお前と思わしい増田見つけては粘着ちゃうゾ☆

2021-07-15

100日間生きたワニを見た

結論から言うと、この作品は低品質タイプのクソ映画ではない。

しかに動きは少ないが「100日後に死ぬワニ」の作画としては妥当範囲内だ。

劇判がでかすぎるとかそういうことはなくちゃんコントロールされてるし、役者もさすが一流どころなだけあって違和感のある演技には感じなかった。

ただ良くも悪くも原作雰囲気再現された結果、演出に抑揚がなく多くの人はつまらないと感じるだろう。

63分の上映時間1900円のフルプライスをとってることに目を瞑れば、100ワニに相応な映像化といってよい。

ではクソ映画ではないのか?

これは紛れもなくクソ映画である

以下にその理由を記す。

個人的に、クソ映画は三つに分類できると思う。

一つ目は低品質ソ映画だ。

無駄に音がデカかったり音割れしてたり演技が棒だったり合成されたCGがショボすぎたりして興をそがれるタイプだ。

二つ目ストーリーが無なクソ映画だ。

主人公目的が設定されてなく、起きる物事カメラが追いかけるだけでただひたすら時間が経過していくタイプや、物語の展開の仕方が強引を通り越して牽強付会でぐちゃぐちゃになってるタイプなどだ。

三つ目が、原作破壊してるタイプのクソ映画だ。

原作キャラクターなどの要素を使ってるだけで全く別の作品となっててファンが怒り狂うタイプ原作付き映画がこれに当たる。

「100日間生きたワニ」はこの原作破壊タイプのクソ映画だ。

この作品は前半でワニが生きた100日間、後半でワニが死んでからの100日間を描く。

後半でカエルという原作にはないキャラが登場する。

そして、前半で描かれたワニを中心とした友達コミュニティにこのカエルが入ってくるのだ。

これは見方によってはワニのポジションカエルが乗っ取ったように見える。

しかもこのカエルは観客のヘイトをめちゃくちゃ稼ぐ立ち回りをしてるので余計にこのクソガエルが!という心情になってしまうのだ。

この点で、ワニが好きだった人ほど、この映画は受け入れがたいものになってしまった。

これはメディアミックスとして大きく失敗である

監督のやりたかたことはわかる。

友人が死んだとしても、残された人は生きていかなければならない。

ワニの死を咀嚼し、飲み込み、受け入れ、明日を生きていく。

そういう物語にしたかたことはわかる。

しかし、ワニを主人公にした物語でその主人公が死んだあと、その主人公代替品を手に入れて乗り越えましたという印象になりかねない物語展開はワニが好きだった人ほど受け入れられないだろう(ワニのことを忘れたわけではないという演出はされているが、観客の印象をコントロールできるほどかというとそこまでではない)。

ではどうすればよかったのか?

残された側のネズミ主人公にすればこの問題回避できたと思われる。

これならワニという親友を失ったネズミの心情に観客は寄り添うので、ワニを失った悲しみを乗り越える様子にも肯定的感情を抱くことができただろう。

実際、監督としても可能な限りネズミ感情移入してもらおうとしたのか、その工夫をした余地作品からもうかがえる。

例えば前半のワニのエピソードネズミとのやりとりが多く、後半もネズミのシーンが多い。

しかし、原作はワニの物語映画タイトルもワニ、前半のエピソードネズミと関わってるものが多いものネズミが絡まないワニのエピソード特にワニと先輩ワニの恋愛模様のシーンのほうがネズミのものより観客には印象に残った可能性が高い)も多く、ネズミ主人公であるという刷り込みを観客にするには不徹底なため、ネズミ主人公と捉えることは難しい。

結果として、観客は主人公はワニだと思い込んだまま、ワニが死んだ後のコミュニティカエルが入り込むのを眺めるというグロテスクなシーンを見せられることとなってしまった。

とはいえ、ワニではなくネズミ主人公にするのはマーケティング観点から言っても難しかったと思われるので、その点は監督に同情する。

2021-07-14

anond:20210714100904

人んちの家畜勝手感情移入してへこへこ散財してるだけだろ

人質だなんだなんてあほらしくね?

2021-07-12

「何者かになる」ことがあまりにも重大かつ難しすぎる

何者かになりたいという話になると、大抵は有名になりたいとか何かで成功したいみたいな話になりがちだけど

そうじゃなくて

「あるコミュニティの中でポジションを獲得する」というのが根源的な「何者かになる」ことだと思っている

例えば学校クラスの中で一番おもしろい奴とか、クラスの中で一番頭がいい奴とか

そういう認識クラスの中の皆の中に共通認識として存在することがその人にとってアイデンティティになる

人間にとって社会性や社会役割に対する渇望というものは強いもの

コミュニティにおけるアイデンティティの欠如は苦しいもんだ

 

この発想は持論だけど

そう考えると「何者かになりたい」はつまりアイデンティティが欲しい」となり「現状アイデンティティが欠如している」となる

ざっくり言えばそれは「自分モブ過ぎて辛い」とか「誰かの役に立ててなく、尊敬もされていなくて辛い」となる

 

およそ最小の「何者か」は誰かの知人だと思う、あとは趣味とか特技とか好みとか

例えば誰かとの関係について考えると

「Aさんの知人」より「Aさんの友人」がより強くて、「Aさんのパートナー」「Aさんの家族」のように徐々に強くなっていくと思う

例えば好きなものについて考えると

お酒が好き」より「お酒に詳しい」がより強くて、「お酒プロ」「お酒仕事をしている」「お酒インフルエンサー」「お酒専門家」と徐々に強くなっていくと思う

こういうのって強くなるほど他のコミュニティでもアイデンティティ確立やすいんだよね

 

強さについてもっと考えてみると

1人あたりの認識の強さx人数 だろうか

「Aさんの知人」より「Aさんの恋人」の方が強いだろうし

クラスで一番足が速い」より「全国で一番足が速い」の方が強いだろうし

 

から皆有名になったりプロになりたがるよね

多くの間違いはそういう強い存在を目指してしまうことだと思う

失敗した時にきつい、それにかえたコストがパーになるから

そのポジションは有限なんだ

多くの人はアイデンティティ確立に失敗する

 

より妥当ラインは「Aさんの恋人」とか「Bちゃんの親」のようなポジションだろうし

そこで強い結束ができれば「何者かになる」は成功するんだと思う

逆にそれができない人、要は満たされない非モテとかコミュ障とかが「何者かになりたい」と強い存在を目指してしま

 

このアイデンティティへの渇望って、人生の時々や個人によって差が大きいと思う

例えばアニメゲーム映画スポーツなどで誰かに感情移入してるときなんかは

コンテンツがそれを肩代わりしてくれるので擬似的に満足してしまうことがある

しかしふとした瞬間に自分に何もないことに気づいて途方にくれるんだと思う

 

1個のアイデンティティ依存するのもリスク

コミュニティの中でのポジションは容易に失われることがある

自分より強い人が現れたり、コミュニティ解散したり、自分が去るケースがあるから

 

アイデンティティが「1人の強さx人数」によって変動し、かつポジションが有限だとすれば

複数コミュニティ所属してそれぞれの場所で工夫してポジション取りをするのが一番効率がいい

しかコミュ障にはそれがキツイ

そもそもポジションというのは皆から与えられるものから、「コミュニティの中で一番強い」というのは皆に認識させる必要がある

そのためにはそれなりのコミュニケーション能力必要だし、そもそもコミュニケーションが生まれなければならない

あとは「一番煙たいやつ」みたいなマイナス評価もあり得るから難しい

コミュニケーションしてくれないのが最もキツイ、だから無視精神的に来る

 

そうなってくるとやはりどこへ行っても通用する分かりやすバッチが欲しくなる

容姿筋肉身長・奇抜な格好・トレードマークのような見た目があれば一番楽なんだけど

案外難しいのは「金持ち」という属性だ、使い方次第でマイナスになる

 

あとは似たりよったりな面子で集まるとモブ化しやすいというのもある

東大生だって東大生グループに入ってしまえば東大生という属性通用しなくなる

それなら却って中卒とかの方が良い

しかし似たような面子の方が話がはずむというのもまた事実なんだ

そこが難しい

 

強さというのは何も一方向だとは限らない

「一番か弱い」とか「一番貧乏」というのも一種属性となる

ただマイナス評価になるケースも有る

 

愛されてるというのはこの渇望に対する裏技だと思う

あらゆる要素において「あなたが一番だ」と言われ続けるのは渇きを抑えるのに十分だと思う

逆にそれが無いとか、そういう経験がないのは大きなハンデだと思う

 

みたいなことを最近考えてたけど、ここらへんって学問になってないのかね

2021-07-10

女体嫌いの女好きなので、受けをメス化してしま

どうしてBL同人で受け役になった男は、言動が女っぽくきゃわゆく描かれるのがメジャーなのか。

それは、腐女子の中には女体嫌いの女好きがかなり多いからなんだろうな。

女体は見たくないが、女の子みたいに照れたりキュンとしたりする言動は好きだし、そんなかわいい存在が男女恋愛テンプレをなぞって女役として愛されたり挿入されたりしてるのが好き、という多くの腐女子のホンネが、受けを女の子っぽくするのだ。

ケンコバ自分のことを女体は好きだが女嫌いと称したけど、その反対だな。

(ちなみに、ミソジニー男を叩く時に「女体好きの女嫌い」を使う人が多いけど、ケンコバ自己言及が元だと知らない人が多そう)。




ケンコバ他者である女についての好き嫌いだったけど、腐女子の「女体嫌いの女好き」は自己嫌悪が混じってくるのでグチャグチャしてるんだよな。

しろ自己嫌悪こそが核心なのかもしれん。

物語には女キャラが少ない方が嬉しいけど、現実女性アイドルは好きですみたいな腐女子は、女体全般ではなく自分の女体への嫌悪デカい故とも考えられる。

リアルアイドルの女体は感情移入しづらいのであくま他人存在と感じやすいが、物語の女体は自分を重ねて読んでしまやすい、だから物語で女キャラが目立ったり性に絡むと苦痛、という心理だな。

自分の女の体は嫌いだしそれを思い出させられるのも嫌だけど、女性的な振る舞いをする存在はかわいくて好き、男女恋愛テンプレに則った交際セックスが好き。

そして受けちゃんを女化したうえで自己投影することで、自分の女体は脱ぎ捨てつつ、女性人格承認され、女性っぽく愛されてる気持ちになれる。

浅ましく感じる人もいそうだけど、別に悪いことじゃあないよなコレ。過剰に浅ましく感じる人は、自分の女的欲望を憎んで抑圧してるから解放した方がいい。

ただし、男役女役の恋愛テンプレが大好きなくせに、表面的な肉体が男キャラBLを好んでるってだけで「腐女子ジェンダーフリーだ、先進リベラルだ、マイノリティ理解がある」みたいな態度を取る腐女子はよくない。

自分の女体嫌いと女好き欲望不一致を無理矢理解消してるだけじゃねーかっての。

世間一般の男女恋愛に馴染めなかった私たちって異端だよねフフ、みたく悦に入ってんじゃないよ。女体嫌いという意味では少数派だけど男女恋愛規範好きという意味では多数派から、思ってるほど異端じゃねーよ。

オメガバースなんかも「男役、女役は完全固定! 世界設定として覆らないことにします! だけど女体は嫌いなので、体は男同士でもアルファオメガという性別を加えておきます! 女体を見ることなく男女恋愛テンプレに則った話をどんどん書こう!」って欲望発散に便利だからあんだけ流行ってる。

オメガバは悪くないが、オメガバがセンス・オブ・ジェンダー賞の大賞もらったのは流石にガバガバよって感じだ。

BLオメガバも、ムリヤリ大義名分を持ったり社会運動に繋げずに、真面目に快楽エンタメとしてやってけってね。(真っ当にリベラル思想からやってるタイプBLだったら、それをかかげるのは正しい)




ちなみに、「女体好きだが女は嫌いなケンコバ」の反対としては「男体好きだが男は嫌い」も考えられる。

こっち方向だとミサンドリー腐ェミっぽさが強くなる。

もちろん、腐ェミと非フェミ腐女子はパッキリ別れるわけじゃない。

「女体嫌いだが女好き」という、自己肉体嫌悪と、かわいく優しく柔らかい人格への好意に関心が強ければ、イチャつきメス化恋愛作品を楽しむ腐女子っぽい活動が多くなる。

「男体好きだが男嫌い」という、男の肉体への好意と男の人格への憎しみが強ければ、腐ェミとしての活動が多くなる。

ちょっと脱線したな。




ということで元増田のこの疑問の答えもわかることでしょう。

なんで自分に自信満々な筋骨隆々ガハハな男が、突然内股になって下げ眉困り顔で頬赤らめて生娘みたいな貞操観念の鈍感男になって「ふぇっ?」とか声あげて攻め「可愛い…っ!」ってなんのよ

受けの皮を被ったそいつは誰なんだ

そいつは受け男の皮をかぶった腐女子ちゃんです。

anond:20210629070253

anond:20210710151720

いやもうええですわ。

言うても無駄やし言いたない。

この徒労感・居心地の悪さと釣り合わんわ。

そもそも自分のチームより客先に感情移入強めになってる時点でもうチームには愛想が尽きとる。

プロダクトもキライになりそうや。

そうなる前に、早急にケツまくってズラからさしてもらいます

2021-07-09

anond:20210707213629

全くかは分かりませんが、男性男性の生きづらさについて女性作家ほどに書かないなら、

男性の感じる男性の生きづらさ」は「女性の思う男性の生きづらさ」よりそれほど深刻な物ではないのではないでしょうか…?

女性が感じる女性の生きづらさ」が「男性が感じる男性の生きやすさ」に基づいてるからでは?

それを性別逆転させるだけなので、女性作家感情移入して描きやすい。

登場人物を描いてもいいが、そのときの作者の気分だったりモデルにしたい人物だったり理由は様々だろう。

2021-07-08

anond:20210708104250

そりゃそうだよ

腐女子の言う受けっていうのはゲイで言うネコじゃなく女としての役割のことだから

女が感情移入やすいように男性性を排除したのがBL創作なんだから

好きな男のキャラ自分と同じ女になって欲しいのが腐女子

リアリティがなくて当然

からあいつらは受け攻めに異常にこだわる

総受けや右固定が圧倒的多数で総攻め左固定は見ないだろ?

色んな男に求められる女=受け

色んな女にチンコ入れる男=攻め

とすりゃわかりやす

ゲイ浣腸してアナル洗浄するけど女はマンコの中まで洗わないだろ?

なんで好きな男のキャラに女の役割を与えるかって腐女子は基本男嫌いなんだよ

でも男のキャラが好きって歪んだ感情正当化しようとして試行錯誤した結果がBL

シンエヴァを見たが、これは庵野秀明自伝だろう

エヴァは「庵野秀明の才能」の言い換え

 エヴァ元ネタウルトラマンだとよく言われている。ウルトラマンは巨大で強く、強い自己化身でもあり、男の憧れる父親のものでもあり、自分を包み込んでくれる母親でもある。

  庵野秀明にとって、エヴァンゲリオンという「作品」は外界と自分を繋げる唯一のものであり、庵野秀明監督としてそれを操作していた。同時に、エヴァという機体は自分自身の才能でもあった。

同時にその「巨大で強い自己化身」は、自分コンプレックスの表れでもある。シンジの持つエヴァの搭乗への葛藤は、創作の才能一つで生きてきた庵野にとっての葛藤そのモノであったのだろう。

 エヴァを作るころには周囲には才能を認められていた。宮崎駿やその他の監督自分の親からの期待、「逃げちゃダメだ」という言葉は、まさに当時の庵野秀明感情でもあったのではないか

同時に、当時エヴァ最終話での制作の難航と、それに伴うネットからバッシング。そして思った以上の膨大な反響オタクたちはエヴァ作品にのめり込み、数々の作品エヴァに影響を受け始め世界の潮流を変えた事。

 自分人格を込めたエヴァへの批判は、シンクロすればシンクロする程思い通りに動く作品の代償として、そのまま彼の精神自体に傷をつけただろう。心を無にして、ダミープラグを使いたいと思ったのではないか

これはエヴァ暴走のもので、彼自身にとっての作品勝手暴走庵野にとっての一番大きな原体験となっただろう。同時に作品にそれらを「重ねる」という事もまごころを君にでやり始める。

 エヴァに頼るな、現実生きろ。そういうオタクへの批判は同時に、自分自身への批判でもあったんじゃないだろうか。


マリは「安野モヨコ」の事

 新劇場版はそういった「エヴァンゲリヲンという作品制作」を通じて感じたことを再度「エヴァと言う作品」に落とし込む作業だったんだろう。新エヴァでは特に、「エヴァへの搭乗に対するシンジの心の変化」について重点的に視点がある。これは庵野エヴァ作品への向かい合い方を落とし込んだに違いない。

 やれと言われてやった(作った)→批判された(バッシング)→自分選択肢はない(拗ねる)→他人に任せる。批判されて辞める(エヴァから手を引く)→やっぱり調子に乗って自分の為に乗る(つくる)→失敗……そこから先は庵野の「エヴァと言う作品の向き合い方」そのものなんじゃないだろうか。「エヴァと言う作品」を作った事により、他人虚構へ誘った罪の意識から同時に、「ニアサーも悪い事ばかりじゃなかった」という言葉自己への客観視と許しにも思える。ニアサーが起きた後の世界は、エヴァテレビシリーズが出てからの彼から見えた世界自分引き起こした破片があちらこちらに浮かぶシンゴジラと言う作品は彼にとって第三村のようなものだったのではないか

 おそらく新劇の時から欝の兆候があったんだろう。周囲に「エヴァを作るな」と言われたことは、そのまま脚本へ落とし込まれていると思う。それでも乗り、精神を壊し、作品を狂わせてしまった。

 その作品の中で、異色の存在が出てくる。エヴァを難なく乗りこなし、明るく自分に接してくれた存在。これって妻である安野モヨコ」そのものなんじゃないかと。いろいろな「エヴァ」つまり作品」を吸収し、精神も病まず自由に乗りこなす彼女友達に紹介されたそうなので、パラシュートで降りてきたような物だろう。今まで他人拒否される事に恐れていた庵野にとっての救済だったのではないか

 庵野にとっての「人類補完」へのあこがれはこの結婚によって無くなったんじゃないかと思う。この時点で多分、「妻にもう一度会いたいゲンドウ」にしか感情移入できなくなってる。


インパクトは即ち、庵野秀明自殺願望

 世界を変えてしまった庵野にとって、ニアサーの後の世界は、新劇を作り始めた時の世界そのモノだったんだろう。やっぱり彼は止められても新劇を作り、自分を傷つけた。そしてギリギリ自殺しそうになったのをニアサー表現したんじゃないか自分を、他人を変えたいと思い始めた創作エヴァ化しそこなった首の無い人はファンたちの事だろう。

 ミサト率いるヴィレ自殺を止める自分の理性であり、シンエヴァ幻想的な戦いは彼の心象風景のものだったんじゃないか


エヴァの居ない世界は、そのまま庵野にとって「エヴァを作る必要のない世界」の事

 作中の突如現れる空白の14年は、庵野にとってエヴァを作らなかった数年の事だろう。当時の声優も、アニメーターファン大人になってしまった。

 第三村で、嘗て殴ってきた友達も、カメラ片手にちょこまかしてたアホガキも、かたや医者になり子供を作り、かたや一人で生き抜く一人前の男になっていた。

 色に乱れてた赤城リツコも「煩悩」を髪の毛と一緒に切り、ミサトは母になった。その中で、エヴァを作り続けて悩んで苦しんでる庵野自分自身を「何も変わってない少年」だと思っただろう。

 庵野にとってそんな自分に優しく手を差し伸べる周囲の人間は、なお一層コンプレックスを掻きたてたに違いない。しかし一方で、「エヴァで皆を助けただけでも偉い」という自己肯定の言葉もちらほらみられる。

 シンゴジラ成功したし、安野モヨコ夫婦漫画ありのまま自分を受け入れてもらえるし、庵野社会的地位を手に入れて金もある。尊敬もある。

 彼は自分自身を知ってもらうために「エヴァ」を作る必要などないのだ。エヴァに乗る必要なんかない。エヴァを作らなくても、エヴァに乗らなくても自分を認めてくれる人が沢山いるから。

 もう他人の血も、友達を殴った手の感触も、やけどする程の熱さも、自慰で流した精子も、彼の右手には必要ない。だってもう彼の右手には握ってくれるもう一つの手があるのだから



・雑感

考察何て意味ない。結局は庵野秀明人生元ネタなんだから

 無責任。これに尽きる。最近監督無責任だ。新宿を綺麗に描くのが得意な監督は、今まで自分が作ってきた、願った世界子供押し付けて「大丈夫だ」なんて言わせるし

 庵野秀明勝手に悩んで、勝手大人になって、ずっと自分しか見えていない癖に、子供のままの俺たちを置いて去ってしまった。

 世の中にはな、世界を作れなかった人間、人を気にして何も動けず下敷きになってしまった人、大人になれない髭の生えた子供たちが沢山いるんだ

 そういう人に寄り添ってくれる作品を作ってくれる人はおらんのかね。若者に厳しい世の中になってしまった。

 

2021-07-03

アニメ映画東京出てきすぎ問題

天気の子

 絶対に許せない

 2時間ある東京PVじゃん

 東京東京東京!全部東京ですよ

君の名は

 これほんとカス "田舎"の人と東京の人が入れ替わりってコンセプトがまずムカつくんだよな

 そんで、ラスト東京で邂逅ですか イケてる人間はみんな東京に出るんだもんな?すばらしいですね

サマーウォーズ

 舞台田舎だが、主人公東京モンだ

 田舎を描くにあたって、東京から見た辺縁であるって描写をどうしても入れないといけないの、精神病だろ

となりのトトロ

 舞台田舎農村だが、主人公たちは都会から引っ越してきた一家

 田舎まれ田舎育ちの人間には感情移入できませーん、ってか?ふざけやがって……

 田舎の山には謎のデカい変な化け物がいます ハートウォーミングですね、っていう話の建て付けもナメてるよな いねーよそんなもん

 東京の地下にいる気色悪いくっせえヘドロのバケモノの話のほうがリアリティあるんじゃないですか?

 

・都会(=東京)を舞台にした話

田舎に都会(=東京)から引っ越す話

田舎から都会(=東京)に出る話

パターン、これしかないじゃん

田舎出身田舎者が田舎で燻る これじゃいけないのか?

いけないんだろうなあ

2021-07-02

Vtuberに高額なスパチャしている人は、気を付けた方がいい

Vtuberのお別れ配信で、スパチャの総額が1000万超えたとか話題になっているけど、

Vtuberに高額なスパチャをしている人は、潜在的ストーカー危険アンチになる可能性が高いということを認識している?

Vtuberへの感情プラスの時は、スパチャを投げたり、ファンレタープレゼントを送ったりで、応援になっているが、

度を越して、高額なスパチャを投げたりしている人は、感情制御ができておらず、感情移入してしまっているので、

何かの拍子に、そのVtuberへの感情マイナスにて転じてしまったら、そのままストーカーや、危険アンチになってしま可能性が高い。

感情がきちんと制御できている普通の人なら、高額なスパチャなどせず、常識的範囲スパチャも収まるけど、

高額なスパチャを投げている人は、感情をきちんとコントロールできていない可能性が高いので、

非常に注意した方がいい

2021-06-30

anond:20210630204354

「この作品世界現実倫理観とは異なります」なら気にならない

でもそうすると読者と同じように思い悩む主人公を描き辛くなるんだよな

感情移入し辛くなるというか

感情移入できなくても面白い作品は沢山あるけど、そういう作品にはしたくないんだろう

anond:20210630182534

子供の頃からずっと、感情移入という概念が分からなくて、本の感想を書くのに苦労した。

大人になってようやく、そうか、自分には移入させられる感情そもそも無かったんだなって分かって、すっきりした。

私にとって小説物語を読むのは、新聞を読むのと大差なくて、

事実関係を把握できれば、それで十分だったし、それ以上に知りたいことも想像することも無かったのだった。

殺しは良くていじめダメ

漫画にすぐ倫理観ガー常識ガー文句言う人いるけどフィクションキャラクター相手にブチ切れてて楽しいんか?舞台設定でしかないやん 感情移入しすぎだろ

カースト上位の俺様イケメンいじめしてるのはダメだけど、最恐最悪イケメンヴィランが大量殺人を巻き起こしてるのはカッコいい〜♡ってなるんじゃねえの?

ちょっとガバガバすぎねえ?

2021-06-26

三国志はおじさんが感情移入できる要素がたくさんあるからおじさん向け

登場人物がおじさんしかいない。若者中心にすると八王の乱を起こすほどにおじさん賛美のホモソな作品

特に劉備髀肉の嘆なんてのは多くのおじさんに心当たりがあると思う。

諸葛亮自分にふさわしい主君を得るまで引きこもっているのも共感できるかもしれない。

関羽が腕の骨を削る手術中に平然と碁を打っていたというのにも憧れるだろう。ワクチン接種のとき関羽のことを考えれば痛みに耐えることができる。

感情移入たからといって実際彼らのようにはなれないが。

https://anond.hatelabo.jp/20210625053254

感情移入できない作品全否定するどころか

感情移入できるシーンしか見てないか作品のものを捻じ曲げてしまう人もいるからそれよりはまし。

2021-06-25

anond:20210625220851

どうしよう。似たような状況にいるか感情移入してしまうよ

anond:20210625053254

男さん(47)の感想文にここまで感情移入できるなんて凄い

僕がスルーしてる有象無象感想文を

丁寧にご丁寧に読んで長文を書き連ねる

本気で感情移入してるんだよね?

なんだか愛の理想みたいだね?

惰性で40過ぎても和ゲーやってるおっさん感情移入とか鼻で笑う

現実世界で大したリスクですらない「転職」すら怖がってまともにできないような、30、40にもなって10からの延長線上で惰性でゲームばっかりやってる保守的オッサン世界を救うために大冒険する同年代主人公感情移入できるのかよ。

できねぇだろ。

そういうおっさんって大概「転職しよう」とか「起業しよう」とかいう連中に対してすら「意識高い系wwww」とか小ばかにするだけじゃん。彼らは普通に冒険家じゃん。自分人生の主役を張ってる「同年代主人公」じゃん。感情移入できてる? できてねぇじゃん。

いいんだよ、日本ゲーム内で冒険に出るのは10代の「まだ何者にでもなれた」若者で。メインターゲットの若者はそれを見てワクワクする。いつまでも惰性でやってるオッサンも当時の気持ちのままワクワクする。

47歳なんか自分の舵は自分で取るべき年齢だろ。いつまでゲームに代わりに冒険に出てもらってんだ。いつまでも惰性でゲームばっかしてないでお前が冒険に出ろ。

ハゲ

anond:20210625092705

マッチョ白人オッサンには感情移入できない。お前も肉の垂れた黄人じゃん

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